はてなキーワード: Jrとは
俺もジャイアント馬場に会った時は心底興奮したよ。
地方都市のJRで、小学校の俺が塾に通うためにいま一つ盛り上がらない気持ちで、開く電車のドアを眺めてた時だった。
そのドアの向こうからジャイアント馬場が姿をあらわしたんだ!言葉を失う瞬間っていうのを身をもって味わったよ。
ただ、どうしてだろう、その時はでけぇ!って感想はほとんど浮かばなかったな。
それよりも何よりも俺の心を打ったのは、周りの女子高生にキャイキャイと囲まれて『照れてる』ジャイアント馬場だっでた。
「でけぇ!あ、ジャイアント馬場だ!」っていうよりも「照れてる!すっげー照れてる!あ、ジャイアント馬場だ!」って感じだった。
その後塾で友人たちに「んなところにジャイアント馬場がいるわけねーだろー」って片っ端から否定された悔しさは今も忘れてないよ。
マジレスすると、さっさと駅か交番に届けなさい。普通の人間は落し物をしたことに気付いたら駅か交番に問い合わせます。問い合わせがあったら、駅や交番はきっちり仕事をします。そのとき、落し物が届いていなかったら落し主はがっかりするでしょうね。
落し物の管理に関してJRはこのうえなく信頼できます(警察のことは私は良く知りません)。あなたはDoCoMoショップを探す必要もなければ新宿駅へ戻る必要さえなく、ただあなたの利用する駅の窓口に「新宿駅で拾いました」と届ければ良かったのです。それが最良の方法です。
はっきりいって、真っ先にDoCoMoショップを探したあなたの行動はかなり突飛です。落し物をした人がどう行動するか考えれば、あなたがどうすべきだったかは自ずから分かったはずだと思いますが。今の状態だと、もし落とし主が「それ、ぼくの携帯です。返して下さい」と電話をかけてきたらうまく解決するかもしれませんが、彼がそれ以外の行動をとったらアウトですよ?
「ウェブを変える10の破壊的トレンド」著者 渡辺氏のインタビュー記事 世界にコンピュータが5つしかない時代がくる があまりにひどい。インタビューイの渡辺氏の発言が事実誤認だらけだというのもだが、それをスルーしている小川氏も本気でこれに同意してるとしたら見識を疑いたくなる。
2004年7月にJETRO経由でニューヨークにいきまして、IT部のディレクターという仕事をしていました。(略)たとえば、まだフィッシングという言葉がなかった時代に、クレジットカードの情報漏えいなどのプライバシーやセキュリティの情報を追いかけていました。
2004年7月にフィッシングという言葉が無かった? 日本語記事ですら 「電子メールのフィッシング攻撃が拡大,2003年の被害額は推定12億ドル」,米Gartnerの調査:ITpro というのがあるんだが。
日本にも優秀なエンジニアがいると思うんですけど、これは(Ruby on Railsの)松本さんがおっしゃってたんですけど
本を書くにあたって、なるべく事実に基づいて、事例を載せた本を出そうと思ったんです。ネットをみれば書いてある話なんですけど
いやー、本を書くならせめて裏をとろうよ。ネットの情報だけじゃなくさ。
たまたま生活圏がそうだったというだけなんでは。都市部のWi-Fi普及率は日本も米国も大差ないんじゃないかな。
新幹線の予約をしようとして、JRのサイトに登録しようとしたら、まずは専用のメンバーズクレジットカードを作れ、というんです。びっくりして、全部のJR系を試したら、JR東日本以外はみんなクレジットカードを作らないとサイトの会員になれない。
いやいや、JRのクレジットカードなんて作らなくても、少なくともJR東日本では新幹線の予約は手持ちの好きなカードで出来てますよ。帰国後の経験が浅い渡辺氏が勘違いするのはしょうがないにしても、記事にする前にインタビューア・編集部が裏を取ってフォローしようよ。
そもそもそれが可能になったのはソフトウェアデリバリの制約から開放されたASPないしSaaSでの特徴であって、欧米企業でもパッケージソフトやハードウェアをベータのままリリースするということは、少なくとも建前上は無いんだが…。
米国のケータイはしゃべる専用、単機能の文化なんだと思います。(略) ただ、iPhoneが出て、変わってきたかも知れないとは思います。アメリカでは革命的なんじゃないですかね。
