はてなキーワード: タブーとは
確かにひどい記事らしい。それに怒ったり批判したりするのもうなづける。
しかも毎日がつぶれるまでやると書いている人も多いみたいだ。
だけど毎日を潰そうと頑張ってる人たちは何が起きるかまで考えてるんだろうか?
結論から言うと毎日はつぶれない。理由は二つある。
一つ目だが、行政は大型倒産はもなんとしても回避するから。大企業がつぶれるとき、本社の数千人が失業するだけでなく配下にある全国の新聞販売店まで連鎖的に倒産してしまうから、これは社会問題となる。
二つ目は、大手マスコミがつぶれるというのはまずいと考える人たちが社会の各分野でたくさんいる。数え上げるときりがないけど、潰さないようにさせる力をもった人たちだ。
でも、もともと毎日は経営状態はかなり悪い。わかりやすい例として図書館で他紙と見比べてほしい。記事は読まなくていい、分厚さを見比べてほしい。毎日はダントツの薄さだ。日経なんかは一面広告を載せる数合わせのために記事を量産しているほどだが、毎日はスポーツ新聞に毛が生えた程度の量でしかない。これだけでも毎日の危機がわかるはず。
では、これ以上経営状態が悪化した場合、何が起きるだろう?
経営陣は交代するかもしれない。これは望ましいことだ。だが、もう一つ不可避のシナリオがある。
それは創価学会が資金援助をして、毎日が実質創価の傘下に入ってしまうことだ。
自力再建が無理なとき、現在既存のメディアも新興メディアも毎日を吸収できるだけの余力はない。外資は可能性があるが、これも以前のマードックのときのような摩擦があってすんなりいかない。
衰退気味のメディアである新聞のしかも経営の悪い会社に対して持続的に協力でき、しかも毎日に充分すぎる魅力を感じるのは創価学会だろう。
今でも創価との関係が強いのだから、実質傘下におさめるときはスムーズに進行できる。しかも、創価を止める力をもったグループは存在しない。
ネットを見てる人は騒いでいるが、今回の件はおじさんやおばさんのような一般人はほとんど知らない。
つまり創価が実質傘下に収めたとしても市井の一般人が気づくことはない。気づかないうちに論調は変わり、見えないタブーが紙面を覆う。
これからのスクープは赤旗のみになるんだろうか?赤旗のスクープは読んでて面白いけれど、世間への影響力が皆無に等しい。
批判は間違えていないけれど、結果として創価のメディアが一つ増えるだけだ。潰せ潰せと安易にがんばってしまうともっとひどいことが待っている。
関係ないけど、入社試験は案外面白いので貼っておく:http://www.mainichi.co.jp/saiyou/examination/index.html
朝からニュースで「クレームがひどい、なんでこんなに自分勝手な人が増えたんでしょう」とか言っててむしょうに腹が立ったので書いておく。
マスゴミって煽って思考停止するようなださい態度は取りたくないので。
ググってみたがぱっと見えるところにクレームが増加したかどうかは統計がでていない。でていたとしたら教えてほしいしいし、そのクレーム増加が自分勝手な人が増えたといえる証拠にはならないだろう。
クレームが増加したと仮定しても、それがなぜ起こりうるかといわれれば、それは自分勝手さではなくシステムの問題と識字率の問題じゃないだろうかと考える。
クレームが起きたのは役所だったらしいので、役所、それから商品についてのクレームを想定して書いておく。
一つはシステム。ユーザビリティとかユーザインターフェイスの問題で、消費者や利用者が扱う部分を単純化するだけでクレームは非常に減るはず。役所であれば手続きの簡易化。企業であれば一概には言えないが、商品の単純化。携帯電話などは契約内容の単純化が考えられる。説明も簡易化。
それによってまた別の層のクレーマー(たとえば商品であれば物足りない技術者層)は増えるかもしれないが、クレームをなくすことは考えない。減らすことを考えるとしたらこれは有効じゃないかな。
もしそれでクレームが変わらないようであれば、それは商品とかシステム自体に問題があると考えていい。そこはつくった側が責任をコミットしてくれなければどうしようもない部分ではある。
二つ目は識字率。技術者層からクレームが来ると言ったが、クレームは意外と頭がいい人間が行うのではないかと思っている。仮説に仮説を重ねて申し訳ないが、個人では統計など取りようがない。
だが、識字率が上がることで、自分への処遇が適切なものかどうかは判断できるだろうし、識字率があがると無根拠なタブーを破るという統計もあるっぽいし。
今までは庶民はアホだからと言って対応していたお役所待遇が識字率が上がることで急に理解できることも考えられる。
だから、クレーマーの増加量と大学進学率を比べて見るのも面白いんじゃないかなと思った。
と言うかデータをくれ。
10:25 追記
テレビで言及していた記事は確かこれだったと思う
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080702-OYT1T00154.htm
ブコメに対して、企業一社一社の対クレーム処理の費用を調べてもいいが、それが「自分勝手によるクレーム」の量と一概に相関があるとは考えられない。対クレーム処理費用の推移なんかを見ても同じで、企業が大きくなれば活躍の場も増えるし顧客の絶対量も増える。クレーム量も当然増加するわけで、信頼性のあるデータとは言えない。
で、質についても言及していなかったが、昔からたちの悪いクレーマーは一定数いただろうに、報道の増加だけでクレーマーだモンスターペアレンツだと言って回る態度がそもそも気にくわない。そのうちアルファクレーマーなんてのができそうな勢いだ。
気にくわないが、それに対してロジカルに説明しないと誰も納得しない。だから書いた。
13:55 追記
個人的には「クレームの増加=自分勝手な人間が増えた」とモラルの問題にしてしまうマスコミの態度を批判したい。
むしろアフォーダンスの立場からはシステムの問題だよね、システムがいいというのであれば理解力の問題だよねと言ったつもり。
クレームがある/ないの二値の話ではなく、クレームとモラルの相関に対してほかにどのような影響を及ぼす変数があるかを考えたい。
アメリカや中国でクレームが増加しているというデータがあるならそれを示してくれればいいし、それを識字率と照らし合わせておまえの理論は違うんじゃねえの?と示してもらいたい。
そしたら安心して寝ることができる。
ちなみに技術によってクレームの質が変わったというのは考えるべき点かなと思う。
車の普及が10年前の状態だったら役所にむかついたから車でつっこもうなんて考えても実行しないだろうし。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/06/post_12c4.html
より
601 :名無しさん@3周年:2008/06/25(水) 21:58:15 ID:YO/WIANK
花子さん、まだかなぁ。
