とあるゲームについて、動画配信をしながらこのゲームはまず自分でプレイすることを進める、ということを配信主が主張していました。
まあUndertaleなんですが。
個人的には初見は見るなと言いながら初見の目に入るようなところに動画を上げてあまつさえクリアまで流すというダブスタに「そんなに初見に見てほしくないなら動画を上げないか、せめて布教するにしても途中までにしておけばいいのに」としか思えませんでしたが、それはそれとして配信主がそんな主張をしたのは「実際にプレイするのと比べて動画で見たのでは面白差が半分に減る」とか「実際にプレイした方が絶対楽しい」とか「その方が初見の驚きが味わえる」だとかそういう理由のようでした。
実際にこのゲームはまずは自分でプレイするべき、という意見が多いようで、いいからまずはやってみろ、ときます。
でもこのゲームは個人的には初見でネタバレなしで実際に自分自身でプレイしたからと言って必ずしも楽しめるゲームではなく、むしろ一部の人は動画で見た方が楽しめるんじゃないか、と思ったのでだらっと理由を書いてみます。
あくまで「一部」であって全員がそうとは思いませんが、「いいから騙されたと思ってやってみろよマジで!絶対損しないから!」というゴリ押しが非常に気になりましたので。
※ここから先はUndertaleについてのネタバレを含むため、ネタバレしたくない人はご注意下さい。ゲームの楽しみを損なっても責任は負えません。必ず損なうとも限りませんが。
まず、なぜそんなに実プレイをお勧めされるのかという背景を簡単に説明すると、このゲームはかなりメタ的な構造をしておりゲーム内に「ゲームを実際に遊んでいるプレイヤー」のことを想定したギミックがあったり、プレイヤー自身に訴えかけるようなシーンなどが多々あります。
このことによりプレイヤーはゲームの世界を眺めている「物語の外の人間」ではなくて物語の一要素として内部に組み込まれて擬似的ではありますがゲームの中、とまではいかなくてもゲームと現実の中間くらいのポジションに立たされることになります。
こうしたギミックの数々は、なるほど確かに実際にプレイして当事者になるのと動画の視聴者として傍観者になるのではたとえ同じ風景を見ていたとしても感じ方は変わってくるでしょう。
ですがそこに一つの疑問があります。「では当事者でいた方がゲームを楽しめる、というのは本当なのだろうか?」ということです。
いくらゲームと現実の中間にいたとしても、その役割どころが物語にとって些細なことであれば、やはり当事者とは言いにくいでしょう。Undertaleはちゃんとプレイヤーを物語の中心に置いてくれます。プレイヤーの選択は物語の根幹に関わり、どんな行動を取るかで登場人物のほんの些細な会話の内容から最終的なEDの中身まで非常に多くの場面で変化が起こります。
当事者であるプレイヤーはその行動に責任を求められ、登場人物にとって好ましい行動であれば喜び、褒められ、登場人物にとって害ある行動であれば嫌われ、攻撃されます。
そういった「当事者となること」を楽しめる人であればこのゲームはとても楽しいものでしょうしお勧めできますが、では誰もがそうして当事者として振舞うことを望むのか、と言われたら答えはNOだと思います。
実際にここに、他のゲームはともかくとしてUndertaleというゲームにおいて当事者にはなりたくない人間が最低一人はいます。
プレイヤーを当事者として据えることでゲームとしての面白さを表現しよう、というつくりのゲームである以上、いくらその完成度が高く、素晴らしいものであっても当事者であることを嫌がる人にとっては「楽しくない」のです。
ここでいう楽しい、楽しくないというのはそのままの意味で、作品としての完成度が高いことは必ずしも楽しく遊べることには繋がりません。
結局楽しく楽しくないは最終的には趣味の問題になってきます。そしてこのゲームはかなり極端なつくりをしているので人を選ぶ、好みによって好き嫌いがかなりばっきり分かれるゲームではないかと思います。
私などは物語の裏に隠されている設定やらについてはとても興味深いとは思っていますが、ゲームというくくりで見るならまさにとても完成度が高く人気があるのも分かるけど好みじゃないし実際にプレイしても別に楽しくない、です。
先にも言った通りこのゲームにおけるプレイヤーは当事者です。そしてプレイヤーは動画の配信主です。つまりUndertaleにプレイ動画という形で接した時、そこには自分でプレイした時とは違う「傍観者」としての関係が生まれます。
ここでようやくゲームとしてではなく、他の要素を持ち込まずに「物語」としてのUndertaleに接することができるようになるのです。
ゲームとしてのUndertaleはあわないけれど物語としてのUndertaleは好き、という人はこれまた一定数いると思います。二度目ですが、ここに私という実例がいます。
ゲームとしてのUndertaleがあわない私には実プレイをすることは苦痛であり、動画を見て楽しむ方が百倍楽しい……というのは盛りすぎですが、まあ少なくとも動画で見る方がより楽しめます。
つまり実際にプレイした方が必ずしも動画で見るよりも楽しいとは限らないわけです。
とは言え、作者の方は表現の方法としてわざわざゲームという手段を取ったわけですから、動画しか見ていないと作者が伝えたいことは一部しか伝わらないというのも事実です。
ゲームをプレイしたところで100%伝わる訳ではないですが、ゲームをプレイするよりは伝わることが少ない……あるいは、作者が見せたかった風景とはずれる可能性が大きくなる、というのはその通りでしょう。
ですので「作者が表現したかったものを見てほしいから実際にゲームをプレイしてほしい」というのは理屈としては正しいので、そう言った意味では私も「非常に完成度の高いゲームなので、作者の表現を実際に感じてみるために実際にプレイすることをお勧め」します。
ただし、それによって楽しい気分になれるか、動画で見るのと比べて楽しめるか、という話になれば人によるので一概には言えません。
というか繊細な人にはプレイをお勧めしません。一番平和なルートだけ動画で見るのが一番楽しめると思います。
好みが激しくて実際にプレイすることでガチのダメージを負い兼ねないゲームを「その方が絶対楽しい」から「ゲームのプレイをお勧めする」のはそれこそUndertaleという主体性が重要になってくるゲームをプレイしたにしては「当事者意識の欠けた無責任な行動」だなあと感じた、ということです。
Undertaleに興味がある人は、心の強い人、ゲームはゲームと割り切れる人、打たれ弱い場合はマルチEDで自分の苦手なEDが回収できなくても気にしない人、シューティング(さらに言うなら弾幕避け)ができる人、あたりにはプレイをお勧めします。
打たれ弱いけどコンプ癖がある人、メタを多用するゲームに抵抗がある人、キャラの発言の後ろにある作者の思惑が鼻につく人、シューティング(弾幕避け)が苦手な人あたりにはプレイはお勧めしません。
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