はてなキーワード: エントリーとは
英語系のエントリーが多いから、オレの英会話遍歴もまとめてみた。 なんか参考になるといいなあ。
英会話スクール1年半(2年前に卒業)、業務的(雑めな感じ)な英文のやり取りが1年ちょい。 聞くほうは何となく適当に理解、喋りは「uh」とか「really?」とか単語返しが好き。 タイ人相手なら口げんかできる。
グループレッスンは非常に楽しい。これは間違いない。時間帯によるが可愛い女の子居るし、アラサーのオレが女子高生と英語でお喋るできるなんて始める前には想像もしてなかった。行くなら下心出して同じクラスの女の子に声かけて、「英語の勉強もかねて英文でメールしない? I'd love to mail for you.... don't you?」 こんな感じで。 フラれたり、声かけられないとかだったら英会話スクールはそそくさと辞めてしまおう。
なぜかというと、居すぎるとスクールのマネージャの営業が「相当」しつこくなる。 授業のサポートとかハロウィンパーティとかでも顔合わせるし仲良くなってしまうからね。
致命的な事を言ってしまうと、教材の内容が構造的にダサい。 一日のスケジュールの話、寿司が好きとかピザが好きとか、旅行先でのお土産買う、買わないとか。 まあ、張り切ってこんな眠くなる話をペラペラ日本語でも喋んないよな。 「僕はサラリーマンをやっているんだ、朝は7時に起きるよ」とか。 どうよ?って言われても女子高生以外なら「ふーん」でしょ。そんなら、アイリッシュパブとかに行けば外人一人二人いるから、カウンターで飲んでるついでに「どこから来たの?」って聞いたりしたほうが楽しいし、エキサイティングだ。 (そんなに難しい話にはならないし)
つまり、誰でも参加できるグループレッスンでは日本語でも面白く話す気にはなれなかった。 あ、でも外人がペラペラって喋ってきて「発汗」してしまうタイプの人は克服できると思うから試すといい。 言っとくが、いろんな人(日本人)が居るからレッスンは楽しい。
結構有名な洋書の学習帳。言っとくがコレも楽しい。絵が多いし基本的な文法を簡単なヴァリエーションで記入して覚える内容。TOEICには使えないが(700点を取るには意味無いと思います)基礎を叩くという意味では中、高での英語教育をサボっていて錆びてるタイプの人には効果はあると思う。
なにより日本語なんてひとつも無いから余白部分に自分で単語の意味や追記したりしてみると、あとで見返すと達成感がある。書いた内容をさらに音読し例文ごと覚えてゆけば、基礎的な会話のヴァリエーションが単純に増える。 have とか get とか簡単だけど重要な使い方が多いものについては身につくと思った。 しかし過信してはいけない。これはストレッチみたいなもんだと割り切る必要がある。
ここまでであれば、「無駄じゃない?」とか思っちゃうかも知れないけど、コレにも理由がある。 かれこれ数年前、オレはこのドリルを会社の休み時間などを利用して解く、家に帰って見返して気が向いたら音読。こんな感じ。まあ、洋書のテキストつうのでモチベーションが続いたのかな。今思えば英会話の教材でも大差は無い。この時点で分かるけど英語ってコンプレックスみたいな所あるよね。
ある日、喫茶店でドリルをシコシコといてると、隣に座った知らないオバサンに「悪いけど、コレ意味無いわ」といきなり言われたことが大きな機転となる。話を聞いてみるとオバサンは日本とアメリカを行き来ているタイプで普通にどちらも喋れるタイプの人だった。 オバサン曰く、高校まで出ているのであれば6年間、このようなドリル学習的なものは既にやっている。理解できない、サボってた、理由はいろいろあるかもしれないけど、「6年間も」やってダメだった事をまたやってどうすんだ?という内容の話だった。
よりによって、知らないオバサンにこんな直撃な事を言われるとは思わなかった。内心気付いてたんだろな、一応勿体ないから最後までやったけど。 これはズバっと言ってくれてありがとうだったのかもしれない。 よく言えば「英語のストレッチ」、早口でいえば「英語の一人エッチ」 つまり、コレを読んでいる君が思っているであろう意味で英語が自分の中では広がっては行かないのだ。
英会話暦自体がそんなに長くない3年目くらいだから、陥りやすい失敗内容だと思う。 次はオバサンの言った話と、、、あとタイトルに至る経緯を書いてみようかな。 つか、長すぎだなコレ。
ブクマしてくれるかな・・・ふふふ。
統合失調症(の疑いが強い)人の友人の相談がホットエントリーになってますね。
精神障害って,本当にその人それぞれで違うらしい。
つまり,妄想とか錯乱とか,うつとかそういう症状はみんな共通しているんだけど。
もっと細かく,妄想の内容とか,うつでも,何ができないかとか。
そういうのを見ていくと,まったく人によって違うらしい。
色々と要因はあるけど,簡単に言えばみんな生育環境が違うからです。
例えば,妄想でも。
ある人は隣の人が自分を殺そうとしている。だったり
ある人は,自分の親が自分を殺そうとしているだったり。とかする。
おそらく,後者は親子関係が悪いとかなんらかの親子関係が背景にあるんでしょう。
みなさんに覚えていてもらいたいのは,症状や生育環境はその人に特徴的だから,
安易に「自分の経験ではこうだったから,こうしたらいい」とかはやめた方がいいと言うこと。
それと,そういうアドバイスを受けてもふーんというくらいにしておくこと。
病院に行かせることを勧める or 行っていること確認する人以外のアドバイスは真に受けないでください。
うつでも,じっくり話を聞いたら治ったよ。とか怒ったら治ったとか言われますけど。
そういうのは,その人には「たまたま」効果があっただけなんですよ。
もしかしたらあのエントリーを、単純な二元論の話だと受け取る思慮の浅い奴がいるのでは、と書いたあと危惧していたのだが本当にそうなっていて笑った。
