はてなキーワード: やおいとは
そもそも正確な理解ってどれ?
現行の「腐女子」の記号内容
腐原理主義者としては、自称しない場合は客観的に同じ行動、思考形式を持っていても、ただのやおい好きな人ですので、そういう字義を持つ「腐女子」をカテゴライズの用語として使うことには抵抗があります。しかしそういう狭義の「腐女子」という言葉はすでに失われつつあることを理解してもいます。
現在様々に変容し、悪意を持って語られることもあるこの語を用いて「正確な理解」とかぬかされるのはちゃんちきおけさ。拒んでいるんじゃなくて、その「正確な理解」とやらが用語のあいまいさゆえに理解対象(どの記号内容を指してるのか分からないけど)の「腐女子」に伝わっていないのではないでしょうか。言葉の選択からして、現状を理解していないと解釈されてもしょうがないほど、この言葉は今揺らいでいます。
残念なことに「腐女子」って言葉は、現在の使われ方と定義の多様性から言って、口にした人に悪意があると誤解されやすい状況にあります。他のあまり手垢のついてない言葉を探してきて、定義を明らかにしてから「正しい理解」の内容を展開されたほうがよいのではないでしょうか。
不便だからこっちもなんとかしてほしい。叩かれやすいのはある程度あきらめてますが、正しい理解をしたいと臨まれる外部の方が混乱しているのを見るのは、いくら萌え以外に無関心な輩でも少しは心苦しいものです。
あと、性的な妄想だから口にしたくないのではなく、むしろ背徳的だから萌えると理解してもらった方が字面がかっこいいです。エロは刺激的だから着目されるけど、だめな腐女子もいますよ。
性的じゃなくて背徳的。秘すれば花ですよ。そこらへんの隠微さが萌えの根幹だと個人的には思います。違うって言う人も多分たくさんいます。
まれに三角形や丸なんてのもいるが、ともかく彼は六角形であった。いや、この場合は六角柱と言ったほうが正しい。なぜならもちろん彼は鉛筆だからである。鉛筆がこの世に鉛筆として生を受け、鉛筆としての機能を初めて発揮した日のことは忘れがたき思い出、トラウマ、存在意義として彼の脳裏に焼きついていた。ぴかぴかに尖った先端を支えにしながらやわらかめの紙の上でおどると、自分の体の一部が紙にしゃりしゃりと音を立ててこびりつく。その行為は鉛筆に母親の胎内へ還っていくような錯覚をおぼえさせた。強い快感をともなう行為だった。涙と鼻水と汗が同時に出てきた。そのたびに紙やセロテープや定規たちは鉛筆を怪訝な目で見たが、しかし紙に何か書き付けるたびにそういった状態に陥るのは、なにも彼だけの話ではない。鉛筆はみんなそうなのだ。
ともあれ、強烈な快感を全身で感じながら鉛筆は一休みした。目のくらむような満足感に突き動かされ、鉛筆は自分の体の一部がどんな形を残しているのかを確かめようと振り向き、そして見てしまった。
消しゴムであった。
消しゴムが、鉛筆が書き損じた文字をせっせと上下左右に体を小刻みに動かしながら消している。
鉛筆は驚愕し、愕然とし、そして強い怒りに駆られた。消しゴムが今消しているのは、自分の体の一部なのだ。いや一部なんてものではない。自分の体の芯そのものだ。生きた証だ。それを、「間違えたから」という、ただそれだけの理由でやつは消している。許せなかった。そしてそれよりも鉛筆が我慢ならなかったのは、消しゴムがその消すという行為に対してなんら感じるところがないとしか思えない表情でいたことだった。その割に、鉛の粉が紙の凹凸にあわせてくっついているのを見ているその目には、やたらと熱がこもっているようではあったが。
鉛筆はその後もよだれをたらしながら文字を、あるときは絵を、またあるときはそれ以外のものを書き付けながら、消しゴムが自らの痕跡を跡形もなく消してしまうのを見ていた。
はじめにあったのは、強い怒りだった。そして何日か後に、おおきな虚無感に襲われた。自分が命を削って残した痕跡をああも簡単に消してしまえるのなら、自分が生きる意味はどこにあるのだろう、と思った。その気になれば、間違えた部分だけでなく、書いたものすべてを消してしまうことだってできる。そのことに気がついてからは、鉛筆は消しゴムのことを神か何かのように思うようになった。そこにあったのはほんの少しの畏怖であった。
