はてなキーワード: 俄然とは
宮崎正弘『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)
ウィグル自治区で殆どのモスク(イスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。
新彊ウィグル自治区は地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。
大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区とカザフスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。
国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派のゲリラが武器を中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。
極めて厳しい自然環境、乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメットを信仰している。
中世から近世にかけて現在の中国北西部を収めていた元は原住民のイスラムの信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民は漢族に立ち向かうようになった。
新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。
あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教の管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。
ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安やチチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク(漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスクに信者がちかつかないのだ。
冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラー、アクバール」とコーランが流れているのを聴いた。
ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪
イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムのアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。
しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。
一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。
寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区のトルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。
北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。
イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国は拙速にも北京と妥協したのだ。
(中略)
村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランのテープやCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。
あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス、茶髪、ショート・パンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコやカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞を北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。
ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ、市民の公園、遊園地も漢族の家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルのチャイナタウン」ではないか。
街の看板は漢字とアラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル。大通りに溢れるのはトヨタ、日産、ホンダの車である。
服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラーの民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。
最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。
都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。
中国沿岸部の人たちは競って英語か日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。
~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~
「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。
南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院、仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。
交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教とイスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画、仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。
嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャンの石仏をイスラム原理主義過激派らはミサイルで破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。
南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教は俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカル・モスクは中国のイスラム教徒のメッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。
現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者を逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒の怨念はなまなかなものではなかろう。
血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。
イスラムの歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明は形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランのホメイニ師のごとく強靱な精神的指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。
(拙著『トンデモ中国 真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)
流れの激しい小川の畔を、さもしそうに腹部を擦る狐が歩いていました。
もう何日もしっかりとした食事にありつけていません。水で空腹を誤魔化す毎日に飽き飽きしていました。
ふと、引き付けられるようにして対岸に目が移りました。丸々と膨らんだ果実をひとつだけ実らせる葡萄の木が起立しているのに気が付きました。
お腹が空きすぎて朦朧とし始めていた狐は、もう食べたくて食べたくて仕方がありません。けれど、勢いよくうねる小川を挟んでいるためにどうすることもできませんでした。
何か手立てはないものかと、しばらくの間辺りをうろうろ歩き回りましたが、結果は芳しくありません。やがて、忌々しそうに葡萄を睨みつけるや、悔しそうにぼやきました。
「どうせ酸っぱかったに違いない」
がっくりと項垂れると、再び畔を歩き始めました。
「やあやあ狐さん狐さん。どうされたんですか、そんな生気のない顔をして」
唐突に、藪の中から長い長い蛇が現れました。興味深そうに鎌首をもたげる姿に、狐は悄然と口を開きます。
「お腹が減っているのです。葡萄を見つけたのですが、どうしても取れなくて。でもいいのです。どうせ食べられたものではなかったでしょうから」
そう言って、対岸の葡萄を見つめました。
物欲しそうな眼差しの中に浮かんだ自嘲にも似た暗闇に胸を打たれた蛇は、分かりました、と一言口にすると、するすると小川に入っていきました。
蛇は急流の中をいとも容易く泳いでいきます。あっという間に対岸へと辿り着くと、そのまま葡萄の木を登っていきました。
垂れ下がる葡萄の許まで辿り着くと、眼下で見上げていた狐に向かって大きく声を張り上げます。
「狐さん狐さん、この葡萄が食べたかったんですよね」
「ええ、ええ、そうです。持ってきてくれるのですか?」
「もちろんですよ。あ、でもその前に確認させてください」
何をするのだろうと、狐は不思議そうに首を捻りました。が、蛇が行ったとんでもない行動を目の当たりにすると、俄然いきりたってしまいました。
「やい、このクソ蛇め。なんてことをするんだ。俺の葡萄を食べるなんて。ただじゃおかないぞ」
声に、果実の一つを口にするやびりりと震えた蛇は、何一つ反応を返しませんでした。
「こら、クソ蛇。聞いているのか。早く降りて来い」
言って投げられた石ころに、驚いた蛇はようやく我に返りました。
「狐さん狐さん。悪いことは言いません。この葡萄は諦めた方が身のためですよ。あなたの言ったとおりだった。とてもじゃないけれど食べられたものではありませんよ」
「うるさい。さっさとそこを離れろ。俺の葡萄に近づくな、クソ蛇め」
癇癪を起こしてしまった狐に、蛇の言葉はもう届きませんでした。
飛んでくる石ころや木の枝に恐れをなした蛇は、するすると葡萄の許から降りると、そのまま対岸の奥へと消えていってしまいました。
「なんて蛇なんだ。優しくする振りをしておいて自分が食べるだなんて」
憤りをあらわにした狐は、もう葡萄が食べたくて食べたくて仕方がありませんでした。この場を離れた隙に、蛇に食べられてしまうと考えただけで頭が沸騰しそうになりました。
しかしながら手段がありません。どうすればいいのかしばらく悩んだ末に、決心を固めました。不慣れにも関わらず、小川に向かって勢いよく飛び込んだのです。
ざぶんと浸かった途端に呼吸が苦しくなりました。鼻も耳も水に侵されていきます。もがく手足は僅かな抵抗しか生んでくれません。早々に急流に押され始めてしまいました。
このままでは死んでしまうかもしれない。
思った狐は、恐慌をきたしながらも死に物狂いで手足を動かし、やっとのことで対岸へと辿り着くことに成功しました。
噎せ返り、疲弊した体をしばらく野に預けてから木に登ります。目前に迫った葡萄に手を伸ばすと、とうとう念願の果実を口に含めるようになりました。
これで、少しはお腹がいっぱいになる。満足し、捥いだ果実を噛み締めたときでした。電流が走ったかのような酸味が、口の中いっぱいに広がったのです。
堪らず狐は葡萄を吐き出してしまいました。舌は痺れ、視界はちかちかと瞬いているようです。ここで同じ景色を見ていたのであろう蛇の言葉が思い出されました。
――狐さん狐さん。悪いことは言いません。この葡萄は諦めた方が身のためですよ。あなたの言ったとおりだった。とてもじゃないけれど食べられたものではありませんよ。
その通りだったのです。蛇は、何も意地悪がしたかったわけではありませんでした。本心で狐のことを思い、優しさから諦めるよう諭してくれていたのです。
狐はもう一度葡萄を口に含みました。毛が逆立つような酸味が、電流となって体を駆け巡りました。そのあまりの味に、両目からは涙がこぼれてきます。
でも、それでも狐は次々と葡萄を口の中に含んでいきました。
「美味しい。美味しいなあ」
口にする狐の目から溢れる涙の理由は、何も葡萄が酸っぱいからだけではないようでした。
金正雲が北京訪問は007の話? イタリアでの天文学的国債発見と日本人?
