2015-03-03

道徳》は教えられない。《技術》なら伝わるけど

昨夜、賢者タイム中に「道徳教科化」のニュースを見た。

なんでも道徳が科目として扱われ、成績として評価されるようになるらしい。

  

TBSニュース23「変わりゆく日本」というコーナーで、試験的に行われた道徳授業の様子が放映された。

以下のシチュエーションについて生徒たちの意見を募り、先生議論する。

「図工の時間男の子が、となりの女の子に「赤い絵の具を忘れたから貸して」と言っている」

女の子は(貸してって頼まれるの、今日で3回目だ……)と思っている」

あなた女の子立場なら絵の具を貸しますか、貸しませんか」

  

貸すか貸さないかは評価対象にならない。

しろ相手のことを思いやることができるか、より多面的見方ができるかどうかで判断する。

たとえば「もう2回も貸しているのに、今回貸したらきっと次も忘れちゃう。それはあなたのためにならないから、貸さない」というのは、相手のことを考えているので三段階評価のAが与えられる。

逆に自分のことしか考えていないような回答ならC評価

これを見て私は「何かちがうな」と感じた。

まず「あなたのためにならないから」というのは(もちろん回答例にすぎないのだが)、どうにも押し付けがましい。まるでおかん言い草ではないか。友達どうしでそんな断り方、どんな年代でも普通はしない。

また、絵の具はもちろん一人一人の所有物なのだから、気分任せで「3回目だからもうイヤ」と断って、何が悪いのだろう。これでC評価じゃ、世の中のたいていの大人は道徳的に落第ってことになる。

  

この違和感の正体をつかむために思考実験を試みた。「もしも私に娘がいたとして、高校生になったとき、どんな対応ができるようになってもらいたいか?」

これをゼロベースで、すなわち「道徳からは一旦切り離して、考えてみる。正直に。

  

1.ひと呼吸置く

とにもかくにも、何でもOKする人間にはなってほしくない。頼まれれば、人はついイエスと言いたくなる。でも衝動に流されてほしくはない。なぜなら(もう三回目なのに)という気持ちがたしかにあることを無視してほしくはないからだ。この気持ちは本音として是非とも伝える必要がある。そのためには「いいよ」と簡単に言ってしまわないこと。

2.相手の話を聴く

  

こちらとしては(3回目なのに)という気持ちを伝えてほしいのだが、その下準備として、相手の話を聴く必要がある。理由は、対話技術として、としか言いようがない。「言いたいことがあるときは、まず聴く。そのほうがうまく行くことが多い」ということは多くの人が経験的に知っていることだと思います

ただしこのとき、「貸して」と言われて「どうして?」と答えてほしくはない。なぜなら「どうして貸さなきゃならないの?」という文は反語として解釈されかねない。つまり「貸す理由なんてないでしょう」という意味に。私としては娘に男の子との対話をうながしてもらいたい。「どうして?」という言い方だと、むしろ対話を拒絶するニュアンスに近づいてしまう。

から、やはり対話技術として、相手の言うことをオウム返しにするのがいい。この場合、「貸して」に対して「忘れちゃったの?」と言っておくのがスマートだと思う。こうすれば、発言自体に新しい意味はないけれど、「私はこの件についてあなた対話する準備ができていますよ」という態度を伝えることができる。

それにもしかすると、こちらが想像していなかった理由が潜んでいるのかもしれない。たとえば「きのう買いに行ったんだけど文房具屋が臨時休業だった」とか。聞かないことには、そういう事情も分からない。

  

3.自分の気持ちを伝える

「忘れちゃったの?」に対して「いやー買おうと思ってたんだけどさ」とか返事があったとしよう。

この二言三言を挟むだけで「えー、もう三回目でしょ」と言いやすくなる。「三回目だから貸したくないよ」とずばり言い切らないまでも、その気持ちは伝えられる。

  

4.成り行きに任せる

相手の話をうながし、自分の主張を伝えたなら、貸すか貸さないかはそれこそどっちでもいい。気分任せで構わない。まぁこ場合、頼まれれば貸してあげていいと思う。たかが絵の具なんだから

「いやー悪い。頼むよ。次は絶対用意するから」「しようがないなあ。今回だけだよ」みたいな会話は自然だと思う。お互いに不満も残らない。

以上の手続きは、私にもし娘がいたらこうできるようになってもらいたいし、また私自身がかくありたいと望む姿でもある。

なぜ高校生の娘を想定したかというと、私は教員のみなさんのようなスペシャリストではないからだ。一介の素人にすぎない。だから小学生が何を考えているのか、小学生に何ができるのか分からない。でも高校生なら想像やすい。

  

そこで次にこう考えてみよう。「ひと呼吸置く」「相手の話を聴く」「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」この四段階のすべてを小学生に教えるのは難しい。ならば、最低でもどれができれば、道徳入り口として満足できるだろうか?

