はてなキーワード: 激情とは
時間順よりも新しいのからの方がいいかな。すべてd:id:buyobuyoのダイアリーから。
まずは
『福耳先生がいろいろ「反撃」している件 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!』より。
福耳先生が大暴れしているらしい。何でここまで怒りが持続できるのか、熱しやすく冷めやすい自分にはよくわからないんだけど、これが恨み骨髄というものなのだろうか?心の痛みは人それぞれなので、自分基準にどうとかこうとか言うのはやめておく。それだけ傷ついたのかな、と思うことにする。
次は「スマイリーキクチブログ炎上事件のイナゴどもが逮捕 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」
イナゴざまあ見ろと思ってしまう自分を偽ることが出来ないのであった。しかし、足立区出身で似たような世代で不良だった*1というだけで、事件の関与を疑われたんではおちおち犯罪のあった地域に住めないというものだ。
この二つで充分かもしれないけど、その前のエントリーも二つ。
『「平和進軍観測会」刑事で敗訴の件 その2 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!』
なんかほんとにこの件、肯定的に評価する人がいるんだけど、どうかなあ?
「これは2ちゃんのような匿名掲示板の誹謗中傷に対する判決ではないよ? - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」
なんか喝采送っちゃってる人もいるようだが、これは2ちゃんのような匿名掲示板の誹謗中傷に対する判決ではないよ。今回の判決は、たとえば「なんとか還元水」のようなインチキ商売や悪徳商法に関して、一般の人が告発サイトを作った場合に、名誉毀損で敗北する可能性を高める判例となるような話ですよ?
最後の二つは同じ物だけど、他は別のことへの違った論評。でも共通点を見出す人にとっては面白い。
アメリカのGDPの4%を占める自動車産業のBIG3が破たんするリスクが急激に高まっており、未曾有の不況がもうすぐそこまで来ている。ネガコメと呪詛と激励と優しさと冷静さといいかげんさと激情とモテと非モテといい人と非コミュと童貞とリア充と最先端と哲学と人生が詰まっていたはてなブックマーク。そして、みんなの増田。今思えば、その罵りあいまでもが愛しく、懐かしい。
不況の波を受け、ネットを支える広告費がまず一番に削減されるだろう。ネットの多くのサービスが淘汰され、ネットを支えていた人々の行く先は限られていくだろう。萌えもアニメも急速に淘汰されるだろう。大銀行もどうなるかわからない不況のインパクトで、少なくない数の雑誌が消え去るだろう。
はてな村で燃え上がっていた激しかった議論の全てが、死亡フラグのように強烈なフラグになっている。誰が去るのかわからない。あの人かもしれない。私かもしれない。はてな村もはてな民も無傷ではいられない。誰かが消えて行く。それは、誰なのだろう?どれくらいの規模で消え去って行くのだろう?
世界経済はピークを越えた。ピークの先の先に何があるのか。ここから先は、先の見えないジェットコースターだ。どこまで落ちて行くのか、わからない。
日本の家族の概念は別に血統主義じゃないんじゃね? - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20081210/p2
を読んで。
『「娘をもっている親で、若衆が夜這いに来ないようなことなら、親のほうがそのこと
を苦にした」ということを高知の西の端の中村で、土地の教育関係の人からきいた。
熊野の山村で、「複数の若衆が行っていて、もし娘さんが妊娠したりするとどうなる
のですか」ときいてみたことがある。故老はおだやかな表情で、「そういうときは娘
に指名権があるのです」といった。故老によれば、たれのたねであるかは問題ない、
たれもが村の若衆である、たねがたれのものであっても似たようなものだ、という思
想が基底にある。娘は、自分の好きな感じの、あるいは将来を安定させてくれそうな
司馬遼太郎が考えたこと9 南方古俗と西郷の乱 より
そのあと、司馬は「たねに対する不厳密性」についての考察をひろげて、
アジアの遊牧民族には骨への信仰(おとこのたねが子供の骨を作る、といった感じの)
があり、朝鮮は中国の儒教社会を取り入れながらも、そういう点は
そういう意味で少なくとも西日本の農村漁村は南方的だと述べている。
そしてまた、文章は本題の薩摩の南方的な気風に戻る。
この文章だけを鵜呑みにするわけにはいかないけれども、
そういう「たねに対する不厳密性」が南方の気質によるものだとしたら、
ここはよく考えなきゃいけない問題なんじゃないかな。
同じ「日本」として捕らえているわけだけども、
そういう過去の変遷を踏まえずに「日本の家族の概念」ってひとくくりに
論じてしまうのは、乱暴なんじゃないかなと思った。
もちろん、天皇家なんかは、血統を重視していたのは間違いないわけだし、
血統を重視する考えが存在していたことは間違いない。
いろんな概念が混在していたと見るのが、やっぱり妥当だよね。
一日で全国どこにでもいけるような今の
かつての日本は、もっともっと広かったんだから。
だからといって過去から脈々と続いてきたか
どうかは違うんだよ、って話でした。まとまってないね、ごめん。
連中はそれが分かっててやってんだろ。
だから例えもし非モテにとってのモテが「ただ1人のパートナーの愛情を勝ち取る事」と確定的に定義されたとしても
“そんなにモテたいの?俺も3人位しか経験ないモテない奴なんだぜ?”