国際政治の裏側が下手なスパイ小説より俄然面白いのは当然だろう。
フィクションの固まりでもある小説は所詮、想像力の世界であり、007は一種の漫画である。ゴルゴ13も鬼平犯科帳も主人公の活躍は常識の活動を越えているからスーパーマンの類だろうか。ただし背後に使われるデータには類推して興味深い数字などの記録や題材が豊富である。
さて朝日新聞がなしたスクープを北京が否定した。あれは007の類いだと。
金正雲が北京を密かに訪問し、中国共産党幹部とあったという噂を朝日新聞がかぎつけて報道した。
日頃、北京に有利な報道しかしないメディアが、北京に不利益な報道をした? 朝日への情報提供者と、中南海の最終決定機関との間の情報伝達の齟齬か、そのプロセスになんらかの行き違いが生じたとみると、朝日と北京の見解の乖離がわかる。
在北京ジャーナリズムのなかで、朝日がもっとも深く権力に食い入っている筈だから。
これは逆に考えるべきで、日頃、否定も肯定もしない、うわさ話程度のことにはコメントしない中国のスポークスマンがわざわざ大声で否定せざるを得なかった。
そうだ。「否定せざるを得なかった」のだ。
スパイ小説作家なら、疑わしきはこっそりと登場させ、あえて重要な役目を設定しない。起承転結の「転」のあたりまでは持ち駒として保持しておくものである。
こう言うの読むだび面白い。
常日頃、草食だの、勇気がないだのと言われ、男としてオワッテルと言われている部類の人間。
犯罪でしか欲望を満たせないからとか、そのへんの理屈と一緒に。
ゲームが原因とは思えない、と言いつつも、男性一般を対象とした話が展開される。
俺からしてみれば、多くのオタクは実体が伴わないだけで去勢されているようなものだ。
実際、性犯罪が絡まない場では、男としては扱われない。
それがまぁ、こうして性犯罪が絡みだすと、俄然男の皮を被せ出すのだ。
少なくとも、俺に関して言えば、社会生活をしている自分は死んでいる。
小さい頃イジメで「死ね」と言われたときから、ずっと死んでいる。
平気なんて事があるわけない。
過敏に反応しずぎる心を守るには、殺してしまうのが一番だ。
女性にだって、そうして自分を殺してしまっている人が居るのを知っている。
こうして、男性だ女性だと話すことは、結局大事なことから目を逸らしてしまうんじゃなかろうか。
そうして普通の人が心を殺してきた多くの人から、目を逸らしてしまうんじゃなかろうか。
アフガニスタンへの最大兵站拠点を失う。
米国退役統幕幹部のリチャード・マイヤーズはAFP(2月20日付け)のインタビューで、キルギスのマナス空港を米軍が使用しているのは主として燃料補給であり、代替はいくらも可能という「強がり」の見解を示した。
米軍はマナス基地を撤収することになる18ヶ月後にそなえ、ひそかにカザフスタンとタジキスタンに基地使用交渉をしてきた(ユーラシア・ディリー・モニター、2月23日)。
またウズベキスタンとも基地使用再開の交渉を秘密に開始したという噂も飛び交った。
理由はトルコがNATOの一員でもあって米軍との共同作戦が多いうえ、トルコは地政学的にもカフカス、中東、そして中央アジアに近く、恒久的な戦略ポイントであるからだ。
オバマ政権によるアフガニスタンへの増派が決定した以上、2010年8月までに代替基地を建設するか、外国の既存の基地借用を決める必要がある。
それも早急に代替基地を見つけなければならない。
一方、受け入れに熱心に見えるトルコだが、この世俗イスラム国家の国内にはイスラム原理主義が猖獗を極めており、アルカィーダがトルコ国内に多数が潜伏、とくにユダヤ人を標的にテロを再開する動きがある。
08年12月にもトルコ警察はアルカィーダのメンバーと見られる二十数人を拘束している。
テロリストの攻撃目標は国際都市イスランブールのほか、NATO海軍基地があるイズミール、加えて首都のアンカラだ。ユダヤ人観光客を狙うという情報もある。
こうしたテロ情報により、これまでテルアビブとトルコを結んでいた航空機もフライト中断に追い込まれた。
ユダヤ人観光客への攻撃を恐れたこともあるが、トルコの飛行機は、イスラエルの警備員を登場させないため、安全保障上問題があり、同時にイスラエルの「サンドル航空」も、トルコ乗り入れ便を休便とした。
ビシュケクの国際空港マナスに米軍は2000人規模で駐留しているが、そこから30キロだけ離れた場所がロシア軍の駐留するカント空軍基地だ。
イシククル湖はソ連時代、秘密のベールに包まれた保養地だった。このイシククル湖を囲むようにキルギスという国家は地形的になりたつが、湖にロシア軍の海軍施設が残っている。
