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はてなキーワード: 連立政権とは

2009-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20090216211731

自民連立政権できても日本は終わらなかったわけで民巣政権できたくらいで終わるわけがない。

2009-02-04

小沢外交政権取れば豹変」=民主長島昭久インタビュー

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009020400772

突っ込みどころ満載なんだが、

 次期衆院選民主党政権交代を実現した場合、わが国の外交安全保障政策は変わるのか。同分野に詳しい同党の長島昭久衆院議員インタビューした。概要は次の通り。

 -ソマリア沖の海賊対策への党の対応は。

 (党内に)幅広い意見を抱えているから、(党の)外務・防衛部門では議論を避けてきた。党の意見くらいはきちんと集約しないといけない。

 -民主社民国民新の3党連立政権となれば政策調整が大変では。

 自公連立とそんなに変わらない。とことん議論していくしかない。

 -海上警備行動を発令しての護衛艦派遣について党の結論は。

 (今は)海上保安庁にどういう限界があるか検証する段階だ海保では難しいと理解できれば、早晩結論が出る。

 -派遣を認めれば、麻生政権に協力することになるが。

 最終的に小沢一郎代表が決断することだ。今は自民党を倒すことが大義だから、協力しないという決断は、政治論として理解できる。過渡期だから仕方がない。

 米国の知人から「インド洋での海上自衛隊の給油活動などに反対する民主党はめちゃくちゃだ」と心配されるが、「小沢代表は必ず君子豹変(ひょうへん)する。政権を取ったら現実的な対応をする」と答えている。そうでなかったら政権運営できない。

 -自民党民主党も支持しない層が増えていないか。

 常々感じている。そういう意味で、渡辺喜美行政改革担当相の反乱は、意味がある行動だ。ただ民主党が、官僚主導ではなく、生活者主権、地域主権というマニフェストをきちんと議論し、発信できれば、民意を吸収できる。1日も早くマニフェストをまとめて訴えた方がいい。(了)

(2009/02/04-17:59)

小沢代表は必ず君子豹変(ひょうへん)する。政権を取ったら現実的な対応をする」と答えている。

世間ではそれを「空手形」と呼ぶんだが。というか、本当に豹変したら今まで民主党を支持してた連中から総スカン食らうぞ。

2009-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20090128224830

指導力不足って誰に比較して言ってるんだろう

オザワさん?カンさん?シイさん?

誰に比較したって、「いや俺が!」なんてのはいない気はするんだけど

いや別に自民が倒れて民主になっても共産になっても別にいいんだけどね

共産公明連立政権wなんてなったら愉快じゃないか

まあ妄想

2008-10-17

創価学会が嫌いなら自民党投票するな!

創価学会に不信感を感じている国民は多いが、学会が嫌いなのに自民党を支持している人もまた多いようだ。

公明党権力を与えているのは他ならぬ自民党だ。

創価学会学会員犯罪を隠蔽・もみ消し出来るのはなぜですか?公明党権力の中枢にいるからでしょう。

自民党創価学会公明党連立政権を組んでいるのだから、自民党投票するのは公明党投票するのと同じ事だ。

公明党を撲滅するには政権交代させるしかないのです!

自民党公明党に完全に乗っ取られている。創価学会組織票がなければ選挙にも勝てない。

総理大臣を批判できても、創価学会を批判できる自民党政治家は一人もいない。

もはや自民党公明党と「一体」になってしまっているのです。

創価学会員は日本国民してよりもまず「学会員」として行動する。

創価学会には日本国益よりも学会の繁栄の方が大事なのだ。国益をないがしろにする学会員は、日本人に非ず!

公明党の政界進出は日本国への「侵略」であると心得よ!

http://0dt.org/000456.html

2008-09-02

公明党創価学会基礎知識2008

日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。

1ページ目 【創価学会の成立と発展】

創価学会の成立と迫害

創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。

しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在日蓮正宗創価学会関係はありません)。

そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。

戦時中宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神指導者として処刑されてしまうわけです。

いずれにせよ、政治実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。

このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。

創価学会の発展

戦後民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会ナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。

戸田は敗戦後学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。

折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世折伏」を実行するよう呼び掛けます。

とほうもないように見えた計画でしたが、戸田1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。

強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本人口構造の転換に求めることができます。

農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。

そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。

学会の国政進出はじまる

こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長戸田はまず1955年統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。

これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。

2ページ目 【公明党の結党と田中派への接近】

社会的地位向上を狙った国政進出?