鉛筆は消しゴムのことが怖かった。こわい、と思った。自分が死ぬまえに最後に残した文字を、やつは消すだろうか。たとえ間違っていたとしても、消してほしくはなかった。
消しゴムのことを目で追ったり、たまに話しかけてみたりもした。消しゴムはすこし陰気な性格をしていた。鉛筆が本能的なレベルで文字を書くことに快楽を見出しているのに対し、消しゴムは文字を消すことを仕事だと考えていた。そのため消しゴムが鉛筆と話すときはきわめて事務的な態度をとった。それを陰険だと嫌うものもいたが、鉛筆にはそういった消しゴムのスタンスは好ましいものに感じられた。なぜならみんながみんな鉛筆のように振舞っていたら秩序というものがなくなってしまうからだ。消しゴムのようなやつがいるおかげで世の中は成り立っている。しかし消しゴムの仕事が鉛筆の存在意義を揺るがすものであることには変わりなかったので、彼は消しゴムに強い興味を持ちながらも、話しかけるときは常に高圧的な態度をとった。高圧的といっても、子供くささの抜けないそれに消しゴムはいつも少し呆れたような表情をするのだが、鉛筆のいうことにはきちんとこたえてくれた。それは鉛筆にとってうれしいことであると同時にどこか見下されているような気がして悲しくもなる事実だった。態度が事務的だからではない。消しゴムが自分に対し興味がないのを知っていたからだった。
そう、彼は、消しゴムのことが好きだった。
四六時中消しゴムのことを、消しゴムのことだけを考えていた。自分の書いたいろんなものの、どの部分をどのような動きで消したのか、目のくらむような強烈な快感に支配されながらも、それだけはいつも覚えていた。どころか、もくもくと「仕事」を続ける消しゴムの姿は、書いている間の鉛筆の性欲をさらに喚起させた。消しゴムの出すカスに自分の体の芯のかけらが入っていると思うと、そしてそれが消しゴムが体を激しく擦り付けた結果だと思うと、それだけで射精しそうな勢いであった。
それだけつよく消しゴムのことを思いながらも、鉛筆は思いを告げようとはしなかった。消しゴムが自分に興味のないのはわかりきっているからだ。ああ、でも。でも。おれはどうしたらいい。鉛筆は苦悩した。消しゴムのことが好きだった。抱いてほしかった。この気持ちを、体を、どうにかしてくれと全身が叫んでいた。消しゴムにどうにかしてほしい。ほかの誰でもない、あの消しゴムに。自分がゴミ箱に捨てられてしまう前に。
「あんたのことが好きなんだ」
白い紙の上で、鉛筆は消しゴムと向き合っていた。鉛筆はいつもの幼稚なふるまいとは裏腹に、伏目がちにうつむいている。消しゴムの表情は見えない。
告白しよう、と思ったのは、つい数日前のことだった。快感が支配するあの異様な時間から解放された鉛筆は、自分の残りの芯がもういくばくもないことに気がついた。一息ついて、ふと気がついたらそうなっていたのだ。その瞬間の鉛筆の混乱といったら、初めて消しゴムに出会った時に相当するものであった。死ぬ。死んでしまうのか、俺は。死ぬのか。今まで漠然としか考えたことのなかった「死」が、一足飛びで近づいてきた。自分はいつまで書き続けられるのだろう、そんなことばかりが鉛筆の思考を支配した。
消しゴムの返事はない。
たった数分の時間が永遠にも感じられ、鉛筆の体はその間にもどんどん震え始めて汗はとめどなく流れた。まるで滝のように顔面から吹き出る汗を鉛筆は呪った。対人恐怖症のような反応を示している自分を、消しゴムが気持ち悪く思わないか、それだけが心配だった。そう、今や鉛筆にとっての最大の命題は、消しゴムに色よい返事をもらうことではなく、なんとか嫌われずにこの場を切り抜けることへと変わっていた。もとより消しゴムに好意なぞ抱かれてはいないのだ。それは分かっている。
しかしここで「今のは冗談だから忘れてくれ」などと言うこともできない。ずっと思いつめていた気持ちをやっと吐露したのに、それを否定してしまったら今までの俺はどうなる。そんな気持ちだった。
鉛筆がそこで立ち尽くしたままどうしようもできないでいると、目の前の消しゴムの陰がかすかに揺らいだのが目に入った。
「悪いが、おまえの気持ちは迷惑だ」
急に足場を失ったような気がした。
今消しゴムはなんと言った? 迷惑? 迷惑だって?
