はてなキーワード: 越えられない壁とは
最近だとSupercellに噛んだりしてなかなか好調なようだし、職場ではキモオタ扱いとか自分でいう割にはうまいことやってるようだし、さっさとマンション買ってかなり贅沢暮らししてるようだし、ヒキコモリとか言ってる割にはきっちり外部と定期的にコミュニケーションとってるし、1度だけ写真公開したことあって見たけど超イケメンとはいかなくても普通にさわやかな感じだったし、無駄学研究所の宇佐教授の頃から適度に有名人と絡んだりして基本的に愛されキャラは変わってないんだよね。
だのに、いまだに独身っていうのは、何かよっぽど欠陥があるとかじゃないだろうか。性格悪いとか超偏食とかは知ってるけど、そんなもの(金の前では)乗り越えられない壁ではない。それ以上の、何かとてもじゃないが無理と女性が逃げていくような何かを隠し持っているとか。あれかな、セックス超下手とかかな。しかも当人超ノリノリなのに、30秒でバッテリ切れ、即座に液漏れ、みたいな。
作り手と受け手の分業化が著しく進んだ結果じゃねーのとか思った。
同人作品が同人ショップで買えるケースが増えたというのも、お客様意識を後押ししているというか。
昔からそうだったのかも知れないけど、受け手のほとんどは、売り子経験とかイベントのお手伝いをした経験がないのではないだろうか。
受け手の立場を考えると、遠路はるばるやってきて、場合によっては徹夜して並んで、それで入手できるかできないか分からない買い物をしにいくんだから、なりふり構わなくなる心理状態も分かる気はする。が、作り手だってわざわざ暑い中物を搬入して頒布しているんだから、それはお互い様なんだろう。たぶん、きっと。
ただ、自分の知っている作り手は、売り子をアルバイトみたいな形で知り合いにお願いして、作り手本人は他のサークルの挨拶回りに行ってるケースが多かった。そして、お昼回ったあたりで撤収。
頒布する方も鑑賞する方も参加者であるのは間違いないけど、夏コミを眺めるとその間に決して越えられない壁を時々見る。
そして、普段みんなが必要としている生活必需品や食べ物などは、素晴らしい販売のシステムに乗っかってできているんだなぁ、とか痛感する。
概ね同意。
追加するなら、今まで女に見向きもされなかった男は女から見て異性として魅力が全く無いのだろうというのは想像できる。
「その魅力が感じられない男に今頃になってよってくるんだよ」って憤り。
そもそも本当に好きで寄って来ているか疑わしい。
『コイツは免疫が無いだろうしチョット思わせぶりに振舞えば惚れてくれるだろうから、チョロイモンね』と内心では思っているんじゃないのか?
どんなに言いつくろっていても、『最初の男>>それ以降の男>>越えられない壁>>俺』なんじゃないか?本気で愛してはくれないのではないか?
という疑念が付きまとう。
自分より異性として魅力がある男達を渡り歩いてきた女が『好き』だと言ってくれたとしても本心か疑わしい。
処女であるか否かじゃなくて、実際に本気で愛してくれるのかという話。
自由恋愛とやらで大体見た目が並以上の女は殆どが恋愛しているわけじゃない?