ザ・上から目線
もしかしたらあのエントリーを、単純な二元論の話だと受け取る思慮の浅い奴がいるのでは、と書いたあと危惧していたのだが本当にそうなっていて笑った。
まあ書き方が微妙だったのもあるだろうとは思う。
なにぶん伝えにくいことだから。
「マイナスじゃなくてゼロなんだ」って言ってる人もいたけど、それは本質的な問題じゃないわけ。
俺が問題にしているのは「差」。その差ゆえに生じるもの。
それを「貶める」などと便宜的に呼んだけれど、マイナスだとかゼロだとか貶めるだとかいや貶めるってとこまではいってないよ何も感じてないだけだよとか「どう呼ぶか」はどうでもいいのだ。
そこを分かりやすく書こうと思ったらうっかりさんたちに勘違いされちゃったけどね。
しかも「こういう考え方だとある人を好きになったらその人を好きになると他人を貶めることになる、と苦しむことになる」などとテンプレのようなおかしいことを言ってる人がいて笑った。
苦しまないよ。
他人を貶める、というとまた語弊があるかもしれないが
ある人を好きになると他者はその人より「差」が出るのは確かなのだ。
違う側面ではそうでないかもしれなくともある観点では確実にそうである。(わかるかな?この意味)
そして俺が実際誰かを好きになれば、必ず他者と「差」が出る。
しかし俺は苦しまない。そもそも「だからだめだ」なんて俺は一言も言っていないのだ。なぜそこを読まないのか、読めないのか、分からないが。
差が出ることを承知の上で俺は好きになる。そういうこと。
俺は別に博愛主義者ではない。
結婚に価値を置くのも別によい。ダメなどと一言も言っていない。
要は「差が出ていることを了解しているか?」という話だ。
了解していない。無邪気に(というか無知ゆえ)いいことだと手放しで喜ぶ。
そしてそうしないものに「なぜそうしない」と言う。
(勘違いしている人がいたが、おめでとう、といっただけで「俺たちの価値観コードに従え」と言っていることになるとはいっていない。「なぜ素直に喜べない」と言っている人がそうである、といっているのだ。ちゃんと読んで欲しいよほんとうに)
俺は「おめでとう」と言っている人に文句を言っているのではなく
「なぜ素直に喜ばない」と価値観を押し付けてくる「無邪気で」「素直な」人に言っているのを間違わないように。(あれだけかいたのに、勝手に「おめでとうと言うだけでそんな目で見られるのか!」と脊髄反射している人の多いことよ。なんで読んでからモノを言わないのか)ま、「被害妄想」もいい加減にしてくれってことだ(笑)
全部読んでみたけど、「む、これは痛いところをつかれた」という反論は一つもなかったな。ちょっとがっかりだ。これじゃ俺の得るものがないじゃないか。
以下のエントリーを書かせてもらった者です。
これが増田の威力というものなのか。こんな俺のこんな内容に、たくさんの反応を頂いた。内容はさておき、本当に感謝したい。多くの人に読んでもらえただけで、救われた。本当に。ここに書くこと自体、誰かに読んでもらいたいと思っていたのは自明だから。
前回のエントリーの最後で、「何かを期待して」と書いた。書き終えた時点では、何かを期待しているつもりはまったくなかった。しかし、何かを期待せずしてわざわざ増田に吐露するわけがないだろうという自問の末、やはり何かを期待しているんだろうと思った。
では何を期待していたのかと言えば、おそらく次の2つだったんだろうと思う。一つは、既に多くの方から頂いた「お叱り」。もう一つは、似たような境遇にいた人からの「経験談」。たぶんこの2つだと思う。
一つ目に関しては、もう十分なくらい頂いた。一つ一つの批判や否定や罵倒が、心に刺さった。読むのが辛かった。しかし、そのような反応を頂くことは百も承知だった。だからこそ、全部目を通した。そう、俺はクズなんだと思う。不倫ボケのお花畑脳なんだと思う。自己陶酔しているんだと思う。間違っているんだと思う。想像力が足りないんだと思う。そう、すべて正しい。そんなこと分かりきっている。
しかし、倫理的にも、道義的にも、社会的にも、すべて受け入れられない事態であるにもかかわらず、こういった不倫の経験がある人は少なくないのではないか。俺以外にも、同じような経験をした人は結構いるのではないだろうか。そういった「経験者」は、こんな俺に対して、どのような言葉を投げかけてくれるのだろうか。そんな漠然としたもう一つの期待もあったわけである。
しかしながら、この二つ目の期待は、満たされることはなかった。増田って、三十代既婚男性って結構いると思っていたけど、そうではなかったのかな。もしいたとしても、この状況の救われなさと罪深さをより深く知っているだけに、何も手をさしのべてくれないのだろうか。
前回のエントリーで、話の流れとして、重要だが敢えて書かなかったことがいくつかある。その一つが、いまの嫁と直面し、その後なんとか乗り切った「離婚の危機」のことである。こんなに反応を頂けるとは思っていなかったので、話を適当にしたのだが、ちょっと書いてみようと思う。
結婚して間もなくだった。これも敢えて詳しくは書かないが、ひょんなことで俺が嫁の浮気を明白に知ることになり、いろんな修羅場をくぐった後、俺は、最終的に彼女を赦すことにした。まだ子供は生まれていなかったので、離婚はそれほど難しいことではなかったと思う。だが、俺も、嫁も、お互いがお互いを必要としている少し厄介な状況にいて、極めて功利的な観点から、分かれるよりも、まだ一緒にいたほうが得だという判断をした。
しかしながら、この説明で明らかなように、俺は彼女を本当の意味で赦したわけではなかった。ことあることに彼女の浮気のことが頭をかすめて、行き場のない憤りと情けなさを感じた。俺はこいつと付き合い始めてから一度も浮気をしなかったのに、こいつは・・・、と何度も思った。彼女も、俺がずっと心のどこかで不信感を持ち続けていることを明らかに気づいていた。お互い、そうした思いを早く打ち消したくて、救いを求めるように、子作りをした。
