はてなキーワード: エントリーとは
複数の相手にそれをやったらどうなるかを考えれば、ダメなのがわかりきっているから。
しかし、どこまで本気で書いているのかは疑問だけれども、本気だとしたらわざわざエントリーにして
みんなに知らせるなんて、なんていい人なんだろー、と思わなくもない。
仕事忙しかったんで増田放置プレイしてたら、現役の不動産屋の方からtbまで頂いてビックリしました。
非常に参考になりました。
ちなみに自分は業者じゃないですw不動産とは全然関係ない職種。
今の家は自分の持ち家ではなく親の持ち家なんで「しょせん他人事」みたく思ってたところもあったんでいろいろ目が覚めましたよ。
タイトルはものものしいですが、決して中古やマンションを否定しているわけではないです。
こんなマンション(=元増田の家)もあるんで、ご指摘頂いたとおり「マンションは管理を買え」ということを痛感。
自分の記事は「この和菓子はまずいから和菓子は全部まずい」みたいなエントリーだと指摘されていたのはそう誤解される部分もあって仕方がないと思います。
前の家が良すぎた分、今のマンションが余計にクソに感じられるんでしょう。
その、うちの親も「騒音や水漏れは古いんだから仕方がない」みたいに思考停止してるんでまたどうしようもないのですが。
家族全員共働きつーのも、家に対する思い入れというか、真剣さが少ない原因なのかなあ…。
騒音などは折を見ていろいろ管理会社に相談してみます。
どうもでした。
観察記23の続き。
例のごとく以下の文はわたしの主観によるものです。
前回「ルール」についてふっと思いついたことが、と書いた。
それはハイクでの「ルール」について考えることは「webのルール」を考えることに似ているということ。
ここで言う「webのルール」というのは「ローカルルール」に類するもの。
例えば最近はあまり見られなくなったけど「無断リンク禁止」とか「ブックマークはTOPページにしろ」とか。
これってページの管理者が主張するのは自由だけど、閲覧者なりがそれに従うかどうかもまた自由なわけで。
主張するのは自由なんだけど、強要はできないという。にも関わらず一定の効力を有する。なぜか?
その原因は「ゆるい繋がり」にあると考える。
前述の「ゆるい繋がり」について考える前に、一度エントリーへの反応について考えておこう。
ダイアリーではブクマやコメント以外にもPVなりで自分のエントリーに対する反応が分かる。
だがハイクでは自分のエントリーに対する反応の指標となるのはスター、Reply、スターコメントしかない。
これはハイクでは閲覧側が能動的に行動しないとエントリーへのレスポンスが反映されないということを表わす。
次に一番気軽な反応と思われるスターを付けるモチベーションについて考えてみる。
お手本的な答えをすると「エントリーに何らか共感を覚えたとき」となるだろう。
純粋にエントリーに対して共感を覚えることも多々あると思うが、この「共感」、ユーザーに対する印象にも大きく左右されないだろうか?
例えばよく見知っている仲の良いハイカーと見慣れない新規ユーザーどちらにスターを付けやすいだろう?
もちろんユーザーの姿勢にもよると思うが、前者のほうがスターを付けやすい人が多いんじゃないだろうか?
Followingページしか利用しない人にしてみたら、見慣れない新規ユーザーの投稿自体を目にしないということもあるかもしれないしね。
スターを多く得たいと思うならば、エントリーの内容に気を配ることに加え、既にある「輪」の中に入っていくのも一つの手だろう。
ここでもう一度「ゆるい繋がり」を考えたとき、この「共感」と「輪」はハイク内の「ゆるい繋がり」の一つの形と言えないだろうか?
わたしは言えると考える。
「ゆるい繋がり」に関してはこれまでも似たような言及もされていると思うので、敢えて言及する必要もなかったのかもしれない。
ではこういうケースを仮定して考えるとどうだろう?
他ユーザーからのレスポンスをハイク上で大きなモチベーションとしているユーザーがいるとする。
このユーザーがレスポンスを得るために「ゆるい繋がり」を頼りにしているとしたら?
「ゆるい繋がり」を維持するために「輪」の中の調和を乱さないように気を付ける必要があるだろう。
調和を乱さないためには「暗黙のルール」を守る必要があるかもしれない。
もしこの「暗黙のルール」から外れて「輪」から飛び出してしまったら?