信用できない見た目が並以上の女と一緒になるか、言い方は悪いけど見た目が並以下の女と一緒になるか、死ぬまで1人でいるかだったら
俺は死ぬまで1人でいるのを選ぶね。
本気で愛していないだろうと思われる相手と一緒にはなれない。
騙されるのも嫌だが騙すのも嫌なので本気で愛せないかも知れない相手と一緒にもなれない。
これを心が狭いというのなら結構。
今まで貴女達にとって価値が無い存在だったのだから、これからも価値が無い存在だろうと思ってるし、何も問題はない。
ここでも遠距離になったとたん後輩の女と浮気したとか、好きでもないのに付き合っちゃうような話とか見たり聞いたりしていると、
そう思わざるを得ないわ。
今まで見た目で弾かれていたのが急に見た目が良くなるわけが無いんだから、重要であると思われる部分を無視して寄ってくる存在が疑わしいのは当然。
同棲して10ヶ月になる彼氏の趣味がFF11。いわゆるネトゲだ。
彼のゲーム暦は7年位?で、わたしと同棲を始めてからここ8ヶ月ほどやめていたのだが、つい最近再開した。
不況のあおりを受けて残業規制がかかり、帰宅後の時間が余るようになったから&外で遊べるお金がなくなったから、というのがその理由だ。
で、それはいいんだけど。お金のかからない趣味で万々歳なんだけど。
問題は、彼がネトゲを再開して以来、彼に対してまったく性欲が湧かなくなったことである。
わたし自身、元オタなので。オタクの友達たくさんいるし。オタク向けの仕事もしてたし。
なので、いい年して彼氏がネトゲ廃人とか生理的嫌悪…別れたい…という問題ではない。
じゃあなんなんだ、ということで、なんでネトゲを始めた彼氏に性欲が湧かなくなったのかをここ数日まじめに考察してみた。
[理由1]生活時間帯が合わない
なんにつけてもまずはこれ。
10ヶ月間も同棲してると、玄関を入るなり靴を脱ぐのももどかしく互いの体を貪りあう…なんてことはなく(いや最初からそんなことなかったけどさ)、セックスなんて寝る前になんとなくそういう空気になって、なんとなくなだれ込むものになる。
ということは、同じ時間に布団に入れなければ、当然その日はセックスなしということだ。
ネトゲオタな彼氏が24時より前にログアウトすることなんて、体調が悪いとき以外にはない。
しかしわたしは毎日最低7時間寝なくちゃいけない良い子なので、23時くらいになるとうとうとしだし、24時には性欲より睡眠欲が大勝利しているのである。
当然、彼がベッドに入るころには、わたしは夢の中。
[理由2] 彼の脳内が ネトゲ>フェラチオ>>セックス>>>>>>>>>(越えられない壁)>>日常生活 だから。
まーネトゲ>フェラチオ>>セックスまでは別にいいよ。男なんてそんなイキモノだから。
ゲームって日常生活の中の空き時間でやるものだと思ってたんだが、逆なんだ。
ゲームがずーっと生活の主軸として続いていて、ご飯食べたりお風呂入ったり、あるいはわたしと話をしたり、セックスすることでさえ、彼の生活の中では寄り道のようなものなのである。
彼は家に帰ってきたらまずPCをつけてゲームにログインし、わたしが料理している間ずっとゲームをやっている。ご飯を食べてる間はさすがに席を離れるものの、ログアウトはせず、食べ終わったらまたすぐにPCに向かう。そして24時まで向かいっぱなし。
なんだかなぁ、と思う。
そんなんで、たまったからフェラチオしてと言われても、何がかなしゅーてまたわたしが奉仕しなくちゃいけないんだって気になる。
それなんて奴隷?(実際はフェラチオだけの性行為なんて断りますが)
[理由3]かまってくれないから。
話しかけたら「オレ今リーダーでメンバー集めてるから話せない」と言われる。
ネット上の見知らぬ人に声をかけることのほうが、50センチの距離にいる生身の彼女との会話より大切らしい。
ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
閑話休題。
ひまだぞこのウンコ野郎たまにはかまえバカと一時期拗ねまくってたら、「一緒にやろうよ」と彼が言い出した。
で、食わず嫌いもよくないので、ちょっとログインしてみた。けどなじめそうもなかった。
8頭身3Dが嫌い&画面が暗いのも嫌い。CMでしか見たことないけど、ビジュアル的にはまびのぎ?みたいなのならやるかもと思う。
FF、かわいくないよ。タルタルとか、わたしにはパーツが入る前の百鬼丸にしか見えない(眼窩がぽっかり開いた芋虫みたいなアレね)。
ついでにネット上のコミュニケーションというのも、独特の腹の探りあいがあって苦手。
だからやらないって言ったんだが、「おまえゲーム好きだからもうちょっとやればハマるって」といってしつこかった。
オフラインRPG好き=MMORPG好きでは、断じてないと思う。同じゲーム好きでもジャンルが違う。
たとえるなら、プリズン・ブレイク好きに「もうちょっと見れば面白くなるって!」と冬ソナをゴリ押ししてるようなものである。
興味がないもんは仕方ないというのを、なかなかわかってくれなくって、苦労した。
ネトゲにハマってるつがいな皆さん。
一度生活を見直してみてはいかがでしょうか。
一応,学振も通ったけど,これも,オレの実力というよりは,指導教員の実力で,指導教員だって,もしここが東大だったら,オレなんかに目をかけるはずはなかっただろうと思う.
