はてなキーワード: 回復運転とは
17時現在になっても影響が残ってる。
これがわからん。
早い時は2時間くらいで「事故なんかありませんでしたがなにか?」
みたいにダイヤは完全に元通りになってる。
今日となにが違うんだ?
いつもなら適度に運休にしてしまって後の列車番号に振り替えて見た目のダイヤ回復を優先するのが
今日はそれをやってない、みたいな。
推理してみた。
23日は勤労感謝の日
中2日の平日、ダイヤ回復の天才スジ屋が休暇か組合活動で休んでたとか?
中央指令所は素人だけでてんやわんや、みたいの想像したら笑えた。
走り方がいつもと違って気合が入ってるように感じる。
昼前に新快速に乗っていたがGPSで速度を測ると130km/h、ちょい超え
規定通りではあるのだが嬉しくなる。
ここ普段はもうちょっと速度落としてなかったっけ、みたいな。うふふ
でも頑張ったところで前がつかえてるので駅の手前で徐行になっちゃう。
なんだか嬉しくなる。
皆さん早く寝かせるようにと言うけれど、全てはバランスの問題だと思っている。
私はかつて9時台に寝かせようと躍起になっていたこともあったけれど、家庭不和と児童虐待をして、子供の自主性を壊してまで達成する目標ではないと思ったので、やめた。特に、目標を達成するのが絶対となってしまって、回復運転をしようとすると、子供を無理矢理動かすことになるので、それこそ子供の成長にはマイナスだと思っている。
歩く、手洗いをする、食事をする、後片付けをする、体を洗う、体を拭く、服を着る、歯を磨く、どれもある時になったら子供が自分からやってみたくなるものだ。9時台に寝かせることに躍起になっていた頃、それを子供がすることを許せなかった。子供にやらせるとどれも時間がかかる。親がやった方が圧倒的に早いし、失敗した場合の対応も要らない。ただ、その緊急対応が続けば、子供は自分でやる必要が無いので、上達しないし、自主性も失われてしまう。子供がやりたがった時に黙らせて親がやると力でねじ伏せる感じになってしまうので、子供にとって家は自分を認めてくれる親が居る安らぎの場所ではなくいつも怒っている大人が無理矢理何かをする怖い場所になってしまう。
生きる力がある人たちは、そんなことは無理だといい、知恵を絞る。周囲の力を借り、経済力を使い、公的支援を使い、自分の願いを実現する。だが、力の乏しい人たちは、周囲を動かすことができず、唯一思い通りになるわが子を痛めつけ、自滅する。
人に何かをお願いをすることはできても、強要することはできない。その人にはその人なりの理由や優先順位があり、他人がそれをとやかく言えるものでは無い。子供の接し方でもそうだし、大人の接し方でもそう。
ルポライターの鈴木 大介さんの書かれた記事で、「相手にお願いしてやってもらっている家事は相手にとって無意味な家事で、自分が必要だと思っている家事をやってもらっているんだから、お願いしている立場は文句を言うな」というようなことが書いてあって、なるほどと思った。子育ての様々な制約もそういうものなんだと思う。