はてなキーワード: 観光地とは
私が通った公立小学校は郊外の都営団地に隣接していて、同級生の半数以上は団地の子だった。都内郊外といってもいわゆるニュータウンとは違い、古くからの住民が多く住む町だ。団地の意味は例えば練馬や町田とはだいぶ違っていた。つまり、少し言いづらいことだけど、その近辺は地区有数のワイルドサイドと見なされていた。
日光に修学旅行に行ったとき、入口に大鳥居がある駐車場にバスが入ろうとしたことがあった。前方で先生方が何か話し合いをはじめ、バスは入口の手前で止まった。10人ちょっとがそこで下りた。振り返って見てみると、後ろのバスでも同じことが起きていた。宗教上の理由で鳥居をくぐれない子がいるので、と先生が簡潔に説明した。その口調から毎年同じようなことが起きてるんだろうなと思った。先に下りた子と私達は駐車場の外で合流し、そのまま滞りなく観光地だかお昼だかに向かった。家に帰ってから「うちは鳥居をくぐってもだいじょうぶなの?」と母親に確認して、「今までさんざんくぐってるじゃない」と笑い飛ばされた。
4年生の時、隣のクラス担任の先生の口癖は「勉強が好きじゃない子が無理する必要はない」だった。授業時間なのに校庭で騒いでる子がたくさんいるなと思って見てみると、隣のクラスの子達が半分外で遊んでいて半分教室で勉強していたということもあった。よく問題にならなかったものだと思う(なっていたのかもしれない)。50代にもうすぐ手が届くという年頃の男性で、決して声を荒らげない先生だった。当然のことながらPTAからの評判は悪く、生徒には人気があった。
6年生の時の担任の先生はやはり中年の男性で、保護者から有志を募って読書会を開いていた。うろ覚えだが、灰谷健次郎や村上春樹、アレックス・ヘイリー、それに上野千鶴子などがリストアップされていたはずだ。
君が代や国旗の問題がマスコミでちらほら取り上げられるようになってから数年経つ時期だった。式典では起立しない先生の方が多かった。高学年に上がると毎年8月は原爆のことばかり勉強した。ばりばりの日教組の先生が集まっていたと聞いたのは卒業してしばらくしてからだったが、たぶん小学生の頃に聞いても意味が分からなかっただろうと思う。
私はその後私立の女子校を経て地味な国立大学に進み、事務職に就いた。取り立てて特筆すべきこともない平凡な進路だ。
自分が通った小学校がどちらかというと変わったところだとはっきり気づいたのは大人になってからだ。それとももしかして私が勝手にそう勘違いしているだけで、その頃はよくあることだったのかもしれない。とりあえず私としてはけっこう楽しかったです。
2008年6月8日千代田区外神田の中央通りで起きた事件について
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html
http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509
社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。
そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。
だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。
もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。
モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミのカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。
話は少し違うが、増田は現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客の写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真がマスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。
そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。
しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミのカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。
おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。
ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。
なんか勘違いしてない?高校ってのは高等教育なんだよ。特に普通高校ってのはそう。職業能力に必要なことを身に付けてさらに余裕があるから別のことを勉強するってのが普通高校。それができない人とか、あるいは仕事と関係ないことは勉強したくない人は工業高校とか専門学校とか高専とか、行くべきところはいろいろあるはず。
それは建前だろ?底辺の学級崩壊とか知った上での話?中卒だと雇われないからいってるだけの話で勉強したいやつばかりが言ってるわけないでしょうが。
何でもかんでもできるならやるべき。実際、俺はできたよ。別に「俺ができたんだからお前らもそうしろ」というつもりはないが、できる人間の足を引っ張ってまで「必要なことだけ教えろ」なんてことを無理強いしないでくれと言ってるんだよ。
一応つられておくが、嫌がってるやつに勉強させるのはむりじいじゃないの?
高校進学率9割超えてるんだから何でもかんでもできる人ばかり入ってるわけじゃないのは知ってるよね?
