それ自体が良い行いだとすれば良いのだけだ。
自分なりに、なぜ子供が生まれること=幸福という宗教が出来上がったのか考えてみたい。
太古の時代は、子供を作るという行為は、単に種を維持するためのプログラムだったはずだ。
それが、いつしか集団で暮らすようになり、小さな村を形成した時に、初めて子供を作ること=幸せの象徴へと移り変わったと思う。
その理由は、子供=労働力としての多大なメリットがあったからだ。作物を育て、狩りをする、住居を維持する等、集団が豊かになるという点で多大なメリットがあった。だからこそ子供の多さは幸せの象徴とされたと思う。現に、子沢山を願う宗教的なものは数多くあるし、現象の神秘さも相まって神格化されていったと思う。
一方、現代では、子供を生み育てることには、様々なリスクとコストが存在する。生まれつき障害を持って生まれてしまうこともあるだろうし、また犯罪に手を染めるかもしれない。
そしてこれらリスクは全て、親がコストを支払って育てないといけない。村社会時代はおそらく黙殺されていたが、現代ではそうはいかない。社会が許してくれないのだ。そして、そのコストはおよそ最低2000万円。より良い教育しようとすれば、さらにコストはかさんでくる。現代では、これら圧倒的なリスクとコストを目の前にして、どうしても子供の存在と幸せは結びつきにくくなっていると思う。
こんなことを書くと「子供をコストだのリスクだの言うのは頭がおかしい」とか「親に感謝はしてないのか?」とか、感情的な反論がよく来るのだけど、それらの反論はいつ見ても論理が欠如していて、子供万歳教の信者にしか見えない。
それと、老後寂しいとか、老後の面倒がとか言う人もいるけど、子供が親の面倒を見てくれる保証もないし、子育てにかかる費用があれば、外注できるのではと思う。それに、そんなわずかな余生の時間のために、若い数十年を無駄にすべきとは到底思えない。育児をしながらの仕事は大変だし、人によってはキャリアに支障が出ると思うと、やはりデメリットが大きい。旅行も食事も限定される。
ということで、現代ではどう頑張っても子供は幸せの象徴になり得ないので、この宗教を押し付ける全体主義はそろそろ脱しても良いのでは?と思う。結婚の話もそうだけど、無理にしなくても良いし、作らなくても良いし、色んな生き方があって良いじゃなか。じゃないと村社会からなんも進歩してないし、そんなの息苦しいと思う。
別にDINKS増えてるしもうそんな宗教ないと思うけどな
それが、いつしか集団で暮らすようになり、小さな村を形成した時に、初めて子供を作ること=幸せの象徴へと移り変わったと思う。 そんな早い段階でそうなったわけないと思うが…...