前回のエントリーに書いたように、その後俺は適当なセフレを見つけ、風俗に行くのと同じような、純粋に体だけの関係を何人かと持った。この時点で、もう俺も男として失格なのかもしれないが、まあそこは大目に見て欲しい。そして、今回の職場の彼女だ。体だけでなく、女性として、いや人間として、明らかに魅力を感じる女性に出会ってしまった。俺がこの浮気に脳天気に陶酔している(ように見える)のも、俺が嫁の浮気を絶対的な免罪符のように思っているからだと思う。なんて浅薄な考え方なんだろうと自分でも思う。
増田の皆さんからの99%ネガティブな反応を頂いて、気がついたことがある。それは、今回の件は、二度目の結婚などではなく、二度目の離婚なのだということだ。
俺は、嫁の浮気を赦したと書いたが、やっぱり今でも赦していないと思う。やはり、事実上あの時点が一度目の離婚なのだと思う。そうした離婚という現実を目の当たりしたくない俺と嫁が、救いを求めたのが子供だったのだ。「子は鎹」とは良く言ったもので、まさに子供たちによって救われ、子供たちによって繋ぎ止められている二人なのだ。
そして今回、一度目の離婚で失われてしまった「かつて愛した嫁の姿」を職場の彼女に見いだしてしまったのだと思う。そんなものに再び出会えるなど微塵も思っていなかった。が、出会ったしまったのである。そして、お互いに似た状況を見いだし、愛し合ってしまった。そこに対して、俺は明らかに高揚しているし、陶酔もしているんだと思う。
いま、そんな彼女に対して契ろうとしている約束は、俺にとっては二度目の結婚などではまったくなく、嫁に対して微かに残っていた愛情に対してすら別れを告げることを意味する二度目の離婚なのだという気がしてきた。
そうなると、やはり一番心を痛めるのが、二人の愛する子供である。コメントでも頂いたが、こんな父親の思いや行為など、子供の目からすれば、母親を裏切るという点において、絶望的且つ醜悪なものでしかない。子供の文脈からすれば、俺は百回死んでも赦してもらえないとんでもない父親なんだろう。
いま、やはりこの二度目の結婚ならぬ、二度目の離婚は、子供という「鎹」をも打ち砕く、決定的なものなのだろうか。いま、正直、一番気にかかるのは子供のことである。子供の幸せのためには、法的には一度も離婚していないが、心理的な面では二度も離婚をしてしまった嫁との関係を、形式的にでも継続しながら、子供の成長を待ったほうが良いのだろうか。それとも、子供を明確かつ即座に「親の離婚」という不幸せな状況に陥れてでも、嫁とのこんな関係に終止符を打ったほうが、子供にとっては逆説的だが幸せなことなのだろうか。
結局、この問題になるのだろう。そんなことはなから分かっていたのに。
増田の皆さん、いろいろ頂いたお叱りのコメント、ありがとう。いろいろと考える機会を与えてもらいました。もう少しだけこの問題と正面から付き合ってみたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/nightshift/20081016/1224155161より改変
2年ほど前に、会社の後輩が結婚した。きっかけは子供ができたこと。
彼とは5年付き合ったそうだ。彼はもともと無精子症を疑われる体質だったらしく、付き合って以来、避妊をしたことがないとのことだった。後輩と更衣室で会ったときに「 彼には常に中出しさせてますよ。アハハハハ。 」と、おどけて話していたのをよく覚えている。その話を、私も笑いながら聞いていた。そんなあるとき、子供ができた。
彼の家に行って子供ができたことを報告したとき、彼の両親は泣いて喜んだという。そして、2人の結婚式では新郎新婦共に号泣だったそうな。その話を聞いて気がついた。後輩はふざけたように中出しトークをしていたけど、実はがんばって中出させていてたんだということに。
きっと2人は、もっと前から結婚したいと思ってたんだと思う。でも、彼は自分に子供ができないことで躊躇し、彼の両親も負い目を感じてたんじゃないだろうか。後輩は、それでも構わないと考えていただろうけど、そういう周りの気持ちが分からない子じゃない。だから一生懸命に中出しされ続けた。5年間ずっと。
この話を知ってるのは、社内でも一部の人だけだ。だから、その後輩の結婚を大体の人が、ただの「 できちゃった結婚 」だと思ってる。でも、実際には違う。本人は、あえてそういった事情を説明したりはしないけど、私らはちゃんと分かってるんだ。彼女の結婚は決して「 できちゃった結婚 」ではないし、その幸せっぷりは「 ダブルハッピー 」くらいの言葉では片付けられない。そう、言うなれば「 中出しハッピー 」なんだって。
これに対する批判も一緒に。
http://blog.yuco.net/2008/10/nakadashi_happy/より改変
無精子症を疑われる男性と女性のカップルが、5年間避妊しないままセックスをした結果、女性が妊娠したので結婚したという内容の「中出しハッピー! - 増田シフト」という発言が「いい話」として人気を集めています。
発言小町では「いい話」レスが40以上もついていてお祝いムードですが(ほんとにいい話か?という疑問も出ていますが)、私は女性側にだけ都合のいい話だと思いましたし、そういう方向で盛り上がってしまう発言小町って女性社会だな??と思いました。
良かったと言えるのは、子供を欲しがっていたカップルに子供ができた、その一点だけです。
小町コメントでもすでに何人かの人が指摘していますが、男性は無精子症と疑われる体質だったのだから、いつまで経っても子供ができない可能性は十分ありました。たまたま子供ができたからよかったものの、できなかったらどうするつもりだったのでしょう?
