はてなキーワード: きっことは
振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分を差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力で仕事と家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。
父はおよそ仕事に熱中する人であったが、家庭内のことに無関心というわけではなく、むしろほんの些細な出来事にまで拘り、様々な形で命令を発し、物事を支配しようとした。家庭は彼の王国だったと言ってよい(いや、人民共和国と言うべきなのか)。彼の築いてきた学歴と自信に比して、彼の党内での立場というのは実に弱々しいものであったようで、それを埋め合わせようという願望もあったのかもしれない。家庭内のどんなものにも彼は権力を振るいたがったし、自由にさせていることであっても、不満が感じられたときにはいくらでも介入し、彼の満足行くように改めさせた。彼はまさしく闘士だった。向かう方向はまるで見当違いだったが。それでも、彼が母や子供に暴力を振るうことが(記憶にある限り)さしてなかったことは、彼の美徳と言っても良いかなとは思う。しかし、彼が子供と自分の自我を分離できなかったことは、子供の成長に大きな悪影響を与えたと私は確信している。子供が何をやりたいか、ではなく、父が何をやらせたいか、子供が何に不満を感じているか、ではなく、父が何に不満を感じているか、それだけが問題になった。そこから子供が外れようとすれば、恐ろしい査問が始まることになる。今でも、そうやって査問を受けたときに感じた恐怖と屈辱の念は忘れられない(ただ、彼がそのように振舞わざるを得なかった背景について整理して考えると、彼を非難する気持ちはどんどんしぼんでいってしまう。結局、彼もまともな家庭で育っていないのだ)。私よりも数段優秀だった上の兄弟が某国立大学の受験に失敗して、それでも某有名大学に入ったときの騒ぎなど、見ているこちらまで頭がどうかしてしまうぐらいだった。優秀であっても、努力をしても、結果は真っ黒に塗り潰されている――彼との生活から、私はそういうメッセージを受け取った。
一方、母は「みんな我慢している。楽な生活なんてない」と子供たちを叱った(今でもたまに口にする)。私は恐ろしかった。超人的努力で家庭を支え、苦しみに堪え、そして報われずに生きる母の姿には、まるで生きる希望も喜びも見出せなかったからだ。正直、その言葉は、子供を教え導くためというより、家庭内で一番我慢を強いられてきた彼女の自我を守るためのものだったように思う。(「私はあなたのようには生きられない」と訴えたときの母の怒りたるや、凄まじいものだった。状況に押し潰されて、意味を考える暇もなく「我慢」の結婚生活を強いられてきた彼女には、「我慢したくない」「我慢に何の意味があるのか」という主張は自分の人生の否定にしか映らなかったのだろう。)そういう潜在意識の透けて見える姿で、子供たちに「我慢」をさせようとする母は、とてもとても恐ろしかった。今でも、我慢するしかない、という言葉を聞くと、自分の中で、明日への希望が全く消え失せていくのが分かる。「明けない夜はない」でなく「明けない夜を生きていけ」という教えには、人から長期的展望を奪い、刹那的な生き方へと誘導する力があるのではないかと思う。私は何か希望が欲しかった。結局縋る先は間違えた訳だけれども。
奇行が目立つ子供だった私は友達も少なく、専ら空想の世界に親しんで暮らした。願望を実現するために計画を立てて行動する、という発想もなく、誰かがいつか自分を拾い上げて夢の国に連れて行ってくれることを待ち望んでいた(当然、そんなものは実現しない)。現実に対して何か求めても無駄、何かやってみようとするだけ無駄、という無力感と、両親の叱責に対する強い恐怖感に私の思考も行動も拘束されきっていたのだと思う(流行の玩具を持っていない私を不憫がって、友人が「余りをあげる」と申し出てくれたときも「両親が怒るかもしれないから」と断ってしまうぐらいには)。もちろんそのような抑圧の下にあっても、子供らしく欲しい物を求めることはあったし、客観的に見れば我侭としか言いようのない要求もしてきたと思う。だが、そうした要求を口に出すことにハードルがあったし、また、そうした要求が聞き入れられることにもまた、高いハードルがあったし、要求が聞き入れられても、「聞き入れてやったこと」の恩に応えるよう求められ続ける、というさらに高いハードルがあった。無論、共働きにも関わらず決して豊かとは言えなかった我が家の台所事情を考えれば、何でも子供の求めたものを買う、なんてことはできっこなかった。だから、ことあるごとにカネ・カネ・カネと言われたのも止むを得ないところはある。ただ、父や母の不和と、それが生み出す強い緊張感、暗黙の強い要求と支配は、子供が自分自身の財産(小遣いやらお年玉やら)をどう使うか、という計画性や、正常な欲求の発達までも妨げたと思っている。どんなものに、どんな風にお金を使うのか。どう資産を運用するか。どう節約するか。何に使うか。そのことについて子供の頃に落ち着いて考え、学ぶことができた人のことを、私は羨望している。もちろん、必要を感じたなら今からでもやるしかないことではある。ただ、願望や欲求の正常な発達なしに、必要性だけでそれを手に入れようとすることはとても難しい。
