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オナニーに失敗した大人の怨恨は凄まじい
暴力で何が何でも自分の意見を押し通そうとする。凶悪犯同然だ。あんな人間が生きていていいのかどうか。恐ろしい。ましてやあんな人間が人の親であることが許されるのか。オナニーに成功した健全な親を持つ子とそうでない子では福祉に著しい差が出るに違いないが、こんな偶然の事情で子供の福祉が左右されていいのか。オナニーに失敗した大人は社会から隔離しろ。
行政や金持ちの大家の世話になるのが癪だから市営住宅やアパートではなくローンを組んでもマイホームを持とうとして建築業者や不動産屋の餌食になる低脳の何と多いことか。法律というのはオナニーしようとする馬鹿な若者を食い物にするようにうまく作られているのに。田舎の若者の自殺原因はオナニーの失敗にある。結局オナニーに成功してニンマリできるのは高学歴だけで、低学歴はイケメンだろうが美女だろうがオナニーに失敗して屈辱と自殺の地獄人生を歩むことになる。もちろんここでいうオナニーというのは優越感の発露とかそういうことだ。
オナニーに失敗した大人の怨恨は凄まじい
暴力で何が何でも自分の意見を押し通そうとする。凶悪犯同然だ。あんな人間が生きていていいのかどうか。恐ろしい。ましてやあんな人間が人の親であることが許されるのか。オナニーに成功した健全な親を持つ子とそうでない子では福祉に著しい差が出るに違いないが、こんな偶然の事情で子供の福祉が左右されていいのか。オナニーに失敗した大人は社会から隔離しろ。
行政や金持ちの大家の世話になるのが癪だから市営住宅やアパートではなくローンを組んでもマイホームを持とうとして建築業者や不動産屋の餌食になる低脳の何と多いことか。法律というのはオナニーしようとする馬鹿な若者を食い物にするようにうまく作られているのに。田舎の若者の自殺原因はオナニーの失敗にある。結局オナニーに成功してニンマリできるのは高学歴だけで、低学歴はイケメンだろうが美女だろうがオナニーに失敗して屈辱と自殺の地獄人生を歩むことになる。もちろんここでいうオナニーというのは優越感の発露とかそういうことだ。
4月から約一月、毎日8時間前後歩いたが結果は出なかった。そしてGW最終日、7連勤の最後の日にめまいで倒れ、休日だということもあり病院が探せず救急車のお世話になることになった。流石に辞めた。やってられない、本当にそう思った。
それから5月の間中次の働き先を探していたが、やっぱり見つからない。26歳、女、1ヶ月間のリフォーム営業のみの職歴しかない。どこも書類で落ちた。しかし5月の末頃、辞めたリフォーム会社の社長から電話が来た。「君が回っていた地区を他の担当が回っているが、地域の方が君のことを覚えてくれている。君が真面目にやっていてくれたことはよく分かった。もう一度、がんばってみないか?」一日考えたが、結局その話に飛びついてしまった。
まだ一週間もたっていないが正直、また後悔している。
訪問先で世間話も含めお話が出来ることは確かにある。そういうときは契約の如何に関わらず楽しいし嬉しい。しかし、やはり契約にならないと突き上げが来る。
最初に断られても粘る。粘れともちろん言われる。その結果訪問先の方に嫌な思いをさせてしまう。訪問の時点で邪魔者なのに。その上大事な家についてどこが痛んでるなど失礼なことを言う。怒るのは当たり前だ。しかし、それは怒らせる話し方をする私が悪いのだ。単純な事実。全くもってその通り。
しかし最初から話を聞いてくださる方だけ相手にしても数字は上がらない。それは4月の時点でわかっている。
そして嫌がられる粘り方をしても数字は上がらない。それは考えるまでもないことだ。だから、もっと考えなければならない。