かつて封建時代に「婿して三年子なきは去れ」という皮肉がありました。というか、現在でもそう思っている人は多いのでしょうが、この女性の行動はその現代版としか思えません。結婚せずに「お試し」して、妊娠できることを確認したから結婚する。種なし男は欠陥品で結婚に値しないと考えるならば、実に合理的ですね。女性側にリスクはありません。彼が妊娠させられなければ別れて、別のタネのある男性を捜せばいいだけですから(彼女が実際そう思っていたかどうかは問題ではありません。そういう選択肢を残した行動だということです)。
しかしそうやって別れた男性側はどうなるでしょうか? 正直、男性は若いうちの方が結婚しやすいという現実があります。
フェアに行くなら、この女性が「どうしても子供のいる人生がいい」と望むなら、彼とは別れるべきだったと思います。そうすれば、男性には「子供を持たなくてもいい」という女性に出会うチャンスがありますから。さもなければ、子供ができればラッキーだが、一生子供ができない可能性もあることを受け入れて結婚するか、このどちらかです。子供ができさえすれば結婚するが、できないうちは結婚せずに付き合いつづけているというのは最悪の選択肢だと私は思いました。
無精子症を疑われる体質の男性は、そのことを恥じる必要はありません。これは、身体障害者とか、在日韓国人とか、被差別部落の人がそのことを恥じる必要がないのと同じです。本来恥じる必要はないが、世の中にはこういった属性をネガティブに考える人がいる、という問題です。男性とその両親はそれを恥じて遠慮していたと言いますが、5年も付き合い結婚も射程に入っている仲なのに、この女性はその「遠慮」を解くべく話し合いなどをしなかったのでしょうか? 不思議です。
元のエントリーでは、「女性は若いうちの方が結婚しやすい」だったのですが、そこもそのまま男女を入れ替えました。最近では男性の早婚化、女性の晩婚化が進んでおり、男女ともにピークは25-29歳である(いずれも初婚率)とされています。また、若くないほうが結婚しにくいとされるのは、妊娠の可否等もかかわってくる問題であろうかと思われますので、それを抜きにして批判のために持ち出すというのはアンフェアな話かもしれません。
yucoさんが元の話を見て、男性社会だなぁと思ったのは理解できなくもありません。ですが、指摘している問題は男性社会とそれを体現していると思える登場人物を批判して終わるものだとは思えません。
パートナーが互いをどう理解し、不妊をどうとらえ、それを二人でどうやって乗り越えていくのか、という問題だと思います。離別、許容、保留、どれをとるかは、二人で決めることです。当然、二人の周囲から大きな影響を受けることにはなるでしょうし、そこに男性社会の問題を見ることもできるでしょう。でも、元の文章からはそこまでの話は伝わってきません。
男性社会は依然としてあり、それは多くの問題をはらんでいます。それを問題視するのはよくわかります。ですが、その視点、フレームが強すぎるあまり、ご自身がそう感じてしまった話を、極端にフレームに乗せてはいないでしょうか、自ら影を作り出してはいないでしょうか。影を叩いても仕方がないと思います。
さすがに、マンガみたいにいきなり突撃することはしませんが(というよりも、今の自分ではそれをすることが難しい...)。
「自分のどこが悪かったのか」と悩むことを繰り返した。
悪循環と書かれていますが、自分にはそれが悪いことではないと思います。
確かに、傷ついて落ち込んだりするでしょうが、その経験が次へ、あるいは恋愛とは違う環境で活かせていけるのでは?と考えたんです。だから、相手のことが好きだったことを自分の中で消化させてしまうよりは、失敗に終わったほうがいいと思うんです。
自分は、恋愛に対して消極的でした。
就職の話に例えさせてもらうなら、
といった、「ある程度決まっている」手続き
すらもふんでいなかった。就職する、という気はあっても、エントリーするための履歴書がどこで売っているのかすらわからないような状態かもしれません。
ちゃんと段階を踏んで、告白することが重要なんだと思う。
助走する距離は空けておきます><
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081017/1224232724
このエントリーのコメント欄、拝見しました。にゃあにゃあご苦労様です。
折角のシートン先生の罵倒被炎上逆ギレの至芸、更にコメント欄で花を添えて下さってありがとうございます。そうは見られるものではない、はてサの相互増強的炎上連鎖、ひとつの新境地、そこに達したにゃんね。おめでとうございますにゃ。炎上を収めようとする振りして実は灯油のスプリンクラー状態、友情は麗しいにゃりね。
もうひとつ、にゃんにゃん話体で他人を豚呼ばわりするという「無秩序動物園瞬間召還」の絶技、これまた見物を拝見できましたブー。猿さんがまだ来ていないのが残念でならにゃいウッキー。狼さんが姿を消したのがつくづく残念なんにゃ。うおーん。おろろーん。
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
こちらのエントリーを書いたのは必ずしもわたしではありませんが。
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
「えげつない」かそうでないかを決めるのはシートン先生。シートン先生がえげつないと認めるならばどんな抵抗も正義。正義のためには幼児も動員されて当然。芋の成長も自由自在。法治も司法も、シートン先生が認めなければただの飾り。
こんなすがすがしいエントリーは、滅多に読めない。
崇高な(またはプライオリティの高い)目的の前には、一部の犠牲などとるに足らぬ、
犠牲のもとに私の崇高な目的は達成されるのだ!批判者はゴミクズ、相手にする必要もない。
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
を書いた元増田ですが。
id:X-key 『そういう論点は全て的外れであって、問題の本質ではない』と言った時点で、この問題に論点が複数あることに目を瞑りました宣言。論点整理もしないで自論に持ち込もうというのは、シートン先生と同じで感情・好悪論
という批判を頂いた。折角頂いたが、この批判もまたいくらか的外れである。
なぜなら自分は別に複数の問題に目を瞑るつもりはなくって、そもそもが「シートン先生はどういうつもりであのエントリーを書いたか、また
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081016/1224141158
