はてなキーワード: 三浦氏とは
1.結局この番組は個々人の意見の是非云々より、何故それを今話に出すのだ、どういう話の流れにしたいんだ?という事の方が目に付いてしまう。たとえば、三浦氏は「何故そういう現象が起きるのか」というのをちょっと引いた視点から説明するという意味でバックグラウンドがしっかりしていると思うし(アカデミアだから当然だろうが)、逆に自民や民主の政治家は主張を繰り返して非難合戦しているばかりだし、荻原って人はむやみやたらにどれだけ重要な意味があるのか分からない話を広げて闇雲にしゃべっている印象を感じるし、駒崎氏は自分の活動に関してプロフェッショナルだという自負があるからか専門外のことには進んで発言機会を適切な人に譲る。古市氏はまた三浦氏と違ってアカデミアではかなり発言がライト寄な気がする。というかバックグラウンドが余り見えてこないタイプの発言をする。総じて感じたのは、人の言っていることをちゃんと理解しようとしている人は発言自体も筋が通っているし(今日で言えば学者系、実務系)、そうではない人は自分自身の意見も訳が分からない(政治家系、"文化人"系)、ということかもしれない。
2.
正規vs非正規かという議論は、そもそも何故非正規に付く人が増えたのか、というところの検証を広くしないと意味が無いのにそこを避けてばかり。企業としては正規にしても非正規にしても、利益がある方を選ぶだけの話で、じゃあ企業にとって正規という投資をする人材が労働市場にいないのか、もしくはそういう人材のリターンが技術や市場の変化で減ってきたのか、など色々外的要因があるのにもかかわらず企業の倫理の問題ばかりにしている。
ちなみに1と関連するが、ここでも三浦氏はユニクロとローソンの話で業種によって外的要因が異なるという話をしていて(ロジック的に正しかったのかよく分からないことは留保しつつも)重要なポイントだと思ったが、執拗にローソンの話をする荻原氏は若干滑稽に映った。また介護士の話の時にも、介護士の賃金をどうやって上げるか、税金をどれだけ突っ込むか、財源はどうするかと言った話に場は終始していたが、三浦氏は現状の競争が抑えられたスキームのせいで労働市場がゆがんでおりそのせいで賃金を上がっていないのかもしれないので、もう一回規制緩和などで業界ルールを設定しなおして自然と賃金が上がるようにしていくことを検討すべきだ、という傾聴に値する、少しメタ的な話をしてたが、荻原氏は規制緩和という言葉だけを捉えてか何を言っているの?という態度で、意見の是非の前に全く話が通じていなかったようだ。荻原氏はテレビに良く出る人ではあるらしいが、今回の番組を見る限り個人的には知的能力に疑問を持たざるを得なかったし、そういう人が出演し続ける番組にもあまり良いイメージは持てない。
3
こういう不毛なプロレス合戦はもう良いし、田原氏もそうは長くないと思われるので、そろそろ荻上チキ氏が仕切る大型討論番組を見てみたい。
1199年 | 2月 | 源頼朝死去 | |
1199年 | 11月 | 梶原景時の変 | 梶原景時自害 |
1203年 | 9月 | 比企能員の変 | 源頼家失脚、比企能員暗殺、比企氏滅亡 |
1204年 | 7月 | 源頼家暗殺 | |
1205年 | 7月 | 畠山重忠の乱 | 畠山重忠討死 |
1205年 | 7月 | 牧氏事件 | 北条時政失脚 |
1213年 | 5月 | 和田合戦 | 和田義盛討死、和田氏滅亡 |
1219年 | 7月 | 源実朝暗殺 | |
1221年 | 6月 | 承久の乱 | 後鳥羽上皇失脚 |
1224年 | 6月 | 伊賀氏の変 | 伊賀光宗失脚 |
1246年 | 4月 | 宮騒動 | 北条光時失脚、藤原頼経失脚 |
1247年 | 6月 | 宝治合戦 | 三浦泰村自害、三浦氏滅亡 |
1272年 | 2月 | 二月騒動 | 北条時章殺害、北条教時討死、北条時輔殺害 |
1285年 | 12月 | 霜月騒動 | 安達泰盛自害 |
1293年 | 5月 | 平禅門の乱 | 平頼綱自害 |
http://anond.hatelabo.jp/20130822113352
「首都圏痛勤ナンバーワン路線で、かつ高年収ゾーンでもある田都沿線住民が、
職住近接に否定的」という皮肉な結果が出ている。
田都住民は、
「年収的には、都心のタワーマンションを買える経済力があるにもかかわらず、
『敢えて』痛勤路線である田都沿線を選んでいる」という人種で、
「勤務先が丸の内や港区から、二子玉川ライズとかに近づくことを、有りがたがらない」人種らしい。
また、三浦展氏は
「女性の大卒比率はかなり低い(=短大卒、高卒の専業主婦が多い)」として
・ダンナが丸の内や港区などの「ブランドエリア」に勤務していることをステイタスに感じていて、
・ダンナが「痛勤」していることについては、「大変ね」とも思ってない、
むしろ「ダンナの『家族への自己犠牲』を確認できるモノサシ、象徴」とすら感じている