2013-11-27

http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131126/1385471119

メーカーが出荷する段階での原価がどれくらいかは知らないが、そもそもコンビニでのお茶のいまの標準的な売価は125円。原価については、平時でだいたい35%くらい。なんらかの条件がついたときは50%くらいなので、50円から60円が店に入荷したときの原価というところ。ひとまず細かい計算がめんどくせえので店の利益は50円だとする。んで、そのうち半分が本部チャージ(もちろんチェーンによって違うし、契約形態やら年数なんかでも違うけど)なので、この時点で店の取り分はだいたい25円くらい。ここから諸経費差っ引かれたぶんが本当の利益となる。

ちなみに本当の利益はだいたい1日の平均的な売上がそのまま月の収入になるってところ。なので、売価に対してだいたい30分の1が実際の利益となる。お茶1本売るごとに4円くらいが利益ってわけだ。となると諸経費は21円ってところである。経費の半分は人件費なので、ジュース1本につき10円が人件費さらに残りの半分が電気代なので、5円くらいってところか。なおこの数字はわりとてきとうである現実的には、たとえば現金過不足とか棚卸ロス、あるいは逆に利益率のいい商品がバカ売れとかいろんな要因があるので、商品ひとつあたりでの計算は不可能。計算できるのは粗利までかなー。

まあそんなわけなので、お茶単体で、っていうことになると計算は途端に難しくなる。なぜなら店では冷蔵庫必要ない商品も多数あるからで、しかジュースを陳列してある扉のないタイプ冷蔵庫ウォークインと呼ばれる)は、扉がないだけに特に電気代がかかる。実質の電気比率もっと高くなる可能性がある。

なお、お茶店頭で客に渡すまでのシステム確立するためには、個々の兵員の優秀さよりシステムづくりのほうが影響が大きいと思う。つまり物流拠点や配送網だ。これがグダグダだとどうにもならない。そのとき売れるものを適切に店頭に陳列するためには、多品種ロット商品物流の時点で管理する技術と、メーカー店舗間の流通経路の短絡が必須で、その短絡っていうのは特に時間的なことだ。つまり「注文したら可能な限り早く店に届く」ということ。

リンク先の文章が言うようにコンビニの品揃えってのは兵站思想が極端に充実した結果のものなんだけど、それを消費者に理解しろってのは無理。なぜなら「極端」にまで進化したものは、もはや関係者しか理解できないから。仮にそれを理解しろというのなら、それこそ消費者個々人の「温情」や「理解力」に期待するってことになる。理解できないものを理解しろというのなら、それは「よくわからないものを丸呑みにして受け入れろ」ってことになって、それはそれで別の問題を引き起こしそうで恐ろしい。そこまで消費者従順であることを期待できるはずもない。消費者コンビニ消費者やるだけが仕事じゃないので、それぞれの消費シーンに関して兵站思想を理解しろっつったってそりゃ無理。教育でどうにかなるレベルの問題でもない。

うまい棒については原価はだいたい8円くらい。なので単体でいくらいくらってかたちで儲けが出るわけではないが、そもそもうまい棒を1本で買ってく人は少ない。子供くらいだけど、きょうび子供だって10円玉握りしめてコンビニに来るようなことはほとんどないからねえ。あと商品にはマグネット効果ってのがあって、大なり小なりすべての商品がそれを持っている。目的買いというやつで「それを買いたいがために店に来る」という性質のもので、うまい棒に関しては比較的その効果を期待できる。なぜならあれほど著名な同タイプ商品はほかにないから。ワンアンドオンリーは強いねえ。ことほどさように、商品ひとつとってもその関係は相互に複雑で、最終的には「率」で判断するほかない。ジュースでは確かにコンビニは儲けを出しているだろうが、弁当やデザートは、単体ではメーカーも本部も、そして店も採算ラインとしてはきっつい、みたいなことも多いはずだ。

さて、個人的な考えなんだけども、ふつうの人が「事象を様々な局面視点から考えて張り巡らせる」ってのはかなり難しいんじゃないかと思ってる。これほどいろんなことが高度に分業化し、かつそれぞれが効率化(数十年前とくらべてどれほど進んでいることか!)している状況では、たいていのシステム関係者以外からブラックボックスしか見えない。考えることはもちろんけっこうなことだが、ブラックボックスについて思考することは、わりと陰謀論と相性がよいため、自分はあまりそこには期待していない。むしろいまの日本の息苦しさというものは、この効率性への過度の期待にあるんじゃないかと思っている。ビジネスにおけるシステムというのは、巨大な資金力を背景にした一種の「発明」であり、発明であるだけに、だれもがそれを効率的に作れるわけではない。逆にいえば、だれしもがそのときどきの最大の効率を追求しているはずなのだが、そこに「まだやれるはずだ」「もっと安くなるはずだ」「サービスが足りない」という有形無形のプレッシャーがかかることが息苦しさなのではないか、と。

じゃあどうすればいいんだって話なんだが、これに回答が与えられるくらいなら、増田で書いてないで政治家やら経済学者にでもなったほうがいい。心情的な問題としては「みんながやるだけのことはやってるんだ」という穏やかな共感、許しのようなものが相互にあればいいと思うんだが、上述したようにそれはそれでけっこう難しい。仮にできたところでそれは同調圧力につながるし、その反作用ひとつのあらわれが、ここんとこの炎上騒ぎなんじゃないかとも思える。

結局は体力的な意味での流血沙汰のサバイバル勝負になるしかねーのかなーと思ってる。つまり、最大のコスパ叩きだしたもん勝ち、ということだ。

せちがらいよのなかですのう。

兵站思想からめていうと、これは物流けがそうなので、あとの店舗に入ってからのことは兵站というよりは戦略になるんじゃないかしら。つーかロジスティクスってまさにそういうことでしょ。

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