と的外れな乗っかりアドバイスをする連中は後を絶たない。定義が確定的でもガイドラインがあったとしても読まない。
何故なら読むのはめんどくさいし、理解する手間も惜しいから。でも一般的な正義は自分達にあるのがわかってるので、
調べずに言及して反撃されても味方の方が多いし問題ない!よーし暇つぶしに軽いノリで説教しちゃえ!
…てなる。
そんな連中に客観的な指摘とかオブラートにくるんだ皮肉をぶつけても効果ないだろ。非モテごときが説教してやっている俺様に
向かって何を抜かすか、としか思わない。だったら激情を叩きつけてやった方がまだマシだ。
それこそ非モテなんて単語をおいそれと使えない様になる位まで。
きみは正しきイスラームの教えに戻れ、という感じだなー。非モテ原理主義者・非モテ求道者とでも呼べばいいのか(揶揄・悪意ではない。為念)。
まあ、深刻に悩みを抱えている立場の人間がいるところに、軽いノリで「あっ、俺も俺もー、超悩んでるんだよねー」とか言い出す奴が来るとすげーむかつくというのはよく分かる。
たださ、そういう感情を真正面からぶつけてってもあんましいいことないんじゃないの。それこそ、非モテはモテへの嫉妬・ルサンチマン丸出しの未成熟な人間、みたいな社会的イメージを作りかねない(そういうイメージが非モテの正しい評価とは思わないんだけど、過剰に攻撃的な態度は多くの人にそう受け取らせてしまう)。そういうイメージがパブリックに広まったら、非モテが社会に生きる苦しみを一層増やしてしまうことになると思うんだけど。
それとも「とにかくこういうヘラヘラした奴が俺達の悩みを理解したつもりで説教してくるのが許せねえ」という感情が、損得勘定を上回るということなんかい。だとすれば、さすがにそれ以上どうこう言うことは難しくなるんだけどさ。奴らが許せない、という気持ちは分かるけど、そこはある程度感情を抑えて客観的な指摘に留めるほうが非モテの現状の苦しみを和らげるには賢いやり方なんじゃないかしら。一時の激情でモテをdisっても、その数倍の数でフルボッコされるだけなんだぜ・・・。
捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/)で何回かに分けて書かれている「俺が見たトリアージ論争」のまとめ。現在も続いているので、今のところある分だけ。
俺が見たトリアージ論争 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080828/p1)
俺が見たトリアージ論争 その2 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080829/p1)
俺が見たトリアージ論争 その3 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080830/p1)
俺が見たトリアージ論争 その4 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080907/p1)
俺が見たトリアージ論争 その5 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080924/p1)
多少バイアスがあるような気もしますが、それは最初のエントリーにも書かれている通りです。だからd:id:fuku33に対する批判が多くみえてもしょうがないのかな。でも、あらかじめバイアスがあると書いておくのはうまいなと思います。これをなるべく中立の立場からとかすると、少しでも変なところがあると批判を受けてしまいますが、最初から偏りがあると書いておくと何か言われてもその通りですんでしまいます。しかも、あらかじめ告白しておくことで正直だという印象を与えることもできるからです。
なんかもう流れ無視して新規参入する人とか多すぎなので、とりあえず俺が見た論争の流れをまとめとく。俺が見た流れなので、基本的には俺がどう関わったのかという視点が中心となる。この議論の結果から、基本的に俺は福耳先生にはあまり好意を持っていないのでバイアス注意。ちょっと流れ勘違いしているとか、そういうことがあればブクマとか※とかで指摘してもらえればと。
http://anond.hatelabo.jp/20080916195956ほど直接的でなくても、他のことについて書かれたことを適用することで面白くなる場合もある。
「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去」(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080916/p1)はホームレス論争に関してのエントリーのようだけれども、これをホロコースト論争にあてはめてみるとd:id:HALTANの意見を援護しているようにも読めてしまう。
d:id:HALTANの批判は、よくわからないというのを多用していることからもわかるように、論理的に緻密に組み立てられた意見だとはおせじにも言えない。けれども、本当に大切なことには理由があってはいけないという考え方を適用すると、論理的な理由によって批判するのではなく良くないと感じるから良くないとでもいうような意見に正当性を与えることになってしまうとも考えられる。
とは言っても、このd:id:hokusyuの意見が皆に受け入れられているかというと残念ながらそうでも無い。頭の良いd:id:hokusyuの緻密な意見でもあまり受け入れられないのだから、d:id:HALTANがそれよりも前に同じようなことを言っていてもそれほど受け入れられなかったのにそれほどの不思議も無いのかも。
ところが、同じことは「君らはちゃんと詭弁論理学を読むべき - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1)でも述べられているのがこれまた興味深い。
もうなんというか詭弁論理学をちゃんと嫁!ってことですよ。健全な良識や良心、他者への共感とかが、論理とか科学とか小理屈の前に、全ての前提にあるものなのだ。誤謬論と「詭弁のガイドライン」 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!とかトリアージ論争の俺的まとめ中でも紹介した部分なので、もう何度目かの引用になるがしつこく引用する。
いかに力強い言葉で説得されようと、
というのが結論であれば、断然はねつけるだけの理性は残されなければならない。
「あなたの考え方には、ついていけません」
反論はこれで十分である。
これもホームレス論争について書かれたもののよう。でもトリアージ論争に関しても適用できるとある。しかしトリアージ論争の一部としてホロコースト論争もあるわけ。そうするとこれまたd:id:HALTANの、あまり緻密で無い意見に対する援護みたいに読める。論理がどうであろうと、結論が納得で聞ければ断然はねつけるべきということだからである。
「あなたの考え方には、ついていけません」というのを「あなたの考え方は、理解できません」とすると、どこかで読んだようなものになってしまうのがなんとも。逆に考えると「あなたの考え方には、ついていけません」ときっぱりと反論した場合にも、相手によっては粘着してくることもありそう。
