子供の頃は、会いたいけれど時間がないないとか、話題が合わなくて間が持たないとか、時間ができたらゆっくり出かけよう(そんな時間はできっこないけれどね)とか、君は僕を忘れるだろうとか、絶対にないと思ってた。だって俺らこんな仲良いんだぜって。
ある映画のラストでは、親友はいずれ校門の前で挨拶を交わす程度の友達になり、レストランで行き会い、挨拶を交わす程度の知り合いになり、いずれ新聞記事になるような活躍をしたときに、初めて消息を知るような程度の知人になると説いていた。
そのときはまだまだ僕は子供で、そんなことがあるわけはないと思っていた。けれど、いつか大人になったらそういう風になるのかもなあと朧げに思っていた。
そうしてしばらくして大人になった訳だけれど、きれいさっぱり忘却した昔の友達は数知れず。向こうも当然俺のことは覚えていない筈。
あろうことか、一番仲の良かった友達とさえ半年ぶりの再会でろくすっぽ会話が噛み合ない始末。どっちも似たような社会的なポジションについてはいるんだがな。そもそも久しぶりに会おうといっても今日明日にとはいかない訳で、俺来週ダメ、俺は再来週がダメ。じゃあ来月ヘッドだなとか。
昔はいつでも暇なときに溜まり場にいけば会いたくなくても会えたのにな。
あの時代はもう戻らないのだなあと思いつつ、今となってはああいう過剰にある何するでも無くゆるりと流れる時間にどのように自分の身を任せていいのか些か手元不如意であるので、戻らなくてもいいやとも思う。持て余すよね、ああいう時間は。
熟昔の人は言い得て妙ということをいうものです。
それと全く話は別なんだが、あなたが僕のことを忘れてくれていたら僕はきっとあなたに会いにゆけます。
忘れてくれていたらその昔にあった面倒なことが引っ掛かってぎこちなくなったりしないで、あなたの幸せな将来に心からエールを送ることができる。思えば色々とあったけれど、しやわせになって欲しいのです。思えばあの頃は無駄に暇で、どうでもいいことに掛ける力が漲っていたよね。
そしてそういう面倒なことを忘れるために僕は今日も泥のように眠る眠るのです。
ユニコーンか。 この唄20年も前なんだな。懐かしい。 20代後半になって初めて歌詞の世界が実感できたとき、 改めて名曲だと思ったよ。