1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。

折しも創価学会は特に左翼革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会学会員社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。

いろいろ言われているように、戸田国立戒壇、要するに僧侶日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。

公明党誕生池田会長の就任

しかし戸田学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。

この間、会長池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。

この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さ頭角を現わすことになったのです。池田会長就任は実に32歳の時です。

そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。

こうして創価学会公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。

言論弾圧事件」と自民への接近

公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。

しかし1969年公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。

このとき活躍したのが、当時自民党幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。

自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。

さて、田中角栄は地方への「利益誘導政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。

もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派公明党学会関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。

また1972年には、竹入義勝・公明党委員長首相となった田中の依頼を受けて訪中田中訪中日中国交正常化の地ならしを行っています。

学会公明党の「政教分離

さて、「事件」でバッシングされた公明党創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙議席を半数近くまで落とします。

もちろん公明党創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。

また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。

学会共産党支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中ファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家松本清張で、彼は池田宮本顕治共産党委員長を引き合わせ、この学会共産党の「同盟」を実現させたのでした。

もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党学会なしには存在し得なかったからかもしれません。

また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。

結局、これで公明党イメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。

結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党顧問弁護士宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。

3ページ目 【自公連立への道と創価学会

公明党与党

新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。

1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。

1992 年、公明党民社党社会党議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。

また1980年代から地方議会でも公明党都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。

公明党与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄逮捕される国会議員も出てしまったといえます。

もっともこの不祥事には創価学会学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党国会勢力は1989年参院選では前回比1議席減、1990年衆院選では11議席減となっています。

公明党の連立参加と「新進党参加」

1993 年、総選挙自民党過半数割れすると、公明党は非自民・非共産連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。

その後、公明党小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員参議院議員1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。

結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。

その後、旧公明党衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在公明党誕生することになります。

公明党誕生自公連立

新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。

こうして小渕内閣(小渕首相田中派を源流)のとき、公明党自民党と本格的に連携地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上自公連立政権スタートすることになります。

そんななかで小泉政権が発足。公明党小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。

しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。

また先のページで述べた「地方:自民都心公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。

これからの創価学会公明党

微妙になりはじめた自公連立公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。

この間、創価学会会長だった池田1979年日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在会長原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌新聞などをみても明らかです。

政教分離」をした今、創価学会公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員公明党公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。

ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会壮年部長読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。

公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会公明党なしでもやっていけるが、公明党創価学会なしにはやっていけないわけですから。

さて2008年池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。

いずれにせよ現在創価学会組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。

人名について一部敬称略とさせていただきました。

参考書籍サイト

SOKAnet:創価学会公式ホームページ http://www.sokanet.jp/sg/sn/index.html

2008-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20080719184615

日韓併合時に還暦で、その後40年も生きるってのがすごいな。

そして、黒船騒ぎで始まり、講和問題で終わる人生ってのも何か象徴的。

でも、やはりナナロク世代の俺がこれまでの30年を振り返っても、ここまでの激動はない。

強いて政治を挙げれば、一番の思い出は昭和天皇崩御だな。

天安門事件ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊なんかは「何か外国人が騒いでるな」くらいの認識だった。

後は順不同で、湾岸戦争新党ブーム、マドンナブーム、連立政権有事法制、米兵レイプ事件、戦後50年、オウム事件、サカキバラと少年法歴史問題、9・11対テロ戦争…くらいか。

あと、内政・外交両面にわたって、小泉政権のことは忘れられないだろうな。

2008-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20080506132658

93年の政権交代は実質的には自民衛星政党だった日本新党やさきがけを首相椅子と引き替えに取り込んで無理矢理過半数にしたから、どっちかっつーと自民の内紛なんだよな。

自民共産以外はほぼすべて参加してる連立政権自民の内紛とみなすのは強引過ぎでしょ。

たった半年でコケたし、国民が選択したというものではないし、極めて例外的なケースだと思うよ。

自民過半数割れは明らかに国民の選択選挙の結果が国民洗濯じゃないならほかの国の世間交代だって国民の選択じゃなくなるでしょ。しかもその後はずっと連立政権が続いてるわけでこのときにすでに一党制的なのは終わったも同然。

