はてなキーワード: 哲学者とは
さて、
膨大に仕事が溜まっているが、
やっぱり書くことはやめられない。
いつ死ぬかわからないので、
記録しておく。
これってさあ、基本的にどっちかっていうと、
あんまりイイって感じじゃないよね。
だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、
成長するにはもってこいのこと。
たとえば、すごい人がいると、
僕とどう違うのかを考える。
読んでる本、習慣などなど
あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、
行動様式などを考える。
何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。
で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。
ってな感じで、ぼくと比較する。
この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。
いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、
僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。
○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。
とりあえず○○しよう!
ってな感じでざっくりとした筋道ができる。
これを何十人もやってると、
重複してくるところがいっぱい出てくるので、
それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。
ってなことをやる。
ここで大切なことは、
修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、
思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。
全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ。
オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。
あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、
ただ常に成長したいと考えているだけだ。
これらをちょこっと抽象度を高めると、
一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。
やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。
良かったらα版にして、完全に組み込む。
その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。
人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。
つまり、人というものは矛盾した生き物であって、
だんだんとストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。
だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。
でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。
まあそれも20代では抽象的でいいと思う。
まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。
僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。
その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。
これはけっこううれしい。
レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。
けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。
だからね、まずはベータ版で導入することが大切。
ってな感じで、生きていく。
んでもって時間ができると、
哲学者、政治家、文学者、慈善家、科学者、企業家、文明学・人類学者…
たんまりといるわけでかなり勉強になる。
一度、3年くらい集中して勉強したいが
日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。
僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。
それを実証したいと思うが、
そのためにはかなりのリソースが必要なので
現実的でない。
よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を
与えることができる、というようにもっていこうと考えている。
いま渋谷にいるのです。
おわり☆
帰責性も定義も難しいけど、うーん...
「個人特性(対策能力・人間としての認識の限界etc)を勘案した上での、その個人が合理的に行うべき対策をしてないこと」
としよう。
合理的か否かは、対策することのリターン(費用便益)・対策することで低減できるリスク(分散)・情報というか一般的思考の3つから導くものとしよう。
3つ目が分かりづらいけど、「そんくらい考えればわかるっしょ」的な感じ。リスクとリターンの見積もりの基礎的な意味も含む。
犯罪心理学と犯罪統計その他の知識があれば、加害者の目的を勘案してもっと深い分析が出来るだろうけど、詳しくない。
社会的価値は考慮しない。「お前が盗まれたおかげで社会的に価値があるんだから、盗まれたお前が悪い」とか言わない。
ひどく穴だらけなこと、客観的な論証じゃないことは否定しない。別に自分法律家でも哲学者でもないし。
1.
通り魔的傷害に合う確率なんぞ低いだろう。散歩するのに他人の観察とか護身術とかめんどい。リターン=低
命に関わるレベルになるかもしれないから、リスクは大きいかな。リスク=高
・他人を傷つけてもだいたい意味が無い
・傷害は多分罰が重い
→ふつーに考えたら、「その辺の人が他人を傷つけようと思ってる」なんて思わないんじゃないかな。
「その辺の人が自分を傷つけようと思ってない」と考えることは合理的だろう。
3つの重み付けがどうするかは人それぞれだろうけど、まぁ、帰責性低いかな。
2.
被害者が何を取られるかによるけど、
リターン=高(対策にかかるコストなんぞ低いだろ)
リスク=低(別に命とられるわけじゃない)
情報=誰だって金欲しいから、被害にあう確率が高いことくらい知ってろよ。
∴帰責性=高
3.
