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2020-08-02

[] コンテンツサイズ

コンテンツの規模を、消費するのに要する時間や展開するメディアの数から評価した概念をこう呼んでいる。この概念が近年、重要になってきているのは、スマートフォンという媒体の普及に伴うコンテンツ発信スタイルの変化に因る。

例としてはソーシャルゲームが分かりやすい。ソーシャルゲームでは一定期間おきに更新ゲームイベントが開催され、ユーザ継続的プレイを促す。また、デイリーミッションという形で毎日ゲームを起動してルーチンを行わなければならないゲームも多い。あるいは漫画アプリの類では、毎日1話だけは無料で見ることができたり、週ごとに新しい話が追加されて期間を過ぎると見れなくなったりする。

こうした媒体は一貫してユーザに持続的な利用を促しており、かつての媒体のように空いた時間に消費すればよい、というものではなくなっている。多少の語弊はあるが、ここでは前者は新型コンテンツ後者を旧来型コンテンツと呼ぶことにする。新型コンテンツを楽しむためには、ユーザ自分の使える時間を短い単位、例えば1日の24時間から意識的に配分しておかなければならない。ユーザにとって定められた消費期限を過ぎてしまうと、コンテンツはむしろストレスの原因へと転じてしまうからだ(つまりコンテンツの発信者にとって、消費期限ユーザ継続利用を促させる武器であると同時に、それを過ぎた際にはストレスの元となって「じゃあもういいや」とばかりにコンテンツ放棄される原因ともなる両刃の剣であるわけだ)。結果として、ユーザはあるコンテンツに興味を持った際に、それが自分生活の中に取り入れる余裕があるか、ということを考え始める。自分自由時間、既に取り入れている新型コンテンツの数などを検討した上で、そのコンテンツに手を出すかを決めるのである

こうしてコンテンツサイズが今までとは違った意味重要になってくる。高品質製品であっても、同じジャンルに既にヒットしている新型コンテンツがあり、そのコンテンツサイズが大きいとすれば、取り入れてもらうことは単なる商業的競合以上に難しくなる。ならば、あえてコンテンツサイズを落とすという選択メリットが増してくるわけだ。だがそれだけでは不十分だ。この場合には単にコンテンツサイズを落とすことばかりでなく、ユーザに対してそれを伝えなければ意味が無い。逆に、コンテンツサイズが明瞭であるならば、特定サイズコンテンツを求めるユーザを狙い撃つことができる。すなわちマーケティングである

さて、以上は新型コンテンツについてであるが、この考え方は今や旧来型コンテンツにも波及している。いつ何時消費していい旧来型コンテンツであるとしても、それに手を出す際にはコンテンツサイズ意識する習慣を持ったユーザが増えてきているのだ。ここから未来の予想に過ぎないが、肥大化する一方のコンテンツ、例えば長期に渡るシリーズ物などは徐々にその価値を失っていくのではないか、というのが筆者の考えである。あるコンテンツを長期に渡って追いかけたり、過去作品を遡って楽しむ労力は思った以上に大きい。一度そのことを学んでしまえば、ストレスに敏感な現代人が、無数の選択肢の中からあえて楽しみきれないコンテンツを選び取るとは考えにくいからだ。だとするならば、前述の発信の仕方によるマーケティングにも更なる見解が加わる。例えばシリーズ物にあっても、作風システム踏襲しても、ストーリー的な繋がりは排していた方がユーザを獲得しやすい、というのは既知のことだが、この傾向は一層加速することだろう。ユーザコミュニティデザインする場合には分離を意識的に強めておいた方がいいかもしれない。

何にせよ、筆者の結論としてはこうだ。「コンテンツサイズを明示的に減らした製品を増やすべきだし、今後増えていくだろう」。

 
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