私は小学校から中学校に至るまで、勉強だけはよく出来た。きちんとした学習の習慣があったわけではなく、単純にそういう方面に適性があったのだろう。テストの点数以外のあらゆる要素において、私はほとんど完全な劣等生と言ってよかった(宿題は全くやらない。ノートも全くとらない。授業中に騒ぎ出す、他の生徒と流血沙汰を起こす、等々)。行動・努力することに対する無力感と、テストの高い点数が自分自身の可能性を証明しているかのような小児的全能感とのせめぎあいが、私を同級生達と比べて圧倒的に情緒不安定で幼い人間としていた。私には何の目的も方向性もなかった。自分がどんなことをやりたいと思うか、そのためにどう努力するべきか、そういう意識は全くなく、ただ目の前にある面白いことに飛びついていただけだった。中学・高校以降はさらに反抗精神が加わり、叱責されたことに対する敵意と憎悪と、命令に対するボイコットがそれに加わる。私は自分の意思が奪われることに強い憎しみを持ち、それに抵抗した。実際に論理立てて主張をするなどの一部の行動は、それなりにまともな態度だったと評価することもできるが、「私の現在と未来は、彼らが自由にできる物ではない」と訴えるために、私自身の現在と未来の可能性を自ら破壊したことは、実に実りのない行為だったとしか言いようがない。結果は当然惨憺たるものに終わった(せめて前者の比較的穏健な訴えが当時もう少し受け入れられていれば、と思うときもあるが、それはこういう結果を招いた私自身の責任を軽くしようという、下種な欲望の表れなのだろう。私がそのような道を選んだことの責任は免れ得ない)。
本当は、両親に何かを期待するのではなく、正確に現状を認識し、自分自身の能力でそういう状況を切り拓き、逃れ、先へ進むための方策を考えるべきだったのだと思う。しかし、私には出来なかった。自分の願望を達成するために、自らの意志で計画を練り、主体的に行動していくこと、そこからフィードバックを得て、自分自身を変革し、成長していくこと、こうしたやり方から遠く離れた生き方を選んでしまった。そのことが、今も自分の人生に大きな影を落としている。そうできる可能性がなかったわけじゃない。高校時代にはそれを達成することが出来たかもしれない出来事や、出会いがあった。多分、妄想や空想でない希望があった。しかし私はそれを生かすことが出来なかった、それどころか、気付いてすらいなかった。そして、その失敗を乗り越えることなく無駄な人生を続けてきた。今更そう理解することで、私は過去から復讐を受けているような気持ちに苛まれる。今からでもあの希望に立ち返って、取り戻すことが出来たなら。それがもうとっくに手遅れで、今や子供の頃に散々お世話になった妄想とほとんど変わらないしろものだと分かっていても、そういう蜃気楼みたいな希望に縋らなければ、今は前に進む気力すら保つことが困難なのだ。
だが、そうやって、取り戻せない過去に縋りつく自分の姿はあまりにも亡霊じみていて、客観的に自分を省みる度に、鋭い痛みが走る。幻を支えにする自分の耳元で、お前はもっと建設的に、現実的に生きなければならない、と理性が囁く。多分それは正しい判断なのだけれども、私には、その囁きがおぞましいものにしか聞こえない。その声が、かつて両親が私を縛り付けた言葉を思い起こさせるからだ。親が私を支配し、縛るために使った言葉と、私自身が自分自身の意思と判断で下すその言葉は同じ手段を示していようと、同じものではない、理屈ではそう分かっていても、どうしようもない無力感に、呑みこまれそうになる。私は、どこにも逃れることができず、多分このまま檻の中で一生を終えるのだという確信。
もちろん、わざわざ自己憐憫めいた口を利くまでもなく、こんなことは世間にありふれているということはよく知っている。私はその中の、ごくつまらない例の一つにすぎない。もっと建設的に、もっと現実的に、もっと合理的に生きなければならない。さもなければ、明確な意思と主張をもって戦い抜くか、死ぬか。私には後者をやるほどの強さがない。よりよく生きなければならない。嗚咽はどこかに押し込めて。古傷はどこかに包み隠して。自己憐憫はどこかに放り捨てて。そして如何にも楽しげに。人生を満喫しているような素振りで。きっとうまく騙せるはず。
