インフレターゲットは導入すべきでない
多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲットを日本も導入するべきだという声が一部にはある。
中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、
彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。
しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、
彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。
一九八〇年代にミルトン・フリードマンの感化を受けて、世界中の中央銀行がマネタリズム、すなわち中央銀行のなすべきことは マネーサプライ(通貨供給量)をコントロールすることだけだ、という信条を採用した。通貨供給量を厳しくコントロールすれば、低く安定したインフレ率に導くことができ、それによって安定した高成長を実現できる、という考えである。
改めて言うが、マネタリズムを裏づける理論は存在せず、限られた実証分析結果があるだけだった。
実際、マネタリズムは機能しなかったし、いくつかの点では完全な失敗だった。今日では、
事実上すべての中央銀行がこの信条を捨て去っている。(この破棄された信条の名残りとして、
アメリカが、そして世界が、一九八〇年代に経験した経済的苦難の多くは、マネタリズムに対する
盲目的な信仰にその原因があった。中央銀行が通貨供給量のコントロールに関心を集中したことは
未曾有の高金利を招き、短期で借り入れて長期で貸し付けていた金融機関―――とりわけ
何百万人ものアメリカ人に住宅ローンを提供していた貯蓄貸付組合(S&L)―――は、一夜にして
事実上、破綻した。レーガン大統領の規制緩和―――そのおかげでこれらの金融機関は高リスク、
高リターンのローンに乗り出すことができた―――と、いくつかの会計上のトリックによって
崩壊は先送りされたが、それは必ず訪れる報いの日が来た時、納税者が負担するコストが
さらに大きくなるということだった。この救済事件のあと融資基準は当然引き締められたが、
今度はそれが、一九九一-九三年の景気後退の一因となった。
アメリカにはこの嵐を比較的楽に切り抜けるだけの資源があった。(もっとも一九八〇年代
初めの景気後退は、巨額の財政出動にもかかわらず大恐慌以来の厳しいものになったのではあるが。)
だが、マネタリズムが発展途上国に及ぼした影響は悲惨だった。金利の上昇は、
ラテンアメリカ諸国が一九七〇年代の石油価格ショックを切り抜けるために借り入れていた債務が、
突如として背負いきれないほどの額に膨らんだということだった。ラテンアメリカ諸国は相次いで
デフォルト(債務不履行)を起こし、この地域は一〇年にわたる停滞―――いわゆる「失われた一〇年」―――に陥ったのである。
中央銀行はいつも単純なルールを求めており、今日の単純なルールは「インフレターゲット
(目標インフレ率)」である。目標インフレ率を設定して、インフレ率がその目標より低ければ金利を下げ、
高ければ金利を上げろ、というわけだ。インフレ率の変化を生んだショックが
どこから来たのかも、失業率や為替レートがどうなるかも気にする必要はない。その論旨はこうだ。
インフレ抑制に専念することが「信頼性」を生み、その信頼性こそが、経済がショックに対して
より効果的に反応することを可能にする。石油価格が上昇するときは、インフレ率は(一九七〇年代のようには)
上昇しない。中央銀行が素早く行動してそれを抑え込むことを
市場参加者が知っているからだ。インフレ率が将来上昇しないことがわかっているということは、
世界の大部分でインフレ率がこれほど低く抑えられてきたことには、もちろん別の理由がある。
グローバリゼーション全般、そしてとりわけ中国である。海外からの低価格の財が
供給されることで、国内の物価が抑制されてきたわけだ。貿易財は多くの非貿易材の優れた
代替財となる。グローバリゼーションは製造業分野(および他の貿易財分野)の賃金に下降圧力をかけ、
それが経済全体の賃金に下降圧力をかけてきた。市場に十分な競争がある限り、これは
とりもなおさず物価はどの国でも安定を保つということだ。
インフレターゲット論は、少なくとも短期的にはマネタリズムより害の少ない宗教である。
それは一九八〇年代初めのアメリカの異常な高金利のような極端な振る舞いには、概して繋がらない。
しかし、長期的には、ヨーロッパが実証してきたように、景気の悪化を招くことがある。
高レベルの失業にもっと関心が払われていたら、ヨーロッパの金利はもっと低く
抑えられていたはずだ。
高金利は投資を抑制してきただけでなく、為替レートの上昇ももたらし、
