はてなキーワード: ごろごろとは
*09-09-10追記しました。
今付き合ってる相手との関係に行き詰まりを感じている。
付き合いは1年半くらい。相手は異性ではない。
かといって自分たちは同性愛者でもないが、異性愛制度の枠外にいることだけ明記しておく。
Kは実家住まい。増田は一人暮らし。会う時はいつもKが増田宅に来る。
Kは実家が嫌いで、ある意味増田宅を避難所扱いしている。息抜きの場というか。
知り合った時からKは鬱を患っていた。現在も通院し薬を服用している。
今はまずまずの小康状態と思うが、ひどく気落ちして何も出来なくなる事が多く、
たまにバイトするくらいで定職についていないためほとんど金がない。
(病気は家で静養すればいいから生活費は必要ないと思っているらしい。
増田も経済的にそれほど余裕があるわけではないが、Kの鬱を承知で付き合っているし、
Kが来るのは週末だが、増田は最近仕事のシフトが変わり、週末にも仕事が入る事が多い。
Kとしては、週末には家族が家に居るので、あまり顔を会わせたくないと言う。
先週の木曜は夜勤シフトで、翌金曜の朝に一度帰宅し、昼から夕方までまた仕事をしてきた。
夜にはKが来るから、仮眠をとる間もなく夕食の準備をしてKを迎えた。
ちょっと疲れていたが、その日はわりと楽しく穏やかに過ごせた。
翌土曜は、夕方から夜まで仕事だった。Kは増田と一緒に家を出ることになっていた。
増田は前日睡眠不足だったし、夕方から仕事なので体力を温存しておこうと思い、
午後遅くまで横になっていた。
起きると、Kは漫画を読んでいた。
Kは1日3回薬を服用しているので、3食きちんと食べなければならない。
何か食べたのかと聞くと、まだ何も食べていないと言うので、
急いで食事をつくって一緒に食べた。
その後、シャワーを浴びて出てくると、Kはリビングでごろんと横になっている。
それを見てにわかに腹が立ってきた。
休日モードのKに対し、増田は仕事モードだからイライラするんだろうか。
そう思ったが、モヤモヤした気持ちにフタをして、その日はKと別れた。
台所のシンクには汚れた食器が放置してある。洗濯もしなければならない。
Kは手ぶらで遊びに来て、出された食事を食べるだけ食べ、洗い物も片付けもせず、
Kの部屋着を洗って干している時、増田はまるでKの愛人ではないかと思えてきた。
増田は、Kと過ごす時間をなるべく楽しくしよう、Kの負担をできるだけ少なくしよう、
不便のないようにと気を使っている。
けれどもKは、K自身がのんびり過ごす
増田宅に来ているようで、二人で過ごす時間を大切にしようという姿勢は見られない。
Kの負担を少なくしようとすればするほど、増田の負担が増すばかり。
Kと一緒に過ごすことまで“仕事”に思えてくる。
増田にとってこの家は生活の場だ。腹が減ればメシも食うし、汗をかいたら風呂にも入る。
汚れ物は洗わなければならないし、ゴミも出るし、片付けも必要だ。
「顔を見たいだけ」とKは言うが、実際にはそんなキレイ事では済まない。
けれども、Kにとってこの家は、一種のリゾート、旅行先なのだ。
嫌な現実を忘れられる避難所で、何もしなくてもメシや着替えが用意されている。
何役もこなさなくてはならないというのに。
誤解のないように書いておくが、増田は決して世話好きなタイプではないし、
自分ばかりが「あれしよう」「ここに行こう」と提案して、
主導権を握るのは好きじゃない。
Kの場合は、「どこ行く?」「何食べる?」と聞いても、
考えられないし決められなくて混乱するばかりなので、
そういう心理的負担を少なくしようと思って代理しているまでだ。
するといつの間にかKは、何でも増田に任せておけばOK、と思うようになったらしい。
増田の考える事やる事言う事全て正しいのだと、増田を絶対視するようになっていった。
だから、K自身は考えたり判断したりしなくて済むと思うようになっていった。
「それは危険だからやめてくれ。
不安だらけだし自信なんてないのだから、当てにするな」と言ったが、
どこまで理解されているかはなはだ心もとない。
かといって、「Kはどうしたいんだ、自分の考えを言ってみろ」と詰め寄るのも、