必要なことは人それぞれなんだから一律にする必要ないといってるんだよ。
文学に限らずどんあものでも楽しいかどうかは人それぞれ。古典に限らず学校の授業に苦痛を感じる生徒が少なくないのは常識じゃないかと。
義務教育であるかどうかと楽しいかどうかは別。義務教育=楽しさを教えるところという認識なら遊ばしておくばかりでいいじゃないか。
いやがってるやつに教えるのは金や労力や時間の無駄遣い。ゆとり教育は叩かれすぎだと思う。正しい政策だったと個人的には思ってる。学校で教えないならやらないなんてやつは教育しなくて結構。
反知性主義というか、国全体を(マスコミで言われている意味での)ニートにしようという発想ですな。じゃあ、誰が明日の飯を稼いでくれるわけか?
つまり君は日本人がゆとり教育にしたら飯が食えなくなるほど勉強しなくなり働かなくなるやつばかりだと思ってるの?
現実にはそうなってないから、詰め込み世代が氷河期でフリーター多くなってるのに、ゆとり世代がどんどん内定取れて食い扶持あるわけで。学校の勉強なんてこの程度のもの。嫌がってるやつに無理やり教えてエリートにしても変な国になるだけじゃないかな。ひょっとしたらゆとり教育は受験勉強を押し付けられたエリートたちの反乱かも。
授業時間だって有限だからそりゃ各教科の授業時間減らせば全部薄く教えるしかないし、深くやろうとすると分野は絞らないといけない。
あのね、勉強ってそんな人月計算できるものじゃないんだよ。一つやればいろんなことが面白くなって相乗効果が出てくるもの。高校の勉強なんて、部活もやって片手間にできるもんだろ。
君がそういう人間なのかもしれないが、そういう人ばかりじゃないから。片手まで理解できる人ばかりなら成績悪い人いないし、楽しさがわかる人ばかりばら授業中い眠りもない。
世の中もっと多様な人間がいるってことは年とればそのうち実感するだろうけど。
観光業や製造業だけでGDP決まってるわけじゃないんだから比べても意味ない。
なんだそりゃ。観光が主力産業でも十分豊かになれるだろって話だろうに。少なくとも「観光なんかじゃ食えない」っていう意見の反証には十分だよ。
観光なんかジャ食えないといってるわけじゃなくて食えるやつもいるが量は限られてるということ。あと国によって条件違うんだから他国でうまく言ってるのをまねすりゃいいってものじゃない。
誰が「観光『だけ』で食え」と言ったかね。日本全体で考えなくても、都市単位、地域単位なら観光産業を振興する余地はいくらでもあるでしょ。都市と地方の格差だとか過疎に悩んでいる地域は、そこに知恵を注ぎ込む余地はあるんじゃないのか。
それはほかの産業にもいえること。何で観光産業だけ特別扱いなのかがわからんのよ。観光地に向いてるか工場が向いてるかどうかだって地域によって違うでしょ。自分は観光でも製造業でも特定産業ばかりの取り上げるのは税金無駄遣い利益誘導で大嫌いだからついつい反発してしまう。過疎地の夕張だって炭鉱無理だから観光業に力注いで破産して結局ツケは税金で尻拭いでしょ。もうちょっと現実見るべき。
保健の授業は受けていたが、18になってもいまだセックスというものがどういうものか具体的には知らなかった。
男性器を女性器に挿入し射精すると妊娠する(可能性がある)と言う事は知っていたが、それを具体的にどうやるかという映像が全くなく、ベッドの中でなんとなく抱き合ってるうちに股閉じたままでしゅるってはいったりするのかな?とかなんかそういう事を思ってた。そもそも、小さい頃父親の見たっきり、ペニスすら見た事が無い。それも小さい頃だからかなり記憶が曖昧だった。
家ではドラマでベッドシーンをにおわせるような描写があるだけでチャンネルは変えられた。