しかし嫌だ。何が嫌かというと自分が嫌な人間になるのが嫌だ。丁寧に誠実にやっているつもりでも嫌がられるのは当たり前だし、焦りや疲れや未熟さなどから本当に失礼なことをしてしまうことも多々ある。
本当に、もっと考えれば良かった。
昨日泣きながら考えて、ふと気づいてしまった。私は、自分の幸せがなにかについて真剣に考えたことがないことに。
毎日歩いて目にする、マイホームを持って天に恥じることなく幸せそうにしている人たちを見て、この方々と自分との差はなんなのだろうと思っても答えは出なかった。けれども気づいた。
私は幸せのために生きてきたのではなく、楽な方へ逃げて逃げて流されるがまま生きてきて、だから今の自分がいるのだと。
そう思ってしまったら、安易に仕事を辞めることも、このまま続けることも選べなくなってしまった。
でもこれから出勤だ。もう支度をしないと間に合わない。
いってきます。
20代の、長男であり、あたまのわるい私は時代の変化に適応出来そうも無い。
だから、まだ高校生にもなりたてで、ネットでろくに情報収集もできない私より馬鹿な(こんな時代で大学にも入れないだろう程の)弟にすべてを託してみようと思う。弟なら、今から挽回することはできる。有名私大文学部で留年してまで就職に失敗し、落ちゆく私に未来はないだろう。だからこそ、弟に希望を見て欲しい。
私はもう英語も中国語も頭に入ってこない。おそらく精神を病んでいる。ただ黙って天井を眺めていることに安らぎを覚える。この無為な時間を、弟に注ぐのだ。教育するつもりなど無い。気づいてくれるまで、たまに対話するだけの簡単な作業だ。
私は近くホームレスになる。と言っても、まだ親の資産があるから大丈夫だ。ただ、私が10年も居れば親の介護費用すら無くなるだろう。だから私は5年も待たずに家を出なければならない。それまでに貯めた資産の総量が、私のその後の人生を決める値となるわけだ。そしてその額など高が知れたもので、ホームレスになるしか道はないはずだ。
今は別居しているが、あの環境では弟はろくな人間になれない。いや、良く躾けられているので親に従順すぎると言えばいいか。ろくな人間が躾が行き届いているといえば変に聞こえる人もいるだろうが、どうせその価値観はすぐに潰える。少なくとも、今後の人生で躾などというものは化粧ほどの意味もない。無用の長物なのだ。
とにかく、私は一度マイホームに戻る必要がある。
弟には人生の自由度を増やす必要がある。気付きのない人間にだけはなってはいけない。おそらく弟も今から外国語の習得など難しいだろう。国内でのサバイバルに耐えられるだけの体力があるだろうか。いや、ないだろう。彼は親にも、私にも、そしておそらく他人にさえも、優しく、素直だった。自分でいうのも何だが、良く私の真似をした。こんな末路まで真似をされては困る。兄より強い弟になってもらわなくては困る。兄の、親の死を超えられるだけの強靭な精神がなければ困る。祖父の死で号泣してしまうような、おりこうすぎる人間になっては、困る。
私自身は、生きる気力もなくなりつつある。ホームレスになってからは地べたに這いつくばってでも、日本の終焉に立会うことすらできないかもしれない。
最近よく自ら望む死を想像しては我に返ることを繰り返すが、家を出た直後に駅で死ぬかもしれない。
とにかく、私の人生自体はもう先がない。
私は、大阪ー東京間を頻繁に移動する大阪出身者だ。そんな私も、東京と大阪には都会と地方を実感する。
都会でないところと東京を行き来している方の格差感ってのは本当にどんなもんなんだろうな、と私も頻繁に感じる。
偏見を恐れずに言うと、東京の大きさに一番驚いているのは実は大阪府民なのである。
特に大阪のターミナル駅などから20分圏内の都会出身者、と言った方がいいだろう。
そもそも、田舎から出てきてる人というのは、あらかじめ東京を想像して東京に出てくる(人が多いのではないだろうか。)