だからといってd:id:HALTANの結論が正しいかどうかというと、それも自明とは言えない。何が正しいかとか、何が良くて何が悪いかといったことの理由をどんどんつきつめていくと、行き止まりになるか循環論法になるしかないのだけど、その場合になにをもって正しさの担保とするのかはかなり難しい問題。正しさに理由があってはいけないのであれば、なにが正しさを規定すると考えればいいのか。今さら石に刻まれているからと信仰することも出来ないだろう。
「ベタがベタでなくなったとき kom’s log」(http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080917#p1)に書かれている自然科学に関する「真理の追究」については、難しいことは難しくても論理によって解明可能な問題。しかし、倫理や道徳といった人文科学に関する「真理の追究」はそれよりもずっと難しい問題。
理解するつもりは無いと言われたd:id:Apemanと理解できないと言ったd:id:HALTANの間のやり取りが面白い。
なにごとかを批判する際に「ホロコースト」を参照することが許せないらしい id:HALTANとか id:Sokalian のような潔癖な方々(しかしその割には「ポル・ポト呼ばわり」はスルーするんだよね)には、日銀や大阪府下の市町村教委と関東軍の間にどれほどの接点があるものなのか、ぜひともご高説をうかがいたいところだ。
これに対してd:id:HALTANは「汚いぞ(怒) - HALTANの日記」(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080915/p2)で怒っているみたいですが、怒るところがコミニュケーションの不成立なのか。確かに皮肉めいた部分は多分にあるとしても、関東軍呼ばわりについての意見を聞きたいというのは、それに対する批判的な意見を良しとしている、少なくとも悪いとは思っていないと判断できる。これはポルポト呼ばわりについても同じ。
それを「ホロコースト」の参照にも適用すれば、これもまた批判を期待しているということ。実際には批判はすでになされているので、批判を認めるというように解釈できる。
だから、これをもってホロコースト批判を正当な物として暗黙に認めたとも解釈可能。
とするのは詭弁がすぎるかもしれないけれど、これはもともとが詭弁だから。「詭弁倫理学」に書かれている「相殺法」で、さらに細かく言えば「公平の原則」というもの。具体的な例を出せば、悪いことをして怒られた子供が「自分だけじゃない」と言ったり、交通違反で捕まったドライバーが「他にも違反している人がいる」と弁解するようなこと。自分の行動や主張が正しいということを言いたいのならば、それを言えばいい。他を持ち出してのいいわけは、自分の非を認めていることになるのは自明なんだけれども気がつかない人は多そう。
自分が『「声高に」「連呼」して悲劇を「見世物」にしているああ恐ろしい……』のような非難をされたから、他の人もそうされるべきというようなことを書くのは、率直に言って良くないこと。皮肉として言ってるとしても、たとえでは無いと主張されているものと、たとえとして使われているものではまったく別だとかd:id:HALTANに言われたら困るんじゃ。
ホロコーストの参照が、ポルポトや関東軍呼ばわりと違うのが「たとえ」であるかどうかという点。後者はたとえとして使われているもの。別の言い方をすれば比喩やアナロジー。ホロコーストに関してが「たとえ」ではないというのは、そういった主張が本人によってなされているから。それがたとえの意味としてはおかしいという批判が一部にあるにしろ、本人の主張は尊重すべき。
d:id:hokusyuはアナロジーとしてのたとえでは少なくとも無い、と限定した意味で使用していることを説明しているのがさすがに頭が良いところ。とはいっても、○○では無いということは言っても、それでな「何である」のかについては書かないのが不親切。まあこれも頭の良い行動ではあるんだけど。
d:id:Apemanの「ポルポト呼ばわり」や「関東軍というたとえ」の是非に関する意見や、それらと関連した「ホロコーストの参照」の、それぞれの類似点や相違点についてまとめて書かれた物を読んでみたいと思うけど、あまり期待はできないかな。
それよりは「捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/)の「俺が見たトリアージ論争」の続きでホロコースト論争についても言及されることや、「ARTIFACT@ハテナ系」(http://d.hatena.ne.jp/kanose/)で意外と知られていない有用なエントリーが紹介される方が可能性が高そう。
それ以外の人だとd:id:sk-44あたりがもし「ポルポト」や「関東軍」のたとえと、「ホロコースト」の参照に関することを書いたら興味深い内容になるのではと勝手に期待。
(追記)
d:id:Sokalianはhttp://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p2のコメント欄で「知るか。」と書いているから、関東軍とポルポトとホロコーストについては書いてくれないかな。でも、d:id:Sokalianの立場なら全部良くないと言っても整合性がとれてしまうのが面白くない。ホロコーストの使用に肯定的で、ポルポトと関東軍のどちらかにでも否定的な意見の人の見解の方が興味深い。
名古屋より人口の少ない政令指定都市だってちゃんとストリートビューはあるのに。
車社会でストリートビューが役に立たないから。(未だに市営交通や名古屋鉄道は非接触式カードに対応する気もない。)
などというのが妥当な線とは思いますが、
Google Street Viewの空白地帯 - ARTIFACT@ハテナ系
Google Street View がキモイ問題その3 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
私、西馬込住人だけど | 陽のあたらない美術館 -人間再生-
を読んでふと思ったのは、トヨタさんか航空産業系の企業あたりが嫌がってたりするのかなあ?と。
名古屋には
名古屋市情報あんしん条例施行細則なんてのもあります。
ブログに書こうと思ったが、あまりに傲慢な(そう受け取られるであろう)記事なので増田を使わせてもらう。
ID:shi3zさんの天才コンプレックスや、加藤の落ちこぼれ記事を見て思ったことを書こうと思う。
他人と同じぐらい時間勉強すれば平均以上の結果を出す自信はあるし、本気で挑んで出来なかったことはない。
ただ、やらない。努力をしない、できない。「やればできる」と思っているんだから、見通しがたったところで飽きてしまう。
■小学校
6年生になるときに引っ越した。前の学校ではなんてことなかった僕が、いじめられた。
小学校のローカルルールを無視した振る舞いが、鼻についたのだと思う。
空気を読み損ねた僕はひねくれた。孤立することを選んだ。
「俺はお前らとは違う」ということを証明するために、中学受験を決意。
学校のカラーテストで毎回100点で調子に乗っていたが、あんなのはお遊びだったということに気づいたわけだ。
中学受験経験者ならわかると思うけど、あれは1年とか半年で間に合うものじゃない。
小さいころから塾に詰め込まれてきた真面目クンじゃなきゃ受からない。クラスに一人は付き合いが悪い人がいただろう?