このエントリーを批判したか」という問題意識でシートン先生について論じたのであって、つまりまさに「シートン先生の感情・好悪」、それしか問題にしていない。芋や行政代執行にはなんの興味もないのです。ただひたすら、シートン先生の果敢な自己主張、幼児をも政治的に味方にして府知事を批判せんとする敢闘精神の由来について整理したわけです。
そのお積もりで改めて
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
を読んで下さると幸いです。
なお、
「思考停止しがちな人」ではなく、積極的に「思考を止めて」、お手軽にクエスチョンから逃れようとする人たちがどうやら多いみたい。はてなブックマークにおけるコメント欄のことを言ってます。
先日「人材派遣会社は別に暴利をむさぼってはいないし、悪徳企業でもない」ということを少々声を荒げて書き込みました。
(気になる方は「派遣社員に妙な同情はやめてくれ」を参照してください)
何人かのブロガーさんからは辛らつな声を頂戴しました。特に、派遣社員像について語っているつもりがいつの間にか派遣会社擁護に走っている点を指摘されたのは痛かった。僕が一番主張したかったのは「派遣社員はマスコミなどが報道するほど、正社員になりたがっている人ばかりではない。そういう人たちばかりをスポットに当てた報道を見て世の中の派遣社員がすべてそうだとは思わないでくれ」ということだったはずだ。にも関わらず派遣会社のマージン率まで持ち出して結果的に派遣会社の正当性を訴えることにもっとも字数を費やしている。しっかりと二本立てであることを明確にして書き込むべきだった。反省している。
とはいえ僕が主張した内容自体はいずれも理解して頂けるものではあったと思う。反発は当然にあるものと思っていたけど「ちゃんと読まずに斜め読みしただけだろお前?」と言いたくなる様なコメントがとにかく多い。どういうことだこれは。僕に文章力が無いことは自覚しているが、それでも義務教育を修了した人が読め切れないほどのボリュームでは無いし、難解な表現も用いていない(というか、用いる素養も無い)つもりだ。斜め読みするなとは言ってません。冗長で面倒ならば読まない権利だってあるんです。ただ、コメントする程度の関心を持ったのならば、せめて読みますよね普通は。全部。なぜそれをしないのか。
一番気になったのが「お前のようなタイプが派遣社員の全てだと思うな」的なコメント。お願いです、ちゃんと読んでください。僕は「派遣社員のみんながみんな、正社員になりたがっているわけではない」と言っているではないですか。この文面から、「派遣社員には出来ることなら正社員になりたがっている人が沢山居るのではないか」という前提が僕の頭の中にあることは明白ですよね。最後にも言ってます。「一を見て十を悟った気にならないでください」と書いてます。それなのに返ってくる言葉が「一を見て十を見るな」ですか? 故意に鸚鵡返しをして挑発されたということも考えられはしますが、全員がそうではないでしょう。
これはまだいいです。もうひとつ気になったのは「お前派遣社員じゃなくて派遣会社の関係者だろ」といった類の工作員説。マスコミによる心証操作という指摘もあれば、「選挙の工作員か?」という宇宙理論まで飛び出している。しかもそれが二つや三つではない。現実に居るんだ、そういう人が沢山。
僕だって「マージンが均一化すれば差別化が図りにくくなる、それだと困る」という(はたから見れば)宇宙理論を書いたのかもしれないが、少なくともこれは「邪推」とは到底呼べない「一つの見方」で受け入れられて良いと思ってる。
なぜそういう発想が出てくるのかを考えてみます。ひとつの理由は、おそらくですが僕の想像した通り、世の中の多くの人は派遣会社を悪だと思っているし、派遣社員は不遇にあえいでいる人種だと思っている人たちが多いということ。「派遣社員で今に満足している奴なんて居るはずが無い」「派遣会社を擁護する派遣社員なんて居るはずが無い」と思っていなければそんな発想はまず出てこないからだ。
もうひとつの理由は、彼らが「派遣会社=諸悪の根源」という機運に水を差されると都合が悪いタイプなのではないかということ。
これは他の方のエントリーがケチョンケチョンに叩かれている時にも見受けられることだが、自分にとって都合の悪い指摘・気に食わないことなど書かれた場合に、真っ向から反論するでもなし、苦言を呈すこともせずに罵詈雑言やレッテル貼りに始終してしまう人が多いようだ(良くて「わかってねぇなぁ、この人・・・」「馬鹿馬鹿しくてもう(ry」という、読み手の想像に委ねる形でコメントを都合よく打ち切っている)。
「こいつ工作員なんじゃね?」という言葉はその究極だ。こういう人は私生活でも仕事でも、自分にふりかかる問題を直視せずに、原因は常に自分以外にあると思い込む(思い込みたい)悪い癖があるんじゃないだろうか。普通、無い発想ですよそれ。そりゃ「アデコは恋人のように親身になってキャリアプランを立ててくれますよ」なんて言葉がこれでもかというぐらい綴られていたら疑いもするでしょう。でも、僕は今回派遣会社を擁護はしてもその一方で苦言も呈したつもりだ。あの程度の「派遣会社擁護」からお手軽に工作員だと断定して論ずるに値せずってか?冗談じゃない。
もしこうしたコメントをしている人が当の派遣社員だったとして、しかも自分が不遇にあえいでいると自覚しての反発なのだとしたら、原因は派遣会社のせいでも時代のせいでも政治家のせいでもマスコミのせいでも、最後の砦の親のせいでもないですよ。自分のせいだ。
いつだったか菊池誠氏がこうした傾向を「脊髄反射」と表現していて、うまいこと言うなあぁと一人でゲタゲタ笑ったことがあるのだが、こうして自分に対してそれが行われるのを目の当たりにすると正直ショックだった。決して他人事ではなかったということだ。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081016/1224147448
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081017/1224232724
これらのエントリーに対してブクマで無理解な非難のコメントが集中しているので、止むに止まれず。
行政代執行が正当か、とか、幼児をダシにしてアピールする保育園には教育的配慮が欠如している、とか、そういう論点は全て的外れであって、問題の本質ではない。
では本質とはなにか。これですよこれ。
単純に、ガキが楽しみにしている畑を役所が取り上げて高速道路を通す、それだけで充分なのだよ。
ハシモトのクソを非難するには。
そもそもシートン先生は、「ハシモトのクソ」を非難することが目的なわけで、ブログで建設的な意見のやりとりをしたいわけではいらっしゃらない。
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081016/1224141158
