はてなキーワード: 留学生とは
「中学受験の失敗は母親の力が9割」http://anond.hatelabo.jp/20101211092522 に刺激を受けて書いてみます。
最初に私について書くと、
という人間です。私は、結婚してないし子供もいませんが、今さら価値観も大きく変わるわけでもないと思っています。なので、私が親から受けた教育と自分の経験を元に、もし自分が親になったら子供に(英語に関して)どのような教育をするか、という観点で書いてみます。もし本当に自分に子供ができて、教育専門誌みたいのを読み出したら考えも変わるかもしれないけど、今のところの考えと言うことでお願いします。
あと、この記事を書いたくだらない動機として、学部で就活したときに、企業の人から「帰国じゃないのに1回受けただけで920なの?(←当時)英語ばっかり勉強しても社会では役に立たないよ」とか言われてむかついてた、というのもあります。そんなに勉強してないんだけど・・・。幼児期に適度・適切に英語に触れ、大学受験でまじめに勉強して、大学では生活の中に英語を取り入れていれば、900点くらいは普通に取れるけどなぁ・・・と思っていたので。
結論を先に書きます。
これは受け売りですが、言語習得に関して言えば、幼いうちの方が有利なのは明らかです。人間の脳の言語機能は生まれてからの数年間で決まり、重要な言語学習期間は5歳~思春期までだそうです。ただし、それは、幼児教室に通わせて「How are you」とか言わせて親が自己満足することでは決して無いです。大事なことは、将来の学習に備えて、子供の脳の機能を「失わない」ようにすることだと思います。具体的には、「脳が機能を捨てる」のを、可能な範囲で防ぐことかなと思います。違う言い方をすると、どのようにして「両親が互いに違う言語を使う状況」をシミュレートするか、ということです。「習い事としての英語教室」がこれを達成できるかというと、普通に考えて無理です。
私の母親は、通訳をしていて、私の自宅には昔から英語の雑誌やら教材やらがあふれていました。特に、Newsweekは山のように積まれて、片付け等を手伝いながらチラチラ覗いたりしていました。また、家事の合間に机に向かって英語の勉強(あるいは仕事かもしれない)をしている母親を見て育ちました。幼稚園に通っていた頃は、うちに帰るといつも英語のラジオがかかっていましたし、小学校に上がってからも、母親が運転する塾(中学受験の学習塾)の送り迎えの車内では全て英語のラジオ(AFN)がかかっていました。英語の勉強は一切していなかったのですが、意味もわからず英語の歌を口ずさんだりしていましたし、未だにAFNの番組切り替えの音(?)が頭にこびりついています。また、「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでした。
この頃の経験で、英語に対する苦手意識は全く無いですし、現在の自分に大きな影響があったと思います。
ただし、注意書きで一応書いておくと、最新の研究では、赤ちゃんはBGMとして聞いているだけでは学習しない、というのもあるようです。
これは母親から聞いた話。一時期、母親はバイトで幼児英語教室の教師をやっていたらしいのですが、その感想は「こんな事やっても意味ない」だそう。完全に、親の自己満足以上の何者ではないと。そして、そういう教室を利用する親に限って本人は勉強しないし(または英語が苦手)、変な意味で「英語を神格化」していると。「英語は怖い、英語は大変、だから子供には早いうちからやらせなければ!」というのが見え見えだと。それは、きっと子供にも伝わりますよね。
これも注意書きを書くと、(1)教師が英語ネイティブで、(2)「親戚のおばちゃんレベル」に頻繁かつ長期的に通うことができる、という条件を満たすなら、逆にかなり見込みはあると思います。しかし、かなりの経済力と労力が要求されますね・・・。奨学金という名の国営借金を借りて生きている身としては無理そうです・・・
成長後というのは、主に大学入学以降。これは私自身の経験からの話。(まぁ、子供が成長後なら子供に考えさせればいいのですが・・・一応。)
