すると、知人がこんなことをいう。
勿論、おれのやってることが押し付けがましいというか、傲慢な行為だとは思う。
でも、とてもじゃないが「自分で選んだ人生じゃん」なんていえない。
誰かも彼もが自分の思い通りの選択肢を選べるわけじゃない。能力や環境による制限がいつでも付き纏う。
それだけじゃない。そもそもその選択肢があることに気づけないことだって多々ある。
その場合、その選択肢をもっていなかったことになるのかっていうと、おれはうは思わない。
だってそこには、屹然として"そうでありえた世界"が存在するのだから。
あまりにも、人生は遇有性に満ち溢れている。
おれだって今はまぁ人並み以上に恵まれてるとは思う。
でも、もっと幸せになれる道だって当然あったわけだ。
浪人しなかった道や、わけわからん病気にならん道だってあったわけだ。
それをとてもじゃないけど、「自分で選んだ道だから」なんていえない。
他人に関してだってそうだ。
そりゃ、他人の人生悔やんだってしょうがないのは分かってるよ。
でも、もし、おれが、誰かが、一言声掛けてやれたら変わったんじゃないかなと考えるとなんだかやりきれなくなってくる。
ましてや、それが家族や友人や好きな人であったらなおさら。
直接的に自分が関わってしまった時はもっと厄介だ。
あの時もう少し気持ちを考えてやれば、あいつはあんなことにならずに済んで、その結果ああはならなかったのでは、と。
の行動の後の後の後々々まで延々と、全て自分の責任になっちまう。
人生にクリティカルに影響する瞬間ってのは間違いなくあって、そこでやらかしちまうともう一生悩み続けることになるわけだ。
「自分でそれが幸せだと考えて選んだんだからそれでいいじゃない。」
そりゃそうなんだ。そうなんだけれども。おれが自分のエゴを押しつけてるだけだってのも分かるよ。
幸せの基準なんてもんは人それぞれだってのも理解しちゃいる。勿論その通りだと思う。
でも口でそうは言ったって"誰しも共通の幸せ"ってのは確実に存在しているわけだ。
それを失わせちまった責任は過去にでも戻れない限り永遠に取れないわけだ。
例え、そいつが幸せになろうとも、
『もしお前があの時、ああしなかったらもっと早く、あるいはもっとたくさんの幸せを手に入れていたのだよ』
と、責め立てられる。どうしろってんだ。
要は自分でもまとまってないことを書き殴ってみただけ。
自覚症状がある分タチが悪い。
俺は「自分で選んだ人生じゃん」と言うタイプの人間だけど、 それは勝手に人の人生を悔やむなんてその人にとても失礼なことだと思うから。 増田が知っていることが全てじゃないし、 ...