都心を離れ、豊かな自然環境に恵まれた郊外に一戸建てのマイホームを建てた四郎は、
役所の広報誌を見て愕然とした。我が家の数十メートル先の森林を伐採し、
ゴミ処理場を建設する計画が持ち上がっているというのである。家族のために無理をして
30年ローンを組んで、やっと購入した我が家である。こんな事があってよいものか。
(中略)
やがて、建設反対のための署名集めが始まった。ところが、中には反対運動に対して冷ややかな
態度を示す住民もいて、四郎は困惑する。ある日、一人の地元の若者が面と向かって四郎に
こう言った。「あなただって、ゴミを出しているじゃないか。それなのにゴミ処理施設に反対
するのは、住民エゴ以外の何物でもない」
「住民エゴ」。この言葉は、四郎にとってはショックだった。確かに、
近隣に福祉関連施設が建設される事に反対の意向を示す住民運動の事例に対し、四郎も釈然と
しないものを感じた。だが、ゴミ処理施設の問題はどうか。処理施設受け入れ派に言わせれば、
自分たちの出したゴミを自分たちの地域で処理するという事に潔く同意する事こそが、
公共の利益という事なのだろう。
しかし、このまま大量消費を続ければ、地球環境を破壊し、地球資源を枯渇させてしまう事は
明らかではないか。そうであるなら、豊かな自然環境を将来世代に継承しようという自分たちの
願いこそが、公共の利益にかなうのではないか。