家族旅行へいくとき、高速道路から見える数々のラブホテルの看板を見て、「なんかこの辺ホテル多いね。観光地でもないのにホテルってあるもんなんだね」とか言って場を微妙な空気にさせていた(が、当時はなぜ微妙な空気になるのか分からなかった。自分が知らないだけで、この辺は実はものすごく有名な観光地で、自分がそんなことも知らない、と言う事に親は呆れて黙ったのだろうかとすら思っていた)。
「休憩」の文字を見て、私は、「カラオケボックスのようなものか」と思い、デートで歩き回って疲れたから休憩しようという意味だと考え、了承した。
でホテルに入ったんだけど別に何もないしどうするんだろうとしばらく二人ともベッドに座ってぽけっとしていた。何か話そうと思って「そういえばあの前はなした先生さぁ…」と言いかけたとき彼が
「シャ、シャワーとか浴びる…?(*´・ω・`)」ともじもじしながら聞いてきた。
へ?なんで今シャワー?休憩するだけでしょ??と思い
「いや…別に、家でお風呂入るからいいよ」
と言った。
「えっ?あっ、そ、そう?」
「うん…」
「えっ。えっ、じゃあ、俺……俺は入ったほうがいいのかな?俺はどうしよう?」
となぜか彼は妙にテンパっていた。
「…え?いや別に入りたければ、待ってるけど…でも今入ると湯冷めしちゃうんじゃない?」
「え?あっ。あっ…そっそうかな。そうかな?」
「うん…風邪ひくよ」
「そっそっか…えっ。でも、えっ、いいの?それで」
「いや別に私はいいけど…(なんで私に聞くの?)」
でまたちょっと沈黙が流れた。
それでふと彼にキスされた。
キスは別に前にもされたからいいけど、その後、なぜか彼が胸を触ってきた。「えっ?何?」とか思ってたら、なんか服をぬがそうとしてきた。思わず
「えっ!?何!?何してんの!?」
と言うと、彼は
「えっ?えっ?順番違う??」と訳のわからない事を言う。
「今服脱がそうとしなかった?」
「え…ウン…したけど……あれ?」
「なんでそんなことするの?」
「え?え…あれ?いやあの…俺たち今から……するんでしょ?」
「するって?休憩するだけでしょ?」
「いやだから…休憩ってそのまんまの意味じゃないじゃん?」
「えっ??」
「……」
「……」
「えっ…ちょ、ちょっとまって。俺は…今セ、セックスするつもりだったんだけど」<恥ずかしげに
はい?!
「えっちょっと待って。そんなの知らないよ」「ごっごめん。ラブホに入った時点でOKってことなんだと思っちゃって…」「えっ?ラブホって何?」「は?!いやだから今いるここじゃん!」「ラブホっていうホテルだっけ?ここ」「えっ何言ってんの?!」
等というやりとりをかいし、彼は私が「ヤバい、こいつ、何も知らねえ」と気付いたらしく(今思えば)
彼はそこでベッドに正座したまま、私に性に関する授業を行い始めた。時にはメモに図式を書きながら彼は熱く語った。
「あと、俺も、直接確認しなかったの悪かったけど、でも普通ラブホに入るの了承したら、その気があるって思われちゃうから…する気ないんだったら断るんだよ。のこのこついていったら危険だよ。男は狼だっていうでしょ」「わかりました……サーセン(´・ω・`)」「俺はもう○○ちゃんが全然知らないってこと分かったからいいけど他の男は分かってないんだから」「ハイ………(´・ω・`)」
「保健で習ったでしょ」「習ったけど……実はあんまりよくは………(´・ω・`)」「もしかして抱き合ってるうちになんとなく終わるとか思ってないよね?」「……。」「ダメだよそんなんじゃ!」
そう言って彼は、なぜかバッグから一冊の同人誌を取り出した。女の子が制服から胸を出していた。ポカーンとしていると
「これ読んでどういうものか分かったほうがいいよ!」
今思うとエロ同人誌を教科書代わりにするのはどうなんだろうと思うが、私は生真面目に「学ばねば」と本を開いた。
「亜qwせdrftgyふじこlp!!!!」
「えっ?えっ?」うろたえる彼氏