Kにとっては辛い事なのだ。
この先どうすればいいのか迷う。
ここに書いた事をそのままKに伝えれば、
Kは増田に気を使って緊張しすぎて疲れてしまうに違いない。
かといって、今のままでは自分が潰れてしまいそうでしんどい。
嫌いになったわけではないが、Kは増田にとって大きな負担になっている。
そう言えば、Kが素直に従うことは分かっている。
二人の時間をよりよく過ごすために、
自分で考えて、自分の意志で、進んで何かをするという事がない。
増田が働きかけなければ、Kはいつまでもその場でじっとしている。
それじゃまるで自分一人でいるのと変わらない。
いや、一人でいる方が負担がない分ずっとましかもしれない。
相手を思うだけで疲れが吹き飛んで元気になったり、
嫌な事があってもまた頑張ろうと思えたりする、心の支えのようなもの。
でも、今の増田にとってKはそうではない。
会った時には少なからず嬉しい気持ちがあるが、去った後には気が滅入る。
考えれば考えるほど気が重くなる。
何を思って増田に会いに来るのか分からないKが不気味にすら思えてくる。
鬱を承知で付き合っているなら、相手に何も求めず、
ひたすら尽くすしかないのだろうか。
増田があまりに狭量なために、こんな苦しい思いをするんだろうか。
すれ違いや不満を感じているのは増田だけであって、
Kは今の付き合いに満足しているのだと思う。
このすれ違いはKの病気のせいというより、
お互いのコミュニケーション文化が違うからなのかもしれない。
その一方で、鬱になってからのKはかなり退行していると感じる。
鬱以前のKはバリバリ頑張る優秀な人だったとKの友人から聞いているし、
付き合いが進むにつれ、Kの意思表示は少なくなっている。
家族との関係のまずさが鬱の原因の一つだとも考えられる。
実際、家族は病気で不安定になっているKの助けにはなっていないらしく、
Kがうちで漫画読んでごろごろしているのはリラックスしている証拠だろうから、
その姿を見て和めれば幸せなんだろうけど、いまはそうは思えない。
増田の気持ちをネガからポジに切り替えられる何かがあればいいのだが、
なんかもう疲れたよ。
好きな人と一緒にいれば幸せ二倍、苦労は半減と思っていたが、今は真逆だ。
幸せ半減、苦労は二倍。
そろそろ潮時なのかなあ。
長文すまん。最後まで読んでくれた人、ありがとう。
>「捨てちまえそんなゴミ」
そう思わないこともないが、「役に立たないヤツ=ゴミ」とは思いたくない。
仕事の付き合いではないから、役に立つ/立たないの二分法では考えられない。
なんか、自分はKに利用されてるだけなんじゃないかと思う自分がいやだ。
(鬱持ちの友人が何人かいるので、相談して情報を教えてもらった)
最初の数回は付き添っていった。薬は確かに飲んでいる。
処方箋を見せてもらった事もあるし、Kの事も知っている医療系の友人から
「この薬は副作用がちょっと心配」「これは今のKには量が多すぎるのでは?」
とアドバイスをもらった事もある。
K自身がどうなりたいのか(病気との付き合い方とか)、
どうしたら楽でいられるのか、何ができて何ができないのか、
ちょっとずつでいいから言語化してみてくれ、と何度か話し合ったことはある。
あまり急かしても逆効果だろうからゆっくりでかまわないんだが、
増田が働きかけないと、これまでそういう話し合いをしてきた事をKがすっかり忘却しているので脱力する。
いつも振り出しに戻る感じ。
Kが自分の事すらろくに考えられない状況なのだという事はわかっている。
だったら引きこもって療養に専念すりゃいいだろとも思うが、
いかんせん実家の居心地が悪いため、なかなか療養にならないという事情もある。
かといって増田がKの生活や療養を全面的にサポートするわけにもいかず。
Kの鬱は二次症状だろうと思っている。病院の医師もそう見立てている。
一次的なものについては、ここでは触れない(すまん)。
上記の友人たちからは、「長くかかるだろうねぇ。少なく見積もっても5年かな」と言われている。
この事はKには伝えていない。
Kに対する不満やすれ違いについては、これまで何度かKに話している。
「ちょっとずつでも変わりたい」とKは言うが、
