はてなキーワード: 否定的発言とは
リアルで承認を得られていないと、ネットでそれを求めるようになる。Twitter のファボ、あれはまずい。
なんだか自分の思うことではなく、ファボをもらうためにツイートしてしまっているような気がする。
「他人はどんなことを言っても受け入れてくれる」と思い込まなければやってられない。この人はぼくを認めてくれる、というのも一種の押し付けなのだろう。
そうすると、ネットで周りの人が言った否定的発言も受け取ってしまう。そういう時は、まず自分の中に確信の持てないことがあって、それに類する否定的発言をフォロワーがしていた時に、自分に言っているのではないか、失望させてしまったのではないかと思ってしまう。他人にどう思われるか、というあれである。「神経症性」とどうもいうらしい。
でもやはり、人間なので人から承認されなければ生きていけないと思う。そこは否定できないような気がする。
特にあれだね、専門外のことは不用意に言うもんじゃない気がする。どうにも、少し面白いものを見つけると人にも知らせたくなるような、子供のような気持ちがどこかにあるみたいだ。自分の専門のことだとある程度シビアになるんだけれども、専門外のことだと修練も浅いし、何より「自分は理解している」という判定が甘くなってしまっているような気がする。所詮は素人なのである。なんか見識のある人からすると見苦しいことをやっている気がする。もっと勉強しないとなあ。
あと本かなあ。本を読むそれ自体は悪いことじゃないんだけれども、本から言葉を借りる時に、そこにオリジナリティーはあるのかという。自分の心にしっくりくるというか、引用するのはそういうものだけにしようと努めているつもりだけれども。まあとりあえずは「濫読」ってやつをやってみようと思う。
なんだかね、そういう自分を批判されているような気がするんです。少なくとも自分はなんだかまずいことをやっているという自覚がある以上、どうにかしないとねえ。
只の愚痴。
夕方、同じアパートの女の子Aちゃんがうちの娘を遊びに誘ってきて、近場に公園とかないのでアパート前で遊んでた。
そのうち、他の部屋の男の子Bくんも混ざって遊んだのだが、娘とAちゃんはたまにBくんを取りあってケンカになるのだ(3人で仲良く遊ぶ時もあります)。
今日はその取り合うケンカになって、娘がAちゃんにもBくんにも嫌がらせをする様になってしまった。
やめる様に叱って、まだやり続けたので帰るように促したらイジケてアパートの隅に隠れる始末。
ひとりぼっちで隠れる姿を観て、そこに一緒にいたAちゃんママとBくんママの会話に上手く混ざれない自分を投影しているようだった。
会話が続かない。とにかく話題が天気かニュースくらいしかない。
今日もディズニーランドの話になったがここ10年以上いってないしテレビでしか観た知識披露しても、ふーん…みたいな感じになって途切れるし。語彙力ないのがこの文章読んでもお分かりだろう。
あと否定的な発言しか出来ない。「疲れちゃうよね」とか「雨降ったらどうしよう」とか。
でもたま〜にLINEとかで話す誰かが欲しい。