この方、もともと日本の携帯電話を売り込みにいってたそうだけど、その人の知識がこれというのはちょっとどうなんだろう。Nokia や Samsung や Motorola や SonyEricsson の携帯電話にふれたことが無いんだろうか。Blackberry と言うサービス・端末を使っているビジネスマンと話したことは無いんだろうか。
世界にコンピュータは5つあればいい、とSunのCTOが言ったらしいですけど(Microsoft、Google、Yahoo!、Amazon、 Salesforceなど、クラウドコンピューティングの世界を指す)、IBMあたりはこの兆候にちゃんと気づいていると思うんですけど、日本メーカーは分かってないのかも、と危ぐしたりしています。
これを締めの言葉にするあたりで残念感が溢れすぎている。こういう方が公費で海外に長期滞在して帰ってきて講演して本を書くというのがIT企業人に受け入れられるなら、確かに日本のIT業界は危機敵状況にあるのかもしれない。
何社か渡ってきたが、アメリカ系会社の外人が働くのは、やっぱり金が理由。出世するといい金をもらえるから、出世のために働く。上場するとでかい金が入るから上場のために働くってところ。何のかんのいって、個性というか、小さくまとまった人間より「ほう、こんな経験をつんでいるのかね。それは貴重だ、うちのこの業務で使える。がしがし働いてくれ」と、いい給料をくれる。そのかわり役に立たないと、躊躇せず切る。
だから、アメリカ人は意外に働くというのは同意。だけど、それは全部のアメリカ人がじゃなくて、出世を切望する、上場を切望するアメリカ人がよく働くって事。全体的にはやっぱりぬるく働いて人生謳歌している(この点を批判はしない)。
これがイギリス人になると、とことん働かないね。この点も同意。法律でがちがちに縛りあげているから労働者が「休日出勤いやです」といったら、会社がつぶれそうな局面でも何もできないのがマネージャー。イギリス人マネージャーと一緒に働いた事があるが、驚いた。金曜日に課員にまわしたメールの内容が「プロジェクトの進捗が深刻な事はみんなも知っているとおりだ。週末、オフィスの鍵を開ける手配をしているから、働きたい人は申し出てほしい」。なんじゃこれって感じ。
イギリスのソフト開発部隊で夜までがんがん働いているのは旧植民地出身の奴らだった。こいつらがすさまじく頭がいい。エネルギッシュで、深夜まで働くくせに切り替えが早く、たまにぱっと帰って遊んでる。イギリス人が古きよき牧歌的なライフスタイルとハイテクの気違いじみたハードワークの折り合いをつけられない中、故郷よりはるかにいい生活をしている旧植民地系の連中は、這い上がると言う事を理解していると感じた。そして、出世して行くのもこの連中(あたりまえだ)。旧殖民地系の辣腕マネージャーが一人いたが、「奴は日本でもいいマネージャーになる」と日本人が舌を巻いていた。いい、とはどういう意味かは想像にまかせる(w
そんなこんなで、やっぱりハードワークの餌としてはいい金、いい生活をくれよといいたい。ガシガシ働いてもいつまでもJRで1時間半通勤、狭い家のローンにキュウキュウじゃ、意味はない。
今日、千葉のJR新浦安にある駅ビル「アトレ」のトイレに行ったらとてもひどかったので、以下の内容で問い合わせてみた。でも別に何も求めていないし、実際に便器が改善されるとは思っていないけど、俺の悲しみをみなさん読んでください。(グロ注意)
本日 2008年1月28日14時40分前後にうんこがしたくなって、アトレ新浦安 1Fフード関連フロアのお手洗いにて、うんこしにいったんだけど、トイレがありえないくらい汚れていた。
3室あるうち、ひとつは故障中有の張り紙があったので、残りの2室(両方和式)を確認したところ、両方の便器からうんこがはみ出している状態で放置されていた。さらに1室はトイレットペーパーが散乱していた。
ありえなく無くない?
調べればわかる。その時間帯の清掃当番にでも聞いて欲しい。2個ある便器に両方ともうんこがはみ出ているというインパクト。きっと清掃員の方は記憶されているはず。
しかし、フードコートエリアにあるトイレがうんこまみれで放置とか!