605 :いわぬが花子:2008/06/25(水) 22:21:31 ID:tPDw07G2
>>601 待ってて!!途中まででもよければカキコしますよ。私がこなくなったら
東京湾の底をさらってください。
617 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 00:17:41 ID:DDi1qvVk
花子さん・・・・・途中でもいいから・・・
620 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:30:47 ID:qersQhrJ
>>617 承知いたしました。書く書くサギみたいなことばっかしやってますね、私は。
でその前に、少し解説をさせてくださいませ。
もう2年前になるんですね。私の親戚筋の方で、某上場企業の役員氏がいました。
その人の家でパーティというか飲み会というか、親戚一同が集まる催しがありました。
そのとき、今は亡き橋本龍太郎氏の知られざるエピソードを聞いた・・・というのがことの発端です。そのほか植草氏の事件が完全にでっちあげられたものだったことをしり、参加者一同そろって驚愕した次第です。それは6月11日で、私にとって6:11ショックともいうべき事件だったのです。パーティが終わり、私はどうしてもガマンできず、いつもROMしていたここのスレにカキコした、というわけです。
621 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:32:14 ID:qersQhrJ
花子が2ちゃんデビューしたその時の書き込みを、阿修羅で見つけました。
ちなみに、投稿したのは私ではありません。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/289.html
ここには、植草氏のことだけまとめてありますが、実際は前半の方に、役員氏が見てきた千葉の補選での小沢氏の様子を書き、そして橋龍さんのとある秘密が告げられ、そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。さらに畳み掛けるように植草氏の事件がまったくの捏造だったことを知り、日本という国が一体誰に支配されているのかワケワカメ状態になったのです。あとはもう、必死になってカキコし連続投稿規制にひっかかり、しばらく脱力したままだったんです。このときのメンバーには、学習院で皇太子殿下と同じ教室で学んだ人あり、元創価学会員で、学会が寄進した建物を本山側がショベルカーでぶっこわした場面に立ち会った人ありで、本物の社会科学習を体験した一日でした。その中に、ノモンハン事件の経験者がおられました。
役員氏のことをY氏、そしてMr.ノモンハンをN氏とこれから書くことにします。
どちらも親戚筋の人です。Y氏は会社を移り、N氏は高齢で先は永くないでしょう。
解説はここまで。
622 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:34:28 ID:qersQhrJ
さてYN両氏から聞いたことを、ザックリまとめます。時系列が前後しますが、まずは戦前のはなしから。
●日本が中国大陸に「進出」し、満州国を建てる。勢力を拡大していく過程で、欧米列強特にアメリカのトラの尾を踏んでしまう。国際金融機関の怒りを買い、日本は300万人の死者をだし敗北する。
??日本統治の裏の顔は >>5さんの通りです。N氏は児玉と辻政信のことを何度も話していました。
だから森内閣成立の際、「辻政信がよみがえった」とうめいたのです。そのときすでに、日本破滅の予兆を感じていたのでしょう。あの戦争を単なる事件と表記していることに、日本の進路を歪めた真因が潜んでいると指摘してました。
623 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:35:36 ID:qersQhrJ
??さらに、それまで日本社会の最下層を構成していたヤクザを、もう一つの裏からの統治に使った。
(この辺はB・古歩道さんの証言と一致しますね。)
戦後の混乱期、ヤクザ社会に朝鮮人と被差別部落出身者が混ざり、 Y(ヤクザ)=N(日本人)+B(同和)+K(半島人)の図式ができあがった。
いやな表記ですが、覚えてください。あとでまた使います。
さらに、日本の植民地支配に対する最大の抵抗勢力だった半島の宗教団体を組織した。
これが当逸凶会にあたります。ここはほぼR・コシミズさんの書いてることと一致します。
文選名とかいうハゲ親父に、なぜ日本のアッパークラスが恭しくぬかずいていたのか、どうしても理解できなかったけどようやく得心がいきました。まさに「分割統治」を受けてたんですよね、戦後ず??ッと今まで。まさに悪魔の統治法だわ。
624 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:36:38 ID:qersQhrJ
日本が奇跡的な経済成長をとげると、米国の関心はただ一点、日本の金融資産に向けられるようになった。
「日本の金融資産横取り計画」は、おそらくかつての満州国成立から崩壊を下敷きに設計された。
まず、「教育改革」で日本人の知的耐震偽装を準備した。愚民化つまりバカ作りに励みましたとさ。
経済上のテストは2つ。1つ目はプラザ合意で、急激な為替変動による富の流出を演出。
2つ目は「グリコ・森永事件」で株価の上下によるインサイダー取引。儲けたでしょうね。
ここですでに、りそなの初期実験を試してたんじゃないの?だとしたら宮崎学は捕まらなくて当たり前。
命を絶った警察官の方、お気の毒。
バブルの発生と崩壊は飛ばします。ただし、ここにも澄田総裁という満州人脈が関わっていたことはわすれてはならないですね。で、ここからは植草氏のインタビュー記事を参考にしながら書きます。
95年に一旦バブル処理が終わる。96年からの日本経済は軌道に乗っていた。
この成長を3年間続けることができれば、株価が2万円を割ることはなかった。
ところが橋本政権が財政立て直しの名目で13兆円も増税し、景気悪化。
それを修復したのが、尾ブチさん。その後、森内閣成立と同時に緊縮財政が始まり、01年に確信犯が登場した。
とまあこんなところです。
625 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:38:14 ID:qersQhrJ
「構造改革」とい名の日本破壊政策を請け負ったのは、橋本内閣と小泉内閣でした。
つまり小渕内閣は、チャート的にはこの破壊指令に抗ったことがわかります。
尾ブチ氏が亡くなったのは準店道大学病院ではなく、大痛県佐田牟市布施院病院だったと私はY氏から聞きました。話半分で聞いてください。
また伝え聞く橋龍さんの死は、あまりにも・・・
つまり、彼の所有するパソコンの、無線<内臓>LANが、ごっそり抜かれていたとかいないとかワケワカメなので、詳しく知りたい方はB・古歩道氏を訪ねてはいかがでしょうか?
