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はてなキーワード: 信頼関係とは

2008-07-06

誰の言葉なのかっていうのも重要なのかな

ぼくは企業就職が決まってる学生です。http://anond.hatelabo.jp/20080706031547増田が勤務する「先の不明瞭なベンチャー企業」のような労働環境に対する憧れはあります。ただぼくはぼくでそれなりに考えて今の道を選んだのです。

忌憚無き意見を言う/言われるということ

例えばぼくが働きはじめて、研修自販機勉強(もしくはそれに近いこと)をすることになったとしよう。

そんなときにバリバリ働いているダチと飲みに行って仕事の話をしたときにおれのやってることが相手にとって「つまんねー」って思われるようなことだったら面と向かって「それってつまんなくね?」って言って欲しいな。ぼくは、それに対して自分がやっていることの意味を自分なりの解釈で伝えられるかどうかが最初の越えるべき壁のような気がするからです。それは詭弁に聞こえたとしても「正直おれもつまんないと思わないでもないんだけど、こういう組織の中では一応○○という理由で必要なんだよね。」ぐらい言えるようにしたいです。ダチにすら必要性を説明できない仕事を嫌々続けたってしょうがないんじゃね?と思ってしまう青二才増田です。

相手との信頼関係

それに、もし面とむかって言ってくれたのが信頼できるダチだったら、そういう奴の目線から自分の現状を評価してもらうってのはとても有益な気がします。逆の立場でもぼくは相手に正直に言うよ。それは「相手を見下して自分が優位に立とう」なんて浅はかな考えは持たないというある種のプライドをそいつらと共有しているという大前提があるからだよね。こういう話が友達とすらできないってのは相手の耐性が足りないか、語り手の信頼性が足りないからじゃないかと思います。

2008-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20080624174952

もしまた飛び出すようなことがあっても学校側は探しもしないし、その過程で事故が発生しても責任持たないということですか?と尋ねると「そうです」。「電話連絡は基本自宅宛にすることになっていますので」

首を傾げるのはこの2点かなあ。

連れ戻しはできない、という対応自体はしょうがないかなと思う。いちいち授業を止めるわけにもいかないし。

しかし、勝手に飛び出したんだから一切責任を持たない、という言い分は通らないだろう。責任の度合いは下がるだろうけど、なんらかの対応をする責任は残る。だから、少なくとも手の空いている教員(なんだったら校長)が、きちんと親の携帯なり職場なりに連絡するところまではやらないといかんだろう。

しかし、そもそも、親と協力して問題に対処しましょう、っていう姿勢から始めないといけないと思うんだけど、どうしてこう、無意味に敵対的な応対になってるんだろうか。やっぱり、いろいろ困った親が多くて、デフォルトが敵対モードなっちゃってるのかなあ。とすると、家庭にも学校にも子供にも不幸な話だ。この不幸の連鎖を止めるには、増田がむかつくのはわかるけど、そこはぐっとこらえて、増田から歩み寄って信頼関係が作れないか、あの手この手でいろいろアプローチするしかないんじゃないかな。

2008-06-13

http://d.hatena.ne.jp/hashigotan/20080613/p1

なんか根本的に嘘くさい。特に心療内科とつながってる云々あたり。

こんなこと警察が言ったらそこで患者との信頼関係終了→症状悪化の可能性もあるんで、もし警察に絡んでる受け持ちの患者がいて対応したことがあったとしても警察の方でもそれは配慮するんじゃないの?

実際にこういうことがあったら大変な問題だし、嘘だとしたら患者さんと治療者の信頼関係を壊す悪質なデマだと思います。

前々からかなり奇妙なことを書いてる方なんで、自分はまたかとしか思えないんですが、具体的にここがおかしいと指摘できるだけの知識がないので、最近警察の動き方や警察医療関係に詳しい方、解説おねがいします。

2008-06-11

モモーイの悲しみとマスコミカメラ

2008年6月8日千代田区外神田中央通りで起きた事件について

http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html

マスコミカメラについて思うこと

http://d.hatena.ne.jp/monaka/20080610/1213108509

社会に対して鬱屈した末、「死なばもろとも」のルサンチマンを抱えた男の破滅的衝動に巻き込まれる形で、たまたま秋葉原に遊びに来ていただけだったはずの人が7名も亡くなる惨事が起きた。

そして、子供の頃から自分の慣れ親しんだ場所が、こんな惨劇の舞台になったことに悲しみを覚え、桃井はるこは献花台に花を供えに行った。

だがそんな心境も、待ち受けていたマスコミにとっては格好の餌食でしかなく、モモーイは悲しみと「思いの伝わらなさ・もどかしさ」をさらに感じることになってしまった。

もっとも今回の大量殺傷事件のような事態が起きた場合、マスコミ関係者、とくにカメラマンなどは、ある意味「ハイ」な状態になっていることは想像がつく。その場合、「報道」という大義名分がそこにある事も手伝って、取材対象者やその周辺に対しては、勢い余って無作法だったり無遠慮な態度をとったりすることが多いのは、今やそれほど業界について詳しくない一般人さえもが知っていることである。

モモーイを悲しませたのは、献花台周辺に張り付くマスコミカメラマンらが、『うわべだけしか追っていない』事実―この場合は『献花をしに来る関係者の図』という構図を撮ることのみしか考えていない―を、いやというほど感じさせたからだ。

話は少し違うが、増田現在、観光カメラマンをやっている。よく観光地などで、風景をバックにしてプロらしき人が観光客写真を撮っている光景を見ることがないだろうか? もっとも、自分が撮る写真マスコミのそれと違うのは、「撮る場合は相手の承諾を得ること」と、「金銭が動く相手が、目の前に居る人であること」だ。そうそう、「撮影に際して相手からの要求があるか無いか」という点もだな。

そもそも、金銭が動く場合はなおさらだが、「まっとうな撮影」をしたいのであれば、基本的には被写体と撮影者の間に“信頼関係”を築くことが必要だ、と自分は思っている。

しかしながら、献花台の周辺にいたマスコミカメラマンの態度に対し、モモーイは“撮る側と撮られる側の信頼関係”を感じる事ができなかった。その裏にはマスコミ側の人間の、あくまで「自分たちが解釈可能な範囲の文脈を報じる」(理解できないものはステレオタイプの文脈に押し込めてしまう)という、おごりとも取れる態度があったことは言うまでもない。

おりしも今回の事件では、電化製品に知識・理解が比較的ある人たちが集う街という特性もあってか、多くの一般人からのマスコミへの画像の提供があったり、またマスコミ以外でも個人で動画中継をしたりした人もいて、その都度「撮る側に倫理感覚はあるのか」といった問題も論じられたりした。

ただ、今回問題となった、献花台周辺での取材のような「緊急性の比較的薄い報道」については、やはり「被写体との信頼関係」を重視すべきなんじゃないのか、とは思う。

2008-06-04

誰からも後ろ指を指されない社内ニートになるための10の方法 追記

http://anond.hatelabo.jp/20080603171436

を書いた増田です。放置して帰ったらたくさんブクマ付いててびびった。

つか、wikipediaで社内ニートって調べてみたら、わりとネガティブなことが書いてあんのね(一般的な定義を知らなかった模様)。それによると「無気力さ」が強調されてるんだけど、オレが述べているのは、ちょっと違う。んでも、リアルニートもオナネタ探し情熱就職方面に傾ければ…とか言われるじゃないですか。「しなくていいことはする。しなきゃなんないことはしない」というトコは基本的に同じなんだけどね。

ブクマコメントでも「仕事してんじゃん」「それ、むしろ優秀」(←貴方は何も知らないから…)と、身に余るお言葉をいただいてアレなのですが、オレの場合ただ、「仕事がしたくない」だけなんだ! というか、うちの仕事とか、みんなの方が多分うまいこと出来るから任せるよ! みたいなアレで。ええ。会社はわりと好き! でも仕事したくにゃい!! そんなダメな大人が、それと気付かれないように策を弄しつつ、ラクして会社での立ち位置を確保している様。それが『社内ニート2.0』ってことでいいんじゃないか。な!「2.0」とか付けると、だいたいそうだけど既存のソレとはちょと違う! みたいな感じが出ていいな。だいたいみんなそんな目的で使ってんでしょ? 2.0


●社内ニート2.0の誓い●

社内ニート2.0は驕ってはならない

頑張っている他の社員のお陰で生かされている存在であると自覚すべきである。

社内ニート2.0は負い目を感じてはならない

自分がやるより、他の社員の方がよっぽどいい結果を導くのは自明の理である。

社内ニート2.0存在感を無くしてはならない

目立つことはないが、社内では独自のポジションを確保すべく暗躍すべきである。

社内ニート2.0は無能を気付かれてはならない

真っ当に頑張っている社員と、同じ土俵で勝負することは絶対に避けるべきである。

社内ニート2.0は喋りすぎてはならない

会議では、終盤に意味ありげな一言だけでいい。後はできる人間勝手に解釈してくれる。

社内ニート2.0は得をしてはならない

ささいな手間なら進んで引き受けろ。その間に面倒なことは誰かの仕事になる。

社内ニート2.0は敵を作ってはならない

味方で有れば己の無能さを看破されることはない。むしろ過大評価してくれる。

社内ニート2.0は気持ちよく仕事を引き受けなければならない

どうしても逃げ切れない仕事は、即決で引き受けよ。その後誰に振るかゆっくり考えれば良い。

社内ニート2.0は自分以外の社内ニートを認めてはならない

会社が養える無能メンはせいぜい自分ひとりという危機感を胸に、やんわりと前線復帰を促せ。

社内ニート2.0はその事実を誰にも知られてはならない

いかに信頼関係にある同期であろうと、己が社内ニート2.0であることは秘中の秘とせよ。


生産性?ないよ!(素敵な笑顔で)