アトレは管理が行き届いていて綺麗と信じていたからうんこしにいったのに、うんこはみ出てるとかありえない!
(>_<)
あとトイレが和式しか使えなかったことも憤慨、というかこの時代に和式って何よ!?
恵比寿や品川のアトレは洋式だしウォシュレットまでついているのに!
フードコートにあるトイレならば老若男女に配慮して、洋式化を進めるべきではないのか?
様式にすればうんこは、はみ出ないのではないのか!そう考えるがそこのところお聞かせ願いたい。
さらに言えば新浦安の和式トイレは水溜が「金隠し」の方ではなく、「落下点」に水がたまる構造となっているが、あそこにうんこをするとうんこ水が跳ね返って来るということは想像できなかったのか?
クリーニング出したところのスーツのズボンの裾にうんこ水が跳ね返ってきたよ!
最悪っだっ!
打ち合わせの前だったのにうんこ水とか!ありえないっ!
トイレの構造としてあり得ないと思うが、それはTOTOのせいだと言うことにしておこう。
ともかく、トイレの清掃・チェック、および便器の洋式化をぜひ進めていただきたい。
以上!
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
ハイデガー(笑)ナチ(笑)ホロコースト(笑)ユダヤ人(笑)アメリカ(笑)日本(笑)官僚(笑)大学(笑)教授(笑)愛人(笑)白い巨塔(笑)財前(笑)田宮(笑)ミニ四駆(笑)ミニ四ファイター(笑)モーター(笑)F1(笑)スポンサー(笑)電通(笑)博報堂(笑) NHK(笑)ワープする宇宙(笑)イギリス(笑)ノーベル賞(笑)ワトソン(笑)分子生物学(笑)バイオテクノロジー(笑)遺伝子組替(笑)ダウン症 (笑)種なし(笑)ブドウ(笑)ワイン(笑)ソムリエ(笑)野菜(笑)オナニー(笑)精液(笑)口(笑)下(笑)正直 (笑)報い(笑)復讐(笑)赤穂(笑)塩(笑)水中毒(笑)自殺(笑)飛び込み(笑)JR(笑)民営化(笑)簡保(笑)生保レディ(笑)熟女(笑)ロリータ(笑)ショタ(笑)ホモセクシャル(笑)坂口憲二(笑)ファンツアー(笑)温泉(笑)自分へのご褒美(笑)スイーツ(笑)(笑).
勿論ネットの影響もあるだろうけど、ネットの口コミに左右されるようになったと言うよりは単にネットをする時間が増えてその他の娯楽に費やす時間が減っている、と言うだけじゃないか?
では、「ネットに費やす時間が増えている以上、ネットの影響は大きくなるよね。」みたいな反論は可能だと思うけど。
んー、でも、なんだか、(俺も含めて)推論だけでは議論にならない気がした。それだったら、ボリュームゾーンの団塊Jrが主たるトレンドを作っているだけ、という説も成り立つし。何とでもいえるような気もする。
不毛だとおもうので、離脱します。さいなら。
例えば、『これからを生き抜くエンジニアの在り方』のような記事は、
主に、団塊Jrを中心にした氷河期時代にIT系エンジニアになった人たちが
読んでいるんだろうなあ、とか思う。(違うかも)
だから、その層が年をとると管理職になったり、独立したり、心や体を壊してIT業界から去ったり、心や体を壊してIT業界から去ったり、あるいは、心や体を壊してIT業界から去ったりするわけで、その後輩達は、2chでいかにひどい業界かを思い知ったり、ブログでいかにひどい業界かを思い知ったり、mixiでいかにひどい業界かを思い知ったりしているわけだ。
要するに、将来的には、そういう記事を読む人間が少なくなるということだ。
あと、『ウェブ時代をゆく』は、欝の人間に「がんばれ!がんばれ!」言っているような気がした。
以上。
今回のあかふくの件にしても、
なにか会社を潰して喜んでいる勢力があるような気がしてならない。
無期限の業務停止なんていくらなんでもやりすぎだ。
約360人という社員とパートやアルバイトや取り扱い会社を含めたら1000人を越すであろう人々が路頭に迷う。
とんだ創業300年目の悲劇である。
かつて福々戦争なるものがあったそうだ。
赤福と御福(お福)のシェア争いで赤福が勝利を収めJR系で売られるようになった。