実際には先に書いたように振り出しに戻ってばかりで埒があかない。
ケンカになったこともある。ケンカというか、増田が頭に来て一方的に怒ったりとか。
でも今回は腹を立ててKに怒る気力もない。
とりあえず、ここまで。また思うところがあったら追記するかも。
「引き抜かれる(ないし会派ごと寝返る)ことで確実に与党になれる」
状況ならわりとごろごろ寝返るのさ。
悪名高い自社さ連立が成立したのも、その時期新進党から離党が続発したのも。自自公連立が成立したのも、その時期民主党から離党が続発したのも。みな「自民一党では無理でも手を組めば与党になれる」状況だったから。
今は(民・自大連立ないし民主分裂ってんなら話は別だが)自民と他の小政党が手を組んでも、参院民主からいくばくか引き抜いても、衆院で優位を確保することが不可能=与党になれないので、そうそうほいほい引き抜かれる議員は居ないだろうね。
一度読んだだけでは何を言っているのかわからない日本語。
新しい歴史教科書をつくる会との関係を解消した扶桑社に代わって同会の中学校歴史教科書の発行元となり、文部科学省に検定申請し、不合格、再申請を経て2009年4月9日に合格した。
この文、「主述のねじれ」なんてもんじゃない。主語は書かれていないが「自由社は」であるから、この文は「自由社は~の発行元となり、合格した」という骨格になるが、これは「自由社は~の発行元となった。そして自由社は~を検定申請した。その結果不合格となったが再申請を経て、~は合格した」ということを言うための日本語としてはひどいものである。
ウィキペディアの日本語版は、こんな日本語がごろごろ転がっていて、とてもではないが、使う気にはなれない。じゃあお前が修正しろと言う人もいるかもしれないが、ウィキペディアで変なところを見つけるたびに修正していたら、時間などどれだけあっても足らない。
原画の時、何が必要だったのか。分からなかったことがいくつかわかった。
原画の人でここを見ている人はそんなにいないだろうけれども、
もしも参考に出来たら頭の隅にでも入れておいてほしい。
分かっている人には何当たり前のこと言ってんの、といわれるだろうけど。
1.頭身は合わせる
頭身合わせるのって難しいけど、これが出来てるかどうかで作監作業の楽さは段違い。
特にロングの時は頭身が合ってないだけで全修しなければならない。
絵だけで見ればかわいいのが描ける人とかでも例外ではないので、もったいない。
動きも何もかも書き直しになってしまうので、みんな不幸である。
作監作業が楽だということは、レイアウト戻しも早く出せるので原画さんにもメリット高し。
これに関しては以後の項目も同じことが言える。
2.キャラ対比に頭の位置を合わせる
姉キャラより妹キャラのほうが頭が高い位置にあったら変だ。というのは極端な例だけど、そういうこと。
バストアップの時には特にコレに気を使ってもらえると助かる。
これがアイレベルからズレている場合、キャラの位置とか上下ずらしてーとかで誤魔化せることもあるんだけど、
下手するとキャラから背景から全修だったりする。
3.キャラ配置などがコンテから逸脱しすぎない
コンテはレイアウト発注書みたいなものなので、
上記二つに気を使っていたとしてもコンテと違いすぎると全修になってしまったりもする。
コンテを読む力っていうんだろうか。上手く言葉に出来ないけど。
ぶっちゃけ、最近は絵コンテ自体を上手い人が描かれる事が多くなったので、
そういうコンテの場合、コンテ拡大コピーを元に絵作りしてもらったほうが助かったりすることもある。
とか書くと怒られちゃうかしら。
4.絵に愛を持つ
もう精神論なんだけど。でもこれはじわじわくる。
やっつけで描かれたレイアウトとか、なんで修正しなきゃならんの、とか思っちゃうけど、
例え全修しなきゃならないって状況でも、その絵に愛を感じたなら、作監からその原画さんに対しての敬意も違う。
それは作監修正に自然と反映される。愛のある絵は、よりそれを活かしたくなる。
他にも色々あるんだろうけど、特に1と3は気を使ってもらえると、TVアニメでの作画としてはだいぶ楽なのではなかろうか。
