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2009-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20090114111509

浪人してまで入る理由がコネかどうかは分からないけど、

芸大桐朋は、コネなしで入ろうとすると6年普通にかかったりします。

コネ使って入るのが普通なので。

コネと言っても先生紹介してもらってレッスンしてもらうだけだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20090114112458

浪人してんのは就職の心配がないような

ある程度経済的な余裕のある家庭ってことか。

http://anond.hatelabo.jp/20090114111158

東大なら入ったあとのメリットとかでわからんでもないけど

芸大でそこまで浪人するのってなんなんだろうね。コネが欲しいだけ?

自分才能とか限界感じないのかね?

http://anond.hatelabo.jp/20090114111031

俺は武蔵美なり多摩美なりで妥協しちゃうような奴が多いイメージなんだよな

絵ならどこでも書けるっていう

音楽系だとわからんけど。有名な音大ってどこだ?

日大芸術学部、とくに映画学科なんかは山ほど浪人してでも入りたい奴がいるらしいけどなあー

大学に何期待してんだか

2009-01-11

とおくへいってしまうわたくしのいもうと

妹の部屋に『しゅごキャラ!』を借りに行ったら、机の上にティファニーのケースがあった。

がーん。

妹は自分で宝飾品を買うような人間ではない。そんな金があったらコミケに回す。

そうか。そうなのか。そうだったのか。そんなものをもらうようになったのか。

「うちらってさあ、仲良いほうだよね」

ちょっと前、妹は妙にあらたまって僕にそう言った。

たぶんそうだろう。世の他の兄妹のことは知らないし、べつに一緒にお風呂に入ったりもしないけど、僕たちはかなり仲の良い兄妹だと思う。

父を早くに亡くし(だからといって僕が父がわりになれたとも思えないのだが)、「あなたと私とはいわば兄妹」とか言いながら相撲をとったり、僕がおやつ横取りしたのを「どろぼう、どろぼう」と追っかけっこしたり、あるいは母の帰りが遅いとき、僕がご飯を作って「さきにおあがり」と言えば、妹は「ではぼくたべよう」と答えたり、そういうふうに育ってきた。

浪人留年を繰り返すダメな兄と違い、とっとと大学を出てしまった真面目な妹。ぜんぜん男の影なんか見せなかった妹。いつか家を出ていく日が来るのだろうか、もしかして僕らキャスバート兄妹みたいになるんじゃないかなあ、でも兄妹じゃ孤児を引き取るのは無理だろうなあ……とかなんとなく思ってた。やっぱりそんなことはないんだね。

君がどうしようもないくらい腐女子ってことは、もちろん知ってるんだろう?

いつ紹介されるんだろう、いったい僕はどういう顔をして会えばいいんだろう?

とか一人で感慨にふけっていたのだが……

何のことはない。いつか、妹の友人から頼まれて『テニスの王子様』の公演チケットの抽選に申込んださいに当選したときのお礼だって。ちなみにそれ、僕も動員された。

……。

その日、雪が降った。

おもてはへんにあかるいのだ。

あめゆじゅとてちてけんじゃ。

2009-01-06

試験のこと考えるとゲロ吐きそうになる

もう実力相応のところでいい、一定以上ならどこでもいいとは思うけど

浪人はもう嫌、まっぴら はやく大学入りたい

それなりにはやってきたからどこも入れないことはないとは思うんだけど

すげー頑張ったかと言うとそうでもないような気もするしとりあえず不安で仕方ない

気持ち悪い

追記

もとから「ダメもと」で臨むと意外にいい結果が出て

追いつめられるとどうしようもなくなる性格なのに、なんで現役で受かったとこ蹴って浪人したんだろうね

あー気持ち悪いよう

2008-12-31

小学生の頃、作文の通信添削をやっていた。

小学生の頃、作文の通信添削をやっていた。すごくすごく楽しかった。添削なんていったって、好きなことを好きなように好きなだけ書いているだけで良かった。書くことが見つからない人のために、題材の例をまとめた本もあったけど、すぐに使わなくなった、書きたいことがありすぎて。

 

冒険小説を書いた。

自分と仲のいい友達が、自分達の住む町を探検するやつ。ネタを探しに町をさまよったり、図書館に通ったりして、町のことを調べた。商店街のお店の地図を書いた。裏道はもらさずチェックした。いくらでも話がふくらんで、書きたいことが尽きなかった。自分で書きながら、次どうなるんだろうってわくわくしてた。

 

SF歴史小説にも挑戦した。

浪人が竜と戦ったり、浪人なのに召抱えの殿様がいたり、からくりロボットを操縦したりする激動の幕末を描く物語。とにかく自分の好きなもの、好きな映画、好きな物語の要素を詰め込んでいったらそうなった。

 

どれも話が膨らみすぎて処理しきれなくなって、結局未完のままだけど、妄想にどっぷり浸って、布団に入ってからもあれこれストーリーを思い描いては、わくわくして眠れなくなってた。次の日は朝早くに目を覚まして続きを書いたりしたのはすごく楽しかった。この時間を終わらせたくなかった。たまにうっかり原稿用紙がなくなりそうになると不安になって、字を小さくしたり、撥音や句読点を前のマスに押し込んだりして節約してた。

 

詩も書いた。

詩の体裁をとっていても、今思えば、あれは目の前にあるものを見たまんまに記録しただけのものだったのに、光景が目浮かぶようだって言われた。言葉で絵を描くことができるんだって、そのとき子供心にすごく衝撃だったのを覚えてる。

 

何を書いても、必ず添削先生は面白いねって興味を示してくれた。続きを期待してくれた。一緒に次の展開を想像してくれた、冒険のヒントを与えてくれた。期待されるともっともっと書きたくなった。伝えたいことがたくさんあった。思いに任せて本当に自由に書かせてもらってたから、作文は好きだった。学校読書感想文は少し窮屈だったけど、それも書き始めるまでのことで、いったん鉛筆を握ったらわりとすらすらと筆が自然に進むような感覚だった。

 