「何これ!!汚い!!やだ!!」私は半泣きだった……今思うと本当にその思考に恐ろしさを感じるが、当時の私にとって最高にエロいものといったら女性の裸体の絵とかそんなレベルだったのだ……本屋でエロ雑誌のところを通過しふっとそれが目に入るだけで慌てて逸らすようなレベルだったのだ……そんな私からすると二次元のフェラ絵は完全にアウトだった。エロさというより「尿を排出するところをくわえているという不潔感」に嫌悪感がし、「気持ち悪い。見れない」と彼に突っ返した。
「ご、ごめん。もっとソフトなのから入らせるべきだった……」とよく分からない反省を彼はし、
「とりあえず今日は帰ろうか……○○ちゃんが年齢相応に性知識をつけるという件はまた後日話し合おう」彼も私も変に生真面目だった。
「そうだね…」と私も生真面目に納得し、帰宅した。別れるとき彼は「おっぱいもんでごめんね(´・ω・`)」と呟いた。ちょっと笑った。
今思うと、初めての彼氏が彼じゃなかったら本当ヤバかったよなあ……。
彼はというと、私の本を見て「もうちょっと乳が垂れててもいいんじゃないか?でもこの喘ぎ方はいいね」と至極マジメにコメントをしてくれています本当にありがとうございました
※追記
彼氏がエロ同人誌を持っていたのは友達から前日に借りた奴がそのままバッグに入ったままだったからだそうです。
そして彼もなんだかんだで当時童貞でした(だからテンパってたらしい)。
ホントにタイムリーな中国社会の事情が伝わる内容で興味深いもの
でした
「子供たちは良い仕事について安定した生活を送るために全員が一流
の大学を目指して勉強する。大学に入れたからといって安心ではな
い。就職できている人は大卒で7割・・・残りの3割は仕事に就けない。
親も競争社会の中に生きており、肌で焦りを感じており、まだ小学生
の小さな子供に当たり前のように現実見せつけていく。子供たちはか
なりのプレッシャーを感じ、救いを求めているが全く聞く耳を持たな
い。」
んっどっかで聞いた事ありませんか
みなさんはこの中国の状況を聞いてどう思いますか?
僕は羨ましいと同時にかわいそう、または恐ろしいと感じます。
理由を一つずつ書いてみます。
羨ましい・・・これは中国全体に一体感を感じるからです。みんなで同じ
ないと思っていた事が出来るようになり、現実になってい
き、中国人として誇りと自信を築いていっているように感
じるからです。これは今の日本には全くといっていいほど
感じる事が出来ません。
かわいそう・・・子供たちの現状です。がんばってもがんばっても親に褒
めてもらえず、さらには人格まで点数で見られているよう
ってのはわかるのですがこれでは大人になった時には人の
気持ちなんて考えないような社会になってしまうような気
がする。今の日本がそうであるように。
恐ろしい・・・日本は2030年あたりには中国に追い越されるという
予測が出ています。今のペースでいけばほぼ確実です。
している人もいました。ちなみにその人は今年中国が、
て取り組んでいるのです。かといって日本も同じようにか
つての学歴社会に戻ろうといっているのではありません。
かなければならないのです。例えば、マニュアル的な発想
を生み出せるような教育です。本当にほんの20年後には
終わったな』と言われかねません。沖縄なんていつの間に
てつもなく恐い。
ただ、中国だけでなく今私たちが住んでいる地球規模の力の構造図
が大きく変化していく時期に差しかかっているように思います。特
にこの2008年は目まぐるしく時代が動くターニングポイントに
なると確信しています。
(※次回時間がある時にこの件に関しては書きたいと思います。)
私たちはグローバリゼーションの真っ只中にいるのでこれからは
日本人との競争ではなく、世界中の労働力と戦って仕事を勝ち取り
生き抜いていかなければなりません。もう勝負は始まっています。