ただ、これは日常アニメの時に重視することであって、アクション重視のアニメだとまた求められるものが少し変わってくるので、
それはまた別の人の話を参考にしてもらいたいなと思う。
あと、1.2を立てれば3が立たず、となることは例外的とはいえよくあることで、その場合は
コンテの配置を重視してパースの微調整をしていく、となるか、
コンテの文脈を読み取ってその雰囲気を守った上、演出様確認の上でまったく違うく変えてしまうとか、
コンテの配置重視でパースを無視してしまうか、とかに分かれていく。
今、ブックマークで注目を集めている記事に
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090626/1246030883
読み進んでいく上で、なんか言いしれぬ違和感を感じていたのだが、一番最後に
お金を稼げば稼ぐほど貯め込んでいく一般の産業界よりもコンテンツ業界にお金がまわる仕組みにしたほうが世の中が楽しくなると思うのは僕だけだろうか。
と言う文章があってその正体が分かった。
この人、想像力が全く足りないのだ。つまり、自分が観測可能な部分だけで論理を組み立てているのだ。つまり、知らないだけだと。
いうまでもなくこれはいくらでも改変ができる言葉だ。ざっくり作ってみよう。
いくらでも変えられるし、それぞれに真実もある。そもそも稼いだ金をため込むなんて状況が現代日本で実現するには、タンスにしまうか穴掘って埋めるぐらいしかないのだが、その点で基本的な経済の流れを理解していないのではないかという気もする。しかし、ただ一つ言えることは、これらの言葉が、他の可能性とその理解を全く否定していると言うことだ。
それをふまえて見てみると、まさに様々おもしろい。この人は、今コンテンツ産業が革命への転換点にいることを頭では分かっていても、事実として受け止め切れていないのでは、と。
たとえば、活版印刷が発明されたとき、従来型の手で書き写すものに投資するのと、活版印刷に投資するのとでは、どちらの方が効率がいいか。
たとえば、産業革命の時に家内手工業に対して膨大な投資をするのと、蒸気機関による工場生産に投資するのとでは、どちらの方が効率がいいか。
たとえば、コンピュータが発明されたとき、今までの従来型の機械式計算機に投資するのと、コンピュータに投資するのとでは、どちらの方が効率がいいか。
たとえば、IPの急速な普及期に、今までの電話交換機に投資するのと、IP通信制御機器に投資するのとでは、どちらの方が効率がいいか。
すべて言うまでもないだろう。今コンテンツ産業は、そう言った急速な転換期に来ているのは間違いがない。
もちろん過渡期の話は分かる。活版印刷の装置が間に合わなければ手で書き写さねばならないし、蒸気機関が間に合わなければ手で作るしかない。コンピュータがまだ不安定ならば、機械式計算機を使ったり、今までの電話交換機を買ってくることも必要だろう。
ただ、過渡期の存在を理由に、将来を信じ切れなかったものは、理解しきれなかったものは滅んだと思う。そして、理解しきれないからこそ、今までの方式が正しいのだという言葉を吐くのだ。
必要なのは新しい方式はコストが下がり、回ってくる金が少なくなることを心配することではない。
新しい方式で、いかに投資効率を上げ市場を広げていくか、たくさんの人を巻き込んでいくかだ。なぜならイノベーションは止められないからである。特にコンテンツ産業の革命は、すでに先駆者がスタートを切って走っている。後ろから続くものがその欠点を発見したとしてもできることは、先駆者に追いつくか、そのおこぼれに預かるかしかない。もしくは、自ら滅びるか。
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090616/1245130321
ブックマークにて、一つだけ明らかに意図が伝わっていないコメントをしてくださった方がいるので、追記をしておく。
「そういった産業の転換点では、投資の効率が全く変わってくる。」反証:エルカセットとかβマックスとかキャプテンシステムとか…/枯れた技術の水平展開も大事じゃねえの?