高い建物、たくさんの人。自分たちには想像のできないぐらい都会なんだろうと想像してから上京する。
自分たちが見たこともない規模の高層ビルや雑踏も、すべては想定内なのである。
大阪出身者にとって、”東京とは大阪より少しばかりでかいもの”程度の想像で東京に来るのである。
しかしながら、去年の4月から実際に住み始めてみて、こんなに東京と大阪は違うものかと実感させられることの、なんと多いこと多いこと。
大阪の実家が、環状線沿線に住んでいた私は大阪でも常に自転車で移動していた。
東京でも杉並区に住んでいる。東京に来てからも都心の移動はなるべく自転車で移動するようにしている。
特に地下鉄では、乗った駅と降りた駅でしか、街の様子を感じ取ることはできない。
すなわち、私は東京を、点でしか捉えていなかったのである。
実際に東京に住み始め、自転車に乗り始めると、これが点から線に変わる。
駅間の連続性を自転車の移動から感じ取ることができるようになるのである。
点ではない。
”点”で考えると、梅田や難波は東京でも大きな街の部類に入るだろう。
だから、私にとって、観光した際に感じた新宿や池袋の人の多さや街の大きさは想定圏内だったと言える。
東京駅から見える丸の内の景色も、まあビルが高いなー程度だった。
繰り返す。
特に東京駅、新橋駅などを中心としたいわいる都心と言われているエリア、
また新宿や池袋、渋谷を中心とした副都心と言われているエリア。
ここらの密集度が違うのである。
それは駅前だけではない。
もちろん、「東京はずーっと都会です。しかし大阪で栄えているのは都心でも駅前だけです。」
なんてことを言いたいわけではない。
とくに梅田や堂島、中之島から本町といった大阪の都心部は高層ビルが立ち並ぶ。
何度も繰り返すが、その濃度が違うのである。
駅間の街のエネルギーが違うのである。
それは簡単にいうと、街と街の間の人の多さであったり、お金をかけられてそうなビルの高さや数であったり、走ってる車の多さであったりする。
新宿や渋谷の”間”のエネルギッシュさに驚嘆するのが大阪人なのである。
また、ひとつひとつの街の中心部の大きさでは驚くことは少なくてとも、街が広範に連続性を保っていることに驚く。
例えば、中野、高円寺や吉祥寺、下北沢と言った都心から離れたエリアにまで文化性を持った街があり、そこに若者が集まっていること。
これは(人が集まりそこにも文化が栄える)都市としての範囲が山手線の内側だけにとどまっていないことを証明する。
そして大阪を支えるものたちは大阪の郊外や京都神戸で学び、社会人となってから大阪の都心部を支える。
つまり、大学とは郊外にあるものだ、というステレオタイプを持った大阪人から見ると、
東京には東大や早稲田や慶応をはじめ、エリートが集まる大学が都心部にも大きな面積を有してそびえ立っている。
これらの若者のパワーも東京のパワーの源としての連続性を保つことに役立っていることは間違いない。
ここで断言する。
”1番”になることでしか幸せになれないという人以外は大阪にいる方がしあわせになる可能性が高いのかもしれない。
大阪なら異常とも言える通勤ラッシュに巻き込まれることもなく、都心のそばに住むことができて、余暇の時間を増やすことができる。
なにも不便を感じることはないだろう。
だいたいのブランドが大阪に出店しているし、欲しい本が買えないということも少ないだろう。
都心に近い部分に住みやすいため、すぐに都心に出て好きな本を買い、そしてすぐに帰ることができる。
上場企業なら本社が東京にあろうが大阪にあろうが給料は業績次第であろう。
同じ6000万円のマイホームなら、東京よりも大阪に立てた方が、より広く、より都心に近く、よりリッチ差を味わえることは間違いない。
なら私はなぜ東京に?
