はてなキーワード: 紙芝居とは
インドには、11億という膨大な数の人口がいます。その内、7億人が貧困層であり、大概は農村で貧しい暮らしをしています。そんな7億規模の村々に企業が市場を開拓し儲けようと活動しています。そもそも今までの農村は自給自足の生活で泥で髪の毛を洗い、火の燃料も泥を使用している村もありました。そんな貧しい村々にどうやって企業が参入、開拓したのでしょうか。2回に分けて書いていきたいと思います。
まず初めに、「ユニリーバ」という企業。ビジネスモデルは、シャンプーや石鹸などの生活必需品を小分けの袋に詰めて、1つ25円くらいで販売すること。やはり、貧困がゆえに安いことが条件になります。しかし、この方法でも欠点がありました。インドの村といっても都市部に近い村、完全自給自足の村、等々貧困の中にも格差はあり、この方法だと都市部の村人は購入するのですが、もっと貧しい農家たちは近くに店がないということと、根本的に石鹸で手を洗うとか、シャンプーで頭を洗う概念がありませんでした。それゆえ、都市部からほど遠い村人の購入は皆無に等しい状態でした。
そこでユニリーバはどうしたかというと、村の学校へ行き、特別授業として子供たちに紙芝居で石鹸で手を洗わないとバイ菌にやられるよ、だからユニリーバ石鹸で洗いましょうと教えたのです。悪く言えば洗脳ですね。しかも、テレビや新聞があまり普及していない家庭がほとんどですので、洗脳された子供が、家で親や友人に勉強したことを口コミし、より広まる事になったのです。
しかし、これだけでは石鹸を買いたくても店がなければ購入できません。そこでユニリーバは、地元の女性に販売員になってもらい個々人に直接売り歩く計画を実行したのです。外部からの情報が少ない村では共同体がしっかり根づいています。そこを利用したワケですね。
しかし、ここでもまた違う問題が発生しました。農村の女性たちは貧しいがために学校にも行けず、畑を手伝い、18歳くらいで嫁に行く人が殆どで、全く教養がなく販売員としてうまくいかなかったのです。そんな問題をユニリーバは徹底した研修と実践でビジネスをたたき込み、物を売ってお金を手にする喜びを教えたのです。これも悪くいえばマルチです。その結果、4万5000人くらいの販売員がインドの村々で仕事をすることになり利ざやを企業が稼ぐことになりました。
泥で洗っていた農村の人たちは、最初に無料で配られるシャンプーを使用すると、一発で依存し買い続けると言います。そんなビジネスモデルを開拓したユニリーバは、インドの貧困層をターゲットに習慣が変えやすい子供を洗脳し、販売員という地元の女性を使い、インドの貧困層7億人、年間購買力16万円、全体で25兆円ともいわれる大市場を開拓し膨大な利益を獲得しているのです。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/24/news086.html
を見て思ったんだが、
・今のミュージシャンのメインの収入源は、CD販売ではなくライブコンサート
http://akihitok.typepad.jp/blog/2007/07/post_4d9c.html
・今のいろいろな評論家のメインの収入源は、著書の販売ではなく講演料。
・予備校のカリスマ講師は、1つのパフォーマンスアートと言える。
など、今は、メディアの影響力は相変わらず大きいが、メディアを通したビジネスは縮小し、ライブパフォーマンスの宣伝にしかならない時代なのではないか?ということ。
昔のように、著書やレコードそのものが、著者(デベロッパー)や流通業者にも、莫大な利益をもたらすものではなくなってきているということ。
あまりにもコピーが行き過ぎた結果、「コピー」ではなく「本物」の価値が高まっているということなのだろうか?違うような気もするがw
噛み付かれた人:電波とどいた?(高レベル技術者。但し噛み付いた人はこの人を単なる技術評論家扱いにしている。)
反応した人:NaokiTakahashiの日記(シナリオライター・技術にも強い。)
経緯:
「「紙芝居」をめぐって」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090207
「「紙芝居」という言葉の背後にあるのはレイヤー技術による表現手段の文脈」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090206
「技術屋に対する批判は今後絶対に必須だと思ったのが「るい智」体験版。もう叩く気まんまん」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090205
「どのへんが技術屋に対する批判なのかよくわからない件(苦笑)」
http://ruriko.denpa.org/200902a.html#0701
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090207/p4
「その物言いは携わる側の発言じゃない。」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090210
「念のため確認するがシステム周りのレビューをする人という扱いで名指して書いてる。」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090211
「ますますわからなくなりました。技術屋扱いじゃないのん?」
http://ruriko.denpa.org/200902b.html#14
「手早く立ち絵いじくる路線に引き篭もって、後付けの理屈に縋ってるのだろう。」
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20090215
「結局やりたかったことは、技術屋をダシにしてバカにしつつ、現状業界の否定ってことでいいですか?」
http://ruriko.denpa.org/200902b.html#15
だいたいこんな経緯かと。さてこれをどう読むか。
大学からゲームメーカーへ――AI研究で広がるステキなゲームの世界とは?