ユーザー「h」ほどではないにしろ、他ユーザーから距離を置かれて自分のエントリーに対して能動的に反応されなくなったら?
そこまでハイクに執着する必要があるのか?という疑問を感じなくはないが、常駐に近い状態でハイクを利用している人にしたら切実な問題かもしれない。
人となりが影響しないほど、有無を言わさないほどのクオリティのエントリーをPostしている人なんてそうそういないしね。
この「ゆるい繋がり」を維持しようとするがゆえに「暗黙のルール」を守らざるを得ない人は結構いるかもしれないな。
この辺りがわたしの違和感の源泉と思う。いや、もう少し先があるかもしれない。
やや散漫な内容になってしまった気がするので、この件に関してはまた改めて考えるかもしれない。
はてなってなんでこうも使いにくいの?
使い方を覚えれば割と使いやすいのかもしれないが、覚えるまでが大変なんですよ。
たしか前に、ココロ社さんを召集してアドバイスを受けたんですよね。それから何も変わってないっていうのはなんで?ココロ社さんの的確な指摘のあったあのエントリーだけを見てもいろいろ策は打てそうなのに、何で何もしないの?
それとも、リテラシー低い人を排除するためにワザと使いにくくしてるの?
ねぇ、なんなの?バカなの?
あー俺も多分「非モテ」に入る人間だと思うが、非モテを定義しようとする動きがいつも失敗に終わるのは、ネットみのもんたのせいというより、非モテ側がそもそもそれを拒むからだと思う。
結構真実に近い、てか隙の無い定義をする人はたびたびいるけど、そういう奴ほど非モテにとっては困る。(そういうエントリーにほど、感情的な「うるさい、非モテに関わるな」的なコメントが見受けられる)
なぜなら俺ら非モテにとって逃げ道がなくなるから。
非モテってのはいまものすごくラフな集合体になっている。ちょいと非コミュ気味な男性ならまあ大方誰でも入れるような(何せ既婚者でも自称非モテを語っていたりするんだぜ?)、漠然とした縛りになっている。だからこそ、皆、それを定義したくない。ゆるいままでいたいんだよ。何かあったときに精神的に非モテコミュニティに入って、非モテ同士ゆるく傷を舐めあいたいんだよ。なにかありゃ、とりあえずなんでも非モテのせいにできるような逃げ場を造っておきたいんだよ。女関係で何かあれば「やはり俺は非モテだから」とか言ったり、スイーツが何かやれば非モテの皆で仮想敵をやっつけてオナニーする。そういうのができなくなるんだよ、きっちり定義されると。「やはり俺は非モテだから……って拗ねてるけど、そもそもお前って「特にモテたくはないけど、恋人がいなくて、その事についてリアルでからかわれるのが嫌」タイプの非モテだっただろ?なんでそんなお前が拗ねる必要があるんだ?」とかズバッと言われてなすすべなくなる。非モテはソレが嫌。といって、最初から「モテたい非モテ」を自称すれば「だったら努力すれば」と言われてしまう。それを避けたい。そうすると、「モテたいけど、努力は特にしたくない」非モテということを認めざるを得なくなる。そういう自分に直面するのが非モテは怖い。更に言えば、「じゃあ、モテないのは在る意味必然なんだから、仕方ないんじゃね」とか言われても、その通りすぎてどうしようもなくて言い返せない、でもそういわれるのが気に食わない、つまり自分は「モテたいけど努力はしたくない、けど、でもその上でやはりモテたい」という非モテだという最悪のオチに気がつかなくてはならなくなる。
非モテはそうなっていくのをうすうす怖いと感じている。もっと漠然とした、定義なんかないゆるいコミュニティのままでフラフラ泳ぎ続けたいんだよ。逃げ場だから。