相変わらずうつむいたままの鉛筆の目は、消しゴムの陰がさらに動き、どこかへ行ってしまおうとしている様子をたどった。そこで鉛筆は顔をあげ、消しゴムの腕を掴んだ。
「どうして!」
振り向いた消しゴムの顔は、この上なく億劫そうな表情をしていた。
「邪魔なだけだ」
「何がだよ! あんなにやさしくしてくれたのに! 俺が話しかけたら答えてくれたじゃないか! 他に好きなやつがいるのかよ!」
鉛筆の目は今や見開かれ、異常なまでの量の汗が顔から滴り落ち、消しゴムの腕を掴む白い手は小刻みに震えている。彼の頭に、少し呆れながらも丁寧に受け答えてくれた消しゴムとの会話のひとつひとつが順番に浮かんでは消えていった。ぶっきらぼうでいて、かつ親愛の情を欠いた態度に、鉛筆はやさしさを見出していたのだった。それは完全に彼の勘違いであったが、しかし鉛筆の短い――死を目前にした――人生にとってはそれだけが全てであった。鉛筆は、もし断られるとしても、もっと思いやりのある答えが返ってくると、信じて疑わなかったのだ。
完全に理性を失った鉛筆を、消しゴムは汚いものでも見るかのような目で一瞥して、言った。
「おまえはどうしてここに自分が存在できると思っているんだ」
鉛筆は訳がわからないといった風に、未だわめき続けている。
「紙だ」
彼の言葉は最早鉛筆の耳に届いていないのは一目瞭然であったが、消しゴムは自分自身に言い聞かせるかのような声で先を続けた。それは、彼の体もまた擦り減っており、鉛筆同様死を目前にした時点で自分の感情を整理しておきたいと思ったからかもしれなかった。
「紙がいるから俺たちがここにいる。おまえみたいな鉛筆やその同類どもときたら、存在理由なんてものを一度でも考えたことがないんだ。おまえらはただの動物だ。自分の存在意義を作り出した存在に対して、これっぽっちも感謝したことがないんだろう」
そう言う消しゴムの目は熱っぽく、口調は荒い。
「俺は紙のために生きているんだ。おまえらのせいで紙が汚れる。何故書き損じを恥に思わない? その尻拭いをしてるのは誰だ?」
鉛筆の生きがいが消しゴムであったように、消しゴムの生きがいは紙であったのだ。彼の紙に対するそれは、鉛筆が抱いていたような性欲とは違った。もっと神聖なものを神聖な目で見る行為だった。それが消しゴムの全てだった。
消しゴムの告白を聞いた鉛筆がなおも縋ろうとしてくるのを払いのけ、消しゴムは何一つ意に介することなく去って行った。鉛筆にはそれをただ呆然と見送ることしかできなかった。たった数分で踏みにじられてしまった自分の欲望を、愛情を、どうすればいいのか分からなかったのだ。
一人取り残された鉛筆は、空っぽだった。これから捨てられるまでのあいだ、何を生きがいにしてどのように暮らせばいいのか皆目見当がつかない。
「俺は、どうしたら、いいんだ」
彼の体が、ぐらりと傾く。
その空っぽな鉛筆が転がった音が、ただむなしく辺りに響いた。聞いているものは誰もいない。鉛筆は体を横たえたまま、己の人生を何度も何度も反芻し、勘違いに塗り固められた思い出に浸った。幼く未熟な彼には、そうすることでしか己を生きながらえさせるすべが思いつかなかったのだ。
おわり
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わっふるしてくれた人、ブクマで感想かいてくれた人みんなありがとう
続きは別のところで発表したんだけど、続き読みたいという人が何人かいたみたいなので晒すよ。
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20070223/1172263676
そうだ、はてなアイデアにはてなとは関係ないアイデアも登録できるカテゴリーを作ったら面白そう。
どこそれの戦争はやめるべきだ、とか、京都にシリコンバレーを作るべきだ、とか。
これに対し、はてブのコメントでは「疲れてるの?」「釣り?」など戸惑いの声が。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20070223/1172263676
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenaidea/20070224/1172324646