626 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:43:43 ID:qersQhrJ
ブッシュ政権と小泉政権が成立し、人知れずある政策が遂行されました。それは、植草事件とも多いに関係することでした。 キーワードは「日本の韓国化」
そう、植草氏は語ってはならぬことを口にしたのです。決して触れてはならぬこと。
かれの逮捕の陰で、在日朝鮮人ネットワークが動きました。それは役員氏が、日債銀の騒動と本間氏の自殺で垣間見た団体だったそうです。全てのマスコミが事実を隠し、私たち日本人は韓国化されました。中国・朝鮮を挑発し、拍手喝采を受けた小泉内閣がやったことは、日本人を朝鮮化することだったと、どれだけの人が気づいていたでしょうか?
日本の保守・右翼がエセものであったことが判明した瞬間でした。
今宵はここまでにいたします。
628 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 01:59:34 ID:2YBngPzu
花子さん、乙でした。
アメリカの機密文書で、A級戦犯で不起訴になった人たちが命の見返りにアメリカのエージェントになった証拠が出てきているので、おそらくYN両氏が語った話は真実に近いでしょうね。
630 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:13:29 ID:/E3Ks3KV
>>625
乙
橋流の死は今でもワケワカメのままですね
日本破壊のA級戦犯でもあり、逆に絶対タブーの米国債売却を発言したほとんど唯一の首相でもある。
そして最後は厚生利権を剥がされての死
さんざん踊らせれて、目覚めた時には小泉フィーバーで抵抗勢力の頭目w 平成日本政治の最大の謎政治家ですね
逆にこのシナリオがもしユダ公の思い通りに進んだものだったなら、今後も日本の勝ち目は一切無いというくらいの謀略だと思う。
631 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:+/oZdW+e
>>621
そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。
ヒントでも良いので知りたいです、
632 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:Wh3p/hBQ
おそらく彼の「眼」にも、来るべき「静かな変革」が見えているのではなかろうか。
このところ、メディアが好んで使ってた「カイカク」ていう言葉や「抵抗勢力」って言葉を聞かなくなった。
おそらく、後期高齢者医療制度でコイズミカイカクの「正体」に国民が気付きはじめたからだろう。
(遅きに逸した感は否めないが、気づかぬよりはマシだ)
その証拠に、不治でやってる「チャンゲ」なる改革プロパガンダドラマも視聴率獲得で苦戦してるようだ。
634 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 03:54:32 ID:1dtjgVjn
635 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 04:29:43 ID:oj4osfJ/
闇さんが出てこなくなったのは、アメリカによる日本支配と「日本の韓国化」 に逆らえない立場にいた人(たち)だったから
でも、もうすぐ傷痍軍人として復活して、アメポチペクチョン中川の秘密などを洗いざらい暴露してくれることでしょう
636 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 07:02:04 ID:+YZ0JN7d
ダメユダのおっちゃんは何度も「闇の声の正体を知ってる」と
あたかも彼を敵のようにみなしてたよね。
でもおっちゃんは俺のことを何度もぐっちーだと決めつけたりしてたし
まるでピント外れなんじゃないかと俺は思ってる。
皇室に関する発言以来、闇の声は保守系人脈の人ではないと俺は思った。
640 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 08:38:48 ID:oj4osfJ/
>>636
そういうあんたも、朝っぱらからキムチ臭すごいのよw
いまは花子さんが提起された「日本の韓国化」がメインのトピックなのに、なに焦点ぼやかそうとしてるの?