公明党は創○の教義から「与党」の称号と引き替えに票を提供しているだけで、実質的には自民が全部仕切ってるわけだし。

自社さ政権でも自公政権でも自民単独ならやりそうもない政策してるわけで自民が仕切れてるとも思えないけど。それにもともとの自民党自体が政策的に幅のある政党55年体制のころから野党の主張も取り入れて政権維持してた。それをリーダーシップが足りないだの密室談合だと批判する独裁を待望してるかのようなへんな批判がされてたのが問題だったわけだけど。

独裁国でもガス抜き用に形式的な「野党」を作ったりするし、厳密な言葉として一党独裁ではないけど、そこはあまり本質的ではないかな。

欧米辺りから見たら細かいこと抜きで身も蓋もなく「自民が50年以上独裁している」って表現されて終わりだよ。

自民党ができたのが1955年だし、今より高い投票率選挙で勝ち続けてたわけで50年以上独裁とか言ってるのはただの無知。そういうのを相手にしても仕方がない。欧米は自分らに都合の悪い政権だと民主的でないとかけちつけるのはよくあること。

ただ、何だかんだで公共部門が大きく政権交代がほぼ無いために政府=自民政権であるこの国では、企業自民支持を打ち出さないと「死ぬ」ことになる。

日本の税負担率は先進国トップクラスの低さが続いてるし、人口当たり公務員数もトップクラスの少なさ。日本の公共部門が大きいというのは幻想。それに有力野党労働組合宗教ぐらいしかなかったわけで財界自民を支持し続けたのは自然なこととおもう。

公共部門の利権によって自民への投票事実上強制出来て、政権を握り続けることによって再生産的にその利権を安定化出来る、というのは基本的な図。

結局庶民もその体制で利益を得てきたからこそ政権を任せ続けたわけだ。

これはそうでもないよ。安定度で言えばずば抜けてるのは公明党だけど、民主は全然安定してない。自民が得票「不安定」なのは公明との選挙協力のせいだろう。

それは違う。公明との選挙協力がない比例区の票見ると自由党合併して以降の民主党は二千数百万でかなり安定してるし、逆に自民党は一千万票も増減してる。

地方の人は1票が重いから自民的にはつぎ込んでも元が取れちゃう。

地方は個別の財政的にも死んでるとこがほとんどだから、自民に反旗翻したら即夕張っちゃうので中々逆らえない。

その地方で民主が勝ったから今のねじれ国会があるわけだけど有張りみたいにされてるわけじゃない。

小泉が一旦全ておシャカにしないと後が続かないほど日本を酷い状態にしたのは、それまでの無責任自民への白紙委任であることも間違いない。

そもそも盤をひっくり返す必要すらなかったと思う。おそらく多くの国民55年体制が今でも続いてるほうが幸福だっただろう。失業率なり成長率見れば政界再編とか構造改革とかをやり始めた連立時代から日本はだめになっていったのは明らか。にもかかわらずなぜか自民単独政権続けたからだめになったというのが不思議。お釈迦にする必要もないのにそうしないと後が続かないと思い込んで酷い状況にしただけじゃないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20080506064406

俺「(それは知事関係ない・・)いろんな意味でこれまで政治一党独裁にし続けてきた結果だから、ある意味国民責任でもあるんだよ。おばあちゃんだって、選挙行ってないでしょ。」

93年とかに政権交代あったしそれ以降連立政権泡家で一党独裁じゃないと思うんだけど。自民以外の政党立候補投票も禁止されてない。

投票率が低迷し続けてもう何年も経ちますが、その間に既得権益の安定票で当選しまくった自民党はやりたい放題。

選挙のときとか上がってたから低迷し続けてるわけでもないし、最近自民党より民主党のほうが得票数は安定してる。得票数見ると主要政党で一番不安定なのが自民党。そもそも業界団体とかの選挙活動投票率高かったころのほうが盛んなわけで低投票率=既得権団体が有利というのはかなり怪しい。既得権がどんどんなくされていって圧力団体選挙活動やるメリットが薄れたから、選挙に行く人減ったというほうが正確なんじゃないかと。

