2008-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20080323224207

これは規制をしろという主張ではありません。ゾーニング自主規制等のなんらかの社会的な対応を求める主張でもありません。

増田の人じゃないんだけど、自分は、街中でその手のイラストが表紙になってる本とかを見ると、なんていうのか、本当に街中の衆人環視の中でスカートめくってる女の子を見ているみたいな、一種の羞恥プレイを見せられているような気分になる。二次・三次関係ない。記号に反応してるので、二次の方がきつく感じる傾向がある。実際、三次ではそこまでどぎつい表現みないし。こういう風に、人の感覚は様々じゃないかな。いい年した大人でいろいろ経験してるけど、感覚はこんなもん。

でもこういうのはま、言われる方にしたら言いがかりにしか聞こえないだろうと思うんで、普段(なにもないとき)は言わない。ただ最近みたいに、そう感じること自体が無い無いあってはいけないと合唱されると「無いわけではない、我慢してるだけだ」と言ってみたくなる。でもそれ言ってどうしたいかと言うと、言いたいだけっていうか、知ってもらえば充分というか、たとえば他の話だとめっちゃ我侭あるいは極端な意見でも笑い流されたりしてるわけで、それと同じ程度に扱ってもらえれば満足。二次エロ楽しんでるって意見と同じ重さで、ああそれで傷つく人もいるんだなーと思ってもらえば充分。

性に関する不快感とか性被害の話とかは、その他の話みたいに扱ってもらえず、なんかこれだけタブーになってる。言う方が悪い、感じる方が悪い、不快な話を聞かせるな。だから女友達にも言わない。経験上、女性の方が「不快な話を聞かせるな」系の反応が返ってくる率高いし。別に他の人を押しのけて自分達の感覚を尊重しろって言いたいわけじゃなくて、他の人と同じ重さの発言権が欲しいだけなんだけど、なかなか「ああそういう人もいるのね」にはならない。言い方が悪いのかな。定番の男女論みたいに「改善策を求めているわけじゃない、ただ話を聞いて欲しいだけだ」って前置きすればいいのかな。

こんなことをもやもや思いました。

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