はてなキーワード: こうやとは
見事に「そんな甘くはない」「生きがいなんて」系が多くてやっぱり行くしかないと思いました!
甘くはない系の人達は実際に殺し合いをした人じゃないなら僕に語らないで下さい!
戦争映画とか旅先で小規模戦闘みたぐらいじゃ僕と同類です!
老人がいくら僕に戦争の無意味さを語ってくれても、いくら残酷な映像を見たとしても、所詮はバーチャルクオリティなんです!
実際に見て、実際に目の前で人が躊躇なく殺されるのを見て、実際に銃口向けてくる人を撃ち殺さないと自分が真実かどうか
わかってないのを人に撒き散らすのはむしろ罪です!
以上のことから内容のある反応にお答えさせてもらいます!
http://anond.hatelabo.jp/20090816015057
目的は戦が否定されてる現代で合法的で尊敬される人殺しが出来る事、個人の感情とか人権が否定された場所で生きる意味を実感したいこと。
この2つです!「自分探し」なんか興味ありませんし「フランスの為」とか「平和」のためとかみじんも思いません!
似た様や人らと生きるか死ぬかの現場にいられればそれでいいです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816020741
年は気にしてます!あと自衛隊さんに比べれば体力は期待できませんがそこは根性でカバーです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816032053
サバイバルゲームは見てて気持ち悪いです!
自衛隊は憲法で自爆してて、闘えない軍隊じゃ単なる精神訓練所じゃないですか!
http://anond.hatelabo.jp/20090816102431
まさにそういう世界に憧れてます!
崇高な理想とかが全て否定されて、ただ作戦に忠実に機械になって仲間と一緒に目の前の敵を殺す。
相手が女子供だろうとなんだろうと、相手の人生を考えてる暇が無いくらい目の前で殺戮が行われてて、
自分が手震えてたり怖がっていたら死ぬだけみたいな。そんな感じゃければただの海外ボランティアです!
http://anond.hatelabo.jp/20090816112151
昔は犯罪者の最終地点だったみたいですが今では精鋭部隊として頭も戦闘経験も優れた有能な部隊みたいですね!
だからという理由で諦めるようなシロモノではありません!留学にいくとか転職にいくとかそんな気分じゃないので!
>http://www.taisa01.com/how%20to%20join.htmが参考になるかもー/12分間に2800メートル以上走ることが入隊条件みたいだよ。がんがれ
楽勝です!3000で11分切ります!
がんばります!
>「命がけの現実逃避」という印象。仕事のやりがいとか、生きる意味とか、自分探しとか、こういうことに悩めるのって、結局のところ日々の衣食住にそれほど困っていないから出来るんだと思う。自分もそうだけど。
そう思います!自分ももしリストラされたり片親で日頃食べていくことに必死だったらきっと外人部隊なんて調べることはなかったと思います!
衣食住困らなくてもなーんにも日本で起きている事が楽しくない。
解散総選挙とかいうイベントはどうでもよいし、終戦記念日に靖国神社に群がる人の主張も説得力ゼロでした!
攻撃を受けたこともしたこともない人が何故反戦を語れるのか、甚だ疑問で仕方ありません!
>いや、まずhttp://www.legion-recrute.com/jp/読んでからいこうや。あと、合格率1割だか2割だかの狭い門だから、落ちた時の生活も考えた方がいーぞー。
英語版は全て読みました!日本語版と少し書いてること違ってます!
アジアで唯一日本語版だけあるんですね!歓迎フラグってことですねわかります!
>命はもっと粗末に扱うべきだ、というカイジの兵藤会長の言葉は理解するが、増田をそこまで追い込んだこういう社会を守るために命懸けで戦おうとする、ここが理解不明。
あなた勘違いしすぎです!
社会を守ろうとか戦争が無くなればとか微塵も思ってませんし!永遠になくなりません!戦は男の食欲とか性欲とかと同列なんです!
日本に帰って評論家とか民間会社に入る気もありません!帰った後知り合いに語っておまえらは甘い!とか言う気も毛頭ありません!
そういうヨコシマ(金儲け)な将来に興味も関心ももてないんです!
>生きがいを「求める」のは違うんじゃないかな。生きがいは、誰かが与えてくれるものじゃないからね。
あなたみたいに実態の無い物を語ってる社会に嫌気が指すんです!
もうパスポートと書類も作って今月中にとりあえず行って試験受けてみるので数年後どこかにネットが使える場所があったら増田で何か書きます!
ではさらば!
ありがとう。確かにな。体力だけが頼りだ。
で、こうやって整理出来るようになったのも、結局は、
自分の中で、ごめんなさいを言う覚悟がやっと出来た、
ってことなんだろうと思う。そんなもんかな。
喉に熱い球がつかえて塞がっているようなヒステリーが表現の原動力であっていいと思うんですけどね
と
M君事件のときにホラービデオ規制論を作文で書いてクラス中の顰蹙を買ったかつての中学生が言ってみる
このタカ派の論は先生の意を汲んだものではないかと当時疑われたのだがまったくそういう意図はなかった。うちのヒステリックな母親の影響は大きかったのだろう。彼女がM君についてことさら批評した記憶もないのだが
ついでにいえば中高一貫の天主教の男子校だった。さあ晒せ叩け(といって要するに自分に対するヘイトをあつめている、まるでタンクのごとく)
こうやって荒らすだけ荒らしてぼこぼこにされるというのが自分のいじめられ体験の本質なんだというのをいまさら他人をみていてうんざりするほど理解するこのつまらなさ‥
?