大人になるにつれて、思いに任せて自分の考えを表現しているばかりだと、発言がどうしても論理的でなくなってしまうのが仕事差し支えるようになった。それで、できるだけ先に頭の中で考えを組み立てて、骨組みを完成させてから言葉にするように練習してるところなんだけど、そうした練習を続けているうちに、何か別の感覚を失いつつあるような気がしてた。なんだか、昔のように筆が走るのに任せて、考えるより先に繰り出される言葉を追いかけていくうちに、自分の気持ち、自分の答えに導いてくれるような、そういう感覚を長いこと味わっていないことに気が付いた。タイピングのせいなのかなあ、手書きの頃は、肩肘張らずに自然スピードで筆が進んでいたような気がする。程よいペースでスムーズ言葉が溢れてきていたし、リアルタイムで表現しつつある言葉の繋がりに、頭がちゃんと付いていけてた気がする。そのまま段々ノッてくると、今度は思考が追い越して、ペンの進みにもどかしさを覚えたりもしたものだけれど、そういうときに感じてたドキドキもなんだか薄くなっているようだ。タイピングするようになってから、打ち出される言葉は加速するばかりで、脳が必死で追いかけている感覚。たまにブレーキをかけたりすらする。自分の気持ちは置き去りにして、正しいか正しくないか、良いか悪いかだけを判断するマシーンと化しているようだ。麻痺してきているのかな。

 

今日は何だってこんな時間に目が覚めちゃったんだろう。年末、少しだけ余白の時間ができて、気持ちがゆったりしたせいで、不意に昔のことを思い出した。この機会に、ほんのちょっとスピードを落として、ときどき自分の気持ちのままに綴ってみようかな。これから何が起きるんだろうってわくわくしたり、わけも無く泣きたいような切ない気持ちをまた味わえるかな。

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081230123934

>夢を諦めた

夢というか、「自分はこうあるべき」って理想に合わせようとしたけどダメだったって話かな。理由はいくつかある。

自分はこの期間でこれだけできるようになりたい、ってノルマを達成できなかったから自分から諦めたのと、

環境が(主に自分の不出来を理由に)それを許さなくなったのと。

>人の意見を聞けない

開き直れなくなったのは大きな損失だと思う。

どれも頭ごなしに最初に「違う」と思ってしまって、その思いを引きずることになるから、きっとうまく行かない。

だから、親に「自分はこうしたい」って話すこともできない。

逆に、自分は一番やりたくないけど、周りは喜んでくれるだろうことを妄想しては、自分はそれやる、って話してしまっては

いざそれやる段階に来て「やりたくない」って発狂する。

>友達がいない理由

両方。

自分は、主に能力的な意味で、友達が居てもいい身分じゃないし、

あまり人付き合いでいい体験はしてないから、汚い部分ばかりどうしても見てしまって、

人間は好きじゃないから、いらないとも微かに思ってる。

それでも、なんだかんだで友達は大切だとも思うし、友達という後ろ盾がない以上動けないとさえ思ってる。

>世の中には

そういう、自分希望に向かって頑張ってる人と、あまり一緒にして欲しくない。

自分は落伍してるだけだから。その人に失礼な気がする。

学力田舎進学校でもなんでもない普通の公立を全く勉強せずに卒業させてもらって、

浪人予備校に行ってる過程で大学に行く意味が見出せなくなって、自分でも満足に勉強できたとは言えないけど、

一浪してどこの私立にも受からなかった。「受かっても拒否するか」なんて考えてたけど、杞憂だった。

こうやって1対1で回答してるのも、自分を救いたいと思ってるからなのかな。

2008-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20081229153426

もう遅いってのは、本当に遅い場合もあるから、「遅かったと仮定して」ダメだった時にどうするかを考えたり親に話したりする必要があるんじゃない?

もし浪人選択肢としてあるなら無駄じゃなくなるし、志望校を妥協できるなら無駄じゃなくなる可能性もあるし。

何にしても苦手なものを克服するのは時間がかかるから相対的に自分が得意な分野に注力してそこで稼ぐしかない。

十代で自分の進む道を分かれなんて基本的に無理な話なんだから、あきらめるよりは、どこかに自分の居場所を求めて泥臭くあがいた方が良いに決まってる。あと独断と偏見だが、なんだかんだ言って人生で一番大事なのは友だちだと思う。