大阪出身というだけで、よく聞かれるのは上京した理由である。
私は、東京がどんなものか、知りたかったのである。
それが一体どのぐらいの規模なのか。どんな人が集まっているのか。どんな文化を有するのか。
それについての理解を納得させ次第、大阪に帰ろうかな、なんて思っている。
一級建築士事務所 所在地 : 神奈川県横浜市 所属団体 : 社団法人 神奈川県建築士事務所協会、 横浜市建築事務所協会 登録資格 : 応急危険度判定士、 耐震診断士、 県建築物調査・鑑定業務事務所、個人情報取扱業務登録 仕事分野 : 建築意匠(企画・設計・監理)、 宅地造成 及 開発計画、 調査鑑定 など 得意用途 : 住宅、 共同住宅、 幼稚園、 店舗 など 姿 勢 : " 今、必要なのは専門家です。 誰でも家はつくれますが、 誰にも家は造れません。21世紀をリードする楽しい住まいづくりをします。 " 相談無料。 HP : http://homepage2.nifty.com/kamakurakentiku/# vironviron 2010/01/27 18:04 キーワードの宣伝利用は規約違反
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* 鎌倉建築設計事務所@20100201150209 (2010/02/01 15:02:09)tkamakuratkamakura change category to 一般 CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100201143622 (2010/02/01 14:36:22)tkamakuratkamakura 0a1 CommentsAdd Star
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* 鎌倉建築設計事務所@20100128104858 (2010/01/28 10:48:58)tkamakuratkamakura 1,2c1 CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100127180401 (2010/01/27 18:04:01)vironviron change category to 削除予定キーワード CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100126112008 (2010/01/26 11:20:08)tkamakuratkamakura 5a6,8 CommentsAdd Star
* 鎌倉建築設計事務所@20100126111256 (2010/01/26 11:12:56)tkamakuratkamakura appendCommentsAdd Star
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“マイホームを建てる!”一生に何度もあることではありません。 「こんなはずでは・・・」「こうしておけば良かった・・・」という事がないようにしたいものです。 一級建築士として多くの住宅を設計してきた経験から、失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いたブログ「住宅設計のアドバイス」 : http://housefine.blogspot.com/
失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いた一級建築士のブログ。 URL : http://housefine.blogspot.com/
住んでいるところ 横浜市
建築設計事務所リンク * 株式会社 鎌倉建築設計事務所
都心を離れ、豊かな自然環境に恵まれた郊外に一戸建てのマイホームを建てた四郎は、
役所の広報誌を見て愕然とした。我が家の数十メートル先の森林を伐採し、
ゴミ処理場を建設する計画が持ち上がっているというのである。家族のために無理をして
30年ローンを組んで、やっと購入した我が家である。こんな事があってよいものか。
(中略)
やがて、建設反対のための署名集めが始まった。ところが、中には反対運動に対して冷ややかな
態度を示す住民もいて、四郎は困惑する。ある日、一人の地元の若者が面と向かって四郎に
こう言った。「あなただって、ゴミを出しているじゃないか。それなのにゴミ処理施設に反対
するのは、住民エゴ以外の何物でもない」
「住民エゴ」。この言葉は、四郎にとってはショックだった。確かに、
近隣に福祉関連施設が建設される事に反対の意向を示す住民運動の事例に対し、四郎も釈然と
しないものを感じた。だが、ゴミ処理施設の問題はどうか。処理施設受け入れ派に言わせれば、
自分たちの出したゴミを自分たちの地域で処理するという事に潔く同意する事こそが、
公共の利益という事なのだろう。
しかし、このまま大量消費を続ければ、地球環境を破壊し、地球資源を枯渇させてしまう事は
明らかではないか。そうであるなら、豊かな自然環境を将来世代に継承しようという自分たちの
願いこそが、公共の利益にかなうのではないか。
