はてなキーワード: 父親とは
元増田自身は公務員になって働いてて中古のアウディ買えるぐらいの給料を貰えてて何も困ってないし解決しなきゃいけない問題も見当たらない。
解決しなきゃいけない問題を抱え続けてるのは元増田じゃなくて元増田の父親、父親の低すぎる自営スキルでしょ。左うちわとまではいかなくとも、食える程度に会社を経営できてればすべて解決するもん。
父親に事業を畳ませて兄共々働かせられればいいんだけど元増田が言ったところで聞かないだろうから、
元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。
早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。
優越の欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験や就職活動を乗り切れていないようにも思う。
エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。
勝つことが全く意味がないとも思わず、人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベートの人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。
しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。
身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性受けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。
彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分が彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。
友達の前で私の容姿を馬鹿にしていた。おそらく友達に可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼は発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ。
この人のそばにはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。
訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生のときにいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。
それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。
なんで元彼と付き合ったのか。
行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性のストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという関係性幻想に染まりすぎだった。
最初に露骨に口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。
(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)
「俺に欲情して強引に露骨に口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。
買って済む話ではないことはわかる。ホストに貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの。
私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面の偏見、安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰。
元彼の両親は偉い父親と専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。
元彼は父親に強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親の価値観をインストールして母親を馬鹿にしているようにも見えた。
「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係を美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女の彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。
たまに風呂問題でも議論されているが、娘は女湯に母親が連れていき、息子は男湯に父親が連れて行く、で良いと思う。それが出来ないなら部屋風呂のある旅館に泊まればいい。
それ以外の選択肢はないだろと思う。
うちの子は遺伝的父親(以下、Aとしよう)を全く覚えておらず、うちの妻もAとの接触は十数年間一度もなく、Aの両親から支払われていた養育費は再婚時に止めた。
なので我が家にとっては「Aなんて男は存在しない」っていう体で今まで平和に暮らしてる。
共同親権は既に離婚済みの夫婦でも適用できるらしいので、Aがそれを求めて申し立てを行うことも不可能ではなくなるだろう。
つまり、共同親権は我が家にとって特にメリットはなく、ほぼ心配ないとはいえリスクはある。
それでも俺は、共同親権が導入されることは正しいと考えてる。
自分の家庭の都合のために、「罪のない、親権を失った親」を犠牲にするのは間違っているからだ。
共同親権を推進する立場の運動家にはDV加害者が多いのかも知れない。
ただそいつらの罪は、「特にDVなどの非がないのに、配偶者と不仲になっただけで親権を失った親」には関係ないことだ。
彼らの中に「親権者として認められたい」ニーズがあるなら、それが仮に圧倒的少数派だったとしても、切り捨てることはできない。
共同親権が解禁されることで生じる新たな問題は、個別に対処していくしかない。DV加害者を見極めて親権を与えない仕組み、危険が生じたときに警察や司法が適切に介入する仕組みは必要だ。
「その仕組みを完璧に構築するのは難しいから、全ての別居親を潜在的DV加害者としてまとめて遮断しよう」という手法は許されない。
これは俺自身が、「シンママと結婚しようとする男なんて小児性愛者なんじゃないか」という偏見に苦しんだ経験に基づくものだ。
(リアルな知人にそんなことを言われたわけではない。ただネットでそれを公言するやつはとてつもなく多い)
シンママの交際相手が子供を虐待するニュースが出るたびに、「公的な審査を受けて認められなければシンママと結婚できないようにしろ」と主張するやつらが現れる。シンママとの交際を望む時点で、潜在的犯罪者として扱えという主張だ。
虐待は実父母によっても大量に行われているのに、親になるすべての人を疑うのではなく、「子供と血縁がないやつだけ疑え」というのだ。
自分と違う属性のやつが犯罪を犯したときだけ、その犯罪と属性を紐付ける。これが差別でなくてなんだというのだ。
そんなことを言うなら、シンママ自身による虐待だって発生率は高い。一度壊れた家庭は葛藤レベルが高く、人間関係の構築に失敗する例が多くなるのは仕方ないことで、それは再婚しようと再婚しなかろうと同じことだ。
この偏見に苦しんだことがあるから、俺は「すべての別居親をDV加害者と疑う」ことに反対する。
そうなれば自分のスタンスは「共同親権には賛成、だが適切な制度の整備と運用を求める」しかない。
それが自分にとって不利な方向への変化だとしても。
このポストには案の定、「ツイフェミ」「反出生」からの批判が続出している訳だが
「反出生は母親しか叩かない!」とか言ってる人達はアーアーキコエナーイだよね
@IwasakiYoichi
怪我をした娘に大きな傷パワーパッドを買ってあげたら、「これ高いんでしょう? 無理しなくていいのに。でも、とってもうれしい」「お風呂ぜんぜんしみなかったよ、ありがとう」などと頂き女子みたいなことを言ってきて不安になる。全財産吸い取られそう。今日は絵の具を3本貢ぐ。
https://twitter.com/IwasakiYoichi/status/1790917530330279974
ある古典芸能の家。
明治維新でお抱えから放り出され、おじいさん(祖父)の時代には戦争で芸事が一旦わやくちゃになって、おじいさんの一人娘(母)の婿(父)は、芸を継ぐ婿と違て、ふつうの会社員やった。
当時は女がする芸事やなかったから、娘に継がすことはできひんし、ちゃんと定期収入がある婿はありがたかったんやろな。
おじいさんは孫の自分から見たらツルっ禿げの爺やったけど、家の外に恋人がいはった。
相手は娘(母)が小学生のときの担任。えぐい話。おばあちゃんも、おじいさんの前でよそのお師匠さんを褒めて空気を冷やすような人やったから、おじいさんの気持ちが外に向いたのも仕方ないかもしれん。
自分は遅く生まれた子で、そんな父親よりもおじいさんの方を尊敬して、芸の道に入った。おじいさんの弟子になった。