2008-05-17

環境ホルモン再燃か。ビスフェノールAの低用量効果。

詳細がわからないのでとりあえず増田メモ

毎日新聞より。

ビスフェノールAプラスチックの原料、胎児に影響 国立衛生研、ラットで確認

 ◇基準以下でも

 プラスチック製品の原料になる化学物質ビスフェノールAが、現行の安全基準以下でも胎児新生児に影響を与えることを国立医薬品食品衛生研究所(衛生研)などがラットで確認した。厚生労働省は、内閣府食品安全委員会に評価を諮問する検討に入った。【下桐実雅子

 実験では、母ラット5群に、妊娠6日目から出産後20日まで、ビスフェノールAを毎日投与。与えない群も含め、胎盤母乳を通じた影響をみるため、生まれた子の発情期など性周期を約20匹ずつ長期間観察した。

 大人に相当する生後7カ月になって比べると人の1日摂取許容量の体重1キロ当たり0・05ミリグラム、それ以下の0・005ミリグラムと、同40ミリグラム以上の高い量を与えた3群の計5群の子ラットに発情期が続くなど乱れが起きた。

 ビスフェノールAについて環境省は04年、魚類で内分泌かく乱作用が推察されるとしたが、人への影響は認められないとしている。

 衛生研の菅野純・毒性部長は「性周期の異常は、ビスフェノールAが中枢神経に影響を与えたためと考えられる。大人は影響を打ち消すが、発達段階にある胎児子供には微量でも中枢神経や免疫系などに影響が残り、後になって異常が表れる可能性がある」と分析している。

 ビスフェノールAについて米政府は4月、「胎児子供の神経系や行動に影響を与えたり、女子の早熟を引き起こす恐れがある」とする報告書をまとめた。カナダ政府ビスフェノールAを含むプラスチック製哺乳(ほにゅう)瓶の輸入、販売、広告を禁止する方針を示している。

誰も指摘していないようだけど、これの一番の注目点(問題点?)は、「低用量効果があった」ということ。低用量効果については、http:////www.engineer.or.jp/cpd/uneyama.pptなどを参照。記事になった国立衛生研の実験では、40mg/kgの高用量と、0.05mg/kg、0.005mg/kgの低用量で影響が見られたとのことなので、その間の用量では影響は無かったということだ。普通は用量が少なくなればその分、影響は少なくなるのだが、この場合は(中間の用量から)用量を減らしても影響が出る。これは毒性学の常識に反しており、このような低用量効果の存在をめぐって議論がある。欧州食品安全機関や産総研によるビスフェノールAの評価では、低用量効果は否定されており、FDAも同じ意見を持っている。

低用量効果の存在の有無について、低用量効果が無いとした論文企業などから金が出ていることが多く、信用できないといった意見があるが、本当か。しばしば相反する結果を評価しなければならない場合、どのようにするかといえば weight of evidence(証拠の重み付け)といった考え方が用いられる。企業から金が出ているとされた論文は、一般的に、公的なガイドラインに沿った試験法を用いて、十分な匹数(10匹以上)で、熟練した技術者の居る試験機関において、GLPで実施(→データの改竄など不可能)されている。一方、低用量効果があるとした論文は、標準的ではない(しばしば独自の)試験法で、少ない匹数で、「環境ホルモン」が話題になりだしてから実験をはじめたような人たちが、大学などで非GLPで実施(→データの改竄・恣意的な統計処理などが可能)されている。評価にあたって、企業側の出した論文しか評価されないといった批判もあるが、どちらのデータがより信頼できるか考えれば、仕方の無いことだ。企業から金が出ているとされた実験のほとんどは、必要があれば生データを評価機関に提出できるが、大学で行われた研究ではどの程度まで生データを保存しているかは研究者によるのではないか。

企業は「低用量効果がない」ことを証明したいという動機があるかもしれないが、もちろんデータの改竄はできない。それを言い出すならば、大学や公的研究機関のほうも、「低用量効果がある」ことを証明したい動機があって、動物実験につきもののばらつきなどを低用量効果と誤解したり、低用量効果があるはずだというバイアス試験結果に及ぼしている影響もあるかと思う。このへんは信頼関係で成り立ってるんで、フォン・サールみたいに「企業が金を出した研究は信頼できない」って言われると、それは科学論争ではなくなってしまう。低用量効果を言い出したフォン・サールの助言に従って、条件を揃えて別々の機関で追試が行われたが再現されなかった。1998年環境ホルモン国際シンポジウムではフォン・サールから「企業側の試験では陽性対照でも影響が出ていないから試験全体が無効」という反論があった(http://www.southwave.co.jp/swave/7_spe/news_9901.htm)。このときの陽性対象は低用量のジエチルスチルベストロール(DES)で、実験するほうはこんな用量で陽性がでるわけが無いと考えているのだが、フォン・サールが強硬に主張するので入れられたものだ。もし低用量効果が無いんだったらこの陽性対象であるDESでも影響出ないに決まってるじゃんフォン・サールは何を言ってるのか。っていう空気になった。

低用量効果以外の話では、環境ホルモンがらみでは、それは何か意味がある指標なの?毒性学的にどんな意味があるの?といったものも多い。ラットの脳に直接、ビスフェノールA注射投与したら、活動量が上がったので、多動と関係あるかもしれない。とか。そんな研究リスク評価の、何の役に立つの? 環境ホルモンがらみだと研究費がとれるからっていって、本当ろくでもない研究も多いし、税金無駄だと思うがこの辺はいくらでもあげれそうなので省略。

さて、国立衛生研の試験に戻るが、ビスフェノールA胎児期からの投与と、生まれた雌の性周期に関する研究はすでに行われてる。ラットの三世代繁殖試験で性周期も含めた観察が行われ、低用量効果が無かったことが確認されている(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12075117)し、マウス二世代でも同様(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18445619)。国立衛生研の試験とほぼ同様と思われる試験で、ラットの無排卵持続発情状態になるまでの期間も測定している試験がある(http://www.jstage.jst.go.jp/article/jrd/50/3/349/_pdf)が、やはり低用量効果は観察されなかった。これらの結果は現行のADI 0.05mg/kgは安全であることを支持する。

そもそも種類にもよるが、7ヶ月のドンリューラットはそろそろ無排卵持続発情がはじまる時期で、いつはじまるかは個体差によるばらつきが大きい。このような微妙な指標を用いて試験すると、偶然によるばらつきもあるし、そもそもそれがちょっと変化したからってどの程度の毒性学的意義があるかも不明なのではないかと思う。DESの高用量投与では、かなり早い時期から無排卵になることは知られているので、それで実験してみたのだろうと思うが。

人間は、ラットよりもビスフェノールAの感受性が低いと考えられる合理的な理由がある。肝臓でグルクロン酸に抱合され急速に排出されることや、妊娠中のエストロゲン濃度が非常に高く、ラットで影響が出たような量では影響が無いと考えられることなど。

このへんまでが予備知識で、この実験の詳細に関してはやっぱり論文見るまでなんとも言えないな。

ここからは雑談子どもが出来たら、たぶんポリカーボネート製の哺乳瓶を使うと思います。軽いし丈夫だし。でも、もしかしたら、ポリカーボネート製の哺乳瓶なんて無くなってるかもしれないな。塩ビみたいに。

2008-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20080515143541

まさか御大が死んだのかと思ってすっとんできたけど

御大がお隠れになったら、水木神社を作って妖怪として祀るべき!と思ったらもう水木神社ってあるんだなw

さすが現人神、いや、現代の生き妖怪

高くて買えないからという読者の手紙に本を送ってくる水木先生って、いい人なんだか気まぐれなんだかよくわからない。そんな子供、世の中には沢山いるのに、全員に送りつける気だったのかな…

それまでの手紙やりとりがあって、信頼関係じゃないけど、そういうのがあるから送ってくれたんだろう。

で、元増田もその期待にこたえたわけだから偉いよな。

2008-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20080502031437

いや、その信頼関係が築けなくなったから別れたわけで。

でも、ありがとう。またそういう人にあったら、気をつけるよ。

関係ないけど、あー、元彼女に、何言っても信じないんだろう?って言われたなあ。

信じる信じない以前に、謝罪するべきところを大きく間違ってる時点で、

もう何も言う気がなくなったんだけどなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20080502013216

そもそも、フェミニズムの目指すところは、権利の「拡大」であって、

「男と同じになったところでやめます」なんて、どこにも書いてないぞ。

なにか、変な期待を抱いてたみたいだけれど、

あれは、男のために何かしてくれるようなもんではない。

俺の妻も、学生時代、フェミニストだって自称してて、

俺も、とりあえずなんでも平等にすればいいんだろう、と安易に考えてた。

だけど、実際に五年、十年とつきあっていくと、それは大変な間違いで、

人間というのは、とても理屈では割り切れなくて、

相反する欲求が併存して、当たり前なんだ、ということがよくわかった。

フェミニストだけど、かわいい洋服かってもらって、美人といわれたいとか)