闇さんについては前にもちょっと書いたけど中心人物はMさんと言って年は還暦くらい。あとKさんとか似た文体で書ける先輩が2人いる。若い衆wを三代目か四代目でデビューさせようとしてたけど知性が足りなくて無理だったw(金属バットで殺された朝鮮人の仲間とか質の悪いのしかいない)Mさんは顔つきが朝鮮じゃなさそうだけど、これまでペクチョン擁護発言が多かったのは上司があちら系の方々だからwww
まあいまさら正体暴いても仕方が無いことだし、ここ見てる公安とか二階堂やネットゲリラの中の人たちは皆知ってることです
「日本の韓国化」を阻止し、巨悪を殲滅するためには、それを進めてきた奴らの正体や悪行を晒していくのが最優先であるはずなのに、ぐっちーとか闇の声とか小物ペクチョンの話で焦点をそらすなよな、この低能の豚キムチ。お前が一度でもフェルドマンえ竹中や白丁中川、創価や統一協会を話題にしてことがあったか?もう見え見えなんだよ、おまえの正体が中年の豚キムチっていうのが(笑)
なんかうんざり。
なんつーのか「女性も男性に負けない働きをしていて云々」みたいな事を言いながらすぐさま「やっぱり女性はいつまでも女の子だし男性がエスコートすべき」みたいなことを言ったりする。この感覚がうんざり。
男女平等の世だよ、とアピールしたかと思いきやすぐさま「やっぱり女の子だから」的な事を言い出す。どっちやん。どっちやねん。
はっきりしない。どういう方向性でいきたいのかわからない。
おそらく男女平等の手前、昔の古臭い「女性は家庭にいるべき」とかそういうことは言えなくなった、それはいいが、それならば「男は○○すべき」「男らしくすべき」等も言えないはずなのだが、何故かそれは寧ろ積極的にテレビ上でまかり通っているのである。
男女平等というものが、過渡期だからこその不可思議な(?)現象なのだろう。
男女平等の世の手前、とりあえずは女性蔑視的な事は言えない。しかし同時にこの世は、完全に男女平等がしみこんだわけでもない世の中、男らしさ女らしさの概念がまだまだ残る世の中でもあるわけで、そんな中テレビは迷走しているように見える。迷走ってわけじゃないんだろうが、まあこっちから見ると。
とりあえずタブーとして女性蔑視はあるけど、その他はあまり定まってない。そんな観点で番組を作ると結局、「タブー以外のことを全部やる」つまり「女性蔑視は無いけどその他はあるよ」みたいな事になる。とすると、必然的にというか結果的に、「女性持ち上げ」になる。男女平等を建前とするなら男性蔑視もあってはいけないのに、それは何故かある。あまりタブーになっていない。どころか寧ろ、男性蔑視をすれば相対的に女性が持ち上げられるので、積極的に使われてすらいる(最近はそうでもないか?)「いやはや、女性には敵いませんな」的な感じ。書いていても非常に鬱陶しいのだが、結構そういうスタンスが近頃のメディアでは主流であるように思う(といっても勿論それはテレビの画面に現れる表面上の事だけだが)。それはおそらく、そもそも男女平等というものが、虐げられていた女性がその権利を回復させた、という流れのもと存在するからだろう。その流れのもと成立したものだから、女性蔑視の方には皆気をつけるが、男性蔑視の方は気をつけられていない。手を抜かれている。
そういうわけでテレビやあるいは雑誌なんかは表面上女性優遇みたいな感じになっている。しかしそれはあくまで「表面上」、テレビの中の世界だけのお話であり、実際はというとやはりまだ女性差別は存在するのである。
勝手に「男はダメだー、女性ってスゴイ!」とかいって浮かれているテレビは見なけりゃいいのでどうでもいいが、しかしそんな表面上の女性優遇の世界を描いている暇があったら、現実的にたとえば職業上の女性差別をなくす方向へ流れろよ、と思う。んなこと言ってる暇があったら、M字カーブなんとかせえよ。「女性はいつでも綺麗になれる」ゆーとる暇があったら、別に女性が皆綺麗を目指さんでも何も言われん社会にしようや。「かわいいはつくれる!」とか言ってる暇があったら子育て支援しようや。「40になってもこの肌」とかいってる暇があったら高齢独身女性でもマンション賃貸断られない世の中にしようや。
もういいっちゅーの、そういう不自然で気持ち悪い表面だけの持ち上げは。
ああいうのを男衆が見て、「いまの女はこんな傲慢なことを考えているのか!」とか勘違いしかねない(つーか、現実してるけど)。迷惑。非常に迷惑。テレビを真に受けて勘違いする方もどうかと思うが、勘違いさせるテレビもテレビだ。自重しろマジで。見なけりゃいいとはいったがやはり自重しろ。
真に受けて「やっぱ女ってこうじゃなくっちゃー☆」とか言ってる一部のバカ女以外、女性らは皆迷惑してるだろ。
望んでもいないのに表面上だけえらく優遇された図にされた上、現実生活はちっとも優遇のゆの字もなく、それなのに男衆からは「傲慢だ!」と言った覚えも無いことで責められる。勘弁してくれマジで。ひっそり一人で生きたいんだよ。
追記
ちなみに女である。なんか勘違いされている気がするので。
http://anond.hatelabo.jp/20080521225143
とりあえずタブーから書くと、
・政治(話題として堅い、つまらない、結論・オチがない)
・性(まあ普通しないわな)
・学歴(「東京の大学行ってた」「八王子の大学行ってた」などボカすなら、後述の地域ネタとしてアリ)
・話を否定しない(他の項目と比較してちょっと毛色が変わるが、マイナスイメージの言葉は、会話では使わないほうがいい)
まず「話す」ってことは
1:こっちの話をひたすらして盛り上げる(攻撃的会話)