不具合を抱えながら、私は私を騙し騙し動かしている。オーバーホールできる場所まで走り続けられるのか。途中でエンコしてのたれ死ぬことになるのか。死ぬまで騙し騙し動かし続けることになるのか。恐らくは三つ目を選ぶことになろう。多分、世間に一番多いのもそれだ。そういう人生にも、そういう人生を送る人物にも、私は価値を見出すことが出来ないが、そういう人生も、そういう人生を送る人物も、痛ましいなとは思う。恐らく、もっと苦しい状況を生き延び、自己実現を果たした人々にとっては鼻で笑うような話だろう。いや、是非鼻で笑っていただきたい。勝利はあなたたちのものだ。心から、それを祝福したい。私はその隣を、びっこを引きながらとぼとぼ歩く。時折、同じ道を歩く者同士が石を投げ合うのを見る。「不幸な自分をそんなに哀れんでもらいたいか、乞食め」と。何もかもがひどく虚しいが、そう思うことさえも、ごくありふれた、つまらなく、くだらなく、何の意味もないことだと感じる。勝者の説諭も敗者の同族嫌悪も首をすくめてやり過ごし、びっこを隠してとぼとぼ歩こう。何も無い道を歩きながら願いを呟く。私と同じ道を歩む者が今後少なくありますように。同じ道を歩む者たちにささやかでも幸せがありますように。いつか全ての人々の夜が明けますように。
ttp://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-4287.html
1 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:36:36 ID:???0 ?PLT(12556)
和歌山、高知、千葉、東北地方など国内各地の沿岸地域には、古くからクジラ漁の歴史がある。
長崎県新上五島(しんかみごとう)町の有川地区も伝統的にクジラ漁が盛んだった。
今でも冠婚葬祭などの地域の行事にはクジラの刺し身は欠かせない料理。
クジラでだしを取ったうどんは、どこの家庭でも親しまれている。
有川町漁業協同組合(中山弘光組合長)の浜崎永吉参事は「昔から鯨食文化があり、今も当然のように食べている」と強調。環境保護を標榜(ひょうぼう)する米団体シー・シェパード(SS)の抗議活動については、「受け入れられない主張だ。
クジラを食べるのは、欧米人が牛肉を食べているのと同様に文化だ」と話す。
「クジラなどの哺乳(ほにゅう)類保護、動物愛護という意見はあってもよいが、暴力的な抗議活動を行うことは許されない」と批判する。
SSに対し、政府はいまでこそ対策を積極的に検討している。
「予算がかかっても海上保安庁の巡視艇を警備に派遣すべきだ」という声も高まりつつある。
しかし、数年前までは妨害を受けても、政府は「とにかく逃げろ」と指示するばかりだった。
背景にあったのは捕鯨の是非が議論され続けている国際捕鯨委員会(IWC)。
賛成派と反捕鯨国の勢力が拮抗(きっこう)しており、水産庁を中心に「SSに対抗すれば、逆に反捕鯨派を刺激し、勢いづかせる」という考えが根強かった。
そうした考え方が変わったターニングポイントは平成20年だった。
その前年、南極海で捕鯨船にSS活動家が乗り込んでくる“事件”が発生し、船員らは活動家の身柄を拘束した。
しかし、政府は反捕鯨国オーストラリアへの引き渡しを決め、実質的に釈放した。
「トラブルを拡大しない」。
そんな考え方があったが、SSはその後も妨害を繰り返している。
トラブルを拡大しているのはSSの方だった。
(»2へ)
+*+ 産経ニュース 2010/02/12[07:36:36] +*+*
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120008000-n1.htm
2 名前: ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★[sage tokimeki2ch@gmail.com] 投稿日:2010/02/12(金) 07:37:06 ID:???0 ?PLT(12556)
「なぜ、あのとき逮捕しなかったのか」。
公海上でも日本船への不法侵入者は日本の法律が適用されるため、逮捕もできた。
批判は高まり、日本側は少しずつ対SS強硬策にかじを切り始めた。
政権交代を果たした民主党は昨年末になって、捕鯨や船舶関係者からSS問題などについて意見を聴く議員協議会を開いた。
その場で、全日本海員組合の近英男(こん・ひでお)水産部長が、大きな声を張り上げた。
「国民がテロに近い暴力にさらされ、生命の危機を感じているのに、助けようとしない政府がどこにあるのか」
「政治に、なんとかしてもらいたい」。
多くの出席者から不満が漏れた。
SSの公海上での暴力行為に対して、日本の現行法制は逮捕など取り締まりを認めていない。
国連海洋法条約は、海賊ならば公海上でも逮捕を認めているが、政府は「海賊とはいえない」との外務省の見解を採用している。