最初はね、元増田と同じように、なんだ思想的に徹底してない奴め、と

勝手に憤慨したけど、そのうち、これが自然だなぁという気分になってくる。

こっちも、そう偉そうなこといえる資格ないぞ、ってわかってきたし。

あなたの詳しい事情を知らないから、何ともいえないけれども、

フェミニストと付き合う場合、思想とかステロタイプとか、

そういう枠組みをとっぱらった地平で、おたがい一個人として信頼関係を築く努力をしないと、

いずれ行き詰まってしまうと思う。普通の男女関係でもそうかもしれないが、、

2008-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20080426161116

ポルノコンテンツとか風俗関係サービスは、基本的にセックスするまでの信頼関係を結ぶプロセスをすっ飛ばしたものなのは確かだ。

幼馴染とかメイドのように最初から一定の好意が期待されているような関係男性向けのコミックゲームに多いのも事実だろう。

そりゃホストクラブだとか執事カフェだとか女性向けのそういったプロセスをすっ飛ばしたものも存在はする。ただ、全体としては男性向けのものの方が圧倒的に多い(需要度が高い)ので、女性向けにもそういうものはあるといって相対化をしてみせるのはさして意味がない。

ポルノコンテンツじゃない映画なり小説なりドラマなりだと、プロセスの部分もきちんと描いてあることが多い。

そういうものを鑑賞していれば普通はそうはバランスの悪い考え方にはならないのではないかと思う。

しかし、昨今の思春期少年には、そういった映画なり小説なりドラマなり、ヘタしたら少年向けの少年漫画であっても鑑賞しない輩がいるようだ。

それでも性的なものには興味があるので、アダルトビデオだのエロマンガだのには手を出す。

そこで描かれているのは、通常プロセスをすっ飛ばした世界だ。

異性関係テキストとして参照するのがそういうポルノコンテンツしかないと、どうなるか?

見ず知らずの他人/単なる同級生レベルから徐々に段階を踏んで親密度を上げていくやり方が分からないということになりはしないか?

ここで、女性との距離の詰め方が分からないという非モテの主張が思い出される。

いわゆるDQN向けの雑誌なんかだと、プロセスを踏んでいくためのライフハックが紹介してあったりする。

しかしDQNを専らバカにしてる非モテがそういうものに手を出すのは想像しにくい。

スイーツ(笑)と言って流行りものに背を向ける層であれば、スイーツ(笑)が好きそうな、恋愛が描かれている映画だの小説だのドラマだのもバカにして見ていないだろう。

かくして彼らは自らの選択で、女性との距離の詰め方を知る機会を放棄する。

相手から積極的にコミットしてもらえないとどうにもならない受け身体質になる訳だ。

別に受け身だって悪くはないが、関係構築の方法を知らない/知ろうとしない態度は、彼らに対して積極的に近づいてこようとする女性にとっても、彼ら自身にとっても、あまり幸福なものではないように思われる。

感動系のエロゲをやって感動している層が時として失笑されるのは、映画だの小説だので描かれている人間関係の機微を相当劣化圧縮したようなレベルの内容について感動していることから、そういった普通教養がないのが見透かされるからだ。

こういうことも、異性関係テキストとし参照するのがほぼポルノコンテンツのみという層が実在することの証左ではないだろうか。

ポルノコンテンツのみ参照している場合、プロセスの進め方が分からないという風になることもあれば、プロセスを踏む必要性を感じなくなるという危険性もあるのではないだろうか。それが痴漢・盗撮等の「気軽な性犯罪」が蔓延する土壌になっているということはないだろうか。

ポルノコンテンツゾーニングは「分別のつかない未成年が信じ込んでしまって性犯罪を犯す」ことの防止策としては実質無意味ではないかと思う。恐らくそれに18禁ラベリングしてあるだけで、思春期少年は躍起になってそれを入手しようとする。そういうものだろう。ポルノコンテンツを進んで見たいと思わない、目にすると不快感を感じるという層にとってはゾーニングは有効だとは思うが。

恐らくゾーニングと共により必要なのは、思春期少年に対して、女性プロセスを踏んで信頼関係の構築をすることの必要性、そして実際の関係構築のやり方を正しく伝えるコンテンツを提供することなのではないだろうか。

2008-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20080405222927

丁寧なアドバイス、有難うございます。

非モテが食事やデートに誘われて、まず頭に浮かぶのは「プゲラ

なんかウラがあるんじゃないか、もしかしたら今は本気でそう思ってくれるかもしれないけど、あとで失敗や失望が待ってんじゃないか。

もしがんばって食事してみて「やっぱこのひとつまんない」って思われる可能性があるなら最初からなかったことにしたい

そう思われているというのは、なかなか辛いですね。疑われてるってことですもんね。でも、そんな風に考えてるんだったら、強引に誘って、そんなことないって力いっぱい否定してあげたいけど。

自分も自信がないし、疑心暗鬼になってるだけだからそのつもりで行けばいいのか、実はそんなの関係なくて単に自分じゃ駄目だと思われてるだけなのか。疑心暗鬼の方だと思って押せ押せで行って、実は違ったりしたら、大勘違いの超迷惑人間ですよね。

あと将来の失敗が絶対にないかと言われたら、もうそれはなんとも言えないです。非モテに惹かれるくらいだからある程度の覚悟は出来てるけど(普段の付き合いで大体分かってるし)、この先もずっとないかと言われたら、保障出来ないです・・・・・・非モテは箱入りお嬢様より敷居が高いです。最初のデートに誘うときに「お嬢さんを一生幸せにします」を要求されるんですから。

・・・・・・でも本当の理由は相手のせいじゃないです。自分が駄目なんです。自分が歪みがあるから、普通の人には釣り合わない感じがして、でも1人は寂しくて、同じように捻くれている人ならと思って近寄ってるだけなんですよ。ここが後ろめたいから、押し切れないんでしょうね。こんな理由、本当に失礼ですよね。

増田さんが本気で非モテにアプローチする気だったら、じっくり時間かけてがっちりした信頼関係の構築からスタートするのがオススメ

友達としてはもうずっと近いつもりでいるんですけど、みんなといるときはわいわいやってても、二人になるのは避けられたりして、やっぱ警戒されてるのかな。このまま時間をかけて、なんとかなるのかな。友達としては相当近い方で、これ以上詰めるのも不自然な感じなんです。

あーでもやっぱり、そういう風に避けておきながら、目の前で「非モテ」とか言われるのは納得いかないです。

[]新年度なので、これからよくわかりたいOpenIDについて

##はじめに

 →OpenIDが仮に広まった未来には、サービス事業者がユーザ個人情報をどれだけ持つのが適正なのかを考えられるようになりたいよ

  • 今回整理している内容が事実と違ってることがあったら、速効おしえてちゃん!!

##OpenIDを利用したサービスは、将来オープンOpenIDプロバイダを受け入れることができる?

OpenIDを受け入れる、ということは「特定ではないIDプロバイダによって認証」されたユーザサービス事業者は受け入れるということになるよ。

※以下サービス事業者の例を、わかりやすくするために京都発のWebサービス提供会社はてなさん(以下はてな)にするよ

ここでいう「特定ではないIDプロバイダによって認証」というカッコ書きについて整理しておくね。

これ、逆に言うとこれまでのサービスって、はてなも勿論そうだけど「特定されるIDプロバイダによって認証」が行われていたんだということになるよね。

例えば、はてなというサービスにエンドユーザ増田が、はてなIDパスワードでもってログインを行う場合は、

増田はてなサービスはてな会員管理システム(これもはてなの一部だけど)の3者関係で考えると、

増田はてなサービスを利用するためにログインすると、はてなサービスは、はてなの会員管理システムに僕が僕であるためのIDパスワードを問い合わせして

はてな側に僕だよ、っていうことを認証、そしてサービス利用の許可(認可)していたわけだよね。

これまでの

はてなサービスはてなの会員管理システムで認証する、というお決まりのやり方を

はてなサービス→「特定ではないIDプロバイダによって認証」もOKにしちゃう!

っていうのがOpenIDの基本的な考えだと思ってるよ。

つまり、はてなに対してみんな大好きなmixi渋谷区)のゆるふわIDパスワードOpenID認証しちゃえ!ていう感じ。

OpenIDと呼ばれるもののコアなところって、この自分じゃない余所様でログインをさせるにあたっての

通信の決まり・振る舞い方についての仕組みとかのことなんだね。

認証機能の委譲、なんて難しい言葉で言われてもバカな僕にはわかんなかったから、とりあえずこんな感じで整理してみたよ。

でもね。増田自身がはてなの立場になって考えてみるとこう思うよきっと。

他所のプロバイダさんに認証をお願いしたら、、、

「コノ人確カニ○○○君!ザッツヒム!イッツOK!!」ていう怪しげな応答があったとしてもさ

「うちは京都サービスさかいに、妙ちくりんな英語まじりのプロバイダさんの言うことなんか信用できまへんなー」

自然と思ってしまうよきっと。これがひいてはOpenIDプロバイダの評判問題ってやつにつながる話だね。

あと、じゃあOpenIDプロバイダの認証結果は信じることにしたとしてでも今度は

「まーmixiさんところが認証OKてゆなら確実でっしゃろう?遠いところからよくきはりました。

どれ、アンタうちでもサービス使わせてやるさかい...あれれ?君、うちでいうところのid:誰くんでしたっけ?」

なっちゃうねーやっぱり。。これが認証と認可(属性情報交換)に関わる問題てやつだよ。

うーん、ちょっと自分自身にとってもムツカシくなってきたなぁ。もう少しわかりやすく書くね。

上の話ははてな子ちゃんが自分の会員管理システムログインさせない(外の会員管理システムログインする)ことにより、

自社のサービス提供では当たり前にできていたことができない、という問題が2つ出てきたねーということだよね。

1. 「あなた(Openプロバイダ)の認証、あ、あたし。信じていいの?ゴクリ・・・」

という信頼関係について。

2. 「あなた(エンドユーザ)は彼(OpenIDプロバイダ)に認められた人だから、アタシも、が、がんばって信じる!…けど、○○○君(エンドユーザ)のことをもっと知る必要があるの。。。」

という(エンドユーザの)認可・(OpenIDプロバイダからの)属性情報の受入(交換)について。

うー、あれ?