ただポカンと過ごしていてはこれからの時代は差がついていきます
『負けるな日本人』
先日、社内報が回ってきたのだが、その中に書かれていた社長からのメッセージに強烈な内容が含まれていたので、社内の人間だけに読ませるには勿体ないほどの含蓄があると感じ、テキスト起こしをさせてもらった。なお、特定の名称に関しては伏字とさせていただくことを、あらかじめお許しいただきたい。
さて今月、私は中国湖南省の長沙へ行く機会がありまして、じつに15年ぶりの中国旅行をしてきました。15年前にも北京や桂林へ行った事があるのですが、その時との変貌ぶりには目を疑います。まず、空港から街までは高速道路が完成しておりまして、街中に入ると車やバイクの大群が流れています。訪中するまではかつて見た自転車の大群が頭に浮かんでいたのですが、現在は違いました。高級外車の姿が目につく一方で、昔いた牛車の姿は何処にも見かけません。
ばい煙あるいは排ガスや黄砂によるものなのか、くすんだ街の光景は見通しが悪く、太陽の形を見ることもありません。昔と大きく違うのは観光地のトイレで、ちゃんと扉もあるうえに水洗化までされていました。また、レストランで出てくるビールも冷えていて、笑顔での対応も少しずつ見られます。
しかし交通モラルは低く、車の量も人の数も多過ぎるため、横断歩道を渡るにも決死の覚悟がないと永遠に渡れません。世界中の産業の生産拠点が一気に集まり、急成長を遂げた中国のごく一部を見ただけですが、その姿はまるで30-40年前の日本にも似て、人のことなどなりふり構わないといった自分本位の国民性を見る思いがします。事実、公害を撒き散らし森林を伐採し続け、緑地が減少し黄砂の舞う砂漠の拡大が深刻な状況な事に気づくこと無く、現在の中国は拡大成長だけをしてきています。北京五輪を機に、なんらかの変化が起こる事を期待するしかないですが、こういった感覚の国民がたくさん日本に観光に来ていて、日本の観光業に対し影響を及ぼしていると考えると、我々としても知らん顔はできません。
特に今回、当県を中心に展開しているスーパーマーケット業界の中堅企業の『×××』が10年前から長沙に進出し、このたびさらに数店舗を開業することを機に、話を伺いました。しかし驚いたのは店長の話で、開業当時に多くのお客様が来店されたにもかかわらず、商品は棚から無くなる一方で、売り上げがいっこうに増えないという現象が起きた。多くのケースでは、従業員がリーダーの目を盗み、商品を勝手に持って帰っていたそうです。また、家族が来店した際に同様の方法で商品を持ち帰らせるなどして、店側に多くの損害を出したと聞きました。でも、根気よく「なぜ持って帰るとダメなのか」を教え理解させた結果、10年で素晴らしい社員に教育されたそうです。実際に店内で買い物をしてみましたが、日本の百貨店方式の接客や精算が実によく行き届いていました。
古くから万里の長城での団体観光写真撮影を日本から教えに行き、拠点にしていた奈良県の写真屋さんも、社長が見ていないと店員たちがすぐに売り上げを誤魔化し、ポケットに入れてしまうと嘆いておられましたが、国民性とは本当に怖いものです。でも経済成長と共に、笑顔で「ありがとう」が言える国民に成長して来ている事を考えると、中国という国が日本にとってますます驚異的な存在になることは疑いありません。今回の旅行は、本当にいろんな意味で勉強になりました。
追記:「長沙 日系スーパー」で検索すると、せんだっての「日貨排斥暴動」の対象になった事が分かる。その時にこのスーパーはどれだけの痛手を蒙ったのかと考えると、複雑な思いになる。
いろいろ反応をいただいたのでまとめてお返事です。
ちなみに、私は時折一人旅をする男です。
男は海の向こうを目指すから
そうありたいですが、現実はそうでもないようで。
お金に余裕が無いから?