環境保護を主張するSSは、略奪目的の「海賊」ではないという解釈だ。
昨年3月には石破茂前農水相が「SSは海賊と同じだ」として、ソマリア沖の海賊を取り締まる海賊対処法を適用するよう求め、それが拒否されるとSSを対象にした新たな新法制定を求め、水面下で法案の骨子まで作成した。
しかし、それも政権交代によって、握りつぶされた形になっている。
今の政府の大勢は法整備に冷ややかだ。
「ただ、船員の安全を守ってほしい、それだけなのに…」
近部長はそう話す。
SSの暴力を野放しにすることで、重大な人的被害を受ける可能性は強まる。
そのときまで問題を放置していいのか。
日本の調査捕鯨船団はいまもSSの脅威にさらされながら、南極海で航海を続けている。
21 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 07:49:15 ID:vlGJ4gNxO
59 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:14:15 ID:bpkYjug+0
»21
異の地を守りたい
(自身の政治生)命を守りたい
55 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:11:37 ID:h0KDSErH0
みんしゅとうって、なんのおしごとやってるの?
63 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 08:17:43 ID:bpkYjug+0
»55
ttp://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110253.html
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100211-00000068-mai-pol
岡田外相、外国人参政権で明言避ける 韓国外相「普天間問題に関心」
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100212/plc1002120021000-n1.htm
65 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:21:04 ID:IPbYoRr+0
あれ?
「命を守る政治!」とか言ってなかったっけ?
69 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 08:24:28 ID:IT0EaFLM0
»65
鯨の命を守ります。
214 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/02/12(金) 11:20:30 ID:c7QceIa80
この様子は、米CS放送局のアニマル・プラネットのカメラマンが撮影。
映像は、今年夏から同局で放送されるシー・シェパードのドキュメンタリー番組「鯨戦争」シーズン3に反映されるものと思われる。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100212/crm1002120935007-n1.htm
なんせ迫力のある狩りの映像を撮らなきゃならんからな。
すいません、ネタ扱いされるのは覚悟の上ですが、本気で思っているのは事実です。
「どうせできっこないって思ってるのに発言している」という状態がネタであれば、完全にネタです。
http://anond.hatelabo.jp/20100203172441
アクシズ落としちゃえばいいと思います。
ttp://alfalfa.livedoor.biz/archives/51055750.html
54 ブロガー(北海道) :2007/07/10(火) 09:31:03 ID:t2X4GE2C0
社保庁もNTTデータも、永いこと本気出すつもりが無かったのはわかった。
55 カメラマン(catv?) :2007/07/10(火) 09:32:26 ID:L+32UNM40
»54
>社保庁もNTTデータも、永いこと本気出すつもりが無かったのはわかった。
本気出そうと思っても長年、本気出してこなかったから、本気の出し方忘れてるwww
56 ほうとう屋(福岡県) :2007/07/10(火) 09:33:26 ID:O3JXGdO00
»54
実は本気を出したためにこの有様・・・
78 役場勤務(catv?) :2007/07/10(火) 10:28:14 ID:vKYaaksN0
»54
本気出してるだろ。
「いかに効率よく金を稼ぐか」という命題に、「中抜き丸投げ」という見事な回答をしている
『社会保険庁にどうせ検収なんてできっこねえ』というのを見事に見抜いた作戦だ