稀に間に合わせる人もいるけど、まぁ僕はそのクラスの天才ではなかった、と。
幼心に才能の壁とかいうのを感じたわけだった。
第一志望には失敗した。必然だったと思う。
僕をいじめてた人達と同じ中学に行きたくなかったので、通学に2時間かかる、偏差値50ちょっとの私立に行った。
逃げた。そう思われても仕方がないし、自分でもそう思う。
最初の挫折だった。今思えば、こんなの大したことないな。
■中学
常に上から3番以内だった。周囲の人より遥かに効率良く、良い結果を出せた。
「他人よりできるんだ」という優越感。勉強が楽しくて、他人を見下したくて、勉強していた。
5が並ぶ通知表が心地よかった。小学校とは違い、テストで点を取りさえすれば「5」がくるのだ。
やっていたことといえば、内職と、テスト前の詰め込み。「できるだけ少ない時間で、最大限の結果を」それが当時の信条だった。
自分をある種の天才だと錯覚していたと思う。
嫌いなヤツがよく学年一位だったので、そいつを引きずり落とす、という変なモチベーションもあった。
文章に起こしてみると、こら性格悪いなぁー。友達少なくて当然だわ。
いじめられた経験がトラウマで、深い付き合いは避けていた気もする。
■高校
結局、その場の閃きで食いつないできただけで、受験で通用する体系立った知識を持つに至らなかったのだ。
そこのボロが出たのだと思う。
ああ、僕はやはり天才ではなかったのだ。
勉強というアドバンテージが消えたとき、僕は自分のアイデンティティに悩むことになった。
そこに残ったのは、人付き合いの下手な、容姿の悪い少年だった。
友達は少なく、ましてや彼女なんていない。勉強も出来ない。素行も良いとは言えない。
そのころ、人を好きになった。告白した。振られた。三度告白した。全敗。
あの胸が焼け心蝕まれる感覚、思い出すだけでもおぞましい。
彼女が自分ではない誰かに想像するだけで、僕は落ち着かず、食事も通らなかった。
こんな僕だから、加藤が落ちぶれた過程の記事を知ったとき、その気持ちは容易に想像できた。
「こんな駄目な人間、好きになってくれる人がいるわけない」
あの激情に苛まれ続けたら、きっと僕も何らかの行動に出たに違いない。
それが社会を逸脱するものかはわからないが・・・。
「真面目にやるなんてガラじゃない」とか、中二病的な発想で、勉強に手を出さなかったっけ。
馬鹿だよね、ほんと。
■大学
東京の適当な大学に進学した。当時の学力でいけて、都会のど真ん中にキャンパスがある大学を選んだ。
「大学なんてどこも同じだろ?」とタカをくくって入ったそこは、DQNの巣窟だった。
僕は耐えられなかった。ただでさえ、非コミュな僕が、彼らと仲良く出来るはずがなかった。
「勉強すれば、もっと上の大学に通えるのに、なんで勉強しなかったんだ」そんな考えに毎晩苦しまされた。
テストには行かなかった。
夏が来る前に、僕は大学を去った。
■去年の夏
悩んだ。死ぬほど悩んだ。僕に足りないのは何だろう。なぜなんだろう。何が駄目だったんだろう。いや、そんなのわかってる。
腐っていた。これ以上になく腐っていた。プライドも糞もなかった。妥協に妥協を重ねて、我慢できなくなったところで逃げだしただけ。
それを繰り返すのか?延々と?これからも?
たかが大学一つさえ卒業できやしない、ボンクラのおぼっちゃん。家にこもってネトゲして、一家の財産食いつぶしてみたら?