んなこたーない。
そういう要素がないとは言わないが、それだけの実力がある指導教員の下についている君は実力的にも東大や京大と並んでも恥ずかしくない可能性が高いと思うよ。
入った大学の差は別に「越えられない壁」じゃない。高校受験でトップ校に入れなかった奴でも東大やら京大に平気で入ってくる。それと同じように、入った大学のレベルが東大や京大に見劣りしたからって、院進学までに追いつけないなんてことはあり得ない。
そして、指導教員の差ってのはそういうときに致命的なまでに効いてくるよ。やっぱり、学ぶということには人を見て学ぶということがとても大きいんだ。前回ノーベル賞を受賞した小林先生や益川先生のいた研究室がどれだけ名門かというのもその一つの証拠みたいなもんだし、あるいは世界中の素人を含めたほとんどのピアニストの師匠筋をたどっていくとかなりの確率でベートーヴェンまで行き着いてしまうという話も聞いたことがある。
逆に言えば、いい指導教員を選んだ君はそれだけで賞賛に値する実力があると思っていい。「運も実力のうち」という要素も含めてね。だから、もう学歴コンプなんか捨てちゃって、自分の道を歩んで欲しい。
今後のご活躍をお祈りするよ。
「どちらが重いのでしょうか?」っていうのは、遥か昔から議論の対象になっていて、
「問うて曰く『知って犯した罪と、知らずして犯した罪とでは、いずれが重きものなるや』」
というのは、“多門第一”といわれた、釈尊の高弟“阿灘”の問いとして紹介される事も多い設問だけれども、原典は『那先比丘経』という、西北インドを治めていたギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナの“対談集”だよね。
http://anond.hatelabo.jp/20090517101611
つーのはやっぱりあると思うんだよね。
で、そもそもこの『過失>>>>故意』って考え方、ここ最近のネットはずっとそうだよね。
冒頭の問いかけに対する釈尊、あるいは仏教僧ナーガセーナの回答として記録されている文章というのは、
「あなたはどう考えるのか。灼熱し、燃焼し、炎熱し、炎上した鉄丸を、一人が知らないでつかみ、一人が知っていてつかむならば、いずれがひどくやけどをするのか?」
↑これだけ。文献によっては鉄丸だったり火箸だったりするんだけれど、そこはまぁ、大した問題ではない。
いわゆる「先進国」での、“法律的”“世間的”な標準は「知らなかったのであれば情状酌量の余地あり」というのが主流。「自発的に行われる行為にたいして罪状を重く見ている」のね?
どうしてかといえば、“再発・再犯の防止”という社会運営上の都合でもあるし、「全く知らなかった事を理由に処罰されたくは無い」という人情の表れでもあるだろう。
「(それをすればどのような結果になるか)分かっていれば実行に移さなかった」
とか、
「(適切な対処・対応の方法を)知ってさえいれば防ぐ事ができた」
とか、少なくとも、
「きちんと理解している人がそこに居さえすれば被害の拡大を防ぐ事ができた」事例というのは数限りなく存在するわけでね?