はてなスターではこの2つの問題をどうしているの?って思う人は多いよね。

たぶんはてなスターOpenID対応しているっていうのを聞いたことがあっても、実際にやったことある人は少数派じゃないかなまだ。。

じゃあこっからははてなスターを例にとって説明するよ!

詳しくは下のリンクの説明通りなんだけど、

http://www.hatena.ne.jp/info/openid

今回増田が問題としている2つについてはてなスターの機能はどーなってるの?ていうのを整理すると

1.「OpenIDプロバイダとの信頼関係について」=「フレンドプロバイダのみ認証OK!」(いわゆるホワイトリスト

2.「(エンドユーザ)認可・(OPとの)属性情報交換」=OpenIDユーザ名でスターがつく

という対応をしているみたい。

※ちなみにこの記事書くにあたって増田ははじめてOpenID経由ででスターつけてみたよ!!

つまり、

1.の信頼関係については、Livedoorなど数社のOpenIDプロバイダのみを受入OKにしているし、

2.の属性情報については、OpenID認証を行う際に必要なOpenIDプロバイダ側の「ユーザ名@OP名」でスターがつくだけ

  →なので属性情報交換などはほぼゼロだよね、って感じだったよ。

1.は、

「なーんだ。Open何とか言っておきながら内輪でのID連携かよ。うちも一応OpenIDプロバイダたててんだよ?え?無理?うちみたいなチンケなプロバイダは無視ですかそーですか」

みたいな中小企業のボヤキが聞こえてくるくらい全然Openじゃなくすることで一方での

はてな子ちゃんにとっての問題=「あなた(Openプロバイダ)の認証、あ、あたし。信じていいの?ゴクリ・・・」問題を回避しているということになるよね。

2.についてははてなスターはほぼガン無視を決め込んでいるのが今回よくわかりました!

今回増田がためしにOpenID認証経由でスターをつけてみたんだけど、

あのー、、増田も一応こうして増田をやっているので一応はてな市民であって、「あいでぃー:xxx」みたいな立場ではあるじゃないですか。

なのに、LivedoorIDでスターつけちゃったら「あいでぃー:xxx」でスターつけたことにならない><!(※)ので、

うーん、、ちょっとこれは深刻な機能不足だなーと思った次第ですー。いや?いいのかこれでOpenIDとしては。微妙だなぁ・・

(※)

だって、増田idhttp://s.hatena.ne.jp/xxx/starsでスターが反映されない

あと<増田のLivedooeのアカウント名>@livedoor のスターのカウント(上のhatena/user/starsに相当するページね)はどこにいったのだろう??

でもさぁ、

はてな子ちゃんの立場はそれはそれでよくわかるのよね。

いまいまのOpenIDセキュリティレベルでは、どこの馬の骨ともわからん奴にあなたのことについて

情報の連携を行ったりとか危険すぎるしね。しょうがないよね?

※ほんとは、はてなの「あいでぃー:xxx」とLivedooridがSocialに結びついてくれて、

自動的にhatenaidでスターをAddしたことになればいいんだけどねー。でもそれじゃあはてなIDログインしろってことと変わらんかー。

とも思うし難しいなぁこの辺。

こういう問題があるOpenID界隈では、でもこれらの問題について色々知恵を出し合って解決しようとしている

人もいるみたい。サイボウズのzigorouさんとか、他にもいっぱいいらっしゃるけど、皆さんすごいがんばってるみたい!すごい!

増田個人は、

1.については各OpenIDプロバイダIDを利用するサービス(Ryling Party)それぞれのホワイトリスト

Socialに連携/公開されてグラフになってエンドユーザが利用できる・できないの仕組みになるのがいいのかなー、

と思っていたりするよ。DNSみたいな公開されて相互利用できるよな仕組みがあればいいのかなー。

2.については属性情報の仕組みとしてはAXとかsregとかあるけど、要は使い方でリバティ・アライアンスの頃からしきりと言われているらしい

「串刺しにした」サービスの連携のためにどう属性情報流通させるのか?SSO連携が肝だよねー。とか。

また属性情報流通させるにあたってのその情報粒度は?っていう話を詰めなきゃいけないんだろうなー、というレベルぼんやり中です。

もう少し↑について知識・考えついてきたら、またまとめてみたいです。じゃあまたね!!

2008-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20080405001246

増田も書いてるけど、非モテが食事やデートに誘われて、まず頭に浮かぶのは「プゲラ」だと思うんだ。

もうほんとに「確実」に「安心」できる相手じゃないと行動に起こすのムリ。マジで。いやほんと。

なんかウラがあるんじゃないか、もしかしたら今は本気でそう思ってくれるかもしれないけど、あとで失敗や失望が待ってんじゃないか。

もしがんばって食事してみて「やっぱこのひとつまんない」って思われる可能性があるなら最初からなかったことにしたいくらいなんだよ。

疑心暗鬼w。石橋叩いて大抵渡らないw。だいたいそんなだから非モテになるんだけどさw。

人並みの勇気や気風があったら多少ブサでも非モテになんかならない気がする。

勇気ないやつは、ブサじゃないのに非モテってのたくさんいるよ。

増田さんが本気で非モテにアプローチする気だったら、じっくり時間かけてがっちりした信頼関係の構築からスタートするのがオススメ

2008-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20080322134603

女たちが求めている「打算のない信頼関係」を男は男にしか与えず、自分達には「不純な恋愛感情=性欲処理」しか与えてくれないから男と男の関係を欲するわけか。

女の男への愛情は性欲というよりは「打算のない信頼関係」に近いものだからな。

(勿論そうでない場合もたくさんあります)

2008-03-06

ペニス」「ヴァギナ」

性教育ネタが出てきたので、俺も一言。

なんていうかさ、思春期頃になると学校性教育みたいなのをやるんだけどさ、

教えるときに、なんでか、

チンポ」と言わずに「ペニス」といい、「オマンコ」と言わずに「ヴァギナ」というんだ。

いやいや確かに、学校先生オラオラセイヤセイヤチンポチンポ言ってたら嫌だけどさ。

でもさ、なんでわざわざ言い換えるの?

やっぱ根底には臭い物には蓋、性表現には代替表現、的な思想があるのかな。

それにしたって、自分にも付いているモノの名前を、今更聞いたこともないカタカナ語で言えっていうのは、

性に対して、自分も性と付き合っていかなければならないっていう当事者意識ってものが芽生えないんじゃないの?

当事者意識を持たせることこそが性教育目的だしょ?

なんだかなーって思う。

せめてカタカナじゃなく、学術用語の陰茎とかつかえよと思う。

あと、セックスの相手のことを「パートナー」っていうんだ。「パートナーとしっかり信頼関係を築いてから云々」みたいに。

ああ、ごもっとも。セックスの相手はパートナーだ。

だけどさ、ここも「彼氏彼女」とか、婚前交渉アレってのなら「夫婦」って言えばいいのに、

なんでわざわざパートナー

ペニスチンチンのことです」くらいは言ってると思うんだけど、

おそらくパートナーについては、「夫婦とかね」という説明はない。

彼氏彼女夫婦以外のセックスってのは、いちおう社会的には不倫とか浮気って言って禁忌なものでしょう。

そういう禁忌セックスを含むパートナーっていう言葉を使うのはどうなのよ。

何にも知らない子(建前かもしれんが)に教える最初だよ最初。

※追記

なるほど、同性愛者のことを含むのか。それなら納得。

2008-02-26

落ち度を責めたがる人

香港俳優エディソン・チャンがH画像流出の責任をとって引退するという宣言をした事件のこと。

この件は、盗撮ではなく、あくまで当人同士が合意の上で撮影した画像に関する事件だ。

しかも流出の原因は、パソコンを修理に出した際に、ハードディスク内に保存していた画像が持ち出されたというもの。

非は完全に、画像を持ち出して流出させた人間にある。

エディソンは、画像の扱い方が迂闊だったと謝罪しているが、一般人なら壊れたパソコンを修理に出すのはごく普通の話だろう。

彼も、一緒に写真に写っていた相手も、一方的な被害者だ。

にも関わらず、本件では、合意の上でそのような写真を撮影したことが「落ち度」として非難される理由になってしまっている。

一緒に写っていた女性バッシングを受けている。

なぜ、明らかな被害者バッシングを受け、謝罪会見を行わなければならないのか。

思うに、こういう場合に「落ち度があった」と責めたがる人は、本当はその「落ち度」とされる行為をしたいけど我慢しているか、もしくはその行為を「落ち度」であるということにしてつけこみたいという人なのではないだろうか。

「落ち度」とされる行為に対して特に興味も関心もなく、したい人はすればいいのではないかと考えているような人であれば、わざわざ指摘して責めるモチベーションを持たないように思える。

ナンパについていくような女は強姦されても仕方がない、と考えるのも間違いだ。ナンパも暫定的ではあってもあくまで合意のある関係であって、強姦とは一線を画す。ある意味、そういう信頼関係があるからこそ、成り立ってる文化だから。そういう文化の中では信頼できると思った相手についていくのは別におかしな行為ではない。そういう文化に馴染まない人からみたら奇異な行動に見えて、だからこそ余計に批判の対象になるんだと思うけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20080216134216

 この事件で検察官はこう主張しています。「被告人はそもそも売春行為を業としており、被告人にとっての抵抗感というのは……通常の女性が見知らぬ男から同様の行為を受けた場合とは質的にまったく異なるものである」

 つまり、ナイフで切られ縛りあげられ、身の危険を感じるような暴行を受けたときも、貞淑な婦女とそうでない女では感じる恐怖心も違うだろうというわけです。

 また、一審の判決では、「いわゆるホテトル嬢として見知らぬ男性の待つホテルの一室に単身で赴く以上……あえて被害者の求めに応じてホテルに赴いたという意味では、いわば自ら招いた危機と言えなくもなく……」と述べられています。

第41回 レイプ被害を考える その4 被害者なのに「貞操」が問われるなんて。「池袋事件」は、あなたへの差別です - オンナの技術 | カフェグローブ

2008-02-21

相手の立場になって・・・

http://anond.hatelabo.jp/20080221185702

・・・なんて言ってるヤツは、ホント小学6年生並みの偽善者。

男と女の間の愛情だの信頼だのが永続的なものだ、確かなものだ、なんて考えが間違ってるかもしれないっていう想像は働かないのかな?