2008-12-22

でも、とてもじゃないが「自分で選んだ人生じゃん」なんていえない。

よく人の人生勝手に悔やむ。

すると、知人がこんなことをいう。

「その人が自分で選んだ人生なんだからいいじゃない。」

勿論、おれのやってることが押し付けがましいというか、傲慢な行為だとは思う。

でも、とてもじゃないが「自分で選んだ人生じゃん」なんていえない。

誰かも彼もが自分の思い通りの選択肢を選べるわけじゃない。能力環境による制限がいつでも付き纏う。

それだけじゃない。そもそもその選択肢があることに気づけないことだって多々ある。

その場合、その選択肢をもっていなかったことになるのかっていうと、おれはうは思わない。

だってそこには、屹然として"そうでありえた世界"が存在するのだから。

あまりにも、人生は遇有性に満ち溢れている。

おれだって今はまぁ人並み以上に恵まれてるとは思う。

でも、もっと幸せになれる道だって当然あったわけだ。

浪人しなかった道や、わけわからん病気にならん道だってあったわけだ。

それをとてもじゃないけど、「自分で選んだ道だから」なんていえない。

他人に関してだってそうだ。

そりゃ、他人の人生悔やんだってしょうがないのは分かってるよ。

自分ならまだしも、他人じゃ何の生産性もないもの。

でも、もし、おれが、誰かが、一言声掛けてやれたら変わったんじゃないかなと考えるとなんだかやりきれなくなってくる。

ましてや、それが家族や友人や好きな人であったらなおさら。

直接的に自分が関わってしまった時はもっと厄介だ。

あの時もう少し気持ちを考えてやれば、あいつはあんなことにならずに済んで、その結果ああはならなかったのでは、と。

の行動の後の後の後々々まで延々と、全て自分責任なっちまう

人生クリティカルに影響する瞬間ってのは間違いなくあって、そこでやらかしちまうともう一生悩み続けることになるわけだ。

自分でそれが幸せだと考えて選んだんだからそれでいいじゃない。」

そりゃそうなんだ。そうなんだけれども。おれが自分エゴを押しつけてるだけだってのも分かるよ。

幸せの基準なんてもんは人それぞれだってのも理解しちゃいる。勿論その通りだと思う。

でも口でそうは言ったって"誰しも共通の幸せ"ってのは確実に存在しているわけだ。

それを失わせちまった責任過去にでも戻れない限り永遠に取れないわけだ。

例え、そいつが幸せになろうとも、

『もしお前があの時、ああしなかったらもっと早く、あるいはもっとたくさんの幸せを手に入れていたのだよ』

と、責め立てられる。どうしろってんだ。

要は自分でもまとまってないことを書き殴ってみただけ。

うむ、気色悪い自分酔いみたいな駄文になってそうだ。

自覚症状がある分タチが悪い。

完全に邪気眼中二病。アチョー

2008-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20081221125205

浪人なら、今から現役は伸びるので、まだ判定では喜ぶな。

現役なら、偉いぞ。偉いが油断したらあっという間なので、焦らずペースを守って着実にリードを広げろ。

とりあえず今すぐPCの電源切って合格報告まではけっして増田を覗くな。

2008-12-20

逃げまくってきた末に行き着いた俺の精神

http://anond.hatelabo.jp/20081219121223

上の増田の気持ちと精神構造はすごく共感できる。ってか君は俺か。

たしかに逃げ癖,負け癖の蓄積は精神破壊する。

何度も精神的に死にかけたし、何度も妄想で人を殴り殺した。

現実にならなかったのはほんのちょっとのタイミングの違いだ。

タイミングさえ違えば今頃塀の中で暮らしてたかもしれない。

増田と同じくちょっと俺のカスな逃げ話もカウントさせてください。

小学校4年の頃、近所の少年野球チームに入った。

ヘタクソのままレギュラーにもなれず1年で辞めた。(1回目)

小学校5年生のころ、学校サッカー部に入った。

これもヘタクソのままカス扱いのまま1年で辞めた。(2回目)

小学校6年生のころ、ラグビーチームに入った。

もちろんヘタクソ鈍足ガリガリチンカスは変わらず半年で辞めた(3回目)

もうこのへんくらいからスポーツは向いてないと悟ったので

中学生の頃は帰宅部になった。勉強やろうと思った。

高校はそこそこ中途半端進学校にはいることができた。

で、高校2年生のとき高校ごと辞めた。(4回目)

根性足らずで勉強について行けなくなった。そんでやる気もゼロになった。

そうしてるうちに朝起きても体が動かなくなった。

夜起きて昼間に寝るようになった。

テレビばかり見てメシ食って屁こいて寝るだけの生活になった。

そしてたくさんいた友達は全ていなくなった。

ヒキコモリを2年やった後、バイト生活を転々と計4年ほどやった。

最後のバイト先は1年半ほどやってバイト仲間ともすごく仲良くなったが

ある日突然そのときの気分で衝動的にバッくれた。(5回目)

トレインスポッティングエンディングみたいにバイト中に走って逃げた。

バッくれたその足で衝動的に地方から東京に出た。

たくさんできた友人知人もまたいなくなった。

東京にでてきてから自分の繰り返す不甲斐なさ情けなさに激しく落ち込んだ憤った死にたくなった。

ヒキコモリから精神的に立ち直っていたのに、この一件で再びおかしくなった。

具体的には自虐的かつ暴力的な思考が加速した。一人言の口癖は「殺したろか」だったと思う。

でもその意味わからん怒りをパワーに変えようとした。そして一応決心した。

バイト生活、非正規雇用不安定な生活から抜け出してやると。

社会階層を駆け上がるべく専門職に就くことを考えた。

選んだ道は大学法律を学ぶことだった(弁護士コースではないけれど)。

その後1年間のバイト受験勉強を両立してマーチレベルの私大に入った。早稲田には落ちた。

まあ中途半端レベルまでしか受験勉強できなかったってことだ。

大学に入ってからはサークルにも属さずひたすら授業と資格勉強をやった。

まあ通常より5年も遅れているから今更大学デビューとかいう気にもなれなかったし

何より精神的にはかなりすさんでいた(暴力的に)ので、あえて大学では勉強のみに集中した。

何ていうか肩が触れ合った、目が合った、足踏まれたとかで完全に殺すつもりで喧嘩になるの前提で

怒鳴り散らしてた。俺があまりにもキティGUYだったのか、怖がられたのかキモかったのか

不思議と一回も暴力沙汰にはならなかった。

冒頭に塀の中にいないのはタイミングの違いだけと言ったのはこのへんのこと。

大学1年の終わりには法律むいてないっていうか

どうしようもなくつまらなくなってやめた。(6回目)

勉強の動機が不純というか目的のための手段でしかなかったので

法律の内容自体に興味関心がなかったのが敗因だったかもしれない。

う、ここまで書いてたら改めて情けなくなってきた。orz...

大学2年のときなぜかプログラミング始めて色々ツールとか作ってるうちに

大学院に行こうとまたいつもの心変わりの決心をした。

周りに競争相手もいなかったので(文系学部の図書館でひたすらCとかJavaとか数学とかやってた)

スイスイ自分のペースで集中して勉強できた。

結果大学院(他大学理系)にも受かった。

大学院に入ったはいいが周りの出来の良さに驚愕した唖然とした自分の身の程を

客観的に知った死にたひタスケテ状態になった。

ゼミレジメきるだけでも頭の違いが良く出るのだけれどもそれはそれはもう

俺のやってきたことがフェイクだった事を200万回はわからせてくれるほど

レベルの違いは明らかに出た。微分方程式って何ですか?おれ馬鹿ですかありがとうございました。

それでも1年のときは何とか食らいついてギリギリこなしてたけど

2年になって就活つまづいたのをきっかけに完全に死にたい死に体となって

死んだも同然の幽霊学生となりかけたのだけれども逃げかけたのだけども

何とか踏ん張ったり落ちこんだりを繰り返して繰り返して

何とか仕切り直して極低レベルな内容だけど修論書いてる。(7回目免れかけている)← イマココ!