当たり前のことですが、語学学校はピンキリです。しかも、ピンキリと言ってもただのピンキリではなく、会社としてのインセンティブが関わってきます。というのは、いわゆるテレビでCMを流しているような英語学校というのは、そもそもは「儲けるために存在している」のであって、「生徒の英語力を引き上げる」というのはあくまで2次的な目標、あるいは手段でしかありません。つまり、非常にうがった見方をすると、「生徒を、英語ができるようになった気にさせておいて、しかしTOEICの点数等は微増で、『成果は出つつありますが、英語は難しいですからね。これからもがんばりましょう』といって継続的に受講させる」というのが儲けるための最適戦略だと思うわけで、そういう意味では、(100%悪いとは言いませんが)普通の英語学校というのはあまり良くはないなぁと思います。
もちろん営利企業である限りは上の状況は避けられないのですが、それでもbetterなものは何かというと、「通訳派遣会社付属学校の、下部クラスまたは総合英語コース」です。派遣会社付属の学校というのは、受講料で儲ける営利企業であると同時に、親会社の通訳派遣会社に優秀な通訳を供給するという役割も持っています。これによって、「生徒を、本当に英語をできるようにする」というインセンティブがあります。そして、その余力で総合英語のようなコースでちょっと金も儲けるか、という感じだと思います。だから、まじめに英語を勉強するなら、受付の人だけがやたらフレンドリーで授業がショボい英会話学校よりも、受付の人たちは無愛想(失礼!)でも授業が充実している通訳学校を選ぶべきです。
いやいや、留学生込みでなく。
例えば仏教経典、あるいは思想書。この辺りがリアルに「中国に残ってないものが多い」の。
これは文革で6000を超える寺院を焼きまくり、大学の蔵書を片っ端から燃やしまくったツケ。
逆に日本はその辺りの保存をきちんとしてた。なにせ、日本は中国大好きな国だから、文化的に見て全くの事実。
「日本は中国の文化を積極的に取り込んできた国なので、日本国内のアーカイブには結構残ってる」
文化的に上か下かなんて全く述べていないし、「現在の中国は和製漢語を使いまくってるから日本の軍門下」なんて「天皇は漢字だから中国文化」って主張してたどっかの人みたいなことも言わない。
現在までの歴史的経緯がどうであれ、中国の文化は極めて優れたものだし、むしろ国家の垣根を越えて積極的に保存していくべき人類の遺産。最早、中国文化は中国だけのものではなく人類のものと言ってもいいくらい。それくらい重要で貴重な文化。
だからこそ、文革のアレコレを深く反省して文化財を守れボケども、と俺は思うし、その辺りについては中国に対して世界中が罵声を張り上げていくべきだと思うよ。中国がほんっとに貴重な文化遺産をサックサク燃やしたのは紛れも無い事実だから。
早稲田に限らず日本の大学に保存されている中国からの渡来物やあるいは中国文化の影響下で生まれた多くの文化は、中国を研究する上で非常に重要なんだよね。
んで、当然だけど日本文化を研究する上でその「源流」を中国に求める人は多いし、研究の対象として極めて重要だよ。
でも、現在の中国が日本に資料を求めるのは「自分で焼いた」っていう人類史的に見て途方もなくおろか、救いのないバカな行為のツケだしそれは並列に語れないんじゃね?だから必死で今歴史を取り戻してる最中なんだよ、中国人は。
「日本は中国の絶大な影響下にある国である」という事実と「中国は自分の国の大事なものを粗末に扱ったツケを今払ってる」っていう二つのことを並列的に伝えようとしただけだよ。
中国人はほんと、猛省が必要。一度失われた文化資料をよみがえらせるのがどれほど大変なことなのか、あの馬鹿どもは未だに理解していない。気の毒だよ、研究者も。下手な発表したら海外に逃げるハメになるんだから。
あー早稲田ね・・・
今でもあっちにお世話になることも多いんだからそれでいいじゃないのよ
ていうかやり取りしてるのは中国の資料で日本独自の資料じゃないってあたりがいかにも悲しいけどなw
ま早稲田はそうってことで、終わりね
早稲田大学でございます。超一杯中国の人来るよ。留学生も研究者も。流石に研究室はさらせないけど。
まぁ「あの人の門下のあいつだな」と思った人いるかもしんないけどスルーな。ほっとけよ。
んで、中国人研究者が日本に多く来る理由はやっぱり文革が一番デカいんですよ。