どうなんでしょう。結婚して一人旅ってのは少ないだろうから、独身男女で考えて、男の方がお金に余裕がないという事はない。そして、男は別の物にお金をかける、とは言えますが、その理由は旅行をする男が少ない理由とほぼ同義でしょう。
その書き込みで気づいたわ
気付いただけじゃ駄目なんだぜ
それも一理ありますが、しかし、それは仕事をふくめ男でも逃れたい物はあるし、その手段が旅行である/ないって事もあるし、あと女複数での旅行が多いというのもある。
男一人だと変な目で見られる……男一人でもライダーなんかは変な目で見られない
やっぱ男一人は浮きますか。その辺は無視してますけどね。ってか、男の一人旅が多くないからなんだって、とか言うと鶏卵問題になるわけですが。
そうそう、ライダーは観光客って括りとは別で見てる可能性に気がついた。というのも、観光地で一人で歩いているのはいつも女が多い、という印象からこの疑問を書いたので。
しかし、良く考えてみると、ライダーってのは良く見るな。そして大概男だ。これを考慮に入れると男の方が多いかも知れない。
大雑把に言うと男は結構面倒くさがりだからそもそも旅行とかあんまり積極的に行かないんだよね
私もそんな所かなとは思ったけれど、http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20071005213413 には反対意見が多い。
これはやっぱりライダーが多いのだろうか。観光地でゆったり一人歩いている女が多いから目に止まりやすいというのもあるだろうか。
おれは風俗街を一人旅する
これを含めると圧倒的に男が多いわけだがw
ちなみに、私が一人旅をするのは計画を立てたりするのが面倒くさいのと、予定に縛られるのがあまり好きではないから。
大まかな目的とか方向性だけ決めて、あとは行きあたりばったりで、途中で寄り道したり、予定を変えたり。シーズンでなければ、泊まる場所すら決めてないし。そんな旅行は一人じゃないと出来ないからね。
五十万トンのマンモス・タンカーだって、瞼を閉じるだけで消してしまえるが、一匹の蚊の羽音からはなかなか逃げ切れない。
安部公房「密会」より
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005it01.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005it01.htm
このブックマークのコメント欄を読んでいてとても不安になったので、ちょっと書きます。
なにが不安なのか?
音にまつわることに関して、良いとか悪い以前に問題ですらない、そんなことを問題にするのは異常だと一部で思われていそうなことが不安。
ちょっとオーバーに書くとこんな所だろうか。
「なにが悪いの?」
「こんなことで文句いうなんて頭おかしいんじゃないの?」
「神経質。きちがい。」
「子供たちがせっかく楽しく遊んでいるのにその音が良いとか悪いとか問うこと自体が異常。」
「がまんしろバカ。」
「出て行け!引っ越せ!!」
ぼくはこの新聞記事を読んで正直言ってとてもホッとした。
数年前、呉智英氏が防災無線から流れる音楽によって、静かな生活を送る権利を侵害されたと地元の自治体に放送の差し止めを求めた訴訟を起こしたのだが、
あっさり敗訴してしまった。
予想された判決とはいえ、その事があってから、もうこの日本で少しでも静かな生活を求めるのは不可能に近い事だと思い知ったからだ。
防災無線から流れる音楽というのは、毎日夕方になるとドボルザークの曲(遠き山に日は落ちて)を大音響の電子音で流す例のあれだ。
おそらく日本中のあちこちで曲目こそ違えど、同じことが起こっているだろう。
この音楽は子供たちの安全のために帰宅時間を知らせる大切な役割を担っているそうである。
そう「子供たちのため」だ。
「子供たちのため」「防災のため」と言われれば誰だってとても反対しにくい。
言う方は善い事をしているつもりなのでまさか自分の正義を疑われるなど許される事ではない。
だが、ある人にとって心地よい音楽が、大きな音量だと他人にとって騒音になるのと同様、子供たちのかわいい歓声も度を超せば当然騒音になりうる。
冷静に考えれば、場合によっては子供たちの歓声も音の暴力となりうるという事は、それほど理解が得られにくいという事は無いだろう。
(もちろんこの記事のケースが本当に耐えられないほどの騒音であったかどうかは現場を知る人にしか分からない事なのだが。)
しかし実は「子供のため」という事と「音」の問題は、切り離して考えなければいけないだろう。
