2020-10-26

いくら想像しても追いつかない介護現実を見た

介護は大変」

そんな言葉を山ほど聞くし、実際にそう思っている。

いや、正確には思っていたつもりだった、かな。

先日知人の母をどうしても1週間見なければならなくなった。

知人からは常々愚痴も聞かされていたし

介護の大変さも知人越しに想像できているつもりだった。

明るく愚痴を吐きながら、それでも母への愛情を口にし

「でも長生きして欲しいとも思ってるんだ」と語る

彼女人間性は、介護の辛さに押し負けて

ツイッターFacebook呪詛言葉を書き連ねる

人たちとは全く違うと思っていた。

からこそ、少しでも力になりたいと思ってSOSを引き受けたのだ。

約束の1週間が始まり、私はすぐに後悔した。

95を超える知人の母は認知も進み体重も30キロを割っている。

筋肉も贅肉もなく、ほとんど即身仏のようだが

口は達者で食欲もあった。

しかし、内臓の衰えはどうしようもなく

頻繁に下痢もするしその都度ベッドからから全て取り替えなければならない。

何かあれば「生きていてすいません」と詫び

しか自分でできることが少ないので

朝昼晩のいつでもお呼びがかる。

足腰が弱っているので、夜中にトイレに行くにも呼びつけられ

抱っこして連れて行き、用を足し終わるとまたベッドに運び

あたりに飛び散った飛沫を掃除する。

これが毎日何回もあるのだ。

人の体重にしては軽いとはいえ、1日何度も30キロ弱の人間

運ぶのは並大抵の労力ではない。

もはや素人対応できる範囲ではないと思うが

知人によると施設だけはどうしても嫌だと

頑なに拒否しているらしい。

年齢が年齢なので気が気ではなく

私がお世話をしているときに万が一のことでもあったらと

1時間睡眠が取れない。

夜明けにまた呼び出される。

朝食の時間トイレトイレ、昼食、トイレ

トイレ、夕食、トイレトイレトイレ、朝食、、、

肉体はとうに限界を超え、

何かするたびに「生きていてすいません」と謝られると気も滅入る。

知人はよくこんなことを続けながら

あんなに明るく笑っていられるなと改めて感心していた。

お世話を始めて3日目あたりで

お母様も随分と心の内を話してくれるようになった。

その中でふと口にした内容が衝撃だった。

「あの子には本当に申し訳ない。

の子を苦しませることしかしていない。

生きているだけで迷惑をかける。

死んでしまいたいけれど、それもできない。

でもお腹は空く。

食べればおトイレにもいきたくなる。

また迷惑をかける。

もういっそ何もしなければ死ねるんじゃないか

最近、あの子(知人)は私のことを叩くの。

ご飯を残すと叩かれる。

トイレを失敗しても叩かれる。

着替えが遅いと叩かれる。

その度に言われるのよ。

「ねえ、いったいいつまで生きるつもりなの?

なんでまだ生きてるの?

いつ死んでくれるの?」って。」

あんなに明るく愚痴をこぼしながら

それでも長生きして欲しいと語っていた

知人の顔が浮かぶ

あれは嘘だったんだろうか。

いや、きっとそれもあるのだ。

「生きて欲しい」と「死んで欲しい」は

介護現場において共存する気持ちなのだと思う。

知人も母も、誰も悪くない。

コロナステイホーム期間、知人からSOSが来なかった。

この数ヶ月をたった1人で乗り切り

久しぶりの旅行なら邪魔するのは悪いと

私は残りの日数を向こうから確認電話が入るまでは

こちからは連絡を入れないようにした。

介護の大変さは、結局自分当事者にならなければわからないものだと心の底から思った。

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