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0901/08/news129.html
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0901/09/news075.html
とりあえずこれを読んでみることをお勧めする
トラックバック元の記事の主張には同意したい。
つまり、プレイヤーのプレイに対して動的に変化してくれる「ゲームらしいゲーム」を作れる技術をこれから急速な勢いで獲得していくのが洋ゲーで
技術開発投資もせず、安易に一本道の紙芝居のようなゲームを作り続け、いずれ高度に発展した洋ゲーに押され衰退するのが和ゲーだろうと。
確かに危機的状況というか、HD機も出揃い、グラフィック的に満足な状態になった今が岐路であるという見方なのか
AIを開発して「ゲームらしいゲーム」を出さないと日本のゲーム産業ヤバいぞと。
ただでさえ他の娯楽に人取られまくってるのに。
自分の地元は無個性っぽくはないと勝手に思ってたけど、捨象気味に列挙したらそうでもなかった。
和歌山市すげーんでねーの。
新規参入するなら、設備投資に十万円以上かけた動画が再生3桁コメント1桁の爆死でも泣かない覚悟を。
絵を描くことは、ある意味動画編集以上に(特に精神的な)敷居が高い、元々絵に自信があるなら。
上記2項目と違うのは、この道で天下を取ることはDLC配信週ですら不可能ということ、専業はやめるべき。
敷居の低さは圧倒的だが、ガチや手描きに勝つことは難しい、気軽にやるのが吉か。
「あのねえ、平和な国でぬくぬく生きてきた人間が戦場に出て何ができるわけ?アンタ戦争ナメてない?」
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
あぁ、スタジオ4℃は良いよね。
鉄コン筋クリートは久しぶりにアニメーションの面白さを堪能できる作品だった。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがアニメオタク外の監督だったというのは非常に重要。
自分はアニメオタクが本当にアニメーションを好きなのかどうか、正直言うと疑っている。
あれこそアニメーションのことを考えて選択された絵柄だからだ。
要するに萌え絵だけどあんなのは動かすのに適した絵じゃない。
頭と目が大きくて等身が低く、身体が細いなんていうのはアニメーションではとても動かしにくい。
萌え絵で鉄コン筋クリートのように自由闊達に動き回る作品がないことがそれを証明している。
萌え絵はアニメーションには不向き。自動的に紙芝居みたいなものになってしまう。
日本のオタク消費者ってのは、視野が狭いし、頭も固いというか、アンテナが古いという感じはする
語る物も映画書評の形式で語れるアニメ、漫画、紙芝居エロゲーと固定化してるし、
何も生産できない消費者の中からCGの本当の良し悪しが判って語れる人もCG書評のようなお手本が無いから出てこない
CGのような新しい技術について勉強しようという発想すらないんだろうし
でも現在のコンシューマ系ゲーム製作者は、洋ゲーの方が凄い物が多いし、学ぶ物が多いという認識を持っていると思う
作ってる人間のアンテナ感度は高いから、別に消費者の質が悪かろうとあまり関係ないし、海外物に遅れないか心配するのも全く無用
あとオタク系のニュースサイトの管理人、漫画に乳首が描いてあるとか、アニメでパンツがどうとか、しょーもないことをいちいち取り上げんなと思う
http://anond.hatelabo.jp/20080704070408
アニメや漫画のオタク視点から抜けられないんだろうな、こういう人は。
同人界隈とか、版権がなんやかやとチクチク小姑ごっこに勤しんでいる裏で、
メーカーの商標入り牛乳パック並べた作品を現代アートとして展示するような美術館がある現実。
かつては裏舞台でこそこそやっていたものが半端に露出したせいで
法律がどうとかいい子ぶった馬鹿どものターゲットにされてしまった。
もうさ、堂々と表に出てきて「私、クリエイターです。」といっちまった方がいいんじゃないかな。
たぶん、やった者勝ち。
というタイトルで書こうと思ったら http://anond.hatelabo.jp/20070716220002 を見つけた。さておき、、
AVは演技が下手だったり男が頭悪そうだったりして全然興奮しなくなってきたので、興味本位でエロゲに手を出してみることに。
いろいろ探して「君が望む永遠」の体験版を試す。一章丸ごとプレイできるらしいので。
最初の印象は「紙芝居?」。そもそもエロゲがどういう感じのものか全然知らなかった。これじゃ初めて買ったマックに入ってたHyperCardと変わらんじゃないか。でもともかく進めていく。くさいセリフに苦笑したり、こんなしゃべり方(遥)する女いないだろ、とか一人突っ込み。しかしこんなに分岐点少なくていいのか、ほんとに紙芝居じゃないか、などと思いつつも、気づいたら3時間くらい経ってて翌日へ持ち越し。ってかここまで全然エロくないぞ?