このエントリーを書いたd:id:KoshianXをイヌ呼ばわり、非難したのも行きがけの駄賃であって、要は党派的な立場から憎しみの対象をみんなで非難できれば、こんなに胸のすく思いをするネタはそうない。幼児をダシにすることに問題があるわけはない。幼児の政治参加も、シートン先生の望む側に立つならば、正義以外の何者でもない。それと対立する側に立ったならば幼児だろうが成人だろうが無論悪、それも極悪なのだが、そんなことは当たり前でしょう。
自分が気に入らない政治家の「クソ」を非難するという至上の目的に、どんな対象も役立てることができてこそ、ブログを書く意味があるというものでしょう。それに因縁をつけるブクマカーはまさに「俗物」。それを観察するシートン先生のまなざしはあくまでも真摯。紳士的真摯。
至言。始原の至言。これこそ正義。「えげつない」かそうでないかを決めるのはシートン先生。シートン先生がえげつないと認めるならばどんな抵抗も正義。正義のためには幼児も動員されて当然。芋の成長も自由自在。法治も司法も、シートン先生が認めなければただの飾り。
こんなすがすがしいエントリーは、滅多に読めない。
特にシートン先生が自らの党派的政治性を明らかにした「追記」に賛同のスターを寄せた良識ある人々の名をここに記して置きます。d:id:yune_kotomi、d:id:hokusyu、d:id:mojimoji、d:id:paleplantの尊敬すべき人々。
ちょっと聞いてくれ増田よ。
今さとある先輩の席の後ろ通ったんですよ。うちの会社の。そしたらさはてな匿名ダイアリーって書いた窓開いちゃってるの!わお!お仲間?でもさ、ぜんぜん嬉しくないんだよね。そいつ仕事回しても殆ど動かないし、理解力に難があって他の奴の仕事の時間が取られるし、会社でもハブだから。一緒にプロジェクト組もうと人員集めるのにネックな人。まあお互い時間ないのは分かるけどね。せめてそんなにドデカクブラウザ拡げて増田をやるなと。で、よくよく見たらこのエントリーですよ。そんなわけなんで、後輩として謝ります。ちなみにダブルバインドとか言っていい気になってるみたいですがバインドされてるらしい新人ははっきり言ってデキる奴でスルーしてるし、上だからっていうだけで指導力の無いこいつの事なぞ鼻にもかけてないから言ってやったんですよ。こいつの為にも会社の為にも上にちゃんと報告しろって。この新人さっきこいつの上と相談終わらせたし、こいつももうすぐ何か言われるはずだし、この程度の事が楽しみらしいんで、ちょっと大目に見てやってください。
(Tさんに気をつけてください。)
前回のエントリーに対してのトラックバックや言及がいくらかあったので、
それに触れつつもう少し考えてみようと思う。
前回いくつかの要因の「合わせ技」によって停止になったのではないかと書いたのだが、実際は再三の注意勧告を無視してつきまとい行為を続けたことが決定打となったようだ。
その点に関しては下記のダイアリーのエントリーの指摘により理解した。
停止理由に関して理解はしたけど、注意勧告があったとはいえ、「迷惑行為」という判断基準が曖昧という考えは変わっていない。
詳しくは把握していないが、ダイアリー・ブックマーク界隈では明らかな誹謗中傷による処置はあったようだが、今回はそれに当てはめるには微妙な気がする。
観察氏は,女性ハイカーがセクハラ発言を連投されてつきまとわれていたことをご存知ないんでしょうか.
似たようなことをされて,またそれを目の当たりにして耐え切れずに辞めてしまった女性ハイカーが複数いることも.
もし知った上で『スルーしろ』『我慢しろ』というのは酷ではないですか.耐性は人それぞれ違います.
たしかに,手放しにこれでよかったとはまったく思いませんが,すでに最近はスルーだけでどうにかできる範疇を越えていましたし、他に方法が無かったように見えます.
全容は把握していないけど、連投により付きまとわれていたのは認識しています。
しかしながら、それを感情的な観点から利用停止の原因と言い切るのには躊躇します。「セクハラ発言」の連投と限定するならなおさらです。
何を以て「セクハラ」とするかという問題に関しては、それこそ裁判でもその判断が争われるような事案です。
問題のユーザー「h」の発言がそれに掛かるか判断するのは難しい。わたしが見たところ直接的な卑猥な表現もないようでしたし。
卑猥表現がないからといってセクハラでないと言い切れないのは分かりますが、ハイク内にはほかにも卑猥表現をするユーザーはいますし。
実際「おっぱい」の連呼であったり「へっこ」によって不快感を感じている人はいましたしね。別に今そのことを糾弾する気はありませんが。
そのためわたしは「ある程度は仕方ないのでは」と思ったのです。結果的に運営側に「行き過ぎ」と判断されたわけですが。
初期段階でスルーしてしまえばよかったんでしょうけど,彼が質問系の書き込みをして親切なハイカーが応答してから,連投リプレイやコメント攻撃が始まったようなので「触らなければよかった」というのも結果論に過ぎません.そのリプレイ攻撃をスルーすればよかったのかもしれませんが.
またつきまといに関しても、上の増田氏が書いているように親切なハイカーの「好意」が始点の可能性もあります。
その「好意」を受けてユーザー「h」が寄ってきたと。
確かに「触らなければ良かった」というのは結果論に過ぎないと思いますが、触ってからの距離の取り方には他のやり方があったかもしれません。
わたしが見た限りですが、その距離の取り方はかなりヒステリックな部分があった気がします。
それに対してユーザー「h」がムキになった(おもしろがった)可能性もある。
もちろん耐性は人それぞれですから、どうしても我慢できなかったというのも分かります。
でもやり方によっては問題が拡大しなかったかもしれませんね。まぁ、これも結果論ですが。
あと、この件の引き合いに「へのへのもへじ」の件を出してくるのは違うと思います。
全く質が違う問題について言及することに意味を感じません。
もちろん通報したとして「へのもへ」の人が利用停止になることはないでしょうね。
前回も書いたように通報自体は構わないと思う。ただそのやり方にはやはり疑問を感じる。
ハイク内で逐一仄めかした途中経過を報告し、ところ構わず特定ユーザーによるユーザー「h」に「つきまとい」追い込みをかける。
「毒を以て毒を制する」つもりなのか分からないが、もしそれが正当なやり方だと思っているとするなら怖い。
そしてそのユーザーは「利用停止」という結果を得て喜び、今もハイクにいる。
ユーザー「h」に否があったとしても、やっていることはユーザー「h」と似たようなものだし。
これはこれで問題があるんじゃないかとも思ってしまう。
この辺りが違和感を感じる要因なのかもしれない。
最後に。
「依存度が異常に高い人」ほど「撤退宣言」を出したがったり、退会翌日には戻ってきたりという芸を誰も頼んでないのに見せてくれる人もいるんで、その辺は大丈夫なんじゃないの?