リターン=中(ブスな化粧してもてないというのはキツい。)
リスク=高
情報=男の頭の中を女が知ってるかなんて知らない。
∴帰責性=中 でも、男が対策すべきだという役割的な話があるから、それはそれで。
4,5,6は状況が支配的すぎてなんとも。
あれか、
「ローリスク・ハイリターンな投資があるのに、投資しなかったお前が悪い。
だけど、そんな投資案件があることなんぞ普通に考えてわかんないようなものだったら、お前は悪くない。」
的な、ファンドマネージャーを評価してる感じか。
ここで、
意味はものとものと間に成り立つ関係のことだから、要素は2個あればいい。どういうものが2個あればいいのかというと、包含図考えてみたときに、「A」と「Aを含むようなB」
「末期患者」に含まれてる「かっこよく死にたい人」にとっての自殺の是非 とかそんな感じ
Aを含むようなBをあらかじめ仮定しているっていうのがAが意味を持つための条件かな
こういう言葉の論理を集合論に持っていって延々考えた人はバートランド・ラッセルとか、悩みそのものは宗教の聖典とか、キルケゴールの「死に至る病」とか
これはタイトルからしてそのまんまだけど、哲学者っていうか岩波文庫の青(岩波文庫の哲学書は背表紙のラベルが青い)は大概そんなんだったな
とりあえずラッセル?既知だったら恐縮です。
自殺についてWebで調べまくっている。(念のために書いておくと、今すぐ死ぬぞという訳ではない。ただ、自殺について世の中の人間が何を考えているのか知りたいだけだ。)大体は「自殺をしてはいけない。なぜか。それは〜」というストーリーが展開されている。(そもそも「自殺は是か非か」という問いは意味があるのかな。「Aは是か非か」という問いが意味を持つためのAの条件ってなんだろう。)
自殺とは、人間のそれに限ることにすれば「ある人間が自分の意識的な行動で自分を死という状態に至らしめること」なんだろうな。「自殺が是か非か」は、多分「人間が自分自身を意識的に死に至らしめることが、ある基準Cを満たすか否か」ということになるのかな。ただ、このままだとまだ不完全な感じがするなあ。
とかなんとか、妙な曖昧性がある。もう少しちゃんと考えないと意味のある議論にならんな。
なんかこういうことを考え始めたら、そもそも名詞ってのは不当に強力だなあって気がしてきた。例えば「悩み」という名詞。悩みってのは「人を悩ませるもの」であるわけで、あるものXが悩みであるかどうかは、そのものと人Dを固定して、XがDを悩ませている(「悩ませている」の定義はとりあえずおいておく)かどうかを判断して初めてわかるはずなのに、「悩み」が名詞として扱われたせいで、あたかも「悩み」というものが世の中にあって、それをリンゴやミカンと同じように操作することができるような気がしてしまう。
って、こういうことって、絶対どこぞの哲学者とかが既に考えてきたことだよね。誰か僕にこんなことを考え続けた哲学者について教えてください。
>鳩山総理の不勉強・不見識は、結果的に日本が今まで享受してきた安逸な世界を根本から崩すことになるのかもしれません。
軍事に限らず、鳩山は優秀な反面教師だったと思うよ(過去形w)
鳩山のおかげ(?)で国民や不勉強な政治家は、政治が具体的にどうなってるのかを具体的に勉強したり考えたりする事を迫られた
悪政が布かれれば革命が起きてきた様に
国民の政治意識に強烈な影響を与え、問題意識を芽生えさせたのは、結果的には功績
最近の日本の他の首相が、今までなし得なかった事を結果的には出来てしまった
古代の哲学者(誰かは忘れたが)が、討論相手に「私は何も知らない、あなたの言ってることがどういう事か説明して欲しい」としつこく言い迫る事で、相手が実は何も分かってない事を自覚させていたように
自らの無知をひけらかす事によって、周りが必死で分かろうとする
世の中には,慎み深いウンコマンと慎み深くないウンコマンの2種類が存在するものとする.
他人に聞かれることを極度に嫌うため,誰かが便所内に存在する場合には決して排便しないものとする.
慎み深くないウンコマンは,誰が近くに居ようとも決して遠慮することなく排便するものとする.
今,2基の汲み取り式大便座を構えたトイレの中で
一人の慎み深いウンコマン(一人目の慎み深いウンコマン)が大用をたしているとき,
二人目の慎み深いウンコマンが表れ,空いている方の便座を確保した.
ここで,一人目の慎み深いウンコマンは,二人目のウンコマンが用をたすまで排便を我慢し,
二人目のウンコマンがトイレから出て行ってからゆっくり排便しようと一時排便を停止した.
ところが,二人目の慎み深いウンコマンもまた,一人目のウンコマンが用を済ませるまで
排便を我慢し始めた.
ある便器を使用中のウンコマンは,別の便器を使用しているウンコマンが慎み深いか慎み深くないかを
知ることはできないものとする.
このとき,一人目は二人目の排便を,二人目は一人目の排便を互いに待ち続けている状態なので,
二人は排便を我慢し続け,トイレは使用できない状態となる.