学会発表にももうすぐ出場する予定。

長くなってすいません。言いたいことはここからです。

逃げまくってきた俺がここで今逃げないのはなぜか言わせて下さい。

「逃げるなら死んだ方がマシ(精神衛生上)」と心底思うからです。

死んだ方がマシというのはやりきって玉砕したほうがマシという意味です。

マッチョ精神論ではないです。

賞味の話20代後半で7回目逃げるってもうその後の精神状態考えられない。

発狂する死ぬ。もう立ち直れない。もうここで逃げたらこの先メンタル完全に退廃。過去にがんじがらめになって

次の一歩を踏み出せなくなる自尊心のかけらもなくなる何をやるにしても実績がないので自信がないetc...。

過去の負け続けた経験にこのまま一生苦しむくらいなら今ここで死ぬまでやりきって完全燃焼して

結果ダメでも結果体壊して死んでも結果大恥かいて羞恥プレイの刑にあって自尊心を虐殺されてもやりきる方が

逃げた後の死ぬほど情けない気持ちを一生引きずるよりいいと思いませんか。

僕思いましたもう逃げたくないです現場で死にます。

冒頭の増田さんにもどうか問いかけたい。

あなたの気持ちは痛いほどわかる。つらかろう死にたかろう俺もたまにまだ死にたくなるよ自分が情けなさすぎて。

ただし!

死ぬなら現場玉砕する方向で行きませんか。やって死のう。完全燃焼して死のう。恥かいて笑われても疲れきってやりきって死のう。

何歳からでも何をやるにも遅くないと信じろ。It's never too late. この素晴らしき世界でこのクソザコ人生を歩んだ俺は

世間的に見たら小さな自分から見たら大きな夢に向かって死ぬまで歩き続けるつもりでいる。

人と比べんな、俺らみたいな人生は人と比べたら至極当然に死にたくなるので、自分の考えた自分の道を歩まなければいけない。

正しい目標一生懸命コミットするしか道はない、もう後ろに道はないよ、前しかない後ろは崖左右も絶壁。

進むしかないだろ、部屋の中でゴニョゴニョ悩むのはもう十分やってお腹いっぱいだろ、歩き続けろ、

毎日ケンカすると思って世の中にでろ、殺し合いと思って世の中にでろ、挽回しろ巻き返せやり返せ殺し返せ

増田にしかない道を作れ、増田みたいなドロップアップ人生歩んだ奴らが目標となるような人になれああ俺はなるよ

歩き続けるやり続ける殺し合いに脊髄反射で応じ続けていつでも死ぬ気で対峙するよ、で結果も何とか出すよ。

なんの実績も経歴もない俺が言うのも恐縮だけどもう書いちゃったからこのまま額面通り受け止めてほしい。

おれもがんばるから増田さんもがんばれ。色々考えながらこれ書いてたらもう1時間経ったよ力作だよ俺からの遺書と思って受け取ってください。

(そして老婆心ながら具体的にアドバイスもさせて下さい。むかついたらカス寝言と思ってスルーしてください。

非正規雇用労働時間遵守で働きつつ空き時間資格勉強再開しろ経理の事務とかいってないで税理士事務所の敏腕営業マンぐらいは目指せ

稼げるから。税理士事務所会計系の専門学校に行けば求人が結構ある税理士事務所の合同説明会的なものがあるから専門学生のふりして

潜って行って面接受けたら前職がスタバの店員や資格浪人5年のNEETでも雇ってもらえるから何とか受かって前に歩き続けて下さい。

結局何をするにしても勉強するか経験するかしか社会階層駆け上がる道はないと思います。)

で俺はといえば今度歩けなくなったら潔く死にます。

長々とお付き合いくださってありがとうございました。

2008-11-30

じゃあ増田にだけ本当のこと書くけど

主に心理学とか、そういう人文科学大学で真面目にやってみたいとか思ってたけど、

自分希望に合った大学が一体どこなのか分からなかったし(多すぎるし、大学で差がある兼ね合いを考えすぎて混乱した)、

人間関係が怖かったし、一年浪人してもうまく勉強できなくて適当に受けた大学も全部滑ったから、

それで自分に失望して諦めちゃったんだけど。

つまんない願いだよな。

みんなそこそこ名前のある大学ぐらいには入ってるのに。

簡単と言い切る人だっている。なのに自分は・・・

それと同じぐらいしたかったのは東京に住みたいってこと。

田舎での生活もそれに住んでる人も方言も嫌だった。家族を含めて。最低だ自分

http://anond.hatelabo.jp/20081129221826

2008-11-28

奥井師の授業

奥井師はもうお亡くなりになっている。

浪人時代、私はあなたから多大な影響を受けました。

英語講師であるあなたは、英語というフィルターを通して、

学生たちに様々なものを見せてくれました。

その当時の思い出は今でも一番輝いています。

進学した大学に匹敵するほど、私は駿台を愛しています。

先生大学に期待してはならないと仰っていましたね。

そう言われても、目の前で講義されている、大学でも講義されている先生の姿を見て、

期待せずにはいられなかった。

確かに、大学に入っても先生のような心に訴えかけるような授業は少なかったです。

それ程、先生の授業は魅力的だった。

あの当時のアカデミック駿台が本当に懐かしい。

心から言える、いい時代だった。

先生はいつかこんなことを仰っていましたね。

日本人外国語を一つ履修しないと、現在僕らが使っている日本語も正確に使いこなせないような、

そういう文化条件、そういう歴史条件の中で、今、生きているのであり、

今後百年はそのようにして生きていくであろうということを、あらためてもう一度、頭に入れておいてもらいたいのです。」

今日仕事中に先生のこの言葉を思い出しました。

今の時代に先生はどのような印象を持たれているのでしょうか。

夏の日の午後、あの学生で溢れ返った教室で、先生講義をもう一度受けてみたい。

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081126201833

逆の意見と書いた増田です。

私立医学部微妙だと思いますが…。

実は

中学不登校田舎定時制(いわゆる問題児集める高校)→浪人国立(旧官立レベル)ってのが友人がいるので。

当然,中学勉強はまったくしてない。

高校も程度が低い定時制なので,まぁ,進学校には毛も及ばない。

高3で予備校行くまで行ったことなかったし,現役のセンター52%くらいだったらしい。

大学受験が初めて勉強したって感じだったよ。

なんせ勉強始めた初期は英語自動詞と他動詞意味すら知らなかった。

浪人したら意外と成績あがったみたい。

もちろん,元増田の友人の東大や旧帝に比べればダメダメだと思うけどね……

てか,うちの地元だと地元国立入れれば優秀って感じだったんだけどな??。

彼は地元国立より上の国立に入ったので,学歴的には優秀に見られた。

東大じゃないと優秀じゃないという価値観とかなら,俺の意見はちょっと合わないかもしれん…。

というわけで,さすがに東大クラスだと,小中と塾に行ってないとダメかも知れないけど。

小中と塾に行ってた人の何割が東大に行けるかと考えると,

塾に行ってる/行ってない以外の個人差要因(努力才能などなど)の方が東大入学には重要そうですが。

なんでコツコツやれるの?

