はてなキーワード: いしいしんじとは
いやぁ、今の時代に30代でこの感覚はキツいなぁ。いしいしんじさんの回答伝わるといいんだけど。10/27読売新聞人生案内。
いしいしんじもこの人も、問題をまるで理解していない。質問者の価値観を「古い」と切り捨てているが、これは明らかに若い世代のきわめて「新しい」感覚を率直に述べたものである。大学でジェンダー問題を教えている教師が、男子学生から同様の授業の感想を受け取ることは、しばしばTwitter上でも報告されている。そもそも本当の「古い」感覚の九州男児は、「女性が羨ましい」などとは口が裂けても言わないだろう。自分の理解でないものを「古い」というカテゴリーに押し込んで、問題から目を背けているだけである。価値観をアップデートできていないのは、いしいしんじのほうだろう。
質問者の言いたいことは、要するに次のことである。「女性に〈女らしさ〉を要求することは現在では差別とされ、バリキャリでも両立でも主婦でもさまざまな生き方が承認されるようになっている。それに対して男性は依然として懸命に働いて家族を扶養するという〈男らしさ〉を現実に要求されており、しかもそのプレッシャーから男性を解放すべきだと言ってくれる人もほとんどいない。男性は、稼ぐ能力がなければゴミクズ扱いをされ、人生を全否定される。そのような男性から見ると、非正規でも無業主婦でも人生を承認されている女性が、正直羨ましく感じる。」
もしこのように理解できるとすれば、どこにも差別主義的で古い価値観は存在しない。質問者は、現代の日本ではきわめてジェンダー平等規範が当然なものとなっているのに、現実に男性に求められる社会的な役割が女性と比べても変化していない、というきわめて新しい感覚を率直に表現している。質問者が現実に存在する女性差別に無知で鈍感というところは確かにあるが、学校や職場で日常的に目にしている女性が、むしろ男性よりも楽しく生き生きとしているように見えるという実感まで否定すべきではない。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/
なんもかも分かっててやってるんです!
と開き直っている人には、何を言っても届かないだろうし
何を言っても届かない壁を築けたことにこの人は安心してるんだろう。
そんなことないよ、クズも生きていけるくらいの懐があるよ、世の中は!
と、この人の壁を乗り越えて手を差し伸べてくれる社会を、心の奥底で期待していなくは、ない、のだろうと思う。
なぜなら、この人は自分が死ぬだけではなく、「『クズは』死ぬべきだ」と主語を広げるから。
社会に居場所がない人が一定数いることを告発し、社会を肯定するふりしてその対応策を考えることを放棄し、
クズを許容するなんてそんなん無理でしょ? そんなのクズの甘えでしょ?
文句ないでしょ! イケメンは楽しくこの世を謳歌してくれよ!!!
個人的にはこれを思い出す。
きっと渡邊某には全く届かない言葉だと思うけど、これ以外に自分は具体的な対応策を知らない。
「へんてこで、よわいやつはさ。けっきょくんとこ、ひとりなんだ」
「ひとりで生きてくためにさ、へんてこは、それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない」
「それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、たったひとつの方法だから」
(いしいしんじ『麦ふみクーツェ』)
以前読み終えていた『シャングリ・ラ』を踏襲した上でこの週末に読破。個人的に、この人の小説は文字を読む小説であると思った。
あんまり情景が浮かんでこなかった。浮かんでこなくても読める小説だった。浮かんでしまうと頭が痛くなる小説でもあった。
前に読んだ『シャングリ・ラ』にしてもそうだったけれど、その圧倒的なまでに暴力的なストーリー展開とキャラクターの個性とはかなり人を選ぶような気がする。
悪くはなかったけど。とても疲れたけれど。
話は飛ぶが、最近のあさのあつこ小説はどうしてしまったのだろう。文庫本しか手を出していないから総括を言えるわけではないのだが、徐々に劣化しているような気がする。
たくさん書かねばならないのだろうが、もっとひとつひとつを丁寧に書いてもいいのではないだろうか。大変な時期だ。
あと、どうしてか村上春樹のノルウェイの森を読む気にならない。海辺のカフカとかねじまき鳥とかワンダーランドは読めたのに。どうしてだろう。めんどくさい。
ああ、読み終えてない本もたくさんあるわあ。
山本一力のあかね空、さだまさしの聖霊流し、いしいしんじのプラネタリウムのふたご、機本伸司の僕たちの終末、小川洋子のミーナの行進。
全部途中で読むのを止めてしまっている。読まなきゃなあ。
手をつけてない北村薫の本もあるしなあ。
時間を有効的に使わねば。
町田康といしいしんじの『人生を救え! 』では、「人間の悩みは全て『人間関係』の悩みに還元される」と結論付けてあって、
「金が無い」→「体面が保てない」という風に展開されている。
例えば、「社会的強迫観念」は金が無いことによる悩みではなく、
「社会的強迫観念」を感じる自分と周囲の関係への悩みであるというように。
当然、金が無い故の悩みというのは、金があれば解決するし、
人の心も金で変える時代に於いては、「金がある」と「殆どの問題は解決できる」は等価のように見える。
だけれども、そこに新たに発生するであろう、「心を金で買った関係性」への悩みは、
金で解決できる性質ではなくなってしまう。
結局、金で解決可能なものは一時的なものとなってしまい、
金さえあればこの世の問題のほとんどは解決できるのである。
はあまりにも早急な結論のように思われる。