国債が全部国内で消化されている事から、このような発想が出てくるのであろう。国債が外国や外人投資家に買われている国家の場合を考慮できない視野の狭い田舎者がマクロ経済を語るばかりか、統治しようという時に、理解できない物を理解した振りをする為に、間違った主張をしているのだが、それを、誰も教えられないという点が、権力者に物を教えることの難しさと言える。
表題の主張にしても、では、国民が預貯金を消費し、不動産資産を換金した場合、そのお金はどこから出てくるのかという問題を出せば、たいていの人は自力で答えにたどり着ける筈である。答えにたどり着けないならば、政治や経済に関わるのはやめて、手に職をつけて身体を動かして稼ぐ仕事につくべきである。
お金はどこで作られているのかという問題がある。
造幣局で作られている紙幣や貨幣の総量は、市中に流通している量のおおよそ5%以下でしかない。残りの95%は、信用供給によって発生したお金である。
市中銀行は中央銀行に法定準備金を積む。この法定準備の9倍のお金を、貸し出しして良いという事になっている。預貯金として集めたお金の9割を貸し出しに回し、1割を法定準備にするというのではなく、10割を法定準備に出す。というのも、お金の大部分は、金融機関の口座の間を転々とし、現金として引き出される額はその一部でしかない。したがって、現金として動いているお金よりも、数値情報のままで動いているお金の方がはるかに多くなる。この、数値として動いているお金の総量が、預貯金額(現金資産)の9倍の融資残高となっているのである。
つまり、預かったお金の9割を融資に出して、金利を稼ぎ、その利子から利息を支払うという状態ではなく、預かったお金を全額無利子の法定準備に積み、法定準備の9倍のお金を書類上の融資に出して金利を稼ぐという状態になっているわけで、貸し出しと預け入れの利差は、ばかばかしいほどに広がっている。
問題は、この9倍の融資予算を元利をきっちり返してくれる人や法人に貸さなければならないという点にある。規制と許認可で企業活動を縛り上げて間接金融による護送船団方式をやっていた時代や、地価の右肩上がりがあった時代には、この仕組みはうまく動いていた。
配当性向が0%に限りなく近く、しかも懲罰的累進課税によって、企業の内部留保が十分に溜まって金融機関のお世話にならなくて良くなると、間接金融による護送船団方式はうまくいかなくなった。そこで、融資の先がマイホームへと向かうようになったのだが、今度は、地価の高騰からローンの期間が長くなり、労働者はローンを返す為に会社にしがみつかなければならなくなり、労使関係に歪みが出てきてしまった。過労死問題が出た後で、その反動で雇用の流動化が出てきたが、企業側の主張だけが通って低賃金の派遣労働ばかりになってしまった。
賃金水準の低下は、預貯金の減少を招き、法定準備を取り崩さなければならなくなる。法定準備を1割削ると、法定準備の9倍のお金を融資に出しているのだから、削った法定準備の10倍の金額を貸し剥がさなければならなくなる。賃金水準の低下から購買力の減少が発生するだけならまだしも、バランスシートの健全性を維持する為に貸し渋り・貸し剥がしをしなければならなくなり、デフレと不景気が同時に発生してしまったのであった。
預貯金額が減れば、必然的に融資予算も減少していくのだが、そうなると、内部留保が十分にある企業は良いが、それらの蓄積が無かったり薄かったりする中小企業は、資金ショートを起こしやすくなり、サラ金や商工ローンといった、筋の悪い金を利用しなければならなくなる。
所得の減少から購買力の低下になり、さらに、資金繰りの悪化とつながり、日本の産業構造だけでなく、社会構造も、かなりがたがたになってきている。
この状態は、国債を出してバラ撒きをやっても決して改善しない。自民党をぶっ壊すという小泉政権に対する300議席の支持も、その後の自民党の迷走に対する反発から、民主党へ投じられた300議席超の支持も、つまるところ、経済の行き詰まりに対する、国民からの請託である。しかし、民主党政権は、自民党の一番悪い時期の政権よりも酷いという事が徐々に明らかになってきている。
社会がまともであれば、母子加算や子供手当てといった政治的給付は必要ない。そんな制度が無ければやっていけないということは、社会が不健全であるという事に他ならない。
行政や司法や政治がでしゃばらない社会が健全な社会である。貧困が無いとか、犯罪が無いとか、援助交際が無いといった状態が健全な社会なのではない。それらは個人の問題であり、社会の問題ではない。それらが発生する原因を無くせないのが社会の問題である。汚職は個人の腐敗であり、汚職を摘発して関係した政治家を断罪できないのが社会の腐敗であるというのが、元ネタだったような気がするが、個別の問題に拘り、全体を見ないというのは、全体を見れないという能力の欠落をごまかす手段として利用される事が多い。
無能である事が判明したならば、速やかに席を空けるというのが、社会人として、世間に晒されている人としての、矜持ではないだろうか。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.10.13]
なるほど、元増田からツリーが続いていたから、「3万円じゃ無理なのに3万円しか妻が小遣いを出してくれないというケースがあるから、小遣い制は悪習だ」という文脈で読んでたよ。
じゃあ、金の使い方の話題にすると、週一で飲みに行くなら、月に5回だろ?