もはやこの東京では不可能に近い、青臭い理想論で申し訳ないが、やはり子供たちの遊び場の確保はきちんとした都市計画によって解決するべきで、
子供たちの遊び場を守る事、と、近隣住民の静かな生活を守る事は、本来両立できるように努力するべき事だからだ。
ましてや防災無線のドボルザークなど、呉氏の件でも指摘されていたように子供たちが遅くまで塾に通う昨今にあってはなんの意味も無いし、
情操教育上、悪影響すら与えかねないだろう。
では「音」に関して。
ある音に対してそれがうるさいと思うかどうかを論じるのは難しい。
同じ音でも人によって感じ方が違うのは当然であるし、場合によっては同じ人物でも状況によっては全く同じ音が快にも不快にもなってしまうものだからだ。
しかも、ともすれば
「おれは貴様ら田舎者と違って音に対して敏感なんだよ。もっと気を使えよこのアホ愚民ども。」
「へぇへぇ、どうせあっしらは音に対して鈍感ですよ。ご立派なこったい。そんな気になるんなら、あんた様ここから出ていっちゃどうだい?」
などという不毛なやり取りになってしまいかねず、らちがあかない。
ではそんな面倒な事そもそも話題にするなよ、なぜことさら取り上げなきゃいけないのか、というとひとえに「音からは逃げられない」からだ。
冒頭の引用の通りである。
耳栓は緊急避難としてはもってこいかもしれない。しかし常時耳に詰め物をするのはつらいだろうし、強力な耳栓だと必要な音も聞こえなくなってしまう。
ちゃんとした効果のある防音工事というのはとても費用がかかり、おいそれとできるものではない。(それでも深刻な場合は考えるべきだろうが。)
このような消極的な対策よりは、何か音を発する前に、その音が本当に必要なのかどうかをまず良く考える事が大切ではないだろうか。
音を鳴らすか鳴らさないかどちらか選択肢がある場合に、迷わず音を鳴らす方を、少なくとも今の日本では選択しがちなのではないか。
などなど
これらの音は多数の人にとって騒音と認められる。対策をとれるかとれないかは別として、苦情申し立てをしても不審がられる事は無いだろう。
ほとんどが個人の力では解決不可能な問題であり、自治体など全体で取り組まなければ解決しない問題だ。
これらの音は相手が善意で行っている「悪意の無い音の暴力」。
これらの音を本当に発する必要があるのかどうか、ぼくたちは個人個人もっと真剣に考えなければいけないのではないだろうか。
さて、問題提起ばかりグチグチしていても仕方が無い。
ほんの少しでも音に注意を払うようになるにはどうすれば良いだろうか。
彼はランドスケープ(風景)に対して「サウンド・スケープ(音の風景)」という概念を提唱している。
これは我々をとりまく音の環境を、景観問題などと同じくきちんと観察、考察し、デザインしていこうというものだ。
彼は子供の音楽教育についての著書もあって、その中にこのようなゲームがある。
「しばらくの間、静かに目を閉じ、周りの音を聴く、そして聴こえた音を紙に書き出す。書いたものを友達と見せ合いっこする。」
とてもシンプルなゲームだが、周りの音に注意を向ける訓練にはもってこいだと思う。
例えば電車を待っている間、仕事の合間にできた手持ち無沙汰なちょっとした空き時間などにこのゲームを試してみよう。
もちろん一人でやっていいし、紙に書き出さなくてもいろいろな音が聴こえる事を確認するだけでもいいと思う。
子供さんのいる方はぜひ一緒にやってみてほしい。
そのうちそんなに意識しなくてもふっと周りの音を聴く習慣ができればしめたものだ。
こんな事で騒音問題は解決するわけないが、少しでも音に対して注意深くなるためには、まず身の周りの音を聴く事から始めるしかないだろう。
10年後に日本はどんな国?って聞かれたら「音のない国」と言われそうだ
というコメントがあったが、安心していいと思う。この音のあふれかえる日本が静かになることなど、少なくとも近い将来絶対にないだろう。
このコメントを書いた方はとても静かな場所に住んでおられるのだろうか。皮肉などではなく素直に本当にうらやましいと思う。
ぼくは科学博物館に行くのが好きなのだが、先日まで行われていた「インカ・マヤ・アステカ」展では展示に合わせて効果音や民族音楽の類が館内に流されていた。
どれもとってつけたような音や音楽で、展示物に比較して余りに稚拙な効果音やBGMには苦笑するしかなかった。このような乱暴な音の演出は今回の展示に限った事ではない。
だが国立のこのような施設でも音に対しての感覚は田舎のひどい観光地と基本的に変わらないのではないかと思う。
美術館でもこのようなひどい例がある。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1051714554/967-