孫が継いでくれるのは、おじいさんも嬉しかったと思う。おじいさんとおばあちゃんのゴタゴタも、ちょっとはマシになったような気がする。
自分は「ええ子」にしてるのが上手かったしな。
けど、お母はんは苦労しはったやろな。おじいさんが死んだ後も、おばあちゃんと入婿のお父さんの間で板挟みになったはった。
まあ、そんだけの話。
増田は男。時短勤務。4歳娘と2歳息子がいる。二人とも保育園児。
よって育児時間は増田のほうが妻より長い。土日に出掛けるときは増田+子2人。移動は息子ベビーカー+娘手つなぎか、息子ヒップシート+娘手つなぎのいずれか。
Xで時折議論になる男児の女子トイレ利用について、意見を言っているのはほぼ女性な気がする。
反対派は
・男児も性加害をする
・男親がトイレに連れて行け
賛成派は
・子供は性加害なんてしない
・性加害をすると考える女はおかしい
…みたいな感じだ。
増田の場合、2歳1ヶ月息子はオムツが外れていないので、息子のおむつ替えの時はベビールームか多目的トイレのおむつ台を使う。
4歳娘がトイレの時も多目的トイレを使う。そのついでに増田も用を足す感じだ。
というわけで外出時には多目的トイレを使っているが、特にトラブルはない。多目的トイレから出た時に誰かが待ってたこともない。外出時に多目的トイレが無かったこともない。ちなみに東京在住ではない。政令指定都市でもないので都会ってわけでもない。
増田は息子が生まれる前も、娘を男子トイレに連れて行ったことはない。ずっと多目的トイレ。何の不自由もない。
たまに風呂問題でも議論されているが、娘は女湯に母親が連れていき、息子は男湯に父親が連れて行く、で良いと思う。それが出来ないなら部屋風呂のある旅館に泊まればいい。
それ以外の選択肢はないだろと思う。
好きなジャンルは不倫温泉旅行なんだけど、素人モノだとしてもやっぱりそういう物語として作られたもの
俺三十路過ぎてんだけどさ、父親の兄弟のこと小さい頃から「おじさん」って呼んでたんだけど、この間親父の兄弟に会った時にふと「三十路すぎのおじさんが『おじさん』って呼ぶべきか……?あれ、どう呼べばいいんだ……?」って思わず悩んで口ごもってしまった
ポリコレアフロに、気になる女の子に奢ろうかと言って断られて悩む回があった
ポリコレアフロは父親との確執(母親を殺された)からポリコレに傾倒しておりもちろん「男は女に奢るものだ」という旧来の価値観を否定する者だが
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
小学校からずっとキモいと言われひとりぼっちで、中学なんて入学早々他クラスから「すごい不細工がいる」と見にくる人が絶えないような容姿の自分。
家だと父親が毎日母親殴っていて、母親は常に独り言で他人を罵っている。で、子供には中学行くのも無駄だという。
もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)
父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。
父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓を支配するようなタイプ。父親と母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親とふたりの時は父親の愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!
家はずっと不安な場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親と母親がリビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親の病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブルか投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓をバクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安な時間だったけど、今日は悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。
父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気だからしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気だからむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってからの父親しか知らないので、どこからが病気の仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望。病気の父親の症状を受け入れない私は病気に理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手は病気だからこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気の父親にイライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!
そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親を母親だけに託すなんて、自分だけが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件、母親が病む、父親がもっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブが可能だったと思いますが、実家が東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然決まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプルに海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である。
いまは海外に自分で家を借りて住んで、自分の心の安全を自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたしは別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事、自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒が大事なのは「しょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達にケアなんてさせないし、お酒のんで迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしはわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。
といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っています。すみません。でも、この辛さが自分の性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体は事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。
唐突に終わり。こんなポエム、しまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間!特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなただけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ちを文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。
本当にのびのび育児で習い事可哀そう作戦でうまくいくといいね。
自分では本質分かってる育児してるつもりか知らんがそんな育児してる人なんてごまんといるのよ。地方は多くがそう。寛容さ含めて。
父親と地方の底辺家庭は、放任主義の傾向多いけど、大体ど底辺に育ってるけどね。
更に公園とかで親が4,5歳の男の子が放任されてると本当に迷惑だからマジでやめてほしいわ。
乱暴だったり言葉遣い悪かったり付きまとってきたり、親は勝手に学ぶと思って放置してるけど、4,5歳なんてまだ状況を理解して適切な行動をとれる年齢ではない。
親が適切な言動を提案や翻訳したりして社会性を学ばせないと、元気でやんちゃな分男の子って本当に害が大きいので都内の公園には出没しないで欲しい。
仰る通りです…!申し訳ありません!男性トイレの記載間違いです!
そして女児でも父親と一緒に男性トイレに入ることは結構あることなのですね。Xでの反応を見ていた限り父親がトイレに連れて行くという話が見当たらず、私自身も男子トイレに入ったことがないのでレアケースなのかと思っていました。(間違って入ってしまい謝りながら退出したことはありますが…)
ご指摘頂き、ありがとうございます!