あのときにやらかしまくったせいで資料が相当焼失してる。当事の歴史的資料なんてのもそうだけど、
中国って国家のアイデンティティになるような資料まで相当燃やしたからね。ついでに、当局の検閲が現在でもバリバリ入るので
マトモに勉強したければ海外に求めるしかないっていう悲しい事情もあるようだね。
具体的に言えば、「孔子」に関する資料とかあるいは文化風習ヤ宗教に関する資料、歴史的遺物なんてのは下手したら日本の方が資料が残ってるんじゃないかと思う。
「批彪批孔」の嵐が凄まじかっただけ、多くのものが失われた。でも、中国大好きな日本は結構保存してたわけですよ。経典や歴史書、思想書の類は全部まとめて焼いたからね。実際、「批彪批孔」とは言うものの焼く人間に色んな思想家の見分けがつくわけなく、墨子も荀子もなんもかんもサックサク大学ごと、っつーか学者ごと焼いたからね。更には孔子とその弟子たちの墓までぶっ壊す始末。だから日本にこそ残ってた。日本人にとって漢文ってのは「教養」だったからね。
んで、これはとりもなおさず「日本が中国の絶大な影響下にある国家である」っていうことを端的に示す事実だし、
同時に中国が「歴史的資料をやらかしちまった挙句、現在でも学問の自由に乏しい」っていうことを端的に示すよね。
60 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:00:30 ID:tLgbu9Xb0
仕事選べる立場じゃないのに、えり好みが激しすぎる世代なんじゃなぃ?
200 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:29:24 ID:ELgXG62z0
>>60
楽して高給じゃないと働かないって若者ばっかり増えた
211 名無しさん@十一周年 :2010/12/03(金) 12:31:14 ID:B72Tw8Md0
>>200
そんな仕事、民間には無いのになw
コンビニ、外食で働いている中国人は、留学生のバイトですけど?
あの人たち、金銭的にも学業的にも恵まれた中国のエリートです。
大学とか卒業したら、たぶんコンビニ・外食でバイトはしないと思いますw
こんな馬鹿でろくな知識もないジジイが偉そうにしているんだから日本はどうしようもない。
アメリカに留学して二年、アジア人の留学生が私しかいなかったけれどこの9月新たに日本人が来た。
彼女はかなりなまっていて田舎者と呼ばれる人たちとこれまで会ったことがなかった私にはカナリ衝撃的な存在。
今日ランチの時間に彼女がある男の子に惚れているということで、彼女が彼をGETできる見込みがあるか聞いてきた。
私は二年間で多くの日本人留学生と会ってきたが、アメリカ人の高校生と付き合っても日本人が自国に帰ったら必ず別れてしまうのを知っている。
例外もあるかもしれないが、やはり高校生という年齢は一番遊びたい時期だと思うし、
なにせアメリカ人はパーティーばっかりして酒を飲んだり薬をやって勢いで友達とヤっちゃうような奴ばかりだ。
私は彼女と二つ歳が離れているせいか妹のような気がして余計なことを言ってしまった。
「彼は他の人が好きだと思うよ。つーか8ヶ月後に帰るんだからどうせ付き合ったとしても別れちゃうよ?」と。
他人の恋は他人の恋で私にそんな事をいう資格なんてないのに。
彼女は正直言ってかなりゆるそう(ヤりやすそう)なので本当にこの先心配だ。
なんぼなんでも、人が書いたことに、端から端までナンクセつけなくてもいいだろう。
まずね、失礼だけど、あなたはどれくらい、英語ができるんだろう?
色々かいてるけれど、実際に出来る人じゃなきゃ、畳の上で泳ぐようなもんだよね。
俺は、高校と大学、海外で出てる。ついでにいうと、英語で飯くってる。
それでも、「早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ。」
みたいなことは、口が裂けてもいわないよ。文法と表現で完璧な英語を書くというのは、本当に難しい。
ちゃんとした仕事を任せるなら、10年は訓練がいる。
素人がやったら、All your base are belong to usになっちゃうんだ。そういうこと、わかってる?