...すごい続きやりたい!遥はさておき、水月が気になってしょうがないんですけど!
どうやらまんまとはまってしまったらしい。もはやエロとかどうでもよくなった。ストーリーがうまいのか何なのかわからんが、昔、恋をしてたころの、胸が苦しくなるような感情さえおこる。最近恋愛もしてないし、友情にも人情にも飢えてるので、より心にしみるのかもしれない。しかしこの歳になると、同時に、こんな頃には戻れない寂しさを感じざるを得ない。まあ自分の高校生活にこんな話はかけらもなかったわけだが。それでもなお、この感情は気持ちいい。この感情を引き起こすニューロンを刺激し続ける方法があったら、人生を棒に振ってしまいそうだ。しかし、一度も恋をしたことがなくても同じ気持ちを感じられるんだろうか?
本気で買いたくなってきたが、妻子持ちでエロゲ買うのもなんなので、wikipediaで二章のストーリーも把握。水月のバッドエンドひどすぎ。ストーリー知った上でもやっぱり二章やりたいんだがどうしよう。。
ニコニコ動画(RC2)‐【オセロ講座】オセロの打ち方、知ってますか?(超初級編)
この動画、凄い。
別にこの動画で解説されているオセロの打ち方が凄いと言っているわけじゃない。凄いのは、この動画の表現方法。
という3点をとってみても、プレゼンとしてとてもよく出来ていると思う。
で、以前から料理タグで紹介されているレシピの紹介の仕方とかを見ていて思うんだけど、そろそろパワーポイントを使った紙芝居によるプレゼンだけじゃなくて、こういう動画主体のプレゼンが流行り始めてもいいんじゃないかと思うんだよね。ニコニコ動画やYoutubeにアップロードされているコンテンツを見るだけでも、十分その下地は出来ているんじゃないかと思う。
後は、実際に誰かがやってみるだけだ。プレゼンスライドをプレゼン直前にニコニコ動画にアップロードして、それを使ってプレゼンをやるような猛者は現れないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20071109112146
泣きゲーは実際自分もやってみた事があって、声はブリッ子で映像は紙芝居みたいでチャチで、とにかく低予算で作り上げたっぽい、安っぽい雰囲気。
でもそれにいったん慣れると、なぜ「泣ける、泣ける」ってオタ達がしきりに叫んでるのか、少しわかってくる。確かに感動的な展開のストーリーだ。
ただ、泣きゲーも確かに面白いし、ギャルゲーを否定するわけじゃないんだけど、これを機会に、古今東西の純文学とか映画とか幅広い分野の文化の鑑賞にトライしてみれば一気に視野が広がるのに、と思う事もある。
基本的に泣きゲーしかしてこなかった。あと少し抜きゲー。『ときメモ』とか『To Heart』とかの純粋ギャルゲー(?)はあまり好きではない。そんな増田のエロゲーランキング。
泣きゲー部門
1位 Kanon
2位 AIR
3位 家族計画
やはりkey陣営が強い。keyのゲームを楽しむためには「エロゲー脳」が必要。
非泣きゲー部門
1位 戦国ランス
2位 アルルゥとあそぼ!
3位 ナースにおまかせ
アルルゥとあそぼ!はファンディスクの中でも随一のおもしろさ(ってファンディスクめったに買わないから比較できないけど)。
初エロゲーは親父のPCに入ってた野々村病院の人々。当時は精液のことをしらなかったので「何だこの白い液体は。牛乳か?」などと思ったりしたものだった(小学○年生の時にやった)。この時、エロゲーに開眼したわけではないけど、電脳紙芝居を見るに耐える忍耐力のようなものが身についたのだと思う。