バニラエアの件、航空会社のバリアフリー・サービスとしての問題、一部利用者による企業への業務妨害としての観点など、いろいろと話題になっているけど、身内に車椅子を利用する知的障害者がいた観点から参考までに過去の体験と感想を記しておきたい。
今から10年以上前、ある国内大手の運輸系会社が主催する知的障害者を対象とする欧州へのツアーに家族として参加したのだけど、その旅で鮮明に記憶に残った出来事のひとつとして「成田空港でのVIP待遇」がある。
何がVIP待遇だったかと言えば、飛行機に乗るまでの経路が一般客や自力で歩ける障害者とも全然違っていて、おそらくは航空会社の関係者しか使えない通路、エレベーターなどを駆使してショートカットしつつ、かつスタッフがずっと先導してくれて何の問題もなく飛行機に乗ることができた。あんな体験は、あの時が最初で最後になるだろう。
そんな待遇だと旅費が高いのではと思うかもしれないけど、当時の一般的なツアー価格からしても、医師が同行してくれる海外旅行としてみれば納得の金額感だったし、であれば、あの空港での対応は別途費用が発生したものでなくて、事前の通告、そしてきちんと交渉してくれる人(企業)がいれば、無料のサービスとして提供してくれるものだったのではと考えている。
10年以上前なので当然航空会社はLCCではないし、障害者向けツアーであったこと、本人が知的障害者であったことなど相違点は多い。ただそれでも、今回のバニラエアの件で航空会社ばかりを批判する意見は、今のご時世に必要とされるだろうスケープゴートの類に思えて違和感を感じざるを得ない。
今回の件の中心人物は自ら声を上げることのできる方で、身体障害さえなければおそらく自らの才能でいろいろご活躍されるような人なのではと思う。
そうした人たちが、いつまでたってもバリアフリーとは言い難い社会の差別的な仕組みに反発する姿勢には自分も共感するし、「母よ!殺すな」の横塚氏は尊敬する人物の一人でもある。
世の中には声を上げることもできない障害者の方もいて、そして、いつもは批判の対象になる大企業も、そうした人たちに対して今問題になっている方向とは別の意味での差別(優遇)を無償で行っていることも、もっと知られてもいいのではないだろうか。
こうした差別や優遇が、相手がどんな人であれサービスされるようになる社会こそが真のバリアフリーであり目指すべき社会なのかもしれないけど、そこを語るのなら、提供される金額の多寡でサービスを差別化するのが当たり前な資本主義経済の構造にも言及しなければ片手落ちになる。
ただ、そうは言っても、それじゃ今の日本での「声なき障害者への福祉」は文句のつけようのない立派なものなのかと言えばまったくそう思わないし、そうした意味では、現在厚労省が実施している福祉制度には、今回の件で批判されている方以上に文句を言いたいことがあるかもしれない。
横塚氏が勝ち取ったはずの脱施設の概念もいまとなっては形骸化し、ただの予算削減に利用されているように見受けらる。
こうした問題は、それこそ横塚氏のような当事者が政権内部である程度の権力でも持たない限り変わらないものなのかもしれないが、それと同時に、今回のような件で、マスコミ、そしてそれを受け取る市民の側での理解の深化も、また不可欠なんだろうと、そう思う。