2:共通点を見つけてお互いが盛り上がる(積極的会話)
3:相手が話したいことを話させて、盛り上げる(消極的会話)
の3つがある。
1はまず奥手な増田には無理で、話術が巧み、話題が豊富なやつじゃなければ、KYだったり自慢話、オレ話の痛い奴になりかねない。失敗談をジョークを交えつつ話して笑いが取れればいいが、滑ればただのグチになる。
2と3をうまく使い分けるのがいい。
緊張してるのはこっちだけじゃない。「初対面ならお互い緊張してる」ってのを覚えておくと、多少気持ちが楽になる。
相手が話したそうだったら、まず最後まで聞いてあげて、質問がきたら答えにプラスアルファで話が広がるようなネタを入れてから、同じ質問を返す(あいてがプラスアルファに食いついてきたら、そっちの話を優先したほうがいい)。
相手「増田さんってどこからきたの?」
で、相手がラーメン屋で食いついてきたら、「どこそこのラーメン屋は行った?」「どこのラーメン屋が好き」などと、話を広げていく。
スルーされたら、同じ質問を返す。行ったことのある場所なら、そのときの印象を話したり、乗り換える駅なんかの話をすると喜ばれる。言ったことのない場所でも、「○○が近くにある所?」と近くの名所や名物などの話をする(自分の地元やその近くを知っているとなると、親近感が沸きやすい。)
ある程度話好きな相手なら、知らない話でも「教えてもらう」というスタンスで話を聞いていけば、相手は好きなことを話せるので話が盛り上がる。もちろんこの時に話の途中途中で、続きを促すツッコミ・相槌をしなくてはならない。
相槌としては、
・「いいなぁ」(羨望)
・「すごいね!」(羨望)
・「え、そうなの!」(尊敬)
・「詳しいね??」(尊敬)
・「そうだよね」(同意)
・「俺もある!」(同意)
基本は否定せずに、相手に対して同意したり、持ち上げたりすることで、「僕はあなたの話に興味を持ってますよ、楽しんでますよ」というアピールをする。
ツッコミとしては、
・質問をする(「Perlって俺挫折したんだけど、難しくない?」)
※的はずれな質問をすると目も当てられない。(「Perlって誰が作ったの?」→知るかヴォケ)
・類似のものを聞く(Perlやったことあるんだ、じゃあPHPは?)
※自分の話せる話題への前フリである点に注意。
・話題を深める(PHPやったんだけど、xxxxがxxxxxxで云々)
※プログラムはかじった程度なんてよくわかりませんすみません。
あああここまで書いたら疲れたよ。
あとは趣味を聴いて共通点を見つけることかな。
・地域ネタ(過去に同じような地域で生活してると、けっこう盛り上がる。誰でも話しやすい。)
・趣味ネタ(いきなりディープなネタは振らずに、好きな人なら知ってる範囲から掘り下げていく)
・職業ネタ(誰でも話しやすい。ただしつまらないグチにならないよう注意)
てなとこか。
えらそうに?書いてみたけどどうなんだろうね。俺も教えてほしい。
きはらおとせではない。このはらなりせと読む。彼女はボーイズラブ作家である。男同士の恋愛を主軸にした物語を精力的に書いている。
いや、ここで引く前にちょっと聞いてほしい。まずボーイズラブの現状を知ってもらいたい。
諸兄がボーイズラブに抱くイメージはどんなものだろうか。例えば王子様、例えば美少年、例えば美形青年実業家。そんな見目麗しい男たちがキャッキャウフフと乳繰り合っているというイメージだろうか。それはあながち間違いではない。確かにそういった作品群が大半を占めるからだ。ただし、それだけかというと答えは否だ。
ボーイズラブの懐は思ったよりも深い。時代物あり、ファンタジーあり、サスペンスあり、不細工あり、さえない親父あり、バツイチもありだ。人気作家に限られるが、男同士であれば何を書いてもいい土壌がある。木原音瀬は間違いなくその「何を書いてもいい」という特権を与えられた作家だ。
彼女の作風をひとことで言うと「痛い」。キャッキャウフフなどは微塵もしていない。人は愚かで、人を愛することによってさらにここまで愚かになるのかという現実を、圧倒的筆力でこれでもかこれでもかと叩きつけて来る。痴漢冤罪で収監された男、HIV感染者の男、死体を隠した男、女装が趣味の男、肥満体型の男…彼らが紡ぎ出す恋情そして執着は、私たちの心に深く楔を打ち込む。ここまで高品質の愛憎小説を、彼女のような頻度で上梓している作家は一般誌でもそうはいないだろう。
木原音瀬の人気は、まず、彼女の本を出すためだけのレーベルがあることで証明されている。彼女の小説と、そのコミカライズ作品のみ掲載されたムックも現在4号まで出ている。例えは難しいが、乙一・西尾維新クラスだと思ってくれていい。毎月80冊前後出ているボーイズラブ小説界において、間違いなくトップクラスの人気を誇っている。
ただしその人気が、彼女の実力に相応しいものかというと、そうでもない気がしている。評価が高すぎるのではない、低すぎるのだ。ボーイズラブ界は良くも悪くも読者が熱心で財布の紐がゆるい。需要と供給が小さな輪の中で完結してしまっている。いくらボーイズラブ読者が多くなったとはいえ、分母となる絶対数が足りないのだ。これでは高評価にも上限がある。
もちろん私は彼女に、一般向け作品を書けと言いたいわけではない。今のままの作風でなんら不足はない。考えてみれば、日本の文壇で同性愛表現が完全にタブーだったことなど、一度もないのだ。ニアボーイズラブ作品に至ってはそこらじゅうに転がっている。問題なのは、ボーイズラブ読者以外の人々に彼女が知られていないこと。店頭でもまず足を運ばない書棚に並べられていることなのだ。