それがヨーロッパの景気を低迷させてきたのである。
日本の場合には、インフレターゲット論はデフレ対策として唱えられてきた。
デフレが問題なのは、一つには名目金利がゼロであっても(デフレを考慮すると)実質金利はプラスになる
からだ。デフレが続く限り政府は金利を低く抑え続けるとわかっていれば、市場参加者は、
長期実質金利がやがて低下することを確信して、消費や投資にもっとカネを使う気になるだろうと、
インフレターゲット論者は主張する。日本の場合のインフレターゲット論の問題点は、それが
短期的に間違った変数に着目することにあり、インフレターゲット政策への
コミットメントが信用できるものだとすれば、そのために金融当局は間違った戦略を長期にわたって
推進することになる。
金融政策は実質金利(インフレターゲット論者はこれに着目する)よりも、むしろ
信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて景気に影響を及ぼすのである。金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)よりも信用供給の拡大に注目
した方が正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法は
いくつもあり、これらの方法が金融政策の中心に据えられるべきである。
さらに、金融当局が長期実質金利に影響を及ぼすことを望んだとしても、それを達成するには
インフレターゲットの導入よりも効果的な方法がある(インフレターゲットの効果は、
せいぜいよくて不確実といったところだ)。一例を挙げると、短期国債と長期国債の相対的な
供給量を変えることによって、これらの資産の相対的な価格に影響を及ぼし、それによって
長期実質金利に影響を及ぼすことができる。
「ここでの私の論旨は、日本の金融・財政当局間の協力が、それぞれの政策担当者が単独で直面している問題を解決するのに役立つということです。たとえば、日本銀行による国債の買い入れ額の増加と明らかに一体となった家計と企業に対する減税を考えてみてくださいーーしたがって減税は結果的に通貨創造によってファイナンスされます。さらに、日本銀行が、物価水準目標を公表することによって、景気回復にコミットしたと仮定します。そうすると、マネーの増加の大部分あるいはすべてが恒久的だとみなされます。この計画では、日銀のバランスシートはボンド・コンバージョンプログラム(財務省が日本銀行保有の日本国債の金利を固定金利から変動金利に転換。財務省が日銀に支払う利払いは、日銀の財務省への納付金で相殺)によって保護され、また国債は日銀によって買い入れされ、民間部門には売却されないため、債務残高についての政府の懸念は緩和されています。さらに、消費者と企業は減税の大きな部分を貯蓄ではなく支出に向けようという意思を持っているはずです。彼らは手元に余分な現金を持っていますが、--日銀が減税額に等しい額の国債を買い入れるために--将来の増税を示唆するような現在あるいは将来の債務償還のための負担は発生しません」(高橋洋一訳『リフレと金融政策』、137頁ー8頁)。
「では、日本のデフレはどうすれば克服できるのか。日本政府が財政の不足分の一部を国債の発行ではなく紙幣を刷って賄うとしたらどうだろう。この新に刷られた円を受け取った個人や企業のなかには、使わずに預金する者もいるだろうが、使ってモノやサービスを購入する気になる者もいるはずで、それによって景気が刺激される。また預金が増えれば、過剰流動性を増やすだけの銀行もあるだろうが、貸出を増やしたほうがよいと判断する銀行もあるはずで、そうなると景気はさらに弾みがつくことになる」(『スティグリッツ教授の経済教室』邦訳59頁)
「慎重にペース配分しながらこのプログラムを実行していけば、景気を上向かせるだけの総需要拡大を生み出し、デフレを反転させて好循環をスタートすることができるはずだ。物価が上れば債務者の返済の負担は軽くなり、その結果、彼らがもっとカネを使うようになるかもしれない。また、借入れを返済する債務者が増えることで、銀行も貸出を増やすかもしれない。略 もちろんインフレ恐怖症にかかっている人たちは、そのような政策はインフレ・スパイラルを招くのではないかと憂慮するだろう。しかし、そうした憂慮を裏付ける調査結果は一つもない。インフレ率が低い国や穏やかな国については、中央銀行が何を言おうと、インフレ率の緩やかな上昇が天井知らずのインフレにつながることはないのである」(『スティグリッツ教授の経済教室』邦訳59頁)
自由貨幣(独Freigeld、英free money)とは、シルビオ・ゲゼルがその代表作「自然的経済秩序」で提案した通貨制度。中立貨幣(独:Neutralgeld、英neutral money)あるいは減価する貨幣とも呼ばれる。