信頼を裏切る?責められて当然?

愛情が冷めた(相対的にね)っていう事実は、相手の信頼を裏切る行為かどうか?

愛情が冷めてもそれを相手に伝えずに自分の気持ちを押し殺してそのまま結婚に向かうことが、相手の信頼に応える行為なのかどうか?

愛情が冷めることはハタシテ責められるべきことかどうか?

  • 一時の気の迷いかどうかを試すためにひそかに新カノと付き合い始める、ダメだと判れば現カノに戻ってくる   

・・・というのと

  • フタマタは倫理に反する!ドートク的じゃない! といって現カノに一旦別れをつげ新カノに走り、結果として現カノに戻る  

・・・という行為のどちらが現カノにとって優しい行為なのか?

あんまり考えずに偉そうに言ってるんだろうなぁ・・・

やっちゃえやっちゃえ、って言ってる人は、

自分がやられたらどうだろう?って考えてみたらいいんじゃないかな。

信じてたものに突然裏切られる。男女の仲を神聖視しすぎっていう問題じゃなくて、

相手からの信頼を裏切る行為については当然責められていたしかたない行為だと思うよ。

あと、一時の自分の感情を信用しすぎ。

新しい彼女への気持ちは「気の迷い」ということも十分考えられます。

本当に6年間の愛情信頼関係を反故にして裏切ってまで手に入れたいものか、

頭を冷やして考えればいいと思う。

想像力がない

やっちゃえやっちゃえ、って言ってる人は、

自分がやられたらどうだろう?って考えてみたらいいんじゃないかな。

信じてたものに突然裏切られる。男女の仲を神聖視しすぎっていう問題じゃなくて、

相手からの信頼を裏切る行為については当然責められていたしかたない行為だと思うよ。

あと、一時の自分の感情を信用しすぎ。

新しい彼女への気持ちは「気の迷い」ということも十分考えられます。

本当に6年間の愛情信頼関係を反故にして裏切ってまで手に入れたいものか、

頭を冷やして考えればいいと思う。

2008-02-18

Re: http://anond.hatelabo.jp/20080215043933

そしてついていったからといってかならずしも危険な目にあうわけじゃない。そうでなかったらナンパ文化が存続するはずがない。ナンパについていくような女は強姦されても仕方がない、と考えるのも間違いだ。ナンパも暫定的ではあってもあくまで合意のある関係であって、強姦とは一線を画す。ある意味、そういう信頼関係があるからこそ、成り立ってる文化だから。そういう文化の中では信頼できると思った相手についていくのは別におかしな行為ではない。そういう文化に馴染まない人からみたら奇異な行動に見えて、だからこそ余計に批判の対象になるんだと思うけれど。

相手を信頼できると思ったけどレイプされたなら、思慮が足りなかった、と言われても仕方がない。

ナンパについていくというのが、ついていかないことに比べて危険度が高いのはバカでもわかる。

それについて行くということは楽しみを得るためにリスクを犯すということ。

退避勧告を無視して紛争地域に突っ込んでいくのと一緒だよね。

「大丈夫だと思った」なんて言葉になんの意味もない。

2008-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20080215043933

あなた自身もそう書いているけど、「女性女性である限り性犯罪の対象となり得ること」は、親から教えてもらわなくったって自分の身を持って知ることだと思うんだよな。

そしてそれを知ったからといって「防げるようなものではない」。

道を歩いていたら通りすがりに胸を触られる、通学で電車に乗っていたら痴漢にあう、こういったことは、非常によくあることだけれど、こんなのを防ぐ方法なんて存在しない。被害にあうのに服装なんて関係ないし、人がいない道を絶対に歩かないようにするなんてことは不可能だよね?

仮に、電車にも乗らない、外は一切出歩かないという(ありえない)生活にしてみたところで、家にいたって安全な訳じゃない。女性が一人で家にいるところを狙って進入してくる輩もいるわけだから。

そもそも、催涙スプレーの携帯は、何の「防止」にもなってない。携帯してたところで、痴漢にはあう(実際あなたもあっている)。犯罪被害にあった時に相手に対してとれる防衛リアクションのひとつというだけで、しかもそれも相手に奪われて逆に使われるリスクがあるものだから、実効性があるかどうかは怪しい。

では、「知らない人についていかない」は?そもそもついていった人たちはなぜ相手についていったんだろうか?それは相手と実際に話をして相手のことを信用できると思ったからじゃないだろうか?小学生を連れ出す時だって「お母さんが事故にあって病院に運ばれたからお母さんのところに連れてってあげる」というような言い方をする。見知らぬ人=話の通じない人じゃない。むしろ話が通じる(と思える)人だから、ついていくんだ。この人は自分に危害を与えないだろうと思うからついていくんだ。

そしてついていったからといってかならずしも危険な目にあうわけじゃない。そうでなかったらナンパ文化が存続するはずがない。ナンパについていくような女は強姦されても仕方がない、と考えるのも間違いだ。ナンパも暫定的ではあってもあくまで合意のある関係であって、強姦とは一線を画す。ある意味、そういう信頼関係があるからこそ、成り立ってる文化だから。そういう文化の中では信頼できると思った相手についていくのは別におかしな行為ではない。そういう文化に馴染まない人からみたら奇異な行動に見えて、だからこそ余計に批判の対象になるんだと思うけれど。

結局悪いのは性犯罪を犯す人。被害にあったのは、運が悪かった人。それだけのことにすぎない。

戸締りをしてなくて窃盗にあうという例がよく防犯の例として挙げられるけど、そういう意味では、性犯罪を犯そうとしている相手にとっては、女性女性であるというだけでみんな戸締りをしていない家なのだ。無数にある戸締りをしていない家の中でそこが侵入先として選ばれたのは、まさに運でしかない。

2008-02-02

信じてもらいたくないし、俺、人を信じてないもの。俺はね、

44分12秒

人を信じようとしてたんだ。

俺も、あの信じてもらいたくないし、俺、

人を信じてないもの。

俺はね、

だいたいそれの方が楽よ。

●がもぉ人を信用することが出来なくて。。って言ったら

▲がなんで人を信用するの?信じようって思わなきゃいいぢゃんって言ったの。

確かに無理に信じようって思わなくてもいいかなぁって思った。

だって信頼関係って自然に成り立つものだと思うから♪〃(o^-^o)

そぉ思ったら気が楽になった★彡

だから今年ゎ頑張ります(o^-^o) 続きを読む

2008-01-11

友人関係を長持ちさせるコツは

男女限らず、友人が友人関係を維持するためのルールが一つあって、それは「貸し借りを作らないこと」だと思うのだけれど、最近は違うんだろうか。と世代論に持ち込むのはあれなので、まあそうじゃない人もいるのねという無難なところに落ち着くわけだけど。

貸し借りを作らないというのは、なにも金銭関係に限った話ではなくて、だから、あの時世話になっただとか、そこまで大げさな話ではなくても、小さな理由があって奢るというのはすごく納得がいく。それは借りを返す行為だからだ。だけど理由なしの奢り奢られと言うのは僕の感覚からすれば少し気持ち悪い。

なぜ理由なき奢り奢られが気持ち悪いかを自分なりに分析してみるに、それはわざわざ借りをつくってそれを返却する事により信頼関係を築いているような気がするからだと思う。なんていったかなー、贈与の過剰化みたいな用語があったと思う。もちろん当人がそういう意識のもとその行為を行っているとは思わないけれど。

2008-01-10

八方美人になると生きることがつらくなる

  動物カメレオンを知らない人はいないと思いますが、カメレオンの本来の色はいったい何色なのでしょうか。 これを考え出したら、眠られなくなってしまいそうです。 どこかの漫才コンビではありませんが、トンネルはどっちが入り口で、どっちが出口なのでしょうか。 卵が先なのでしょうか、鶏が先なのでしょうか。 なにも、ふざけているわけではないのです。 このことは科学的にも、解明されていないことだそうです。 だから悩まなくてもいいのです。