毎日少しずつコツコツやれるのはなんで?って人に聞かれた。

答えは決まっている。そりゃそっちの方が楽だからだよ。それ以外ないよ。

少しだけならどんなことでもたいして苦痛は感じない。それを続けるだけでいいんだから楽。

っていうと「その続けるのが大変なんだよー」って言われたけど

続けないほうがあとあと大変になるんだよ。

学生の頃一夜漬けばっかしてて、毎回テストの前だけヒィヒィいっては一日では到底裁ききれない量に「もう無理だ…死ぬ…」とか泣きそうになりながら半徹でテストに臨んだりしていた、あの経験でもう身に染みたよ……

浪人してみて、びっくりした。たとえば一冊200ページのテキストにしたって、前みたいに一日や数日でなんとかしなければ!といってやると必然的にその一日分の量はすげー多くなるわけで、ノってる時は寧ろそれがよかったときもあったけど、ノらない時は本当もうだめだ死ぬ状態だった。常にノれるわけじゃない(というかノれない時の方が多い)から、大抵苦痛だった。でも浪人して、そうだ、別にもう数日でやらなくていいんだよな、とりあえず一ヶ月でこれを完成させるとなるとどうなるかな、と思って計算してみたら、一日で数問、時には一問とけばいいんだ!!って事に気付いた(遅い)。

ちょっと待ってwwwwそれテラ楽じゃねwwwwww今まで数日で無理矢理なんとか一冊終わらせる(それも何強かも並立させて)とかいう無茶ばっかやってた俺にとって「一ヶ月で一冊→一日2、3問でOK!」とかいうのはすげー楽に思えた。本来それが普通なんだけど。そこで「毎日コツコツってイメージだけでめんどくさそう、俺には無理、とか思ってたけどコツコツの方が楽じゃん!!」って気付いて今に至る。

本当数日で一気とか、精神的にキツいもん。コツコツの方が楽。一気にやった方がいいのは一気にやったりもするし、やっぱり一気で済むなら一気の方がいいから、精神的に余裕あってノッてるときはそうするときもあるけど、精神って自分が想定している以上に不安定且つ頼りないものだから、もう精神とかアテにすんのやめた。計画を立ててもダメになるのは、自分精神状態が一番いい状態のときのことを想定してるからダメなんだなぁ。そんなの毎日来るどころか一週間に一度来れば御の字よってなもんなのに。平均以下の精神状態を想定してたてると、(ちょっとこれは自分に甘すぎか?wとか余裕ぶって笑えるレベルくらいに設定しても)意外と実行するとそのくらいでやっとだったりする。マジ自分精神力アテになんねぇwwwwwww根性とか努力とかマジアテになんねぇwwwwwwもう自分の根性とか信用しないことにした。ノらないときでも勉強勉強じゃなくても、ランニングとかも)できる機械システムみたいなの強引にねじ込むのが俺的には大事だって気付いた。根性ある人には関係ないだろうけど(そういう人は尊敬するわマジで……すげーわ)。俺はダメだわ。無根拠に根性はあります!とか思ってたけど、所詮下痢するだけで萎える程度の精神力だから。雨が降った程度で走りに行くの萎える程度の精神力しかないから。それに気付いた。

そういう、機械システムねじ込むって意味じゃ、学生の頃の「塾」とか「予備校」ってのは、いいものだったんだな。俺は「金がもったいないぜ!俺は一人でできるぜ!」とか無駄に突っ張っていかなかったけど。でも今思うと母親が、「ペースメーカーになるってだけでも、予備校はいいものだから、いってきたら?」って言ってたんだよな。当時は「ペースメーカーくらいで予備校いくの嫌だ」とか思ってたけど、今思うと母はすげえいいこと言ってた。

年を取るにつれて、そういう「あ、あのとき先生の言ってたことはこういう意味だったのか……結構いいこと言われてたんじゃん俺……」って気付くことが多くなったな……「あの時素直に言うこと聞いてれば!」って思うこともないこたないけど、でもこれは在る意味必然なんだと思うから、あまり後悔はしない。結局若いときはそれを受け止めるだけの器が無かったんだから、「聞いてれば」なんつってもそれは土台無理な話だったのだと。過去を後悔しがちなときは近頃そう考える。後悔するということは、「過去自分は違う選択肢を採ることができたのに、とらなかった」と思っているってことだが、そもそも多分、そんな選択肢は、俺の当時の能力、器、そういった観点から考えれば「無かった」のだから、もうこれは仕方ないのだと。今分かっただけラッキーだぜ。

森博嗣が、「公務員試験学校に行く人は、何故行くのですか?自分勉強すればいいのではないですか?」というような質問を受けて、「そうしないと勉強できない人が行くんでしょうね」みたいな事をあっさり言ってたけど、多分あの人はそういう精神力が高いんだろうな。本を読んでるとあまりの自己管理能力機械的なまでに。てかあの人機械じゃね?)に驚く。本も今日は何ページ書くと決めて書くとか言ってるけどこれはさり気無く驚くべきことだよな。そして当人は「そうしたいのだからそうするまで」みたいなスタンスでいるけど、それはあんたが精神力ド高いだけだからwwwwwwwwともう逆に笑いたくなるね。あれは理系だからとかそういう問題じゃないね。精神力の問題だもん。俺も理系だけど、「効率的にするにはこうすればいい」とかさ「こうするべき」とかそういうことを考えるとこまではまあ確かに行くよ?理系多分そういうことは考えると思う。でもそれを実際実行に移せるか否かってなるともう理系とかそういう問題じゃなくなる。論理的に考えられるかどうかとセルフコントロールができるかってもう全然別のことだから。教授セクハラ問題とか起こして下半身制御できてねぇ時点でよくわかる。あれ別問題。あと人格も別問題。論理的に考えられるけど結局それだけ、行動は結局文系と同じ(理系文系の枠組み自体怪しいが)みたいな理系のなんと多いことかw俺もっすサーセンwwwww

