はてなキーワード: 世界中とは
基礎教養かと思って読んだことあるんだけどいずれも途中で挫折した
単にnot for meだと言ってしまえばそれまでなんだろうけど
良し悪しと好き嫌いを別とすれば
この3作品にも良いところはあるのだろう
それがわからない
どのヘンがウケてるんだ?
俺がこういう決めつけをするときって「頼む・・・誰か反例を持ってきて俺を否定してくれ・・・!」って祈りの気持ちで書き込んでるんだけど
世界中に一人もおらんのかは知らんが少なくともはてなに生息してる女は誰一人として
「男レベルで頭がよく話が通じ、差別主義を否定し、男女平等で考えており、意識が令和最新版である女の実例」をもってこれなくて軽く絶望するんだよな
だからさ
PS3も初期はPS2互換あったのにそれをなくしたとかあって期待が下がったのがあったし
PS2はPS1も出来るってので売れたのもあったし
特に前までできてたことができなくなるのは反発くらって当たり前
ポケモン全種類ださないんだーうわーもう劣化じゃーんってなるわけよ
ポケモンなんてめちゃくちゃ売れてるくせにそういうのを聞くと開発費ケチってるとかせこいとしか思えなくなるし
世界中には沢山のポケモンがいるってシリーズ通して言ってるのにその数に限りがでたって言うのも停滞してるイメージしかないし
とんでもなくどでかい世界を大冒険して俺がゲーム世界の伝説の主人公になってやるって思いながらやるのがいいんだ
4.質の高い教育をみんなに
←底辺の男女対立がなくなると矛先が金持ちに向くかもしれないので無理
←水利権やトイレ利権で儲けている金持ちが損をしてしまうので無理
8.働きがいも経済成長も
←働きがいは金持ちには関係がないし貧乏人が儲かると金持ちが相対的に貧しくなってしまうので無理
←貧乏人が儲かることにつながり金持ちが相対的に貧しくなってしまうので無理
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
18.週休3日 ← 追加
←金持ちが働かないといけなくなるので無理
その時は好きな理由が一つ増えるだけでは
わかるわー。「優しいから」「身長が高いから」とか好きな理由を全部言語化してもらった上で、
わかるわー。「優しいから」「身長が高いから」とか好きな理由を全部言語化してもらった上で、
その特徴にすべてマッチしながら「別に好きではない人」を世界中から1人だけでもいいので探し出せるかと言われたら
探し出せる自信があるわ(恋愛系の話がわかりやすいので恋愛の話とする)。
イスラム教にはとにかく母親を大事にする教えがあるよね。母親にさえなれば天国へ行けると教えられてる人もいる。
どんな民族であっても教育が進めば出生率は下がると言う人がいるけど、イスラム教徒は別かも。彼らは自分のために子供を産んでいる。もちろん生まれてきた子は大事にするだろうけどね。そしてこの世は全てアッラーの思し召しのまま。移民として他国へ移り住んでも彼らが感謝するのは受け入れ国ではなくアッラーだから。
こういう人々が入ってきたら人口比がどうなるか、賢い欧州人はわからなかったのかな。私は学はないけど自国民を貧困や犯罪の危険にさらしてまで移民を歓迎してお客様扱いするのがおかしいのははっきりわかる。北欧なんてただでさえ人口少なかったから、数十年後にはイスラム教徒のほうが多くなるだろう。イギリスやドイツも似た道をたどってる。数々の戦争でも破壊されなかったヨーロッパの歴史的な町並みは増えたイスラム教徒によって作り変えられてしまうかもしれないし、キリスト教の教会も減ってモスクになってしまうだろう。一番悲しいのは、移民による犯罪やむちゃくちゃな物価高騰の犠牲者は全て貧しい市民ということ。議会でこれを決定した人たちは痛くも痒くもない顔で笑っている。イギリスでは保守党が大敗したよね。今さら労働党政権になったところで一旦受け入れた移民を追い返せるとは思えないけど、今まで削減され続けた社会保障は復活させてほしい。
本当に教育ってなんだろうと思うわ。高い教育を受けて多額の議員報酬をもらってる人たちがこんなことをして、国民もそういう人たちを選挙で選んでしまうなら、教育にはなんの意味があるのか。イスラム系移民が増えたほうが政治家には都合がいいの? 人権擁護派全体に言えることだけど、そんなに移民を歓迎したいならまずは自分ちで一家族養ってほしい。フルタイムの仕事がありながら家を失うレベルの家賃高騰も絶対におかしい。世界中本当にヤバい。
女性に教育を受けさせず就労も制限して子供だけ産ませるのが人口増やすには正しいということが証明されてしまったね。イスラム教が悪いわけではないけど、彼らの教義は強すぎる。敵を愛した結果滅んでいくなら敬虔なキリスト教徒には本望かもしれないけど、一般市民には悪夢だろう。欧州の支配者層は今後も増えていくイスラム教徒をどうするつもりなのか真剣に訊きたい。
先週末友人に誘われてごぶごぶフェスを見に行った。私はダウンタウンには全然詳しくなくてテレビでよく見る芸人の認識。
松本人志のあれこれは一通り知っており、素人大好き破廉恥業界おぢだと思っていて今後彼が一生復帰しなくてもどうでもよいし、もし復帰したとしてもああそうなんだくらいの関心。
だがフェスの最後の最後に浜ちゃん(フルネームを知らないので浜ちゃんと呼ぶ)が突然相方への愛をテーマにした歌を歌い始めてびっくりした。
えっ素人大好き破廉恥業界おぢへの応援メッセージを15000人の前で歌うの?まじで?