「ただ離れたユーザーは簡単には戻ってこない」ってのに関して大丈夫とは言い切れないと思う。
例に挙げられていたハイクに「依存」してる人が特殊であって、それ以外のほとんどの人はそうじゃないもの。
やや散漫な文章になってしまった気がするけど、今日のところはこんな感じかな。
前回書いた件に関して動きがあった。
どうやら問題のユーザー「h」は利用停止になったようだ。
はてな情報削除関連事例??迷惑行為
・08101501はてなハイク
前回のエントリーのように考えていたのでこの結果には正直驚いた。
確かに問題がなかったとは言い切れないが、「迷惑行為」というある意味曖昧な基準によって停止したというのは一つの事例になりそう。
複数人でのアカウント共有に関しても「ほのめかした」というだけで確証はない。
一つの問題点でと言うより「合わせ技」でアウトと言ったところだろうか。
当事者とそれ以外の者では当然のことながら温度差があるのであまり突っ込んだことは言えないけど...。
結果はさておき。
正直わたしは問題ユーザー「h」に関しては特に思うところはない。
「行き過ぎているのではないか?」と思うことは確かに多々あったが、
明確な禁止行為をしているわけではなさそうだったので、迷惑を被っている人には申し訳ないが「ある程度仕方ない」と思っていた。
今回の件で気になったのは迷惑を被った側だ。
問題を感じたことに関して「通報」という手段を取ることに関しては構わないと思う。
ただそのことに関してハイク内でほのめかすような投稿をし、一部ユーザー間で連携を取るようなやり方には若干疑問を感じた。
いや、ユーザー間で連携を取ること自体は問題ないか。それがハイク上でやり取りされていたことに違和感を感じたんだ。
その違和感の元が何であるかは今は分からないけど...。
そして利用停止が決定になった後には連携ユーザーの間ではその結果を得たことに対して称え合いが行われていた。
今回の処置に関しては適切であったか、何が正しいのかということは今のところわたしには分からない。
ただこれまであったような「追いだし劇」に運営が関与してきたことによって、何らかのしこりが残ったことは間違いなさそうだ。
積極的に「排除」に当たったユーザーとそれ以外のユーザーの間にも溝はできただろう。(実際この排除劇に関して否定的な意見もいくらか見られた)
「感情」が積極的に前に出た排除劇だっただけに(実際に直接的な罵倒もあった)、手放しに解決したとは言えない状態に今あるのかもしれない。
このあとどんな流れになるのかは今は分からない。ただ離れたユーザーは簡単には戻ってこない。
ソニー、40GBモデルの新型PS3にもアップデートでPS2との互換性を搭載か - GIGAZINE
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080618_ps3_ps2/
昨年11月にPS2との互換性を無くす代わりに価格を大幅に下げた40GBモデルの新型PS3が発売されましたが、10月に行われるファームウェアのアップデートで、新型PS3に対してPS2との互換性が提供されるかもしれないそうです。 PS2との互換性が無いことで購入をためらっていたユーザーには朗報かもしれません。 詳細は以下の通り。
PS3がアップデートで最新のFlashに対応、ついにニコニコ動画も視聴可能か
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081015_ps3_flash/
PS2との互換性については一言もなし。
前回書いたユーザー(便宜上hとする)の件がいよいよ複雑になってきたみたい。
これまでの他の問題が吹き飛ぶくらいの暴れっぷりだ。
はじめは連投であったり、連Reply、他ユーザーのidページへの多投が問題とされていたが、
近頃では意味不明なキーワードの量産、他ユーザーのエントリーのコピペと動きの幅を増やしてきている。
「スルーが最良の方法」という認識も一部あるようだけど、自分のエントリーが無断で(引用元が記載されていない場合もある)、
かつ茶化したように(hの本意は不明)書かれていれば、全くスルーするというのもなかなか難しいのかもしれない。
これまでいくつかの方法(運営への通報、対話など)で解決(排除)を試みられていたけど、
どの方法も決定打にはなり得ていないだろうとわたしは思う。
それは「h」は明確な違反を起こしているわけではない(わたしが見た限り)というところが大きいんじゃないだろうか。
恐らく通報したユーザーは規約などを目を皿のようにして読んだと思うのだが、「h」の行動に関してはグレーもしくはシロと判断されるだろう。
結局のところ「排除」側ユーザーの動機として先に立っているものは「不快感」だ。
この辺りの傾向に関しては下記のダイアリのエントリーが的を得ていると思った。
先に書いたように、特に関わりたくなければひたすら放置するのが妥当な方法だと思うけど、
その不快感はハイク全体を巻き込むとは言い難いが、それなりの数のアクティブユーザーに影響を与える。
でもどうしようもない。そんな「負」のスパイラルにハイクは放り込まれてるのかもしれない。
ちょっと大げさに言うと。
あと何日か前の増田で見かけた「ネットゾンビ」というのもなかなか言い得て妙だと思った。
はてなブックマーク - 【告知】MakeYourDayは近日中にサービス停止します。 - 無用の科学あるいは錬金術の「正直うれしい」なんていうブコメ見て思い出したが、http://b.hatena.ne.jp/entry/~の「このエントリーを含む日記」で、先のツールを用いたと思われる投稿を見て、がっくり来た印象が強い。しかも一度見たidの人は以後も同じような重複したコピペ投稿を繰り返す傾向が高かったので、Hatena Bookmark clipping site removerに突っ込みまくったものだ。
「ゴミエントリ量産するな」などと強制するつもりは毛頭ないが、せめて薄いエントリくらいは排除してくれないかなあ>「このエントリーを含む日記」
藤久建設vs.東急電鉄の裁判の結果は、はてブでも東急フルボッコだけど、
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200809300355.html
企業側というか実務をやってる人は、微妙な感じを受けたんじゃないかな。
例えば、id:FJneo1994氏のエントリーがある。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20081002
ブランド管理って難しいっす
【まとめ】
ノーベル物理学賞受賞者の国籍が問題となっているが、「受賞者」がどの国の人か、という点ではなく、その「知的な成果」がどの国のものとしてカウントされるかという点から見ると、文学賞の場合がとりわけ問題となるのではないか?