それに、こういっちゃ何だけれど、学部生の専門知識なんて、
社会に出ちゃほとんど役立たないでしょ? あるいは、後からだって学ぶことは十分できる。
企業の人事は、まあ第一に学歴、第二に人柄みてるわけじゃないの。
だから、体育会の学生とか、成績わるくても一流企業に入れるわけだし。
専門知識の到達度なんか、ほとんど見てないよ。俺は、それは合理的な考え方だと思う。
こうした延長に、国際教養大学を評価する向きがあっても、おかしくない。
あの大学は、一学年の定員が150人くらいなんだよ。高校みたいなサイズ。
似たような大学がいくつか出来ようが、日本の教育制度に変化はない。
だからね、あまり目くじらたてて、英語ができない人間が排斥される! みたいな反応しなくていいんだよ。
俺も、ああいう方式が大学教育の主流になるべき、とは、これっぽっちも思ってない。
ただ、国全体で見たら、非常にいい試みだと思うんだ。
どうしても英語を勉強したいけど金がない! という学生、全国にそれくらいいるだろう。
あなた、ちょっと視野が狭すぎよ。もっと色んな人間、学校があったっていいじゃないか。
【補足】
国際教養大学にいる外国人留学生は、ほとんどが短期の交換留学生。
半年か一年で帰っちゃうお客さん。海外の大学って、留学経験を重視するだろう。
そういうニーズに、比較的安価に、日本語知らなくても英語だけで大丈夫ですよ! って
言いたいことはわかるんだけれどね、それにしてもここが大学と呼ぶに値するかは大いに疑問だと思うんだ。あなたが書いてるとおり
に尽きるんだよ。そして、海外どころか日本の外大附属短大レベルなの。語学以外の科目を日本語でやれば2年間でそれぐらいのことができてしまう(一部の人が言ってる「大学は英語で教えろ」というのがいかに愚策かという格好の証明だね。高等教育を母語で受けられるという特典は失うには余りにももったいないものだ)。結果、国際教養大に行くことは、普通の4年制の外大に行くことに比べてなんの優位もないんじゃないかな?
とても雰囲気がいい大学。すれちがった学生が自然に挨拶してくるの。
自然に挨拶できるのは、少人数だから「中の人間」の顔を一通り知っていて、「外の人間」を見ただけで判別できるというのがまずあるよね。それに、活気というのは創立まもない時期に話題が集まっているからこそという面もある。慶応SFCが数年で色あせた轍を踏む可能性はないのだろうか?
まあ、高卒・短大卒と同等の「兵隊」が欲しいならそれでもいいのかもね。しかし今でさえ、外資系などでは「英語『しか』できない人間が大きな顔をしている」と揶揄されていて、現在英語「しか」できない人材がバブル起こしていることはもはや周知の事実。となれば、この大学の卒業生の市場価値はいつまで持つのだろうか?