82 名無し募集中。。。(アラバマ州) :2007/07/10(火) 10:34:43 ID:T74TNOJg0
»78
ほとんどの官庁がそうだよ。
直接にカネと関わるから表に出ただけ。
東海村に行ってみ。
原研も動燃も酷いもんだ。
論文も下請けに書かせているぞw
88 役場勤務(catv?) :2007/07/10(火) 10:42:09 ID:vKYaaksN0
»82
35歳過ぎの技術者で公務員として働けるんならいくらでも人来るだろ
データに払う1人月よりよっぽど価値あると思うし、1人月で2人ぐらい雇えるだろ
123 うぐいす嬢(大阪府) :2007/07/10(火) 17:05:04 ID:b7zJhWiB0
»88
逆に考えると、「専門家を雇ったほうが不都合がある」ってことかねw
亀井さんが「国民の相当数は冷静な判断能力ない」って発言したみたいだけど、その通りだと思う。ただ亀井さんが冷静な判断ができているかといえばそうとも思えない。
今の日本で今の政治に関して全国民から「冷静な判断」と受けとられる判断なんて存在しないでしょ。なにをしても叩く人は叩くし、賛同する人は賛同するし。まあそれでいいと思う。全国民が同じ思考回路なんてしてたら気持ち悪いし。
ただ気に食わないのは、自分はさも様々なことについて自分で考えて自分なりの考えを持っている風を装っちゃいるけど、その考えが誰かの考えのまるパクリなのに、そのことにまったく気付いていなくて、自慢げに吹聴して回る人。
他人の考えに影響を受けずに生きていくなんてできっこないんだから仕方ないんだけど、はてブコメントとか見てるとどっかで見聞きしたコメントなり意見ばっかり。
それを認めた上でやってんなら全然構わないんだけど、気付かないで己の考えと信じ込んでる人は滑稽だし、なんか心配になる。
仕事柄老人と話をする機会が多いんだけど、老人は自分で考えているなと思う。考えていない老人はとことん考えちゃいないけど。
ソースは新聞なりテレビが大多数なんだろうけど、噛み砕いて自分の言葉にしてるなと思う。
年をとったからか、若い連中の言葉に違和感を覚える。なんか言い慣れていないというか、自分の考えを言葉にしてるのに、なんかを引用してる感じで、自分の言葉にできていないように思える。借り物の言葉みたいにしか聞こえないから若者が3種類くらいにしか分類できないんだよなー。
「自分の言葉にできていない」なんて使い慣れてないから違和感あんな。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100126-OYT1T00070.htm
ていうか日本って研究「だけ」やってる人間じゃないと研究者になれないのが問題だよね。
ちょっとでも他の世界を覗いたりしたらもう研究者としてのキャリアは歩めない仕組みになってる。
そりゃ視野の広い研究者なんて現れるわけないし、縦割りで断絶しちゃって国全体として意味のある議論なんてできっこない。
そういう意味では、世間知らずの研究馬鹿たちも、欠陥システムの犠牲者と言えるのかもしれないなあ。
研究業界とビジネス業界はもっと流動的に人材交流があるべきだと思う。
別に「今すぐ役に立つ研究以外はいらない」とか言ってるわけじゃなくて、上のような内容を読んでそう解釈してしまう当事者が多すぎることが問題だと言ってるんだけどね。
オマエがただのゲーヲタだってことはわかった
別に構わないさゲーヲタ結構
だけど人間性かなり低いな
いい歳してそれって情けないぞ
周囲にはバレてないからいいってか
愛妻家のふりして実は嫁に捨てられるのが怖いだけ
親とか親戚を大切にするのはいざって時に助けてくれる人がいないと自分が困るから
つまりはすべて保身でしかない
当然友達は少ないよな
だって本気で友情とかないだろ
何人かで楽しく遊んでもすぐ飽きる
心から信頼してわかりあえる友達なんてできっこない
まあ友達いないから人間失格ってことにはならないか
そもそも気分次第でメール返信しないとこからして失格だけどな
ちょっと頭の回転が人より早いから生き延びてんのか
ちょっとイケメンだから周りも許すのか
欺かれてる周りの人たちは気の毒だと思う
オレはたまたまオマエの本性らしきものに触れたからわかったが
周囲でだまされてるヤツは多いんだろうな
たぶん最後までボロ出さないだろうから葬式にはたくさんの人が来て泣いてくれるだろう
ここまで書いて気付いたが
オマエは天才詐欺師かもしれない
U40の参加条件にからんで何か言ってる。図書館で正規職員として働いていた私から見ると、非常に見苦しいし、かわいそうだと思う。
図書館の非正規職員なんて、
2.正規職員を目指すが、無理だったので、あきらめて図書館と関われる職場として働いている
3.なんとなく。楽だから働いている(一番だめなやつ)。