沿岸警備というより湖沼警備隊で、主たる任務は武器密輸の取り締まりである。
ロシアにはCSTO(緊急展開部隊)があり、キルギスのカント基地に駐留している700名は、このCSTO所属。
第一にビシュケクとカザフスタンを繋ぐ鉄道計画の着手と見られる初期工事を始めた。モスクワから鉄道工作兵30名がキルギス入りしたのが2月20日に確認されている。
第二にキルギス南部オシにある飛行場も軍事利用する可能性を探っている。これは近未来にタジキスタンのアンイ空港を本格化させて、カントーオシーアンイを結ぶ空のルートを確定する動きと見られる。
第三にロシアのカント基地にはミグ21が、48機配備されているほか、スホイ25,スホイ27,アントノフ輸送機(AN26)、武装ヘリにくわえて、L39訓練機などが駐機している。
オバマ政権のアフガニスタン増派に対して、米軍の有力な兵站基地がキルギスのマナス空港。背後から政治的に圧力をかけてバキエフ政権を動かし、米軍を撤退させる一方で、ロシア軍は着実に増加させる。
これがロシアの対応である。
ゼロアカ道場が面白い。道場の課題の内容などはほとんど理解できないのだけど、それでも面白い。
面白い面白いと言ってまわっているのだけど、あんまり理解してもらえないのでちょっとまとめてみようと思う。
ちなみに、私自身にはゼロアカ道場やそれに参加する人たちに対しては頑張ってほしいと心から思っている。
ゼロアカ道場について書く前に、まずはあの革命的テレビ番組について語らなければならない。
「ガチンコ!」である。番組の概略については以下のリンクを参照してほしい。
「ガチンコ!」が革新的であったところはいくつもあるのだが、それを一言で言うと、
という事に尽きる。
「テレビ番組」がすべからく「やらせ」である事はある意味で当たり前だ。「本当に」タレントが怪我したり、アクシデントが起こってしまったら放送できないのだから。その検閲をくぐりぬけ「お茶の間にお届け」された時点ですでにテレビ番組というのは作為的なものだ((その意味でその限界に挑んだという意味で初期電波少年というのは偉大な番組であった))。
「ガチンコ!」はそういうメディアにおいて「ガチンコ(やらせなし)」を名乗った。
そしてさらに凄いのは確信犯的にガチンコ!は「ガチンコ!はやらせである」とわかるような演出を施しそれを含めて視聴者に提供した事だ。(「ガチンコラーメン道」における「神輿やないねんから」などの超名言はその最たるもの)
つまり、「ガチンコ!」は、
「ネタ(演出手法)としての面白さ」
の二つを楽しめる番組の構造であったと今にしたら思う。そして、その楽しさというのは極めてプロレス的楽しさである(ガチンコ!の神ぶりについてはこちらを参照。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8539/d35.html)。
翻ってゼロアカ道場。
「天下にあまねく評論家志望者を募り、関門をくぐり抜けた猛者一人に天下の講談社がデビュー作一万部を保障」
つかみはOKである。そして、人数が絞れてきたところで各人のキャラと名前・顔がはっきり分かるようになってきて俄然面白くなってきた。
そして文学フリマでの同人誌販売。「ネタ」としても面白くなってきた。
くれぐれも断わっておくが、私は「ゼロアカ道場はやらせである」などとは露ほども思っていない。
そもそも、こういった場が設定されることさえ前代未聞の快挙であると私は思うし、大変だろうなと思う。だけど、文学フリマでの同人誌販売という課題を見て「これって『揉めてくれ』って言ってるようなもんじゃね?」と思ったのは事実だ。
というか、「プロジェクト」なんてその重要さが増せば増すほど殺伐としたものになる。
しかも、一緒に同人誌を作るのは友達ではなく、ライバルである。
そもそも、「批評家」に興味のある人(今の世間では希少人種だ)の中のそれなりの数の人たちにとって「批評家」の本なんて読まないのではないか。彼らの「キャラ」を消費している。
「言説それ自体よりも論壇内プロレスの方が売れる」
という事に多くの人たちが気がつきはじめているのではないか。
現に、私自身も「ゼロアカ道場」には興味があるが、「そこでの言論」にはほとんど興味がない。
そういったところを見るにつけ、ゼロアカ道場のプロデュース側はある程度は確信犯なのではないか、と私は思っている。ガチンコ!ほど神の領域には入らないとしても。
お店側にとってのメリットってなんだろうね……。
チャンスロストしないってことかな??
