☆ 「人は見た目が100%」と言うけれど、余りに世論が情と言うか見た目に流され易いので、どうしても注記したくなった。
☆ 日大の悪質タックル問題で、実際に何の罪もない関学の選手に後ろから全力でヘルメットでぶつかり下手をすると脊髄を骨折しかねない怪我を負わせたのは、今はまるで被害者のように扱われている宮川選手である。幾ら彼が清潔で誠実そうに見えると言っても、それは外見だけのこと、彼が行った障害罪とは関係ない。そこにいかにも悪人面の監督やどう見てもイエスマンのコーチからの教唆があったにせよ、明らかに彼は実行した傷害事件の正犯であることには変わりない。
☆ しかも、教唆があったと言っても、彼は小説の悲劇の主人公のように家族を人質に取られていた訳でも、パワハラを受けても言い返せないサラリーマンのように給料と生活を支配されている訳でもない。彼が障害を犯した動機は、彼自身が言っているように「試合に出たかった」からと言う極めて個人的で身勝手な理由である。親分に玉を取って来いと言われた鉄砲玉ほどにも同情の余地は無い。鉄砲玉は否定したら消されるが、彼は拒否したところで、試合に出られなくなるかもしれないだけなのだ。アメフトと言うプロのない学生時代の部活に過ぎない試合に出られなくなるだけのために障害罪を犯した人間をまるでヒーローのように、あるいは被害者のように、本当の被害者の父親までもが彼を救うとまで言い出しているのは如何なものなのか。
☆ しかも、皆が讃えている単独での弁明も、被害者側が告訴したたために、事件から一週間以上経ってから慌てて行ったに過ぎない。本当に反省しているならどうしてもっと早く事件後直ぐにでもか発表しなかったのか。自分が刑務所に行く可能性が出てから、慌てて、すべてはコーチと監督のせいだと弁明したに過ぎない彼を擁護すべき理由はどこにもない。もちろん、教唆犯と考えられるコーチと監督の責任も問わねばならないし、彼らの全てを宮川選手の指導の理解不足のせいと自己弁護に走る態度は、昨今の卑怯すぎる大人の典型例で見ていて反吐が出るが、だからと言って宮川選手の犯した罪が軽くなる訳でも、彼が一転被害者になる訳でもない。彼がとるべき行動は、見ず知らずの選手を故障に追い込めと言ったコーチに対して、「お前は指導者の資格などない。俺を犯罪者にするつもりか」と反論することだったのだ。