ずっと思っていたんだけど、みんな、謝るということに過剰に意味や価値を見出しすぎていないかな? って思うことがある。
「ごめんなさい」
「すみません」
「申し訳ございませんでした」
そのことばを聞くだけで、溜飲を下げられるのすごいと思うし、
そのことばを言うだけで、様々なことを許してもらえるのがすごいと思う。
それを渋る人もよくわからないし、それを有難がる人もよくわからない。
もちろん「口先だけの謝罪になんて意味はない」って言う人もいる。
でも、俺からすれば、口先だけだろうと、心からのものだろうと、そもそも謝罪にそれほど過剰な価値ってなくない?って思う。
傷つけられたものや失われたものなどの、過去の損害について、謝罪で何かが変わるの? と思う。
もちろん、謝ることは「今後は正していきます」という誓約をすることにもなるから、
謝られた側にとって、「今後は大丈夫だな」という未来の安心を得られるということは分かる。
たとえば「一緒に仕事をしている人がミスをした→ごめんなさい今後は気を付けます→分かった許す」という流れは、まあわからなくはない。
よほどのミスでなく、ペナルティを課すほどのことでもなければ、
「すみませんでした」の一言や、始末書が一定の価値を持つケースがあるのは理解できる。
でもそれはそのミスを許すことが、過去の損害を回復できるくらいのプラスになることと判断された場合だ。
あるいは、起こした問題について被害者は利益を回復できていないのに、
「ごめんなさい」の一言で、謝罪したから今後気を付ければOKって判断されちゃってること多くない?
そう思っているから俺はなんかやらかしたとき、すんなりとめちゃくちゃ謝る派だし、
それで上手くやれているから、ありがたい部分もあるんだけどさ。
いま話題のWELQとかがそうでさ、たぶん今後もあの事業で収益を伸ばすわけだよね。
本当に誤ったことをしたことについて清算するなら、
問題になった記事で得た収益を全額医療業界に寄付でもするべきだと思うんだけどそれはしないでしょ。
WELQだけじゃないよ。
ニコニコ動画やYouTubeが著作権侵害しまくって成長したけど、反省して著作権とかもなるべく気を付けます~って切り替えたのとか、
PCデポが情報弱者だましまくって成長したけど、反省して今後の契約方法見直します~っていうのとか、
全部一緒。
だって、不正なことをしていた間に儲けたお金はふところにいれたままなんでしょ?
それで許されちゃう。
もちろん許してない人はいるかもしれないよ。
一部の人からどう思われても、状況を知らない人を含むほとんどの人から悪いとは思われなくなり、
じゃ、捕まらない範囲で悪いことして、見つけられたら謝るっていう戦略、めっちゃ正解じゃん。
あとで大げさに「ほんとごめんなさい!めっちゃごめんなさい!」って謝ろう、と思いながら、
みんなやりたいようにやったほうがいいんじゃない?
謝るという行動によって「悪いと思っている」という前提が構築されるけど 謝らなかった場合はその前提がなくなるだろ。 悪いと思ってるなら保障する埋め合わせするという方向に話を...