いるけど少ない。
を
被害者を本気で心配して二度と被害に遭わないように「健全オーラを出せるように健康になった方がいい」って口出ししたりすると、こうやって逆切れされることが分かってるから、リアルでは「あ~、分かるよー。加害者が一方的に全面的に悪いよねー。〇〇ちゃんは全然悪くないよー。うんうん、分かる分かるー。誰でも同じ状況になるよー。次の人は絶対いい人だから大丈夫だよー。」って声高くして繰り返してる。
って解釈するのはそりゃ無理w
http://anond.hatelabo.jp/20090810135309を
被害者を本気で心配して二度と被害に遭わないように「健全オーラを出せるように健康になった方がいい」って口出ししたりすると、こうやって逆切れされることが分かってるから、リアルでは「あ~、分かるよー。加害者が一方的に全面的に悪いよねー。〇〇ちゃんは全然悪くないよー。うんうん、分かる分かるー。誰でも同じ状況になるよー。次の人は絶対いい人だから大丈夫だよー。」って声高くして繰り返してる。
8月に入ってすぐの事、ぼんやりいつものように某マイクロブログに常駐していたら好きな人(九州在住)が何か用事で東京に来ることを知った。
九州にはこっちから行くのはなかなかできないけど、相手が東京に行るなら逢うチャンスがある。それでそれと無く逢いたいのをアピールしたらいい感じに二人で逢おうという事になった。
舞い上がったよ、そりゃ。
故あって一度振られてるけど今でも好きな人と久しぶりにあえるのだから。
で。当日都内で本当に酷い面接と普通の面接と二件面接ハシゴした後、連絡取り合って新宿駅で相手と遭遇。
あぁ・・・お会いしとうございましたぁぁぁぁぁぁぁぁ
・・・とぶっ壊れた思考は押さえ込んで至って紳士的に接していた。
しばらく新宿駅の改札内で談笑して、さてどこかでご飯食べようかと思ったところで思わぬ邪魔が入った。二人ほど。
一人は近くにいたのでその好きな人(以下「相手」)がTwitterで召還した。もう一人はよくわかんないけど「相手」の携帯に会いに行く、とメールが来たらしい
この二人が酷かった。
一人は破滅的な変人で「相手」がなんだかあこがれている人、もう一人は事もあろうに元彼(ちょっと前に別れたばかり)
・・・・・
・・・・
・・・
私はヘタレなのでそんな二人から逃げて二人っきりなんてできなくてその二人が来るのを待ってしまった。
あぁぁぁぁぁぁ
結局その二人が来るのを駅前で待って、それからレストランで食事してさらに誰か来て五人になった。
私は終始空気状態。
破滅的な変人はその変人故に会話がおもしろいし、元彼の人はイケメンリア充故に話に加わる。もう一人は「相手」と似た境遇なので話が進んでてた。
何もなかったのは私だけ。
だから、空気扱い。
愛想笑いしているだけ。
・・・・・
・・・・
・・・
食事が終わって午後9時。
「相手」は門限があるのでその日はこれでお開きになった。
レストランを出てから殆ど「相手」と会話はなかった。ちょっとふざけあって笑いあっただけ。ほんの、ちょっとだけ。
新宿駅の改札入ってみんなはJR、私は小田急だった。だから「相手」ともここでお別れ。
また逢おう、みたいなこと言って大げさにハグする仕草したら「相手」それに乗って抱きついてきた。
ほんの、数秒間の抱擁。
柔らかくて暖かい感触。
その感触が忘れられない。
中学生か私は。
それから各駅停車で帰路についたのだけど、道中うわのそらだった。
想定外の抱擁のせいもあったけど、もう一つ原因があった。
なんで、あの時邪魔もの二人待たないで無理矢理二人だけでどこか行かなかった・・・と。
実は元彼とは会いたくなかったらしい。
なんで急に会いに行くとか言い出したのか理解できない、とか実際会って話はすれど少し「距離」をおいていた元彼が理解できないとか書いていた。
それで思った。
なんで、あの時邪魔ものから逃げ出さなかったのかって。
だって好きな人と二人きりで私も幸せ、「相手」も会いたくない人を避けられて二人で幸せだったじゃないか。
破滅的な変人ともう一人には悪いことかもしれないけどそれはさておき。
後悔していた。なぜあの時そう言い出せなかったのか。
こう言う所で出てくるよね、非モテも悪い所って。
逃げるのと、逃げないの。どっちが正解なのかは今でもわからなし、モテには強引なところは必要なのかもしれない。
で、こうやって後悔してここにこれ書いてるのも非モテがなせる技だろうね。
翌日、「相手」にメールした。
近所で大きな花火大会があったからそれに誘ったのだ。
数時間レスポンス無しの末、「先約があるから」と断られたけど。
脈無いの重々承知なのに何で誘ったんだろうな・・・。
訳がわからない。
来週の半ば「相手」は九州に帰ってしまう。
もう今回逢う機会はたぶん一回しかない。「相手」が帰る直前空港で見送るとき。
精神に異常をきたしてしまった……。
こうやってると普通なんだが、数時間おきに薬を飲まないと、妄想や幻聴に襲われる。自分はそれを病気のせいだということを知ってるので、我慢する。だが五感が幻覚を現実だと示す。実際に、見え、聞こえてるんだ。
気が狂ってるのに、投薬で普通の人間と同じ視点に帰って来れるのはありがたい。発病で脳の形も変わってるらしい。
絶望はしてない。生き抜いてやる。だが、薬代が払えなくなったら、他人に迷惑をかけないか、それだけが心配だ。
今は親に保護されている。病院に搬送されたときよりはずっとまともだが、自分で稼げないのが申し訳ない。働くことに取り憑かれてるので、医者から厳重に止められている。代わりに家事に熱中しているが、これも医者に、ほどほどに、と言われている。
いろんなオタクを見てきた だからオタクと一般人との区別は「におい」でわかる
こいつはくせえーッ! ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーッ!
こんなオタには出会ったことがねえほどになァーーーッ
だと?
ち が う ね ッ !
こいつは生まれついてのオタだッ!