それと同様に赤福がこけて懐が潤うヤツは必ずいる。
そのなにがしかに入れ知恵をしてまわる一連の策謀のような気がしてならない。
大規模だがハサップを(費用上)とれないぎりぎりのレベルの会社を叩けばまず間違いなく埃は出る。
と、叫んでみたが、実際は一罰百戒を狙った老舗駆逐作戦なのかもしれない。
次に狙われる銘菓はなんだろう。
ういろうか生八橋かはたまたひよこかカステラか。信玄餅かもしれない。
次に狙われる銘菓はなんだろう。
バイクで寿司を宅配するバイトを二年弱やっていた。時間の経つのが早くて接客も面白く、稼ぎがいいから長く続けたけれど、苦痛に感じることも少なからずあった。一つは、自分の運転するバイクのエンジンが発する騒音がひどく耳障りだったこと。一つは、厨房で店長のiPodから流れる音楽がひどく耳障りだったこと。これらに比べれば寒風に曝された指先がかじかむことや豪雨で雨合羽の中にまで浸水することなんかは些細で、というより、音を掻き消してくれる雨や風をむしろ好んでいた。
年に一度の長い旅行は、いずれも音から遁れることが第一の目的だった。一昨年の夏、東京から自転車で太平洋沿いに西へ向かい、福岡から南下して鹿児島、さらに沖縄本島へ。最南端の喜屋武岬にたどり着いたとき、軽トラックの屋台がラジカセから大音量の音楽を発しているのをみて死にたくなり、そのあと安宿で一週間ほど寝込んだ。夏休みが明けて大学に戻ると、授業中の教室内は喋り声に充ちていて哀しかった。試しに投書などしてみたけれど改善されないので出席するのを止め、語学の単位を落とした。通学で利用するJRの車内放送に耐えられず、大学近くに安い部屋を借り、一人暮らしの静けさの中で心穏やかに過ごした。
昨年の夏、東京から自転車で日本海沿いに北へ向かい、新潟、青森、札幌を経由して、最北端へ向かった。宗谷岬にたどり着いたとき、記念碑に据えられたスピーカーから演歌がエンドレスで流れていたけれど、その事実を予め知っていたためにさほど落込むことはなく、そのかわりに感動も何もなかった。砂浜に張ったテントの周りで夜半過ぎまで打上げ花火をしている若人たちに何かを訴える気力もなく、逃げるように走り続けていたら北海道を一周してしまい、ぐったりして東京に帰った。夏休みが明けて大学に戻ると、講義中の教室内は変わらず喋り声に充ちていて、試しに投書などしてみたけれど教授曰く「君達は子供じゃないのだから子供にするような注意はしない」とのことで、つまり何も変わらなかったので出席を止め、単位を落とした。大学に通うことが阿呆らしくなって通信教育に切り替えた。
今年の夏、生活と自転車に書いた通り、北極圏を走ってきて、完全な無音の空間に初めて出会った。自分の周囲三キロ以内に自動車が近付いてくると、あ、人が来た、と判るくらいの静けさだった。クロクマの親子に会いたくないけれど会ってしまったとき、彼らは物音一つ立てなかった。走っているとき、または自転車を押して歩いているとき、ふと自分の足音さえ耳障りに思い、足を止めた。足音が止むことによって今まで自分が歩いていたことを知り、砂利を一歩一歩踏みしめて歩く音を聴くことで、再び歩き始めたことを知覚した、と思った。日本でiPodで音楽を聴きながら歩いているときには自分の足音を聴くことはない。音楽なんか要らないと思った。
北緯七十一度の小さな空港で久方ぶりに聴いた音楽はスティービー・ワンダー『太陽のあたる場所』だった。ちょうど十年前に初めて触れた洋楽が彼の歌だったことから、ひどく懐かしい思いに浸り、音楽はあってもいいと思い直した。飛行機を三つ乗り継いで日本に帰ると、危惧していたほどの喧騒はなく、今年こそは旅行後の鬱と無縁で過ごせる、と期待していたんだけどな。
帰国後に始めたバイトの店内で流れる有線放送に耐えられなかった。……音から逃げるに触発されて書き始めたのだけど、続きは後日。
Stevie Wonder "A Place in the Sun" http://jp.youtube.com/watch?v=ExGvrl3t3rc&v3