そのつけが今になって噴出しています。小泉首相により既得権益集団は多少潰されはしましたが、未だ道路空港新幹線と国の財政に寄生する利権団体はまだまだ存在します。はたして日本はいい方向に向かっているのでしょうか。そう思いたいものですが。

2000年以降公共投資は減らされ続けてGDP比で見るとここ30年で最低水準。土建屋財政赤字を膨らませてるというのはもはや幻想

それに高齢者医療を導入決定したのも増税医療費自己負担引き上げで貧乏人切捨てしたのも歴代政権で最も財政赤字を増やしたのも小泉政権なわけでその老人が嘆いてるのは既得権団体のツケというより小泉政権のつけでしょ。

2007-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20071115051653

ずっと昔からそうだったと思うんだけど。主張にほとんど差がないからすぐ連立政権って話になるわけだし。それだけ政権を握るというのはうまうまなんだと思うよ。

2007-11-06

小沢の件がいみわからなさすぎるので脳内シュミレーション

ケース1:小沢がスネタ

福田小沢さん、このままじゃ国会審議もままならない。連合くまないか?」

小沢「くめん。」

福田「まあ、そういわず。連合組んでくれたら・・・」

ちらっと顔をみる

福田小沢さん総理大臣・・・・。 ・・・やってもらってもいいともっているんだよ。」

小沢「なに!?」

福田大臣民主から4人だしてもらっていいよ。約束する。」

小沢「・・・。」

福田「悪い話しじゃないとおもうんだけどな。」

小沢「・・・。6人だ。大臣民主が6人だ。」

福田「協議しよう。」

小沢「よし、じゃぁさっそく党に持ち帰って協議する!」

小沢「管くんー、鳩ちゃん!民主党!とうとう政権とれるよ!!福田くん連立くんだら総理大臣やらせてくれるって!」

管「連立くむんでしょ?ダメだよ。ダメ。なんのために別の党なのかわからないじゃない。」

小沢「でも!! 念願の政権がとれるんだよ!!?」

鳩山常考だめだろ・・・」

小沢「で、でも!大臣を6人も・・・」

管、鳩「だーめ」

小沢「・・・。」

小沢「やめる。」

管、鳩「え!?」

小沢「ボクもう代表やめるーーー!!」

ケース2:脅された

福田今日、二人だけで会談をひらかせてもらったのは・・・見てもらいたいものがあったんですよ。

小沢テロ法をとうそうというなら無理な話しだ。」

福田「まあ、そう剣呑としなさんな。」

バサリと分厚い資料を小沢につきだす

小沢「何かね? 汚職とかでもでたのかね?」

福田「まあ、みてください。お宅のネクスト内閣親族個人情報がまとめられています。」

  「その資料によると…小沢さんには来年小学校にあがる姪っ子がいるそうで?」

小沢「そんな安い脅しはやめろ。君は総理大臣だろ。」

福田「それで相談なのです。」

小沢「ん? どういうことだ?」

福田「実はその資料・・・。われわれが用意したものではありません。」

小沢「??」

福田「今回、給油支援が滞ったことで激しく不利益を蒙る連中…といえばわかりますか?」

小沢「・・・。」

福田外交上彼らは相当おとなしいですが、内閣も相当な圧力をうけています。」

小沢「わたしに一体どうしろと?」

福田「私は何ももうしあげられません。ただ彼らは本気だと。それだけお伝えしておきます。」

小沢「私もやられたならだまってないぞ?」

福田「彼らは本気だといったでしょう。」

小沢「どういうことだ?」

福田「彼らは例の方法をとりかねない。

   国内でやられたら民間人も大勢犠牲になる可能性があります。

   いま、鳩山くんを通して民間人にもテロ注意の喚起していますが…。

   われわれに表立ってできることはここまでです。」

小沢「れ、例の方法だと!!? ばかな!!?ここは日本だぞ!!」

