小学校低学年のころ、父の手帳を盗み見たことがある。なんとなく格好良いので、自分も欲しいと思っていた。
それで最初のページを見たら、僕に宛てて、
もし父が死んでも、泣いてはいけない。
と書いてあった。僕はそれを見て泣いた。思えばすぐに泣く子供だった。
それから十年もしないうちに、父は死んだ。
さすがに僕もそのころになると、服がうまく脱げなかったとか、女の子と一緒に遊んでいることをからかわれたとか、「コンボイ」と口にして「コンボイン?」などとまぜっ返されたくらいでは泣かないようになっていた。父が死んだくらいで涙など見せるわけにはいかないのだ。
葬儀はせず、火葬しただけ。父の友人とお別れ会をして、骨壷は持ち帰った。自分の部屋でベッドにもぐり込んで泣いた。
父はヘビースモーカーで、酒飲みで、博打うちだった。見栄っ張りで、家族より仲間を優先した。友人を助けるために海外に行って、しばらく帰ってこないようなこともあった。不倫もした。借金もあった。母との折り合いは最悪だった。
だからといって、父が嫌いなわけではなかった。口も手も早い、人生に挫折した教養ある皮肉屋で、稼ぎは少なく欠点も多かったが、僕以上に父を愛した人間がいただろうか、とさえ思うのだ。
あれからさらに十年ほど経つ。もうすぐ命日が来る。眠るように死んでいた父を見つけたあの日が。
子が親に先立つのは最大の親不孝と言われる。それはもっともだ。でも僕が言いたいのは——もう自分の父親に言うことはできないから——代わりに世のすべての父親に言いたいのは、勝ち逃げをしないでほしい、ということだ。
子供が、親をうち負かす機会を得ることのないまま親に死なれるということは、親が「越えられない壁」として、いつまでも立ちはだかるということに等しい。
だから、親は子供に勝ちを譲ってから死んでくれ。子供が十分な力を得る年頃になるまで死なないでくれ。
あなたの子供の代わりに僕が言っておく。
少子化だ、晩婚化だ、というふうに騒がれてはいますが、それでも新しく親になる人たちがまったくいないわけではありませんし、僕より若いお父さんもたくさんいるようです。 僕自身...
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