http://i.hatena.ne.jp/idealist?did=22
リクルート発行のフリーマガジン「R25」の中で語っていたことが明かされる。
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenapr/20070224/p1
京都はゆったりとした時間の流れ方や元気の良い学生の多さ、体制の距離を置けるという点がシリコンバレーによく似ています。日本でシリコンバレーになれるとしたら京都をおいてありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070210230240
「男オタはキモい。精子臭い」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。きょうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。
秋葉原の裏通りは同人ショップで埋まり、露骨な性描写が堂々と店の軒先に並んでいる。はてな匿名ダイアリーでは女性らしき人がエントリーを書き込んでいた。私に当然彼女?を知らないので、文体や文中ににじむアタシ倫理観で判断するしかないが、年齢は20代半ばから30代ぐらいか。エントリーにはエロゲ好きの友達という人が登場している。文中を読む限り、男性の性欲への嫌悪感をむき出しにしているようだ。
このエントリーに気づいたのは、この一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性が「一般的な人間はそういったものを秘め事として扱っていて、美だとか性欲だとかいうものは奥ゆかしく嗜むのだと思う。」「白昼堂々ズリネタを求めて歩き回る姿を許容している街がある、というのは何とも。。。」などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の考えているキモオタを糾弾して秋葉原を浄化させたいらしい。
ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。はてなIDを持っている私がエントリーを書き込めば、もう1人ぐらい誰か賛同のトラバを送ってくれるだろうと思ってキーボードをたたこうとした瞬間、ランドセルをしょってバンダナを頭に巻いた若者が口を開いた。
「あんたさぁ、はてな匿名ダイアリーでそんなエントリーを書くぐらい空気読めるのに、秋葉原の裏路地ぐらいスルーできないの? それっておかしくない? 秋葉原駅前にあるのはサトームセンとヨドバシカメラであってメッセサンオーとかあきばおーじゃないだろ? こっちはこれから年に4回しかないサンクリに行くところなんだよ。だいたいさぁ、「奥ゆかしさを見せて欲しいなぁ」と俺らに求めるくせにおまえは「精子臭い」だの「ズリネタ」だの美のかけらもない言葉使ってるの分かってる? 俺があんたみたいな女じゃないから少女コミックレベルな性描写のゆるい基準なんてもらえなくて、優雅にやおい語りなんてやってられないんだよ。秋葉原の裏路地で肩身狭くぶるぶる震えることしかできないんだよ。とにかく奥ゆかしく嗜みたかったら上野の現代美術館に行けよ」
細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。オタオタしているように見えるキモオタの意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。「オタクは教室の隅の席でガタガタ震えてましょう」とか「ここ晴海のコミケ会場には10万人の宮崎勤がいます」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。1人の一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性は凍りついたように黙りこくり、はてな匿名ダイアリーから消えていった。ほかのブログに乗り換えたのかもしれない。