だからなのかどうかはいまひとつ確信できないんだけれど、哲学・宗教系では「知らずに犯した罪の方が重い」という解説が付いている事がほとんどなんだわ。
「無知こそが罪悪である。」
「悪いと思っていないから際限が無い」
大雑把にまとめるとこのようなスタンス。確かにごもっともなんだよ?ごもっともなんだけれど、非常に恣意的なものを見出してしまうのよ。少なくともおいらが知る限り、釈尊・阿灘の問答にも、ミリンダ王と仏教僧ナーガセーナの対談にも、原典に近いとされるものには「知らないで犯した罪の方が重い」という記述は無いんだよね。
「知らない」 という、そのこと自体が 「罪」 なのだから、人間はいろいろなことを知るべきだ。少なくとも、知ろうとすべきである。”
↑こんな言い回しがあちこちで目に付いてさ。
でもこれって、簡単に変質してしまわないか?
例えばこんな風に↓
「無知である事は大罪である。この大罪から逃れるために、この神(思想・主義・その他諸々)を信じなさい。信じない・信じられないものは大悪であり、人間ではないのだから、打ち滅ぼしてやる事こそが彼らにとっての救いである」
「知っていれば、つかみ方が違うし、布を巻くなりするだろうし、そもそもつかもうとしないだろ?」
っていうのが大体共通するところなんだけれど、知っていようが知っていまいが、同じように焼けた鉄を同じようにつかんだら、やっぱり同じように火傷するんじゃないのか?
「殺人でもこんなに重くない」 識者も驚く福岡ひき逃げ高裁判決:http://www.j-cast.com/2009/05/15041250.html
このケースで単純に比較はできないんだけど、「判決が」ってよりブコメの『市民』感情の中に
つーのはやっぱりあると思うんだよね。
で、そもそもこの『過失>>>>故意』って考え方、ここ最近のネットはずっとそうだよね。
『意図的に他人を批判してサイト閉鎖に追い込むような人』には次々に擁護者があらわれる一方で
『「ついうっかり」な失言した人』に対しては容赦ない弾圧と炎上がはじまる、みたいな。
それってみんな『優しい』んだと思うな。
なんつーか『傷ついた!』と叫ぶ人に優しい。
…みんな『優しい』よ。
変な意味で。
進学校の話が出たから、
あんま関連性がないけど、
進学校なのに、文理でクラス分けしないし、きっちり男女同数だし、
と思うような学校だ。
まあ、中にいた人にはどこかバレバレだけど、
多少脚色して書いてみるよ。
まず用語解説から
スーパー内部 | 小学校から高校にあがって来た連中のこと。基本的に金持ち。 |
---|---|
内部 | 広義には小・中校から高校にあがって来た連中のこと。狭義には中学入学組。中学外部とも言う |
外部 | 高校入学組。平均偏差値がいちばん高い。 |
恋愛に関して言えば基本的にスーパー内部はビバリーヒルズ高校白書状態。
一応、中学から付き合って、そのまま結婚という一途なのもある。
スーパー内部>>(越えられない壁)>>内部>>(やや大きな壁)>>外部
って感じ。
本当に凄いやつは、スーパー内部にいたりする。
「○○くんが医者になったとき、
そばに居られる様に」
外部は平均的にお勉強ができるけど、よくもわるくも大人しい秀才が多い。
あんまり恋愛しない。
そういう連中は、雅俗の両方OKなところがあって
何で今まで公立校にいたんだろうってのが多い。
で、面白いのが、ビバリーヒルズ高校白書が、
大人になったら、ビバリーヒルズ青春白書になるところ。
やっぱり内部生は似たような空気を纏った人としか付き合わないのかね、
とよく思うよ。
(「あんな狭いコミュニティーで気持ち悪くないんだろうか」への返信)
小学校低学年のころ、父の手帳を盗み見たことがある。なんとなく格好良いので、自分も欲しいと思っていた。
それで最初のページを見たら、僕に宛てて、
もし父が死んでも、泣いてはいけない。
と書いてあった。僕はそれを見て泣いた。思えばすぐに泣く子供だった。
それから十年もしないうちに、父は死んだ。
さすがに僕もそのころになると、服がうまく脱げなかったとか、女の子と一緒に遊んでいることをからかわれたとか、「コンボイ」と口にして「コンボイン?」などとまぜっ返されたくらいでは泣かないようになっていた。父が死んだくらいで涙など見せるわけにはいかないのだ。