逆に、普通の研究型の4年制大学を出ている人材は、文学・歴史でも専攻していない限り英語論文の読み書きを指導されている。そういう人材に半年かそこら本気でしゃべる訓練を施せば、専門能力と英語力を兼ね備えた人材のできあがりだ。一方で、ここの卒業生みたいな学生が専門能力を磨こうと思うのなら、どこかの大学の二部にでも入って勉強し直すしかないだろう。何しろ、卒論やゼミをやっていないのでは学士様として使い物にならないといってもいい。
そういう学生には、まさにうってつけ。
ところが、海外に出てもしゃべる内容がなければ向こうのガキ以下の価値しかないわけだよ。つまり海外では全く使い物にならない、国内でこそかろうじて戦力になる。例えば企業にとって「翻訳通訳」が必要となるのは経営や知財や法務に関する場面だろうが、だとすれば「翻訳通訳」ができるためには相手方の言語だけではなくて経営や技術や法律に関する知識が必要だ。早い話、英語の技術文書を書かせたら、英語ネイティブのガキよりも俺の方がずっと上なのは明らかだ。そして、ここの卒業生は下手したら「英語ネイティブのガキ」よりも英語はできず、「英語ネイティブのガキ」並にしか専門知識がない。まるで市場価値のない人材だよ。
国際教養大は、英語環境を充実するために、たくさん外国人留学生を呼んできてる。
彼ら向きの講義も、それなりにあるみたいだけれど、
それがまずおかしいんだよな。HP見ても、「外国人」は白人ばかりだ。多分米英豪ばかりから呼んでいるんだろう。しかしあなたの言うように彼らにとってこの大学の講義には価値がない。むしろ「外国人」を呼ぶなら非英語圏、準英語圏(旧植民地など)から呼んでくるべきだ。中韓台、あるいはマレーシア、インドネシア、シンガポール。それならば向こうだってわざわざ日本の田舎に来る価値があるだろうし、企業が喜ぶのも、むしろそのあたりとの付き合い方がわかっている人材じゃないのか。
結局、この大学は英語コンプで商売してるという意味でNOVAとやってることが大差ないと思うわけだよ。ここの学生を採るくらいなら、普通の大学で国文学とか日本史みたいな「役に立たない」学問をやってた人間の方が、ゼミや卒論を一通りこなしている分マシかもしれない。そのあたりの事情が結局あれだけ鳴り物入りの割にはお粗末な就職実績に表れているのじゃないかな。
国際教養大、実際に見にいったことあるんだよ。
とても雰囲気がいい大学。すれちがった学生が自然に挨拶してくるの。
少人数教育・全寮制だからね。コミュニティーがきちんと機能していて、
あの大学は、普通の日本人学生を、卒業後に英語環境で仕事が出来るよう
四年で育て上げることを第一の目的としている。講義も生活も、百パー英語。
そうしたら、大体想像つくだろうけれど、そんなに難しいこと、できるわけない。
相当勉強しなくちゃ、ついていけない。そういう意味では、人間ができるかもしれない。
教育内容の専門性はともかく、目標に向かって努力ができる学生は、欲しいんじゃないか?
喧伝されているほど、一流企業の採用が多いとは思えないけれど。
でね「貧弱なカリキュラム」で、被害を被ってるのは、日本人学生じゃないんだよ。
国際教養大は、英語環境を充実するために、たくさん外国人留学生を呼んできてる。
彼ら向きの講義も、それなりにあるみたいだけれど、
何かの都合で日本人向けのクラスを履修したら、目も当てられないことになるわけだ。
われわれでいうと、わざわざアメリカに留学して、日本語学校いくようなもんだ。
下手な英語を半年聞き続けるというのは苦しいぞ。自分も下手なら仕方ないけど、そうじゃないんだから。
俺が見た留学生は、目が死んでて可哀想だった。
せっかく日本に留学するなら、素直に東京か京都の大学にいった方がいい。
職員の方の話だと、留学生の評価はかなりいい、クチコミで人が集まる、とのことだから、
ほかによいところはたくさんあるんだろうが、ちょっとどうかねと思った。
ただ、それでも、国際教養大学は素晴らしいと、俺は思う。
そういう学生には、まさにうってつけ。
さらに、それを公立でやっているということ。
金があるなら、慶応でも早稲田でも行って、一年か二年留学したら、
