はてなキーワード: 自虐史観とは
1億人強の中の19万人なんてたかが知れてる。その程度の人数では「多様な文化」を持ち合わせているとは言い難い。
具体的には、たとえば東京の人口の2、3割、日本全体の人口の1割くらいを占めるような状況を想像すればいい。過疎の山村にでも行かない限り「どこでも見かける」ってレベル。でもって「多様な文化」という宗教の信者連中が目指しているのはそんな状況だったりするわけ。そうすれば日本は世界から評価される素晴らしい国になる!みたいな理屈。それによって俺ら日本人が祖国で肩身の狭い思いをする羽目になるというリスクがすっぽり抜け落ちているか、いわゆる「自虐史観」をこじらせて、むしろ肩身の狭い思いをするべきだ、というキレた思想の持ち主がゴロゴロいる。
たぶん10万人くらい増えた程度ではぜんぜんわからないレベルだと思う。
100万人とか1000万人だと影響見えてくるかもなあ。
「あと10万人まで増えてもOKです」という話じゃないんだよ。「増やし続ける」か「減らし続ける」かのどちらかしかない。でもって、世界中見回しても日本より貧しい国の方が多いわけで、都合良く10万人増で終わってくれる可能性は皆無に等しい。最悪、ケタが一つか二つ増える覚悟が要る。そして増えれば増えるほど減らす事が難しくなってゆく。それによって将来どんな弊害が起こっても「もうお前ら用済み。さっさと祖国に帰ってね(はぁと」というわけにはいかない。
移民推進した国とか見てみ?オランダなんて、イスラム社会を批判した映画監督が現地生まれのイスラム系の若者に暗殺されたりしてる。日本でも以前、筑波大学の教授が殺されてたよね。「多様な文化」を容認するって事は、そういうのが日本で日常茶飯事になる事を受け入れるって事でもあるわけ。それを隠したままなし崩し的に進めようとしているから俺は嫌い。
http://anond.hatelabo.jp/20090222105041
横だけど、分かってないな。史実に忠実であろうと思ったら、そんなに正確なところ言えないんだよ。そこまで断言できる証拠がないんだから。だから、「こう言えるのではないか」「ああ言えるのではないか」って言う議論をしてるんだろ。
確定させなきゃそこから一歩も進めないっての。
100年でも200年でもずーっとあなたの論も確からしい私の論も確からしいってやってろよ。ただしそんなあやふやのことをもって「歴史的事実」なんて口が裂けても言うな。「事実」が確定してないじゃないか。十人十色で思い描く「事実」が違うから自虐史観だの歴史修正主義だのと言い合うことになるんじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20081215131703
自伝かなんか書かせてみるとかかな。会社のことばっかり書きそうな気もするのだがw
僕から手紙を書いてみる、というのはいい方法かも知れない。僕は話すのはあまりうまくないし。
口では整理しきれないのかもしれんよ?文字媒体とかどうよ
http://anond.hatelabo.jp/20081215205459
ありがとう。時を待つというのも一つの方法か。
祖父の死、というのもまたうまく想像できないな。インドネシアか・・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20081216085201
ああ、すごく分かる、この空気。聞いておいたほうがよかった、といま思っていますか? そこんとこを聞いてみたい。
ただ「あんな事をしたら、そりゃ中国の人は怒るよなあ」と言ったきり、口を閉ざした。
「あんな事」の具体的な内容については聞けなかった。
他の話もしてたんだけど、南京の話をしたところで口を閉ざしちまったのは、たまたまなのか何なのか。
増田の言うような『「あんなこと」=戦争』じゃない雰囲気を感じて、聞けずじまい。
自分が一方的にそう感じただけかもしれないし、何とも言えない。
d:id:finalvent:20081215:1229324756
戦争当時の友人、って僕は会ったことがないんだ。僕が知らないだけかも知れないけど・・・・。もうちょっと祖父を観察してみようと思う。
これは、お祖父様の友人がいる席に同席してじっと耳を傾けることですよ。
>米
「祖父はきっと中国人を殺したろう」はどうかな。邪推かも。人を殺した記憶のない軍人の方が多いのが常。/とにかく聞いておくべき。聞けなくなってからでは遅い。それは君のライフヒストリーでもある。
すごく心動かされた。
http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/51152468
僕はあくまで祖父の語るのを聞きたいのであって、「祖父の時代の日本軍の罪を知りたい」とか「祖父の戦友がなにをしたか知りたい」とか他のなにがしかに変換して受け止められるのはひどく不本意だ。そんなことは僕は思っていない。