って話がすげーズレたけど要はコツコツの方が楽なんだってマジでって話を人にした。

やっぱ年とるとアレだわ、人生観とか誰も聞いちゃいないのに話したくなる。オッサンの気持ち分かった。

「生きてきた」という経験からくる自負・自信みたいなものって結構重いね。

他人からすりゃ「つーか、お前一人の経験で語られても」って話なんだけど、自分経験ってやっぱ重いわ。こんなんそりゃ何十年も重なれば「俺の経験論って大体世の中の真理だと思うよ?」みたいな感覚になってくるわそりゃ。もうなってきそうで怖い。

書けてすっきりした、こんだけ人に語るとウザがられるから自重した分増田で書かせてもらったっすサーセンwwwwwww増田便利wwwww

2008-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20081126192455

元増田ね。

自分の周りの小学から中学と塾に通ってた友人たちは

中学から一貫校の進学校→現役で東大

高校から進学校→「高校から全然勉強してない」「浪人したら受かって当然」と言いつつ一浪で旧帝

中学から一貫校の進学校医学部東京の私大だけど)

と総じてのたまってるし、

そして自分田舎高校に行ってる人らは、自分を含めて、学歴に関してはごく一部を除いて振るわなかった様子だから、

そういう(自分にとっての)成功の始まりは、塾に行って、きちんと勉強するって土壌を培ってたことにあるのかな、って思ってしまう。

進学校に入るための供え置きとしてもね。

それと、自分高校時代は全く勉強しなくて理系教科は毎回赤点取るほどだったということを書き忘れてた。

理由は「主に大学に行くのに必要になる」とか、そういう未来のことを何も考えてなかったから。

今になってわかる塾の重要

自分小学生から高校まで学習塾に行ったことがない。浪人したときに予備校には行った。

小学生の頃は、友達が行ってたのを横目から見てたりしたんだけど、時間が束縛されるし、興味が沸かなかったしで、

親から「塾に入れ」と言われることも特になかった。

その反面、中学生の頃進研ゼミ自分からやると言い出しといて、

特に勉強好み始めたこともやるようになったこともなく、赤ペン先生に送ったのは1回ポッキリで、

結局末期は封も開けずに放置していた期間があったことを思い出した。

高校受験になったらその教材使ってわりと真面目に勉強はして、なんとか田舎の公立には入ったんだけど。

その当時は自分の住んでる市以外に中学高校受験をしに行く人のことが理解できなかった。

都市部に住みたいなら大学に行けばいいじゃない、って思ってた(この認識自分にとっても誤りだったことは高校で気づくけど)。

でも、ちょっと年食った今なら分かる。ちゃんと子供の頃から未来を見据えて備えてたって話だった。

昔は視野が狭かったからそういう世界が見えなかったし、見せてももらえなかった。

中には田舎で苛められてたから、そこから逃げ出したのはいいけど、

その高校でも田舎モノであることで苛められる目にあった同級生もいるらしい。かわいそうだ。

本当は自分もその子と同じ境遇にあったんだけど、鈍感だった。

自分立ち位置をもっと自覚しておけばよかった、とか、

今からでは小学生中学生の頃から備えを持っていた彼らに一生、勝てるとは言わない、敵うことはできないのか、とか、

一足飛びしようと思ってた自分は思ってたよりバカだったし、その考えもバカだった、とか、

そんな風に、もっとあのときやっておけば・・・なんて思ったりもしないこともないけど、

結局はそういう過去が今の自分を作って、今まで続いて、未来自分も形成するんだなあと思った。なんか悔しい。

2008-11-23

パソコン子育て

見てみたら日記をつけてから今日で2000日目だった。ちょっと振り返ってみることにする。

ちなみにパソコンは全然詳しくない。

親がパソコン好きだったので、小さい頃からネット環境があっただけ。

Netscapeが好きで使ってたけど、Internet Explorerが出たときの衝撃は今でも覚えてる。

とにかく軽くて、スタイリッシュな感じ。今はもう太っちゃって当時の面影はないな。

確かOSはwin98だったかな。

そのあとMeのマシンを買ってもらって、それで随分遊んでた気がする。

Meも大事な友人の一人と言っていいくらいの時間を一緒に過ごした。

よく顔を真っ青にしたり、起きたと思ったら顔面真っ白で驚いた顔したりしてたっけな。

出来の悪い子だったと思うけど、いまでもMeって言葉を聞くと顔が自然とにやけてしまう。

Meは自分の成長を犠牲にしたかわりに、人を育てる能力に長けていたんじゃないかと思う。

侍魂見て爆笑したり、MXチャットで色んな奴と話したり、メッセで知り合った人とボード行ったりもした。

ダイヤルQ2に引っかかって10万も請求きたりして親にこっぴどく叱られたこともあったな。

この頃知り合った人は今でもたまに連絡取ったりして関係が続いてる。

なんかあったかい時代だったなと思う。

実家回線ADSLから光になって、ちょうどその頃実家を出た。

1年浪人して、大学入って研究漬けの毎日。

よくほっかほか亭で塩カルビ丼喰いながら夜通しくだらない話してたっけな。

塩カルビ丼が終売になったときはみんなで抗議しにいったっけ。

終売になってからも冗談で「おばちゃん塩カルビ」って言ったら本当に出てきたりして。

あのおばちゃんまだ働いてるのかな、元気でいてほしいなぁ。

あとはゼミさぼってみんなで雀荘行ったことが先生にばれて、バケツ持たされて立たされて。

「叱り方が昭和だよな」とか言いながら笑ってた。

院に行くのに必要なTOEIC受け忘れて、1年研究生として研究室勤務になったこともある。

バイトしながら学費稼いで、4年の研究の面倒見つつ麻雀して研究して。

学会もこの頃からお世話になるようになったんだな。

国際学会のときの原稿全部Excite翻訳にしてこっぴどく怒られて、

後輩に全部手直ししてもらって発表したのはいい思い出だ。

この頃になると昔ほどネットにいることは減ったけど、休みには必ずネットはしてたな。

ブラウザFirefoxにして。

拡張機能とかで色々とカスタマイズ出来て本当に便利な時代になったもんだと思う。

LDRize、Minibuffer、AutoPagerizeとか一回使うと離れられなくなるな。

あとTomblooっていうのが最近のお気に入り。

RejawTumblrDeliciousに飛ばしてるけど情報収集するのに最適だな。

ネットも変わるもんだ。