のどちらか。なので、正規職員がうらやましくて仕方ないんだろう。だからといって正規職員に噛み付くのは筋違い(上記の2に該当する人がそういう事をする)。まだ自分の中で折り合いがついていないんだろうね。でも正規職員に噛み付いたところで、非正規の待遇は向上しないし、司書を安売りする事で、いいことなんておきっこない事に気づけばいいのに。
それから、まず「専門性のある非正規職員」なんてほとんど居ない。専門性なんて、じっくりと働ける場で、研鑽に励むことで初めて生まれてくるものだと思う。そりゃダメな正規職員というのもよくよく探せばいるだろうが、きちんとした競争試験を潜り抜けてきた職員は、非正規に劣るなんて事はそうそう無い。ダメな非正規はゴロゴロいる(というかほとんどがダメなやつらばかりだと思う)。
今回の件では「非正規職員もっと謙虚になれよ」と思った。今回のイベントは「非正規職員でも参加できる」という点ですごくラッキーな事だと思えばいいのに、とも思う。
いちゃもんに対し、フォローしたり、説明したりと、まじめに相手をしてあげている正規職員の方々もいるようだが、そういうところに時間とエネルギーを割くのは無駄な事なんじゃないかと思う。
いろいろ書いたけど最後に、冒頭の2に属する人たちに対しては「なにも図書館で働くだけが人生じゃないよ」って言ってあげたい。みんながみんな成りたいものになれるわけじゃないんだから。
私も図書館で働いていた頃には「図書館で働く事」にとらわれてしまっている非正規の人たちを結構見てきた。正規のポストを求めて挑戦を重ね、年を取ってしまった人たち。せめてやり直しの効く年代で方向転換するのも彼らの人生にとってはいいことなんじゃないかな、と思う。
個人的には、図書館の仕事だけが他と比べてやりがいがあったり、楽しい仕事だとは思わない。それに冒頭の2に属する人って、それだけ何かに夢中になれる人なんだから、それを大いに発揮できる仕事はいくらでもあると思う。
・先生は何十人もの子供に影響を与える。姉がなれば悪影響を与えてしまう。
母親が反対していた理由は、これではない。
これは明らかに「反対する理由を聞かれた結果としての理由」であって、当初反対していた理由にここまで深い意図はない。
これらが本当の反対の理由であれば、お姉さんの努力なり父親の説得なりで話は確実にどこかに進むはずなのだ。
(それで結果やっぱり反対だとしても、話は進んで、より具体的な話ができているはず)
じゃあ反対の理由は何なのよ?と言われれば、最初反対していた理由として上げてるように、
「親だからわかる。姉が教師になんかなれっこない。」
という一言だけにつきるんだと思う。「教師なんて偉い人がなる職業に自分の娘がつくなんて・・・」という程度。
ではなんで、上のような一見してそれっぽい理屈をこね上げてしまったかというと、
『娘も父親もが、家族みんながよってたかって自分の意見に反対したから。』
母は怒りとも悲しみとも言える複雑な表情をして、ポツリと「なぜ私をこんなに苦しめるの・・・」と言った。
通訳すると、「なぜ(私の言うことをみんなでよってたかって反対して、挙げ句の果てに無視してそのまま突き進んだりして)私をこんなに苦しめるの・・・」ということ。
そこが母親の思っている問題の根本なのだから、そのほかの説得や努力が響くはずがない。
まぁでも、幸いなことにというか、やっかいなことにというか、
・先生は何十人もの子供に影響を与える。姉がなれば悪影響を与えてしまう。
これらの理由は、母親の反対の根本ではないけれど、母親が全く思っていないことでもないのだ。
感情主導で理屈をごちゃまぜにして語っているから、とてもわかりにくいのだけど、
母親が作り上げた理屈を否定しないように、母親の感情をどうほどいていくかが大事。
解決する方向に持っていきたいなら。
食卓の空気が険悪になる事が我が家にはたびたびあった。それは何度も経験したことのある出来事だったが、それが私を余計嫌な気分にさせた。その空気の原因は、母の怒りだった。怒りの方向は、その場にすらいない私の姉の将来の夢について。彼女の夢は小学校の教師だった。母は姉が小学校の教師になる事に、強く反対しているのである。
私には3つ上の姉がいて、私たちは自分でも言えるくらいに仲が良かった。ここ数年喧嘩などしたことがなかったし、一緒にテレビを見たり、話をするのはとても楽しかった。現在彼女は大学生になり、一人暮らしをしているが、家族間無料通話をいいことに相変わらず電話で話をすることは多い。
姉が高校に入学するころ、姉は食事の場で、自分に教師という夢がある事を言った。父は、夢を持つ事、目標を持つ事はとてもいいことだから、とにかくがんばってみなさいというようなことを言った。姉はとてもいい顔だった。私は姉を色んな意味で、羨ましく思った。(色んな意味を意識してたわけじゃないけど。)
