私はラジオが好きだ。
特に深夜ラジオが好きで「オールナイトニッポン」も、もうかれこれ10〜15年くらい聴いている。
今でこそ、Twitterとの連動やお笑いブームもあって人気コンテンツになりつつあると感じるが、当時はまだラジオはマイナーな趣味だったと思う。
だがなんとなく聴きはじめてからすっかりハマってしまい、ここ10年くらいは深夜に頑張って起きて聴いたりごくたまにだがメールが読まれたり、いわゆるヘビーリスナーと言ってもいい立場だと思っている。
そんな自分だが、先週配信されたニッポン放送55周年記念「あの夜を覚えてる」にどうしても違和感というか、冷めた気持ちを感じてしまった。
長年好きなコンテンツのはずなのにどうしてそう感じてしまうのか、自分の考えをまとめたい気持ちもあって今これを書いている。
一応書いておきたいのが、ニッポン放送やオールナイトニッポンと分けて考えれば、物語自体はとても面白かった。
例えばこれが普通の映画だったり漫画だったりしたら、とても好きな作品になっていたと思う。
なのになぜモヤモヤしてしまうんだろうかと考えてみて、一番感じたのは「"エモ"は公式から押し付けられると冷める」ということだ。
これはこの作品だけでなく他のコンテンツにも感じたことがあるのだが、私は公式から「エモ狙い」の宣伝や発信をされて冷めてしまうと感じる。
深夜ラジオを長い間聴いていると、いわゆる「神回」に出会うことや、「エモい」というか、テレビや漫画など他のメディアでは味わえないような感動を味わったこともある。
でもそれは、公式から「神回ですよ」「エモいですよ」と言われているのではなく、聴いているリスナー側がそう受け取っただけのことだと思っている。
10年以上続く人気番組「オードリーのオールナイトニッポン」が「部室」と言われているのもそうだが、パーソナリティのトークを、それぞれのリスナーがそれぞれの感覚で受け取る。
それがラジオの好きなところだと、私は思っている。
だから、公式から「あの夜」と言って深夜ラジオというコンテンツのことをドラマチックな「エモい」物として発信されてしまうと、なんだか違うと感じてしまうのだと思った。
また、劇中にいくつもあった普段のリスナーならわかるような「小ネタ」のひとつを、公式Twitterで「元ネタはあのラジオのあの回です」とツイートしていたことも「なんでそんなことをするんだろう」と思って不思議だった。
そういった「小ネタ」は伝わる人にだけ伝わればいいものだと思っていたので、公式から声高に解説されたことに違和感を感じてしまった。
公式Twitterは他の宣伝ツイートも謎のポエム調のツイートばかりで、終始「酔っている感」というか、さきほども書いたが「エモ狙い」をすごく感じてしまうものだった。
長々と不満を書いてしまったが、結局はあくまでも私の一人よがりな「深夜ラジオ」のイメージや今まで約10年間の印象と、今回公式から発信された「深夜ラジオ」に対する価値観が違いすぎて勝手にがっかりしてしまっただけなのだと思う。
また、一リスナーの意見だが、こういった作品を作るような金銭的・人員的余裕があるならば、もっと今放送している番組の企画やイベントに力を入れてほしかったとも思う。
あまりにもネットやTwitterで絶賛の声しかなかったので、「本当にずっと深夜ラジオを聴いてきたような人がみんなそう感じているのだろうか」と思って書き始めてしまった。
タイトルの時点でいないとは思うが、この作品が好きでこれを読んで不快にさせてしまった人がいたらごめんなさい。
やっぱりこんな風に感じたのは自分だけなのかな。