僕は祖父個人(あくまで個人だ)のしたことを肯定するか否定するか考えるよりもずっと前の段階、知るべきか知らぬべきかよりもさらに前の段階、知ろうとすべきかどうかを考えている。
肯定か否定かの二択を迫り、否定しかないと断じる態度は確かに「自虐史観」と非難されるにふさわしいように思う。
うーん反論しといてなんだけど、このピントの外れ方はもしかしたら僕へのリプライではなかったのかな。まあいいか。
じいさんたちの誰にも言えない恥をまた繰り返さないためにも。
最初「あたまがわるい」タグというものを見たとき、人にこのようなことを言えるのだろうかと驚いた。
しかし冷静になってよく見ると、この考えは間違いであることに気がついた。このタグはエントリや書いた人に向かってつけられているのではなく、エントリを読んだ人が自分はなんて「あたまがわるい」んだ、ということを表現している事が分かった。
そう思ってブックマークを見返してみると、なるほどこのタグをつけている人たちのコメントはエントリと比較して稚拙であることに気がついた。
しかし人が自分の過ちを認めるのは難しいことであり、自分の「あたまがわるい」事をこれだけ世間に向けて表現できるというのはある意味尊敬できることである。自虐史観教育のたまものとも言えるかもしれない。
そのような人たちに対して「他人に暴言を吐く人」などという誤解をしてしまったことについて本当に申し訳なく思う。
なお私及びこのエントリからは何も学ぶことはないと思われるので、このエントリに対して「あたまがわるい」タグがつけられることはないと思う。それでもこのエントリに対してタグがつけられるようなことがあれば、こんなエントリからも得られるものがあったのかと誇らしく思う。
Q1.三国人は基本的に好きになれない(いいえ)
誰かを愛したり憎んだりする感情に、基本も応用もないだろう?というのが
正確なところではある。
Q2.ネガティブコメントはある種、勲章みたいなものだ(いいえ)
××はある種●●みたいなものだという表現は、何にでもこじつけられるだろう?というのが
正確なところではある。
Q3.釣りを見抜く自信がある(いいえ)
釣りか否かなどと気にした時点で、既に釣られているだろう?というのが
正確なところではある。
Q4.リンクは自由に行ってもいいと思う(いいえ)
無断リンク禁止という宣言に実効力はないが、増田にブラクラへのリンクをはれば君も眉をひそめるだろう?というのが
正確なところではある。
Q5.物事を斜に構えてみてるなーて思う(はい)
うん。
Q6.祭りに乗り遅れると勿体無いと思う(いいえ)
その祭りの代わりに何をしていたかによるので、もっと楽しい事をしていれば問題ないだろう?というのが
正確なところではある。
愛国心を求めないのであれば構わないが、そうでないなら自虐と自己愛を同時に満たそうというのは不健全だろう?というのが
正確なところではある。
Q8.疑似科学を信奉する人に抵抗感がある(はい)
疑似であろうとなかろうと、学とは学ぶものであって信ずるものではないだろう?というのが
正確なところではある。
読む機会があり、他にもっと優先度の高い行為がないのであれば読んだうえで判断すればよいだろう?というのが
正確なところではある。
Q10.どちらかといえば、オタだと思う(はい)
どちらかしかないのであれば、増田を知っている時点で言い訳できないだろう?というのが
正確なところではある。
暇じゃないけど答えるよ。
Q1.三国人は基本的に好きになれない(いいえ)
Q2.ネガティブコメントはある種、勲章みたいなものだ(はい)
Q3.釣りを見抜く自信がある(いいえ)
Q4.リンクは自由に行ってもいいと思う(はい)
Q5.物事を斜に構えてみてるなーて思う(はい)
Q6.祭りに乗り遅れると勿体無いと思う(いいえ)
Q8.疑似科学を信奉する人に抵抗感がある(いいえ)
Q10.どちらかといえば、オタだと思う(わからない)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1193243.htmlとかhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1193243.htmlとか
読むと、本当に分かってないなぁと思う。
まず、たぶん知ってるでしょうが、「体罰ダメ。ゼッタイ。」な法律があります。
学校教育法第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
教員が体罰をしちゃダメなのは法律にきっちりと書いてあります。つまり、教員が体罰をする事は、立派な法律違反になるわけです。
で、それを踏まえて体罰肯定派の人たちの意見に反論していきます。
禁止されている行為が子どものためになるかどうか/子どものために行って良いかを一教師が判断してはいけません。あなたも判断してはいけません。
「子どものためだから禁止されていても私はやる」という考え方は本当に認めて良い考え方ですか?