同じくらい英語ができるようになるかもしれない。
でも、四年間の学費と会わせたら、相当の負担になる。
中流以下なら、かなりきびしい。
というかそもそも、ノーベル賞級の研究者は毎年3人どころじゃないペースで存在してるので、ノーベル賞をもらった人と同等の実力の人はもっと沢山いると考えた方がいい。
それを言うなら例えば野依研のメンバーはほとんど日本人で、欧米人なんて短期留学生が1人いるだけなんだが、それを見て欧米の基礎科学はもうダメだということになるのか?ならんだろう。
だから、アメリカの大学は無条件で日本の大学より優れているという思いこみはやめろよ。
中国では優秀な人間からの需要(単純に考えて日本の十倍いる)に対して優秀な指導教官の供給が追いつかないし、先進国に生活の基盤を置くことで生活レベルやその他(政治的自由を含む)の上昇が見込まれるから必然的に外に出ようという意欲が促進される。
対して、日本では既に高いレベルの指導教官が有り余るほどいるわけだから、何が何でも外に出ようという必要がない。ある程度自分の専門性が固まってきた段階(普通は修士を出て以降)で、その分野の権威が外国にいるならばその先生の門を叩いてみようかなどとなって、はじめて外に出ようという動機が芽生えるのが普通。
結果として、米国への留学生の数を比べれば中国の方が日本より圧倒的になるのは当たり前の話であって、それがどうしたとしか言いようがない。
文化や宗教や生活様式や立場が違う奴が狭いとこに一緒に居たら摩擦起きるし落ち着かないものなんだって。
当たり前だろそんなもん。
そういう自然な反応を「排外主義」とか絶対悪のレッテル貼って無視しよう排除しようとする方がどうかしてる。
生活様式が全然違う人だったり
こういう差がある同士が暮らしたらそりゃストレスも摩擦も膨らむって。
移住先のその国の奴等の経済レベルにも生活様式にも政治的立場にも民族アイデンティティにも宗教にも
いちいち「あーーーこいつらウゼエ」って思ってるんだよ。
ストレス溜めて暮らしてる。ほんとは母国で同じような奴等と暮らしたい。
単に、立場が悪いとか母国より稼ぎがいいとか母国で酷くいじめられるとかで腹にしまって黙ってるだけ。
学校に留学生が一人二人来るぐらいなら、そりゃ色々配慮して仲良くしないといけないし、出来るよ?
俺の高校プロテスタントだけど、傲慢な感じの白人学生もすげえ人見知りなムスリム学生も来たよ。
白人は英語しか喋る気が無い上になんかどー見ても偉そうなわけ。でも心を広く持って仲良くしといたよ。
ムスリムには学校のキリスト教の礼拝免除の上に、特定の時間に部屋を与えてメッカを拝めるように配慮してた。
でもこれ、こういう奴等が300人とか来て、期間も限定じゃなかったら、どうなる?
大変だよ。リソースを全部そいつ等のために割いて、なにやってんだかわからん奴等にあらゆるものを分けて、配慮して。
不可能じゃないけど大変。何か得が無いならやりたい奴は多くないって。
ある程度同類同士で固まった方がなんでもコストは安いし快適なんだよ。
サヨはウヨと仲良くしてるか?積極的に同じ掲示板で交流してる?
非オタはアキバ系と一緒に休日を過ごしたい?アニメの話題しか乗ってこない奴にアプローチしてる?
そんなことしたくないだろ。
それでいいんだよ、それが普通。
エレベーターで閉じ込められちゃったとか不可抗力で一時同舟するハメになったなら
もうそこは仕方なく歩み寄って摩擦を少しに抑えるために仲良くすべきだけど、
わざわざ種類の違う人種を同じ場所に押し込むのが「進歩的なこと」「善」だと思い込んでるバカがいる。
そういうこという前に、あんたにまるで理解出来ないあんたが嫌いなタイプの人間を思い浮かべて
3時間とか1週間とかじゃないぜ。
期限なしでずーっとだ。
それが苦しくないって奴なんかいないよ。
奨学金滞納が問題になってるけど、それよりも中国人留学生に対する給付金の方がやばい。
俺の通う大学院の某研究科は定員40人中30人が中国人。(こんなんだけどいわゆる旧帝文系)
彼らは日本語が少し話せれば入学できます。授業料はもちろん免除です。
しかも毎月日本国から給付金という名のお小遣いをもらっています。(日本に留学するのは多くが富裕層です)