まず「ひと呼吸置く」のは小学生には難しいと思う。衝動的な反応を自制するのは、ある程度大きくなってからでないとできない。

「相手の話を聴く」。これはぜひできるようになってほしい。「誰かに何かを頼まれたら、『○○して欲しいの?』といちど聞き返してごらん」と一般化して教えるのは難しくない。

自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」はできてもできなくてもいい。前提条件として「相手の話を聴く」のが先だ。

  

というわけで「あなた女の子立場だったら絵の具を貸しますか、貸しませんか」というディスカッションテーマに対する私の回答は次のようになる。

「『絵の具を貸してほしいの?』と聞き返して、反応を待つ」

  

さて、この回答。みなさんはどう思うだろうか。教員はどう評価するか? 「自分勝手ではないけど、消極的すぎるな」という判断でB評価。こんなところか。

あるいは「貸すか貸さないかで尋ねてるんだから、どっちかで答えろや」と杓子定規考える人いるかもしれない。(道徳の授業なのに……)

また、みなさんはこう思われるかもしれない。「いまお前が並べたのは《コミュニケーション術》ではないか。議題に挙がっているのは《道徳である問題がすり替わっている」と。

しかにそうだ。しか果たして本当に道徳を教えることができるのか。どうだろう。大きすぎて扱いかねる論題だ。それに対して、コミュニケーション術なら教えることができる。少なくとも《技術》として。

思いやりは理屈で教えられるようなものではないと思う。相手がどう考えるか、自分ならどう感じるか、想像したり体験したりするなかで学ぶものじゃないか。対話をうながす姿勢をまず技術として身につけることは、その経験を豊かにする入り口となる。

  

から私は、もし自分の娘が私と同じ回答をしたら、A評価を与えてあげたい。なぜなら、このようなオープン姿勢こそ、思いやりを本当の意味で育むための第一歩であると考えるから

  

仮に《道徳科目を考えるシンポジウム》みたいな場があったとして、もしもくじ引き一般人代表として選ばれたなら、私はこう意見を申し上げる。

先生方は道徳という言葉に引きずられて、やや教条主義的になってしまっているのではないでしょうか。つまり道徳とはかくあるべきものだ』という定義から始めようとしておられる。だけどそのことが不自然な会話・違和感のある評価基準に結びついているように見えます

道徳を直接に教えるのではなく、間口を広くとって考えてみてはどうでしょう。『いま道徳を実らせなくてもいい。将来の芽を植えられればよい』といったように。そうすれば自然対話評価可能な《技術》に焦点を当てられまず。一例として、私が述べたような会話モデルが考えられます

  • こういう意識高いこと言う人ほどちょっと批判されただけでブチ切れ発狂するパターンあるあるすぎる

  • 国際チームで仕事をすると道徳心にかけるのが韓国人と日本人、大人がこんな調子だから子供に道徳を教えるのは無理だろう

    • 韓国は儒教国家と言われ、日本も儒教とは知らないうちに儒教の礼節を学ばせ重んじる国なのに。

    • 韓国は儒教国家と言われ、日本も儒教とは知らないうちに儒教の礼節を学ばせ重んじる国なのに。

  • そもそも道徳ってなんだろう? 他人に優しくすること?親切にすること?モラル的なこと? 優しさって何?良いこと悪いことの違いって何?だれが判断するの? 良いこと悪いことの先...

    • 究極の道徳はアンパンマンなんだよ 自己犠牲と博愛だ 誰からも理解されずとも、誰にも愛されなくとも、みんなを愛し、みんなを守る そうだ 恐れないで みんなのために 愛と勇気...

    • 「自己犠牲と博愛」はもろにキリスト教的な教えだよね? だから、道徳というのは宗教的な概念の枝でしかないのかなと。 公立の学校で宗教を教えてはいけなくて、道徳はOKなら、軽薄...

    • 授業にするっていうことそれ自体はいいんだろうけど、現在の小中学校教諭にマイケル・サンデル並の教育能力を求めなきゃ意味がないとも思う。 例えば船に乗ってるときに事故にあっ...

      • そうそう、哲学の範囲にもなるよね。 その採点する先生の心情や価値観で答えが左右されかねない質問とかでてくるでしょ。 それこそ、「船に10人乗ってて、伝染病患者が1人居た場合、...

  • 「なんで人を殺しちゃいけないの?」みたいな根源的な問題への答えってどうなるんだろ 宗教がバックボーンにあれば単に「神様がダメって言ってるから」で済むけど道徳とかの授業に...

    • ショボイ人間社会の中に根源的な答なるものが存在していると考えるのがそもそも間違っているよ 人間社会としては「なんで殺しちゃいけないの?」(殺してもいいじゃん)って思われ...

    • 人殺しがダメなのか論は法律で解説できる それでも通じなかったら復讐の連鎖というものがあると言ってサスペンスドラマ見せるしかないわ サスペンスドラマなんて7割ほど復讐殺人だ...

  • 道徳は教えられる、ということにしないと社会が成立しないんだけど。

    • 元増田が問題にしたいのは公教育で扱うべきか、という点だろう

      • そりゃそうだ。扱うべきだよ。 「社会にとって、ひいては国家にとって身につけてもらわなければならない道徳」というのはかならずある。 自由自由と言って他人の権利を踏みにじる...

        • お前のような人間が道徳教育を押し進めているのだと思うと賛成するのに二の足を踏んでしまうな

          • まあ、ぶっちゃけ誰がトップに立っても社会通念上必要な道徳というのはあるから、そういうのを教育するのは何ら問題ないし、当然。

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