葬儀はせず、火葬しただけ。父の友人とお別れ会をして、骨壷は持ち帰った。自分の部屋でベッドにもぐり込んで泣いた。
父はヘビースモーカーで、酒飲みで、博打うちだった。見栄っ張りで、家族より仲間を優先した。友人を助けるために海外に行って、しばらく帰ってこないようなこともあった。不倫もした。借金もあった。母との折り合いは最悪だった。
だからといって、父が嫌いなわけではなかった。口も手も早い、人生に挫折した教養ある皮肉屋で、稼ぎは少なく欠点も多かったが、僕以上に父を愛した人間がいただろうか、とさえ思うのだ。
あれからさらに十年ほど経つ。もうすぐ命日が来る。眠るように死んでいた父を見つけたあの日が。
子が親に先立つのは最大の親不孝と言われる。それはもっともだ。でも僕が言いたいのは——もう自分の父親に言うことはできないから——代わりに世のすべての父親に言いたいのは、勝ち逃げをしないでほしい、ということだ。
子供が、親をうち負かす機会を得ることのないまま親に死なれるということは、親が「越えられない壁」として、いつまでも立ちはだかるということに等しい。
だから、親は子供に勝ちを譲ってから死んでくれ。子供が十分な力を得る年頃になるまで死なないでくれ。
あなたの子供の代わりに僕が言っておく。
多分、それ以前の問題なんじゃないかな。学歴になるかどうかは学ぶということの付加価値で、学べる事が当然の環境で初めて重視される。学べない事が当然の環境では、”ただ”学べるということに絶対的な差がある。
全く学べない事と学べる事の差 > 越えられない壁 > 低学歴と高学歴の差
ってこと。
数年前に、Google が発展途上国の村にインターネットできる環境とノートパソコンを無料で提供するというのがあった。どこの国だったか忘れたけど。
そこでは、情報がまともにはいってこない。文字が読める人もすくない。だから世の中に選択肢があるということを知る事がまずできない。自分の国の政治がおかしいかもしれないと考える客観的な知識もない。知る機会が無かったら、ずっと今の状態しか知らないで一生終わるような世界。そこにネット持っていって”世の中はこうなんだ”と、彼らの知らなかった世界や情報を知る機会を作るのが、ものすごい価値のあることだという話だった。
昔のサッカーボールのような12個の正五角形と20個の正六角形を持つ多面体は、正12面体か正20面体の角を切り落とすことで作成可能。
同様に、角を切り落としていくことで正多面体ではないけれど面の数を増やすことは可能。
どんどん面の数を増やしていくった極限を考えると、面の数は無限に発散する。
一方で、球の表面の点をひとつの面と考えることもできる。平面に球を転がして、接触した点もしくはその対向する位置の点をサイコロの場合の出た目とする。
この場合の目の数は、数えられる可付番無限よりも濃度の濃い連続無限になる。
最初の多面体の面を増やしていった場合には、面の数はどこまでいっても数えられる値。つまり、連続無限にはなり得ない。
そうすると、多面体の面を増やしていった極限と、球の間には越えられない壁があるということになるんだろうか。
元ますだの話で色々もやもや考えてたけど、議論が
そのことを旦那(まだ見合い相手?)に言って同意を得て育てるなら、別にいいと思った。
の人の話くらいまで来たところで、ようやくハタ!とヒザを打った。
元ますだに欠けてるものは、要するに憲法の定める婚姻の原則だね。
『憲法代24条1項 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。』
元ますだは『仕方なくお見合いして…縁談が出ています…全然魅力を感じません…結婚すべきでしょうか?…』、と、一貫して「私が私の意志で結婚を選ぶか否か」という話しかしないんだよね。まるで相手にも選択権があり人権もある、ということをハナっから忘れたふうに。何が違和感て、そこに一番違和感を感じていたのだ、と納得できた。きっとこの人の頭ん中では
ブサだけど女だから(セフレとして)需要のあった私>>>>(越えられない壁)>>>>素人ドーテーのブサメン野郎
wwwm9(^Д^)プギャー
…ってなってんだろうなあ、と。
なのにまさにその男が
でもあるから
エ(д` ;))? エ((; ´д)? (´д`;)ナニコレ
