2010-06-17

自殺についてWebで調べまくっている。(念のために書いておくと、今すぐ死ぬぞという訳ではない。ただ、自殺について世の中の人間が何を考えているのか知りたいだけだ。)大体は「自殺をしてはいけない。なぜか。それは〜」というストーリーが展開されている。(そもそも「自殺は是か非か」という問いは意味があるのかな。「Aは是か非か」という問いが意味を持つためのAの条件ってなんだろう。)

自殺とは、人間のそれに限ることにすれば「ある人間自分意識的な行動で自分を死という状態に至らしめること」なんだろうな。「自殺が是か非か」は、多分「人間自分自身を意識的に死に至らしめることが、ある基準Cを満たすか否か」ということになるのかな。ただ、このままだとまだ不完全な感じがするなあ。

  • 自分自身を意識的に死に至らしめることが、ある基準Cを満たす人間存在するか」
  • 自分自身を意識的に死に至らしめることが、全ての人間についてある基準Cを満たすか」

とかなんとか、妙な曖昧性がある。もう少しちゃんと考えないと意味のある議論にならんな。

なんかこういうことを考え始めたら、そもそも名詞ってのは不当に強力だなあって気がしてきた。例えば「悩み」という名詞。悩みってのは「人を悩ませるもの」であるわけで、あるものXが悩みであるかどうかは、そのものと人Dを固定して、XがDを悩ませている(「悩ませている」の定義はとりあえずおいておく)かどうかを判断して初めてわかるはずなのに、「悩み」が名詞として扱われたせいで、あたかも「悩み」というものが世の中にあって、それをリンゴミカンと同じように操作することができるような気がしてしまう。

って、こういうことって、絶対どこぞの哲学者とかが既に考えてきたことだよね。誰か僕にこんなことを考え続けた哲学者について教えてください。

  • そりゃあんたまずはショーペンハウアーの「自殺について」でしょう

  • 意味はものとものと間に成り立つ関係のことだから、要素は2個あればいい。どういうものが2個あればいいのかというと、包含図考えてみたときに、「A」と「Aを含むようなB」 「末期患...

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