一度ぐらい本気出してみて、駄目だったら人生をやめよう。
「また勉強か」と思わないでほしい。僕は自己表現に、勉強以外のことを知らなかったのだ。
■そして、今年の春から
第一志望ではなかったものの、ほぼそれに準ずる大学に入った。半年でよくやったものだと思う。
僕は自分に、その大学に入る能力があると確信していたから、自信を持っていたからやり通せた。
「結局自分に自信を持てばどうにかなる」って行っちゃうとステロタイプだけど、「根拠がない自信」を持つのも重要なんじゃないか。
「自分で決めた目標をやり遂げた」 それで少し、生まれ変われた気がする。
最近はサークルに入って、活動的に動き回っている。楽しいと思ったことに全力で打ち込んでいる。
理想の自分に少しづつ近づいてる。努力してる。これからも諦めないでやっていこう。
こんなオチだと進研ゼミみたいだけど、まぁいいか。
こんな醜い一例を、増田においておきます。実家が金持ちで、能力に自信があるっていう、ごく限られた変な例。
裕福な家庭環境がやり直しを許したけど、そんな人は少数派。それぐらいはわかってますよ。
たくさんコメント頂き恐縮です。戦々恐々と見守ってました。
できるだけ少ない時間で、最大限の結果を
間に合ってるときは良かったんです。が、作業量が増えて手に追わなくなって、一度遅れたらその後ズルズルと、ですね。
高校で落ちこぼれたのは、タスク管理が面倒になって投げ出したからです。
すごく当たり前の事ですけど、仕事が終わってないのに時間を割かなくなったら駄目ですよね。
「やればできるんだから今やらなくてもいいじゃない?」という言い訳をしていました。
中学当時、「これぐらい勉強すりゃ80点が取れる。90点取るにはその二倍の時間が必要」と見積もったら80点で切り捨てて、ほかの教科に移ってました。
伸び白の美味しいところだけ取って、時間があれば伸び白が余ってる部分をやる。この繰り返しです。去年の受験でも、基本的にはこの手法でした。
家が金持ち
祖父が実業家で、親父が医者です。親父も僕も一人っ子なので、いずれ僕が相続することになってます。僕自身は医学部ではありません。
親父が、祖父がエスタブリッシュメントなら、僕にできないはずがない、という強迫観念が少しあります。
「家名に泥を塗らないように」という消極的な考え方をしたことはありません。
ブクマ米
問題を誤認しているように思う。根拠の無い自信と自己愛が重要なのは皆知っている。知りながらもそれを獲得できないから、落ちこぼれることに一層負い目を感じるんじゃないのか。
はっとさせられました。まったくもってその通りだと思います。
何かしら提言しようとしたんですが、問題を一般化できていなかったようですね。
この記事は、あくまで僕自身の記録でしかないようです。
以上、お見苦しい文章、失礼しました。
彼女の中に存在する、過去の一人の男の影とどう付き合っていけばいいのか?
答えは分かっているんだ、
恐れずに、その前に立つことだけなんだ。その記憶とともに、彼女を受け入れるしかないんだよ。
お前が彼女を信じられなくてどうするよ?
傍目から見ればけっこう安定してるように見えるんだろうが。
自制することも、敢えて羽目を外すことも、もういやというほど学んでいる年だし。
それでも、単なる嫉妬の域を超えて、しばしば足許が崩れていくような恐怖が襲ってくる。
その男とは、出会ってから20年、交際は10年に渡ったという。
俺とはまだ、たったの半年。
そういったケースがよくある話なのか、分からない。少なくとも俺にとっては初めての経験。
時間で測れないものはあるのは分かるが、あまりの落差にもう、話にならない。
何が話にならないかって、俺が苦しんでいるのは、単に彼女を独占したいという、それだけの理由なんだよ?
勝ち目のない独占欲に溺れているだけ。
なんて俺は詰まらない人間なんだ、
彼女の、心と身体に記憶されたその男の影を、追い払ってしまいたくて、それが出来なくて、
自分のチマチマしたプライドのために下らない文章を書いたり、
一日中陰気な顔をして、周りを不愉快にさせているだけなんだ。
本当に何の足しにもならない。自慰行為にひとしい。
誰か助けてくれ。
そんな風に自分を傷つけていたら、いつか彼女のことも傷つけるに決まっている。
そんな奴に、彼女に何が与えられるっていうんだ。
お前のもう一つひどいところは、分かっていながら何の覚悟もなく、彼女に手を出したことだ。
そして彼女の気持ちに応えるフリをして、傷つきたくなくて距離を取り続けた。ぜんぜん誠実じゃなかった。
もうすでに、十分彼女を傷つけたんだ。
ほとんど身体だけの関係だったのに、それでも彼女は待ってくれていたんじゃないか、
お前がこれから見せるべき誠実さは何だよ?
グジャグジャしたプライドをダシにして、彼女に甘えたり、彼女の傷に触れたりするのは最悪じゃないか。
こんな風に一人相撲を取るやつというのは、往々にして、
途中で投げ出してしまったりするものなんだ。
激情にかられて一人で七転八倒し、勝手に自分の中だけで整理を付けて、なかったことにしてしまう、
過去の経験からいうと、俺はそれをやりかねない、人と継続的に関わることができない、
本当に低劣で下らない人間なんだ。
どうして俺はこんなに臆病なんだ?愛されたい、愛されたい、それだけだろう?
それだけなんだから、怖がることはないじゃないか。
愛された途端に恐ろしくなって逃げ出す、てことを、一体何回繰返せば気が済むんだ。
せいぜいあと、人生長くて4,50年だよ、今みたいな恋愛ができるのは、もうあと僅かだろう。
彼女はそれを分かってて、全て投げ出してくれた、賭けてくれてるんだぜ?