それはつまり世間が何と言おうと俺は相方が大好きで彼は何も悪いことをしていないので早く帰ってきてほしい、世間に負けずに頑張ってほしいというメッセージですよね?まじか
しかもなんか周りの観客とか後輩芸人とかも泣きながら聞いている。まじか
「世界で一番笑い声を聞く二人になろう」とか言ってる。まじか
いや君たちにふさわしいのは失笑とか嘲笑だろ?楽しく皆を笑わせたいとかの志ははるか昔に無くなって業界に染まってお笑いへのモチベーションなんて大して残ってないだろ?
フェスの時の掛け合いなんかを身に着けた手練手管でやってる感は28年前の歌をモニターの歌詞を凝視しながら歌っていたPUFFYのごとく惰性に満ち溢れていたよ
まさかの展開に驚いたけど、あまりの自己陶酔っぷりに心から笑わせてもらいました。ありがとう
60過ぎのおぢが素人大好き破廉恥業界おぢへの愛を15000人の前で叫ぶという愚行をこの目で見れて光栄です
これこそが真実の愛だよね
だってこんなのやったってメリット何もない。思い入れのあるファンは喜んだかもしれないけどそれ以外の一般人はドン引きしかしないことをわざわざやるなんてまじの愚行だ
核兵器って使ったら終わりなイメージが先行しすぎてて使われちゃった後長期的な対処をどうするかってあんまちゃんと研究されてなくないか
発生直後から数週間くらいまではシェルターを準備して食料を備蓄してとか、その後数か月は核の冬がきて飢餓がおきてみたいなことはまあ知られてるけど。
核の冬が来たらなにを育ててどう食っていくかとか、その後汚染を避けたり減らしたりしながら数十年数百年をどう過ごすかみたいなことってどっかでちゃんと研究されてんのかな?
「核なんかどうせ発明されちゃったんだからいつか絶対使われる。使われるなら最悪世界中汚染されるやろなあ」くらいの心持ちで研究しといたほうがいいと思うんだけど。
それが多分できてないんやろなあってのは原発事故の時にわかったというか、事故発生直後の避難計画さえテキトーだったよな。その後の除染とかも……
原発作る段階でも、もし核兵器使用後についてのそういった研究が進んでて、国民にも広く知られてれば「さすがに、ここに建てたらあかんやろ……」みたいな認識も広がりやすかったんじゃね?
まあ、原発がある以上今後原発事故は絶対発生するし、もし原発を全部撤去したところで核戦争は絶対発生するんだから発生したあとどうするかを考えないとなって思う。
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
お前の苦労をずっと見てきたぞ
本当によく頑張ったな
ついに我慢が報われ莫大な富を得る
俺の話を聞かなければこれまでの苦労は全て水の泡だ
値段ばかりを気にして欲しいものを我慢し外食や娯楽を控え節約ばかりの生活
収入は増えず金が出ていく一方
散らかり倒した狭い部屋を飛び出し
贅沢で余裕のある生活を実現し
好きなことをやれる人生にしたいだろ
散々苦しんだのだもう楽になれ
フェミニストは男への憎悪を語りながら、男(アルファオス)のような傍若無人の振る舞いに憧れている。
イスラエルはナチスへの制裁を語りながら、今世界中で他の誰よりもナチスのように振舞うことに酔っている。
憎悪は憧れに似る。
「我が国の防衛政策が世界に及ぼす影響を鑑みるに今、国防予算を減額することなど到底不可能です。」大統領が議会に向かって口角泡を飛ばす勢いで述べている。しかし、大統領の勢いに負けぬだけのヤジも頻繁に議会を飛び交っている。
確かに世界中で紛争が減り、一時期の勢いがどこに行ったのか不思議なくらい斜陽の我が国が世界一の国防費を維持し続けることに意味があるのかは長年議論されてきた。曰く、嫌われてまで頼まれもしない世界の警察たる必要があるのか?と。
俺の座る議会付きの記者席になんとはなしに緊張が漂う。今日は歴史が変わるかもしれない、そんな風に皆が思っているのだ。記者席は音声を元に手元で自動生成されるニュースを見守りながら今か今かとEnterを押すタイミングを待っている。このSociety7.0においてもいまだ速報に意味を見出す連中が会社上部には居座っている。
「お前はどう思うよ?サム?」
馴れ馴れしいタイムズの知り合いが俺に問いかける。俺は大統領とデバイスの双方に気を配りながら相手をしてやる。
「デイヴィッドは本気だよ。国防予算を下げることが国民の幸せに繋がると信じている。今は国防費よりスニッカーズすら買えない額の年金に投資した方が良いって思ってるよ。」
素人はこれだから、みたいなことを言いつつ奴がオーバーリアクションを取った瞬間のことだった。票決はなされた。我が国始まって以来の国防費の大幅減額が決まったのだ。記者席がにわかに慌ただしくなる。隣の記者が叫び声を上げた。
「正気かよ、国防費をGDPの2%から1%に減らすだと?世界一の軍隊を有する日本合衆国(ステイツ)が?100年前の9条改正以来の事件だぜこれは!」