財やサービスの多くが時間の経過とともに劣化するのに対し、インフレがないと仮定すると貨幣は価値が減らないため、融資する際に債務者に対して金利を請求できるため、通貨を大量に保持している人間は金利収入だけで生活が可能になる一方で、債務者は稼ぎのかなりの部分を金利という形で吸い取られていくことで富の格差が拡大したり、利息ぶんの利益が出ない事業に対して投資が回らないなどの問題が発生する。
これは、緩やかなインフレを人工的に引き起こしているように見えるが実際にはインフレとは異なる。 インフレは貨幣価値に対する財やサービスの全面的高騰を意味するが、貨幣が減価するというのは貨幣を保有しているものに対してのみ影響するからである。つまり、減価する貨幣において100円が90円に減価したとしても、世の中の財やサービスの価格に変動はない。しかしインフレにおいては財やサービスそのものの価格が変動する。インフレは今所有していない貨幣(例:将来得る予定の賃金、等)に対してもその価値を減ずる効果を持つが、減価する貨幣ではそういうことは起こらない。
なお、ゲゼルの考え及び自由貨幣について、ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、一定の評価を与えながらも以下のように批判している。
スタンプ付き貨幣の背景をなす考えは健全なものである。もちろん、それを控え目な規模で実行に移す手段を見出すことは可能である。しかし、ゲセルが取り上げなかった多くの困難がある。とくに、貨幣はそれに付随する流動性打歩(編者注:いつでもモノに交換できる性質のこと。流動性とほぼ同義。)をもつという点において唯一無二のものではなく、ただその程度が他の多くの財貨と異なっているにすぎず、貨幣の重要性は他のいかなる財貨よりもより大きな流動性打歩をもつことから生ずる、ということに彼は気づかなかった。したがって、もしスタンプ制度によって政府紙幣から流動性打歩が取り去られるとしたなら、一連の代用手段-銀行貨幣、要求払いの債務、外国貨幣、宝石、貴金属一般など-が相次いでそれにとって代わるであろう。
参考
■[知識][経済]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文
http://anond.hatelabo.jp/20081118194540
金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全な財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべの世界」だ。ここには長くいたくない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1030466313fe91ad865d0bfa2b9c9f1a
彼(クルーグマン)は、1998年に"It's Baaack!"と題する論文で、
伝統的な見方では、流動性トラップに置いて金融政策は無力で、財政支出の拡大だけが唯一の出口、ということになるけれど、これは考え直すべきだ。もし中央銀行が、自分たちは無責任になり、将来はもっと高い物価水準を目指します、ということを信用できる形で約束できれば、金融政策もやっぱり有効になる。
と主張した。これに日本の「リフレ派」と称するエコノミストが唱和して、日銀が異常な金融緩和を行ない、それが円キャリーを誘発してアメリカのバブルの一因となった。それなのに今回は同じ状況でインフレ目標を提案しないで、かつて「やけくその政策」とバカにした財政政策を推奨するのはどういうわけか。彼の議論が機会主義的で一貫性を欠くのは今に始まったことではないが、学者ならかつての自分の提案が間違っていたことを認め、それが日米の経済に少なからぬ悪影響を与えたことを謝罪してほしいものだ。
補足 (池田信夫)
2008-11-18 13:36:26
TBにも書かれているが、クルーグマンがこの記事の質問に答えています(日本語が読めるわけないが)。
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/15/macro-policy-in-a-liquidity-trap-wonkish/
This misses a key point that I and others tried to make for Japan in the 90s and are trying to make again now: creating inflation is easy if you’re an irresponsible country. It may not be easy at all if you aren’t.