だが、食事後みんなでテレビを見ていると、急に母は姉の夢に反対であることを言い、姉に説教すらし始めた。母の顔には怒りがにじみ出ていた。姉や父は母に理由を尋ねたが、母は、「親だからわかる。姉が教師になんかなれっこない。」というように曖昧で断定的な返答しかしなかった。なれっこない。何度もこの言葉を聞いた姉は泣いていた。夜中にも、すすり泣きの声が聞こえた。母は、今までにもこういう主張をすることがたびたびあったのだ。なぜか姉がなにか(部活のリーダー、学級長、地元進学校への高校受験、etc....)をしようとするたびに、できっこないだの、やれっこないだの言って、やめさせようとする。高校受験の時も、姉が地元進学校へ受験しようとするのをやめさせようとしていた。姉は母に反発して猛勉強し、見事合格した。彼女は私に「これで母さんも、ちょっとは私を認めてくれたかな」と漏らした。その矢先、再び母は姉の夢を今までにないくらい強く否定したのである。当時ピカピカの中学生だった私にも、なれっこないと言われた姉の痛みが伝わってきた。
それから数年が経ち、姉は大学生、私は高校生になった。時々真夜中に父と母が話し合いをしているのが聞こえた。普段は温和な父の、大きな声。だが、父の説得も母は聞く耳を持たなかった。姉は夢をあきらめず、母も反対の立場を変えなかった。母は反対の理由を話したがらなかったが、問い詰めると、時々漏らすように理由の一部だけを言った。以下はその要約。
・先生は何十人もの子供に影響を与える。姉がなれば悪影響を与えてしまう。
・なので教育実習で地元の学校に来ると、近隣の皆様のひんしゅくを買う。
・先生のような重大な仕事に就くと、大変な人生が待っている。平凡な生き方のほうが姉にとって幸せ。
自分はこれらを聞いて半ば呆れていたのだが、最後の理由を聞いて、母なりの姉への思いやりなのかなと思っていた。
だがある日、食事の場で、父が姉が教職を取ろうとしている事を家族に語った。私が嫌な予感を持ちながら母を見ると、母は怒りとも悲しみとも言える複雑な表情をして、ポツリと「なぜ私をこんなに苦しめるの・・・」と言った。その時私は、母の今までの主張は全て自分の自分の都合のためだったのではないかという事を感じた。母は世間体を気にするタチだった。「先生のような重大な仕事に就くと、大変な人生が待っている。平凡な生き方のほうが姉にとって幸せ」という理由は単なるタテマエであって、本音は「先生は何十人もの子供に影響を与える。姉がなれば悪影響を与えてしまう。なので教育実習で地元の学校に来ると、近隣の皆様のひんしゅく(自分が)を買う。」ということにあり、自分の保身(?)のための主張なのではないか、という邪推をしていた。邪推であって欲しかった。子供だった私が羨ましく、妬ましかった。
私は食欲をなくし、台所を早めに去った。去り際に見た父の顔は、怒りで満ちていた。
転職前は俺もそう思っていた。でも違った。日本こそ現場主義。それに比べて米国企業パネェ。ボスが絶対君主。内資だと、たとえば10M円未満の下請契約ならプロジェクトリーダ(SE部長)の決裁で締結できる、みたいな社内規則があって、ルール内での裁量は自由にきくんだが、今の会社だと全部エグゼクティブまで持っていかなきゃならない。転職後に読んだ外資転職マニュアル本にも同じことが書いてあったから、うちの会社だけじゃないと思う。人事も財布も全部ボスが握ってるから、スタッフは常にボスの顔色見ながら仕事する。現場に権限なんてない。柔軟な対応なんてできっこない。
幸福実現党について、産経新聞を除くマスコミは「だんまり」を決め込んでいる。
小選挙区は兎も角、比例代表では「ハードルが低くなっている」。
この政党は、フェミニストとは何の関係もないカルト企業政党である。
>例えば、2004年の第20回参議院議員通常選挙では年金改革を訴えた女性党が、
>98万9882票を獲得しました。2004年参院選における比例区の最低議席獲得票は
>約108万票だったため、議席獲得まで約9万票足りませんでした。
>女性党は政党名だけ聞けば、「女性の政党?」といった感じですが、
>アイレディース化粧品の販売会社アイスター(2003年にハンセン病元患者宿泊拒否事件を
>同社社長西山栄一を教祖とする宗教法人「和豊帯の会」などが母体となっている
>女性党の支持母体の組織力、資金力、動員数は、幸福の科学の10分の1にも満たないですが、
>それでも時流に乗れば、議席確保寸前まで可能だったのです。
また、「真理党」は、ホーリーネームで立候補するなど「気色悪さ満載」で、
無党派層の取り込みは無理であったが、幸福実現党は、一定程度は無党派層取り込みが可能と思われる。
女性党のウラの顔を知らずに投票した無党派層が一定程度存在したのと同様に、
選挙期間中に、北朝鮮がなんらかの挑発行為を取れば、幸福実現党にとっては「神風」になる。
各比例区で1名は何とか潜り込むことが可能なのではないか?
