「アメリカ人は進化論を信じてない奴がこんなに沢山いるんだぜ!遅れてるよなあプークスクス(´艸`*)」みたいな話を聞くけど、宗教的な観点から見ると進化論を受け入れるか否かってそんなに単純な話ではない。少なくとも地動説とかより遥かにキリスト教の教義の中枢を揺るがす重要な問題だよ。
というのもキリスト教ってイエスを救い主だと信じる宗教なんだけど、なぜ救い主なのかというとそれは私達に原罪があるから。そしてイエスの十字架の死によって、その原罪が贖われるから。
「神は、実に、そのひとり子とお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネの福音書3:16)」
ではその原罪はどこから来たのかというと、創成期に記されている通りエヴァとアダムがサタンに神との約束に背いたからなんだよね。
もちろん、今日日聖書に書かれた内容を字義通りに信じることはむつかしい。例えばモーセが海を割ったとか、ヨナが巨大な魚に飲み込まれたとか、イエスが病人を癒やしたとか、こういう話はまるで荒唐無稽なお伽噺だ。
しかし、もしアダムとエヴァが実在せず、失楽園も実際に起こったことではなかったとしたら、世の罪を購う救世主であるというイエスの存在は無意味となり、キリスト教の信仰もまた虚しいものになってしまう。
神は進化というプロセスを経て生物や人間を創造されたという折衷説は一見すると「いい線いってる」ように思われるが、進化の原因は自然淘汰だから、そうなるとアダムの罪とは無関係に「死」が世界に存在していたことになる。やはり人類の身代わりに罪を背負ったキリストの死は無意味となり、キリスト教信仰は根本から崩壊する。そもそも聖書には、神は「おのおのその種類にしたがって」生物を創造したとくどいくらいに強調しているわけで、この中途半端な考えは聖書の記述と真っ向から対立している。
まあ、こういう話は既に神学者の間でさんざん議論されてきたことだとは思うけど、一つ言えることは、進化論を受け入れた理由が「みんなそう言ってるから!それが常識でしょ!」で思考停止している人は宗教のことを真剣に考えた上で創造説の立場をとる人を笑えないんじゃないかな、という事です。前者は、知識は持っているが、全然考えていない。本当に自分の頭で考えているのは、後者の方ですから。