雑誌の巻末占いが大好きである。特に週刊の女性誌や情報誌のものはこまめにチェックする。もちろん、当たりは期待していない。先週はあっちの雑誌が当たったかと思うと今週はこっちの雑誌が当たったかという具合に、ランダムに当たったような気にさせられるだけだ。なぜなら、結果をはっきりと検証できないためである。実際占いが当たっているかどうかを確かめるには、毎日項目別に(総合・仕事・恋愛というように)日記をつけ、占いと照らし合わせる作業が必要だろう。もちろんそんな暇なことをしている人が多いとは思えない。まあ、そういうお茶の濁しっぷりをじっくりと味わうのが巻末占い道なのである。あれね、うまいこと書いてるよ。まるで企業の謝罪文書のように、責任の所在が不明で。
ものすごく必要とされているわけではないのだろうけど、女性誌の巻末にはほとんど存在するあれは、占いという機能そのものより、「もう終わっちまったぜ(今回も内容うすいなー)」というため息をある程度軽減するためにあるのだろう。なんだかんだで「ほえー、今月ラブ運最強か」などと思いをそらされてしまう。雑誌のページを閉じる手前の名残惜しい気持ちをうまくコントロールする装置としてはたらいているのだと思う。
それにしても今の世の中、何でも占いになるよなあ。手の皺から、携帯電話の番号まで。やおいもそうだけど、万物にそういう関係性だとか意味を見いだしてしまうのって、日本人に特有の性質なのかしらん?
解説サンクス。
あと、もしよければ知りたいんだけど、そういったサイトってサーチエンジンの類には登録したりしないのだろうか。
というか、「女性向け」という検索絞りがあることから、全く登録されないという事はないと思うのだが。もちろん、女性向け=全て801という事ではないので、801系はあまり登録されないという可能性もあるのだけど、昔使ってた(今はなくなってしまっているが)サーチエンジンにはハッキリと「やおい」というカテゴリーが存在していたんですよね。ちなみに、僕はそこで初めてやおいという言葉を知ったんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070204203737
この辺との価値観の違いはなんだろ。気持ち的にはどちらも、大雑把には理解できるが。
女性向けサイトはファンサイト(だから上でいうところの消費者の視点に近いサイト)って側面が強いのかもしれん。某ファン道なんかも、どちらかといえば女性投稿者の方が多い印象だし。あまり読まないから詳しくはないけど。
さっき、『スタメン』で特集してた。女のオタクを「オ(ヲ)タージョ」って言うらしいんだけど、聞いたことある?
放送で「腐女子」ってのはさすがに使いにくいから、新しい言葉を勝手に作ったのか?フジテレビよ。
フィギュアやゲームやアニメキャラのコスプレを愛するオタク女は、やおい同人誌愛好家の「腐女子」とはグループが異なり、その分類名として「オ(ヲ)タージョ」を提唱しようということなのだろうか。オタク女を広く「オ(ヲ)タージョ」と呼ぶならば、「腐女子」はその下位類のような気もする。
追記
グレーな領域→昔のアングラ的に秘匿。
検索で来た一般人の反応→叩かれ、お定まりの論争を繰り返すのを避ける。
身内だけでも抗争が耐えない性格を持っている上に、アンチの多い(多かった?)分野ですから、地下に潜ろうとするのは当然では。
http://anond.hatelabo.jp/20070204185556
その通りです。言葉が足りなかったですね。「やおい系」は普通は検索除けをします。
他にも「サイトから公式にリンクを張らない」「閲覧者のオンラインブックマークの使用は禁止」
「やおい系サイトを見ながら同時に公式サイトを閲覧しないこと」(アクセス解析に間違って引っかかる場合がある)
などをはじめとする暗黙のルールが山ほどあります。「隠してこそ華」が多くの腐女子の共通認識だと思います。
まれに三角形や丸なんてのもいるが、ともかく彼は六角形であった。いや、この場合は六角柱と言ったほうが正しい。なぜならもちろん彼は鉛筆だからである。鉛筆がこの世に鉛筆として生を受け、鉛筆としての機能を初めて発揮した日のことは忘れがたき思い出、トラウマ、存在意義として彼の脳裏に焼きついていた。ぴかぴかに尖った先端を支えにしながらやわらかめの紙の上でおどると、自分の体の一部が紙にしゃりしゃりと音を立ててこびりつく。その行為は鉛筆に母親の胎内へ還っていくような錯覚をおぼえさせた。強い快感をともなう行為だった。涙と鼻水と汗が同時に出てきた。そのたびに紙や鉛筆や定規たちは鉛筆を怪訝な目で見たが、しかし紙に何か書き付けるたびにそういった状態に陥るのは、なにも彼だけの話ではない。鉛筆はみんなそうなのだ。