そうやって、意味不明に喚くことでしか自己の正当性、自己の精神の安らかさを維持できなくなったらお終いだよ。
言うなれば、赤ん坊が不満になったらギャアギャア泣くのと全く精神構造としては同一。
俺にまともな意見をされたいならば、きちんと論理立ててまともな意見を出しなさい。
まあ、そんなことができっこない事はお前のレスを見ればよーく分かるがな。
まともな知性を持ち合わせていれば、自分の意見をきちんと言葉で述べて相手を説得でき、意味不明に喚いたりなどする必要が無いんだから。
単発というのは2ちゃん用語でスレに一回しか書き込んでない人のこと。逆に何度も書いてる人はID真っ赤とか言う。専用ブラウザの設定でたいていは5回以上書き込んでると赤くなる。
スレに一回しか書き込んでない人が続出してきたら「わいてきたな」と書く。
たいていは自分と違う意見が多いときに使う。工作員がID変えて多数派工作してるという発想が背景にある。
例えば、400億円突っ込んで、社内基幹システムをSAPで置き換えます、
なんて云ってるメーカとかもあるが、到底ムリなわけで。
上流はコンサルをじゃんじゃん入れて、ABAPerもできる人を入れないと
できっこない。となると、社員はなんだ、、プロジェクト管理もまともに
できないし、技術もない、業務も分からない、どうにもこうにもどうしようもない。
だいたい、どこでもそんなものなのだよね。
たとえプログラマとして優秀な社員だったとしても、そういう役割としては
置いてもらえず、PMPとかとって、管理しろ、としかいわないわけだ。
ああ、終わってるな、と。せめて自分だけは何とかしないといけません。
子供の頃は、会いたいけれど時間がないないとか、話題が合わなくて間が持たないとか、時間ができたらゆっくり出かけよう(そんな時間はできっこないけれどね)とか、君は僕を忘れるだろうとか、絶対にないと思ってた。だって俺らこんな仲良いんだぜって。
ある映画のラストでは、親友はいずれ校門の前で挨拶を交わす程度の友達になり、レストランで行き会い、挨拶を交わす程度の知り合いになり、いずれ新聞記事になるような活躍をしたときに、初めて消息を知るような程度の知人になると説いていた。
そのときはまだまだ僕は子供で、そんなことがあるわけはないと思っていた。けれど、いつか大人になったらそういう風になるのかもなあと朧げに思っていた。
そうしてしばらくして大人になった訳だけれど、きれいさっぱり忘却した昔の友達は数知れず。向こうも当然俺のことは覚えていない筈。
あろうことか、一番仲の良かった友達とさえ半年ぶりの再会でろくすっぽ会話が噛み合ない始末。どっちも似たような社会的なポジションについてはいるんだがな。そもそも久しぶりに会おうといっても今日明日にとはいかない訳で、俺来週ダメ、俺は再来週がダメ。じゃあ来月ヘッドだなとか。
昔はいつでも暇なときに溜まり場にいけば会いたくなくても会えたのにな。
あの時代はもう戻らないのだなあと思いつつ、今となってはああいう過剰にある何するでも無くゆるりと流れる時間にどのように自分の身を任せていいのか些か手元不如意であるので、戻らなくてもいいやとも思う。持て余すよね、ああいう時間は。
熟昔の人は言い得て妙ということをいうものです。
それと全く話は別なんだが、あなたが僕のことを忘れてくれていたら僕はきっとあなたに会いにゆけます。
忘れてくれていたらその昔にあった面倒なことが引っ掛かってぎこちなくなったりしないで、あなたの幸せな将来に心からエールを送ることができる。思えば色々とあったけれど、しやわせになって欲しいのです。思えばあの頃は無駄に暇で、どうでもいいことに掛ける力が漲っていたよね。
そしてそういう面倒なことを忘れるために僕は今日も泥のように眠る眠るのです。