挙げられているエルカセット、βマックスはそれは技術の洗練の話であって、革新的な、産業の転換期が発生したのはそれよりも前、磁気テープと言う技術が発明されたときだろう。なのでその指摘は反証にはならない。そんな個別の話ではない。
私はこの文章の中で、特別な商品名を出していないことでこの意図を伝えようとしたのだが、読み誤らせてしまったのは残念だ。
たとえば産業革命の際に、よく分からない有象無象の装置の中には失敗して売れなかったものもたくさんあるだろうことは想像が付く。しかし、産業の転換というものは止まらなかったように、それらは些細な話である。このように、個別の事案についての話ではない。また、個別の商品が失敗したことが、この全体の流れが間違っていると言う話にはならないだろう。βマックスが駄目だといって別のものを選択するとき、磁気テープすべてを否定しフィルムに戻るなんてことは明らかに投資の効率を落としている話だ。それではいずれ滅びる。
そして、キャプテンシステムだが、これは発想的には進んでいたと言えるが、それが産業の転換をもたらしたわけではないという点で反証になりうるかもしれない。これは蒸気機関にたとえるならば、トーマス・ニューコメンの蒸気機関であろう。その後のパソコン通信・アーパネット、インターネットとつながる一連のものを、ワット以降の蒸気機関とすれば、である。と言うことは、これが産業の転換期の前触れであった、あるいは、条件の一つであったという言うことにはなるだろう。ただ、これがトーマス・ニューコメンの蒸気機関ではなく、ワットの蒸気機関が爆発的な産業革命を起こしたように、キャプテンシステムが産業の転換期を作れなかったわけである。この差を見極めるのは非常に難しい事ではあるが、これは投資のタイミングの話ではあっても、産業の転換期に投資の効率が変わってくることに対する反証にはならないのではないかと私は考える。
最後に、「枯れた技術」であるが、これは水平展開は必要ないだろうが、保存の必要はあるように思う。なぜ水平展開が必要ないかと言えば、すでに保存されている枯れた技術を見れば分かる。
保存された枯れた技術…これは「文化財」(文化ではない)などとよばれ、特別に保護されているものがその代表だ。これらは、産業の転換が起きた後には、それそのものが持つ機能―――革新的な技術等が置き換えてしまった前の機能が必要であるがために残されていたものではなくなり、すでに当初とは別のものになりはてていると言ってもよいだろう。産業系の博物館などに行ってみればこの手のものはごろごろしている。
そして、古いものを直すときに、それらが必要になるときも来るだろう。しかし、それを水平展開する必要はない。なにしろ、それよりも革新的な技術は、嫌でも広まってしまっているので。
いい加減家族にも腹が立ってきた。
だけど吐き出すところがないので、ここに書きます。
自分が仕事や遊びで出掛けている間に、勝手に部屋に入られるのだ。
初めて盗られたのが何時だったかは覚えていない。
これは自分だけじゃなく、母親の本やCD、アクセサリーも無くなったりしていた。
誰が盗ったかなんて、すぐにわかった。
弟だ。
すぐに、問い詰めた。
初めは否定していたが、徐々に認めていった。
これで、大丈夫だろう。
そう思ってたいたが、それも長くは続かなかった。
自分が社会人になり、給料が手渡しだったので、自室に数万円置いていたり、小銭を貯金箱に入れたりしていた。
ある日気付くと、いくらか減っているのだ。
貯金箱は10円、5円、1円以外盗られていた。
お札も何枚か減っていた。
またか。
自室とはいえ、数万円置いておいた自分も悪い。
鍵をかけてなかった自分も悪い。
だけど、家族だから信じたかったんだ。
早速問い詰めた。
今回は家族会議にもなった。
また、初めは認めなかったが、家族三人で問い詰めてやっと認めた。
自分は働いて得たお金が盗られたり、せっかく買った大好きな漫画やDVDが盗られたりショックがでかかったからだけど。
そんな生活を6年はしている(正確には覚えていない)
今年に入って、父が農業できなくなったからそれを手伝っている。
そんな弟にいらいらしていた。
そして、昨日。
仕事から帰り、自室へ向かった。
引き出しに入れてあった、釣り銭(同人活動用)をチェックしたら明らかに減っていた。
嫌なら予感がして、まだ入れっぱなしになっていたDVDとCDを確認した。
DVDが無くなっていた。
今までのことを学習して、鍵をかけていたのに、だ。
ドアのすぐ横にある窓を開けて、ドアの鍵を開けたらしい。
窓の鍵は、隙間から物差しとかで引っ掻ければ開けられるような鍵だ。
だから、納得はした。
だけど、納得いかない。
なんで、盗られなきゃいけないんだ?
