2009-01-12

妹が死んだ

昨晩妹が死んだ。

元々、難病指定の疾患で長くは生きられないのはわかっていた。

それでも、一日一日を少しでも楽しく過ごそうと、

いつも笑顔の絶えない妹だった。

俺はイケメンでも無い、どちらかというと地味な感じの人間だったけど、

妹はよく懐いてくれた。

そんな妹を俺は確かに溺愛していた。

とても可愛くて、学生のころ(その頃は妹はまだ中学生だった)は、

バイトお金が入ると、彼女の代わりとしてよくデートに連れてった。。あはは。。

彼女は作らないの?」って生意気なことを言っていたけど、

よくついて来てくれたっけ。

ああ、あいつが結婚するときには号泣するだろうなぁって、

そんな年齢だったのに、よく考えていた。

まさに漫画でよく見る病弱なタイプ女の子でさ。

身内びいきじゃなく、まさに「薄幸の美少女」という言葉に当てはまる。

本当に病気だと知ったときは、

どうすればよいのかわからなかった。

本人は、病院で知らされた後、一晩号泣

翌日も夜まで号泣

俺も、次の日の昼まで部屋から一歩も出れず、

布団に顔を突っ込んで、大声で泣いていたっけ。

でも、次の日の夜に、妹が言った。

「私、楽しく生きる。お父さんお母さん、そしてお兄ちゃん。

私、がんばって楽しく生きるから、一緒に楽しく過ごして!」

しばらくして俺は両親に、今年は留年するかもしれないけど、

それでも妹のそばにいて、一緒に遊んでやりたいと伝えた。

幸い、お金はそこそこある家庭だったので、

俺は妹を連れて、俺や妹がこれまで行きたいと思っていた場所を訪れた。

砂漠や、南極、密林とかは、さすがに無理だけど、

アジアヨーロッパ、北・南アメリカオセアニア、色々なところに行った。

親父やお袋も休暇が取れるたびに合流し、

皆で楽しく1年ほど、さまざまな場所で過ごした。

そして帰国後、妹は入院した。

本人も、両親も、俺も、全員もうその病院から元気で退院することはないと

うすうす気づいていたのかもしれない。

おれは復学し、(結局大学は休学扱いにした。事務処理が大変だったけど)

講義が終わると毎日病院に駆けつけて、

1日にあった出来事をすべて妹に伝える、、そんな毎日を過ごすようになった。

へぇ??。お兄ちゃんそうなんだぁ。。それで、??はどうしたの?」

「今度の大会がんばってね。」

「??さんに、今度会ってみたいなぁ」

「今年はバレンタインチョコレートもらった?」

誕生日おめでとう」

ごめん。。。もうかけない。

そんな妹が今日、死んだんだ。

どうすればよいのかわからない。

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