子どものために学習指導要領を逸脱して自虐史観を教える先生を良しとしますか?
子どものために愛国心を説き「日本のために死ね」と言う先生を良しとしますか?
子どものためになると思うというのは法律に反しても良い理由になりません。
体罰になるかどうかの線引きを一教師がしてはいけません。あなたも線引きしてはいけません。
あなたの線引きより強い体罰が容認されてもあなたは我慢できますか?
「女は選挙に行くな!昔は女なんかに選挙権は無かったんだ!」って言ってるのと同レベルの発言です。
ざっと見た限りではこの辺の意見が多いみたいですが、体罰肯定で他の意見を持ってる人は教えて下さい。
「○○君に殴られたから殴り返した」という言い訳を認める教師は居ません。実際の社会でハンムラビ法典のような「目には目を」が許容されないからです。
つまり、教師は不当な行為に対して不当な行為で返してはいけないと教えます。にもかかわらず、生徒の問題行動という不当な行為に対して体罰という不当な行為で返すというのは、完全なダブルスタンダードだと私は考えます。
読んでくれた人が何か考えてくれると良いんですが。
ブックマークへの返信
lizy education 「文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる」 むしろこっちが気になる。文部科学大臣お墨付きの懲戒ってなんだろ
daradaru 「除籍・退学・退学勧告・無期停学・有期停学・出席停止・特別指導 」以上が教師が生徒にできる懲戒。これをもっとバンバンやれってか?そういうことなのか?
懲戒のうち、退学、停学及び訓告の処分は、校長(大学にあつては、学長の委任を受けた学部長を含む。)が行う。
とあります。法律に明記してあるのはこの3つですね。
基本的に学校教育法第11条は教師が児童・生徒を叱るのは懲戒で、懲戒するときに体罰はダメですよって条文だと思います。「文部科学大臣の定めるところにより」は、その権限を教師に与えたのが文部科学大臣って意味だという理解で私はいますが。
体罰議論であまり出てきませんよね。今回知ってくれた人が居れば私は嬉しいですが。
masaki_SSS 増田 では、どういう懲戒が相応しいのか、教育業界ではどうすべきと考えられてるのか、「来年から教員になる学生」としての声が聞きたい。「きちんと話して分からせる」みたいな御題目じゃなく具体的に。
教育業界では「叱る」だと思います。普通の先生は子どもに「きちんと話して分からせる」ことが実際にできてると私は思うので、お題目とは思いません。
sisya 「線引きしてはいけません」なら、懲戒=体罰という線引きも存在するから子供に一切手出しできないね。ブクマコメントの多くは「体罰OK」という意見ではなく「線引きが厳しすぎる」という意見に見えるけど?
基本的にはその通りだと私は思ってます。
「線引きが厳しすぎる」と発言する根拠が自分?って言うのが私の意見ですね。
daichan330 増田, 教育 そもそも前提として何をもって「体罰」となるのかがよく分からないんだよなぁ。法律ではその辺り規程されてるんだろうか。されてるんだろうな。
法律じゃないですが、文科省の通知はあります(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm)。まあ、読んだ所で結構濁して書いてあるんですが。
SeiSaguru 教育, 治安 理想としてはそれが正しいとも思う。問題は「どうやったらその理想が叶うかな」ってところかもだな。体罰に代わる誰にでもわかりやすい指導方法が、あれば良いけども…
「叱る」で十分機能してると個人的には思うんですが。
Alceste 増田, 教育, 価値観 ごもっとも。しかし時に法や規則、裁判所さえも正しくない結論を出すし、またみんなが容易く破る法もあるのも事実。だから法が必ずしも絶対的でないという矛盾がある、と思う。
その通りだと思います。ですが、そのときは法律改正を叫ぶのが筋だと思うんです。そうしている人も居るんでしょうけども。
AKIY 来年教員になるんだったら教育論の一つくらい展開してくれよ。「体罰を加えることができない」っていう法律がダメな理由だなんて話にならない。自分のクラスに同級生をフルボッコしている生徒がいても殴らない気?
