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2011-06-03

その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした

夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。

それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。

わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。

思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達先生サークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。

家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやり映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。

膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。

なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。

わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。

なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。

記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。

でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神感覚で感じ取ることができなかった。

つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。

どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。

不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである

すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。

ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。

わたしという内実は空虚なのだ。

一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。

映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せエンディングを迎えることができた。

チープな物語あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした

同時にほとんどマグカップが空であることに気がついた。

ほんのりと温もりを宿した陶器の底には、飲み干した紅茶が少しだけ残っていた。

2010-05-23

せっかくだから日本を看取ることにする

20代の、長男であり、あたまのわるい私は時代の変化に適応出来そうも無い。

だから、まだ高校生にもなりたてで、ネットでろくに情報収集もできない私より馬鹿な(こんな時代で大学にも入れないだろう程の)弟にすべてを託してみようと思う。弟なら、今から挽回することはできる。有名私大文学部留年してまで就職に失敗し、落ちゆく私に未来はないだろう。だからこそ、弟に希望を見て欲しい。

私はもう英語中国語も頭に入ってこない。おそらく精神を病んでいる。ただ黙って天井を眺めていることに安らぎを覚える。この無為な時間を、弟に注ぐのだ。教育するつもりなど無い。気づいてくれるまで、たまに対話するだけの簡単な作業だ。

私は近くホームレスになる。と言っても、まだ親の資産があるから大丈夫だ。ただ、私が10年も居れば親の介護費用すら無くなるだろう。だから私は5年も待たずに家を出なければならない。それまでに貯めた資産の総量が、私のその後の人生を決める値となるわけだ。そしてその額など高が知れたもので、ホームレスになるしか道はないはずだ。

今は別居しているが、あの環境では弟はろくな人間になれない。いや、良く躾けられているので親に従順すぎると言えばいいか。ろくな人間が躾が行き届いているといえば変に聞こえる人もいるだろうが、どうせその価値観はすぐに潰える。少なくとも、今後の人生で躾などというものは化粧ほどの意味もない。無用の長物なのだ。

とにかく、私は一度マイホームに戻る必要がある。

弟には人生自由度を増やす必要がある。気付きのない人間にだけはなってはいけない。おそらく弟も今から外国語の習得など難しいだろう。国内でのサバイバルに耐えられるだけの体力があるだろうか。いや、ないだろう。彼は親にも、私にも、そしておそらく他人にさえも、優しく、素直だった。自分でいうのも何だが、良く私の真似をした。こんな末路まで真似をされては困る。兄より強い弟になってもらわなくては困る。兄の、親の死を超えられるだけの強靭な精神がなければ困る。祖父の死で号泣してしまうような、おりこうすぎる人間になっては、困る。

私自身は、生きる気力もなくなりつつある。ホームレスになってからは地べたに這いつくばってでも、日本の終焉に立会うことすらできないかもしれない。

最近よく自ら望む死を想像しては我に返ることを繰り返すが、家を出た直後に駅で死ぬかもしれない。

とにかく、私の人生自体はもう先がない。

 
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