なんで、本とか盗られて、それを売られて、あいつのゲームとかになるんだ?
昨日は時間なかったから、弟と直接話せてないから、帰ったら話す。
時系列ごっちゃになってるとこもあるけど、吐き出せて少しすっきりした。
単純でくりえいちぶじゃないお仕事は、やる気おきねーですか?
一度甘い味を知ってしまうと、元には戻れないみたいなの、あるよなぁ~。
でも、それをするには下積み作業もこんだけ必要なんだよーっていうのは教えてもいいと思う。
おいしいとこはもう味わってもらったと思うので、それを実現するのにこれをやるんだよーとか
説明をうまいことしながらやらせたらどうかな。
おいしいことも多少やらせるけど、くりえいちぶじゃないのもやれと。
残業ってどのくらい?
1:9→3:7ということは、作業量が3倍ってこと? それだときついなあ。徐々に増やすとかできない?
この面は考慮の余地ありだと思う。
変質者はなあ。明るい道通って帰ってねくらいしか言えない。
極端な話、明るい時間でも出るとこには出るから、治安のいいところに住んでもらうくらいしかないでしょ。
あと、夜9時に終わる残業と、終電ギリギリに終わる残業ではちょっと違うよね。
別に、残業って夜じゃなくてもいいんだよね。朝9時始まりのとこ早出で7時に出たっていいんだし。
そこは考え方次第じゃないかしら。
体調不良は、しばらくしてもだめなら考えるくらいでいいんじゃないかな。
不自然に朝早く起きちゃっても、布団の中でごろごろしてたら、ある程度は疲れは取れます。
寝付けなくてもちゃんとベッドに入って目を閉じてじっとしていれば、休まります。(精神科医師談)
3ヶ月経ってもどうしてもだめなんですって言われたら、考えましょ。
5年前のことだけど、実家でごろごろしていたとき、母の知り合いの女性が来訪してきた。その人は母とは10年以上前から知り合いで、結婚して二人目の子供ができたときに旦那を電車事故で失った女性で、それからその日まで6年間、二人の子供を女性一人で育てていた。
その日、その人はかなり陰湿な空気をまとっていた。俺は挨拶だけしてさっさと出かけてしまった。俺がいていいような雰囲気ではなかったからだ。
適当に時間をつぶしてから実家に戻ると、その女性はすでに帰った後だった。母に女性が何しに来たのか尋ねようとしたら、母から先に言ってきた。
「娘さん、亡くなったそうよ」
女の子が一人でお風呂に入っていて、大きな音がしたので女性が慌てて風呂場に駆け込むと、女の子が倒れていて、どうやらタイルに足を滑らせたらしかった。そのまま病院に運ばれて亡くなったようだった。
その女の子が3歳くらいの頃に何度か面倒を見たことがあったので、かなりショックだった。
先日、母から電話があり、その葬儀の時以来ぶりに、その女性が母のところにやってきたとのことだった。
そして母は重い声で、
「今度は息子さんが亡くなったそうよ」
と言ってきた。
妹を亡くした兄は、母に苦労をかけられないと、中学生ながらアルバイトをしていて、配達の途中で車に撥ねられた。
悲しすぎる、そう思った。
まぁ、よく届くのだけれど大抵大した用件ではないので放置する。
週休 3日。補助を申請しているが月給が 10万減り、ボーナスもない。
リストラされないだけましだけれど毎日疲れて帰ってくる」
という内容なのだけれど、10万減ったと言っても 30万はあるはず。
家持ち(ローンの返済済みかは知らない)で、
3人合わせれば 40万はあるはず。それで十分なのかは
1人暮らしの私には分からないが、フリーターで週休 1日。
月給 20万(家賃や保険等の支払いを除くと 13万ぐらい)の
私から見れば生活していくだけなら十分だと思う。
父親は暇さえあれば、というより暇ですることがないと
目に入る新しいものを手に入れて満足しているような人。
それなのにいつも退屈な時間をどう潰すかで
苦しんでいるように私の目には見えてしまう。
それで何をするかと思えば、家具の配置を替えてみたり、
家中掃除したり、なんとなく庭をいじったりしている。
家とか車とか地位とか外面や体裁を気にするのかもしれない。
でもそうやって色々浪費して目先の快楽に耽って来ても
不安に襲われたり、退屈さや虚無感を感じているのだろうか?