そして授業中にはおしゃべりしながら PSP で遊びます。
学位論文はろくでもなく剽窃あり。極めつけは犯罪を犯して捕まります。
中には本当に真面目に頑張ってる人もいる。でもその他大勢のせいで俺は中国人が大嫌いになった。
中国人にあげるお金があるなら日本人学生を支援してあげてください。
そんな俺も博士を出れば借金1000万円。1種奨学金だから幸いだけど2種の人はかわいそすぎる。
ここで言ってもしょうがないですけど何とかしてください。
「Twitter連携機能」http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20100906/1283746029を読んで、インターン参加者のことを考えました。
はてなってインターネットでちやほやされている会社で、特にブクマは人気のサービスだから、その機能拡張を担当できたというのは、インターン参加者にとって誇らしいのかもしれないけれど。
何か「サービス」=「コードを書いて新しい機能を付け足す」という風に誤解しているんじゃないか。プログラムが得意な人が集まってきて、インターン参加者の飲み会みたいなのがあって、お互いの持っている技術を紹介したりして、それをブログに書いたりtwitterに書いたり。何だかものすごく均一な人たちですね。妄想が多分に入っています。
同じ価値観じゃつまんないと思うんです。「Twitter連携機能なんてゴミ情報を拾ってくるだけだ!」ってdisってほしい。「それよりもこれからは人力の時代だ」とか言って、ブクマの編集をユーザーに任せてしまったりして。同じブクマページをソースとして使った場合でも、id:Aの責任編集のページのほうがすっきりとしていて見やすい、と評判になれば、id:Aにとってもインセンティブになるでしょうし。Togetterをうきうきやっているような暇人がたくさんいるんですよ。そこをさあ、「データマイニングを使って自動化で」とか言いだしそうなのが、均一な人たちです。
「俺だったらサーバーの管理は全部高校生のバイトにやらせるね、マニュアルを完備して。大体あんなの大卒の仕事じゃないじゃん!」とか言ってほしい。「院卒なんてとんでもない!」とかも、喧嘩を吹っかける感じでよいと思います。自分以外の全員を売り渡す覚悟で。エンジニアの誇り、それっておいしいの? オペレーションのコストが下がったら、サービスの向上なんだから。
「中国人留学生のポータルサイトを作ります。将来的には彼らとのコネを使って儲けることも考慮に入れます」なんていうのはどうでしょう。ページはすべて日文・中文併記で。
とかいろいろ書きましたが、はてな、大好きです!
先輩は、目も眩むような職に就いた。
紆余曲折あったが、「なかなかすごいね」と言われる僕らの大学の中でも圧倒的なところへ就職していった。
政治経済学部や法学部をブチ抜いて、彼はたった一人そこに到達し、あっという間に辞めた。
先輩は、一言で言えばへんな人だった。
二年遅れで大学に入って来た彼は最初の大学を「教授とケンカして」辞めたそうだ。
必修単位を取るために頭を下げるくらいなら、潔く大学を辞めるべきと考えたらしい。
そんなわけで、彼はウチに大学に来た。昔いた大学は教えてくれなかったが、
就職実績と反比例する形で偏差値の高止まりを続けるこの学部にあっさり入ってくるくらいだから
それなりのところから来たんだろうと思う。昔は法学をやっていたらしい。
先輩は大体喫煙所か、喫茶店か、本屋かあるいは酒のあるところにいた。
ロングピースが好きなのだが、予算の都合でエコーばかり吸っていた。でも、彼には煙草を恵んでくれる
先輩、後輩、友人がたくさんいたので、いつも楽しそうだった。高田馬場のロータリーで、たかれる相手を探す
先輩に気づくと、ぼくはよく逃げ出したものだ。あの人と話しているうちにいつの間にか僕は酒を奢ってしまうし、
なんとなくいい気分になって家に帰ってしまうのだ。そして、財布を見れば大体空だった。
あの人と喋っていると、あらゆる夢は実現可能に思えたし、実際に実現可能だった。
先輩は人をよく褒めた。今思えば、彼の才能で一番凄かったのはそこだろうと思う。