お前が、それに応えられなくて、誰が応えるっていうんだよ?しっかりしろよ??
(薄暗い部屋。タイプの音とディスプレイの青い光。はたと男はタイピングをやめると、くるりと椅子を回転させこちらに顔を向ける。男は、その血も通わぬ爬虫類を思わせる青白い顔を隠そうともせず、語り始める。左手には空になったワイングラス、右手には陰茎を握り締めている。)
「パンチラによる興奮とは」
(そこで言葉を切るとニヤリと笑みを浮かべ、こちらに視線を送ってくる。その目は、あらゆる汚辱を連想させるのに十分な汚らわしさ持っている。)
「スカートの下に、パンツが、下着が、もっと言えば、さらに深層には陰毛、そして性器がありますよね。それらが隠蔽されているけど、確かに存在するというギリギリのせめぎ合いの中にこそパンチラの美の断章があるということは、おのおのが胸に手を当ててみるまでもなく共有された、一般的な感覚でしょう。ここで重要なのは実際にパンチラがそこに見えた瞬間にそのエロティックな、張り詰められた緊張は突如として色を失い、泡のように溶けてしまうというです。私たちはパンチラに、はかない夢を見ているといってもいいのかもしれません。しかし、我々はパンチラという原始的で、その下に陰毛が群生していて、さらにその下には性器が待ち構えているという分かりやすさの中に現れる単純なエロティシズムに、我々のちんぽ的なものをあずけていいのでしょうか。我々、複雑さを好むオタクにとってパンチラなんていうのは児戯に等しいとさえ思います。実際に、パンツなどというものはとるに足らないものです。ではその下に欲望されるべき陰毛はどうでしょうか? 性器なら? 逆です、逆、これは逆なのです。性器に近づけば近づくほど、エロティックな情感からは遠ざかっていくのです……エロティシズムの井戸から、とめどない興奮と激情を汲みだせるのは想像力、それだけです。真にエロティックなものとは性器でも性交そのものでもなく、それを暗示し、ほのめかし、イメージさせる固定観念にまで凝り固まったイコンでなくてはなりません。
では、どのようなものがエロティシズムを喚起するにふさわしい、我々オタクのちんぽ的なものをあずけるに相応しいエロティックなイコンとなりえるのでしょうか。順を追って考えていきましょう。
まずパンチラの例を再度考えます。それが低レベルであってもエロティシズムのかけらを保有していることは、さっき確認しましたね。ではその際、重要なファクターとなったものも覚えていますね。そうです、隠蔽されているということです。スカート-パンツ-陰毛-性器というふうに多重に隠蔽されているからこそ、それを想像し、それを犯すことが出来るというわけです。では、どんどん性器から、性交から遠ざければ、多重に隠蔽すれば、エロティックな様相を帯びてくるのでしょうか。十二単? チャドル? ブルカ? フフ……確かに、個人的にはそれらに劣情を催すこともあります。個を排除し、まったいらにする……どこかみたいですね。しかし、それらは物理的な多重構造です。我々オタクはもっと知的になるべきです。物理的な多重性よりも、観念的な多重性を重視すべきです。布が何枚重なろうと、我々の想像力は北風や太陽よりも早くそれらを剥ぎ取ってしまうでしょう。
観念的多重性とは、観念的にスカートでありパンツであり陰毛であるところのものとは、つまるところ禁止の概念です。タブーです。我々はしてはいけない禁じられた遊びの中にこそエロティックなイコンを見ることができるのです。
それは実際の性交においても当てはまります。初めての性交は、少年と少女の共同犯罪ということができます。それはエロティックな、痙攣的激しさを持って行われる魂の完全犯罪ということができるでしょう。彼らにとって、それはしてはならない「禁じられた遊び」に他ならないのです。うしろめたさ、背徳と堕落が絡み合う瞬間……ひひ。
我々オタクはいつまでたっても本質的には子供ですが、禁止も侵犯し続ければ当たり前になってしまいます。そこにはなんのエロティシズムも見られなくなる……エロティックなイコンの神様はうつり気で恥ずかしがり屋なのでしょう。幾重のベールをめくり、やっと会えたとしても、すぐに隠れてしまいます。
しかし現代日本において、共同幻想として機能するエロティシズムは絶望的といわなければなりません。何一つ禁止されることなく、どのような性的なものでさえあけすけにばら撒かれているのですから。私くらいのオタクになれば、目を瞑って URL を適当に打ち込んでも幼女のどぎついポルノに行き着くことができますよ。ははは」
乾いた笑い声が響かせながら、男は机の上から茶封筒を取りあげる。
「これがなんだか分かりますか。これは、夢の残骸です。セカイを変えようとして、それでも変えられなかった、そんな夢の死体です。性を禁止し、徹底的に取り締まらなければならない、その理由と、それがもたらす平和についてかかれています。性を徹底的に匿名化し、性別という概念すら血液型レベルにまで追い込んでしまおうとするものです。そのセカイでパンチラを体験すれば、おそらく誰であろうと、今までのように低レベルなエロティシズムだ、などと思うことはないでしょう。それどころか、涅槃にまで到達できるでしょう。これを、我々の手にエロティシズムを取り戻すために、国会にねじ込もうとしたのですが……かれらは目もくれませんでしたよ……人をキチガイ扱いして! 何が性の抑圧は変態性欲をつくり出す、だ! 何が前時代的だ! 何が表現の自由だ! 奪え! そんなものは刈り取って抑圧してしまえ! アスファルトの下に咲くたんぽぽこそが、最も美しいたんぽぽだろうが! 貴様等、海外幼女買春ツアーの、想像力欠如の!! 蛆虫レベルの低次元のエロスに満足する豚どもが! いいさ! セカイが変わらないならこっちから願い下げだよ! 我々は、我々のセカイに逃げるのだよ! ははっはっははは!!!」