てかはっきり言ってもうほとんど非モテに関する答えは大概出てる。非モテはそれに気がつかないフリをしているだけ。いつまでも「人それぞれだから」で逃げようとしているだけ。本当に人それぞれだ、そんな定義なんかする必要は全然ない、っていうんなら、そもそも「非モテ」なんて俺たちが自称する必要だってないだろう。都合のいいときだけ「非モテだ」っていって固まって「俺は非モテだから」と使うくせして(時には非モテを理由にリアを攻撃しまくっておいて)、いざそこを言及されると「お前の非モテ定義間違ってる、俺はそうじゃない」と言い、相手が「じゃあ定義は?」「定義してみよう。じゃないと話が進まない」、と返せば途端に「非モテは定義なんかできない」「人それぞれ」「ネットみのもんたの優越感のために定義されてたまるか(もともとは非モテが非モテという言葉を使ってリアを攻撃しなければ始まらなかったのに、みのもんたのせいにしているのが笑える)」……
それはわがまますぎるだろうよ。
俺は非モテの定義ってぶっちゃけあらかたされ終わったと思ってるから(あとは非モテがそれを認めるだけ)、別に定義しようぜ!って意気込みがあるわけでもないけど、自分達は非モテと言う言葉を使いまくっておいて、それでリアや女を時には詰ったりして、そんなことしておきながらいざそれに反論するため相手が「非モテの定義」を考えようとしたら怒るって、幼児すぎだろう。非モテをふりかざして物事を語るなら、それを定義するのは必然。てーか定義なしにそんなこと語っても意味なんて無いんだよ。意外と非モテは文系が多いのか?定義したくないっていうんなら、非モテなんて言葉は廃止すべきだろ。こんな定義のほとんど無い、どうとでもいえる言葉なんか使って話をするのは卑怯だ。「非モテは人それぞれだ」っていうなら、その悲しみや苦労や怒りも、そのお前個人が背負えよ。「俺たち非モテは」みたいな話をするんじゃねえよ。都合のいいときだけ人それぞれ、悪いときには団結して「ボクタチ非モテだから」って、……アホらし。精神年齢低すぎだろ。俺だってこんなのと一緒にされたくないからやっぱ寧ろおおいに定義してもらいたいわ。
さすがに絶滅はしないと思うなあ。極端化はすると思うけど。
↓この人の意見に近い。
http://www23.big.or.jp/~nag/naagle/archives/2008/11/post-105.php
たしかにはてなでホットエントリー化すると、すごいヒット数を稼げるけど、
「かーずSP」とか「カトゆー」とかにリンクされるほどの影響力は無いと思う。
力の足りない人間が寄り集まって作り上げるコンテンツは面白いけど、
一流の人間が作り上げる魅力には結局敵わないだろう、というのが俺の持論。
天野喜孝がpixivに、さだまさしがmyspaceに、篠山紀信がflickrに、北野武がyoutubeに
投稿を始めるようになったら、その意見を認めなくもない。
http://anond.hatelabo.jp/20081101010901を書いた元増田です。
とりあえずメシだけでも食わねば……と、
先のエントリーを書いた後、
ラーメン屋に行ってきた。
注文したのはチャーハン定食。
チャーハンはなかなかいける。
それでいてあっさりしていて、香ばしい。
でも、まったく食慾がないのに、
いま、胃腸薬を飲んだところだ。
ただ、帰り際のクルマの中、
ちょっと吐きそうになりながら運転していたら、
その間だけ、元カノのことを忘れていた。
という気持ちに一瞬なれた。
と、信じているんだけど、どうなるんだろう
……考えてたことは、何の意味も無かった。
「久しぶり」「ほんと久しぶり」
顔を合わせたときにその程度言葉を交わして終わり。
たぶん、そうなるんだろうな
とは、何百回も考えてきた。
別れ話をしている最中、
晩飯の時間(7時)には帰ってくるの?