ともあれ、強烈な快感を全身で感じながら鉛筆は一休みした。目のくらむような満足感に突き動かされ、鉛筆は自分の体の一部がどんな形を残しているのかを確かめようと振り向き、そして見てしまった。
消しゴムであった。
消しゴムが、鉛筆が書き損じた文字をせっせと上下左右に体を小刻みに動かしながら消していた。
鉛筆は驚愕し、愕然とし、そして強い怒りに駆られた。消しゴムが今消しているのは、自分の体の一部なのだ。いや一部なんてものではない。自分の体の芯そのものだ。生きた証だ。それを、ただ間違えたからというそれだけの理由でやつは消している。許せなかった。そしてそれよりも鉛筆が我慢ならなかったのは、消しゴムはその消すという行為に対してなんら感じるところがないようであったことだった。その割に、鉛の粉が紙の凹凸にあわせてくっついているのを見ているその目には、やたらと熱がこもっているようではあったが。
鉛筆はその後もよだれをたらしながら文字を、あるときは絵を、またあるときはそれ以外のものを書き付けながら、消しゴムが自らの痕跡を跡形もなく消してしまうのを見ていた。
はじめにあったのは、強い怒りだった。そして何日か後に、おおきな虚無感に襲われた。自分が命を削って残した痕跡をああも簡単に消してしまえるのなら、自分が生きる意味はどこにあるのだろう、と思った。その気になれば、間違えた部分だけでなく、書いたものすべてを消してしまうことだってできる。そのことに気がついてからは、鉛筆は消しゴムのことを神か何かのように思うようになった。そこにあったのはほんの少しの畏怖であった。
鉛筆は消しゴムのことが怖かった。こわい、と思った。自分が死ぬまえに最後に残した文字を、やつは消すだろうか。たとえ間違っていたとしても、消してほしくはなかった。
消しゴムのことを目で追ったり、たまに話しかけてみたりもした。消しゴムはすこし陰気な性格をしていた。鉛筆が本能的なレベルで文字を書くことに快楽を見出しているのに対し、消しゴムは文字を消すことを仕事だと考えていた。そのため消しゴムが鉛筆と話すときはきわめて事務的な態度をとった。それを陰険だと嫌うものもいたが、鉛筆にはそういった消しゴムのスタンスは好ましいものに感じられた。なぜならみんながみんな鉛筆のように振舞っていたら秩序というものがなくなってしまうからだ。消しゴムのようなやつがいるおかげで世の中は成り立っている。しかし消しゴムの仕事が鉛筆の存在意義を揺るがすものであることには変わりなかったので、彼は消しゴムに強い興味を持ちながらも、話しかけるときは常に高圧的な態度をとった。高圧的といっても、子供くささの抜けないそれに消しゴムはいつも少し呆れたような表情をするのだが、鉛筆のいうことにはきちんとこたえてくれた。それは鉛筆にとってうれしいことであると同時にどこか見下されているような気がして悲しくもなる事実だった。態度が事務的だからではない。消しゴムが自分に対し興味がないのを知っていたからだった。
そう、彼は、消しゴムのことが好きだった。
四六時中消しゴムのことを、消しゴムのことだけを考えていた。自分の書いたいろんなものの、どの部分をどのような動きで消したのか、目のくらむような強烈な快感に支配されながらも、それだけはいつも覚えていた。どころか、もくもくと「仕事」を続ける消しゴムの姿は、書いている間の鉛筆の性欲をさらに喚起させた。消しゴムの出すカスに自分の体の芯のかけらが入っていると思うと、そしてそれが消しゴムが体を激しく擦り付けた結果だと思うと、それだけで射精しそうな勢いであった。
それだけつよく消しゴムのことを思いながらも、鉛筆は思いを告げようとはしなかった。消しゴムが自分に興味のないのはわかりきっているからだ。ああ、でも。でも。おれはどうしたらいい。鉛筆は苦悩した。消しゴムのことが好きだった。抱いてほしかった。この気持ちを、体を、どうにかしてくれと全身が叫んでいた。消しゴムにどうにかしてほしい。ほかの誰でもない、あの消しゴムに。自分がゴミ箱に捨てられてしまう前に。
(続きは省略されました)