通常、静かにすべきと言っても不審がられないであろう美術館や博物館ですら、このように音であふれている。
その音が本当に必要かどうか、もし必要無かったら出さない努力をどうかお願いできないか。減らす努力はできないか。
繰り返しになるが、音からは容易に逃げられないのだ。
さてキモい新聞の社説を下手糞にしたような文章を長々と書いて申し訳ない。なんだかとりとめのない内容になってしまった。
これを読んでくれた方が、もしほんの少しでも今まで気にしていなかった音を気にしてくれるようになったら、ぼくはとてもうれしいです。
そして今、悪意の無い音の暴力に苦しんでいる人へ。
「あきらめろ。この問題は絶対解決なんかしない。文句があるならとっとと日本から出ていけ!!」
明日から3連休というこんな日の夕暮れには、宿へ向かって歩く旅行者の姿が散見される。
そんな観光地の風景を見つつ、ふと思ったのは、なぜ旅行、特に一人旅をするのは女の方が多いのだろう?ということ。
特に、男の一人旅ってのは、ほとんど見ない。なぜ、男は一人旅をしないのだろうか?普段は男の方が一人を好むと思うのに。なぜなんだろう。
偽装請負を生み出しているのはだれか
今の法律は正社員の既得権だけを守っており、これから正社員になるであろう人達(つまり非正社員)にとっては不利なものである。
経済学的に最適な方法は正社員の首をいつでも切れるようにすべきだ。
そうすれば、必要な仕事に必要なリソースが自律的に(=各自が意思決定することで)割り当てられる。
確かにその通りだが、転職することにはコストがかかる。誰も転職したいとは思わない。
だから、いつでも正社員の首を切れるようにすることは、マクロ経済的には最適だが真の最適ではない。
だけれども、正社員の既得権ばかりを守っている事実も見過ごせない。
そういえばベーシックインカムってあったよね。
ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由
ベーシックインカムというのは、例えば、国民1人あたり月額5万円を支給するということ。
国というのは、税金を受け取る代わりに、安全を保障したり、福祉を提供したりといろいろなサービスを国民に提供する。
別にサービスじゃなくて、現金で提供してもいいじゃん、ということ。
土地というのは日本の共有資源であり、その共有資源利用料をベーシックインカムという形で国民に還元すると考えれば合理的だ。
ガスだって鉱石だって日本の資源であり、それを換金したならば、そのお金は日本国民一人一人が受給すべきなのだ。
それとは別に思うことは、今の50代、60代は国に借金をさせ、
税金を貪り食って財を成したことは事実なのだから、余った財を国に返してくれないだろうか?
そんな金があったら、国の借金返済に協力しろ。
分担して返済しようぜ。
観光地がじじいとばばあで溢れてるって、情けないのなんの。
死ぬ前に見たいモノを全て見たい。山積みの札束や人にチヤホヤもされてみたい、
幸せな家族を持ってみたいし写真でしか見たことのない場所に立ってみたい。
こういう気持ちはホスピスで横たわってる友人が教えてくれた。
大きな夢を持てば持つほど日々切なさが増していく、そして些細な夢すら持つ事をやめてしまう。
旅行に行きたくないのなら行かないのが正解だろう、全ての人が旅行に行ったら観光地が日本人だらけで困る。
>Raison D'etre
生きる意味など考える方が愚かだ。意味などなく我々は生きてる。
野良犬のように生きるのがバカでもなく、飼い犬のように生きるのがバカでもない。
金・名誉・地位・異性(家族)もそれが生きる目的ならそれでいい。
>死ねばすべて消える
150万…。
ひとりでいくの???
自分が大学生だったころは・・・
・インド→
滞在費10万。航空券マイレージでタダでいった。
予想以上に女の子の一人旅が多い。
だが、同時に男でも相当危険な目にあった国なのでお奨めできない。
なにより衛生環境がひどいので自衛が必要。相当の旅慣れが必要。
英語は大抵通じる。地方にいくと喋れない人がいるぐらい。でも街に数名は喋れる人が必ず居る。
・ポルトガル→
いったことないや。
でも30万ぐらいあれば相当ゆったりいけるだろう?
・アラスカ→
いったことないけど、少なくとも150万なんてかからない。
・フィンランド→
いったことないけど、150万って…。
50万でも高いぐらいだ。30万もあれば2、3週間は大抵の国いけるぞ。
ホテルやめてショートステイのところを借りると現地の生活楽しめるのでお奨め。
旅なれてないんだったらアラスカとかの英語圏のがいいんじゃないの?