福田「我々は法案をそのまま出します。小沢さんは党内を説得してください。」

小沢「・・・。」

小沢は苦渋の決断のすえ党内に情報だけ伝えたのち即日会見をした。

党首会談の内容だとおもって集まったメディアは代表辞意の発表におどろき速報を流した。

予想外の対応の早さだった。

小沢小沢自信が判断をする責任を回避したのだ。

法案の成立に反対をしていた小沢が代表をやめるのであれば小沢を脅す意味はなくなる。

交渉キーマンを失えば、脅しは通じなくなる。

だが次の民主党の代表も判断をする局面には立ちたくないので留意に全力をあげている。

ケース3:メディア戦略

小沢福田政権は手ごわいな。防衛庁の件を辿っても時間がかかるだけだ、民主党の票にはつながらん。」

孔明「そろそろ話題をつくりましょうか。」

小沢「なにかあるのかね?」

孔明連立政権

小沢「はん! 何をばかな!このままがんばれば自民の過半数も夢ではないところで連合してどうなる!」

孔明「ふふふ」

小沢「・・・! 孔明! なにか策があるのか?」

孔明読売渡辺会長が連立を組んだらどうだという意向だそうでございます。」

小沢「聞いている。悪い人ではないがうるさいじじいだ。」

孔明小沢が連立を組みたがっているといって、党首会談をセッティングしてもらいましょう。」

小沢「ん?」

孔明密室で最低2回はやってもらいます。内容は適当に話してください。」

小沢「それで?」

孔明「会談の直後に党内の調整をするというので一旦中座してください。それで福田さんには党内がまとまらなかったと…」

小沢「自分でもちかけておいて、やはり無理でしたと断るのか・・・。」

孔明「先方には無能さをアピールする形になりますが問題ないでしょう。重用なのはここからです。」

小沢「まさか世間には自民から断られたことにするのか!?」

孔明「違います。

   ・・・小沢さんには党の代表を辞職してもらいます。」

小沢「なんだと!!?」

孔明「間髪いれず即日です。理由は”党内の調整ができなかったので”とあまり語らないでください。」

小沢「わしは辞職することになるのか?」

孔明「一時的にアベしてもらうことになります。」

小沢「そのまま入院しろということか?」

孔明入院まではいきすぎです。副代表の方々には留意してもうよう話しを通しておきます。」

小沢「留意してもらってどうなる?わしはともかく党のイメージまでがたがたになってしまうではないか!」

孔明「一時的には・・・」

小沢「長期的には違うとでもいうのか??」

孔明安倍前首相のときは留意はありましたか?」

小沢「そんな留意したぐらいで印象の操作はできん!」

孔明安倍前首相が辞意を表明したとき新聞は一週間にわたり自民党一色になりました。」

小沢メディア露出を増やすためだけに辞意を表明しろと??」

孔明「辞意の表明の直前にやる党首会談もそうですがメディア露出が増えたときに布石はいくつか・・・」

小沢「ふむ。」

孔明国民ならずとも自民党パニックに陥るでしょう。」

小沢「そうれはそうだろう。」

孔明「それで自民が割れれば儲けもの。辞意の撤回後、話題をそらすための強力な弾を既に用意してあります。」

小沢孔明・・・。ぬしはいつも用意がいいのお。」

孔明「我々にいま必要なのは世間の政治への注目。

   それだけでございます。

   次の弾は非常に強力。防衛庁の比ではございません。いい流れで解散総選挙にもっていけますぞ!!!」

小沢「そうか!」

深夜にこだまする小沢孔明の笑い声


ケース4:党を割って新しい党をつくりたい小沢の単独プレー

小沢自民党にもつかえそうな奴おおいんだけどなー…。民主もうるさい奴多いなー。」

小沢「・・・。」

小沢「俺が代表のあいだに党わっちゃおうかな。」

ケース5:そのほかあれば・・・

ある?