1回当たり3000円としたら月に1万5000円だから、結構いけると思うんだが。
うちの周りでは、家庭持ちは大抵1回3000円以内に飲みを収めるのが一般的なんだが、それ以上飲むんだったら、確かに3万円じゃ難しいかもしれないなあ。
でも、結婚したら、独身時代と同じ勢いで飲みに行くのはそもそも無理だと思うよ。特に将来的に子供やマイホームを考えるならなおさら。
一生ディンクス&賃貸ならもう少し豪勢にいけるかもな。
そういう意味で、35年ローンで家買う奴とかキチガイじみてるよな。
35年もあったら『全く想定していなかったあり得ない事態』が1度や2度はまず起こる。
マクロ経済だって10年に1回くらいは大爆発してるんだぞ。そこんとこわかってんのか、って感じだ。
いつブラックスワンに襲われても問題ないくらい月々の支払が(相対的に)少ない、とかならわかるが、大多数はそうじゃないだろう。
ローンはせいぜい10年くらいにとどめておいた方がいいと思う。それ以上は不確実性が大きすぎる。
10年のローンで買えないなら買わない方がいいと思う。
無暗矢鱈に『俺の城』とか言い出す男や、『憧れのマイホーム』とか言い出す女が多い現状は、
常連のお客さんが来るとあ!来た!と思ってうれしくなります。
おしぼりをもっていくとにっこり笑ってくれるお客さんです。
雰囲気はマイホームパパな感じで、でも毎週一人でお店にいらっしゃるので変わった方だな~と思っていました。
聞くと年は私と比べて二回り離れていて、独身。結婚するつもりはないらしいです。
広いうちに一人で住んで、毎日酒飲んで自由気ままな生活。
私の倍以上生きてる男の人の心理なんて全くわからないですが
孤独とかは感じないのですかね。面白い人だな~と思ったのですが、失礼だと思って聞きませんでした。
ちなみに24年後私だったら、孤独だと感じつつもぎりぎり耐えられるかな~と思います。
それに、結婚しないと言い切れる境地に立てたらなんだかいろいろと楽になれそうな気がします。
でもシミュレーションしたら一日暗澹たる気分になりました。
みなさんはどう思いますか?
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
地縁、血縁、親の七光り、それに頼らずに生きていきたいって思う。
広い意味で地縁に入るかどうかわからんけど、学校つながりというのも嫌だ。
本人と顔見知りならとにかく、同じ出身校というだけでつながりあうというのが理解できない。
学歴を否定するわけじゃない。
そりゃあ東大京大が頭いいんですね、受験勉強頑張りましたねくらいにプラスに評価されるのは理解できる。
でも自分と同じ出身校ってだけで仲良くしたくなったりはしない。
でも、やっぱりこういう呪縛から逃げて生きるのは難しい。
それらに頼らずに生きるためには、まずはお金、それと自分で切り開いたコネクションなんだろうけども、まったく知らない土地で、自分で切り開いたコネクションと自分で貯めた資金だけで起業するのって難しいと思う。
ちいさな蕎麦屋でもはじめるにしても、500万から1000万くらいは必要だと思う。
こう書くと、ITならほとんど初期投資なしで始められるよ!とかくるけど、言いたいのは、一般論として商売を始めるにはゼロが7つ近くお金が必要だということ。
院卒でもうすぐ社会人満3年。
27歳男。
ようやく400万貯めた。
20代で1000万は難しい。
でも、実際は400万でも恵まれてるほうだと思う。
一年目は生活するだけで一杯一杯、二年目で貯金する余裕はできたものの車を買ってまた振り出しに戻り、三年目車のローンは終えたけど、次は結婚資金を貯めなくちゃ。
っていう話が多い気がする。
20代前半で自分の店を持ってる人たちってすごいなぁって尊敬してるけど、全く親に頼らずに成しえた人ってどれほどいるんだろう。
これってかなりの額だと思う。
普通こんなに貯められなそうだが、生命保険1000万×父母なら2000万、そんなもんなのか?
平均値じゃなくて中央値の話しろよって突っ込みはおいておいて、とかく、親がいるというだけでこんだけ得が出てくるわけだ。
生まれたからには、食うために生きるんじゃなく、生きるために食う人生をおくりたい。
親に恵まれなければ、さっき言ったみたいに車のローンに追われ、結婚資金として吸い上げられ、教育資金として吸い上げられ。マイホーム購入資金として吸い上げられ、食うために働くしかないじゃないか。
お金貯めよう。