3日も休みがあり、働かなくても(今は働けないのだけれど)
生活していけることの何が苦痛なのか分からない。
前に「世の中に興味がなくなってきた」という日記に、
というような内容のことを書いた。
私が今の父親の立場なら喜んでその生活を始めるだろうな。
今(25代半ば)の私は思ってしまう。ただ同じことを
父親の年齢になって考えられるかどうかは分からない。
定年前で職をなくすかもしれない。老後の不安もあるだろうし…
そういう不安があるから将来の備えをするのだろうけれど
それをしてきても父親のようになってしまえば水の泡。
何が起きるか分からないことを知っているのに
本当に生きているか分からない将来ばかり気にしている。
自分はいつまでも生きていられるつもりでいる。
なんか他人事みたいな文章になってしまったな。
なんとか手助けしてあげるつもりでいるけれど正直厳しい…
父親は今まで働いてきたのだから、
今更そんな不安なんか抱えなくていいと思う。
贈ろうかとても迷う。私もざっと読んだだけだから
今の父親の年齢で読んでどうこうできることか分からない。
まぁ、暇でも読まないだろうことは目に見えているし、
安い本だから贈ってみればいい気もする。
それより煙草か酒でも贈った方が喜ぶのは明白だな。
私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱(いだ)いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆(みな)是(これ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
中世風ファンタジーと言えばまあ「指輪物語」が源流だと言われることが多いし、トールキンは作品世界を異常なくらい作り込んだ人だった。
(まあエルフ語を作り込んでた、という方が正確だけど)
しかし、その「中つ国」でも、ホビット庄に限定すればまあまあ元増田の言うような感じだが、謎の「ミスリル」精錬技術はさておいても、モリアの坑道とかミナス・ティリスとか、現代工学でも建設不能だろ、みたいな巨大建築もごろごろ出てくる。
「ドワーフだから」という言い訳もあるけど、別にドワーフが建設クレーン持ってるわけじゃないしな。
終盤に至っては、ホビット庄にも謎の機械化工場が建設されるわけで……どう考えても中世じゃないわな。
ゲド戦記にしたってエルリックサーガにしたって事情は似たようなもので……っていうか。
「現実の中世を学ぶべき」という声は、中世風ファンタジー華やかなりしころにもたくさんあった。
ただ、そこには「嘘は自覚的につくべきだ」という認識が前提としてあって、地味で退屈で陰鬱な「リアルな」中世を舞台にすべきだ、と考えてた人はいないんじゃないだろうか。
料理に香辛料が盛んに使われたのは肉の腐臭を消すためで、香水が使われたのは体臭を消すため、なんて話、リアルに使いたい人はいないだろ。
(かといって、香辛料も香水もない中世風「ファンタジー」世界、ってのも味気ないわな)
「自覚的な嘘」の中には、理由付けを考えて書かれた設定もある(アースシーでは魔法使いが風を操ってくれるので外洋航路が発達している、みたいな)けど、たぶん全然考えられてないもの(あんな孤島ばかりで文明の発達を支えられるのかよ?飲料水とか金属資源とか木材とか……)も相当ある。
確かに最近の「中世風ファンタジー」は、昔以上に世界観の整合性を気にしなくなってるかも知れない。
(「中世風ファンタジー世界」が、一つの「お約束」として成立してしまったのが原因だろうと思う)
でも、どっちみちそれは「ファンタジー」なのであって、つきつめて考えたら整合性の取れてる作品世界なんかない。
結局は楽しいお話を描く良い舞台であればいいんだから、「昔は良かった」みたいなこと言っても始まらないんじゃないかな?