2023-02-27

奢る奢らない論争に終止符うちに来ました

お前らいつになったら昭和から令和的思考アップデートされるんだよ。

奢る奢らないということは正しい間違ってるの話ではなくて、ただ単にコミュニティ形成のための選択肢しかないということをまず理解しろ

どっちが正しいか間違ってるかという論争をする時点で間違い。意見押し付けをしているだけ。

それを数の暴力解決しようとするのはただのイジメ。まじでクソ。

奢る奢らないということは、ただ単にそれによって相手を選んでいるという行為にすぎない。

奢られて喜ぶ人間はその後も行動を共にするし、喜ばない人間距離を置くだけ。

男性陣だけでこっそり支払いをすることだってそう。嫌なら距離を置けばいいだけのこと。

もちろん内心では嫌だと思っていても、そのコミュニティに寄り添っていれば結果的プラスになるという打算であっても構わない。

そうやって利害を計算しながらコミュニティは成り立っていく。

それを突然外野がやってきて、「間違ってますキリッ」みたいなのいらないから。

もちろん自分たちのやり方だけが至高。ほか全て間違いってのもクソ。

でもさ、「自分たちはこういう感じでやってます」くらいは自由じゃない?よっぴーだそうだったかどうかは知らないけど、少なくとも批判する側は「勝手にやってろよ」以上のコメント必要ないと思うよ。

俺なんかはめちゃくちゃ冷めた目で見て、「あぁ今だにね。」くらいには思ってたけど、わざわざそれを口にコメントにしないしましてや増田反論書いたりしないよ。(はてなブックマーク存在否定してすまん。)

そうやって世論形成されてしまうことで、自分もそうしなきゃいけないような同調圧力があることは否定しないけけど、そんなものは世の中の流れに乗るか自力で泳ぎ切るかの違いなんだから自分で考えて選べよ。

世論形成したいっていうなら別だけど、いちいち意見に顔真っ赤にして反論してたって一個人が吠えた程度の力じゃ流れは変わらんのよ。残念ながら。

相手の発信力だって一朝一夕で作られたものじゃないんだから、それに対してアンフェアを叫んだって無理筋ってものでしょ。

お前も血の滲む努力して発信力つけてこいってことだよ。

例えば恋愛だってさなコミュニティと言えるのだから価値観相手押し付けるんじゃなくて、同じ価値観相手を探したほうが早いよねということ。

「男として奢るということを認めてくれる相手がいい」という人は高らかに奢る宣言をすればいいし、「女性として奢ってくれないと嫌」という人は高らかに奢ってくれ宣言をすればよいだけのこと。

もちろん「男女平等世界において割り勘が基本」ということだっていいし、「女性社会進出を実感したいか自分が奢る」ということだっていい。

大事なことは、それを宣言することは個人(もしくはそのコミュニティ)に許された権利であるということ。

それを寄ってたかってあれが違うこれが違うということが間違い。間違いというか悪。行き過ぎれば暴力だってことが言いたい。

ただし、高らかに相手を選びます宣言する人間を許せないという気持ち理解できなくもない。

だけど、よくよく理解してほしいのは、「相手を選ぶ」ということは当然「相手に選ばれる」ということが同時に発生するということ。

その時点で十分な代償を受け取っているということに気がついてほしい。

本人の自覚があるかどうかは別。

例えばよっぴーが「奢ったほうが楽」と思って奢り続けているという話だけど、「脳死で奢ってくる人は苦手」という女性がいれば当然そのコミュニティからはいなくなっているよねということ。

「男だけで割り勘」を続けていれば、それに納得できない男もとっくにいなくなっているわけだから

(さっきも書いたけど他に打算があれば別。人は利害で集まる生き物だから。)

からこそ冷めて目で見られるし、別にそのことに対して「あなた選ばれてますよ!」とかいさら言わない。本人がどうなろうと知ったこっちゃないから。

例えば「自分遅刻癖があるので遅刻を許してくれる人を選んで生活しています」という人がいる。

それはたしかにそうとも言えるのだけど、逆を返せば「あなた遅刻を許せない人はあなたには近づかない」ということになる。

遅刻にゆるい職場を選ぶ」も当然そう。「遅刻する人間採用しない」職場からは選ばれていないということ。

「選ぶ」という行為には当然「選ばれる」という代償が伴うということ。

本人に自覚があるかどうかは別として、「選ぶ」ということの代償は君たちが罰を与えなくても十分に払ってるのだよ。

それに対して「私は奢られるのは嫌です!」とか、なんの接点もない人間が突然噛みつくのどうなの?

百歩譲って批判はいいけど、言葉暴力で殴りかかるのってそんなのただの暴力以外の何ものでもなくない?

嫌いなら相手殴っていいんですか?

例え相手が間違ってたって、お前が殴ったらあかんやろ。

他人ブログ見に行って「傷つきました。殴り返します。」って、それは当たり屋っていうのではないですか?

今のはてなが終わってるのは、こういう暴力肯定する方法ばっかりが目立って、否定する手段視覚化されづらいところにあると思ってる。

自分場合は他の人みたいに解決案をもたないので、最近ホッテントリを眺めて話題性炎上かを判断するだけのためにトップコメントをいくつか眺める程度にしか使ってないけど。

奢る奢らない論争は、そもそも個人趣味嗜好でしかないのだから、一回食事してみて合わなければ距離を置けばいいだけの話でしかない。

その一回すら失敗したくないっていうなら家から出るな。人と交わるな。それくらいの授業料も払わないやつが何を学べるというのか。

問題は、そうした個人の趣向でしかないものを、善悪の話に置き換えて、あまつさえそこから自らの暴力正当化に利用しようとしているはてな仕草にある。

過去炎上を遡っても、例えば「身長170cmない男性人権がない」発言だって、「170cmない男性恋愛対象にない」という個人の嗜好の話だと理解すれば終わる話だよ。

「そんなこと言う相手は嫌だな」でキーワードブロックするか、出てきても開かなきゃいいだけの話だろ。

そろそろ、「好きと嫌い」を発信することの自由と、それに対する暴力の加害性を切り離して考える思考アップデート必要なんじゃないですかね。

インターネット当たり屋が多すぎるし、それを称賛する奴らの多さにも本当にうんざりする。

奢る奢らない論争は個人の趣向。嫌なら近づくな。一回くらい授業料ケチるな。そんなことよりそれを理由暴力正当化すること自体諸悪の根源。今のはてなはそういう人間巣窟になってますよね。ということ。

以上。

  • でもさ、「自分たちはこういう感じでやってます」くらいは自由じゃない?よっぴーだそうだったかどうかは知らないけど よっぴーは後付けで「自分たちはこう言う感じでやってます...

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