「介護は大変」
そんな言葉を山ほど聞くし、実際にそう思っている。
いや、正確には思っていたつもりだった、かな。
先日知人の母をどうしても1週間見なければならなくなった。
「でも長生きして欲しいとも思ってるんだ」と語る
人たちとは全く違うと思っていた。
だからこそ、少しでも力になりたいと思ってSOSを引き受けたのだ。
95を超える知人の母は認知も進み体重も30キロを割っている。
口は達者で食欲もあった。
頻繁に下痢もするしその都度ベッドから何から全て取り替えなければならない。
何かあれば「生きていてすいません」と詫び
朝昼晩のいつでもお呼びがかる。
足腰が弱っているので、夜中にトイレに行くにも呼びつけられ
抱っこして連れて行き、用を足し終わるとまたベッドに運び
あたりに飛び散った飛沫を掃除する。
これが毎日何回もあるのだ。
運ぶのは並大抵の労力ではない。
知人によると施設だけはどうしても嫌だと
頑なに拒否しているらしい。
年齢が年齢なので気が気ではなく
私がお世話をしているときに万が一のことでもあったらと
夜明けにまた呼び出される。
肉体はとうに限界を超え、
何かするたびに「生きていてすいません」と謝られると気も滅入る。
知人はよくこんなことを続けながら
あんなに明るく笑っていられるなと改めて感心していた。
お世話を始めて3日目あたりで
お母様も随分と心の内を話してくれるようになった。
その中でふと口にした内容が衝撃だった。
生きているだけで迷惑をかける。
死んでしまいたいけれど、それもできない。
でもお腹は空く。
食べればおトイレにもいきたくなる。
また迷惑をかける。
ご飯を残すと叩かれる。
おトイレを失敗しても叩かれる。
着替えが遅いと叩かれる。
その度に言われるのよ。
「ねえ、いったいいつまで生きるつもりなの?
なんでまだ生きてるの?
いつ死んでくれるの?」って。」
それでも長生きして欲しいと語っていた
知人の顔が浮かぶ。
あれは嘘だったんだろうか。
いや、きっとそれもあるのだ。
「生きて欲しい」と「死んで欲しい」は
知人も母も、誰も悪くない。
この数ヶ月をたった1人で乗り切り