つか、やっぱり意味わからねぇや。ケース1っぺえけどな。

2007-08-02

安倍改造内閣の施政方針「美しい乳、日本

本年7月、わが自由民主党の大敗北を受け、私は、あらためて内閣総理大臣としてに就任した際、今後の安倍内閣が目指す日本の姿は、世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子どもたちの世代が自信と誇りを持つことができるように、女性の活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、男性エロエロ精神を大事にする、世界に開かれた「美しい乳、日本」であることを国民の皆様にお示ししました。この新しい乳の姿の実現に向け、国民の皆様とともに、一つ一つスピード感を持って乳を搾り出していくことが重要だと考えております。引き続き、日本の美しい乳に向け、全力搾乳することをお約束いたします。

 私は、日本を、21世紀の国際乳社会において新たな模範となる乳にしたい、と考えます。

 今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たに搾乳すべきときが来ています。「美しい乳、日本」の実現に向けて、次の50年、100年の時代の搾乳に耐えうる新たな乳像を描いていくことこそが私の使命であります。

 自由民主党及び公明党による連立政権の安定した基盤に立って、「美しい乳創り」に向けたあらゆる政策を断固として実行してまいります。







http://anond.hatelabo.jp/20070802165942

2007-07-30

なぜ選挙前に拉致被害者帰国のサプライズが行われなかったか

自民党苦戦が伝わる中、画策していたサプライズがあった。

それは、中越沖地震で注目されている新潟で、万景峰号に乗せて拉致被害者を帰国させるというサプライズだった。

 

しかしそれは行われなかった。

拉致被害者の帰国と引き換えに、さんざん釣り上げられた官房機密費50億円もの大金を北朝鮮に贈与したが、ドブに捨てたことになる。

 

先日、佐々江アジア太平洋州局長はヒル次官補が平壌の帰りに会い、万景峰号新潟に寄港することの確認があった。

政府の要望は、横田めぐみさんの娘キム・ウンギョン(別称ヘギョン)さんを含む拉致被害者

当初、北朝鮮からの回答は、一人10億円。

選挙戦の苦戦が予想される中、安倍首相決断は早かった。

しかし、北朝鮮日本から自民党の苦戦が伝えられるのを聞くと、急遽、一人当たり50億に釣り上げた。

釣り上げた理由には、横田めぐみさん本人が帰国するかもしれないという触れ込みで。

苦渋の決断で、政府は、50億円を贈与することに同意。

それで急遽、釣り上げられた大金を送付。

横田めぐみさん本人もしくはキム・ウンギョン(別称ヘギョン)さんが、新潟に到着し、横田さん夫妻が出迎えるという手はずも整えていた。

 

にも関わらず、一向に万景峰号が来港する気配がない。

 

韓国から戦闘機が出て被害者を帰国させるよう威嚇したが、それにも応じなかった。

これはアメリカ経由で依頼。もちろん韓国政府には借りが出来たことになる。

 

とうとう、万景峰号新潟に来ることはなかった。

なぜ北朝鮮拉致被害者を帰国させなかったか。

実は、北朝鮮は、最初から約束を守るなんて、考えていなかった。

特に、金正日政権は、安倍首相が、だまされやすく、お人よしの人柄を見極めていた。

 

横田めぐみさんはすでに死んでいるし、前回送付した遺骨のDNA鑑定で違う人間の遺骨を送ったことに驚いたのは、実は、当の金正日だった。

 

参議院選挙自民党の苦戦が伝えられる中、選挙戦の弱みを利用して、金を巻き上げることを画策。

まんまと引っかかった。

 

北朝鮮は対北朝鮮に強行な安倍政権に塩を送ることはない。

 

安倍政権が続く限り、拉致被害者が帰国することは絶対ない。

 

残念だが、拉致被害者家族は、そうした現実を知るべきだ。

 

今回、拉致被害者家族の会は、中山恭子さんのために自民党を応援。

皮肉なものだ。

 

えっ、なぜ北朝鮮は、小泉政権のときには帰国させたかって?

 

あれは、小泉前首相がしたたかで、拉致被害者日本の地を踏ませた後、また北朝鮮に帰すという裏約束をしたんだけど、結局、世論に押されて帰すことができなくなった。

まぁ、北朝鮮がだまされたようなもの。これが外交ってもんだ。

 

どうしても帰国させたいのであれば、共産党社民党政権を取らない限り無理。

可能性としては、社民党をいれた連立政権を作る選択肢があるが、それは当分、今の日本の状況ではありえない。

つまり、拉致被害者の帰国はない。

 

ちなみに、北朝鮮が巻き上げた50億円は、日本を標的にする核兵器実験のために使われるのは公然の秘密

お人よし安倍首相の性格を象徴している。

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