今までみた漫画・アニメというと、小さい頃はドラゴンボールだったりスラムダンクだったり。
まあ誰もが見て友達同士話のネタになりそうなメジャーなものばかりだ。
そんな自分が、あるカラオケで女友達がけいおん!のEDを歌いだした。
プロモ一緒に流れて、最初は「何だコレwww」と思ってみていた。
歌を聞きながら映像を見ていると、ある事に気づく。
親近感を持たずにはいられない。
こういうアニメで左利きキャラは何か珍しいなーと結構見入ってしまった。
家に帰り、とりあえずけいおん!でググってみる。
するとEDがオリコントップとっただとか、ベースの子の漫画に出てきたヘッドフォンや楽器が実際に売上げ大幅アップしただとか、結構人気があるらしい。
ふむふむと見ていると、次第に原作が見たくなり今まで家電しか見に行かなかった秋葉原にけいおん!を見に行ってきた。
まずは漫画を購入し、読んでみる。
原作者が左利きの演奏者らしく、秋山澪というレフティの子にそれを反映させたいとあとがきに書いてあり納得。
見終わると、やっぱり最初気になっていた秋山澪が一番のお気に入り。
すると段々オフィシャルなイラストだけでは物足りず、同人作家が描いたイラストも見て楽しむようになる。
秋山澪がメイド服を着て手でハートを作るシーンや、平沢唯が声が枯れた時にお相撲さんの真似が妙にリアルだったり、印象的なシーンがニコニコ動画で編集されてアップされてるのも全部チェックするようになる。
無意識に秋山澪の壁紙を集めだして、集まった画像をまとめておく為に「澪」というフォルダを作りいれておく。
http://anond.hatelabo.jp/20090805230333
http://anond.hatelabo.jp/20090805225938#tb
なんか教会のサイトって「誰でも歓迎」みたいなこと書いてないんだよね。
ホームレスが寄ってこられても困るからだろうか。
しかし孤独で無職は本当に寄る辺ないわ。今学会の人にすごい親切にされたら
最近、気づけば酒を飲んでいる。
こうやって今ネットに向かっているときもそうだし、家で時間があると飲みたくなる。
ちょっと、前までは酒を飲んで金を使っている親に腹を立てていた気がするが、今は本当に痛いほどよくわかる。
ビールもチューハイも味自体は全く好きではないんだけど、アルコールを摂取するためだと思って飲む。
ほんの少しの時間酩酊感を味わえればいいと思っているので、できるだけ短時間に一気に飲む。長時間ちびちび飲む時間もないし、まずこの飲み方だと酔えないし…
もう、この考え方自体がまずい気が…
その上、テキストや本や漫画や動画を見ているときも、酒を飲んでいないと感動できない。
酔っ払って、感動する動画やテキストを読んで泣く。二倍三倍にも面白いし感動する。
その瞬間が一番気持ちいい。
ああ、もう、ほんと気持ちいいんですって!
お酒に出会わなかったらこうなってなかったのかな?
それとも、やっぱり他のものに依存してたのかな?
………やっぱり依存してますかね?
もっとすっきりする方法って何かないですかね?
まさか、みんながこんな方法ですっきりしているはずは…ないと思うんですけど
やっぱり皆さんも大体同じ何でしょうか…?
ワッハ上方の闇4
http://anond.hatelabo.jp/20090731034431
の続き。
http://www.pref.osaka.jp/gikai/discuss/index.html
【 平成15年度会計決算特別委員会-11月18日-07号 】
◆(清水義人君) この文化課の約二十億円という限られた予算枠で事業推進されて、大変いろいろ努力されているというふうに思うわけでございますけども、この平成十五年度の事業費内訳を見ますと、金額の多い順で見ますと、文化振興財団、これはセンチュリー交響楽団への補助金が主でありますけども、約四億九千万円、それから大阪府立上方演芸資料館、これはワッハ上方の運営にかかわるものが約四億五千万円、それから大阪21世紀協会への分担金約四億一千万円、四億以上といったらこの三件でございます。それから、大阪フィルハーモニーへの貸付金一億と補助金あわせて約一億六千九百万円、以上この四件でほぼ十五億二千万円になります。これは、二十億の全体のうち七六%を占めておりまして、非常にそういう意味では残りの分で何とかほかの事業を展開しているという状況になっております。
そこで、文化振興にかかわる予算の四分の三を超えるこれらの事業の実態というのは、一つ一つ丁寧に検証していかなければならないと思うわけでございますけども、時間も限られておりますので、また常任委員会の機会もあるかと思いますので、今回はまずワッハ上方の運営についてお伺いしたいと思います。
ワッハ上方につきましては、以前より議会、委員会等でさまざまに御議論されていることと思いますけども、改めて平成十五年度の事業についてお伺いしていきたいと思います。
先ほど出しましたように、この平成十五年度のワッハ上方にかかわる運営経費約四億五千万円、そのうちの約六六%に当たるものが--約三億円になるわけですけども--施設の賃貸借料が占めているということでございます。先ほどお話ありましたように、この賃借料については、年々何とか貸し主との相談をして減らしてきていると、こういうことでございます。
これは平成二十二年度までの賃貸借契約期間があるということでございますが、これは半分過ぎまして、このままの賃借料を続けてこの事業を続けていくかどうか、これについては今後また検討されるということであろうかと思いますけども、当面の経営のあり方につきましては、この賃借料三億円はちょっと置いておきまして、それ以外の部分でこのワッハ上方の平成十五年度の決算額、それに伴いますさまざまな施設の稼働状況、そういうことを前年度に比べてどうなったのか、御説明をいただきたいと思います。
◎文化課長(近森正志君) 大阪府立上方演芸資料館、いわゆるワッハ上方の平成十五年度の決算額は、歳入が五千四百九万四千円で、前年度に比べ一・九%の増加、賃借料を除きます歳出は一億八千九百七十四万九千円で、前年度に比べ〇・一%増加し、収支差額は一億三千五百六十五万五千円で、前年度に比べ〇・六%減少いたしました。
次に、十五年度におけるワッハ上方の施設の稼働状況でございますが、ワッハ上方は上方演芸の保存と振興を図り、府民に上方演芸に親しむ場を提供するという設置目的達成のために、展示室、ホール、レッスンルームなどの施設の利用促進に努めてきたところでありますが、まず展示室の入場者につきましては五万八千百五十三人で、前年度に比べ七・四%増加しております。ホールの稼働率は五六・六%で、前年度に比べ一二・二ポイント、レッスンルーム稼働率は五八・五%で、前年度に比べ四・七ポイントそれぞれ増加しております。
なお、十五年度から新たに夜間のみ府民の利用に供することといたしました四階展示室の上方亭の稼働率は四三・八%でございました。