まずは彼女を知って欲しい。店頭が恥ずかしければAmazonでも7&Yでもいい。何ならBOOK OFFでもいい(後で新刊を購入するのなら)。よしながふみを、オノ・ナツメや佐原ミズを見出した人々に、いま少しの歩み寄りを願うのは贅沢なことだろうか。木原音瀬のような類まれな才能と作家性を併せ持った作家を、私たちは天井のある籠の中で飼い殺している。そのことに対して罪悪感を持つ程に、私は彼女の作品を愛している。どこに出しても恥ずかしい木原音瀬信者なのだ。
だが今結婚の話が延期になっている。
理由がある。
もともと私は奨学金で大学に通い、社会人となった今、少しづつではあるが返済を続けている。
普段の生活にも全く支障はなく、普通に暮らしている。
同棲する直前になって思い出したかのように言った。
自分の中にも多少なりとも引け目みたいなものがあったのかもしれない。
というか考え直した。普通に付き合うことにした。
自分はやはり金銭的にマイナスがあるというのが嫌なんだろうと思う。感じる。
いろいろ絶望した。
私から結婚という2文字を発することはタブーなんだ、と思うようにもなった。
なんだかんだ結局同棲することになり今に至るが
この状態が惰性以外の何物でもないことにお互いが気付くのに時間はかからないと思う。
どうすればいいのかわからない。
こちらの元増田だが、元記事作者のthir氏から反論が来たので再コメントしておく。
まず、thir氏の論旨は次の通り。
僕のいうコミュ力とは、「他者と会話のキャッチボールをすることが出来る」という能力のことである。自然と無意識のうちに相手に質問をし(あるいは質問に準じる機会を与え)、自分でもそれに対する返答や質疑を行う……というヤツである。
これはその通りだと思う。ただし、私が「コミュ力」と「政治力」を混同しているとの指摘だが、むしろその両者はほとんど同じものではないかというのが私の考えである。
なぜそう考えるかについては、まず元増田をご覧いただきたい。
自分に自信のない人間は、基本的に周囲の様子を常にうかがっている。場にそぐわない行動をして排除の対象になるのではないかと、多かれ少なかれ怯えている。いわば、誰よりも「空気を読んで」周囲に気を遣って行動しているのはこうした人間だ。
このような人間(元増田に続き「非コミュ」と略す)が他人に「質問」や「返答」を行うときはどういうことになるか。非コミュは、言葉を口に出す前に頭の中で多くの計算をする。「この質問はタブーなのではないか」「この返答をすると場が白けるのではないか」そうしたテストを繰り返した挙句、ようやく言葉が口に出る。これだけのことを考え、多くの制約の中で会話をしているわけだから、会話のテンポには乗れないし、話の流れも不自然になる。
即ち、政治力が低い人間はそれだけで「コミュ力」の発露を妨げられるのである。政治力が低くてもコミュ力が高いなどという存在は机上の空論と言ってよい。
それに対し、リア充は「ノリ」だけが基準だから、人の繊細な部分に立ち入ろうとも会話を躊躇しない。その結果、こういう会話がなされる。
充「お前さあ、彼女いるの?wwww」
非「(なんでそんなことを親しくもないお前に教えないといかんのだ、ふざけんな、おっと、そんなことを口に出すとKYと思われる、ここは無難に)・・・別に」
充「お?wwwwwなに口ごもってんの?wwwwwさては彼女いるんだろ?」
非「(なんだよこいつ、人が答えたくないのがわからんのかよ、しつこいな)・・・いいや」
充「だったらなにもったいぶってんだよwwwwそれじゃあ休みの日とか何してんの?wwww」
非「(本当にしつこいやつだな、興味がない癖に聞くんじゃないよ)・・・図書館行って本読んだりとか」
充「うわっwwwwしょぼっwwwwださっwwwwおい見ろよ、こいつ本当に面白くない奴だぜー(以下略)」
被害妄想だと言わないでいただきたい。私を指してthir氏は「本当の非コミュを知らない」と言ったが、私はどこに行ってもこれと同じような目に遭ってきた。同氏は「恋人も出来るしバイトも出来る。クラスタの選別さえ行えば」と書くが、余りにも楽観的と言わざるを得ない。恐らくthir氏はよほど運が良く、良い人ばかりに巡り合っていたのであろう。どれほどクラスタを選んでも政治力の強弱によって「勝ち組」と「負け組」は作られるし、「負け組」はそれによってコミュニケーションの機会自体を奪われる。そして負け続けた私は今、「魔法使い」になろうとしている。
以上のごとく、私とthir氏の違いはひとえに現実認識だけだと言ってよい。その違いが端的に表れるのはここだ。
政治力しか持っていない人間は、合コンでもクラスでもサークルでも最終的には必ず孤立する運命にある。増田氏のいう「コミュ力」の持ち主は、単なるサークルクラッシャーだ。
これを現実と信じられるかキレイゴトだとしか思えないか、その環境が私と同氏の違いなのだろう。私自身の経験に基づいて述べるならば、「最終的な運命」というのが訪れるとしても、それは十年以上先のことである。学生時代というのはそれに比べれば余りに短いと言ってよい。人間関係における「勝ち組」「負け組」の序列はここで固定するのである。苦しんだ挙句に見つけた居心地がいい「クラスタ」は「負け組」という名のクラスタだからだ。