要するに、日本では(アメリカでも)無理だということを認めたわけです。しかし、それに代わって彼が提言する財政支出は、もっと無責任な政策です。こういうとき国際的な影響を考えないのは、政治家も経済学者も同じ。かつての「インタゲ」論議が日本国内のことばかり考えて、結果的にグローバルな過剰流動性を作り出した愚を繰り返してはならない。
08年のノーベル経済学賞受賞が決まった米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授が14日、ニューヨークで記者会見した。深刻な世界不況が始まっており、米国では政府による60兆円規模の経済刺激が不可欠と強調。今は常識が通用しないときだとして大胆な対策を訴えた。主な内容は以下の通り。
経済の数字は日ごとに悪化している。すべてが、がけから転がり落ちているようだ。消費支出、小売販売額、失業保険の申請・・・。様々な指標を見れば、我々が世界的な大不況に突入しつつあるのは明らかだ。だから、多くの対策が必要だ。米国の失業率は来年末までには8%か9%程度まで悪化するだろう。一方、完全雇用状態を示す失業率(自分に合う仕事を見つけようとするための失業などを除いた失業率)は5%程度と見るのが妥当だ。実際、この10年で2度、インフレを起こさずにその水準まで下がった。
失業率の変化と国内総生産(GDP)の関係をしめす「オークンの法則」を使って大雑把に計算すると、米国は、GDPの7%分も生産額が足りないという状況に直面しつつある。このギャップを埋めるには、巨額の財政支出による景気刺激が必要だ。「乗数効果」を計算に入れてもGDPの4%(約6千億ドル)の支出でも、まだやや足りないと思う。
こんな数字を言うと、人々はあごが外れるくらいに驚くだろう。しかしこれが現状なのだ。普通の不況ならば、財政がすべての重荷を背負う必要などない。連邦準備制度理事会(FRB)による利下げで間に合う。
しかし今や、利下げは限界に来ている。(政策金利の誘導目標になっている)フェデラルファンド金利が0.29%まで下がる例も出てきた。アナウンスはされていないが、すでに日本で採られたような「ゼロ金利」政策が事実上実施されているようなものだ。だから巨額の財政出動が必要なのだ。
その支出を何に使うのか。必要な刺激は非常に大きい。十分な使途を見つけるのが難しいくらいだ。基本的には、考えつく限りの事が出来る。インフラへの支出や州などの地方政府への補助、失業手当の増額。低所得者向けの医療保険を拡大したり、失業者にも医療保険を適用したりする事も挙げられる。これらはすぐにできることだ。
一方、医療保険を全国民に広げる法案は施行に時間がかかるので、刺激策には含まれないだろう。グリーンな(再生可能)エネルギーや環境への投資も有効だが時間がかかる。即効性が期待できるのは道路などのインフラ整備だ。たとえばハドソン川をくぐる2番目の鉄道トンネルなど、計画中のものを前倒しする事も出来る。
こうした支出をすれば、政府部門の債務がGDP比でかなり上昇する事は確実だ。しかし、今は債務の増大を心配すべきときではない。
合理的判断のできる政府を持つ先進国なら、高水準の債務残高に相当期間は耐えられる。日本がそれを示してきたし、ベルギーも債務膨張で混乱するような事態に陥ってはいない。いずれはもっと多くの財政収入が必要になるのだが、それすらも今は心配すべきではない。
ゼネラル・モーターズ(GM)などの自動車産業を救済すべきかどうかは、極めて難しい問題だ。もし救済すれば、ここに至った経営の失敗を今後も続けさせる事になる。しかし一方、この危機のさなかに自動車メーカーが消えていくのは避けたい。正しい事でも今はなすべき時ではない、という事もあるのではないか。
金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全な財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべの世界」だ。ここには長くいたくない。
「奇妙な経済学」を永遠に続けたくはない。しかし我々は今そこにいるのだ。完全雇用に戻りフェデラルファンド金利が5%になれば、もとの世界に返れる。しかし、今は違うのだ。
世界不況を克服するには、G20のような国際協調によるグローバルな景気刺激策が必要だが、残念ながら当事者能力を失ってるブッシュ政権の下では力強い合意は期待できない。米国も中国も財政による景気刺激策をとる方向には進んではいる。しかしたとえば各国が一斉にGDPの3%に相当する景気刺激策を採るといった合意は、すぐには望めないだろう。
我々は新興経済諸国の危機にも直面している。少なくとも97年の通貨危機に匹敵する規模の危機だ。先進国の危機対応に追われがちだが、通貨や信用の危機、突然の資本流入の停止などの深刻な事態に対応しなければならない。