例えばネットショップで品揃えが同じで5%安い店よりも、
5%高くてもクレカがついているお店の方が売れる。
これはためしにやってみたことがあるので確実にいえる。
そういうところでいらぬ心配をしなくていいのがポイントかもしれない。
お店側も注文されたはいいが、いつ振り込みがされるかわからない他の方法より俄然らくちんだ。
返金も請求かえればいいだけだしね。
入金まで相当またなきゃいけないのは辛いけど…。
でも路面店はクレカ取り扱い店と取り扱わない店とでそこまで差が開くとは思えない。
お客がリボを組んででも買ってくれれば消費者金融からかりるようなもんで、
カード会社も金利分もうかるし、お店もチャンスロスしないですむ。
維持手数料とかはかからないので顧客便利のために!という営業トークなわけだけど、
そこらへんの売り上げにたいしてチャージが発生する仕組みを知らなかったりしたまま、
で、一度はじめると利用するひとがでてきてしまうのでやめるにやめられなくなる。
そんなところじゃないかな。。。
現金と同等に扱える電子マネーがなんで普及しないのか…。
ハッ、(´0ω0`)だからか!?
http://ameblo.jp/todai-toful/entry-10011665195.html
「よーーく考えようオンナの子でも、学歴は大事だよ。」
今まで東大生に見られないこともあって、あまり東大だということを
告白してきませんでした。
というのは、東大生のあいだでよく行われる議論ですが、
東大オトコだとカミングアウトして損はなし。いきなり「日本のためにつかってください」とか、おこずかいを貰ったなんてはなしもあります。
SPI問題集(4月購入)をきちんとやっておくべきでした。
でも、
俄然やる気がなくなります
だって、
形相で勉強をしています。
そんな思いでじぶんの座る席を何とかひとつ確保。
そして、
そう言えば進路相談のときこんな会話をしたのを思い出しました
担任の発言 お前はご実家を継がないのか?
ぱち@高3の発言 ううん。店は継がない。東大に行こうかと思ってる。
担任の発言 ・・・・・・
ぱちの発言 でも東大でよかったと思ったことって、あんまりない
先輩の発言 就活がはじまったらわかると思うよ。東大ネームバリュー
東大生でよかった。
アホなたとえで申し訳ないのですがほんとうにそう思いました。
子供4人
正確には5人。次男の森不律(Fritz)は生後半年で亡くなっている。彼を除いた簡易家系図を書くと
読みの後ろに「*」が付いてるのが鴎外自身の命名。そうですねー。鴎外はいま流行の「姫空梓(ぴくしー)」とかDQN命名の元祖なんですねー。Jaquesとか、もはや字自体がヤバいしw 自身の本名「林太郎」がドイツ人に正しく発音されなかったことがコンプレックスだったとか。
しかしまぁ。みなさんDQNネームに負けず、旧帝大、早慶出ばっか。孫の代まで見てみても、まず8割方著作がある。偉大な家系ですわ。
「歴史…青年期あらゆる希望を胸に、いきりたって人にケンカ(論争)をふっかけた鴎外。
以後官僚として栄達をのぞみ、ドロドロした権力闘争にも身を置いた鴎外。
歴史…それは男の当然の生き様であるが、晩年のわずか五年間、鴎外、
栄達がのぞめなくなると急に肩の荷が降りたのだろうか?