例えば、非コミュの典型である理系非モテ男というのを考えてみればよいが、彼にとってまともにコミュニケーションが通用する「クラスタ」を追い求めると、将来の進路は「研究者」「技術者」の一方になってしまい、いずれにしても理系非モテ男ばかりの世界である。他業界に比べ収入は安いし、「理系男」というのはそれだけでまともな人間ではなく珍獣のごとく扱われる。研究などに一生懸命になっていればバイトをする時間などほとんどないことは言うまでもないから、「恋人も出来るしバイトも出来る。クラスタの選別さえ行えば」という言葉を信じる余地など残念ながらないのである。
私は気心の知れた後輩たちにはいつも言っている。「人間関係は修羅場である、狩るか狩られるかだ」「人と理解し合えるなどと思うな、そんなのは例外だ」「善意などというものを信じると俺のような負け組になるぞ」と。しかし残念なことに誰も耳を傾けてくれない。そして彼らは見事に私の後を追い、非モテ非コミュの道をついてくるのである。頼むからやめてくれと言っているのに。
同じことを私より若い非コミュ諸氏にも申し上げたい。「コミュ力とは気遣いだ」「気遣いが出来れば恋人はできる」そんなものは嘘だ。信じたいものだけがすがりつきたい幻想だ。そんなものを信じられるのは余程運がいい人間か、現実を見たくない人間か、あるいは自己欺瞞に長けた人間だけだろう。
少年サンデーの部数が落ち続けている。アニメの人気もさえない。出版不況の影響もあるだろうが、マガジンとの差も大きい。理由はいろいろあるだろうけれど。その一つには、小学館の著作権に対するスタンスがあると思う。率直に言えばパロディ禁止であるということだ。小学館の摘発は一罰百戒を思わせる唐突なものが多い。小学館のパロディは同人ではディズニー、任天堂、コナミに並ぶタブーだ。
もちろん、これは企業ブランドの保護という点では正しいのだが。トータルに見てみると、実はマイナスの部分の方が大きいのではないかと思う。多くの漫画家は供給者でもあり需要者だ。さほどは大きくは無いが資金還流があり、経済圏が存在するのだ。アニパロ同人をやってる作家はもちろん、アシスタントまで含めれば人材供給の裾野であるはずだ。将来の看板作家となる可能性もある。
イタリアやブラジルのサッカーやアメリカ大リーグも、華やかな頂点のプレイヤーと同時に無数のプレイヤーがいる。日本人の絵のアベレージは世界的には、相当高いはずだ。日本のマンガのアベレージを支えているものとして、同人は無視できないと考えている。余談だが、ポップミュージックのアベレージが低いのは、著作権が強力すぎるからなのではないかとも考えている。
小学館と同様に、コナミ関係のエロパロもタブーだ。が、その結果どうなったか?ときめきメモリアル2、3ともに不発となった。コナミの自社によるキャラクター商品の展開は完全に行き詰っている。萌え系については、おそらく何をやっても無駄だろう。
確かに、コピーの海賊版や単価や売上総額が高い商品の同人活動には、問題はあるとは思う。しかし、同人誌や自作CGの取り締まったところで、得られるものは皆無だろう。
それはなんで高い給料をもらえるのでしょうか。
世間の冷たい目線≒タブーへの接近、を行わなければならないため、希少価値があるからではないのでしょうか。
タブーが無いと仮定した場合金額は下がるのではないでしょうか。
筋力を売るのは、どうやら世間的にはよいらしい。
春を売るのは、ほめられたことではないようだ。そういえば春を売るって言うのもずいぶん雅な表現だ。
肉体で金を稼ぐのに、なんで責められたり責められなかったりするのだろう。
だれかのために体を動かして対価を得ているだけなのに。
バレエはだれにでもほめられて、ボディビルは敬遠され、ヌードダンサーはほめられたものではないらしい。
肉体で金を稼ぐのに、なんで責められたり責められなかったりするのだろう。
同じように美を売っているだけなのに。
生殖はなぜタブーなのだろう。生殖をタブーにすることで本当に社会のコストは下がっているのだろうか。
体の貞操さえ売らなければ、心の貞操は売っても良いのかな。
居酒屋の店員はよくてホステスは駄目というのは心の貞操の問題か。
なんで貞操という考え方があるのだろう。
貞操そのものが幻想だとおもうのだけれど。
これは規制をしろという主張ではありません。ゾーニングや自主規制等のなんらかの社会的な対応を求める主張でもありません。
元増田の人じゃないんだけど、自分は、街中でその手のイラストが表紙になってる本とかを見ると、なんていうのか、本当に街中の衆人環視の中でスカートめくってる女の子を見ているみたいな、一種の羞恥プレイを見せられているような気分になる。二次・三次関係ない。記号に反応してるので、二次の方がきつく感じる傾向がある。実際、三次ではそこまでどぎつい表現みないし。こういう風に、人の感覚は様々じゃないかな。いい年した大人でいろいろ経験してるけど、感覚はこんなもん。
でもこういうのはま、言われる方にしたら言いがかりにしか聞こえないだろうと思うんで、普段(なにもないとき)は言わない。ただ最近みたいに、そう感じること自体が無い無いあってはいけないと合唱されると「無いわけではない、我慢してるだけだ」と言ってみたくなる。でもそれ言ってどうしたいかと言うと、言いたいだけっていうか、知ってもらえば充分というか、たとえば他の話だとめっちゃ我侭あるいは極端な意見でも笑い流されたりしてるわけで、それと同じ程度に扱ってもらえれば満足。二次エロ楽しんでるって意見と同じ重さで、ああそれで傷つく人もいるんだなーと思ってもらえば充分。