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むしゃくしゃしてやった。今は反省している。
父・母・兄・犬
3つ年上の兄はジャンプ愛読者。
マンガ・ゲームの類は禁止もされなければ推奨もされない。ごく普通の家庭。
本人の成績は中の中といったところ。目立たず、やや大人しいタイプ。
趣味は絵を描く事。
ジャンプ愛読者の兄(1つ上)にそれなりに反発しながら、それなりに影響を受ける。
学校の友達が読んでいるのでちゃおとかも読むけど、少年漫画もそれなりに詳しい、クラスに一人二人いるタイプ。
ジャンプ掲載漫画の801アンソロジーコミックをそれとは知らずに書店で購入。
最初の1回はドン引きするものの、気になって読み返す。知らず夢中になって読むように。更に、巻末の同人誌紹介で同人誌の世界を垣間みる。
好きな漫画がアニメされる事になり、情報と書き下ろしイラスト目当てでアニメ誌の購入スタート。やはり同人誌紹介が載っている。
購入した同人誌を発行しているサークルのサイトから、ネットに広大に広がる二次やおいの海へダイブする。
受験の為に、一時漫画やネットから離れ、フラストレーションが溜まる。
志を同じくする友と、もっとディープな腐女子の先輩達との出会い。
友人や先輩の手を借り、本格的に同人活動と二次やおいサイト(18禁)の運営をスタート。
また、オリジナルJUNEの世界にも触れ、主にビブロス(現・リブレ)あたりのコミツク・小説などを買い漁る。
腐女子化のスピードアップ、好みではないキャラをも瞬時にかけ算するスキルを修得。
これまでの鬱積を取り戻すべく、ネットへダイブ。同人活動再開。復帰第1作はレイプものやおい。
腐女子化は留まる事を知らない……かのように思われたが、バイト先で運命の出会い!!
残業に明け暮れる日々。
合コンに行く事はおろか、たまの休みでさえ有意義に過ごせない、鬱屈した潤いのない日々。
しかし、残業後、肌の手入れをしながら何となく見ていた深夜アニメが彼女の人生を変える事になる。
再び芽生える「萌え」の感情。瞬時にかけ算完了。
胸に滾る「萌え」を形にするべく再びペンを取る。
が、描けない。長い事絵など描いていなかったので腕が鈍っている。しかしこの「萌え」をどうにか消化したい。
考えに考え、出した結論は「絵が描けないなら文を書けばいいじゃない!!」。
かけ算スキルは高校生の頃とは比べ物にならない程のレベルに達し、今や無生物ですら瞬時にかけ算できるように。人類皆やおい。
それなりに良い関係を築いている異性がいるが、恋愛対象というよりは、「受け」として見て萌えている。
かけ算スキル……2体の男性固体に対し、「受け」役と「攻め」役を振り分けるスキル。
初級レベル腐女子は1週間〜1ヵ月で最も萌えるキャラを振り分けるのに対し、上級レベル腐女子は消しゴムや鉛筆といった生物ではないモノすらも瞬時に振り分けが可能。
しんだそのあとで
腐敗する前に火葬して貰う事が、私の一番最後のお願いです。
そりゃ普通じゃないですか。
ただし、アイバンクに登録しておいて、自分が亡くなった際に角膜を保存し、これを移植されることでのみ視力が回復できる人のために役立てるという事はできる。(その際、近眼でも構わない)
→財団法人・日本アイバンク協会
その他でも、「臓器提供意思表示カード」(リンク先は日本臓器移植ネットワークのホームページ)というものがあったりする。死後(脳死後も含む)他人への臓器移植を希望する・もしくはしないといった意思表示をするためのカードなので、「希望しない」ことを示すために持つのもよいだろう。
ほかにも例えば残された遺品のうち、『オタク趣味』のきついものの処分方法に関しては、コレクション性があるものは、できれば散逸を防ぐために、まとめた状態で“理解のある人”のところに引き取ってもらうのがいいだろうし、女性なら亡くなった当人の体面を壊さないためにも、「やおい」同人の類いは家族に見つかる前に友人たちに速やかに回収してもらうのがベターであろうと思われる。