これを慎み深いウンコマンのデッドロックと呼び,食事する哲学者のデッドロックと並んで
紹介されるようになるまで広めたい.
あと,この問題を解決する方法を(便器を水洗式にする以外で)教えてほしい.
東京新聞:選挙終われば『ドレイ』か:私説・論説室から(TOKYO Web)
ttp://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2010032202000084.html
民主党の小沢一郎幹事長は選挙を重視する。選挙至上主義と言ってもいい。昨年には
悲願の政権交代を成し遂げた。「選挙に強い」という神話の当否は別として、小沢氏の
小沢氏はこう言う。
「民主主義の原点は選挙だ。国民が最終決定権を持つ国民主権が民主主義の絶対の
原則であり、その主権者が主権を行使する唯一の機会が選挙だ」
その通りだ。民主党に政権を託したのは有権者自身である。その責任は選ばれた
しかし、小沢氏の言動を見ると、選挙後はとやかく言われたくないと考えているように
思えてならない。
有権者は鳩山民主党政権にもどかしさを感じていても、次の選挙まで口出しできない
のだろうか。政権への注文も、行使すべき主権のうちではないのか。
仏革命に影響を与えた十八世紀の哲学者ルソーは社会契約論に「イギリスの人民は
自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する
間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」
(岩波文庫版)と書き記した。
英議会制度の欠点を指摘し、直接民主制を主張するのが主眼だが、選挙至上主義の
陥穽(かんせい)=落とし穴を言い当てているようでもある。
まーそーです。でも我々の場合、民主主義っつっても立憲民主主義なので、憲法の部分でなんか粘らないと、本当にダメな民主主義になってしまいます。
構造主義は内田樹の解説本くらいしか知らないんですよね。構造と(差異で一個一個区別される)要素は一体で切り離せないということと、「作者がどう思ってるかではなく、どう読者に読まれるかが重要だ」という理解しか持ってないのです。
私が読んだことのある哲学者といったらベンサムとミル(功利主義系)とカントとヘーゲル(ドイツ観念論系)とフッサールとハイデガーとレヴィナス(現象学系)で、構造主義とはつながってないんですね。済みません。(そういやこの前大学の頃の『全体性と無限』のメモ書きをはてなダイアリーに要約しました。大変でした)
構造主義に批判されている実存主義もよく分からない世界です。(wikipediaにはハイデガーには実存主義に大きな影響を与えたと書いてあるが、現存在のくだりだろうか)
「この宇宙はなぜ存在しているか」
という問いに約5年つきまとわれた。
結論からいえば、解はなし、もしくは無数に存在する。である。
数学の問題におきかえると、
0×x=1
の解である。
この答えの真偽はともかく、普通に日常生活を送れるようになったことがとても大きい。
結局のところ、
自ら生み出した問題が解けずに日常生活にだいぶ影響が出てしまった。
もう少し早く答えが出せればよかったのにと思う。
なんせ、これ以外の解があると信じていたので、
もうそうなると哲学者になるぐらいしか道はないと思っていた。
同じような問いにぶつかり、日常に支障が出ている人にこれを言ったら
どういう反応が返ってくるのだろうか
a. ただいま
b. おかえりなさい。
a. 今日、ニュースでサリンジャーが亡くなったって言ってたな。
b. そうね、でも、いいのよ、 そんな、 お ・ は ・ な ・ し は。 ちゅっ。
どうだった、お仕事は?
a. ばか、サリンジャーが亡くなったんだぞ。
b. うん、そうね、 でも、 ね。 お風呂にする? それともお食事? それとも・・・
a. サリンジャーはなあ、 あの偉大な・・・
b. わかってるわよ、 そう、 そんなに そんなお話がしたいの?
そうね、 その前に服を脱いで着替えてからにしたら?
a. 『ライ麦畑で』は良かったなあ、 『ナインストリー』も、
b. でも、はい。
着替え、ここに置いておくね。 私も着替えよかな。
a. でも、なぜあんなに偏屈になっちゃったのかな。 どう思う?
b. うん。 もう、 は ・ や ・ く 着替えてって。
a. 結婚して子供も生まれてるし、なのに塀で家の周りを囲んでじゃって
その中だけで生活するって。
b. へー、 そうなの。
はーーあ あ あ。 ちょっと、疲れちゃったは、わ ・ た ・ し。
a. それからが謎なんだよなあ、作品、残してるのかな?
