外部へのリンクを含む匿名日記を書いたのだが、ついうっかり自分の日記の一覧画面(http://anond.hatelabo.jp/user_id/)からそのリンクを踏んでしまった。これってまずくない?リンク先の人にはリファラから私があの匿名日記を書いたってばれちゃうんじゃない?でもリファラなんて簡単に偽造できるんだから逆に他人にそう思わせることもできるのか?
なんにせよ今回のリンク先がリファラ一覧を公開しているブログとかじゃなくてよかった。もしそうだったら三日三晩寝込んだ後、はてなを引き払っていたかもしれない。
なるほど。
そうだとしたら「弱者に気を使え。と言っている奴は同調圧力の構造と同じってことに気がついている?」で批判した対象とは無関係だな。
枝葉だということが分かった。サンキュー。
http://anond.hatelabo.jp/20061229133757
気持ちはわからんでもないが、個人サイトの98%は「絶対評価とやらの、適当な自分中心で、しかもちっとも面白くない、感覚だけで言ってること」だから、こういう時は「スルー力!」の呪文を唱えておくのが良いと思う。
この人の絶対評価とやらの、適当な自分中心で、しかもちっとも面白くない、感覚だけで言ってることなんてどうでもいいって思う。これで相手が傷つくとでも思ってるのかな?
この人の存在など、多数の他人の中のどうでもいい少し鬱陶しい一人にしか過ぎないのに。
他人に自分をみて欲しくてたまらないんだろうね。でも、あなたのことなんて知りたく無いです。あなたの話はつまんないです。あなたのことなんてどうでもいいです。
他人気にしすぎだから、あいつらは幸せでむかつくとか思って復讐してやるとか言ってるんでしょ。自分が無いんだね。いつも下だからって暴言はいてるから、シロイさんのエントリーがむかついたんじゃない?図星で。
ちょっと改変したらそのまんま自己言及になり得るとは考えない?
顔もなにも知らない君の人生に興味を持つ人がここにいるとでも思って一人語りしてるのかな?
UNIXで育ってる時点で十分に変。
ただ、正直言えば羨ましい。
http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061228/1167272368
かつて川端裕人は竜とわれらの時代の中で、古生物学の権威でありながら創造論に傾倒するアメリカ人学者を描いた。人口の8割がキリスト教徒であり(日本人の家に仏壇や神棚があったり初詣や葬儀で寺社仏閣を訪れるレヴェルよりも広く深く)信仰が生活に浸透している欧米では、科学者と雖も信仰と無縁ではない。
科学者が信仰を持つことを否定するつもりはないが、同時にそれが強固なイデオロギーであることも常に意識せねばならない。判断基準を神仏に委ねた瞬間、それは科学ではないものとなる。
この点では、普段の宗教的行為と信仰意識を切り離して扱うことに長けた日本人というのは、実は一番科学向きなのではないかという気がする-----その割には科学離れが進んでしまっているのだが。
引用終り
この人は一体何が人をニセ科学に向かわせるのかを全く分かってないように思う。(普段読んでないので何か見落としている文脈があったら申し訳ない。と先に謝っておく)
「目には見えない(観測できない)けれど、あたかも何かがそこにあるかのように感じる」というのが宗教の奥底にある。そして、上の例に出てくるキリスト教というのは、キリストの肖像を信仰の場に持ち込むか持ち込まないかで争う例から分かるように、その、一体何を信じるかということに対して、血で血を洗うような抗争を起こしたりもするけれど、その結果それを非常に明確に峻別する宗教だ。(異端と正統)
ニセ科学というのは本来科学で計ったり、観測できないことを、あたかも科学的に計量できるかのようにふるまうことだと個人的には理解している。
そして、ニセ科学は、本来なら(観測できないんだけれど)「ある」んですよ、と主張するだけの、信じるか信じないかで済む問題を、科学的に裏づけされている(勿論されてない)から「正しい」「信じるべき」なんだ、という押し付けがましいことをする。上に書いたキリスト教はそれをやらないで、観測できる科学と、宗教は別々のものですよ、という方向にいった。これは評価できる。(キリスト教は聖書に出てくる事柄を科学的な側面から裏付けられないか、という視点で科学を発達させてきたという歴史がある。)
つまり、目には見えないけれど信じている対象を具体的に了解する、何に対して信仰するかを明確に決める、ということはニセ科学を見破る手だてにもなりうるし、その逆もまた言えるということだ。
「観測できることじゃないけれど、そこには確かなことがあるんだよ」というのは凄い安心する。だからこそ、その対象はできるだけ明確でないと危険である。日本人が信仰を明確に規定しないことの善悪は問えない。けれど、そのことが「科学向き」とは到底思えない。信仰の対象が「科学」となってしまうことがあるからだし、そのことこそがニセ科学への危惧だと思う。
(30日午前四時四十九分に日本語が不自由だった部分を修正しました。)
id:suVene氏が悪いなんて微塵も思ってないよ。ちゃんと反応は受け止めてるし、発言の内容とそのときの心情について説明してるし、誠意ある対応だと思う。逆に、感情的に個人名を名指し(一般論を語ったつもりが書き方が悪かっただけにも見えるけど)したのはまずかったとも思ってるし。
てか当人同士悪いなんて一言も言ってないじゃない。俺が気になるのはブックマークコメントでの一部の反応。
空気に囚われている人(コンプレックスもちで「甘え」という言葉に悪意を見いだして気に成る人)が居ても当然良いし。愚痴を書いたって自由だよ。(公開された場所に書いたら、意図しない共感じゃない人のコメントが来る事も当然有るけど)