先輩と話していると、自分が本当に優れた人間のような気がしてくるのだ。彼は本能的になのか、それとも経験のなせる業なのか
とにかく「ここを認めて欲しい」と人が思う場所を的確に探り当ててつつくことが出来た。
そして、それを伸ばすことが出来た。大学時代、彼の周囲には夢追い人がたくさんいて、
彼らの夢はおおよそ叶った。司法試験に受かった人、国家一種に受かった人、うちの大学でもそうはいない人たちが彼の周りにはいた。
この二人はぼくの友人でもあるのだけれど、未だに先輩への尊敬を口にする。特に司法試験に受かった彼は、ロースクールの学費を先輩に工面して貰ったのだ。「足を向けて寝られない」そうだ。
先輩はたかり癖を持つ一方惜しみなく与える人だった。
車をぶつけて困ってる後輩がいれば走り回って金を工面し、不動産屋ともめている友人がいればニコニコしながらやってきて
マシンガントークで交渉した。そういえば、先輩は「俺は不動産屋と宗教勧誘が好きなんだ」と公言していた。
「エホバの証人」の勧誘がついに来なくなってしまったと落ち込む先輩を見た時は、こんな人間もこの世にいるのかと驚いた覚えがある。日曜日の最高の楽しみだったらしい。そのために先輩は缶コーヒーを箱で買っていた。彼なりの歓待だったのだろう。
実は、車をぶつけて困っていた後輩とは僕である。
情けない話であるが、保険まで切らしていてにっちもさっちもいかなくなった。
先輩はどうやったのかわからないが、ポンと(当時の僕としては)大金を貸してくれた。
「アルバイトするくらいなら飯を食わない」「奨学金以外の収入は汚れている」と主張してやまなかった人が
必要な時にはすぐにお金を工面できるのは本当に謎だった。
先輩は親に仕送りをストップされており、奨学金の一種と二種と給付を併用して三畳間に暮らしていた。
彼の部屋は隙間無く本に埋もれており、留守か、と思ったら本の山が崩れて先輩の足が飛び出すといった感じだった。
その中に敷いた煎餅布団の上にガスコンロを一つ置いて、先輩はよくラーメンを煮ていた。よく火事にならなかったものだ。
そして、先輩は日々をなにをするというわけでもなく暮らしていた。たまに小説を書いているようなそぶりがあったり、あるいはふと何か実用的な勉強をしていることもあったが、およそすることと言えば酒をたかる、喫煙所で煙草を吸う、授業で教授をおちょくる、本を読む、ラーメンを食う、マージャンをする、といったものだった。その大体に僕はついて回っていた。楽しかったのである。
先輩は四年生の夏、ふと僕に「スーツを買うから金を貸してくれ」と言い、一番安いツルシのスーツを一つ買って
某企業の夏採用に突貫していった。あれは大体留学生枠の上先輩は二浪なので、どう転んでも無理だろうと思っていたら
彼はあっさりと内定、その後就職していった。その信頼を利用して金を引っ張り後輩に貸付けたのがその後のことである。
会社名を言うと先輩を特定されてしまうだろうと思うので、ちょっといえないのだが
今はかなり上手く言っているようで、一部では時々名前を見かけるようになった。
僕はと言えば、やはりある程度夢も叶って働いている。でも、理想と現実は全然違う。
ところで、当時の仲間たちが、「せんぱい」を中心に未だに人間関係を持っていて、しかもその多くが収入をそこから得ているという事実に驚く。
未だに思うけれど、彼みたいになりたかった。
彼と居れば、世界は意のままになるような気がしたし、実際先輩はなにもかもそうしているような気がする。
水面下での苦労はきっとあるんだろうけれど。あれほど大きかった夢が今しぼんで、先輩のことばかり考えている。
そりゃあ、やりたい仕事ではあったけれど。労働環境なんてそれはそれはひどいものだ、収入だってかなり悲惨だ。
でも、こんなことを言ったら先輩は怒るだろうと思う、だから電話出来ない。
先輩と話したい、彼と話せれば何もかも上手くいく気がする。でも、こんな有様ではとてもそんなこと出来ない。
学生時代に戻りたい、仕事が、辛い。でも、望んで就いた仕事なんだし、背中を押してもらって得たものなのだから
誰にも不満なんかいえない。先輩の話を聞くたびに、辛い。あんな風になりたかった。