b. えっ、何? えっ、 あっ、 そんなことしないでっ もう。
a. 何言ってるんだよ、たぶん残してないだろうな。
残してても案外、くだらないものばっかりだと神話が崩れちゃうしな。
b. 神話って、昔話しみたい。 イヤ、どうしちゃったの? そんなお話しばかり、
わたしのことキライになっちゃった? どう、この下着。 いいでしょ。
a. 一度、行ってみたかったよな。サリンジャーが隠棲してたって言う、ニューハンプシャーの田舎に。
b. 下着が邪魔なのかな? そしたら、脱いじゃおうかな? いい?
a. 誰か、何か書いてるかな、
サリンジャー氏は1974年に20年近くの沈黙を破ってニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙の電話インタビューに応じ、次のように語った。「作品を出版しないでいれば、驚くほど平和な毎日だ。何かを出版すれば私の個人的な生活がひどく脅かされることになる。私は書くのが好きだ。書くことを愛している。でも今は自分自身のため、自分の喜びのために書いているだけだ」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2553970/3647218
だからビートルズファン、ジョン・レノンファンにとっても、サリンジャーはちょっと特別な存在だ。その死のニュースを目にしたときは、やっぱりある種の感慨があった。けれど、そうか、まだ生きていたかというキモチも正直あったり。
この人、ノルマンディーでユタ・ビーチに上陸してるんだよねぇ。歴史だなぁ。今晩、家に帰ったら、ひさしぶりに「プライベート・ライアン」でも見るかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/curragh/20100129/p1
91歳。世界でいちばん好きな本の作者が死んだ。偉大な人がまたこの世から去っていった。このニュースを知ったとき、なんとなくヴォネガットの死を思い起こした。彼が亡くなったときはもう読めなくなるのか…という感じがあった。だけど、サリンジャーの場合、亡くなってからのほうが、隠遁生活後も書いていたらしいモノを読めるんじゃないかと思ったりする。
http://d.hatena.ne.jp/miexpo/20100129/1264767180
あらためて思いますけど、サリンジャーは言葉選びのセンスが抜群なんですよね。ちょっとした短い文章の中に、読む者の心をグッと惹きつける魅力がある。コピーライティングの技法にも通じる彼の文体は、今後も「クールな文体」の手本として永遠に生き続けることでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/marukoshi-an/20100129/p1
http://d.hatena.ne.jp/platycerus/20100129/p1
120 : ゆで卵(石川県) :2010/01/29(金) 03:31:04.20 ID:AnGQMgQs
ライ麦は話自体は別に大したことはないが、
疎外者の視点で語りつくすという方法論は素晴らしい。
38. Posted by 以下、ゴールデン名無し がお送りします。 2010年 01月29日 12:31
サリンジャーはもっと長生きするかと思ったのだがな。
著名な文学の大御所(レヴィ・ストロースは哲学者でもあり文学者でも有名)が二人も亡くなったな。
ご冥福をお祈りいたします。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51427492.html
たとえば教師のタッパーの話した時もやな、お前の目普通ちゃうで。人殺すときみたいにぎらぎらしすぎや。光りすぎや。あいつが教室に来る前にトイレ行って髪の毛わざとばさばさのぼさぼさにしてくるゆうあの話。そら全部お前がゆうたとおり間違いないと思うけどさ、でもそんなもんお前に関係なくないか?あいつが自分の髪の毛をどうしたこうしたってええやんけ、あいつなにを気取ってんねん、ププ、ダサイやつやなー思てたら済む話やんけ。悲壮美なんですねーゆうてそんなもんいちいち演出しなあかんほど自信ないんやなあゆうて、同情したったらええんとちやうの。そやのにお前は、ええか、これだけはゆうとくけどおちょくってるんやないで。お前が喋ってんの聞いとっら、あいつの髪の毛自体が、なんかお前の仇みたいになってて、それはちゃうやろ。んでお前がそれをわかってるっちゅうのがもっと気に入らんわ。
http://www.mieko.jp/blog/2010/01/post-4885.html
ニューヨーク公共図書館(NYPL)のウェブサイトに、2010年1月27日に91歳で死去した作家のサリンジャー(J.D. Salinger)氏を悼む文章が掲載されています。
The NYPL Says Goodbye To J.D. Salinger(2010/1/28付けNYPLのNews)
http://nypl.org/press/press-release/2010/01/28/passing-author-jd-salinger-resonates-throughout-nypl
J・D・サリンジャー氏死去 米作家(2010/1/29付け47Newsの記事)
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012901000109.html