  ここで言いたいことは、「八方美人にはなるな」と言いたいのです。 このことは別のところでも書いたと記憶していますが、もう少し詳しく考えたいと思います。 カメレオン保護色の動物であり、自分の身を守るために周囲の環境に合わせて自分の皮膚の色が変わるのは周知の事実です。 色を意識的に変えるのか、自動的に変わるのかは分かりませんが、とにかく生き残るための知恵として保護色という道を選択したことになります。 「生き残るため」ということが重要なのです。 このことを人間生き方で考えてみると、八方美人的な生き方に当てはめて考えることができると思います。

八方美人  …  ?? どこから見ても欠点のない美人

?? だれに対しても如才なく振る舞うひと

  ここでは??の意味で用います。 人はなぜ八方美人になるのか。 このことを心理学的に分析すれば、いろいろのことが教えられると思いますが、このホームページ心理学のためのホームページではないのでその分析は割愛します。

  人はなぜ八方美人になるのか。 それは本人は意識していなくても、根本カメレオンと同じではないでしょうか。 自分が生きていくためには、八方美人になることがいちばんいい(楽な)生き方だと判断したからだと思います。 しかし心の奥底までも、八方美人になることを容認しているのでしょうか。 ここからは、なぜ八方美人になるのか、その理由を私なりに述べてみましょう。

自分に自信を持たないために、他人と同じ考え方をした方が楽に生きられる

相手に嫌われないために、心ならずも相手に同調や妥協する

自分に自身が持てないので、多数のひととは異なった意見を持つことが不安である

他人と妥協することが協調だと誤解している

ひとと争いたくないから、相手に妥協する

自分なりの生き方や考え方がないから、相手に合わせざるを得ない

相手が怖いから、相手に合わせて難を逃れようとする

相手と議論する理論勇気がない

小さいときから親に他人とは争わないようにしつけられた

   ・ 親子共々、人生には争いごとが避けられないということが分からなかった

   ・ 「争う」という言葉意味を誤解してしまった

職場では八方美人になることが出世の早道だと考えた

八方美人になれば、だれも自分を攻撃したり、非難することはないと考えた

  このような理由が複合的に重なり、八方美人になることを選択したのだと思います。 しかし、ここからが重要なことなのですが自分の身を守るために八方美人になったことが、自分の生き方を苦しくするということをぜひとも理解して欲しいのです。 なぜそうなるのか、そのことを説明します。



  これは前にも書いていることなので繰り返しになるとは思いますが、とても重要なことなのでもう一度書きます。 八方美人は、すぐにだれとでも妥協するので基本的には敵をつくることが少なくなることは、その通りだと言えます。 八方美人になる人が勘違いしていることは、敵が少ないことは味方が多いことと思いこむことです。 結論を先に言えば、八方美人は敵もつくりにくいかわりに、味方もつくらないということです。 敵が、あるいは自分と意見を異にする人が少ないということは、とりもなおさず自分に味方してくれる人も少ないということです。 これ本当ですよ。  自分に味方してくれる人が少なければ、その人の生き方自然に苦しいものになってしまうということです。 もっと分かりやすく言えば、自分が苦しいときに助けてくれる人が少ない、あるいはいないということになってしまうのです。 なぜそうなってしまうのでしょうか。

  八方美人はだれにでもいい顔をするので、相手にしてみれば八方美人はなにを考えているのか分からなくなってしまいます。 相手がなにを考えているのか分からなければ、表面的なつき合いはできても、大切なことは相談できないということになるではありませんか。 ここぞと言うときに八方美人はだれからも信頼されない理由はここにあるのです。 自分の身を守るために、あるいは相手に信頼してもらおうとして八方美人になったのに、結果としてはだれからも信頼されなくなってしまうのです。

  これは私の持論ですが、味方が欲しければまず自分の意見を明確に述べて、敵(自分と意見を異にする人)をつくることです。  あえて自分と意見を異にする人をつくりだすことが、味方をもつくり出してくれるのだと思っています。 敵をつくるということは、好きこのんで喧嘩をすることとは違います。 相手と議論を尽くせと言うことです。 議論をつくせばお互いの意見の相違が明確になり、自分に同調する人と反対する人とが必然的に別れてくるということです。 そのことが本当に信頼を勝ち取るということではないでしょうか。 信頼を勝ち取るためには、自分の立場や意見や考え方を明確に訴えるしかないのです。 妥協の中からは、決して信頼は生まれてきません。 妥協の中から生まれてくるものは、「馴れ合い」だけです。 日本のような談合社会です。

  普通は自分の意に添わない人に、好意を持つ人は少ないのです。 そのような人は自然と自分から離れていきますが、逆に自分の意見共鳴する人は集まってきます。 そのようなひとと信頼関係を結べれば、それでいいのです。 だれとでも仲良くしようということ自体が、もともと無理な話なのです。

  お互いの意見の相違を認め合ってこそ、協調できるのです。 このような考え方は、日本人には理解しがたいことのひとつではないでしょうか。 日本人の一般的な考え方からすれば、考えの違う人とは協調することは不可能だと考える人が多いのではないでしょうか。 多くの日本人の考えている協調は、協調ではなくて妥協ではないでしょうか。 妥協とは「馴れ合い」と言い換えてもいいでしょう。 ここのところは、日本特有の「和の精神」と深く関連していると思います。 「和の精神」については、機会があれば書いてみたいと思います。

  八方美人は相手に気に入ってもらうために、絶えず相手の動向に気を配る必要があります。 そして相手の考えが変われば、自分の考え方も変えなければならないのです。 そうしなければ相手に気に入ってもらえず、いままでしがみついていた人から捨てられてしまうからです。 相手の出方次第によって自分の考え方も変えざるを得ないから、結果としてだれからも信頼されなくなるのです。 当然心の安らぐこともなくなってしまいます。 だから八方美人カメレオンと同じだと言えるのです。 敵から身を守るために心ならずも周囲の考え方に同調した結果が、自分の身を滅ぼしたり、自分の生き方を苦しくしてしまうのです。 なんと皮肉なことなのでしょうか。 この事実に気がついただけでも、人生は大きく変わるはずです。 自分のいままでの生き方を振り返ってみて、思い当たることはありませんか。 なければ、その人は幸せ生き方をしていると言えます。 

  私などは、若いときに相手の意見に反対しないことが生きる知恵だと思って、苦しい生き方をしてしまったと反省しています。 反省するからこそ、いまこうして一人ひとりに訴えかけているつもりです。 でも自分の意見を明確に発言することは、とても勇気のいることなのです。 これも日常のささいなことの訓練の積み重ねで可能になるでしょう。 

  よくレストランなどに仲間で行ったときに、注文する段になって相手と同じものを注文することも多いのですが、このようなささいなことが大切だと思うのです。 自分も本当に相手と同じものを食べたくて同じものを注文したのであれば問題はないのですが、ほかに食べたいものがあったのに相手に合わせるために同じものを注文したのだとしたら、考え直す必要があると思います。 次回からは自分が本当に食べたいものを注文してみましょう。 そうすれば、いつも食べているものでも、いつもとは違った味がするでしょう。

    本当の自分を押さえ込んでいては、幸せにはなれないのです。 自分のしたいこと、言いたいことを率直に表現することからはじめましょう。 これはなにをしてもかまわないとか、なにを言ってもかまわないということとは次元の違うことなのです。

  八方美人になることは本当の自分を押さえ込むことになるので、相手からみると明るく見えていても、自分の心の底では自分を偽っていることは隠せないので、いつも気持ちが晴れないはずです。 心の底の自分と現実の自分のしていることが矛盾していれば、いつかは心に破綻を来たし精神症にかかってしまう可能性も大きくなるでしょう。

  相手に取り入るために八方美人になったのに、相手にとって自分が用のない存在となれば真っ先に見捨てられてしまうのです。 相手につくすだけつくしたのに、真っ先に見捨てられる人とはこのような人ではないでしょうか。 もうこれ以上くどくどと説明することもないでしょうから、あとは自分の生活の中で周囲を見回して思い当たる人がいないかどうか考えただけで、私の言うことを理解してもらえるものと思います。

  自分の生き方を楽にするためには八方美人になることだと勘違いして、生きることが苦しくなっている人は想像以上に多いようです。 そしていったん八方美人になってしまうと、相手の評価が怖くて八方美人から抜け出すことが難しくなるのです。 八方美人をやめるためには相当の決断努力が必要になりますが、どんな犠牲を払ってでも八方美人をやめなければ、生きることは苦しみ以外の何ものでもなくなるでしょう。 八方美人にとっては、八方美人になって築き上げたまやかし人間関係を失うことが恐ろしいのです。 八方美人にとっては相手の評価が自分のすべてですから、その評価を失うことには耐えられないのです。 でも、その苦しみを乗り越えなければ、本当の信頼関係は築けないのです。 

  心の底の自分が八方美人になってはいけないと叫んでいるのに、現実の自分は八方美人にならざるを得ない、そのギャップがひとを苦しめるのです。 人間は他人は騙せても、自分は騙せないのですから。 このギャップが自分自身への信頼を失わせるのです。 そして他人からは当てにされても(利用されても)、信頼されなくなるのです。 これはあなたの周りの八方美人になっている人を観察すれば、すぐに分かることのはずです。 他人のことは見えても、自分のことは見えにくいものです。

  ひとつ付け加え置くことを思い出しました。 それは確かにだれにでも人当たりのいい人もおります。 私の経験から言えば、彼はだれにでも好かれる人物でした。 彼を悪く言う人を私は知りません。 そして彼は相手の意見は決して否定はしませんでした。 では、八方美人だったかというそうではありませんでした。  ただ、他の人と違っていたことは、彼は自分の意見を正直にしかもだれに臆することもなく言う人でした。 それでもだれにも嫌われることはありませんでした。 そしてだれからも信頼されていました。 彼をねたむ人もおりましたが、そのような人でさえ彼を信頼していました。 こんなことは自分に絶対の自信と信頼がなければできないことです。 自信のある人は、いつも頭が低いようですね。