あと問題となるのが、たとえば日ごろ使用しているパソコンのHDDの中身に関してである。パソコンを一定の期間使用せずにいた場合に、次に立ち上げた場合に特定のフォルダの内部を削除し、デスクトップ上に“遺言”メッセージを表示するという機能のソフト・『死後の世界』というものがある。絵・ないし実写等のエロ画像をパソコン内に溜め込んでいるような人は、ぜひ導入をお勧めしたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070121043719
に関連して。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~t05091yi/web/blog/2007/01/22/153436.php
ってのはたしかにそうで。少なくとも東京に住んでる限り、メジャーどころを購入するためならあの殺人的な環境に飛び込む必要性は少ない。電車に10数分乗って、ターミナル駅のまんだらけなり虎の穴なりに行けばいい。で、最近ではその話は東京に限らない。地方の書店でも「同人誌コーナー」を設けてるところがあるらしい。三島市のイトーヨーカドーにあったそうで、帰郷した友人が土産話として語ってくれた。女子中学生が制服のまま、嬉々としてやおい本に群がってるんだと。
で、元の話に対する反応として大きかったもののひとつは「しょせん買い専の意見だねプ」ってやつなんだけど。なんつーか。よく分からない。ネット依存症のみなさまにあるまじき、というか。それってつまり自家中毒を自認かつ奨励してる、ッてこと?
ここからインスパイア。
ブロガーは万人によって求められることを自ら欲し、ブックマーカーは万人によって愛されることを自ら望む。かつてはホッテントリを衆愚ならしめるためにGIGAZINEが最も強き大旦那にブクマされたことがあった。今やホッテントリと注目エントリとをアルファブロガーの独占より奪い返すことはつねに進取的なるはてな市民の切実なる要求である。匿名ダイアリーはこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽のエントリを少数者の見栄と体裁とより解放してはてブトップページにくまなく立たしめはてな市民に伍せしめるであろう。近時大量セルクマの流行を見る。その自作自演の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称するエントリがその編集に万全の用意をなしたるか。千古のネタの執筆企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに通過を許さず読者を繋縛して過去ログの読破を強うるがごとき、はたしてその揚言するWeb2.0のゆえんなりや。吾人は天下のアルファブロガーの声に和してこれをRSS登録するに躊躇するものである。このときにあたって、株式会社はてなは自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかの2ちゃんねるにとり、古今東西にわたってWeb2.0論・はてな論・無断リンク禁止論・なぜころ問答等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真の古典的価値あるエントリをきわめて簡易なる形式において逐次投稿し、あらゆる人間に須要なる生活向上の釣堀、生活批判の劇場を提供せんと欲する。この匿名ダイアリーはidの表示を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する話題を各個に自由に執筆することができる。うんこ投げに便にして敷居の低きを最主とするがゆえに、顕名を顧みざる内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来のはてなコミュニティの特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって匿名ダイアリーの使命を遺憾なく果たさしめることを期する。はてなを愛しブクマを求むる士の自ら選んでこの挙に参加し、改変ネタとやおいネタとを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上モヒカン的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世のはてな市民とのうるわしきクネクネを期待する。