フルボッコしてる最中なら殴ってでも止めますが、それは体罰とは関係ない正当行為です。フルボッコしてる最中じゃないのに殴るやつがいたらそいつは教員じゃなくてただのナルシストですよ。
ブックマークへの返信、というか反応。長くなって見づらくなりそうなので分けました。(11月23日)
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
職業ごとにちがうといっても共通部分だってあるでしょ。小学校教員と高校教員では違う部分があっても同じ部分もあるように。
学校以外の職場を経験させておくのも教育するうえでは役に立ちそう。
今教えてることが将来の仕事でどういう風に使われるか具体的に示せたりするだろうし。
教師という仕事は糞餓鬼に勉強教えること。算数んかは数式の解き方をいかに効率よく理解させるかという技術が大事ではないか。そう考えると、10年の怪しげな社会経験より、10年の教師経験の方が有用なのではないか。そもそも、テストの点数からケツの拭き方、不審者対策まで、どこまで教師に期待しますか。
教育以外の仕事も必要とされるならなおさらほかの職業の経験も重要ってことになるのでは?
前者と後者は層が違う木もするけど。匿名掲示板に板ごとスレごとの総意があると思い込んじゃうタイプの人?世論だってマスコミだって総意なんてものはないんだからいろいろな要求があって当たり前。愛国心教育をしろといいつつ、自虐史観教育をする新聞様は何なんだというような門だよ。
過度かどうかは人によるでしょ。どんなサービスでも利用者は低コストで高品質を要求するのが普通。黙ってたらどんどん悪くなるばかりでしょ。
昨夜のTVタックルを見て思った。
3万枚にも及ぶ南京虐殺の証拠写真は日本側が撮影した物だったと。
「南京虐殺は無かった」という人々もいるけど、流石にこれは極論だ。
私の知り合いのおじいさんが、実際に南京虐殺に従軍していた。その当時の話を聞けば、やはり紛れも無く虐殺は有ったのだ。
数字としてのデータで不明瞭だからといってそれで帳消しにはならないだろう。
二万人の中国朝鮮の女性を日本軍がレイプしたと聞けば、可哀相に同情すると同時に、不謹慎に変な妄想をしてしまう俺はやっぱり馬鹿だなぁ。昔の話より自分のチンポが先か?
そのじいさんの話を聞けば、朝鮮の慰安婦が「日本兵なんてチョロいもんだ」って笑って語ってたというのも、
自分の悲惨な身の上を笑い飛ばせる朝鮮人女性の逞しさを思い浮かべてしまう。もちろん、そんな人ばかりだったわけでもない深い傷を負った人々もいるだろうけど。
じいさん曰く、小さな教会に大勢の中国人を閉じ込めて、火をかけて焼殺したところも目撃したという。
なんというか、表面は今の日本人は羊のようにおとなしく見えるけど、学校のいじめ問題や職場でのモラルハラスメントを見近に目撃するにつけ、そういう感覚がその時の世相によって他国でヒートアップして肥大化すれば、今の日本人も恐ろしい事をやっちゃうんだな。と感じる。
http://www.youtube.com/watch?v=bMiNqXPlAro
いいね、この政策
http://www.shimpu.jp/hombu/seisaku/shucho/shucho_03.htm
正統なる国家主権意識の回復による堂々とした外交と力強い政治の実現を!!
○ 自衛隊を正規の軍隊に/イラクへの自衛隊派兵政府方針の無責任追及/保護国条約・日米安保条約体制からの脱却/非核三原則撤廃
○ 北方領土・竹島・尖閣列島に対する露・韓・中国の侵略企図に実力をもって断固たる対応
○ 北朝鮮の国家犯罪である拉致完全解決に武力行使を辞さず/北朝鮮船舶入港全面禁止、強度の経済制裁実行、政府の不作為追及、国内協力者の追及
○ 自虐史観からの脱却を/国旗国歌教育の正常化/反日教育の是正
○ 教育基本法改正/公共心教育の実施/”ゆとり“教育反対/学校の週六日制復活
社会秩序の回復を!!
○ 夫婦別姓反対/家制度再評価/行きすぎた男女共同参画法廃止
○ 農は国の大本・伝統的食文化を見直そう/安易な食糧輸入を排し安全性と自給率及び備蓄向上の食糧政策確立/農家への安易な補助金行政から所得保障制度へ
○ 不法滞在外国人への断固たる対処/入国管理体制強化
○ 間接税から直接税主体の税制に/相続税・贈与税廃止/税金の無駄使い・対中国ODA中止
○ 年金・健保制度を一元化し、基礎部分の税負担化と自助努力保険の並行システム化
○ 首相公選制反対
○ 厳格な政党法制定