国際通貨基金(IMF)の改革も大きな課題だ。IMFは数十年にわたって、世界のパワーを反映した運営がされてきた。90年代には米国の政策を広める機関のようにみなされてきた。本当はより独立した機関が必要だが、ともかく現状よりましな機関にしなければならない。今は危機に陥った国々に対する国際的な「最後の貸し手」がかつてなく必要とされているときだ。
こうした危機になれば、アジア通貨基金をつくればいいとか、欧州連合(EU)の事には口を出さないでくれとか、ワシントンの機関が牛耳るのは嫌だとか、いろんな意見が出ると思っていた。しかし、実際には、みんなが、IMFにしっかりしろと望んだ。これは興味深い事に思える。
米国はかつてのような覇権国ではない。貿易政策ではすでに長い間、EUと米国が並び立っている。米国は世界最大の国民経済であり続けるだろうが、10年か15年後には、米国、ユーロ圏、中国、インドが四つの大きなパワーになるだろう。世界はより複雑になっていく。最後に日本について助言するとすれば、「景気を刺激せよ、刺激せよ。ゼロ金利に戻れ」。これに尽きる。
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html
ある状況下では、1人を犠牲にしてたくさんの人の命を救うことは全く正しいことに思える。一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況もある。道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない。
5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えて
トロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、
切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。
多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。
しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。
トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。
この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する
http://demon-kakka.laff.jp/blog/2008/10/octdc10-82a3.html
ロス、ロスという言葉をTVで頻繁に耳にする。news報道番組でさえ。さてLos Angeles という街の名前を「ロス」と呼称しているのは日本人だけだって知っているかね?元々スペイン語から生まれたこの地名、英語や日本語にすると「The Angels」=「その、天使たち」となる。つまりLos Angelesの「ロス」の部分は定冠詞で「その」という意味だ。
日本以外の国で「ロス」と言っても通じない。だって「I will go to Los」=「私は『その』に行きます」だ。笑われる。
なぜ吾輩がこういった「細かい突っ込み、やかましいわ!」と思われるような指摘をするのか?簡単だ。外国に行った時、または異文化と触れ合う時に恥をかかせないためだ。Los Angelesの世界共通の省略形は「L.A.」である。断じて「ロス」ではない!心すべーし!
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20081110#p3
いつも頂く『Voice』12月号。ありがとうございます。しかし今回の号も充実ですねえ。
ところでとりあえず山形浩生さんの「クルーグマンの景気回復策」。
「そしてインフレターゲット論を口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利をマイナスにすべきだと得意げに主張したりする姿も見られる。クルーグマンは基本的に正しいのだ」
とあります。誰なんでしょうか、一知半解の論者って。まあ、それは山形さんにおまかせしましょう。
しかも一番へんなのはその噂では「マイナスの実質金利にするのがいいんだ!」といっているそうです。でもへんなの、マイナスの自然利子率の長期的ショックを自然成長率を高めることで行う真の「目的」は、マイナスの自然利子率(マイナスの均衡実質金利)のショックを解消することなのに わざわざまたマイナスにしてどうするんだろか????