彼は負けたのだろうか? 男の生涯、ただの男になって死に様を見つけた。」
エレファントカシマシ / 歴史
区役所に婚姻届を出した。
その前日に僕は、別の女性とデートをして、SEXをして、好きだ、愛してる、と目の前の彼女ではない女の子に囁いていた。
彼女は優しく、僕は罪人でしかなかった。
結婚相手の彼女は学生時代から付き合ってて、気づいたら同棲期間だけでも1年半以上経過していて、
あちらの親にも書類を出すことの報告で向かったら涙を流して喜んでくれたような。
ひとつ、挙げればもうSEXを3か月ほどしていない。そして本人には結婚相手とSEXをする気が起きない。
今年の延べ数が片手で収まってしまうようなセックスレスな関係であるのだが、それは外部には見えない。
皆幸せそうだと言う。僕も、SEXこそないが、彼女を大事な家族の一員として、最大限配慮した生活を送って来たつもりだ。
一方で隠れて付き合ってる女性。今僕が、世界で一番好きになってしまった彼女は、会社の同期。
新入社員時代から何かと二人で仕事をする機会が多く、最初は仲の良い友人関係を続けていた。
今でこそこんな関係だけど、何もなかった時代に仲が良すぎるので何かあるのでは?と疑われたほどだ(笑)
転機となったのは1年ほど前。切れ者でとても優秀な彼女は別の部署に転属になる。
僕は自分の自尊心を慰めることができないような、そんな格好良い仕事場で、
実を言うと、前々から好きな気持ちはあったが、同棲まで始めた彼女がいて、
そんな気持ちは「男の性」だろ、程度にしか思っていなかったのに。
新しい彼女の仕事の範囲は僕の個人的な趣味とオーバーラップしていたので、
助言という形で(元々の相棒だったので別に変なことではない)相談に乗ってみたり、
メールのやり取りを重ねたり、たまに二人で飲みに行くようになった。
丁度今の時期はそう、ボジョレー・ヌーボ(笑)の時期で、
日本人がフランスのワイン産業のカモにされていること自体にはよしとしないが、
去年はそれを有り難く口実には使わせて貰ったことを覚えている。
そこでワイングラスを傾けながら言った歯が浮くような台詞。
5年後の自分たちは、何しているんだろうね?もう君は(念願していた)主婦だったり?笑
家庭に入っていたとしても、こうして二人で飲みに行こうぜ。
なんて。彼女は確か肯定も否定もしなかったと思う。
その後も、彼女のことが気になって仕方がない僕は「友達として」の自分からのアプローチが続く。
自分自身、明確に浮気となってしまうことを避けるために、保身のために
友達としての誘い方は崩さなかった。
年が明けては初詣に誘い、桜が咲いては花見に誘い(これはタイミング合わずに実現しなかったが)
お互いそれぞれの仕事に忙しく、また働くオフィス環境が変わったが、二人で昼ごはんを食べるように
定期的に誘い、彼女はそれに応じてくれていた。
そんな微妙な関係を続けているうちに、徐々に、友達として、が崩れていく。
言い訳のしようがない関係になってしまったのは今から2か月前、
デートからの帰りで初めて手を繋いだ瞬間。
(色々な思いが交錯 - 俗に言うハイトクカンって奴)
のことはよく覚えている。そこで僕らはキスする直前で、別れた。
別れることに、「成功」した。が正しいかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070910141446
彼女はというとその優しさから、正直な気持ちを口では明かそうとは
しなかったが、態度から、表情から僕は彼女の想いは伝わってきて嬉しかった。
そうして手を繋ぐまで、キスをするまで、と、だが順調に二人の関係は
ステップアップをしていき、とうとう彼女の誕生日の日に僕は関係を迫り、その想いは遂げる。
これがひと月ほど前の話。
その後も、毎朝出社前に彼女の最寄駅まで通い、夜は会社の近くで待ち合わせして、遅くに帰宅。
家の彼女も丁度忙しい時期で、なんとなくそんな、ずっと続けばいいなという時期が続いた。
唐突に結婚の話が降ってきたわけではない。