◆(清水義人君) 今お聞きしますと、建物賃借料を除きまして、管理運営費、これが一億八千九百七十四万九千円と、収入の方が五千四百九万ということで、この使用料収入に比べまして管理の運営費がかなり上回っていると。これは一般財源から多額の持ち出しをしていると、こういう現状でございまして、ここを何とかしなければならない、この収支状況を改善しなければならないということで、今特に展示室に来ていただいているお客さん五万八千百五十三人、前年度に比べて七・四%増加していると、こういうことでございますけども、資料を見せていただきますと、これ平成八年、平成九年、開設当時が入場者数が十万人超えてるわけです。三年目、平成十年からがくんと半分ぐらい、五万人ぐらいに落ち込みまして、そのままだあっと五万から、昨年、平成十五年度で五万八千と、六万までの間を推移していると。
ところが、これが、平成十二年度にお客さんふやさなあかんということで、入場料を半額に改定されたと。もとどおりになるかというと、余り今のところ変わってないと、微増という現状にあるわけでございます。この収支改善ということにつきましては、これは大変難しい問題があるかと思います。人件費等の歳出を抑制するということと、このホールを使ってもらうお客さんふやさなあかんと、展示室の入場者をふやさなあかんという問題がある。
今後、その努力をずっと続けていってもらわなあかんわけですけども、この前の監査委員の意見書を拝見いたしますと、賃借料を除いた管理運営費については、施設の収入、お客さん、それからホール使用料、それで賄えるようにすべきだと、こういう御意見が書いてございました。この監査委員の意見を踏まえて、文化課としましてはどのような取り組みをされるおつもりか、お聞かせいただきたいと思います。
◎文化課長(近森正志君) ワッハ上方の収支状況を改善する等の取り組みといたしまして、これまでも効率的な経費執行に努めますことはもとより、展示室入場者数やホール等の稼働率の向上を図りますため、平成十五年度には、上方演芸のみならず文化芸術まで幅広い利用を促進することを目的に、利用料金の細分化、あるいはリピーター割引の導入、四階展示室内の上方亭の夜間貸し出しなどを内容といたします大阪府立上方演芸資料館条例の改正を行ったところでございます。
また、雅楽、あるいは能、狂言、上方舞を初め、落語や漫才など上方で培われてきました多くの芸能を一堂に集め上方演芸を幅広く紹介いたします上方芸能まつりinミナミなどの宣伝力、集客力のある事業を実施いたしますとともに、若手芸人が落語や漫才を生で演じる上方亭ライブや、現役の芸人が講師を務め、体験のできますお笑い体験教室、あるいは多彩なゲストが展示室にまつわる逸話などを解説する上方亭演芸サロンを実施するなどにより、展示室の魅力向上に努めてきたところでございます。
今後とも、上方芸能まつりinミナミなどの内容の充実とあわせまして、マスメディアとの連携を深めまして情報発信力を増すことにより、集客力の一層の向上に努め、収入の増を図ってまいりたいと考えております。
また、指定管理者制度の導入など、施設運営の効果的、効率的な観点からの抜本的な改善方策について検討を進めまして、より府民に親しんでいただける施設になるよう努めてまいりたいと考えております。
◆(清水義人君) 今、さまざまな取り組みの中で、上方芸能まつりinミナミ、ことしの夏もありましたね。ちょうど御案内いただきましたので、私もオープニングの日に地域の方々約四十人ぐらいと一緒に行かせていただきました。済みません、お金払わないただのところに入れていただいて申しわけございませんでしたけども、地域の方々にも、あの施設、またこういう取り組みをしているんだということを知ってもらうために参加させていただきました。参加された方は大変喜んでいらっしゃいました。
あのメニューを見ますと、ことしの分大変バラエティーに富んだメニュー、それから出演者もある意味でメジャーな方々がおられると。ああいうものがチラシとか、それからマスメディアで紹介されることによって、確かに行ってみようという機運は高まってくる。あれをずっと続けられたら言うことないんですけど、なかなかそれができへんのが、特に平日なんかが難しいと聞いております。
それと、展示室ですけども、これ初めて行ったとき、ああ、いろんなんあんねんなということで、もう一回行きたいなと思うかどうかが問題なんですね、このリピーター。その都度展示の内容が工夫されて、また今度違うものがあるんやというものになれば、また行ってみようか、次また違うのあるかもしれんでというふうになる、そういう魅力づくり、そういう面でもっと工夫していかないと、これは大変だなと。一体これ何人ぐらい来てくれたらこの運営経費、収入で賄えるねんということを一遍計算してみてえなと頼んだけど、まだ。いろんな試算の仕方があるみたいで、一遍ちょっとこれ研究しておいてください。
というのは、目標をやっぱり持って、例えばこの平成十六年はこうやったと、次、平成十七年に向かうときに、大体お金払ってきてくれはる観客数このぐらいないといけないというある程度目標があると思うんです。料金設定も非常に細かくされているようですから、一概にぱんと出せない分があるかもしれませんけど、私、前の常任委員会でもお話しましたけど、やはりこうした事業というものはきちっとした目標を設定して、そのための取り組みはこうあるべきだというのをきちっと積み上げて検証すべきであるというふうに思っております。
特に、入場者数がずっと五万人から六万人で推移している中で、これを例えば入場者数の収入でここまでしよう思うたらどれぐらいの数になるのか、ほんまにそれが可能なのかどうかということもきちっと見きわめていただきたいと。営業努力をしっかりした上で、それでもなおかつこれは大変なことだということになれば、この賃借料三億というのが、二億と減らしていただいてますけども、こうした大きな負担を抱えた事業であるだけに、抜本的な見直しに取りかからなくてはならない時期に来ているんではないかなと、こういうことを初めに指摘をさせていただきたいと思います。
【 平成16年 9月 定例会本会議-10月04日-03号 】
◆(漆原周義君) 民主党・無所属ネット大阪府議会議員団の漆原周義でございます。
(略)
多くの公の施設で平成十八年度導入を検討していますが、その際には事業遂行能力の審査をどのように行うのか、事後での評価と取り消しを行うことができるのかなどの課題が解決されなければなりません。一定の指針が導入に当たって示されるべきです。また、この制度導入に際して、政策入札の考え方を取り入れ、事業のノウハウを持っているNPOや市民団体の参画を図り、NPO、市民との協働の事業を拡大すべきです。
さらに、ワッハ上方の状況を一刻も早く改善すべきです。収入六千百三十万円に対して家賃二億八千三百八十万円、支出が四億七千百九十五万円という赤字体質であり、三億円近い家賃を平成二十二年度末まで契約上払い続けることになっています。
以上の三点については、早急に対応すべきと考えますが、指定管理者制度の導入については総務部長に、ワッハ上方の運営改善については生活文化部長にそれぞれ伺います。
◎生活文化部長(綛山哲男君) お答え申し上げます。