 取引先の社長のひとりにだれもがたてつけないワンマン社長がおりましたが、あるとき彼はその社長と正面からぶつかり、夜中まで激論したそうです。 結果はその社長は自分の意見を取り下げることはありませんでしたか、彼に対する評価が一段と高まりました。 彼は若いけれども(当時は35才くらいだったと思います)、譲るべきところと、譲ってはならないところを知っていたのです。 彼は相手を否定したのではないのです。 ただ自分の信念を貫いただけなのです。 相手を否定しないで自分の信念を貫くことは、至難の業だと言えます。

 人に信頼させる人物になるとは、そういうことではないでしょうか。

2008-01-07

勝手妄想をして勝手に憤慨する馬鹿

http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0102003057.php

ところが理屈理屈の場合、よほど隙のない論理であれば別ですが、説得力に欠けると、女性の方も引き下がらないのでこうなります。

男 「いや、感情論じゃなくて、理屈で考えて何が正しいかが問題なんだろ?」

女 「だからその理屈が納得いかないって言ってるの。論理すり替え正当化されても賛成できるわけがないでしょ?」

男 「これだから女ってやつは・・・何でこんなに理屈が通じないんだよ?」

女 「それは矛盾しているからだと説明したじゃない。自分の思い通りにならないからって、性差の責任にして人を貶めるのは感情的すぎない? そういう態度が正しいと本気で思ってるの? 少しは理屈で考えてよ」

・・・もうムカついちゃって理屈なんかどうでもよくなって感情的に殴りつけたくなるんじゃありませんか? 女の立場からすれば、殴って黙らせるようなことをされたら信頼関係一挙崩壊ですけども。あーゾッとするわこんな人間関係

まずこの妄想に出てくる男は理屈(笑)で女を攻撃しているかのように見えますが、全くそうではありません。

男 「これだから女ってやつは・・・何でこんなに理屈が通じないんだよ?」

これだから女ってやつは

これは理屈ではありません。ただの偏見です。

もうムカついちゃって理屈なんかどうでもよくなって感情的に殴りつけたくなるんじゃありませんか?

当たり前です。あなたの妄想している男は理屈によって動いている訳ではないからです。

詭弁被害妄想ストレス解消をするのもいい加減にして下さい。

2007-12-20

はてブに全レス MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

レスと謳いつついくつか除外してます。

はてなブックマーク - MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの?

2007年12月19日 pho life 「思いどおりに書けなかった小説を見せて下さい。何作くらいあるんですか?」口先だけで、何もできてないよ。今日何をするか。今何をするか。

森博嗣は「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」「どうしても、思いどおりに小説が書けません。どうしたら、良いでしょうか?」などと言ってないし、考えた成果は小説として世間にアップロードされています。

「口先だけで何もできてないよ」が独白なら失礼。

2007年12月19日 str017 読み物 この文章、もしかして反語?

反語じゃなくてダメ押しかと思われます。

2007年12月19日 Erlkonig 森博嗣, 自戒 ほぼ好意的なコメントばかりで意外。「いくら必死で考えようとしても同じところをぐるぐる回るだけで何の新しい具体案も出てこない者のことも考えろ!」ってあの辺りの人が言いそう。

そこまで考えてないんでしょう。

2007年12月19日 welldefined 中間結果をそのつどアウトプットしなけりゃ進まない

中間どころか初手すら実行していないのに言い訳しようとするところが取り沙汰されているのです。言い訳を剥いでみれば案の定。

2007年12月19日 anemoto どんな些細な思いつきでも、頭の中からいったん出さないと始まらない。

誤読は自由ですが、ダジャレを乱発してもセンスは磨かれないでしょう。

2007年12月19日 kanimaster hoge 「まとまらないものを見せて下さい」はあまりにも無粋。考えるのと出力するのは別の行為でしょう。(文章としては面白いけど。

もちろん別の行為です。

「まとまらないものを〜」は文章化の途上で簡略になっただけで、実際は同じ趣旨で違う表現だったと思われます。何にしろ些事かと。

2007年12月19日 shinpei0213 途中のものを見せると、すごい勢いで叩いてくる上司に悩まされています。ダメなのはわかってる。だから相談してるんじゃん!一気にモチベが下がります。

途中のものを見せなければいいんじゃないでしょうか。見せる相手を選ぶ知恵は欲しいものです。

ついでに指摘しておくと、あなたは反例を示したつもりなのかもしれませんが、それはただの愚痴です。

2007年12月19日 mutronix もーほんと、腕組みして考える奴見てると張り倒したくなる

軽率なあなたとは相性が良さそうです。

2007年12月19日 Ayas 考え方 一理ある。この場合、非現実的な案や、「何か関係有るかな?」と思ったキーワードの羅列を示す。メモ魔万歳。

そのキーワードの羅列を活用した経験はおありでしょうか?

2007年12月19日 Quadrifogrio 読み物, ビジネス 評価軸の問題じゃないのかな。過程を重視するか結果を重視するか、見せる状況と相手によって変わる

その文脈でいえば過程も結果の一部です。

2007年12月19日 yuu013 たぶん、案はでるけど、ダメだって思ったら、そこで消しちゃうのがだめなんかな。とりあえず、ダメダメを並べてみて、そっからダメじゃないのを考えるのが考えるってことだということかな?

早すぎる見切りは何も産みませんが、ゴミを抱え込んでも身動きが取れなくなります。

あるいはダメだと思う理由を分析するのも一興かと。

2007年12月19日 klov ダメなものを見せると否定されるから見せないんじゃないのかしらね。

ダメなものを見せてみないとわからないと思います。

相手や状況によりますから、一意に定まる事項ではありません。

2007年12月19日 YOSIZO いい話 ぐは。耳が痛い。ちゃんと考えねばな。

そろそろ何か得られましたか?

2007年12月19日 cloverleaf24 教育, 言葉, 考察 出力しないとだめという話。

言い訳しているという自覚の欠如の話かと。

2007年12月19日 shigeeru life, think 200も300も考えていられる暇人がうらやましい。最適化しないの?

3ヶ月で300、30日で100、1日で3ですからそんなもんじゃないでしょうか。タイトルであることを考えると、数は少ないとすら思います。

またプログラミングの格言でいうように、早すぎる最適化は悪だとする一派も存在します。

2007年12月19日 hemo-hemoge つまらんものでも最後まで書き上げて数をこなしていけば何か見えてくる。失敗作を晒すのは心が折れるがプライド捨てれば無問題

数さえ稼げばいいというようなものではないという認識重要です。何のフィードバックない失敗作は真の意味で失敗です。

2007年12月19日 agx 考察, 言葉, lifehacks, idea アウトプットする途中でだめだと思って嫌になってしまうことがよくある、今は嫌でもとにかく形にしてから修正するように心がけてる

嫌だと感じた理由が直感か気分かを解明できれば克服できそうに思われます。がんばってください。

2007年12月19日 castingvote 思考 「考えた」と「考えようとした」は全然違うという考え方。

2007年12月19日 iriari 考えても考えても思い浮かびません><

考えてないからではないでしょうか。思考と、脳への単純な負荷は別物です。

2007年12月19日 API 私は考えるフリがうまいです。ではダメなんだな良くわかった。

社交的にはそれが最適解だと思われます。

2007年12月19日 hagihide 妄想することは大事なのです。

妄想というのも深いものからまどろみのようなものまで様々ですが、自由思考の重要性は理解できます。

2007年12月19日 namikawamisaki 「書いてから悩めば良いではないか。」「採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。」ああ、死ぬほど書いたり創作活動やってもいいんだ。きっと。

そもそも良い悪いの決定は本人以外になしえません。

2007年12月19日 natu3kan ネタ 読み手に喜んで小説を読ませる手腕なんて、まさに??したつもりに相手をさせることだったりするじゃないですか。

興味深い指摘です。それを肴に少し考えてみます。

2007年12月19日 dododod 考え方 形にしなくちゃ

形にすればいいわけではありませんが、形にしようとする意志は重要です。中抜きはいけません。

2007年12月19日 bowbow99 プロトタイピング漏れた部分はどーすんだろ

後で穴埋めする方法を考えてみる、全部捨ててやりなおす、見てみぬ振りをしてやりすごすなどでしょうか。

なぜプロトタイピング漏れたのか分析し次回に生かすのも重要です。

2007年12月19日 usj12262 philosophy 本当に頑張ったの?本当に時間がないの?本当に無理なの?/どんなにがんばって力を加えても、成果がなければ仕事量は0

自問であれば良いのですが、他人に向けられた言葉ならやや辛辣さを感じます。

力が加わったのなら観測できないだけで0.0000001くらいの仕事量はあるようにも思えます。

2007年12月19日 willnet なるほど 考えるとは、具体例をいくつも出すということ。アウトプットが何もない「考えた」は「考えようとした」にすぎない

違います。本当に考えたのなら蓄積があるはずですから、求められればそれを見せればいいだけのことです。

対偶を取ると「具体例がなければ何も考えていない」になります。ワイルズは何年も考えた末にフェルマーの最終定理を証明しましたが、その間は常にアウトプットしていたのではなく常にインプットしていたのです。証明の執筆というアウトプットは思考の文書化に過ぎません。

2007年12月19日 shibusashi 考え方, 言葉 『多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。』森博嗣節全開です。 とにかく、考えがまとまらないなりにどんどん思考の断片を書いていくのは結構有効。

記録的性質の強いノートではなく、テンポラリな作業領域としてのメモという意味でなら同意します。散らかった頭では考えがまとまりません。

2007年12月19日 shunsuk life, work 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。」 読もうとした。

相似性を期するなら「後で読む」→「後で読もうとしている」でしょうか。

2007年12月19日 sirnight 人生, 生活, 言葉, 創作 「考えましたが??」はやるのを忘れてしまった時の良いわけだろ常考

まったくです。「本当に考えたかどうか外部からはわからないだろう」という前提が通用するはずありません。

2007年12月19日 tondol *life 普通日記でこういう言葉が出てくるあたり、本業ってすげー。

普通日記じゃありません。仕事で書いてます。

2007年12月19日 kusamisusa 人生, 読み物, 思考, 創作, 教育 「量の無い質は無い」by大道

エピグラムもそうですね。

2007年12月19日 esbee けだし名言である ぐうの音も出ません。頑張ります

それから何を頑張りましたか?