去年の今の時期、から我が家には、彼女が区役所からもってきた婚姻届が、彼女の側の署名だけされた形で
ずっと大切に保管されていた。
曖昧に、ごまかし続けていたのは僕のほう。だけどそれも限界だった。そこに彼女の親の涙を見て、
これでいいんだという想いは、急速に強くなった。そして、今現在、最も愛している女性との最後のデート。
婚姻届を提出したことを彼女にメールすると、華やかなテンプレート(女子らしいものだ)
でお祝いの返信が帰ってきた。
その裏で涙を流しているのはわかっている。彼女は優しく、僕は罪人でしかない。
ココロ社の人は、男女の友情なんて成立しねぇ!と宣言していたが、僕もそう思う。
そう思っていながら、今は恋愛感情がだいぶ強いが、徐々に同期の彼女とは
普通の友人に戻ろうと思う。これは二人で、最後のSEXの後に決めた。
まずは、今年のボジョレー・ヌーボ(笑)を友人として飲みに行く事からはじめようと思う。
生物学的に足が小さいからなのか、美容健康の流れが細身細身へと流れた結果、筋肉の減少という手段を取ってしまうからなのだろうか。
女の子はよく歩いているときに転んだりするが、男の子はよく人生の道端で転ぶ。
生物学的に大量生産されるからか、男女平等の流れが広く広く急速にあふれ出した結果、男性側の対応が遅れてしまったのだろうか。
僕はおおむね夢を追って生きているが、と言うよりも実社会から逃げて生きているのだろう。
僕がまだ実社会に対してまじめに適応しようとしていた数年前、男脳・女脳度診断なるアメリカの翻訳本があった。それによると、僕はしっかりと女脳なのだった。
でも、僕は俄然夢想家だと人から言われる。よく言われる。あるいは僕はバクなのだ。本物のバクは夢を食べないが、僕は神話に生きるバクなのだ。あたかも暗い森の陰影によりノルウェイの人々にトロールと見間違えられた木のように僕は生きているのだ。
そういえば北欧の人たちや、日本でも寒い北国の人たちは、雪の中でも転ばない。少なくとも僕は彼らが雪道で転ぶところを見たことが無い。それは命にかかわる実に堅実な歩みで、とても現実的な徒歩術なのだ。それゆえ人々の日常は実直で現実的であるが、ひとたび暖かい我が家に帰れば、巨大なトロールや美しいオーロラや、幻想的な妖精の世界に思いを寄せる。
彼らは両者のバランスを取ることにより転ばないのだ。
害虫のことならまかせろ!
ネズミの場合はまさにそうで、奴等は超音波領域の鳴き声によって危険を知らせあってるから、1匹かかるとあとは俄然かかりにくくなる。一網打尽にするか、あるいは、「この建物から出なければ」と思わせるぐらいの強い衝撃を与えてやらなければ、完全駆除は難しい。
ゴキブリはその正反対で、奴等は集合フェロモンを垂れ流してる。だから、1匹かかるとフェロモンによって次が誘引される。その効果はホイホイに付属している誘因エサなんかよりもよっぽど強力。だからホイホイには「何を考えてこんなみっちりとかかってるんだろう?」と首を傾げたくなるくらい大漁になることがある。
罠を適切に仕掛ければ、ゴキブリは根絶が比較的容易に可能。(ただしワンシーズンのみ。来期にはまたどこかからやってくる。)
頑張ってくれ。
そんな俺ファンタジーのために、
まんこが裂ける痛みや死の危険に耐えてくれって言われても困ります><;
楽して産ませろ。私は俄然無痛分娩で行くぜ。
何故か「西」が思い浮かぶ。
駅名しかり、人名しかり、地名しかり。
ただし、方角で言う「西」に特に愛着があるわけではない。
むしろ「西」という響きにあまりいい印象がない。
自身が「西」の人間だから、本当のところは故郷という意味で、それなりに持ってもいいはずの気持ちは「東」で5,6年過ごした想い出に取って代わってしまった。
「東」は良い。
血液型がA型でもないので、偉そうなことは言えないが「東」の秩序の良さは目を見張るべきものがある。
それに比べて、「西」の秩序の無さは「西」で生まれ育ったわたくしにとってさえ、苦痛に覚える。
苦痛になる理由は色々あるとは思うが、生まれ育ったとはいえ、「西」での生活は、主に学生時代のものであったことが大きな理由だと考える。