まず、上方演芸資料館--ワッハ上方につきましては、より一層の利用促進を図る観点から、平成十五年度に上方演芸のみならず文化、芸術まで幅広い利用を促進するため条例改正を行いますとともに、上方芸能まつりinミナミなど集客力のある事業の実施により、ホール等の稼働率や展示室入場者数の向上に取り組んでまいりました。また、運営費につきましても削減努力を行い、賃貸借料では開設当初と比較いたしまして約二割、五千五百万円余りの縮減を図ってきたところでございます。
今後は、運営コストのより一層の削減と収入の増加を図りますとともに、貴重な無形の文化である上方演芸を承継し、次代に引き継ぐ全国で唯一の施設として設置目的を最大限達成いたしますとともに、幅広い文化の発信拠点としての機能も果たし得るよう、指定管理者制度の導入など施設運営の抜本的な改善方策について検討してまいりたいと存じます。
【 平成17年 12月 定例会本会議-12月12日-02号 】
◆(東徹君) 自由民主党の東徹でございます。
(略)
ところで、大阪といえば笑いの文化であるにもかかわらず、ワッハ上方の展示室はいつもがらがらで、閑古鳥が鳴いています。それは、目の前になんば花月があるのに、その客を呼び込む工夫ができていないからではないですか。磨けば光る観光資源を再度プロデュースし、PRすることにより、国内だけではなく世界からも観光客が訪れる方法を考えるべきですが、いかがでしょうか。
【 平成18年2月定例会教育文化常任委員会-03月13日-01号 】
◆(阿部誠行君) 予算をつぎ込めば文化が振興するかというと、必ずしもそうではないとは思います。ただ単にお金の問題だけではないと思いますけども、しかし予算は政治の顔とも言いますから、大阪府が文化振興に対してどんなスタンスを持っているかというのは、文化課の予算にもそれはあらわれているというふうに思うんです。
特に、文化課のその予算の中身を見ますと、ワッハ上方の運営費が四億数千万、文化振興財団、これはセンチュリーですけども、これが四億四千万、21世紀協会の負担金が四億余、それから大阪フィルハーモニー協会への運営補助あるいは貸し付けなどを含めますと一億四千万円というふうに、こうした運営補助だとか、あるいは負担金だとか、こういうのが予算のかなりの部分を占めているわけです。これはこれで必要でないとは言いませんけれども、しかし大阪府が独自に進める文化振興事業というのが、予算的には非常に窮屈な状況になっているように思うんです。
例えば、本会議の一般質問で指摘がありましたけども、おおさか・元気・シリーズの事業負担、これも四千万ちょっとですけども、これが今回減らされるということもありますし、新進芸術家育成支援、あるいは市町村の文化施設の活性化支援事業、これも約三千四百万。額にすれば、他のそういう数億円の負担から見れば、大阪府が独自に進めている大事な文化振興事業は予算的には非常に窮屈なんではないかというふうに思うんです。この点についてはどう思われますか。
◎文化・スポーツ振興室副理事兼文化課長(北野義幸君) 委員お示しの、確かに文化課のみの予算で約十九億程度の中で、挙げられましたワッハ上方の運営でありますとか、文化振興財団--センチュリーオーケストラですね、その運営費等で大きな額を占めているものが何点かあって、それ以外の独自施策の部分がという御指摘でございますけども、先生の挙げていただきました事業の中でも、やはりずっと継続して同じ団体に助成するということが決していいわけではないと思っております。
それぞれ予算で増減がございますのは、私どもも一定見直しをさせていただいて、それぞれの趣旨から選択と集中を図らせていただいているということでございまして、一概に文化振興費をシーリングどおりに削っているというわけではないというふうに思っております。
【 平成20年 2月 定例会本会議-03月06日-03号 】
◆(西脇邦雄君) 出資法人の問題に移ります。
ワッハ上方、青少年会館、いろいろ見ていただきまして、我々も思いが同じのところがいっぱいあります。ワッハ上方がなぜあの場所にこだわらないといけないのか。家賃二億円の減額だけでなく、例えば吉本さんに譲渡して周辺との一体運営ができないものか。
【 平成20年7月臨時会教育文化常任委員会-07月14日-01号 】
◆(八重樫善幸君) 次に、府立上方演芸資料館(ワッハ上方)について伺います。
先日我が党の清水議員の一般質問において知事は、笑いの文化は大阪に必要不可欠と答弁されましたが、この笑いを大阪が誇る固有の文化として、その歴史や文化性を具現した施設がワッハ上方であると思っています。この間、ワッハ上方については、知事の公の施設改革でシンボリックな施設として新聞、テレビなどで大きく取り上げられ、よくわからないが、確かになくてもいいのではといった不要論が大勢を占めていると思います。事実、代表、一般質問でも、他の施設に比べ取り上げられた回数が少なかった。
そこで、またもそもそも論で恐縮ですが、この笑いという大阪固有の文化を資料館として整備する際にどのようなコンセプトを持って、どのような経緯で現在の場所に開設されることになったのか、しっかりと原点に返っての説明を求めたいと思います。
◎文化課長(三枝泉君) ワッハ上方の設立の経緯及びそのコンセプトについて申し上げます。
平成元年三月に砂川捨丸氏の御遺族から、師匠愛用の鼓が大阪府に寄贈されたことをきっかけに、上方演芸保存振興事業のあり方を検討することとなりました。平成二年一月に在阪民放各社、NHK、新聞社、演芸人、学識経験者等で構成する上方演芸保存振興検討委員会を設置いたしました。平成四年三月に上方演芸を残す、楽しむ、そして挑戦するという三つのコンセプトを具体化するための基幹となる上方演芸資料館の設置が提言されました。
そして、資料館の立地条件としまして、子どもから高齢者まで幅広い人々が気軽に訪れることができる交通の利便性と上方演芸ゆかりの地であることが示されました。
これを受けて、テナント形式で資料館を設置することとし、複数の不動産業者と難波周辺の数カ所で協議を進めておりましたが、最終的に現地に資料館の立地が決まりました。平成五年に当時の中川知事が吉本興行との間で合意し、平成八年十一月に府立上方演芸資料館としてオープンしたところでございます。
◆(八重樫善幸君) ただいまの御答弁の中でも、ワッハ上方はその対象を子どもから高齢者までの幅広い層を対象としており、努力されてきていると思います。ともすると、ワッハ上方は芸能プロダクションや芸人のためにあるかのように誤解されている面がありますが、もっと子どもたちを巻き込んだ取り組みを進めるなど、笑いの力を社会に生かしていく施設として訴えることはできないのか、お聞きしたいと思います。
◎文化課長(三枝泉君) 展示室では、今週の木曜日から子どもたちのための特別展を開催する予定でございます。これは、紙芝居やクイズを取り入れて、子どもたちに楽しく落語を体験してもらうものでございます。このほか、親子で落語を体験するふぁみり寄席も毎月実施しており、落語の小道具の使い方や小ばなしなどをプロの落語家に教えてもらい、家族間でのコミュニケーションづくりに役立っているところでございます。