2007年12月19日 tkugimi life, idea 「考えてもいい案が思いつかなかった」という人に考えたものを見せてといっても見せてもらえない。ほんの一瞬考えようとした、というだけで「考えた」と言うな。何十時間も考えて、案を出すことが大事

「何十時間」という単位が適切かはわかりませんが、極端な短時間があてにならないのは同意します。

2007年12月19日 genms LifeHack 「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」これ使えそう

あまり頻用すると適当冗談で逃げられてしまうので控えめに。

2007年12月19日 ext3 「多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のこと」/それが出来るか出来ないかが重要なんだよなぁ/実際書こうとしても何も思いつかない。その内めんどくさくなって書こうとするのをやめる

それくらい何かを考えるのは難しいということだと思います。興味のないことを考えるのは苦痛です。

2007年12月20日 hirayama46 思考しても言語化するのってすごく難しいと思うのだけど……。いいわけとしての「考えた」が嫌いなのはわかるけど。それでも「考え」や「悩み」を否定されてしまうのは、辛い。/うう、なんだか的外れな気が……。

思考そのものと思考を言語や図に符号化するのは別だと思いますが、結論さえ持っていれば案外たやすいのも事実です。

結論途上のものを符号化する能力は思考能力とは別個と捉えないとたしかに問題ですね。

2007年12月20日 marser 創造 これもいい文章。悩むのは、脳味噌絞りきってから。どんどこどんどこアウトプットを繋げて行くべきなんだな。死ぬまで。

夢野久作にとってドグラマグラ以外の作品はすべてドグラマグラへ至るまでの習作だったという話をどこかで読みましたが、習作がすべてガラクタだったわけではありません。

2007年12月20日 Okky 考察, lifehacks アウトプットがなければすべてただの言い訳と判断されても仕方がないよ、という話

飛躍が過ぎます。

2007年12月20日 proust etc 問題の性質によって、案というものがどんどん出てくるものもそうでないものもある気がする

その場合は深化より選別に思考リソースを割くべきです。案がたくさんあっても採用できるのは1つか2つでしょうから。

2007年12月20日 fuktommy 言葉 なんだオレオレ定義か。

オレオレでない定義など存在しません。この定義は再帰的です。

2007年12月20日 schtark idea >殻に閉じこもって内側にイメージをずーっと溜めている、それが普通の人/http://gitanez.seesaa.net/article/73206541.html

コレクターといわれる人種は、本人以外にとってはただのゴミでも愛着を持って保管します。さて、イメージもコレクションの対象になりうるのでしょうか?

2007年12月20日 gitanez idea, lifehacks ブクマコメントのやる気レスな感じはいったい何? グダグダ言ってるヒマあったらやったほうが早いってこのエントリは言ってるだけの気がするんですけど。アイデアなんてはじめは手クセです。手を動かせばいいだけ

はてなブックマークにやる気が横溢してたら人は集まらなかったでしょう。

やったほうが早いのは真ですが、エネルギー消費量は比較になりません。

2007年12月20日 platrer think ダメな例を幾つか思いついてたとしても、相談相手(もしくはリーダー)の性格によっては見せたくないのも事実。「まとまらないものを見せて下さい」は相手と自分の間にある程度の信頼関係がないと無理かも。

そもそもが「良い案が思いつかなくて」に対する揚げ足取りなのであまり深く考えるとドツボにはまります。

2007年12月20日 temtan 生活 俺にはレベルの低い人を理解しない文章に見える。本当に本人が考えたかは本人にしか判らない。「考えた」かどうかあくまで主観でしかない。その人の「考えた」がアウトプットで見たらレベルが低いだけ。バカの壁

本当に本人が考えたかは本人にしかわからないという前提を用いて「考えたんですけど」という言い訳誕生&定着。本当に考えたのかどうか確認するための問いとその答えの観察。ただの社交的なパワーゲームに思える。

2007年12月20日 t-murachi !はらぺこ, 創作, 開発, 信念, 仕事, 教育 これ、最近オープンソース界隈で言われていることにも通じるね。中途半端でもいいからまず公開しよう。話はそれから。つか、自身に響かないアイデアはすぐ忘れちゃうのよね。考えるときにはメモを取るといいと思う

コードが一番「何を考えたか」「何をやろうとしてるのか」がわかる符号化方式だからかと思います。コードに比べたら自然言語なんてノイズが酷すぎる。

2007年12月20日 gabari 人生 考えさせられる,と書こうとしてやめた.確かに自分もそうかも.考える段階に入る前に考えようとしていることに飽きてしまうことが多い.>「「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。」

実践できているのは見るのはいつでも感動的です。これからもがんばってください。

2007年12月20日 kuli うざい人ってことでオケ

誰がかはわかりかねますが、あなたが典型的な人であることは窺い知れました。

2007年12月20日 penkun ブログ, 教育 「考えようとした」という行為はすでにその人の中で色々な思考が働いているはず・・。それは「考えた」の一つだと思う・・。迷ってはいるが・・。

せいぜい1分2分の結果じゃ大したことないという証左にも思えます。

2007年12月20日 bolivia 読んで落ち込む気持ちも解るが、ここはポジティブに考えよう。「考えました」と言われたときにこう責めれば良いと学んだし、自分が「考えました」という立場のときにどうごまかせば良いかも学んだじゃないか。

その通りだと思いますが本筋とはあまり関係ありませんね。転んでもただでは起きないというか。

2007年12月20日 kamisa 反省しようとしている自分に気がついた!

反省しようとしたのに気づいたんですね。気づくだけじゃまだ足りません。

2007年12月20日 tsukitaro 仕事 一言つっこまれるだけで簡単にボロが出る、とても脆い言い訳

ボロが出ないようにするにはどうすればいいか考えてみるのも面白いかもしれません。

2007年12月20日 vanish_l2 考えることを放棄したら脳みそは飾りになってしまうですね。

思わずパキスタンカラキマシタを連想しました。失礼。

特に考えなくとも脳は様々な機能を司っていますよ。

2007年12月20日 bukemu work, idea ごめんなさい

具体的に自分の何が悪かったと思って謝罪しましたか?

2007年12月20日 Lhankor_Mhy 言い得て妙 うーん、これは反省しよう←「何を反省したのか見せなさい」

そういうことです。

2007年12月20日 s-feng work, lifehack, column, education 汚くてもまとまってなくても、考えてアウトプットを出してから、どこがまとまっていなかったのかを検証するということかな。>> 多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらし

アウトプットを出す必要はありませんが、出すことによってまとまることもあります。

2007年12月20日 guri_2 考察 たぶん、瞬間瞬間でいろいろ考えているんだろうけど、すぐに忘れて「考えたような気」だけが残るんだと思う。そういうのも掘り起こすクセをつけたい。

瞬間的な思考は持続的な思考とは別物です。前者は主に勘とか思いつきとか言われます。

2007年12月20日 Borom *lifehack, 文章論, 考え方 耳が痛すぎる指摘。駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない。書く癖をつけなきゃ。

駄文も書かなければ駄文にすらなり得ない」というのはなかなか名言だと思います。同時に、書けば駄文だが秘めていれば名文という側面もあります。

2007年12月20日 obacan フレーズ いいアイデアが浮かばないと言われたら「じゃあいままで浮かんだ悪いアイデアを言って」。われ巧遅より拙速を重んず。最初の段階、まずこれからだ。指導するとき使おう。

拙速より巧遅を採るべき場面もあると思います。小説タイトルなんかは拙速で決めると後悔の種になりそうです。

2007年12月20日 stealthinu lifehack, 仕事 『沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。』考えた、とは具体案を複数考えて、やっとそう言える、と。

多角的に対象を見るということかと思います。具体化する必要がなければ抽象のまま扱えばいいだけです。

2007年12月20日 asiamoth 森博嗣, writing, thinking いつものように騙されて(遊ばれて)いる人が多いけど、森博嗣さんがタイトルを考える時間、長くても数日くらいだよ(『ミステリィ工作室』を読もう)。大体、一冊書くのに数ヶ月かけてないし。

あ、たしかにそうだ。騙されてた。考えるべきことを発見するのも大切だと学びました。

2007年12月20日 ihmaiwtd あとで読む, (・∀・)イイ!! 考えることが好きだったはずなんだけど、最近は反射的に逃げている自分がいる。

考えるには体力が要りますから、加齢とともに思考能力も衰えるのでしょうか。その分を蓄積した経験や知見でサポートしているのだとしたら寂しいものです。

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