今回は裏サンデー
何らかの事情や、本人なりの葛藤があったとはいえ、そう簡単にこれまで積み重ねられた憎悪はなくならない。
単なる天邪鬼だと切り捨てることもできるけれども、相手や自分自身さえも理解した上での選択だっていうのがポイントだね。
ここで相手を見直すだとか、そういうことをやらないのは評価したいし、ここで更なる展開をして盛り上げる構成にしている点でもグッド。
同作者のゼルダの伝説コミカライズは、少ない話数(巻数)なので重要な部分のみに絞って描かれてたんだよね(まあ、ムジュラのカーフェイイベントとか、逆に蛇足になりえるサブクエを本編に絡ませて消化するっていう演出には感心した記憶がある)。
けれども、本作はサブキャラとかも丁寧に描きつつ、かつ世界観の説明や独自の設定も練りこんであるね。
それを丁寧な作画でストーリーが紡がれるわけだから、同ゲームやったことある身としては目が離せない。
リンクが狼になる挟間のシーンとか、特筆した演出ってわけじゃないのにちょっと「おー」となった。
打撃戦のみなのに魅せるなあ。
単なる実力のぶつけ合いって感じが、むしろ熱戦を感じさせる。
それだけ打撃戦での一連のシーンが盛り上がっていたから、最後の決め手がアレってのは「やられた!」と感じた。
これまでも示唆していた可能性だから意外ではないはずなのに、盛り上げるシーンでその意識を外にやられていた。
それを、ただ言葉ではなくて絵で抽象的に表現するのは、これがいくら論理の皮をかぶろうとマンガである自覚が作者にあるからこそできる演出で、そのバランス感覚を評価したい。
本気で哲学を学びたい、真理を探究するために思考したいならば、エンタメ重視のマンガである必要はないのだから。
それでも意義があるとするならば、私は「意見を分かち合う道を示す」ことだと解釈している。
ねじが途中で他の皆が登ってくるまで待つと言っているが、それに近いんじゃないかと。
ヒトデが後で俺たちも行くと言っているのも個人的にグッときたなあ。
そういえば、私の感想文もある意味では「意見を分かち合う道を示す」ことではあるんだけれども、別にそんな大層な心構えで書いているわけではないしね~。