言い換えると、「東」で仕事を始めてから、「東」なりの仕事の進め方、人との付き合い方が染みついてしまったためともいえる。
くどく言い換えると、学生時代までなんて、どこで育とうが日本にいる限りは、それなりの教育を受け、それなりの知識を身につけることが可能であったということである。
しかし、実際に社会に出てみると、学生時代までの過ごし方は当てはまるわけもなく、それまで染みついたのんでんくらりとした生活から一変してしまうことのパラダイムシフトを楽しむ社会人生活一年生が始まるわけである。
だからわたくしは、「西」での社会人生活を始めることは当初から考えていなかった。
『絶対「西」以外で働く』
幸か不幸か、わたくしの思惑通りに「東」で働く機会を得、揚々とした気持ちで社会人生活をスタートさせたわけである。
ただ、社会人生活も3年経つと文殊の知恵とはよく言われないことで、刺激も少なくなってきて、日々の業務にもマンネリを覚える時期になってしまった。
マンネリを覚えることは、わたくしの仕事に対する意識が低いという自分なりの分析もあり、自業自得だということも承知である。
会社のハグルマとして生きることを嫌っていた入社当時の感覚は薄れ、人生の目標を見失うには十分な無気力さと持っていたことは自信を持って言える。もちろん、こんな自信ではなく、代わりに、生きる自信、働く自信を持てたらどれだけ良かったのだろうとも今となっては思う。
ただ、「東」での生活にはおおむね満足していた。
休みの日に一人で過ごす場所には困らなかったし、仕事が終わった後に遊びに行く場所にも困らなかった。それに付き合ってくれる友人、ないしは、パートナーにもそれなりに恵まれていたと思う。
唯一「東」に難点を述べるとすれば、住居価格の高さである。
ただ、住めば都とはよくいったもので、狭い住居での生活は不必要な物品も増えず、2回ほど行った引っ越しの際もほとんど苦労することはなかった。
そんな「東」大好き人間にも何かしらの変化が欲しかったのだろう。
ふと、転勤を申し出た。
よりによって「西」に申し出た。
申し入れは思った以上にすんなりと通り、「西」に引っ越すことになった。
もちろん職場も「西」になり、業務内容も180度以上変更になった。
「西」への思惑は、新たな業務に対して自身にパラダイムシフトが起こることを期待したこともあるが、ぶっちゃけ転勤手当である。
会社にも依るが、「東」で新卒入社すると、どこの出身であろうと手当なんかは出ない。
ならば、一度転勤でもしてみて、気分一新、人生の目標が見つかれば、生きる自信が生まれればと思ったのは表面上で、裏は手当である。
会社の手当なんかをアテにしているわたくしは、会社的に腐ったハグルマに見えるのだろう。
さて、意気揚々と「西」での手当生活を始めたわたくしであったが、思わぬところで躓くことになった。「西」での仕事環境や、人付き合いがどうしてもなじめないことに気がついたのである。
このことにより、腐ったハグルマは、より腐ることになるのである。
ただ、腐ったハグルマは、腐っているなりに「西」での生活になじもうと努力をしてきたつもりであった。しかし、色々なものがハグルマを蝕んでいき、努力が実ることは無かった。
腐ったわたくしにも転機が訪れる。
「東」の人からのお誘いである。
詐欺にならない程度に最大限誇張するとヘッドハンティングとでもいうのであろうか。
単純で腐ったハグルマは俄然短期的な意欲が湧いてきたようで、仕事も生活も、「東」への帰還というテーマを中心に回すようになった。
しかし、ハグルマであるわたくしは、そんな邪なテーマで人生のモチベーションを保つことなど出来るはずもなく、お誘いの件もトーンダウンしてきてしまった今日この頃である。
「西」の夏は暑くて蒸して嫌いだ。
邪なテーマが滞りなく進んでいれば、「東」での夏が待っていたのであるが、そんな淡い希望は消え去って、「西」での夏を堪え忍ぶ日々が待っている。
次の「東」への切符は、秋だ。
邪で腐ったハグルマはそれでも回り続ける。