また、地元商店街とタイアップして修学旅行生を受け入れ、商店街での商売体験とともに、ワッハ上方において上方演芸に触れてもらう取り組みを進めております。昨年度は、二千五百人以上の修学旅行生が訪れ、全国各地の子どもたちに厚みのある大阪文化をPRしたところでございます。
一方、ワッハ上方の持つ笑いのノウハウを府民の方々の健康に役立てようと、笑いと健康パック派遣事業を実施しております。これは、病院や福祉施設などに笑いの効用についての講師とプロの芸人さんなどを派遣し、笑いの持つ力を健康づくりに活用している事業でございます。委員お示しのとおり、こうした事業についてより一層のPRに努める必要があると考えております。
◆(八重樫善幸君) ワッハ上方については、今回のPT案が出されてから、吉本興行からさまざまな提案もありました。一つは、賃借料の半減--現行の二億八千万から一億四千万へ大幅削減する案が出されています。二点目は、この半額値引きを来年度からでも実施できる。これは契約を変更しての提案ですので、破格の提案と言えます。三点目には、イベントの共催と資料館への動員増の具体的な支援を行うとのことです。今のプログラム案では、展示機能とホール機能を分けてしまうことになってしまいますが、この機能は一体的でないと意味がないと思います。生活文化部長に改めて見解をお伺いしたいと思います。
◎生活文化部長(南部英幸君) ワッハ上方についてでございますけど、ワッハ上方が幅広い年齢層に応じまして、大阪文化の一端を紹介してきたということについては事実でございます。施設機能を現地で維持していくということにつきましては、なお多額の費用が必要になるということで、私どもこれまで知事、副知事、PTチームともさまざまな議論を行ってまいりました。ただ、展示機能と演芸ライブラリー機能を存続するということで、平成二十二年度末までに府有施設等への移転ということになったものでございます。
◆(八重樫善幸君) また、ワッハ上方存続の議論の中で、今のミナミにあることがどうかという議論があります。しかし、それなら大阪府内でお笑いの文化を発信するのにほかにどこがあるというのでしょうか。キタでも本町でも、間違っても大手前でもないと思います。今の場所にもし大阪府が今の全く同じ規模で四階建ての施設を建設したとしたら、どれぐらいの費用が必要だったのか。推定で百十七億との試算もあります。現在の賃借料は、庶民感覚からすると確かに高いとは思いますが、もし当時起債して建設していれば、府にとってもっと大変な借金として残っていたことでしょう。
私は東北生まれですが、大阪人にとって最も大阪人たらしめている世界最強の資質、よいことも悪いことも、つらいことも難しいことも、すべて笑いで乗り越えていく、お笑いというすばらしい文化を世界のどこにもないすばらしい資料とともに残し、また誇りを持って子どもたちに引き継いでいく、ワッハ上方という遺産を残していっていただきたいとの願いを込め、改めて知事に質問をさせていただきたいと思います。
【 平成20年7月臨時会教育文化常任委員会-07月16日-02号 】
◆(山本陽子君) 現地存続のための方策を府民、そして関係者みんなで探って、さらによく議論をしていこうということを申し上げておきます。
この問題は、また知事にもお願いしたいと思います。
最後に、上方演芸資料館(ワッハ上方)、センチュリー交響楽団の件について要望いたします。
ワッハ上方は、二〇一〇年度末までに展示、ライブラリー機能のみに縮小し、府有施設等へ移転するということです。平成七年、当時の中川知事とNHK大阪放送局の局長が、そして平成八年には山田知事--ノック知事ですね--と朝日放送の柴田社長が取り交わした協定書があります。内容は、第一条に、府が実施する上方演芸保存振興事業に賛同し、制作した放送番組を府が複製することを承諾するとあります。第二条には、大阪市中央区難波千日前に設置する大阪府上方演芸資料館において、営利を目的としない上映または再生に限り使用することができるとあります。学芸員を置いて、笑いという上方の伝統文化を恒久的に後世に残すため、大事にすべき施設だと思っています。関係者とも十分話し合っていただいて、一方的な移転縮小は見直すことを要望しておきます。
特にRSSで情報を拾う行為自体は、すでに世間からかなりずれた特殊なものでヤバイ。もしかしたらそれもやめた方が良いのかもしれない。それに、自分が購読しているRSSはTumblr由来のものが増えすぎたなぁ…。 http://blog.livedoor.jp/whats_my_scene/archives/51227127.html TwitterとTumblrをやめた-what's my scene? ver.7.2
たぶんRSSが何か知らない人にとって(僕も詳しくは知らないけど)それがどのくらいの利便性をもたらすのか、もしくはもたらさないかというのは想像力の範疇の外にあるのかもしれない。
また、逆を言えば、RSSリーダーを使って更新チェックをしている人にとってはそれを止めることへの生活の影響というのは計り知れないのだ。
極論を言えば人と人の間にはこうやって断絶が生じていくのだろう。
それぞれがそれぞれの所属・立場が少しずつ違うことで考え方に差異が少しずつ生まれ、人と人は分かり合えなくなってしまう。
僕は悲観的になっているわけでもなくて、ただそうなのだと思う。
「基本的に人と人は分かり合えることはできない、絶対に。」
けいおん!がどれだけもてはやされて、もりあがって、チケ高騰!とかになっても
ハマる気が全くおきない。悲しいぐらいにおきない。なんでだろう。
どうしても食指が動かない
でもハマろうとおもってハマれるもんでもないよな
僕は昔から小説家になりたかった。小説でなくとも、何か文章を書いてメシを食いたかった。
世の中には物書きになりたいという人間が腐るほどいる。僕もその腐った残飯の中であることは違いないが、しかしその夢を捨てきれずにいる。
今年、4月にある小説の賞に作品を送った。僕が生涯で完結させた小説では2作目となるものだった。今まで沢山の完結しない小説もどきは書き綴ったが、なんとか完成させたものではふたつめである。
先日、1次選考の結果が発表され、稚拙な我が作品は何とか残ってくれた。僕の書いたひとつめの作品は、とある文学賞に投稿したのだが、そちらでは箸にも棒にもかからず、下読みの段階で落選してしまったわけだが、今回は何とか生きながらえてはいるようだ。
こうやって、我が作品が落選してしまうかも知れないというやきもきした気分で毎日を過ごしていると、何故自分が小説家になりたかったのかを反芻せずにはいられなくなる。そもそも、僕にとって小説は本当に大事な存在であった。
僕は小さな頃から父親に暴力を受けて育った。言動でも行動でも、つまりそのどちらにも暴力の力が伴っていて、僕は文字通り精神的にも肉体的にも鍛えられてきた。父親はアル中だが、この話には関係ないので省く。