男は突然立ち上がり自らの陰茎を引きちぎり、両目を潰した。
「ひぎぃ! ふふふふ……いいんだ、これで、いいんだ……何もなくていい。何も見えなくていい……目を瞑ってみるセカイこそ、私に、もっともエロスを与えてくれるのだから。私はこれから記憶の澱の中で、過去の苦い経験の中で、エロティシズムをすくい続けるのだよ……もはや、ちんぽなどという分かりやすい絶頂は必要ないのだよ……」
そのとき、男の目から確かに一筋のエロスの涙が零れた。
最初の書き込みより少し冷静になられたようでほっとしました。
僭越ながら、ちょっと一言。妊娠中から出産後1年くらいまでは、ホルモンバランスが大きく変わるため、非常に精神的に不安定になります。やたらに涙が流れたり、イライラしたりすることもあります。普段の自分とはちょっと違う、と思っていたほうがいいです。今は元カノさんを殺したいほど憎いと思っていても、出産がすんで赤ん坊もちょっと大きくなってくると、あの気分ってなんだっけ?というくらい、憑き物が落ちたように何でもなくなる可能性も大きいです。
激情を抑えること自体は難しいんですが、普段の自分とは違うんだ、2年後にはなんでもなくなってるかもしれないんだ、という知識があるだけでも、かなり楽になれると思います。
前にいた会社がそんなんだったな。
法人向けの旅行会社がそういう手配をするんだよ。
現地のそういう団体から添乗員へのリベートでもいいんじゃないの?
女性添乗委員ですらあたりまえのように案内するよ。
で、またそういうところにいく日本人多いんだろうな。心が痛むよ。
社会にでたばかりのころは最初は思い悩んでどう切り抜けるかばかりを考えたけどね、
うまく立ち回ればなんとかなるものだよ。
「そういうところに行く人」と「いかないひと」はすくなからずいるので、
いかないひと派閥をつくって同じ旅行でも別行動をするようにするとか。
女性社員を連れていっしょにつるむとかね。
なんせ奴らは「行きたい」のだからそれの邪魔をしちゃ利害関係がぶつかる。
そういう場まで連れて行かれた挙句、激情して会社やめた奴もいるので、
もっぱらやりたくないなら、事前予防だよね。
黙ってついていって「どこですかココは!ボクは帰ります!!」なんていうのは
やりたい頭の人に冷や水を掛けるようなもので、
「あっ」と気がついたら。最後尾を歩いている一人に帰るわ、いっていなくなればいいだけさ。
誰にも言わないとそれはそれで揉めるからな。
あと国によっては合法なので、一応違法ではないのかな?
しったこっちゃないけど。
でも、国内での飲酒運転はもってのほかだね。
一回110番に内部告発しておくといいよ。
終わる30分ぐらいまえに、飲酒運転しそうな人たちがいるんで巡回にきてくださいとか。
会社を辞める辞めないについてはなんともいえないけど、トップの方針がそうであれば
最終的にはそのカラー以外ないので、どこまでついて行くかというだけだよね。
上にいけばいくほど合わないって痛感するから。
あとサイパンはいいところだよ。
海は綺麗だし、サイパンダだし。なまこいっぱいだし。
例えば道徳教育においては「罪を憎んで人を憎まず」って習いますよね。
社会に出てからだって、失敗の原因を追究するときや、ふりかえりとかケプトするときだって、人を責めないってのがグラウンドルールだったりしますよね。これだって「罪を憎んで人を憎まず」ですよね。
ところがマスコミの報道って、思いっきり当事者への憎悪を煽る演出をしてきますよね。
ワイドショー的な番組ならわかりますけど、全部がそうなってきているように思うんですよ。
右寄りの局も左寄りの局も、お互いにその攻撃対象を“憎んで”いて、それを剥き出しにしているみたい。
悲劇的な事件が起これば当事者をこれでもかと言うほど憎み罵倒していますよね。
そういうネガティブな感情を押し付けてくるような感じがそのまま違和感になっているように思うんですよ。
ファシリテーション的にもあり得ない、やっちゃいけないとされていることを、思いっきりテレビでやっちゃってる。
昔(と言ってもそんなに昔のことは知らないけど)は、どちらかと言うと世間は比較的無知で無邪気で感情的で、マスコミがそれを諌める、みたいなところがあったのかもしれない。
でも今は、世間は知識を得て比較的冷静さを持つようになって、それゆえにマスコミが世間の激情を駆り立てようとやっきになっているみたい。
でもそれって破滅的な方向ですよね。
イエロージャーナリズムって言うんですか?
そういうの良くわからないんですけど、それがエスカレートしちゃってるんでしょうか。
そこまでマスコミは冷静さを失っちゃってるんですか?
それとも本当はマスコミがそれをしているんじゃなくって影の黒幕がいるんでしょうか。
本当にそんな単純な話なのかな。
散々既出な話題な上に結論はおろか言いたいことは何?って感じで申し訳ないです。けど、
何かが起ころうとしているんじゃないか?