Rejawは昔から知ってる奴が結構いいよっていってたから使ってるんだけど、

検索機能も充実してていいね。

なんか顔なじみの奴が結構Rejawにいて驚いたけど、あんまりメジャなものではないのかな。

そいつは、はてなとかガキしかいないじゃんとか言ってたけど、ガキで何が悪いんだって話。

ガキ最高、ガキ上等。

まー、ちんたらとここまで振り返ってみたけど、とにかく懐かしいな。

就職して、結婚して、今は普通リーマン2年生。

休み普通に取れるし、給料普通

来週には俺もパパだ。

幸せ家族計画への第一歩ってやつだ。

今はとにかく嫁も子供も無事に産まれてくれればそれでいい。

パソコン使えるまでは俺と嫁と爺さん婆さんでしっかり育ててやる。

パソコンが使えるようになったらMeにバトンタッチだけどな。

2008-11-21

もちろん、幼稚園の頃から浮いてた。

僕はよくピアノの裏に隠れて、先生に怒られてた。

小学校では遊戯王についていけなくなったころから、友達がいないことに気付いた。

僕はよくあるパターンとは違って、中学校のときは運動がよくできた。

オタ趣味に走る代わりに、毎日3キロ走ってた。

そのおかげで運動に関しては学年ではずっとトップクラス

スクールカーストでは上の方にいられたけど、紙に図で表したら、一人紙の左上端のほうにいたんじゃないかと思う。

いじめなんかとは縁がなかったけど、卑屈さが滲みだしてきた。

高校入ってから、周りのレベルも高くなって、だんだんそういう生活に耐えられなくなった。

そんでかわりにアイドルオタになった。

そのときは人間関係なんか問題じゃなかった。

僕と彼女アイドル)しか、眼中にはなかったから。

でも次第に、彼女は有名になっていき、僕の手から離れていってしまった!

少ない小遣いにバイト代、全部彼女につぎ込んでたのに!

彼女を失った喪失感は大きくて、受験なんか手につかなかった。

ただでさえアイドル追うのに忙しい高校生活だったのに。

結局浪人

その間、ニコニコ動画なるものが出てきて、僕はアニメを見るようになった。

アイドルという信仰対象をなくした僕は、2次元にそれを求めた。

でもかつてのように全財産消費したりして、本気になれることはなかった。

なんとなく、虚しいから、アニメを消費し、ラノベを読んで。

そんなヌルオタ状態は今も続いてる。

なんとか大学合格するものの、入るところを間違えた。

どこを見てもリア充かいない。

友達なんかいない。飯を食う場所もない。とにかく居場所がない。

楽しそうなリア充が僕をチクチク攻撃してきた。

大学ってのはなんでこんなに劣等感を刺激される場所なんだろう。

わかってても、そんな感覚に耐えられなかったから、

どうすれば平穏に過ごせるのか、どうすれば改善できるのかって考えて、だんだん考えるのがやめられなくなった。

さらに、ネットがそれに拍車をかけた。

だってさ、似たようなこと考えてる人間がたくさんいるじゃない。

ネットに、絶対解決策があると思った。

ネット中毒になった。

はじめはokwaveとか知恵袋とかで、どうしたら友達ができるか検索してた。

積極的に話しかけろとか、甘ったれたこと言ってないで勉強しろとか、そんなことばっかり書いてあった。

努力してないみたいに言われて、ディスプレイ殴りたくなるくらい腹が立った。

確かに図星なんだけど、それで解決するとは思えなかった。

そのうち「非コミュ」「非モテ」なんていう言葉を見つけた。

なんだか僕の核心に迫る言葉に見えた。

このことがたくさん書いてあったのがこのへん。はてな近辺。

むさぼるように読んで、考えて。

気がついたらノイローゼっぽくなってた。

よくわかんないけど苦しくて、学校をさぼるようになった。

なかなか見つからない解決策があるんじゃないかと思って、思い切って心療内科にかかった。

医者適当に軽症うつですねとか言って、薬をくれた。

何の解決にもならなかった。

そのときは死んでもいい気分だったから、もらった薬を一気に飲んだ。

死ぬわけがないのはわかってたんで。

当たり前のように胃がもたれただけだった。

そんな生活が続けられるほど僕の精神は強くなかったから、ある日の夜中、破綻した。

また自分非コミュっぷりについて考えなければならない、もうこれ以上考えたら本当に死んでしまうと思った。

で、パニックになって、近隣の迷惑になるくらい泣き叫んだ。

それでその気狂いっぷりが親にばれてしまい、そのときは大学に行きたくなかったので、とりあえず休学することにした。

留年決定。今に至る。

まあ非コミュに踊らされて留年した人がここにいますよということです。

自分語りしたくてしかたない人です。

親との関係だとかトラウマだとか、そういう過去のこと洗い出して、分析してもしょうがないのかなと。

非コミュ非コミュであるしかないんじゃないかなと。

諦めて受け入れるのが一番なんじゃないかと今は思います。

非コミュ論を見るたびに、どうにかしたい、どうにかしなきゃって思うんですけど、たぶん解決策はネットにはないし。

僕みたいに極端に留年とかしなくても、似たような人って結構多いんじゃないでしょうか。どうなんでしょう。

地味ーな学生として普通卒業したいので、ヌルオタからもはてなからも離れて、諦観の境地に至りたいです。

2008-11-10

今まで本気出したことなかったけどやっと出すかも。

今までの人生、つっても全然短いけど(今大学二年)本気なんて出したことなかった。

何もかもちょろっとやっただけで楽勝だったし、高望みもしてなかったしな。

はっきり言って何かに頑張って本気出してる人を見下していた。

小学生の頃から、例えば塾に行くようなガリ勉は「要領の悪いやつ」って思って

俺は兄貴の部屋にあった受験テクニックの本(選択肢の削り方とか)やカンニングでやってた。

中学受験する奴なんて悲惨だなって思う。そんなに勉強して高い金払って本当にそんなに差がつくの?ってな。

週休2日が当たり前になって、ああ社会制度も俺に味方してるな、本気出すなんて馬鹿らしいよ。

中学テストでも一夜漬けで平均点+5ぐらいは取れてたから「なんだ簡単じゃん」。何十時間勉強するなんて馬鹿らしい。

学校サボッて遊びまくってたら校長に呼び出されて「ちゃんと来なさい」と言われた。

俺は次の日から昼休みになったら行くようにした。そうすればただの遅刻

高校は家から一番近い都立にして勉強せずに受かった。

高校ではバイトしてる奴を馬鹿にしてた。映画ゲーム漫画もタダで手に入るじゃん。何にお金使うの?