性に関する不快感とか性被害の話とかは、その他の話みたいに扱ってもらえず、なんかこれだけタブーになってる。言う方が悪い、感じる方が悪い、不快な話を聞かせるな。だから女友達にも言わない。経験上、女性の方が「不快な話を聞かせるな」系の反応が返ってくる率高いし。別に他の人を押しのけて自分達の感覚を尊重しろって言いたいわけじゃなくて、他の人と同じ重さの発言権が欲しいだけなんだけど、なかなか「ああそういう人もいるのね」にはならない。言い方が悪いのかな。定番の男女論みたいに「改善策を求めているわけじゃない、ただ話を聞いて欲しいだけだ」って前置きすればいいのかな。
こんなことをもやもや思いました。
90年代は概ねそんな感じだったと思うけど、それってやっぱり80年代の『写真時代』の流れを受け継いでるんだよね。
『スーパー写真塾』なんて『写真時代』の一コーナーを独立させたものだったはず。みんな末井昭チルドレンだよ。
90年代だとリリー・フランキーや根本敬、浅草キッドあたりがコラム連載陣だったが、『写真時代』はアラーキーに赤瀬川原平、糸井重里という超強力なメンバーが連載を持っていた。アラーキー撮影のロリータヌードなんか掲載されてた。
盗撮も80年代からすでに始まっていた。本人の承諾なし+被写体が未成年中心だから現代なら二重に犯罪だと思うが。
まあセクハラという概念もなかったし、11PMみたいな深夜放送だけじゃなく、ゴールデンタイムにも女の裸が出てきてほとんど問題にならなかった時代だから、日本全体でそういうモラル意識は低かったと思うね。
この時代の投稿雑誌に載ってた写真は児ポ法の定義でいうと第二条第3項の三「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」に該当すると思う。
ブルセラブームやそれに便乗したU??15雑誌になると、第二条第3項の二「他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」に近いものが多くなった。でも、その手の雑誌はやっぱ当局の圧力があったのか、1年前後で消えた(『フィフティーン・クラブ』等)。第二条第3項の一「児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態」はさすがに一般書店で買える投稿雑誌やロリコン誌でもタブーで完全にアングラのものだった。裏ビデオの通販広告なんかにはタイトルが出てたけど。
ああそんな話があったんだ。面白いね。当時もタブー?
そういえばインドでピノコみたいな女の子の手術がされたね。手足が4本ずつある双子の合体で、余分な手足と内臓を除去されてた。脳はあったのかな。畸形とか差別とかなんとかいろいろ考えた。インドってことも含め。
ピノコは救っておいて水頭症の赤ん坊を殺す話もあったな。テーマはまた別だったけど。
追記
自分が言ってた「認められない」って差別用語のことじゃない。インフォームドコンセントなんかの概念がなかったりするところに違和感があったりとかそういうところ。インフォームドコンセント自体が欺瞞じゃねえの、って議論ももちろんあるし、手塚にとって生命の尊厳が言いたいテーマってことはわかるんだけど、そういう時代だったんだなと。
数年前、時期で言うと 2ch のスレを紹介するブログがぽこぽこ立ち上がり始めた頃に、とある界隈で、「貧乳に悩む娘萌え」という、ボディではなくヘッドに着目する振る舞いが一部の間でブームになってた。ファッションとしてマイノリティを気取りたがるタイプの人に、そのお手軽さと、「精神の執着>肉体への執着」みたいなポジショニングが相当受けたみたい。
そして「貧乳に悩む娘萌え」っていうスタイルはあっという間にその辺りを席巻して、その界隈のスタンダード、「JASRAC は叩け」みたいな記号、無難な振る舞いのリストに、「貧乳に悩む娘には萌えとけ」が追加された。それを真に受けた娘さん、もしくは計算高い娘さんが、ちやほやされたいがために、その場所で如何に貧乳がコンプレックスであるかをとくとくと語るようになった。一人語りだすと「私も私も」とずらずら連なる女性の習性から、その場は得意げに自分のコンプレックスを語る娘さんで溢れ返った。
「貧乳に悩む娘萌え」というジャンルに食らい付いた人達は、実のとこ貧乳でもなく悩む姿でもなく知的なマイノリティの自分が好きだったため、既にその界隈ではマジョリティと化した「貧乳に悩む娘萌え」というスタイルを捨て、次のスタイルを模索し始めた。そしてその界隈には「貧乳に悩む娘萌え」という形骸化した記号だけが残り、それを読み取れずに貧乳コンプレックス自慢をしだす娘さんを「空気読めない奴」と判断するようになった。
こっから本題ゾーン。マイノリティ気取りさん達が模索した次ジャンルの候補に、そういう「貧乳に悩む娘萌え」のアンチテーゼとして、「貧乳でも悩まない娘萌え」っていうのがあった。アンチテーゼっつっても単に逆にしただけだから、察しのいい娘さん達がこぞって「貧乳にコンプレックス持ってないあたしって変かなあ…」という話をしだして、そしてまた後続の貧乳エンジョイ自慢でその場が溢れかえって、すぐに潰れてスタンダードにはならなかった。このプチムーブメントは忘れた頃に(住人が入れ替わったと思しき頃に)幾度か繰り返された。
この一連の動きが事実なのか自分の妄想なのかちょっと区別つけらんないでいたけど、今増田とはてブ見たら 100% 妄想ではないよなってことに落ち着いた。かといって妄想分が殆どである可能性もまだまだ捨てきれないけど。
ちなみに「巨乳で悩む娘萌え」は、コンプレックスを語りだす娘さんの性格が微妙に偏っていたためそのあざとさが隠し切れず、(おそらく男性を騙った女性に)揚げ足を取られまくっていたので、場所によってはタブーのような扱いになっていた。