誰かが何かをしようとしているんじゃないか?
っていう漠然とした思いがなんか引っかかってくるんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070331/p1
この人は見下す人間を見下している。
前からこの人の言っていることは、理屈は合ってはいるんだろうけれど、
その言い方にものすごい不愉快なトゲがあるように感じられてならなかった。
「耳をダンボにして」
「アルコールの力も借りながら、それとなく当人に聞いてみる」
下世話なゴシップ根性丸出しにしておいて、
「ハハハじゃねーよ!」「…繊細さぁ?」「てめー、エロゲーのお花畑から実況中継ですか?」
相手の悪いところをあぶりだしてそれを攻撃したり嘲笑したりするなんていうのは、
確かに人からあしざまにいわれるような性格の相手も悪いけれど、
だからってそれが石を投げることへの免罪符にはならないはずだ。
「彼の『幼稚な』恋愛観・女性観に相手の女性が合致しないから不満だ」
幼稚だ、って蔑みたいだけなんでしょ。
「誇大妄想的ファンタジー」「驚き、呆れ、軽蔑の念を押し殺すのに苦労した。」
でなけりゃ、どうして「耳をダンボ」にしたんだよ。
何か嗅ぎ付けたんでしょ?
こいつは幼稚な恋愛観を持っていて、軽蔑すべき人間なんじゃないか、って。
分かってたんなら、始めから関わり合いにならなければいいじゃないか。
なのにあんたは、近づいた。
耳をダンボにして、酒を勧めて、
どうにかしてこいつは軽蔑すべき幼稚な恋愛観を持っている人間だ、
っていう言質をとりたかった。
あんたはそいつを軽蔑したかったんだろ。
ただ単に、いい気になって調子に乗っている恋愛弱者にムカついて、
そいつを叩きのめしたかっただけなんでしょ。
あんたのやってることは弱いものいじめ。
見ててものすごくムカついて、腹が立つ。
「私に対してまでだらしなく放言している」
ってよく言うよね。
そういう言質をとりたくてさんざ耳をダンボにして、水を向けまくったのはあんた自身だってのに。
だらしない放言を聞きたくなければ、
はなっから聞かなきゃいいし、
繰り返すけどそもそもそんなやつと関わり合いにならなければ済むだけの話。
「彼には、自力で異性と交際をもう一度構築する為のノウハウも自信も無いのだから、
無理も無いことなのかもしれないが。」
要はここでしょ。
ここが言いたかっただけでしょ。
…「てめえ調子に乗ってんじゃねえよ。まともな恋愛観も持ててねーで、
っていうかてめえは恋愛なんてまともにできる種類の存在じゃねーんだよ。
顔洗って悔い改めてから出直せよ」
って感じ。
けなしたいんでしょ。
おとしめたいんでしょ。
それこそ件のカップルとおんなじように。
…それって、同族嫌悪と違うの?
…あんたが「まともな恋愛観を持たずにいい加減な付き合いをしている人間に対する憤りを持つ」
っていう気持ちは分からなくはない。
けれど、
やり方があまりに下劣過ぎる。
「“清楚”という言葉には縁遠い」
「少し上がった目尻」
「彼のことを下僕か何かだと思っているのだろう」
「“食べ物屋の知識以外に取り得の少ない男”
“私よりも格下だけど付き合ってやっている”という思いが露骨に伝わってきた。」
「どう考えても不幸な未来予想図しか思いつかない」
…不幸な未来予想図を描いて貶したいから、でしょ。
だから、
建設的で幸福な未来のためにはどうこうするべし、って言わないし、
酒の席でも黙って相手が放言するに任せていたんでしょ。
見ていて、ものすごく後味が悪い。
だったら、
「件のカップルはこうするべきだ、
こうしてお互いを尊重し、尊敬し合うことで、健全にお互いを愛し合うことができるんだ、
それを言ったのに彼らは聞いてくれなかった、
このことはとても残念だった」
くらいの話にしてくれていたら、
こんなに後味の悪い気持ちにならなかったのに。
確かに本人らを前にしては言えないかもしれないけど、
本人を前にしていないネットでなら、
もっと建設的なことを書けばいいのに。
センセーショナルな方が注目を集め易いっていう目論見があったのか、
はたまた同族嫌悪からムカつきを放たずにはいられなかったのか、
悪口主体で、しかも体裁的には「冷静な分析」を装っているから始末が悪いし、
自分から見れば酷く不遜で卑怯な態度に映る。
…以前からこのシロクマという人に対して不快を催すのは何でだろうって思ってたのは、
冷静な理屈の中に、
蔑みや貶めが入り込んでいるからなんじゃないかな、と思った。
そういう恋愛をもっとみんな実践しようよ、って訴えかけて欲しかったと、
個人的には思う。
…って書いたら、気づいたら追記でこんなこと書いてやがった。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070410/p2
「尻尾の挿げ替え実行しました。」
って確信犯っていうところがさらに果てしなく不快の激情に油を注ぐ。
建設的な共感のかけらもない男だと言うことが、
ようっく分かった。
可哀想で見てられない。何が彼を激情に駆らせるのか。
http://anond.hatelabo.jp/20061229000552
この文章見て何か前に読んだようなデジャブーがあったんだけど、ブクマク辿ってたら思い出した
『勉強』の使い方がそっくり!