そんな鬱屈した毎日の中で、中学生くらいの時に本気で自殺をしようかと考えたこともある。自殺の方法をいくつか考えている内に、生きていることがくだらなくなってきて、同時に自ら死ぬことのくだらなさにも気付かされてしまい、感情が空白になってしまった。
誰かと話していても、楽しくはなく。勉強やゲームに没頭していても楽しくはなかった。何だか、全部流れていくだけの白昼夢に思えて仕方がなかった。
醒めてしまえば、全部が存在しないんじゃないか。なんて意味もなく思ってしまっていた。
僕はそんな風にして、幼少期を過ごし、共に遊ぶ「友達」と呼ばれる存在もいくつか出来たが、だけど友達ってのが何なのかよく分かっていない。それは未だに理解が出来ない。
辞書を引いてみれば友達というのは――親しく付き合っている友人。友。――だなんて説明されているが、『友達』なんて言葉を『親しい友』だなんて同意義としか思えない言葉で説明している辞書ですら、酷く滑稽に思えた。
意味が分からなくなってきた僕には、本当に心が許せる友人は存在しなかった。過去形で表されているが、だが、今でも本当の意味での友人はいないのかもしれない。
同時に、僕には本気で好きになったひともいなく、「ああ、もしかしたら彼女のことが好きなのかも知れない」と考えても、何故、好きなのか? と考えてしまうともう駄目で、顔が可愛いだとか、振る舞いが華麗だとか、性格が良いかも知れないだとか、そんな曖昧な理由で人を好きになってしまうなんておこがましくないのか? と勘ぐってしまう。こんな浅はかな理由で人を好きになるならば、別にその人じゃなくても良いハズだ。とも思う。
もっとシンプルで良いハズだ――とも、確かに思う。好きだから、好きで好きで理由はないだとか、そんな風で本当は良いのかも知れない。
そんな諸々の世界に対する訝しみ、この世界と付き合う方法を考える時には、どうしても脆弱であっても――言葉が必要だった。
僕はある日、こんな恥ずかしい話はないだろうが、中学校の頃に学んだ夏目漱石の「こころ」の抜粋部分(確か授業中には抜粋部分のみだったはずだ)を読んで、初めて文章を読むことの意味に気付かされた。「大造じいさんとガン」を読んでも気付かなかったが、「こころ」で気が付いた。
鮮烈でめまいがするような秀逸な筆致が、その頃の僕には酷く輝いて見えた。夏目漱石なんて、千円札でしか知らない人だったけど、彼が何かに煩悶しながら世間に訴えたいことがあるということは幼い僕にも分かった。それは幼少期の勘違いであったかも知れないがね。
それからは、様々な小説を読んだと思う。世間の読書好きの人々には決して敵わないだろうが、それでも本は読んでいた。昼休みや授業中や帰宅後も、暇があれば読んでいた。
ここでは、誰の小説を読んだとか、どこそこが良かったとか、そんな無意味なことをあげつらう気はない。ただ、僕が重要視したのは『本を読んで考えること』であった。
だけど、間違いだったかもしれない。
余計な言葉知識が頭に埋め込まれてしまったせいで、余計に僕は生きていく上で悩んだり、無意味さを噛み締めたり、そんな感慨を抱くことが多くなってしまい、なんて生きていくのは切ないんだ。と物思いに耽る中二病患者になってしまった。
今は、社会人として仕事をしているが、自分が雇われている企業での僕のこなす業務というのは、僕以外の何者かが代行しても全く僕と変わらないレベルでやり遂げることが出来るのではないか、と思う。当然ではあるが、大抵の仕事はそうだ。
地下鉄の駅を降りて、ホームからの階段を登り、世間の人々の波に埋没していたら、すごく自分が存在していないんじゃないか? なんて思ってしまう。
恥ずかしいことだ。だけど、こんな風な思考回路を構築してしまったのは僕だ。僕が悪いのはよく分かっている。
だから、そんな自分に対するセラピーの意味合いもあるかも知れないが、僕は文章を書くことで精神の安定を得る。実際は何でも良い。文章だったら何でも良い。ブログを作って意味の伴わない単語を羅列したっていい、誰にも理解されない主張を標榜してもいい、だけど何か考えていないと、何か書いていないと、僕は本当におかしくなってしまうんじゃないかと、そう感じてしまう。
だったら、もうそこまで来たら、僕は仕事をやめて、実家に帰ってニートをやって、インターネットの世界に没入して、日々を食い潰して、そのまま死んでしまった方が良いのかも知れない。その方が、誰の毒にも薬にもならず、迷惑を掛けないまま、緩やかな自殺として完遂出来るかも知れない。
だが、親に迷惑を掛けるのも嫌だ。これは我が儘に違いないが、僕は誰にも迷惑を掛けたくないのだ。自分以外の誰にもに、人畜無害な存在であり続けたい。本当に自殺するなら立ち入り禁止の富士の樹海へコンパスを持って行く。
そうした曖昧模糊な思考の行く末は、誰しもが抱く物書きになりたいという夢だった。
結局、こうなってしまう。馬鹿な邯鄲の夢だ。
実際、小説家の仕事についてはよく分かっている。自分の書きたいことを書けずに職業として編集者に指示を受けながら書かねばならないことや、サラリーマンよりも低い年収で、しかも売れなきゃゴミだと評価されることも分かっている。
それでも、こうして文章を書くことに意義を見い出すことが出来るのは、個人的に素晴らしく有意義に思える。自分が真っ当に生きていく結論としては、小説家になることが最も分かりやすくてシンプルなんじゃないかと、そう思った。
先述した――恋はもっと、シンプルで良い――なんて青臭い科白は、そのまま僕の文章に対するスタンスに直結している。
もっと、シンプルで良く。僕は心の底からシンプルでありたいと思っている。
だから、小説家になりたい。そう思って僕は文章を書き続けている。
引きこもりとか不登校とかアスペルガーとか、そういうのをググっても、周りの人向けの情報しか出てこない。
本人向け情報が出てきたとしても、たいてい「周りの人に相談しましょう」
あほか、人に相談できないからこうやってググってるんでしょうが、と。
人に相談できたらググる前にとっくに相談してる。
本人にとって(少なくとも自分にとって)「相談」が一番辛いということを誰も知ってない。
もちろん自分でもいずれ相談しないといけないとは思ってるけどさ、引きこもりになるほどのつらい思い出なのに、誰がそう簡単に話せますかと。
言葉にできないから、相談にできないから、人が話すのが恥ずかしいからこそ、まずは自分で解決してみようとググってみたのにこの有様じゃいつまでも「一歩」を踏み出せそうにない。
とりあえず、本当に助けたい気持ちがあるなら、まず本人が一人でできるようなかたちで手を差し伸べて欲しい。
(1/3から) http://anond.hatelabo.jp/20090723033558
佐野:で、小田さん、ぼくね、オフコース時代からの曲、それから小田さんのソロ時代の曲、ずっと聞かせていただいて、ぼくなりに、あ、この詩はいいな、と思ったものを一曲選びまして、ね、スポークンワード・バージョン、メロディーなしでその詩をリーディングするっていうのを試してみたんです。
(小田和正の「the flag」(アルバム『個人主義』収録)の背景の説明)
佐野:どうですか?