という話だったみたい。
それから妙にそわそわし始めた相手を見て、
復縁以前の話なんだなあというのが理解できた
「オレの存在は晩飯以下かよ」
と、情熱が一気に醒めてしまった
と、いうことを、チャーハン定食を食べながら思いだしてしまった
女の方が、別れた後はあっさりしてしまうんだろうな。
ちなみに、今思いだしたが、
明日の会合は中華料理店で行われる。
もちろんチャーハンも出てくる(これがまた旨いんだ)
あんまり無茶はしていないんだ。10万でレバを下げておけば、そんなに膨らまないんだろうな。楽天FXのポイントにつられそうで、どうしたもんかと思ったが、あそこはレバ変更できないしなあ。
先日見かけたFXを扱うブログで、コメントに来ていた人がすげー損失を出したらしく、教祖様に改心するかのようなことを書いていた。てか、ブログ主がそういうコメントがあったとエントリーに載せていただけで、本当にいたのかどうかは知らないのだけど、まああってもおかしくないのかもしれないと思った。
地方の方が労働環境は酷いだろうし、下手したら都心で働いている大部分の人間より彼は現実を知ってるかもね。
エントリーにも書いてあったけど彼は本当に選択を誤っただけだと思うよ。
もちろん、これはたとえ話です。
たとえば昔、あるところにはてなダイアリーがありました。
もちろん、これはたとえ話です。
けれども書けば書く程、id様はわからなくなってしまったのです。
はてなブックマークってわからないな。
自分と同じように煽り、自分と同じように炎上させ、閉鎖させました。
十二個目を閉鎖させ終えた後、ブログ主様ははてなってわからないなと言いました。
もちろん、これはたとえ話です。
けれども例えばそれがはてなというものなら
私は・・・私は・・・私は・・・
--------------------
あのさ、自称「非モテ」に訊くけど、結局どうしたいの?。自分を変えたいの?。モテてたいの?。現実彼女欲しいの?。人気者になりたいの?。それとも自分は変わらず、周囲の理解を得たいの?。差別を無くして、イケメンと平等に扱われたいの?。すなわち、モテたい、ってこと?。
よく「非モテ脱出指南」みたいなエントリーに、「非モテを理解していない」みたいなブコメが付くけど、じゃあ、なんなのよ「非モテ」って。どうしてモテないのか、どうしてモテるような行動に移れないのか、個々のディープなコンプレックスや、その元になったトラウマまで理解できないよね。だからこそが万人に有効な「非モテ脱出指南」なんてものあり得ないんだけど。で、そこらへんの「リアルな非モテ事情」を理解してもらった上で、どうしたい訳?。モテ方を知りたい訳?。
そもそも「モテる」ってどういうことよ。恋人を持つことが出来るって事?。複数の異性に好意を持たれてチヤホヤされること?。セックスの相手に不自由しないこと?。
女の「非モテ」話してみようか。あたしさ、女だけど、全然モテない訳よ。ブスだし、デブだし、しかも身長170近い。巨女よ、巨女。女の「モテ」はわかり易いんだよね。ルックス至上主義だから。ズバ抜けて美人じゃなくても、いわゆる平均的なルックスの女の子は問題なし。それなりに努力して綺麗に見せたり、性格が良いってだけで救われたりするわけよ。もちろん性格悪くてもルックス良ければチヤホヤしてもらえるし。でもさ、デカブスデブになると、もう救いよう無い。化粧してもお洒落してもオカマにしか見えなくて、ブザマになるだけ。てかさ、モテる為に努力するって、なんかハシタナいって思っちゃうんだよね。ま、努力しても「オマエなんか何しても無理」って言われるのが辛いだけだけどさ。実際、そういう傷つくこと言う奴いるからね、どんどん臆病になる。化粧品や服買うのすら恥ずかしいんだよ。店員に「オメ、お洒落無意味」と思われるのが恐い。何処行っても外見で忌み嫌われるんじゃないかとオドオドしてるんだよ。
能町みね子の「モテない系」ってカテゴライズも面白いと思うけどさ、自称「モテない系」の女って、あからさまにモテる為のアピールできるほどルックスに自信無いけど、自分はまだイケてると思ってるんだよね。だから「圏外」ってゲットーを授けて自分を「非モテ」から差別化する。モテないんじゃなくて、モテないという選択を自分でしているだけだよ、みたいな。
「圏外」って、いわゆる「喪女」だよね。恋愛相手の圏外。でも日本なんか殆どのオンナノコはルックス向上に対し努力家だから、喪女人口の比率が少ないし、喪女は自分の外見恥ずかしいから、あんまり外で堂々と遊ばないから見かけないしね。で、外は綺麗な子ばっかりに見えて、更に出づらくなる。悪循環。非モテ女って男にモテないだけじゃなくて、同性にもウザがられる存在なんだよね。モテたい子はドブスとはツルまない。喪女は男除けに効果抜群だし、一緒にされたくないからね。でも孤独じゃないよ。喪女には喪女仲間がいるし、姿の見えないインターネットもあるからね。
「そんな喪女のオマエも、結局イケメンが好きなんだろう」と言われるかもしれない。鑑賞物としてのイケメンは有りだけど、現実世界では喪女はイケメンが恐い。自分のルックス磨きに余念の無い男は、女性の外見にも厳しい意見を持っているからな。いや、殆どの男は女性の外見に厳しいけど、イケメンは自分で実践しているだけに、コチラの頭が上がらないと言うか。イケメンが歩いていたら物陰に隠れたくなるくらい恐い。
喪女は別に異性にモテたいって思ってないんだよね。いくら頭や性格が良くても、ルックスが伴わなければ、恋愛相手、すなわちセックスの相手としては見てもらえない。そこらへんはキッパリ諦めているんだよ。もちろん「ブス専」「デブ専」とか居るだろうけどさ、フェティッシュの道具に甘んじてまでセックスしたい訳じゃないし。最低限、人間として扱ってもらえれば幸せだよ、みたいな。恋愛の競争とプレッシャーから開放されるって、ある意味天国だよ。その安住の境地に満足できない喪女が本気でにモテたいと思ったら、ルックス大改革を実行してリベンジするし。だから「漏れは脳内彼女で十分!」と言っているような非モテ男が、地団駄踏んで現実モテを敵視する心理が、皮肉じゃなくて本当に理解できないんだよ。教えてよ。なんで知りたいのか、自分でも良くわかんないけど。
Firefoxのサイドバーに今見ているページのはてブを表示したい。
たとえば http://anond.hatelabo.jp/ を開いたら、サイドバーに http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/ が表示されるようにしたい。(「このエントリーをブックマークしているユーザー」以下の部分だけ表示されるほうがいい)
そんな拡張ってあるんだろうか?