その意図しないコメントに対して、共感して欲しかったって書くのも自由でしょ。それが分かってないんじゃないかって思うような人がいたから。
成功体験ってどうやって身に付ければいいのだろうか。
今のところ、自分の人生で一番嬉しかった出来事が
そのまま長くて辛い日々とドロップアウトの根になってるんで
どうも自分の感性に自信が持てない。
それどころか同性の女子にも割りと遠ざけられていた記憶が有るな…
うっすらとだけど。全体的に、辛い記憶はディティールが曖昧になっている。
努力はしている、客観的に見ても全く何もしていないって訳じゃ無いとは思うだけど
結果が出なければ「報われた」って気分にもならない訳ですし、
本当にどうすればいいんだろうね……。
たまに誉められても「この程度出来ない方がおかしい」やら
「フォローだな」やら勘繰ってしまっている時点でだめぽ。
あ、病院へは通ってます。
必要と有ればプロのカウンセリングや投薬にも頼るべしとは自分でも思うけど、
でもこの辺の部分に関しては自分の努力が無いとどうにもならないよね。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061227/1167212479
「人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。」これって環境問題でもあるよね?それだったら話は分かるよ。
発展途上国の人達の生活レベルが現在の先進国並みになってしまったら地球の収容能力を超えてしまって、人類は破滅してしまう、みたいな話を聞いたことがある。
化石燃料の採掘可能年数も諸説あるけど有限には違いないだろう。
経済的な問題以前に環境的な限界が来るんじゃないかっていうのは悲観的な観測だろうか。
そういう意味で分裂勘違いさんのこのエントリの結論は全然違う意味で正しいのかも知れない。が、果たしてここで語られてる生活規模の縮小、の認識はこんなもんでいいのかな。
果たして近所にSHOP99がある状況が贅沢じゃないと言い切れるだろうか。ネット環境があるのは贅沢じゃないと言えるだろうか。
貯金してスキルも身につけたところで、インフレが起きて貨幣価値が100分の1とかになったらどうしよう、とか、そのスキルは本当に今後生きていくのにずっと使えるのか、とかね(ま、例えば料理というか自炊の研究をして「1ヶ月1万円生活」みたいなのを極めるとか、とりあえず日本を脱出してもどこの国でも暮らせるように英語を学ぶとかだったら死ぬまで使えるスキルだとは思うけど)。
こんなこと考えるのは杞憂というか考えすぎだろうけど。
ま、でも当面の最大の問題は「みんなが清貧の生活になったらこの国の経済はどうなるんだろう」ってことだったりもするわけで。
モノが売れなくてメチャクチャな状況になるんじゃないのか?教えてエライ人!
クルマの会社の利益が良い良いと報告されているけれど、メーカー主導のレースにはほとんど魅力を感じない。マーケティング優先指向でやりまくるだけで、結局、GroupBと同じ運命をたどるだけだと思うので。GroupBでは、観客と選手が犠牲になったが、F1においては、はじめにプライベーターが蹴落とされて、やがて自分達の首を絞めることになる。最終的にはF1がショボクなってしまうわけだ。(と思うんだよね)
--話は飛んで--
スカイラインのキャラクターが渡辺謙とイチローだそうで、確か、イチローはシアトルでフェアレディに乗っていたなぁ。(テレビでだけど...、そういう意味があったのかな?)
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市場を(消費する方向に)拡大することでしか企業が成長できないとしたら、やっぱり先細りだよなぁ。そもそも、内需と外需で考えるのは、外は無限大と考えている(もしくは搾取の対象)わけなのだ。しかし、その方向での成長を先に進めると、地球は閉空間なのだから、全体の総量は不変だと捉えているように感じる。
でも自分が生きている間に収束しないなら気にしないのが良いのかな。石油が思ったよりは長持ちしているように、資本主義も延命しているみたいだし。
と、いうようなことを、新車の登録台数は減っているという事実を踏まえながら、軽自動車の特集記事を読んだボクはつぶやいてみたのでした。
可哀想で見てられない。何が彼を激情に駆らせるのか。
http://anond.hatelabo.jp/20061229000552
この文章見て何か前に読んだようなデジャブーがあったんだけど、ブクマク辿ってたら思い出した
『勉強』の使い方がそっくり!
立たなかったのは君の問題じゃないんだ。本当だよ。一回で判断しないで
どちらを使ってるかは、育った環境がwindowsかunixかの違いでしかないと思う。
ちょっと前までは、ボランティアというのは無料で使える便利な労働力にしかすぎなかった。
Web時代になって様相が変わった。ボランティアは武器を持った。
彼らは自分達のメディアを通じて、ボランティアとしての自分の意見を現場から
発信する、世論やマスメディアをも動かしうる厄介な存在になった。
「労働に対する対価を支払わなくてもいい」という、ボランティアを用いるメリットは依然としてあるものの、無償であるということは、ボランティア側にもメリットをもたらした。彼らは無償であるがゆえに、指導者に対して何ら引け目を感じることがない。NGO側に何か気に入らないことがあれば、彼らは嘘をつくことすらためらわないかもしれない。
ボランティアを使って何かを行う際には、こうしたボランティアの「目」、その背後にある世間の目というものを意識しないと、今回のドッグパーク騒動のようなことになる。