小田:いやあ、人の詩みたいな。ちょっと自分が書いたっていう感じがしなかったですね。不思議なもんで。
佐野:そうですか。
佐野:そんなことないですよ。
小田:いやほんとに。
佐野:ぼくらつねに言葉に音楽がついているので、音楽と言葉を切り離すっていうのは普段はしないわけでね。こうして第三者が、ぼくのような他人が、詩だけ切り取って作者に見せるっていうのは、なかなか勇気のあることだったんです。しかられるんじゃないかって。
小田:いえいえいえ、すばらしかったです。てめえの詩が、ねえ、はなはだ横柄だけど、いやあ上手に読まれましたねえ(笑)
(会場笑)
佐野:ぼくね、もうものすごく聞きたいことなんだけど…、ソングライターを志したきっかけは、なんだったのか。
小田:そもそもは音楽が好きだったっていう。自分が曲をかくようにななるなんて思わなかったわけですからね。それでも音楽やりたいっていう。たぶんその、音楽がほんっとに好きだったんですね。
小田:それはもう数限りなくいるから…。絞れないですね。出会った音楽全て、っていう。
佐野:小田さんの世代だと…、ごく一般的ですけど、ビートルズ?
(ビートルズ「A Hard Day's Night」)
佐野:はい。
小田:ビートルズはねえ、もう何回も…、だからもうビートルズはもういいか、みたいな。今更ビートルズっていう…、おれらにはいつまでたってもビートルズがいるのね。すごいなと思うね。
小田:古典だね。すごくシンプルだし。シンプルだけどよく聞くとタダのシンプルじゃない。おれはビートルズを聞くと必ず思うことは、もちろん力はあったと思うけど、若者が中心となったっていうかなんかのグルーヴみたいのが、なんかの現象でうわーっとなってあそこに集まっちゃったんじゃないかなっていう気がするんだよね。
佐野:60年代の中盤。テレビメディアなんかが一般的になりましたから、あのビートルズの持っている楽しいグルーヴが、一気にこうメディアを通じて、全世界に広まって。
小田:その、力以上っていっちゃうとちょっと語弊があるけど、その以上のものがどんどんできちゃったんじゃないかっていう。しか思えないような曲がいっぱいあるもんね。
佐野:あー
佐野:でもやっぱり最初にかいた曲ってことで、何気ない愛着のようなものがるんじゃないですか?
小田:いや、それはね、その、どうやってかいていいかわかんないし、手がかりを何かに求めるしかないんじゃないかなって…。それで、ぼくはもうしつこく日記を書いていたんですよ。何年間ももう。休まずにかいて。そこになんかヒントはないかなっておもって。そうしてこうやって探しているうちに、ちょっと手がかりがあったんで、あこれいいんじゃないの、って。
小田:その後もなんか日記にネタが、って、でもそれ一曲だけだったですね(笑)
小田:「やってみようぜ」ってのが好きなんですね。
佐野:例えば、歌詞の中で何回ももう繰り返して、どうしても使ってしまう言葉、なんていうのは、ないですか?
小田:それはもうね、とっても風好きなんですよ。風がどうしたとか。
小田:風、多いですね(笑)風好きなんですよ風ね。風好きだから、「また風かよ」って言われても、ほんと平気なんだけども、まあやっぱりいろいろなんでもかんでもでてきてもあれだなと思って…。ほんとは全部風でもいいんだわ(笑)
(会場笑)
佐野:ずいぶんロマンティックですね。
小田:ちっちゃいときはほんとに野球の選手になりたかったですね。
佐野:どこのファンでした?
小田:ジャイアンツでしたね、やっぱり。でも、足もそんな速くないし、遠投もたいした事ないし。なんといってもやっぱりいちばん、挫折したいちばん大きな理由は硬式の野球部がなかった、っていうのが。軟式しかやったことがなかったんで、これじゃだめだろうなあ、と。
小田:音楽やっても、その、いつまでにかかなくちゃみたいなのがあるともうほんとに辛くて。まあみんなそうだと思うんですけどね。
佐野:締め切りでしょ? ぼくもヤですね。
小田:ね。連載をかかえている漫画家っていうのはね、ぼくはね、いっつも漫画見てて思うんだけど、この人毎週大変だなーと思って。
佐野:でも、小田さんは、いついつまでにかいてくださいって言われれば必ず約束を守る、って。
佐野:そう聞いています。
小田:ぼくはね、期限とか守らなかったことないですね。
佐野:すばらしい。
小田:守る方ですか?
佐野:ぼくはね…
(会場笑)
佐野:(笑)ぼくはね、締め切りがあるとどうしてもそれがプレシャーになっちゃって、逆にこう、なんかね、集中できなくなってしまって。だから、できたら渡すから、って。
(会場笑)
小田:そうすると、でも、ねえ、組み立てようがないよねえ。
小田:じゃあその、詩なり曲、作り上げて、自分としちゃイマイチだなーと思いつつも出さざるをえない、だから出した、みたいなのはある?
佐野:ない。
小田:あ、ない?
佐野:アルバムの中で、12曲入れようって、で16曲くらい録って。で、アルバムに全部入れたいって言われても、この4曲は気に食わないのでアウトテイクにします、って、自分の入れたい曲だけを入れる。
小田:えらいね。
佐野:うん…。でも、後になって聞くと、そのアウトテイクになった曲がよかったりして、なんで入れなかったんだろうって。
小田:あぁー。
佐野:でも、そうだね、約束は…最初っからあんまり取りつけない。
小田:そうだよね。
佐野:はい。
(会場笑)
これを読んだ時になんでこんな酷い事が許容されてるのかわかった気がした。
こうやって冷静に相手が悪いと刷り込みを続けてれば
「いじめしてもいっか」と思い込んだ集団が出来上がるわけね。