【本文】
先日発表されたノーベル物理学賞受賞者のうちに何人が日本人か?ということが問題となっている。南部陽一郎博士のことです。
ニュース記事ではこういうところが;
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20081007-OYT1T00543.htm
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080230.html
http://www.j-cast.com/2008/10/08028248.html
ブログでは、たとえば、こんな記事がある。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081007/1223385373
新聞等が「日本人3人」などと報道するからヤヤコシイことになるのだし、実際、読売新聞の記事では「米国籍で日本人」と書いてあったりする。
とりあえずそれらのいいたいところを忖度すると、日本で教育を受けて物理学者となった人であるのだから「日本人」なのだと判断することもあながち強弁ではない、というところだろう。
もちろん、そうなのだから問題ない、と私は考えているわけではない。報道等がどれくらい考えた上で「日本人」のカウントをしているかということに疑問がないというわけではない。
この点では、上に引用したブログの記事は、新聞等の報道姿勢に見られる、回復された自尊心や誇らしさの裏側にある他者への無思慮をやんわりと指摘していておもしろいと思った。とくに新聞報道での「日本人」基準が、やや「出生」という点に強調をおいているところは記事から読み取れる気分の高揚と結びついているのではないかなどとブログ記事を読んでさらに考えをめぐらした。
しかしながら、このような見方もふまえた上でなお、「日本人が受賞」という見方には理由があるのではないか。ノーベル賞がある学術の成果(具体的には研究論文)に与えられるという点を考えると、次のような考え方もできるのではないか。
つまり、今回の受賞理由となった業績は南部博士が日本国籍を有していたときのものである、ということをどのように考えるか、ということだ(ただし、論文発表当時、1960年はすでにシカゴ大学に在籍していた。なお米国籍取得は1970年のようである。南部博士は1921年生)。
ここからが言いたいことなのだが、このように書いてみて、わたしが気になるのは、今回の「日本人○人」という数え上げの問題ではなくて、さらに進んだところにある問題だ。
受賞者の国籍問題を、「研究の成果たる作品の帰属先」(ただし知的財産権の話じゃないよ)だと考えると、この問題は、ノーベル文学賞においてよりシリアスではないだろうか。
たとえばこういうことだ。日本国籍の人が、米国に在住し、英語で小説を発表する。この人に与えられるノーベル賞はどの国の人が受賞したと考えるのか?(いま「英語で小説」を例にしたが、英語の場合、事実上「普遍語」たる役割を果たしているので、もう一つ難しい問題が生ずるのだが、これには立ち入らない)
別の言語でも同じ問題が生ずる。日本でも、韓国籍の人がそのルーツを日本語で小説とする。中国出身の人が日本語で中国社会を舞台とした小説を発表する(近時の芥川賞!)。日本の例だと議論が別の磁場に引き寄せられるのだが、問題の本質は普遍的だ。アフリカ出身の人がフランス語で小説を書く。アメリカ人が日本語で小説を発表する・・・等々。
ここまで考えをめぐらして書いてみても取り立てて結論めいたものはないのだが、今回の報道やそれをめぐるいくつかの議論を見ていて「○○人というアイデンティティの根拠に何を置くのか」ということを、考えた。
【ブクマ読んでの追記】
・図式化すると、本文では、国籍あるいはアイデンティティについて、「出生」に対して「言語」という軸で考えるという方向もありうるだろうと考え、特にそれが問題となるのは、文学賞のようなものだろう、ということを述べました。
・Mukkeさんのコメントを読んでさらに考えたところ(また、http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081008/1223473549も読みました)、結局このエントリーを書いたときは、学術的な成果という「普遍的」なものに対して、それを報道する側が(日本のメディアなので当然のこととは思いますが)、国籍という「ローカルな」語法をもちだそうとするところに若干の違和感を感じていたのかなと思いました。
拝啓。
一雨ごとに秋に向かって涼しくなる今日この頃、いかがお過ごしでございましょうか。
あなた様のご評判、ご高名はかねがね伺っております。
日曜技術者としての地位はもはや盤石といった具合にご確立なさっているようで、
未経験の身から技術者としてこの業界に足を踏み入れ1年あまり、
プライベートで何のサービスも提供していないわたくしにとりましては、
非常に輝かしい存在でございます。
そんな2:50じゃない方のあなた様へ、
わたくしがおそれおおくも今回筆をとらせていただきましたのは、
あなた様のご真意をはてな村の皆々様が取り違えているように思えたからに他なりません。
あなた様のおブログ等を
わたくしのような若輩者が大変おそれおおいながらも拝見させていただきますと
はてな村の皆々様は書いていないことは、存在も実現もしていない事象と受け取っていられるように思えてなりません。
わたくしが思いますに、これははてな村の皆々様の人の良さが如実に反映されている結果に見えてなりません。
おそらくわたくしが思いますに、2:50じゃない方のあなた様のようにはてな村の皆々様はお修羅場をくぐり抜けてはいないのでしょう。
この結果もたらしますのは、はてな村の皆々様からあなた様へのおdisでありましたり、
おdisエントリによりリンクされましたあなた様へのサービス、
そしてそれに由来したあなた様おブログへの不要なアクセスへとつながるのではないかと、
あなた様は日曜技術者として、お時間はご有用に使われるべきでありますので、
このようなはてな村の皆々様との不毛な争いに巻き込まれるべきではありませんし、
なによりウェブサービス、ことAPIに関しましては一家言お持ちになっているあなた様のことですから、
おGoogle様のおボットクローラ、おlivedoorのおブログサーバへの負担に関してはご本意ではないのでは、と思うのです。
いえ、この点はあなた様のおブログにあります各おエントリーを通読させていただいておりますわたくしとしては、
そうに違いないと確信している次第でございます。
そこでまことに恐縮ではございますがひとつご提案をさせて頂こうと存じます。
はてな村の皆々様より、あなた様へのなんの恩恵もうけないおdisを回避する方法といたしまして、
あったことをそのまま時系列順になんのご省略もなくおブログおエントリをお書きになられるようおつとめ願えませんでしょうか。
御心の広い、お器の大きいあなた様のことですので「おdisりあいも多少の縁」と、
お誤用も気にせず平然とおdisエントリのおトラックバックをお受けになられるやもしれませんが、
そのことのご対応により、あなた様の日曜技術者としてのお時間が失われることは、
わたくしをはじめとしたおウェブ住人にとりまして大変な損害になることもあわせてお考えくださいませ。
なにとぞ、あなた様のご体験なされましたことをお時系列順にお包み隠さずおエントリされることをお願い申し上げます。
敬具。
追伸。
先だってリリースされましたお顔にお落書きされるサービスなのですが、
大変気になっているところでございます。