参考
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/6cdb3dea0bb4403bfeb5700075dcb754
きょう届いた『Voice』12月号で、山形浩生氏が「クルーグマンは正しかった」とか繰り言を書いているが、そこにこういう一節があります:
<インフレターゲットを口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利をマイナスにすべきだと得意げに主張している>
一知半解はどっちかね。このブログの昔の記事からずっと読んでもわかるが、私はクルーグマンの「日本で自然利子率が負になっていた」という主張は正しく、実質金利を負にできれば望ましいと一貫して書いている。問題は、デフレのときはインフレ目標がきかないということなんだよ(それはクルーグマンも認めている)。
この目的(マイナス金利)と手段(インフレ目標)の区別のつかない手合いが実に多い。これはWoodfordもGaliも書いているから、くだらない悪口を書く前に、大学院以上のマクロ経済学の教科書を読んでみろ。まぁ読んでも君にはわからないだろうけど。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/6cdb3dea0bb4403bfeb5700075dcb754
きょう届いた『Voice』12月号で、山形浩生氏が「クルーグマンは正しかった」とか繰り言を書いているが、そこにこういう一節があります:
<インフレターゲットを口を極めて罵っている一知半解な論者が、ブログで実質金利をマイナスにすべきだと得意げに主張している>
一知半解はどっちかね。このブログの昔の記事からずっと読んでもわかるが、私はクルーグマンの「日本で自然利子率が負になっていた」という主張は正しく、実質金利を負にできれば望ましいと一貫して書いている。問題は、デフレのときはインフレ目標がきかないということなんだよ(それはクルーグマンも認めている)。
この目的(マイナス金利)と手段(インフレ目標)の区別のつかない手合いが実に多い。これはWoodfordもGaliも書いているから、くだらない悪口を書く前に、大学院以上のマクロ経済学の教科書を読んでみろ。まぁ読んでも君にはわからないだろうけど。
参考
http://anond.hatelabo.jp/20081029051532
クルーグマン氏は、ブルームバーグのインタビューに対し「あらゆる点から考えて、われわれは“流動性の罠”の領域にいる。バーナンキ議長はあと何回か利下げを実施できるが、実体経済に影響を及ぼさないだろう。ええ、そう。伝統的で従来型の金融政策が奏功する余地はない。弾切れだ」と述べ、さらに「米国は日本になってしまった」と語っている。
ウォーターポンププライヤー(形から通称カラスと言います)
米国は「毒のモーゲージ(住宅担保債権)」を世界中にばらまいてしまった。
サブプライム住宅ローンの証券化による不良債権のことだ。そのせいで世界が危機に陥り、苦しんでいる。
1929年に始まる大恐慌の時は、危機が主に貿易関係を通じて世界に広がったが、今回は金融市場を通じてグローバルな危機を招いた。責任はまず、金融界やモーゲージ業者、そして私が「共犯者」と呼ぶ格付け会社にある。背景にあるのが、自由な市場経済を口実にしたブッシュ政権の規制緩和と企業優遇策だ。
問題は経済思想だけではない。イラク戦争とアフガン戦争、富裕層向け減税は、米国経済を弱体化させ、財政面でも金融面でも政策への重圧になった。それが連邦準備制度理事会(FRB)にしまりのない金融政策をとらせたとも言える。FRBにも不良債権の毒を爆発的に広げた重大な責任があるが、とりわけ非難されるべきはブッシュ政権の政策だ。
我々は歴史的経験を通じて、危機を大恐慌に転化させないための知識や政策手段を持っている。米国経済のサービス産業化や労働者のパート化も、かつてのように失業率が高まるのを阻んでいる。それでも恐慌の再現を防げるかどうかは、政府の行動いかんだ。