A Farewell to J.D. Salinger from the New York Public Library(2010/1/28付けResourceShelfの記事)
http://www.resourceshelf.com/2010/01/28/a-farewell-to-j-d-salinger-from-the-new-york-public-library/
http://current.ndl.go.jp/node/15711
b. どう、これで満足したの、 は ・ や ・ く こっちへ 来て、
ミニスカートに欲情するというとき、いったい欲情している男には何が起こっているのだろうか。ミニスカに欲情するということを、即「ミニスカをはいている女とセックスしたがっている」と解釈するのは間違っている。
僕の考えでは、ミニスカに欲情するとは、ミニスカをはいている「状況」あるいは、その状況が喚起する「イメージ」に対して欲情しているのである。森岡正博も、『感じない男』のなかで、征服萌えについての説明の中で、「制服に射精したい」という言い方を、「少女が制服を着ているという状況そのものに向かって精液をかけたい」と言い直している。ミニスカへの欲情も、これと似たことがいえるのではないだろうか。
ここで一人の天才の話を出そう。哲学者のウィトゲンシュタインである。彼は、数式を解きながらオナニーをしていたという。どうしてそんな話を持ち出すのかというと、ウィトゲンシュタインのオナニーと、ミニスカへの欲情は構造的に似ていると思われるからである。
ミニスカという格好は、その中に隠されたパンツが、見えるかもしれない、という予期を強く喚起させる。欲情するかどうかはともかくとして、とにかく他の格好と比較して圧倒的にパンツが見える可能性が高いのがミニスカである。ミニスカを見れば「自然に」欲情してしまう、という意見に賛同できない人も、それがパンツの見える可能性を高める格好である、ということには同意していただけるのではないだろうか。そして、ここに数学の問題とミニスカの共通構造が見出される。すなわち、隠されているものが露わにされることへの予期を与える、という構造である。
違うのは、隠されているが露わになる可能性のあるものが数式の答えであるのか、パンツであるのかということである。このように考えてみると、性的興奮を感じる本質的な構造の一つとして、「隠されているものが露わになることへの予期」ということが定式化できるのではないだろうか。
他に補足的なことも少し述べる。ミニスカが「自動的な」欲情の対象ではない、という意見を主張するために、ミニスカの機能性に注目し、「ミニスカは動きやすさのためのものだ、それに欲情するのは欲情する人間が下衆なだけだ」という主張がなされることがある。しかし、動きやすさだけを考えるなら、そもそもスカートそのものをはかなければよい。パンツ一丁になればよい。なぜそうしないのか。恥ずかしいからである。パンツを覆う服は絶対に必要である。ゆえに、パンツの上に穿くミニスカは「パンツを隠している」という意味の読み込みを避けられないのであり、そしてパンツが他の服に比べてより見えやすい格好であることによって、ミニスカは「パンツを隠す」という意味をより強く読み込ませてしまうのである。そして、上述のように、そのことに対する欲情とは、ミニスカをはいている女とセックスしたいという即物的なものではなく、あくまでも構造的な問題であって、女そのものというよりは、「状況」に対する欲情なのである。
ついでに、いわゆる、「男は獣」という表現についても一言。「男は獣」というとき、批判派はすぐに「男は獣」→「男は理性では性欲を抑えられない」→「レイプは自然なこと」→「加害者は免責される」という自動化されたロジックを前提にしている。しかし、僕としては、理性で制御できない欲望がある、ということと、レイプは自然なこと、レイプ加害者に非はない、ということは自動的に結びつくわけではないと考える。たとえ自分の意のままにならない欲望があるとしても、それに責任を負うのが人間てものでしょう。それに、「今」は制御できない欲望も、「将来」は制御できるかもしれない。人間は変わりうるからね。だから、そのために、加害者を免責するのとは別の意味で、加害者の欲望を、なぜそんな欲望を持ってしまうのかということを考えるのは重要だと思うよ。
十九世紀の英国の哲学者 ウィリアム・アーサー・ワード氏の言葉にこんなのがある。
「凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火をつける。」
最近忘れかけてた俺の座右の銘。あなたはこういったことを伝えてくれようとしたんだよね。
う~ん、わかるんだが、難しいなー。
教えんのはWindows、Word、Excelで、やりたいことかぁ。ビジネス文書? いまいちね…
教える導入部分で、これを身につけると、こんな嬉しいことがありますよ、的な話をするけど、
それも10~15分あれば十分な話。その後は、こんなことやりましょう、やり方は…、みたいな話の繰り返し。
教えるのが同じ理解度のおっさんばかりならいいんだけど、若者や要領のいいおばさんも混ざってるんで、
おっさんばかりに合わせると、そうじゃない人達から、たいくつ~、という空気が…
それと、やっぱり、おっさんは理解度は落ちてるよ。俺は若者にも教えてるけれども、
できのわるい若者がそのままおっさんになって、さらに理解度が落ちているという印象。
なんだかんだ書いたけど、あなたの励ましはうれしかったよ、ありがとう!