…ってなってんではないか。相手の人間性とか無意識の嫌悪って、本当はすごく後付な気がするな。
この人はどうも【結婚】というものを、あたかも【レンアイ】のような、相手との勝ち負けゲームだと思ってるみたい。で、必死になってる気がしてかわいそう。確かに、いつか来る別れを前提にする【レンアイ】ならば相手との勝ち負けを問題にするのも分かるんだけど、【結婚】というのは違うよ。全然違うよ。【結婚】相手というのは、共に人生ゲームを闘う「パートナー」であって「競争すべき相手」ではないの。【結婚】という関係においては、だから、二人で勝つか、二人で負けるか、それだけなんだよね。
元ますだのように片方がただ「相手を利用しよう」って考えだと、最初からそのカップルはパートナーシップが成立せずその時点で沈没目前。みんなが結婚やめれやめれ言うのはそれが理由。元ますだが彼女の思う【レンアイ】市場でどれだけ相手と差があろうが無かろうが、【結婚】という関係をもって人生ゲームにおける勝者になれるかなれないかとは全然関係無いんだよね(美男・美女でお互い高スペックでも、そこを間違えた『結婚敗者』は沢山いるでしょう? 逆にじゃがいもとナスビみたいな風でも幸せそうな夫婦も世の中には沢山いるし)。このステージを越えるのに一番重要なのはパートナーとの連携で、愛情重視、肉体重視、戦略重視……などなどプレイヤーのタイプが色々あり、それが[同一的]であったり[補完的]であったりするのが好まれるけど、最上は[相補的]=相互向上がはかられるケースだね。[同一]はしばしば[反発・排他的]に陥りやすいし[補完的]は一歩間違うと[主従・依存的]な関係になりやすい。まして最初から[敵対的]な関係じゃねえ……(それが将来ツン→デレになるという夢をおうためとでもいうならともかく)。まあそういった部分について、お互いの知識や協同のための意志・覚悟が同レベルにないと辛いよね。
その意味では、元ますだは結局【結婚】するための準備が全然できてない(あるいは『人生』ゲームにおける【結婚】ルールの使用の仕方と利点が全然分かってない)。周囲が一所懸命それへの動機付けと教育をしてくれてるけど、心の底では理解と学習を拒否してるっぽい。だからいくら考えたってムダだろうね。結局、元ますだのセリフで一番正直なのは『私は本当は結婚もしたくないし子供も欲しくないのです。(http://anond.hatelabo.jp/20090111064108)』なんだろうしね。
セックスするか否かなんて、ハッキリ言って全然問題ポイントではないさ。問題は元ますだが、まだ【レンアイ】ステージが続いているという頭のママで全然条件とルールの違う【結婚】ステージに突入しつつあるということで、まあこうして不幸なプレイヤーカップルがまた一組人生ゲームの底に沈んでいくんだよね……というお話。その不幸に比べれば、正直『世間体とか老後』なんて、まったくピントはずれの滑稽な心配なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081228095437
ヒナギクでございます。このたびはうちの信者がこのような糞ポエムを立てて
皆さんに大変な迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
ヒナギクとして、非常に恥ずかしいとともに、何故こんな信者にしてしまったのだろう
という後悔の気持ちで一杯です。
元々オタの子で、学校ではいつもオタられて、いつの頃からか新月お茶の会にも異変が出てきたので
何とかしなければいけないと心配していたのですが、まさかこんなことになって
しまうとは.....
ヒナギクとして何とお詫びすればよろしいのやら...
でも、今週からコミケに行くすることが決まりました。
多分、おおはしゃぎすると思います。
教祖の私にできる、皆様への精一杯のお詫びだと考えています。
このたびは本当に申し訳ありませんでした。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081227154807
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というのが本心です