はてなキーワード: 南アメリカとは
これは私も思っていたこと。
日本がこれだけ発展したのは、日本人の資質に要因があるというよりも、日本の立場がたまたま世界の潮流に合致していたせいなのではないか、と。
アメリカだって、陸続きな上下を比較的マトモな国家に挟まれているから発展できたともいえ、もしもメキシコの国家運営が100年前に完全に破綻していたとたら、防御壁の役割を果たさず、南アメリカから難民が次々に押し寄せて、アメリカ国内が大混乱をしていなかったかも知れない。
発展する国家というのは、何かしらの好条件に恵まれているもの。
ただし、それを利用できるかどうかは、その国家の構成員の決意や努力にかかっているのも確か。
同じように資本主義社会での発展のチャンスをつかんだアフガニスタンやイラクでは、人々にその意思がないために、そのチャンスを生かせず、混乱が続いている。
911映画祭(http://www.peacefilm.net/911/)に参加してきた
以下、プログラム
9:30~開場
映画『真実を求める遺族たちのPress For Truth』
特別講演 田中宇(60分)
メインは海外ニュースを独自の視点で解説するメルマガを流してる田中氏の講演。
どの映画も、ホワイトハウスは悪だという論調で、ふっそんなのはもう既に知ってるぜって感じの客層。
これだけ長時間って事は、なんかサブリミナル的に仕込まれてるんじゃないかと思いきやそんな事もなく。
その中で、タメになった点をあげる。
・陰謀○の○に入る文字はなんでしょう?
→「説」(うちは「「論」だと思ったけど)
→conspiracy theory つまり、そんなものは主張や意見であって、虚偽で風説に過ぎないというセットが連想されるように、教育/報道されている。
→なぜ、そのセットなのか?を考える視点を持つべきだ。
というのが頭に残った。
メディアの側の仕事をしていると、そういうのを如実に感じることがある。
・○○がOLの間で大人気!
・大ヒット公開中!!
とかとか。 大体は捏造というか、後ろに「という事にしたい」というのが隠してあるんだよね。
1000人近くの意見が書き込まれると、不思議とそれが一般認識のような錯覚(というかもはや常識として流布される)
なんなんだろう。。
つい5,6年前までは日本人にとって中韓なんて、ラーメンマンとキムチだっけ?のどうでもいい国でしかなかったはずが、今や立派な仮想敵国。
本当に自分で見たのか?
中国人チョーセン人と話したことはあるのか? と。
アメリカが世界の覇権を手放そうとする今の時代、中国とかと対等にやりあって、ロシア、ASEAN+、果ては中東や南アメリカの資源を確保してくほうが国益に適ってると思うんだけどな。
ってな事を書くと、売国奴め!と真っ赤にして怒ってくる人が居たりするけれども。
いやはや。こわいこわい。
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小沢周り
小沢は中国の犬と言われているけれども、別に中国が好きなわけじゃなくて、アメリカの覇権が終わる今、国是を考えて、最善の策を取ろうとしてるに過ぎないと思う。
ベトナム、キューバ、アフガンにアメリカ(CIA)がやって来た事(共産主義は悪だ!と、過激派系組織に武器を流し内戦状態にして、時の王や元首を追放等々)を外務省付近の人は知ってるんだろう。
だから簡単には対米従属は辞められないんだろうなってのが解った。(気がする)
たぶん、中国も本当はアメリカに覇権を持ってもらって(戦争はコストがかかる=軍需産業がそれほどないから儲からない)いたいんだろう。
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まとめ
週刊新潮・文春が、この時期に不倫だとかのニュースを流す意味ってなんだろうって考えた
・社長の娘(17)が、管(の背後に居る神野)に人質に取られてて仕方なく!?
→だって、バレバレじゃない。 手法が安直過ぎないか?
昨晩妹が死んだ。
元々、難病指定の疾患で長くは生きられないのはわかっていた。
それでも、一日一日を少しでも楽しく過ごそうと、
いつも笑顔の絶えない妹だった。
俺はイケメンでも無い、どちらかというと地味な感じの人間だったけど、
妹はよく懐いてくれた。
そんな妹を俺は確かに溺愛していた。
とても可愛くて、学生のころ(その頃は妹はまだ中学生だった)は、
バイトでお金が入ると、彼女の代わりとしてよくデートに連れてった。。あはは。。
よくついて来てくれたっけ。
そんな年齢だったのに、よく考えていた。
身内びいきじゃなく、まさに「薄幸の美少女」という言葉に当てはまる。
本当に病気だと知ったときは、
どうすればよいのかわからなかった。
翌日も夜まで号泣。
俺も、次の日の昼まで部屋から一歩も出れず、
布団に顔を突っ込んで、大声で泣いていたっけ。
でも、次の日の夜に、妹が言った。
「私、楽しく生きる。お父さんお母さん、そしてお兄ちゃん。
私、がんばって楽しく生きるから、一緒に楽しく過ごして!」
しばらくして俺は両親に、今年は留年するかもしれないけど、
それでも妹のそばにいて、一緒に遊んでやりたいと伝えた。
幸い、お金はそこそこある家庭だったので、
俺は妹を連れて、俺や妹がこれまで行きたいと思っていた場所を訪れた。
アジア、ヨーロッパ、北・南アメリカ、オセアニア、色々なところに行った。
親父やお袋も休暇が取れるたびに合流し、
皆で楽しく1年ほど、さまざまな場所で過ごした。
そして帰国後、妹は入院した。
本人も、両親も、俺も、全員もうその病院から元気で退院することはないと
うすうす気づいていたのかもしれない。
おれは復学し、(結局大学は休学扱いにした。事務処理が大変だったけど)
1日にあった出来事をすべて妹に伝える、、そんな毎日を過ごすようになった。
「へぇ??。お兄ちゃんそうなんだぁ。。それで、??はどうしたの?」
「今度の大会がんばってね。」
「??さんに、今度会ってみたいなぁ」
「誕生日おめでとう」
ごめん。。。もうかけない。
そんな妹が今日、死んだんだ。
どうすればよいのかわからない。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。