この間の墨東病院の件で、病院側の批判あるいは産科医療崩壊を論ずるブログに関して。
はてなブックマーク - ぷにっと囲碁!なブログ | 東京の医療は既に崩壊してるのに…。(現在は、消されているので、魚拓→
http://punigo.jugem.jp/?eid=486 - 2008年10月24日 11:05 - ウェブ魚拓)で、各ブログの反応がたくさん引用されていた。はっきりいって気の滅入るものだった。いろいろな点で。
ひとつには、ブックマークの数からもわかるように、たくさんの人が押し寄せたように、ここで挙げられていたブログのほとんどがエントリーを削除あるいはブログごと閉鎖している。これは、bewaad氏が以前に指摘した「無防備な個人によるマスコミュニケーション - BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com」という問題といえるのではないだろうか。
また、もうひとつには、ここで挙げられているブログを「バカだなあ」と批判している人たちについても、今回の場合には当てはまらないとしても、一般にブログでの議論のようなものにおいては、自分は正しい知識を有しているぜとばかりに、他の人の議論における些細な点の誤りをあげつらい、その誤りが議論の本筋にどれくらい致命的かは測定することなく、論旨全体にダメ出ししてそれ以上の議論の展開を阻むような、ディベートの方法の悪い形での現れという危険性が少しだけ感じられる。
こう書いたときに念頭にあるのは、たとえば、こないだの内田樹さんの「学校選択制 (内田樹の研究室)」というエントリでのキーボードの配列についての事実誤認について、「良いこと言ってるのに「QWERT配列」の話でだいなし。」と言うコメントがあったけれども、ほんとうに「だいなし」になったのか? それから、「マックス・ウェーバーの犯罪」の件も似たようなものかと思う。右にも左にも末人の跳梁。
話を一段落前に戻すと、もちろん、
「いまのこの時期に「たらい回しは殺人罪相当」ということを軽く書けるのは、情報摂取能力が高くないことは明らかであって、このような人をブログで説得することが難しいこと(説得して考えを改めるくらいに賢い可能性の低さ)は想像に難くないので、これを批判する場合には、とにかく罵倒・皮肉・当てこすりによって、お前バカなんだから反省しろ、とSPAMのようにコメントをたたきつけるのを戦略として選んでいるのかもしれない」
という可能性は低くありませんが。
もうすこしディーセントにいきたいのだけど、難しいですね。
コミュ力が、何を意味するかによろう。まず口頭でのコミュ能力と文章でのコミュ能力はかなり違う。増田でコミュ力を練ることができるとして、それは文章でのコミュ力に限定される。
さらに、増田は顔が分からない相手同士の議論と罵倒の場になりがちなので、「罵倒に慣れる」「理屈の通らない相手と冷静に対話する」「論理的な議論をする」「あいまいさのない表現をする」あたりのコミュ力はつくだろう。
「相手を共感させる」とか「相手を楽しい気持ちにさせる」というコミュ能力を磨くには増田よりハイクのほうが手っ取り早い。この違いは、受け手側に、こちらの表現を好意的に受け止める土壌があるか無きかに拠っている。ハイクにはそれがあるから、「相手を共感させる」とか「相手を楽しい気持ちにさせる」ためのハードルが低い。
が、増田でそれが出来ないというわけでもない。ただし、ハードルは高くなる。まず、増田との対話でやろうとしたら、相手との相性がいい、相手がこちらの話を聞く意志がある、その意志がなくてもこちらがそのように仕向ける力がある(高度な技術だね)などの条件が必要だ。また、増田と対話せずに「相手を共感させる」とか「相手を楽しい気持ちにさせる」というコミュ能力を磨くことも可能だ。増田を読んでるはてブユーザーを相手に文章を書けばいいのだ。はてブユーザーが共感を覚え、熱狂のるつぼに突き落とされるようなエントリーを書くのも面白い。でもそこまでできたなら、次は自分のブログでやるほうが楽しいだろう。
エントリー元を読んでも、顔真っ赤にする理由が見あたらない。
http://anond.hatelabo.jp/20081028203720