あと自販機ジュース買う奴。理解できなかった。無駄遣いの極致だな。

大検って制度があることを知って高校はやめた。なんか親に予備校を進められたけど、

実際に過去問を開いてみると中学生レベルで笑った。

世界史だけちょっとやった。それでもメモ用紙一枚に覚えたい単語を並べて、受験会場に行く電車の中で眺めてただけ。

もちろん受かった。大学受験はさすがに勉強しなきゃな、とは思ったけど、まぁ一年くらい浪人するかと遊んでた。

そんで現役時にある作戦を試してみた。たくさん受験してみるけど全部他人のカンニングで乗り切るっていう。

中には一つくらい合格点行く奴のをカンニングできんじゃね?っていう。そしたらそれで受かった。流石に震えた。「人生簡単すぎる」。

時流も俺を味方していた。就職も売り手市場で楽勝だぞ、と。勉強も楽勝で就職も楽勝でゆとり世代って丸儲けだぜ。

先輩で内定消された人も出てて大慌て。僕が活動始める(もうすぐだけど)時は完全に氷河期らしいです。

あと奨学金は踏み倒せないらしい。バイト面接受けたら落ちました。うーん、今までみたいに何とかならないかな?

2008-11-01

努力が足りない。

天才なんて神が遣わした天上人のことなんてどうでもいい。

いい中学高校に行って現役で7大国立大学とかいい大学に行っていい会社就職する。

話が上手い。語彙が多い。視点が鋭い。絵が描ける(上手い)。楽器が弾ける。スポーツができる。ゲームが上手い。

その他、自分が欲しくても持っていないものを、周りの人は、例えば現実世界でもインターネット界隈でも、

例えば2ちゃんねるでもここ増田でもその他もろもろ、全てとは言わない、持っていることが多い。

しかしそういう人は得てしてそれを謙遜に構える。

なぜそんなに能力が高いのに謙虚にしていられるのか。

なぜ客観的に異能と言える能力を当然だと言い切ってしまうのか。

それまでの努力の数を知っているからだ。俺はそれで納得がつく。

努力意識しているかは知らないが、そういう人間は確実に努力している。

京大に現役で入った友人は小学生の頃からちゃんと勉強していた。

俺はどうだ。努力もせずに、100点取ろうが30点取ろうが、

部活でとんでもなく下手だろうが、全て「どうでもいい」に似た感情で片付けていた。

皆が有意義に使ったお金を、俺は全部賽銭箱に放り込んで祈っていただけだ。

今から努力するか。努力はできるが、無理だ。

今から東大京大を行こうと思っても、それは2010年になっても行けるわけがない。十年はさらに浪人を重ねる必要があるだろう。

今から「蠍火」は弾けるようになるかもしれないが、「幻想即興曲」を弾こうなど無謀の極みだ。

俺がいくら今から頑張ろうと、皆から7000日も開いた努力の差を埋めることなんてできない。

俺は一生誰にも追いつけない。でもそのことを卑屈にも口に出して羨望なんかしてはいけない。

その人にも、その人のしてきた努力にも失礼だからだ。

俺は努力(と才能)の埋めがたい差を妬きながら無様に噛り付くように生きるしかない。

そのはずなのに、それを俺は、ちょうど一年前は、365日で穴埋めしてやろうと意気込んでいやがった。

卑怯にも努力に報いずに横から掠め取ろうとしてやがった。

馬鹿者だ。死ねばいい。

死にたい

今まで努力による苦痛を感じなかった分うんと苦しんで死ぬしかない。

できない。

自ら命を絶つ勇気が無い。

自殺できる人たちは、生きることに一生懸命向き合ってきたからこそ

それと表裏一体の死ぬということに臆さない勇気を持っていた。

俺にはその勇気がない。

じゃあどうすればいい。

まず眠りたい。

こんな朝にも近いクソ真夜中にちゃんと眠れないからこんなことを考えてしまう。

眠りたい。

眠った後はそんな嫌な気分もどこかに吹き飛んでしまうだろう。

いつかは眠るように死にたい

そう思いながら俺は生きて今日も恥を晒す。

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027191252

自分→大学くらい理系に行かないと一生興味持たないだろうし。

文系にしておけばよかった。理系文系高校二年の時偏差値が20違ったのに

浪人してまで理系を選んだ自分はその頃から人生捨ててたと思う。

就職活動が上手くいったし、忙しかったけど変な奴多かったし、今はいい思い出。

逃げること

自分の悪い面で、いつも目を逸らしていた

好きなことは、とことんするけど

嫌いなこと、めんどくさいことからは、ずっと逃げてきた

高校受験の時、私立が受かって公立の勉強から逃げて落ちた

大学受験の時、勉強がめんどくさくなって受験から逃げた

行きたいと思っていた大学に行くには浪人の道もあったけど、たまたま受かった大学に、逃げた

大学4回の時、行きたかった研究室に行けたのに想像していたことと違う卒研をするのが嫌になって逃げた、逃げた、逃げた

3留するのが、いやになって内定していた会社短大卒という体で入社

金曜日飲み会で、上司説教された

「ずっと逃げているのか?、それでいいのか?」

本気になって怒ってくれた、泣きたくなったけど泣いちゃダメ

自分のこと、ちゃんと怒ってくれるって嬉しかった。

今度はもう逃げない。

逃げそうになっても、助けてくれる人がいるから、叱ってくれる人がいるから

だから、逃げない。

今度は大丈夫だから

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