何を悩んでるのか、よく分からんのだが…だって
<嫁の言い分>
なので式の間だけは、ベビーシッターを雇って式場に待機してもらうので、シッターに預けてもらいたい。
もしくは、入り口付近とか、泣いたらすぐに出られる所に座ってもらいたい。
<増田の言い分>
もし本当に泣いてしまって、(現実的には考えにくいが)妹がそれを放置する様なことがあれば、
当然式場の担当者に外に誘導してもらう。
だろ
合致してるじゃん。
妹さんには「泣いたらすぐに出られる所に座って」もらって、泣いたら出ていってもらえばいいじゃん。
自身の持ってる善悪観が一番大事なのさ。
つまり妻が殺されそうになっても相手を殺すことは増田にはできない。
殺すのはどうかんがえても悪だからね。
善悪基準がそうだからしかたないって言ってるけど
善悪基準がそうでありながら、敢えて悪を遂行するということも有り得るけどそれは選択肢にすら入ってない。
増田はそういうことができないってこと。
何せ善悪基準に一度ひっかかったらもうダメ、何をどうしてもダメ、なんだからね。それもこんな結婚式に赤ん坊連れてくるつれてこない程度の話で既にそうなんだからなw
ま、なんつーかカントみたいな奴だよね。
友人が殺人鬼に追われて逃げてきて、どこへいったときかれたら答えるべき、とかいうやつね。友人より正義が大事
君も妻より正義が大事。違うといってもそうなるものはそうなる。
頭の方が足りてるなら哲学者になって一人身を貫くべきだね。
悪い悪くないじゃなくて、そういうタイプの人間は結婚すべきじゃないだけさ。
やっていけないから。もうそういうタイプなんだから、仕方ない。
☆そしてその後も平然と付き合うのかも解らない。
☆文句いいながらも長続きするのが解らない。
☆問題が生じたとして、過失なら格別感情を荒立てずに注意したうえで許せばいいし、故意なら別れればいい。
☆価値観の違いなら許容範囲まで我慢してそれを越えたら黙って別れればいい。
☆仕事上のパートナーでもなく許嫁でもない、2人はわざわざ好きで付き合ってるというのに何故互いに声を張り上げる必要があるのだろう。
関係が深くなると、些細な感情の機敏で喧嘩になる
それだけ相手に期待しているというか心許しているからこそなんだよ。
喧嘩をして、相手に対する自分の投影像を修正し、関係がまた深くなる
この繰り返し
☆余計な御世話だと思うが知り合いのカップルをみていつも考えてしまう。
余計なお世話
☆ちなみに私は親とは喧嘩ばかりしているが、3人程いる親友と喧嘩したことは一度もない。
相手は親友と思っていないのでは?
村の寄り合いに哲学者が来る。村は腐ったところで、ひとりが科挙にうかるとそれにみんながたかって食っている。俺もそんなひとりだが、村を出たくてなにかを勉強していた。
哲学者は若かった。俺は話を切り出せず、愚劣な連中に囲まれている哲学者に話がしたくてじりじりしていたが、ようやくチャンスが来た。
俺は口火を切った。「あのですね、ベルグソンがわからんのです」
「すげー基本的なことなんですけどね」「ベルグソンの空間てのは同時期のポアンカレとか物理屋、数学者のものと大体同じものについて語ってるんでしょう?」
村の連中は「意気さかんな若者が質問をするのはいいことだ」と内容もわからずに互いに酒なぞを飲んでいる。