http://anond.hatelabo.jp/20081028203830
自作自演するときは二回までは続けてやる。それ以上やるときは一人他人のふりをした自分をはさみ、再度自演をする。
2がキーポイント。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081022/1224628020
id:letterdust ↓身体障害と違って、キレ出すと凶暴だよ、うちらwwww/思いやりじゃなくて処世術として覚えてね☆/↑あはは、また汚名挽回しちゃったかもw/こりゃブログ開いてhashigotan目指すきゃないかな♪
このところid:letterdustとid:magician-of-posthumanが揉めているのは知っているが、その経緯と切り離しても、これはどうかと思う。
まず「↓身体障害と違って、キレ出すと凶暴だよ、うちらwwww」だが、これはid:letterdustがADHD(発達障害)を自称している文脈がある。しかし、仮に本人が本当に発達障害だったとしても、「キレ出すと凶暴」と形容していいのはせめて自分だけである。「うちら」というのはなんだろう。他の発達障害者も一括して「凶暴」呼ばわりする資格が誰にあるのか。もちろん、実際に「キレ出すと凶暴」な発達障害者もいよう。しかし、社会とのコミュニケーションの不全を感じつつも、それを緩和しようとして様々な努力をしている人もたくさんいる。凶暴になりかかってこらえている人もいる。その人たちを差し置いて、id:letterdustが発達障害者を代表したかのような物言いをする根拠はなにか。
「思いやりじゃなくて処世術として覚えてね☆」というのも、呆れる他ない。まず発達障害者一般を自分と同様に「凶暴」であるかのように宣伝して、そういう「凶暴」な相手に「配慮」して接するのは「処世術」として「覚えろ」と強要する。自分を弱者代表として、その弱者への配慮を強要するテクニックだが、こんな卑劣な「政治的」な振る舞いを肯定する発達障害者は多くないだろう。他の発達障害者は、自分たちへの偏見が強まる危惧を覚えるだろう。自分たちを「代表」してスティグマを武器に使うような権利は、誰が誰に与えられようはずもない。ちなみにid:letterdustは、こういうことをコメントする片方ではid:Midasを勝手に「アスペルガー障害」と「認定」している。ではid:Midasに自分は処世術として「適切」に接したのか?見苦しいとしか言い様がない。
「こりゃブログ開いてhashigotan目指すきゃないかな♪」に至っては、込められた悪意に唖然とする。ここで引き合いに出されたid:hashigotanは迷惑という程度のものではない被害を被ったと言える。id:hashigotanがいつ、こんな「障害者一般」を代表するかのような卑怯なレトリックを用いたのか。id:letterdustはまず、id:hashigotanに一刻も早く謝罪すべきであろう。
なるほど、こういうメンタリティの持ち主ならばこそ、「国語の成績が悪そう」「半ば本気で死んで欲しい」などというネガタグを平気で発案できるのかと思うが、その殺伐とした感性にはどんな理性的な対応も無意味であろう。こういうネガティヴブックマーカーに絡まれないためにも、増田は必要である。論理が論理として独立して議論の対象になる場がなければ、悪罵に対して最も鈍感な人格ばかりがこのようにのさばることを許してしまう。それを喜ぶ人にとって、増田は確かに目障りだろう。罵詈雑言の十字砲火を愉しむ人には。
こんなコメントもある。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/hmwr_k/20081024/1224840331
id:letterdust 増田に中傷キャラ認定されたわたくしが来ましたよ。誰かを嫌いで、私も嫌いやけどそんな責め方したんなよ〜が誹謗中傷になってオフで会った人までとばっちりが来るこんな世の中じゃ、ポイズン。