苦い教訓として思い出さなければならないのは、97年から98年にかけて起こったアジアなどの金融危機だ。米国も国際通貨基金(IMF)も正しい方策を採らなかったために、インドネシアなどで金融システムの崩壊や深刻な不況を招いてしまった。知識や政策手段があっても、正しく行使しなくては役に立たないのだ。
今回の危機に対し、ブッシュ政権は、巨額の金を金融界につぎ込めば他の人々もいくらかは助かるだろうという「トリクルダウン」(金持ちや企業が富めば、そこからしたたり落ちた富で全体が潤うという考え方)の手法を取っている。企業を助けるだけで、働く人々を助けようとはしていない。何もしないよりはましかもしれないが、まずいやり方だ。
ウォール街の特殊利益を優先する「企業温情主義」の発想が、正しい政策を阻んでいる。ポールソン財務長官やバーナンキFRB議長は、もはや市場の信頼も米国民の信頼も失っている。
米国政府がまずなすべきは、ローン返済に行き詰まった人が、担保の住宅を失うのを防いだり、失業者を支援したりする事だ。景気を刺激して、経済を回復に導かなければならない。予定されている減税は速く実施すべきだし、インフラ整備も必要だ。高速道路の建設も有効だが、長期的な視野に立って地球温暖化対策に力を入れ、「グリーンなアメリカ」をつくるべきだ。
民主党はそういう政策を掲げている。しかし、(11月の大統領選で民主党のオバマ候補が当選しても)新しい大統領が政策を打ち出す来年1月の就任式まで、まだ3ヶ月もある。この期間中、共和党内の支持すらも失ったブッシュ氏が大統領の座にあることが、対策を遅らせる要因になっている。
この危機をきっかけに新自由主義は終わりを迎えなければならないと思う。規制緩和と自由化が経済的効率をもたらすという見解は行き詰まった。
ベルリンの壁の崩壊で、共産主義が欠陥のある思想であると誰もが理解したように、新自由主義と市場原理主義は欠陥のある思想である事を、ほとんどの人々が理解した。私の研究はすでにそれを説明してきたが、今回は経験によって示された事になる。
基軸通貨としてのドルと、米国の役割も、やがて終わっていく事は明らかだ。
ただ私がすでに著書「世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す」(原題はMaking Globalization Work)に書いたように、各国が保有する準備通貨がドルから二つや三つに分散すれば、より不安定なシステムになってしまう。
もし、ドルとユーロの二つになれば、米国に問題がおきたときは、みんながユーロ買いに殺到する、逆に欧州に問題が起きれば、ドルに殺到するだろう。それでは不安定きわまりない。
結局のところ、特定の通貨に依存しない多角的でグローバルな準備通貨システム、すなわち「グローバル紙幣」が必要とされているのだ。それは各国通貨のバスケット方式であり、IMFのSDR(特別引き出し権)を恒久化したようなものだ。ケインズが44年のブレトンウッズ会議でドルやポンドの代わりに主張した国際通貨「バンコール」の現代版でもある。
同時にIMFに代わる国際機関を創設する事も必要だろう。新たなブレトンウッズ会議を開催すべき時なのだ。その意味では、今月半ばにワシントンで開かれる「G20サミット」は、今後のグローバルな金融制度について議論を始める場として意義がある。
しかしそのG20を、もはや誰もが尊敬しなくなっている大統領が主導するのは問題だ。危機を克服するには素早く行動しなければならないのに、それが出来ないという困った状況に我々は直面している。
日本はバブル崩壊後の不況を克服するのに長い時間を費やした。今回の危機を長期化させてはならない。
これまで米国は最大の消費国として世界経済を引っ張ってきたが、現在の世界危機と不況を克服する上で、「経済成長のエンジンの多様化」も必要だ。特に日本の役割は重要であり、できる限り力強い経済成長を実現する事が求められる。