他者を障害者と認定できるのは、専門家が診断に必要な十分な情報を得たときだけで、だからといってそれを第三者に触れ回ることなど問題外の行動である。まして、他者を貶めるために素人に玩ばれていい概念ではない。まして、その同一人物が同じ「障害」のレッテルを自分に対しては免罪符として使い、周囲には「弱者」への配慮を「処世術」として強いること、その目的のためには障害者一般に「凶暴」という形容詞を使うことを躊躇しないこと、自分はその代表を僭称すること、これらの行為を見たとき、無惨としか言い様がない。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081025/1224891066
ここで論じられているわけだが。
ひとつ傍証のごときものを。id:ohakmi3が姿を消しても、非常に類似したスタンスでd:id:HALTANを揶揄的に攻撃しているブクマコメントが、id:letterdustによってなされている。これは時系列を遡ってみていくとよくわかる。ふたつのアカウントの活動時期が重なっておらず、絶妙にバトンタッチされたかのように似たような感じの攻撃的コメントが、受け継がれているように見える。そしてこの二人は、「ポストヒューマンの魔術師」氏によって、「ADHDを後出しジャンケンで自称して言い訳に使う」という共通点がある。
仮説として考えてみる。id:ohkami3は、id:letterdustと似た言説を繰り広げる誰かのサブアカであって、一際えげつないネガタグ「半ば本気で死んで欲しい」「国語の成績が悪そう」、これらを心置きなく攻撃したい相手につけるために駆使された仮面だった?
そしてそれが増田のエントリー、「「脳の失敗」タグには呆れた」で窘められると、ohkami3は活動を停止し姿を消した。しかし、攻撃感情旺盛なキャラクターは、letterdustがどういうわけかそのポジションを埋めている。
人を攻撃したい欲求、罵りたい欲求、それを心置きなく発揮するために取られたアカウントなんていうものがあるのか?そうだとしたらなんと浅ましい。
もちろん推測に過ぎないが。
以下加筆
d:id:kyo_ju氏が「増田で書くか」というブクマコメをしたようだが、まさに「脳の失敗」タグ騒動のときに、「魔女を火炙りにする焚き火の周りで踊り狂っていた」のがこれらid:ohkami3氏たちであった。そのとき余りの悪罵のおぞましさを批判されたd:id:hokusyu氏やd:id:Romance氏などはいつのまにか例のHALTAN氏のエントリーへのブクマコメを撤回したようだが、本人たちでさえ恥じて後に撤回するような浅ましいネガティブコメントのスクラムに襲われるようないわゆる「はてサ紅衛兵」たちによる「はてサリンチ」を避けるために増田で書いているのである。はてサリンチに大賛同のスターを乱舞させていたような「浅ましい仲間」のd:id:kyo_ju、その後開き直ったように「脳の失敗」タグを濫用していたような同氏のような「悪口雑言で悪目立ちすることを自己承認の手段とする」キャラクターへの懐疑もあり、増田で書いているのである。
増田で書こうがどこで書こうが、論旨を批判されるならされればよい。それが出来ないのは、魔女狩りの相手を吊し上げにくいというだけのはてサ紅衛兵の自己都合に過ぎまい。
http://anond.hatelabo.jp/20081021023208を書いた増田です。
ちょっとだけ追加。
元増田もしんどかったら,カウンセリングなどを受けると良いと思います。
あと,本人が行かないなら,周りが行くというのも最良ではないけど,方法としてはある。
精神科医に対処方法を直接聞くっていうこと,それと自身の精神的ケアのためにです。
病院に行かせるのって本当に難しいんだよね。
だって,本人は病気じゃない(病識がない)って思ってるからね。
周りを巻き込んでる場合の多くは。
病識がないっていうのも症状の1つ数えていいんじゃないかって最近思う。
根気強く,病院に行くように説得する。
もしくは,私がついて行くから一緒に行こうと無理矢理連れて行く。くらいしか思いつかないな。
病院選びは非常に難しいんですが,
とりあえず,精神科医は薬を出す人なので
精神科医だけじゃなくて,カウンセリングが必要なら受けられるとこにする。
っていうのがおすすめではあります。
あと,なんで恋人に振られて統合失調症の症状がでるかについては
前に俺が書いたけど,全然人気がなかった下記のエントリーを参考にどうぞ。